試合の直前、戦術を確認していたときに伊右衛門が不安そうな表情で話し始めた。
「本当に俺がFWでもいいのか?」
「大丈夫、後半は俺がFWをやるから。後半はGK頼んだ」
我牙丸がキーパーグローブをつけながら伊右衛門に答えた。
「行こう、この試合に勝てればほとんど勝ち抜き確定だ。今のポジションに不満のあるやつも多いだろう、でもここで勝てば世界一のストライカーとしての道が開ける」
「さすが、CBを買って出るやつの言葉は重みがちげぇや」
試合に向けて士気を上げようとした久遠に雷市が茶々を入れる。
「そうだ、俺はDFで終わる気は無い。だから絶対勝てよ」
「久遠の言うとおり俺たちがDFやってるんだ、ちゃんと勝てよ」
DFをやらされている五十嵐、通称イガグリも久遠に同調して声を上げるがブルーロックランキング最下位の男の言葉に全員がスルーをかます。
騒ぎ出した五十嵐を横に置いて、何人かの連中が部屋を出だした。
「おい、もう行くぞ」
国神の一言で全員がグラウンドに向かった。運命をかけた試合がもう一度始まろうとしていた。
もう既に1敗してしまい後がないチームYの面々はぴりついた雰囲気を発していた。ブルーロックにいる人間全員が持つ自分の夢が終わる恐怖に、彼らは片足を突っ込んでいる。絶望の中で自分の色を出すことを諦めて、勝利のための歯車になるのか、それとも自分の結果にこだわっていくのか。
試合開始と同時にボールを持った王馬だが、自陣でボールを持った彼にプレスがかかることはなかった。それどころかチームYの選手はFWの選手を除き全員が自陣に戻っており、ゴール前にバスを止めていた。
“ゴール前にバスを止める”サッカーが近代化、国際化して行くにつれて戦術は凄まじい勢いで進化していった。その過程で世界を席巻する監督が現れた。ヨハン・クライフが衝撃を与えた“トータルフットボール”。アリゴ・サッキの生み出した“ゾーン・ディフェンス”。現代にも続く無敵艦隊スペインの“ティキタカ”。これらは時代の最先端、より効率よく点を取り、ゴールを守る。それに反して何よりも原始的で、サッカーの絶対的なルール。点を取られなければ負けない。
“ゴール前にバスを止める”つまり最終ラインに多くのディフェンダーを並べて、スペースを消してサッカーをさせない。アンチフットボールの出した最古にして最優の答えだ。
こうなってくるとどんなに優れたストライカーがいても点を取ることは簡単じゃない。国際大会でも引き切ったチームを相手に塩試合を行なうことは少なくない。
この守備を崩すためには高いレベルの技術力と連携、もしくは絶対的な強さが必要とされるが、まだまだチームとしての完成度が低い状態のチームに対してはこの上ない対策だった。しかし、王馬を中心にしたサッカーを行なってきたチームZの完成度はチームYの司令塔、二子の想像を超えていた。
ドン引きのカウンターサッカーに対して、王馬はパスを回しながらゆっくりとラインを上げて守備陣形を左右に振り回し始めた。なんと試合開始から10分間チームYが攻撃に転じることもなく、ただただ耐えるだけの時間だけが過ぎていく。
一つ補足しておくなら、チームYはしっかりと相手のことを分析して対策を立ててきていた。右サイドの蜂楽にはドリブルのルートを与えずに二人以上で守備に当たり、ミドルシュートを警戒して国神をケアして、ファイナルサードで決定的な仕事をさせないように王馬にも激しいマークをつけていた。
同じような展開が延々と続くかと思われていたが、二子がセカンドボールをとった瞬間、今までのフラストレーションを爆発させるかのように大きく前に蹴り出した。
チームY唯一のFWとして攻撃の全てを担っている大川響がサイドに流れてボールを受けようと試みる。熊本の点取り屋の異名をとる大川はサイドでボールを受け取るとそのままスピードを上げてカウンターを試みる。
そこを狙ってサイドバックのプレスバックに合わせてセンターバックの久遠が挟み込む。決して中にだけは行かせない、つかず離れずのディフェンスが功を奏して成早が追いついてくる。
「成早!!」
「了解」
完全に設計されたディフェンスに嵌められた大川が、何とかディフェンスの間から見えた二子に無理矢理パスを出した。
「俺がいるんだなぁ」
どや顔でインターセプトを狙ったセンターバックの五十嵐だったが、彼の身長ではギリギリで脚が届かず奪いきれなかった。ボールはルートを変えるだけでコロコロと転がった。
「あっ、ちょ」
「このゴミが、調子に乗っていきがるからだ」
本気で蔑んでいるような底冷えする視線を一度だけ五十嵐に向けると下がってきた王馬がそのボールを回収する。張り詰めきっていた糸が一瞬の反撃で緩んでいるのを見て取った王馬は一気にドリブルで前線に切り込んでいく。
一気に攻撃のスイッチが入ったチームZに対して、決して楽には生かせないと対策を生かしたディフェンスを見せたチームYだが、研究できていない選手の攻撃は対策ができていなかった。
中央突破だけはさせないと密集して押し返そうとする守備陣に対して切り込んでいき、一人目を抜いた王馬の視界の端にサイドを完全にドフリーで駆け上がっている選手がいた。先ほど守備に全力で戻り、相手選手の裏をついたサイドバックの成早の足下にぴったりと王馬から高速中弾道の超高難易度パスが届く。
「やばぁ」
成早の口から本音がこぼれ出る。こんなパスを受けたことは自分のサッカー人生を見返しても見当たらない。こんなパスを受けてしまってはきっと何も言い返せなくなる。あれだけ口うるさい雷市が何も文句を言わなくなった理由を察し、今まで自分がこれを知らなかったことに少し嫉妬を覚える。
減速の必要が無いパスに、成早がディフェンスラインを食い破った。
そこにあったのは最高の光景だった。ディフェンダーどもの背後を完全に奪いきり開いた視界、ゴールまで何も誰もいない光景を目に焼き付ける。
そのままシュートまで持ち込みたかった成早だったが、スピード不足とフィジカル不足により捕まってしまう自分に、まるで夢から覚めたように現実に引き戻される感覚に怒りを覚える。「くそっ」そのまま倒れ込むことが認められず、肩を掴まれてしまった姿勢から無理矢理にクロスを上げる。
あまりにも乱暴なクロスは高さもめちゃくちゃで、誰も感じていないと思って行く末を見つめると、この試合地味ながらも良い働きを続けていた伊右衛門だけが走り込んでいた。
ポストプレーにサイドのフォローといったスタッツなどには表れない地味な仕事をやり続けた伊右衛門。基本に忠実にできることを淡々とこなして周りを支える。どんな状況だろうと必ず二アサイドに飛び込む。彼の愚直なまでのその姿勢が決定機を生み出す。
彼の特徴が一番生きるペナルティエリア内。この試合初めてのエリア内でのプレーは二アサイドでワンタッチで終わった。
軌道が変わったボールはゴールネットを揺らし、チームYは自分たちがやりたかった形で失点するという最悪の形での失点になった。
一気に勝負の流れが決まるゴールになるかと思われたが、意外にもチームYはしっかりと統率されていて自分たちのスタイルを捨てることはなかった。
徹底してバスを止めるやり方を貫いた彼らのゴールは堅く、またスコアが動かない時間が続いた。
チームZの活性化した右サイドの成早が何度も突破するも、そこからの展開につまってしまい単純なクロスがはじかれ続けていた。
この展開を打破しようと二子が攻撃に転じるためにより中央に陣取った。
ドン引きのカウンターサッカーというのは意外と難しい。カウンターのスイッチをどこで入れれば良いのか分からない。どこまで上がって良いのか分からない。人数が増えれば守備陣の連携は加速度的に難しくなっていき、いつ、どこで、誰が攻撃のスイッチを入れるのかが難しくなっていく。クリアするのかパスをするのか、こう言った思考はミスを生み出す。
だからカウンターサッカーをする際には必ず規則でチームの思考を縛るのだ。
“ディシプリン”規則や決まり事を意味する言葉だが、彼らチームYのサッカーはまさにディシプリンサッカーといわれる規則と規律で縛り上げた物だった。だからこそ彼らの攻撃のスイッチは中央でのボール奪取。二子のポジショニングは攻撃に行くという、同点にするという意識を見せたモノだった。
国神のミドルシュートがディフェンスに当たって高く上がる。セカンドボールの回収に走った二子の前に一つの体が割り込んできた。そこまでの大きさはなかったが、二子はボールへの距離をどこまでも遠く感じた。そこからは一瞬だった。何が起こったのか分からなかった、気づけば二子は尻餅をついていて、体を割り込ませてボールを奪っていた王馬は自分の後ろにいた。
振り向いて後ろから見ていて初めて分かった。抜かれたのだ、最小限の動きと手間で。ボディフェイクと緩急という単純なドリブルに切り返し、それだけでここまで簡単に抜いていけるのかと、自分の中の常識が破壊されていくような光景にあっけにとられた二子は立ち上がることすら忘れて、その後ろ姿を見つめた。
決して速くない、大きいわけでもない、だが倒れない、止まらない、最小限の動きで前に前にゴールへと向かっていく。二子を含めて四人のディフェンダーが近くにいて、すぐに囲まれたはずだった。それがあっけなく簡単に無力化された。
最後にはディフェンダーの股下を通したコロコロと転がる力ないシュートが、飛びついたキーパーの指先をかすめてゴールラインを割って、リスタート直後に前半が終わった。
チームYの心は完全に折れていた。二子も大川も馬狼のような存在にはなれなかった。
前半が終了してベンチに引っ込むが、チームYの表の支配者だった大川は不機嫌を隠そうともしなかった。その大川の態度にこの試合走り続けて疲れ果てている選手達が不満を爆発させる。
騒ぎ立てる選手達がつかみ合いの喧嘩を始めんばかりにヒートアップをして、冷静さを残していた選手達が間に入ってそれを必死に止めようとする。止まることのない喧噪の中で裏側の支配者だった二子は何も言うことなくじっと座り込んでいた。
目の前で行なわれた王馬のプレーは自分が目指していたプレーで、諦めたプレーだった。
思い返せばいつああいったプレーをしなくなっただろうか?おそらく体の成長が止まったときだろう、プレーする環境のグレードが上がり、今までの自分が通用しなくなって自分を見つめ直して、そして今のスタイルに行き着いた。身長、足の速さ、足下の技術、後は何を言い訳に使っただろう。王馬も同じように悩んだのだろうか、あそこで諦めなかったら自分もああいった選手になれたのだろうか。
ほんの少しの後悔と未練、冷静な自分、目の前に見せつけられたプレー、全てがぐちゃぐちゃに混ざり合った渦に二子は捉えられていた。
後半開始直後から、ハーフタイムの過ごし方が如実に出た。騒ぎ立てて、揉めに揉め、結果として何も解決することのできなかったチームYはせっかく1にしたサッカーを0に戻してしまっていた。
崩壊した組織に崩れたディフェンスライン。ストライカーにとって理想的な環境にあって王馬は完全にやる気をなくしていた。
ほとんど走ろうとしない王馬だが、決して無視して良い存在じゃない。各自で好き勝手動く守備陣も彼を強烈に意識する。その偏りを利用して、一気に蜂楽がドリブルで切り込んでいく。
一人、二人、連続する 1on1を制していく。完全な混戦状態に陥ったゴール前、シュートコースはもちろんパスコースだってほとんど無い。
「けど見えてるだろ」
王馬のそのつぶやきが二子の耳に届いた。決して自分に向けられたものではなかったが、まるで責められているように感じた。
後ろから見ていた王馬に、ボールホルダーの蜂楽だけが見えていた。
完全にフリーなゾーン、がら空きのパスコース、その瞳に強い意志を宿した潔に蜂楽が笑みを見せる。
「さすが」
ゴールの匂いを強烈に感じるエリア、がら空きのスポットライトを潔はそこに感じた。
「あっ」
唯一チームYでここの存在に気づくことができた二子の間抜けな声がどこまでも大きく二子の中で響いた。
何故自分がそこにいないのか、普段の自分あればこんなプレーはしなかったはずで、王馬のシュートを後ろから眺めるしかできなかった時と同じようにダイレクトボレーをただただ見つめることしかできなかった。
そこからの展開はひどい物だった。負けているチームがゴール前にバスを止めるなんて言うナンセンスな状況。でもそれをやめることもできないまま時間だけが過ぎていく。このままじゃ終わる、その恐怖感に耐えられなかったのは二子だった。ここまでチームをまとめて、地味な役割も引き受けた。それは全て、勝ち残るため、自分の夢を繋ぐため、こんなところで終わるためじゃない。
誰かが蹴り出したクリアボールにがむしゃらに追いついた。ただ今は今だけは子供の頃のように一つのゴールを求めて、本能に従う。
トラップ際刈り取りに来る選手をワンタッチでいなす。上がってくる大川を囮に目線でフェイクを入れて更に一人躱す。ゴールまで見えた道のり、今まで使われていなかった筋肉を使うような感覚。きっと自分はもっと成長できる。そんな何の根拠もない感覚が全身を支配し、後ろから来ていた彼も見えていた。
スライディングでシュートブロックに入ってきた王馬をシュートフェイクで切り返すことで躱す。完全にあいたシュートコースに沿うようなシュートがなめらかにゴールネットまで吸い込まれていった。
もう一度やれと言われても絶対にできないプレーだった。
何であんなプレーができたのかは自分でも分からない。でもあんな感覚は一生忘れられないだろう。二子は完全に自分の殻を破って見せた。この瞬間表の支配者の大川はその座を追われた。元々チームをまとめていたのが二子だったというのも大きいだろうが、チームYは二子を中心に生まれ変わろうとしていた。
ボランチのポジションに入っていた二子はトップ下までポジションを上げた。もちろん大川にとっては面白くなかったが、面倒ごとを避けたかった大川は結局何も言わず、前半には参加しなかった守備にも参加するようにしていた。
一点を取り返し、自分たちの戦い方を思い出したチームYはもう一度守備ブロックを締め直した。
もうやる気をなくしてしまっていた王馬は、その守備ブロックに切り込んでいくようなまねはしなかった。自陣に戻って彼と一緒にパス回しをしていた久遠は自分たちがリードしているため無理に攻める必要が無いと理解していた。だから王馬もここでパス回しに参加していると思っていた。
このままだと時間を潰されて負ける、そこに思い至ったチームYの守備が前掛かりになった瞬間を王馬は見逃さなかった。ライナー性のロングパスがピッチを斜めに切り裂いていく。幅をとっていたサイドバックの千切はそのパスを感じていたが、想像以上のパススピードとコースに走るスピードを上げる。
トラップして敵守備陣の裏側に出たときに千切はふと感じた。あの怪我以降俺はこんなに早く走れていただろうか?
そんな疑問をゆっくりと考える時間も無い。必死な形相で追いかける選手達を突き放すように走る、駆ける。
いつぶりかも分からない疾走に脚がもつれるのを感じる。もっと早く走れるはずなのに、このまま一人で試合を決められるはずなのに今それができない自分が情けない。
速いグラウンダー性のアーリークロスにファーサイドの蜂楽がシュートを放つが、それを二子が決死のディフェンスで止める。
彼には最初からフィニッシュはここだと言うことが見えていた。だからチームメイトが千切を追いかけだしたときから冷静にこちらを追いかけることができていた。
ブロックされて行き場を失ったボールを回収した潔だったがここからゴールを決めるというヴィジョンが持てていなかった。そんな彼を追い越してパスを要求している雷市の後ろに、凄まじいゴールの匂いを感じさせる王馬が走り込んでいた。
ここでパスを出せば一点、もう一点取って試合を決めるべきだ。理解していた潔には見えてしまった、彼ら二人を囮にすることで見えるシュートへの可能性が。
そこからはもう反射だった。ドリブル突破を図るなんて事は誰も予想していなかったらしく、拍子抜けするほど簡単にゴールの匂いのする場所にたどり着いた。
シュートは逆脚になってしまったが、ここで手数はかけられない。振り抜いた左足だったが、不慣れさが出た。コースが悪くキーパー真正面、はじかれたボールを捕ろうとするキーパーよりも先にそのボールに王馬が触った。
触っただけ、押し込んだだけだったボールはゴールラインをしっかりと割りこの試合を決定づけた。