トレーニングで走るライスシャワーをミホノブルボンはストップウォッチを持ってゴール地点から見ている。
ライスシャワーの走るフォームは美しい。長距離を走り切るためにムダなスタミナ消費を極力避けつつ、スピードも殺し過ぎない。ステイヤーとして完成された美しいフォームだ。
ライスシャワーがゴールを通過し、ミホノブルボンはストップウォッチを見る。悪くない。いや、いいタイムだ。そう、いいタイムなのだ。
ステイヤーであるライスシャワーが最も得意な距離帯は三〇〇〇を超える長距離だ。でも、そんな長距離のレースは少ない。だから、長めの中距離から短めの長距離にかけての距離帯を走るトレーニングを重点的に行なっている。
天皇賞春の頃と比べれば、その距離帯は格段に走れるようになっている。入着どころか、展開次第では一着を獲ってもおかしくはない。それぐらいに仕上がっているはずなのだ。
でも、レースになると勝てない。
入着すら外してしまう。
最近、ライスシャワーのため息が増えている。勝てないことを気にしているのだろう。
心苦しい。
ライスシャワーに勝たせてあげたい。
もっとハードなトレーニングをするべきなのだろうか。
いや、全てのレースで天皇賞春のときのように極限を超えるようなトレーニングをしていてはライスシャワーは壊れてしまう。
そこまでのトレーニングは必要ないはずだ。仕上がりは良いのだから。以前よりも格段に。
それでも勝てないということは、フィジカルではなく、やはりメンタルの問題なのだろうか。
精神は肉体を超越する。
天皇賞春の時、ライスシャワーとそういう話をした。
これは、逆もあるのではないだろうか。
精神は肉体を停滞させる。
そういうこともあるのかもしれない。
精神が肉体を強くさせることもあれば、弱くさせることもあるのではないだろうか。
「というわけで、メンタルを鍛えましょう」
「メンタル……?」
ミホノブルボンはそう言ってきたけど。
「えっと、どうやって?」
「滝に打たれる、とかでしょうか?」
ものすごくふわっとした返答だった。
「そんなスポ根モノで使い古されたネタみたいなことでメンタルって鍛えられるのかなぁ……?」
「どうでしょう。あやしいですね」
ミホノブルボンは自分で言い出しておいて首を傾げている。
「フィジカルなトレーニングならいくらでも案が出るのですが、メンタルとなると難しいものですね」
具体策があるわけではなかったらしい。
「メンタルかぁ……」
ライスシャワーは自分のメンタルが強いとは思っていない。どちらかというと弱い方ではないかと思う。
「あ、そうだ。メンタル強い子を参考にするとかはどうかな? 話を聞いてみたら、なにかわかることがあるかも」
「いい案ですね。さっそく探してみましょう」
メンタルが強いウマ娘は誰なのか聞いて回ることにした。
「うーん、グラスちゃんかなぁ」
「グラスはかなり強いデース!」
「グラスちゃんかしらねぇ。タっちゃんの助手席に乗ると、他のみんなは興奮のあまり気絶したりするのに、グラスちゃんは涼しい顔してるもの」
グラスワンダーはメンタルが強いという意見が多かった。
「それで私を呼んだのですね」
グラスワンダーをライスシャワーのチームルームにお招きしていた。
ミホノブルボンは饅頭や煎餅等の和菓子が盛られた皿と緑茶を注いだ湯呑みをグラスワンダーの前に置く。日本文化が好きだというグラスワンダーに合わせたのだろう。
「これはこれはご丁寧に、ありがとうございます」
グラスワンダーはお辞儀した。
「メンタルが強いという評価はありがたいのですが、私のような若輩者の意見が参考になるかはわかりませんけども。メンタルを鍛えるためになんらかのトレーニングをしているということもありませんし」
おしとやかな仕草で頬に手を当てた。
「なんでも構いませんよ。何がヒントになるかわかりませんからね」
「そうですね。お茶菓子までふるまって下さったのですから、何かしらお話したいと思います。有意義になるかはわかりませんけども」
考えるようにしばし黙る。
「そうですね。芯を持つこと、でしょうか。自分という芯を持つことは大事なのではないかと思います。私は『怪物の再来』という評価を得たことがあります。しかし、私はそれがたまらなく嫌でした。私はグラスワンダーであり、その『怪物』ではないからです。私は私でありたい。そういう気持ちこそが、私の心の強さに繋がっているのかもしれません」
私は私でありたい。
ライスはライスでありたい。
そう考えてみても、なんだかピンとこない。
「あくまでもこれは私の話ですので、ライスシャワーさんにも当てはまるかはわかりません。そうですね。たとえば、ライスシャワーさんは自分の走りをするのもいいかもしれませんね」
「自分の走り……?」
「強力なライバルがいて、それを追いかけて、追い抜いて勝つ。そういう走りをした時のライスシャワーさんは私よりもはるかに強いのではないかと思います。でも、そのライバルがいない場合は? 追いかけていく相手を見定められない場合は? そういう場合にこそ、ライスシャワーさんとしての走り方が問われるのではないでしょうか?」
ライスとしての走り方。
ミホノブルボンの時も、メジロマックイーンの時も、二人を追いかけることばかりを考えていた。二人の背中を追いかけることに必死だった。自分らしい走り方なんてものはこれっぽっちも考えていなかった。
ライバルの不在。天皇賞春以降はそうだった。誰を追いかければいいのか、わからなくなっていた。
なんだか、少しだけ突破口が見えたような気がする。
「と、少し説教じみた物言いになってしまったでしょうか。申し訳ありません」
「ううん、すごくためになった気がする」
「お茶菓子くらいの働きができたならよかったです」
グラスワンダーは柔らかく微笑んだ。