滅国の魔女、御身の前に。   作:セパさん

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魔法があるならば

「あら、クライムお帰りなさい。今日も訓練お疲れ様。」

 

 ナザリック初の現地人領域守護者、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは計算の手を止め、即座に宝石のような笑顔を形成し愛しのクライムが帰還したことを素直に喜んだ。

 

「いえ、この地でわたくしが鍛錬に励めることも全てラナー様の献身があってこそ。従者として恥じ入るばかりです。」

 

 ああなんて健気な犬なのだろう。クライムの真っすぐな瞳は忸怩たる思いの宿った複雑なものであり、ラナーはその瞳に倒錯的な快楽を覚える。少し悪戯心の芽生えたラナーは机に置いてあったワインボトルに一瞬目を向けた。

 

「そうそうクライム、ちょっと剣を構えてもらってもいいかしら?」

 

「剣……ですか?畏まりました。」

 

 クライムはラナーに言われるがまま腰に提げていた訓練用の剣を構える。まさか主に刃を向ける訳にもいかず、剣先は天井を向けて。その刹那だった。

 

「う~んちょっと遠いわね。もっと近くにきて。」

 

「は、はい。」

 

「このくらいかしら……えい!」

 

 ラナーがクライムの剣に向けてガラス製と思わしきワインボトルを棍棒のように振りかざしてきた。あまりの予想外な行動にクライムの脳内が危険信号を発し、様々な思考と感情が入り乱れ奔走する。このまま剣を持っていればガラスは割れ、飛散する欠片がラナー様の玉体を傷つけてしまう。

 

 しかし突拍子の無い行動に脳が身体に運動の信号を送ってくれない。剣とボトルの衝突する瞬間がスローモーションとして脳に焼き付くばかり。これから生じるであろう破砕音と四散するガラス片からどうラナー様を守ろうかと思考を切り替えていた瞬間……

 

 ガギィン!

 

「え!?へ?」

 

 クライムの予想を裏切り、剣から伝わってきた衝撃は金属製の鈍器で殴られたかのような異質なものだった。

 

「うふふ、クライムったらおかしな顔。」

 

 クスクスと笑うラナーが手にするグラスボトルをよく見ると、側面に光る3つの文字が刻まれていた。恐らくはセバス様から聞いたことのある【ルーン】と呼ばれる技術だろう。あの魔導王がその価値を見出し、現代では失われた技術の復活を目論んでいると聞く。

 

「い、悪戯が過ぎます。ラナー様……。」

 

 過緊張から全身の力が緩和していくような脱力感に精神を侵されたクライムは情けなくもそのまま膝から崩れ落ちそうになってしまう。

 

「ルーンのお話を伺った時、日用生活用品に応用してみるのはどうかしらと提案をしてみたの。例えばこれはただのガラスなのだけれど、ルーンを刻めば金づちで叩いてもビクともしないのよ。魔法と同じで、何も武器を作る事だけが利用法ではないでしょう?みんなの生活が便利になるために使われるべきだと思うの。」

 

 その一言にクライムは感銘を受ける。ラナー様はやはり民の幸せを想い、民の利便性を第一に考え様々なアイデアをあの魔導王へ提言しているのだ。そのお心に胸が熱くなる。

 

「ただ今はルーン工匠の絶対数が少ないから、すぐに実現は出来ないみたい。とても残念だわ。それに職人気質なルーン工匠たちは武器以外にルーンを刻む作業に不慣れで難しい顔をするらしいの。」

 

「いえ! そんな些末な問題は一時のことに過ぎません! ラナー様の民を思う御心は必ず成就いたします!」

 

 不老不死となった自分が【時間の問題】と言い切るのは、まるであの悪辣な魔導王を讃えているかのようで癪だが、永劫の時が流れようとラナー様のお優しさが陰る事など無いと確信しているが故の言葉だ。

 

「ありがとう、クライムがそう言ってくれると嬉しいわ。」

 

 実際低位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)によって魔化の施されたマジック・アイテムは一定時間で効力が激減し、やがては無力になるものも数多い。しかしルーンは如何に低位の工匠が刻んだ文字であっても永続的な効果を発する事がわかっている。生活魔法にルーンを用いる提案をした際、魔導王陛下は大変に満足そうな反応をされていた。

 

「クライムはどんなものに魔法がかかっていたら幸せだと思う?」

 

 場所をソファーに移し、ラナーはクライムに屈託のない笑みで問いかける。自らの太陽、神ともいえる存在が気兼ねなく話しかけてくれている事実にクライムは緊張から身体を強張らせてしまう。

 

「い、いえ!わたしが簡単に思いつくものなど、ラナー様でしたら……。」

 

「そんなこと無いわ、クライムはわたしを過信しすぎよ。」

 

 ラナーは笑顔を湛えたままソファーの隣に座るクライムの返答を待つ。クライムには慈悲深いいつもの笑顔から圧のような波動を勝手に感じ、思考が空転してしまう。

 

 まず思いつくのは包丁や鍋、保温機といった家庭用品であるが、ルーンは現状量産が出来ない。ならば却下だ。次に馬車や荷台といった運搬交通。<浮遊板(フローティング・ボード)>を初めて見たときでさえクライムは御伽噺の世界でしかなかった魔法の力に心を震わせたものだが……

 

(ドラゴンや幽霊船が悠々と荷物を運んでいる魔導国では不適当か。)

 

 今更魔導国に<浮遊板(フローティング・ボード)>如きと類似した低位階魔法を見て驚く民は存在すまい。可能性を除外する。

 

(やはりわたしにはラナー様のような能力は……あ!)

 

「読解や筆などいかがでしょうか? もちろん量産はできませんので、教会のように特定の個室に魔法の筆と魔法のルーペを置くと言うのは? 未だ識字率の低い中、相手に気持ちを伝えられる場所となるはずです。」

 

 実際幼少期ラナーに拾われ、ラナーに抱く心模様を言葉にすることも文字にすることも出来ず焦燥とも取れない甘く苦しい感情を覚えた記憶は新しい。(ふみ)に認め渡したい相手がいる。しかし文字を書く手を持っていない。そんな自分の苦しみを誰かが味わっているならば解消してあげたいと思ったのだ。

 

 その瞬間、ラナーはお腹を抱えプルプルと震えだす。

 

「ら、ラナー様!?どうされたのですか!?」

 

 ラナーの笑顔はいつもの慈悲を湛えたものではなく、本当に可笑しくて仕方ない感情を抑え込んでいるように見えた。

 

「いえ、クライムらしいと思って。」

 

「お、お恥ずかしいです。」

 

「そういえば、クライムが初めてわたしにくれた手紙……。王城と共に消えてしまったわね。」

 

 嘘である。現在レベルにして80以上の盗賊職でも無ければ開錠できない秘密の宝箱へ大切に保管している。間違ったスペルに左右や上下が反転した文字、おかしな文法。しかしその中に秘められた膨大にして健気な思い。思い出すだけでラナーの背筋に電流を走らせる。

 

「一体どんな内容だったかしら?今ここで思い出してもらえる?」

 

「いえ!そんな!」

 

 クライムの顔が一気に真っ赤に染まる。さて、どのように遊んであげよう。最早ラナーの脳内は狼狽し恥ずかしさに悶えるクライムの瞳でいっぱいであり、ルーンのことなど微塵も入る余地が無かった。

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