ライスシャワーは祝福の名前だから   作:あえすたーす

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有馬記念

 六月、森の中の東家で、三人で会話をした。

「あたしさ、本当の奇跡なんてものは起こらないと思ってるんだよね」

「えー、えー、ボクのしたこと全否定ー?」

「で、でも、テイオーさんの有馬記念は奇跡だとライスは思うんだけど……」

「待って待って、話は最後まで聞いてよ」

 鹿毛で青い瞳のウマ娘である彼女ダンツシアトルは初対面の時の失礼な態度をトーカイテイオーに謝って、そして、仲良くなっていた。ストレートな物言いで、よくしゃべり、裏表のない性格をしている彼女はすぐにトーカイテイオーと仲良くなった。

 ダンツシアトルは頭が良いというか、物知りというか、教養があるみたいな感じだ。

 もともと本読むのは好きなんだけどさ、あたしってケガのせいで走ってるよりも休んでる期間の方が長いから、本ばっかり読んでるんだよねー。

 そんなふうに言っていた。

「本当の奇跡ってさ、そもそも神の御業なんだよ。超自然的な出来事で、わかりやすく言っちゃえば魔法みたいなものなんだよ。でも、テイオーは魔法を使って有馬記念を勝ったわけじゃないでしょ?」

「うん、そうだよー」

「ライスは、奇跡は魔法みたいなものだとか思ってそう」

「え、え、そんなこと……あるかも……」

 奇跡はある、という言葉は、魔法を使ったみたいな人知を超えた出来事はある、みたいな言葉だと思っていた。そう、不幸みたいに。奇跡とは、不幸の対岸にあるようなもので、だから、奇跡なんて自分には起こらない、と思っていた。その勘違いのせいで、変に落ちこんでしまったのだった。

「じゃあ、テイオーの奇跡って何かって言うとさ、ありえない出来事だったり、実現困難な出来事が起きた時にヒトはそれを奇跡って呼ぶんだよね。誰も、ファンですらも、テイオーが有馬記念で勝てるなんて思っていなかった。でも、テイオーは勝った。だから、テイオーの勝利は奇跡なんだよね」

「はー、なるほどねー」

 当の奇跡を起こしたはずのトーカイテイオーはなぜか、うんうんとうなずいている。

「こんなふうに言葉にしちゃうと、なんだそんなことか、って思っちゃいそうだけど、これってそんなに簡単なことじゃない。実現困難なことに立ち向かって、がんばって乗り越えなくちゃならない。とっても大変なことだと思う。だからさ、テイオーはすごいと思うよ。そこまでがんばれたテイオーはすごいと思うよ」

「ふふーん、そうでしょ。ボクってすごいでしょ」

 最初は「えー」なんて不満そうな声を出していたはずのトーカイテイオーはドヤ顔になっている。

「奇跡を信じる、ってことはさ、言いかえれば、がんばることをあきらめない、ってことなんじゃないかなって思うんだよね。たとえそれがどんなに実現困難なことでも、立ち向かってがんばることをあきらめない。そういうことなんじゃないかなって思うんだ。どうかな、テイオー」

「そうそう。それそれ。ボクがライスに言いたかったのはそういうことだよー」

 トーカイテイオーは調子よく言ったけど、それは嘘ではないと思う。がんばってほしいだけなんだよ、とトーカイテイオーは言っていた。伝え方が上手ではなかっただけで、同じようなことを言いたかったのではないかと思う。

「こう考えればさ、あたしたちにもできそうな気がするよね。奇跡を起こす、なんてハードルが高すぎるよ。がんばることをあきらめないっていうのも、言うほど簡単じゃないと思うけどさ、がんばろうね、ライス」

「うん。がんばろー」

「あれ? なんかボクだけ仲間外れみたいじゃない?」

「テイオーはもう奇跡起こしたよね?」

「それはそうだけどー、うー、なんかヤダヤダヤダヤダヤダヤダ」

 トーカイテイオーは長椅子に座ったまま地団駄を踏んだ。

「ごめんごめん」

 ダンツシアトルは笑った。

「テイオーもまた骨折して大変だもんね。みんながんばろー」

「おー」

 表情がコロコロと変わるトーカイテイオーは笑顔で拳を突き上げた。

「おー」

 ライスシャワーもつられて、笑顔で拳を突き上げる。

 

 

 

 有馬記念。

 十二月。中山レース場。

 芝二五〇〇。右回り。

 晴れ。良バ場。

 十三人立て。

 

 ライスシャワーはゲート入りする。

 骨折の回復は順調すぎるくらいに順調だった。年内の復帰は厳しいと言われていたけど、予定よりもかなり早く復帰できた。

 状態も良好らしく、思っていたよりも悪影響は小さいみたいだった。

 でも、以前の調子にはまだ戻れていない。

 今日のレースを勝てるかどうかもあやしい。いや、骨折がなかったとしても、今日のレースで勝つことは難しいと思う。

 今日のレースにはナリタブライアンがいる。

 史上五人目のクラシック三冠ウマ娘。

 最強の皇帝と言われるシンボリルドルフと比較されるほどのウマ娘。

 強いウマ娘だ。

 とても、強い。

 骨折がなかったとしても、勝てるかどうかもわからない。調子が戻っていない今の自分が勝てるとは全く思えない。

 今日のレースで勝てたなら、それこそ奇跡だ。

 そのハードルは高い。とても、とても高い。

 でも、あきらめるわけにはいかない。

 がんばることをあきらめない。

 勝てるかどうかなんて関係ない。

 ただ、走るだけだ。

『十三人、ゲートにおさまりました』

 スタートの姿勢をとる。

 ゲートが開く。

 ゴールを目がけて、ターフに飛び出す。

 

『第一コーナーを回っていって、既にツインターボはリードを七〇メートルくらい開きました。さあツインターボ大きなリードをとって第ニコーナーに向かいます』

 ライスシャワーは二番手集団についていく。

 ツインターボは一人ではるか先を突っ走っている。誰もついていかない。完全に見切られているのだろう。ツインターボは二五〇〇メートルもの長距離を失速せずに走り切ったことがない。そして、今日はいつにも増してハイペースだ。ハイペースすぎる。ツインターボは必ず『逆噴射』を起こして失速する。みんなからそう見切られてしまっているのだろう。誰もツインターボについていこうとしない。

 ツインターボよりも、今は自分のことを心配しなければならない。

 九ヶ月ぶりのレース。

 トレーニングを再開したのは二ヶ月前。

 十分なトレーニングも積めていない。

 体は全然できあがってないけど、でも、体は走り方を覚えている。ステイヤーとしての走り方を覚えている。脚が動いてくれる。

 二番手集団にくらいついていく。

 

『三コーナーを回って行って、あと八〇〇メートルしかありませんが、この差はどうなんでしょうか、セーフティリードか。ツインターボの逃げ、軽快に飛ばしています。まだ十バ身くらいのリードがあります。しかし差が徐々に詰まってまいりました』

 まずい流れだ。

 ライスシャワーはそう思った。

 二番手集団が固まってしまっている。

 今年の日経賞の時とは逆だ。

 日経賞の時はツインターボのせいでペースを乱されるウマ娘がいてバ群が縦に伸びたけど、今回はツインターボがハイペースすぎてペースを守ろうとするウマ娘が多かったせいかバ群が固まってしまっている。

 自分を含めて六人のウマ娘が一塊になるように二番手集団を形成していて、その一番後ろに自分はいる。

 このバ群を突き抜けて前に出るのは容易じゃない。外に出るべきだろうか。

 そう思った時だった。

 大外を上ってくるウマ娘がいた。

『三四コーナー中間、二番手にはナリタブライアン。外からぐいぐい上がっていきましたヒシアマゾンが行った! ヒシアマゾンが一気に行った! ナリタブライアンに並んでくる!』

 ヒシアマゾンに続いてナイスネイチャも上がってきた。

 外がふさがれてしまった。

 前にも外にも動くことができない。他のウマ娘を押しのけられるほどのパワーがない。

 中山の直線は短い。

 早目に上がっていきたいのに、バ群から抜け出すことができない。

 そして、直線に入ってすぐに抜け出して、スパートをかけられるかどうかもわからない。

 状況はかなりまずい。

 どうする。

 どうする。

 焦って考えるけど、打開策が何も出てこないまま、第四コーナーが近づいてくる。

 

『四コーナーのカーブに入って、ツインターボの先頭はここで終わり! そして四コーナーをカーブしたところで先頭はナリタブライアンだ!』

 『逆噴射』をおこして失速したツインターボがバ群にのみこまれるように下がっていく。

 それと入れ替わるようにして、ナリタブライアンが先頭にたち、スパートをかけた。バ群を抜け出す。

 そして、ライスシャワーには見えた。

 道が、見えた。

 内ラチ側にいる失速したツインターボをよけるためにバ群が外に膨らんだ。そして、ナリタブライアンが抜け出した。それで、バ群に穴が開いた。

 前方に、道が開いた。 

 ここだ!

 上体を倒し、脚に力をこめ、前に飛び出すように地面を蹴り上げる。

 スパートをかける。

 ナリタブライアンの後をついていくように、バ群の真ん中を上がっていく。

『直線に向かってナリタブライアン、リードを開くか! リードは一バ身!』

 まだだ。

 まだいける。

 勝ちはまだある。

 ナリタブラインを追いかける。

 追いついて、差す!

 

『ヒシアマゾンが追ってくる! ヒシアマゾン! そしてナイスネイチャつっこんできた! ナイスネイチャ現在三番手!』

 残り二〇〇メートル。

 ゴール前の坂にさしかかる。

 全レース場でも最も急勾配な上り坂。心臓破りの坂。

 ナリタブラインが坂を駆け上がっていく。ライスシャワーはそれを追いかけようとするけど、速度が落ちる。

 なんてパワー。

 まるで平坦な地面でも走っているかのように、ナイタブライアンは坂を駆け上がっていく。

 引き離されていく。

 追い上げることができない。

 まだだ。

 まだあきらめるな。

 地面を蹴る脚に力をこめる。

 それでも速度は上がらない。

 坂が行く手を阻む壁のように感じる。

 追いつけない。

 届かない。

 でも。

 あきらめるな。

 あきらめるな!

 がんばることをあきらめるな!

 勝てるかどうかなんて関係ない!

 ただ、走るだけだ!

 

『ナリタブライアンつよいつよい! 二バ身のリード! ヒシアマゾン追ってくる! ヒシアマゾン追ってくる! 差はつまらない! 三番手ライスシャワー上がった! 先頭はナリタブライアンゴールイン!』

 結果は三着。

 ダメだった。

 トーカイテイオーみたいに奇跡を起こすことはできなかった。

 悔しかった。

 でも、それほどでもなかった。悔しいと思う以上に、嬉しいと感じている。

 三着という結果に満足しているから、というわけじゃない。

 自分はがんばれる。

 まだまだがんばれる。

 そのことが、嬉しかった。

 もっとがんばりたい。

 そう思えたのが、嬉しかった。

 左手を胸に当てて、右手を膝について呼吸を整えていると、ナイスネイチャが話しかけてきた。

「ライスシャワー、三着おめでとう」

「ありがとうございます」

 なんだか珍しいな、と思った。三着くらいでわざわざおめでとうと言ってくるなんて。

「さっすがレコードブレイカーだねー。三着に入ってくるなんてね」

 そうだ。

 確か、ナイスネイチャは有馬記念で三年連続で三着をとるという記録を作っている。今年も三着なら四年連続のはずだった。その記録を破ってしまったことになる。

 謝ろうとしたけど、ナイスネイチャは手のひらを突き出してきた。

「あ。責めてるとかじゃないからね。後で知ったらライスシャワーはそういうの気にしそうだから、先に声かけとこうかなって思って。別に三着になりたくて三着になってるわけじゃないのにさ、それなのに三年連続で三着だもんなー。そんな珍記録なんていらないっての。ほんとは三着より上に入りたかったけどね。ネイチャさんももうトシなのかなー」

 あはは、とナイスネイチャは人差し指で頬をかいた。ナイスネイチャは五着だった。

「そんなわけだから、気にすることないからね。むしろ、この変な呪縛みたいなものを断ち切ってくれてありがとうって言いたいくらいだよ」

「どういたしまして、でいいのかな……?」

 記録を破って感謝されるなんて、とても変な感じだった。

「うん。ライスシャワーはもっとドーンと構えててもいいんじゃないかな。私たちはみんな勝ちたくて走ってるんだもん。勝つってことは誰かを負かすことだからね。記録を破ってやったぜ、どんなもんだい、って、それくらいの気持ちでいてもいいと思うよ」

「うん、そうかも」

 記録を破られた張本人が言うのだから、その言葉には説得力のようなものを感じた。

 そこで、ナリタブライアンが近づいてきた。

「おい、おまえ。ライスシャワー」

 腕を組んで、低い声で言ってきた。

「ひゃ、ひゃい」

 変な声が出てしまった。

 なんだか、とても威圧的な雰囲気を感じる。何か悪いことをしたかな、と考えてしまうくらいに。

「姉貴に気に入られているおまえの実力はこんなもんじゃないだろう。復帰明けでまだ調子が戻っていないか? それとも距離が足りなかったか?」

「え、えっと……」

 ビワハヤヒデは自分のことをどんなふうにナリタブライアンに言っているのだろう。一緒に走るのも顔を合わせるのも初めてなのに、評価がとても高い。

「まあいい。春の天皇賞だ。当然、おまえも出るんだろう。そこでならアタシの飢えを満たしてくれるような走りを見せてくれるんだろうな。楽しみにしてるぞ」

 返事も待たずにナリタブライアンは立ち去っていった。

「挑戦状を叩きつけるだけ叩きつけて去ってったよ。かっこいー」

 ナイスネイチャは茶化すように言った。

 そうか。

 今のは挑戦状だったんだ。

 ようやく気づいた。

 がんばらないと。

 ナリタブライアンにも勝てるくらいに。

 もっともっと、がんばらないと。

 

 

 

「力が欲しい」

 練習用トラックでトレーニングを行う前に、ライスシャワーはミホノブルボンにそう言った。

「どうしたのですか? ライスは主人公に目覚めたのですか?」

「主人公……?」

「バトル漫画の主人公などが覚醒するときに言いそうなセリフです。力が欲しい」

「えっと、覚醒とかそういうんじゃなくて……」

「ええ、わかってますよ。冗談です」

 ミホノブルボンは相変わらず真顔で冗談を言う。

「ライスにはパワーが足りないかなって」

 バ群を抜け出すパワー。坂を上るパワー。有馬記念を走って、パワーが不足していると痛感した。

 元からそんなにパワーがある方ではなかったけど、骨折のせいでさらに落ちてしまっている気がする。

「パワー、ですか」

 ミホノブルボンは考えこむように間を開けてから言う。

「ライスには覚悟はありますか?」

 そう問うてきた。

「パワーが欲しいなら、坂路トレーニングがいいと思います。ですが、私はこれまでそれを封印してきました。怖かったからです。私の中の鬼が目覚めてしまうのが。私の中のトレーニングの鬼が。やりすぎてしまうのではないかと怖かったのです」

 言われてみれば、不思議だったのだ。ミホノブルボンには坂路の申し子なんていう異名もあるくらいなのに、今まで坂路トレーニングはメニューになかった。

 まさか、そんな理由があったなんて。

「ほう。坂路トレーニングか」

 振り返ると、ビワハヤヒデが腕組をして立っていた。

「ハヤヒデさん」

「坂路トレーニングはいいぞ。はじめは自分も嫌気が差したものだったがな。一セット三本に増やされた時はトレーニングが嫌だと本気で思ったものだ。しかし、それを乗り越えて、力強くたくましいこの身体を手に入れることができた。とても効果的だ」

「ライスもハヤヒデさんみたいな身体になれるかな……?」

「ああ、なれるさ」

 ライスシャワーは自分の小さな胸に手を当てる。ビワハヤヒデの大きな胸を見ながら。

「残念だが、そこは育たないと思うぞ」

「そ、そうだよね……」

「そんな駄肉は必要ありませんわ」

 振り返ると、メジロマックイーンが優雅な仕草で髪をかきあげていた。

「マックイーンさん」

「ステイヤーに必要なのは無駄のないスレンダーな身体です。筋肉を強化することは脂肪燃焼能力の向上も期待できます。高負荷で筋肉を効率よく鍛えられる坂路トレーニングはダイエットにも効果的というわけです。少しくらいスイーツを食べ過ぎてしまっても問題なくなるということですわ」

「ダイエット……」

 骨折で半年休んでいた間に体重が増加した。かなり、増加した。二ヶ月のトレーニングではまだまだ全然絞りきれていない。

「やるよ。ブルボンさん、ライスやるよ」 

 決意を乗せた眼差しをミホノブルボンに向ける。

「そうですか、わかりました。では、まずは坂路ダッシュ四本です!」

 ミホノブルボンは腕を横に振り、手の平をバッと前に出した。

「はい! って、いきなり四本?!」

 ビワハヤヒデは三本でも嫌になりかけたと言っていたのに。

「四の五の言わずに走りなさい!」

「ヒィィィィ!」

 鬼だ。

 トレーニングの鬼が目覚めてしまった。

「がんばるんだぞ、ライス」

「がんばってくださいまし、ライス」

 ビワハヤヒデとメジロマックイーンは暖かい視線を向けてくる。

「あ、あのー、二人も一緒にどうですか……?」

「いや、私はまだ屈腱炎が」

 ビワハヤヒデは十一月に屈腱炎を発症している。

「ワタクシもまだ繋靭帯炎が」

 メジロマックイーンもまだ影響が残っているらしい。

「二人とも何をしにここに来たの?!」

 とんでもない裏切りを受けたような気持ちになった。

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