チーム棟はトレーニング場のすぐそばにある。
ライスシャワーはその一室のドアを開けて、中に入る。
部屋にはミホノブルボンがいた。ウマ娘用の長机ではなく、トレーナーデスクの方に座っている。
ライスシャワーはその脇に近づき、声をかける。
「ブルボンさん、おはよう」
ミホノブルボンはキーを叩いていたノートPCからライスシャワーに視線を移す。
「おはようございます」
「ブルボンさんはライスのトレーナーじゃないよね?」
「ええ、そうですよ」
ミホノブルボンはライスシャワーのトレーナーではない。でも、トレーナーデスクに座っている。
「トレーナーみたいなことをしていても、ライスのトレーナーになったりはしないよね?」
トレーナーのマネごとをミホノブルボンはしてくれている。去年の天皇賞春の直前にメジロマックイーンとの対決に向けた特訓に付き合ってもらって以来、ミホノブルボンはライスシャワーのトレーニングに付き合ってくれるようになった。そして、いつしかミホノブルボンはトレーナーとしての業務を代行するようになっていた。
でも、ライスシャワーはトレーナーでは『ない』ことをミホノブルボンに確認する。
「ええ、ライスのトレーナーにはなりません。絶対に」
きっぱりと否定した。冷たさすら漂わせる口調で。
互いに黙ったまま、視線を交わらせる。
ライスシャワーは微笑む。
「それならよかった」
そう。それは良いことなのだ。
ミホノブルボンもかすかに微笑みを見せた。
「大丈夫ですよ、ライス。トレーナーではない私に不幸は起こりませんから」
不幸。
今のライスシャワーにトレーナーはいない。前はいた。三人もいた。でも、今はいない。
一人目は脳卒中で死んだ。この時点ではまだ、ライスシャワーとの関連は何も疑われなかった。
二人目は交通事故で死んだ。ここで、関連が疑われるようになった。ライスシャワーのトレーナーになったら不幸が起こるのではないか、と。
三人目は自殺した。遺書はなく、なぜ自殺したのかもわからなかった。唐突で不可解な自殺だった。それで決定的となってしまった。
ライスシャワーのトレーナーになると不幸に見舞われる。
噂や憶測と言ったあやふやな領域の話ではなく、それは確定的に必ず起こる事象と見なされるようになってしまった。
学園側はライスシャワーにトレーナーをつけたがったけど、不幸を否定することができなかった。見ることも触ることもできない。対処のしようもない。トレーナーになっても不幸は起こりませんよ、という保証をすることができなかった。
だから、ライスシャワーのトレーナーになろうという者は一人も現れなかった。
ミホノブルボンはライスシャワーのトレーナーのマネごとをしている。あくまで、マネごとだ。マネだから本当のトレーナーではないので、不幸は起こらない。まるでゲームの設定の穴をつくような話だけど、今のところ不幸は何も起こっていない、はずだ。たぶん、正解のはずなのだ。
でも、ときどき不安になってしまう。
だから、ときどきこんなふうにミホノブルボンはトレーナーでは『ない』ことを確かめたくなってしまう。
繰り返される儀式のように。
その度にライスシャワーは祈るのだ。
ブルボンさんに不幸が起こりませんように、と。
本当は、トレーナーのマネごとなんてさせずに遠ざけるべきなのだろう。そうすれば、不幸の影に怯える必要もないのだから。
でも。
でも。
「ブルボンさん、いつもありがとう」
ライスシャワーは頭を下げる。
「私が好きでやっていることなので、頭を下げる必要なんてないですよ」
「ううん、ライスね、本当にブルボンさんに感謝してるから。こんなライスと一緒にいてくれて」
こんな自分でも一緒にいてくれる。
それがとても嬉しい。
だから。
一緒にいてほしい。
一緒にいてほしいと願ってしまうのだ。
どうしようもなく。
「私はもう走れません。ウマ娘としてレースで走ることは不可能でしょう」
ミホノブルボンは淡々と、ただの事実を語っているだけという感じで言った。
それを聞いてライスシャワーの耳が垂れる。
一昨年の菊花賞の後、ミホノブルボンの足は故障した。療養し、トレーニングを再開すると、今度は違う故障が発生してしまった。その後も脚部不安が消えなかった。以前のようにトレーニングをすることができなくなってしまった。レースに出場して走るほどに回復することができなくなってしまったのだ。
「ライスとまたレースで一緒に走りたい、と言っておいて、それは叶わなくなってしまいました」
「でも、それは、ブルボンさんは何も悪くないよ」
「ありがとう、ライス。でも、いえ、だからこそ、と言うべきなのでしょうか。今はこうしてライスと一緒に走ることができています。ライスが強いウマ娘になる道を。だから、ウマ娘として走れなくなってしまったことを悔いてはいないのです。むしろ、喜ばしいとさえ思っているのですよ」
ミホノブルボンは微笑んだ。
「だって、ライスは私のヒーローなのですから」
「ありがとう、ブルボンさん。ライスもブルボンさんが一緒にいてくれて嬉しい」
ライスシャワーは笑顔を返した。
本当に、とても嬉しい。
しかし、ミホノブルボンはこうも考えている。
もしかすると、自分の脚部不安が消えなくなってしまったのはライスのもつ不幸のせいなのではないか、と。
その考えは誰にも言っていないし、絶対に口に出さないようにしている。特に、ライスシャワーには絶対に言えない。
その可能性がある、というだけで責任を感じ、ミホノブルボンから離れてしまうだろうから。それは、ミホノブルボンの望むところではない。
ライスシャワーのそばを離れるつもりはない。走れなくなるだけではなく、たとえ歩けなくなってしまったとしても。
走れなくなってしまったことが本当にライスシャワーの不幸によるものなのかはわからない。それとは関係なく、単にそういう運命だっただけなのかもしれない。
いずれにしろ、ウマ娘として走れなくなってしまったことは、端から見ればとても不幸な事だろう。
しかし、ミホノブルボンはそうは考えていない。
断じて、不幸なことではない。
こうしてライスシャワーに寄り添うことができているのだから。
自分は不幸なんかではないのだ。
ライスにトレーナーがいないという話には、かなり独自解釈が入っています。
ブルボンに勝った菊花賞の後に、自分を責める幻聴を聞くほどのメンタルになったライスになんのケアもない。
マックイーンとの対決に向けた特訓を一人きりで行っている。
これらのことから、もしかしてライスにはトレーナーがいないのでは? という解釈から本作では、ライスにはトレーナーがいない、という設定にしました。
あと、史実においてライスシャワーのせいで関係者が亡くなっているということはありませんので、その点だけは勘違いなきようお願いします。