四月。京都レース場。
ライスシャワーにとって、二度目の天皇賞・春。
『場内大歓声。おー行った行った行った。ライスシャワーが行く。内から一番エアダブリン、インターライナー、人気の三人がちょうど先行集団を形成しました。ライスシャワー、ライスシャワーが行く。マックイーンも、ミホノブルボンも、おそらく応援しているのではないかと思います。ライスシャワーが京都の坂の上りで先頭に立つ勢い』
実際に、二人は観客席の最前列でライスシャワーを応援している。
ミホノブルボンはライスシャワーの走りを見て、驚いた。それは隣にいるメジロマックーンも同じようだった。
「あの走りは、決めてあった作戦なのですか?」
そうきいてきた。
「いえ、違います」
あんな作戦は自分には思いつかない。
京都レース場の淀の坂にはセオリーがある。
ゆっくり上って、ゆっくり下る。
坂の上りを勢いよく駆け上がってしまうと、下りをその勢いのままで走ってしまい、スタミナを激しく消耗してしまう。四〇〇メートルもある最後の長い直線でアシがもたなくなってしまう。だから、ゆっくり上って、ゆっくり下る。それが定石だと言われている。
今のライスシャワーはそれをまるっきり無視している。
それに、ライスシャワーはゴールまで一四〇〇メートルもある地点からスパートをかけている。ロングスパートと言うには、あまりにも長すぎる距離だ。
そんな常識外れと言ってもいいような作戦は自分には思いつかない。
「ありえませんわ。あんな走りは無謀すぎます」
もっともで、とても正しい指摘だ。
「でも」
メジロマックイーンは笑みを浮かべた。
「ライスなら、走りきれるかもしれません」
「はい。私もそう思います」
長距離のレースで必要なものはなんだろうか。
スタミナはもちろん必要だ。でも、レースが苛烈になればなるほど、スタミナの消耗は激しくなる。肉体はあっさりと限界を迎えてしまう。
そこで必要になってくるのは精神力だ。限界を超えてもなお走り続けるための精神力だ。最終的にレースの勝敗を左右するのは、精神力だ。
ライスシャワーは精神力のウマ娘だ。
その精神力でもってメジロマックイーンにも勝利した。
ライスシャワーならば、無謀とも言える超ロングスパートをなし遂げるかもしれない。
いや、なし遂げる。
そう信じる。
場内で一際大きな歓声が上がった。
『第三コーナーです。完全にこのあたりでライスシャワーが先頭に立っている! ライスシャワーが先頭に立っている!』
ミホノブルボンの耳に届く実況の声にも驚きが含まれていた。
残り八〇〇メートル。
坂を上りきると第三コーナーから下りに入る。
坂を駆け下りるライスシャワーが先頭で、ウマ娘の集団を引っ張っていく。レース展開を加速させていく。
各ウマ娘の動きが激しくなった。
まだ坂を下り始めたばかりだというのに、スパートをかけるウマ娘も出てきた。
二番人気のインターライナーがスパートをかけて、二番手でライスシャワーにくらいつくように追走する。
一番人気のエアダブリンはまだ動かない。最後の直線でスパートをかけるべく、アシを溜めているのだろう。
後ろの方のウマ娘も前へ前へと差を詰めてくる。
第四コーナーにさしかかる。鳴り止まない歓声がさらに熱を帯びて、大きくなる。
坂を下りきって、コーナーを曲がり、直線に向く。
ライスシャワーがさらにスパートをかけた。まさかの二度目のスパートだった。後続を突き放す。二バ身、三バ身のリードをとった。
『さあライスシャワー先頭だ! いやーやっぱりこのウマ娘は強いのか! ライスシャワー先頭だ! ライスシャワー先頭! ライスシャワー先頭!』
何度もライスシャワーが先頭だと伝える実況の声には熱がこもっている。
こんな実況はありえない。まだゴールしたわけでもない、勝ちが決まったわけでもない、最後の直線の入口で先頭に立っているだけのウマ娘を強いと言ってしまう実況はありえない。実況者すらも、ライスシャワーの走りに興奮を覚えてしまっているのだろう。
残り三〇〇メートル。
歓声は既に最高潮に達しているようだった。あまりにもうるさすぎて、それぞれが何を叫んでいるかなんて聞き取れない。でも、おそらく、いやおそらくなんて言葉は必要ないだろう。ライスシャワーを応援している。会場にいる全員がライスシャワーを応援しているのではないか。そう思えるほどだった。
隣ではメジロマックイーンも叫んでいた。スポーツ観戦が趣味だという彼女は威勢よく声援を送っている。
『そしてインターライナーがくる! 内から! 内からエアダブリンが差をつめてきた! 内からエアダブリンが差をつめる!』
十七人のウマ娘が先頭のライスシャワーを追いかける。
十七人ものウマ娘がライスシャワーただ一人を追いかける。
でも、その差は縮まらない。
インターライナーはおそらく、もういっぱいだ。
エアダブリンもアシが伸びていかない。
しかし、ライスシャワーの脚色はいまだ衰えない。
誰よりも先にスパートしたはずのライスシャワーの勢いは衰えない。
ひたすらに、ただひたすらに先頭を走る。
『ライスシャワー完全に先頭だ! ライスシャワー先頭! ライスシャワー先頭! ハギノリアルキングきた! ハギノリアルキングくる!』
残り二〇〇メートル。
三番人気のハギノリアルキングが末脚を炸裂させた。中団から他のウマ娘たちを抜き去りながら、ライスシャワーとの差を詰めていく。
しかし。
『外から! 外からステージチャンプ! 外からステージチャンプ!』
さらに鋭い末脚でステージチャンプが上がってきた。
ハギノリアルキングの後方から大外をついて、さらにすごい脚で上がってきた。
ぐんぐんと、ライスシャワーとの差を縮めていく。
ライスシャワーと同じ黒鹿毛の髪に、小さな体躯。
その姿はまるで、菊花賞の時のライスシャワーのようだと、ミホノブルボンは思った。
菊花賞で負けた後、何度もレース映像を見返した。自分を負かしたライスシャワーに勝つことを目標にして、その走りを確認した。何度も、何度も。
あの時には既に恋にも似た気持ちをライスシャワーに抱いていたのかもしれない。いや、その話は今は関係ない。
今のステージチャンプは菊花賞の時のライスシャワーを思い出させた。
ステイヤーとは思えない末脚でもって、逃げる自分を追い上げて差し切ったライスシャワーを思い出させた。
不安が芽生える。
でも、まだ大丈夫だ。
まだ、差がある。
このまま脚色が衰えずに走り切れれば、ライスシャワーの勝ちだ。
しかし、残り一〇〇メートルで。
ああ。
ああ。
ライスシャワーが失速した。
脚色が鈍った。
後続との差が少しずつ縮まっていく。
ミホノブルボンは叫んでいた。
今までライスシャワーのレースを何度も見てきた。
でも、声を上げて応援したことはなかった。
それなのに、勝手に、声が出ていた。
たぶん、この声はライスシャワーには届かない。
周りの歓声にのみこまれてしまうだろう。
でも。
それでも、声を上げた。
声の限りをつくして、声援を送った。
走って!
ライス!
走って!
『ステージチャンプが二番手に上がったー! ステージチャンプ! ライスシャワー! ライスシャワーとステージチャンプー!』
ライスシャワーとステージチャンプが同時にゴールを駆け抜けた。
ステージチャンプが右腕を振り上げた。
ガッツポーズだ。