ライスシャワーは祝福の名前だから   作:あえすたーす

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春から秋②

 ライスシャワーが転倒した。

 トラックで走っていたライスシャワーが転倒した。

 ミホノブルボンはそれにすぐ対応することができなかった。

 身動きがとれなかった。

 目の前で起こったことが信じられなかった。

 ライスシャワー転倒した。

 転倒して、立ち上がらない。

 故障だ。

 おそらく、故障が起きた。

 そうとしか考えられない。

 でも、その事実をすぐに受け入れることができなかった。

 ライスシャワーが故障してしまうだなんて、そんな現実を認めることができなかった。

 天皇賞は来週だというのに。

 いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

 ライスシャワーの心配をしなければならない。

 でも、ミホノブルボンは動けなかった。

 すぐに駆け出すことができなかった。

 本当にライスシャワーが故障している、という事実を知ることが怖かった。

 脚が動かない。

 悪い魔女に呪いをかけられて木の棒になってしまったみたいに、脚が動かない。

 でも、なんとかしないといけない。

 ここには二人しかいない。

 去年も使った廃校のグラウンドには、ミホノブルボンとライスシャワーの二人しかいない。

 他には誰もいない。

 自分しか、ライスシャワーを助けられる者はいない。

 怖がっている場合じゃない。

 今、本当に苦しんでいるのはライスシャワーだ。

 故障したというのならば、その痛みに苦しめられているのはライスシャワーだ。

 しっかりしろ。

 助けろ。

 ライスシャワーを助けろ。

 ミホノブルボンは拳を太腿に振り下ろす。

 脚に活を入れる。

 脚を奮い立たせる。

 悪い魔女の呪いを振り切るように、脚を前に出す。

 一歩目を踏み出す。

 ライスシャワーを助けるために駆け出す。

 

 ミホノブルボンはライスシャワーの病室をたずねる。

「ライス……」

 小さな声で名前を呼ぶ。

「ブルボンさん……」

 ライスシャワーの声も弱々しい。

 ベッドのそばに置いてある丸イスに座る。

 ライスシャワーの右脚にはギプスがついている。転倒の原因は骨折だった。

 なんて声をかけるべきかわからない。

「ブルボンさんは、もう聞いた……?」

 何を聞いたかははっきりとは言わなかった。でも、それが何なのかはわかった。今、話題にすべきことは一つしかない。

「はい。聞きました」

「ごめんね、ブルボンさん。ライス、もうブルボンさんのヒーローになれないみたい」

 ライスシャワーは顔を背けた。ミホノブルボンではなく、窓の方に顔が向く。どんな表情をしているのか、見えなくなる。

「前のようには走れないかもしれないという話でしたが、もう走れないと決まったわけではないはずです」

「それはそうかもしれないけど……でも……」

「以前まで、奇蹟というものを私は信じていませんでした。でも、トーカイテイオーの奇蹟の復活を見て、考えが変わりました。奇蹟はあるはずです」

「奇蹟なんて……」

 ライスシャワーの声は小さい。でも、はっきりと言う。

「奇蹟なんて、信じられないよ。ライスには起こらないよ。不幸なライスには、奇蹟なんて起こらないよ……」

 顔を背けているライスシャワーの表情は見えない。でも、その声はとても悲しげな色を帯びている。

「だって、もうすぐだったんだよ? もうすぐ、みんなの声を歓喜と祝福の声に変えられるかもしれなかったのに、それなのに、どうして、こんな……」

「ライス……」

 表情が見えなくても、ライスシャワーの気持ちが伝わってくる。痛いほどに。

 ミホノブルボンも悔しかった。ライスシャワーに天皇賞春で勝ってほしかった。歓喜と祝福の声に包まれてほしかった。

「ライス、私がサポートしますから。これから先も、全力でサポートしますから。ライスのためなら私はなんだってします」

「…………」

 ライスシャワーは返事をしない。

「それに、変わることはありませんから。今までも、これから先も、ライスは私のヒーローであることに変わりはありませんから」

 笑顔を作ることはできなかった。でも、なるべく優しい声音になるようにして語りかけた。

 ライスシャワーが小さな声で何かを言った。

 小さすぎて聞き取れなかった。

「なんて言ったんですか、ライス……?」

 ライスシャワーが叫んだ。

 とても大きな声で。

「重いの!」

 ミホノブルボンの肩が小さく跳ねる。

 ライスシャワーは絞り出すような声で言う。

「今のライスには、ブルボンさんの気持ちが重いの……重すぎて、潰れてしまいそうなの……ごめんなさい、ブルボンさん。ごめんなさい……」

 何も考えられなくなった。思考が、心が、完全にその機能を停止した。

「ごめんなさい……ブルボンさんのことが好き。一緒にいたいと思う……でも、今はムリなの……重くて、耐えられそうにないの……今は……しばらくは、ライスを一人にして……ごめんなさい、ブルボンさん……ごめんなさい……」

 ライスシャワーにかけるべき言葉が浮かんでこない。何一つとして。

 出来ることは、何もなかった。

 ミホノブルボンが立ち去るまで、ライスシャワーが振り向くことはなかった。最後まで、どんな表情をしているのかを見せてくれることはなかった。

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