チームスピカのメンバーが病室にお見舞いに来た。
「おい、ライス! 大丈夫なのかよ!」
ドアを勢いよく開けてゴールドシップが飛びこんできた。
「脚は大丈夫なのか! とれた脚に脚が生えて逃げてったらしいじゃねえか! 取り憑いた悪霊を私が退治してきてやるよ!」
「ふぇっ……! ライスの脚に悪霊が……!」
ライスシャワーは慌てて、骨折した右足に手を伸ばして、逃がさないようにと抑えつける。
「あん? なんだ。脚とれてないじゃねえか」
「ちょっと、ゴールドシップ。だから、骨折だって言ってるでしょ。まったく、どんな勘違いなのよ」
ゴールドシップの後ろからダイワスカーレットが顔を出す。
「こんにちは、ライスせんぱ」
「ライス先輩、ちわーッス!」
ダイワスカーレットの言葉を遮るように、その隣のウォッカが声を張り上げた。ダイワスカーレットが不満そうにウォッカの横顔を睨む。
「俺、感動しました! 日経賞の走り、めちゃくちゃ熱かったッス! だから、だから! 残念ッス! 天皇賞の走り見たかったッス! でも、俺なんかよりライス先輩の方がもっと悔しいはずッス! ライス先輩! ライス先輩!」
ウォッカは大声でまくしたてると、腕を目元に当てて声を押し殺して男泣きを始めた。
「ちょっとー、ウォッカ、ここ病室だよー? もっと静かにしないとー」
車椅子に乗ったトーカイテイオーが病室に入ってきた。
「ふぇっ……? テイオーさん、どうしたの……?」
ライスシャワーは逆にびっくりしてしまった。お見舞いに来たトーカイテイオーの方が車椅子に乗ってるなんて。
「やぁ、ライス。いやー、また骨折しちゃったんだよねー」
トーカイテイオーは恥ずかしそうに後頭部を手でかいて、はにかんだ。
「え、え、大丈夫なの……?」
「だいじょーぶだいじょーぶ! これで四度目だよ。もう慣れっこになっちゃった」
指でVサインを作って突き出したトーカイテイオーは笑顔で、悲観的な様子は全くない。
「また治して、また走るんだ。こんなケガ、なんともないよー」
「そ、そうなんだ……」
それでも、心配になってしまう。
四度目ということは逆に危険なのではないだろうか。完全にクセになってしまっているということなのではないだろうか。
「もー。そんな顔しないでよー。今日はライスのお見舞いにきてるんだからさー。ボクは大丈夫だよ。それよりもさ」
トーカイテイオーは笑顔を消して、沈痛な表情になった。
「ボクはライスが心配だよ。ライスの骨折ってさ、その、けっこうな……」
トーカイテイオーは言い淀む。
ライスシャワーはうなずいて、明るい声を出す。
「うん。けっこう重傷みたいなんだけど、大丈夫だよ。ライスね、信じてるから。奇蹟はあるって。だって、テイオーさんが見せてくれたんだよ? 奇蹟はあるんだって」
トーカイテイオーは去年の有馬記念で奇蹟の復活を見せてくれた。
「だからね、ライスは大丈夫だよ」
トーカイテイオーに向かって微笑む。
「なんだー。先に言われちゃったー」
トーカイテイオーも笑顔になる。
「そうだよ、ライス。奇蹟はあるんだって信じて、がんばろう」
「うん。テイオーさんもがんばってね?」
「任せてよー。ボクは無敵のテイオーだからねー」
トーカイテイオーは指で作ったVサインを開閉させた。
「あの、えっと、ところで、スペさんは大丈夫……?」
スペシャルウィークはずっと床で丸くなって、すすり泣いていた。
「ライズぢゃ〜ん」
顔を上げると、床に垂れていた鼻水が長く伸びた。
「ライズぢゃん、がんばっでぐだざい。わたじも応援じでまず」
ものすごい鼻声でぐずぐずになった声で言ってきた。
「えっと、ありがとう、ございます。大袈裟すぎですよ……?」
トーカイテイオーが苦笑いをする。
「あはは、スペちゃんは相変わらずだねー……」
「ズズガざんも応援じでぐれでまず」
スペシャルウィークが画面を向けてきたスマートホンからサイレンスズカの声が流れる。
「ライスさん、がんばってくださいね。つらいでしょうけど、あきらめずにがんばれば、道はその先に続いているはずですから」
サイレンススズカもレース中に骨折している。それを乗り越えて再び走れるようになり、今は海外でレースをしている。
「はい。スズカさん、ありがとうございます」
ライスシャワーはスマートホンに向かって頭を下げる。
「あはは、ライスー、音声通話だから頭下げても見えてないよー?」
「ふぇ。ほんとだ……」
ライスシャワーは耳を垂れさせて、赤面した。
ビワハヤヒデがお見舞いにやってきた。
「ライス、見舞いにきたぞ。これは差し入れだ」
メロン一玉まるまるを持ってきた。
「ライスはたくさん食べるらしいと聞いて五玉くらい持ってこようと思ったんだが、ブライアンに止められてしまってな。足りないようならまた持ってくるが」
「う、ううん。一つで充分だよ。ありがとう」
「そうか。気が変わったらいつでも言ってくれ」
「うん。ところで、天皇賞おめでとう」
ビワハヤヒデは先日の天皇賞春で優勝した。
「ああ。礼だけは言っておく。だがしかし、ライスのいない天皇賞で勝ったところで、真の優勝とは言えないな。私に勝つために特訓をしてくれていたのだろう?」
ビワハヤヒデに勝つために去年のように特訓をした。再び極限まで鍛える必要があった。それほどに、ビワハヤヒデは強い。京都記念を一緒に走って、それがわかった。
しかし、その特訓の最中にライスシャワーは故障した。右脚を骨折してしまった。
「本当に残念だ。ライスも悔しいだろう」
ビワハヤヒデはそう言って黙った。
まだ聞きたいことがあるはずだ。聞きにくいけど、聞きたいことが。
ライスシャワーは先に口を開く。
「年内の復帰は厳しいみたい」
「そうか」
ビワハヤヒデは顔を伏せた。
「つらいな、ライス」
短いけど、感情が強くこもった言葉。まるで、自分のことのようにつらいと感じているみたいに。
ライスシャワーは明るい声を出す。
「心配してくれてありがとう、ハヤヒデさん。でも、大丈夫だよ。ライスね、信じてるから。奇蹟はあるって。テイオーさんが起こした奇蹟、ハヤヒデさんは一番近くで見たよね?」
「ああ。見たぞ。あれは本当に奇蹟だったな。私の勝利の方程式に当てはめるなら、トーカイテイオーの勝利はありえなかった。それを覆すほどの走りだったのだからな。本当に、奇蹟だ」
感嘆したような声。
「ね。だから、ライスは大丈夫だよ」
ライスシャワーは笑顔を見せる。
「そうか。それならいい」
ビワハヤヒデはようやく、かすかに笑顔を浮かべた。
「来年の天皇賞は万全の状態で走れるといいな」
「うん。ライス、がんばるね」
メジロマックイーンがお見舞いにやってきた。
病室のドアを少しだけ開けると、隙間から頭だけを入れてキョロキョロと室内を見回した。何かを確認しているみたいだった。
「マックイーンさん……?」
「い、いえ、なんでもありませんわ」
室内に入ってきた。手には金属製のアタッシュケースを持っている。
「ご機嫌いかがですの? いえ、いいわけありませんわよね……」
「ううん、ご機嫌は悪くない、ですのよ?」
「本当に悪くないようね。下手くそなワタクシのモノマネができるくらいですもの」
ふっ、とメジロマックイーンは微笑んだ。
「下手、かなぁ……? 上手にできてると思うんだけどなぁ……」
「全く似ていませんわ。誇張が入りすぎですし」
「そっかぁ。もっとがんばるね」
「そんなことがんばらなくていいですわ」
メジロマックイーンはぴしゃりと言った。
「天皇賞は残念でしたわね。勝つのはライスシャワーだと思っていましたのに」
「ライスのことを応援してくれてたの?」
「それは少し違います。ライスはワタクシに勝ったのですから、当然ビワハヤヒデにも勝ってもらわないと困るからです」
一気にまくしたてるようにメジロマックイーンは言う。
「もしライスが負けたりなんかしたら、テイオーに負けたビワハヤヒデに負けたライスに負けたワタクシということになってしまうではありませんか。テイオーが一番上でワタクシが一番下ということになってしまいますのよ? ありえませんわ。ですから、勝ってもらわないと困りますの」
「そ、そうだよね。来年はがんばるね」
「けっこうな重傷だと聞きましたけど、来年には出られそうな状態なんですの?」
「年内の復帰は厳しいみたい。もしかすると、春には間に合わないかも……」
「やっぱりけっこうな重傷ですのね……」
メジロマックイーンは眉尻を下げた。
ライスシャワーは明るい声を出す。
「心配しないで、マックイーンさん。ライスね、信じてるから。奇蹟はあるって。テイオーさんが見せてくれた奇蹟、ライスも信じてるから」
「あら、その話をしようと思って来ましたのに、先に言われてしまいましたわね。そうです、ライス。奇蹟はあるのです。ワタクシもテイオーが起こしてくれた奇蹟に救われました」
メジロマックイーンは優しく柔らかく、嬉しそうに微笑んだ。
「まったく、テイオーったら。このワタクシがレース場で人目もはばからずに大泣きしてしまいましたのよ? 本当に、やってくれましたわ」
文句を言うような言葉なのに棘は一切なく、丸みを帯びている。
そこで、ライスシャワーはふと気付いた。憶測と言ってもいいくらいのほとんど根拠もない気付きだけど。
「もしかして、テイオーさんに今の話を聞かれたくなかったの……?」
病室に入る前に室内を見回したのはトーカイテイオーがいないかを確認したのではないだろうか。
「今日のライスは鋭いのね。そうです。テイオーに感謝して泣いてしまったなんて話、本人がいる前では恥ずかしくてできませんもの。それに、テイオーのことだから、からかってくるに決まっていますわ」
メジロマックイーンは憮然とした表情でそっぽを向いた。
「あはは」
なんだか、二人が仲睦まじくやりとりする様子を想像できた。仲睦まじく、なんて言ったらもっと憮然としてしまいそうだけど。
「がんばりましょう、ライス。ワタクシもがんばります」
メジロマックイーンは去年の秋に発症した繋靭帯炎で療養中だ。
「復帰が間に合うなら、ワタクシ自らが来年の春の盾をとり返しに行きますから、覚悟しておいてくださいまし」
挑発的なセリフだけど、メジロマックイーンは柔らかく微笑んだ。
「うん。ライスもがんばるね」
ライスシャワーも笑顔を見せる。
「そうそう。忘れるところでした。こちらお見舞いの品ですわ」
金属製のアタッシュケースを渡された。
「ライスシャワーに元気になってもらいたくて、主治医に相談したところ、このお薬がよく効くとのことで持ってきましたの」
アタッシュケースを開けると、敷き詰められた黒いスポンジの上に何本もの注射器がずらりと並んでいた。鋭い注射針が蛍光灯の光を反射する。網膜に突き刺さるような、強く鋭い光。
ケースのフタをそっと閉じた。
「あ、あの、お返しします……」
「あら、どうしてですの? この薬は骨折によく効くらしいですのよ? テイオーにもたくさん打ったと言っていましたもの」
うわあ……
トーカイテイオーに同情した。
「え、えっと、注射は苦手かなって……」
「そうですわよね」
メジロマックイーンは納得したような声を出したので、ほっとした。
「注射を打つのが得意なヒトはあまりいませんものね。安心してくださいまし。ちゃんと主治医を連れてきましたから!」
「え、ち、ちが」
ガラリと病室のドアが開き、そこには白衣を来た中年男性が立っていた。
「主治医です」
手には既に注射器が握られている。ツカツカと容赦のない足取りでベッドの方に歩いてくる。
「ま、待って、待ってー!」
「安心して下さい。私は主治医ですから」
「そういう問題じゃないよー!」
ブスッと注射器がライスシャワーの太腿に突き立てられた。
ライスシャワーの悲鳴が廊下にまで響き渡った。
ライスシャワーの他には誰もいない病室。
夕暮れ。
西向きの病室の窓からは夕陽の光が差しこんでくる。
室内灯に光はなく、夕陽が作る影は濃く、深い。
夕陽の橙色の光。
暖色のはずなのに、彩度が低いせいで暖かみがない。
全てが色褪せているようだった。
窓の外に目を向ける。
空の縁が夕焼けで赤く染まっている。
次第に暗い色の空が上から押し潰すように赤い空を追いやっていく。
薄暗い夕闇が、真に暗い夜闇に塗り替えられていく。
室内の光は薄れていき、闇が濃くなっていく。
他には誰もいない、隙間だらけの病室にライスシャワーはただ一人きりで。
涙をこぼした。
頬を冷たく濡らした。
ライスシャワーは、嘘をついていた。
大丈夫って。
奇蹟を信じてるって。
みんなに心配をかけさせたくなくて、嘘をついていた。
医者に言われた。
もう走れないかもしれない、って。
もう元のようには走れないかもしれない、って。
大丈夫なんかじゃない
全然、大丈夫なんかじゃない。
そう泣き喚いても、どうしようもない。何も良いことはない。
余計にみんなを心配させてしまうだけだ。
だから、みんなには嘘をついた。
それに、ライスだけじゃない。
みんなもケガをして苦しんでいる。
それでも、みんなは優しい。
だからこそ、みんなは優しい。
こんなライスに構ってくれて、優しくしてくれる。
そんな優しいみんなに余計な心配をかけさせたくなかった。
それに。
「奇蹟なんて……」
トーカイテイオーは奇蹟を起こした。
メジロマックイーンは奇蹟を信じてがんばっている。その身に奇蹟は起こるかもしれない。
でも。
奇蹟なんて信じられない。
自分の身に奇蹟が起こるなんて信じられない。
不幸なライスシャワーに奇蹟が起こるなんて信じられない。
「奇蹟なんて……信じられないよ……」
ライスシャワーは一人きりで、静かに泣いた。
うあああああ……
自分で書いたくせに、自分が凹んでしまった……