あれ。
あそこにいるのはステンちゃんかな。
ライスシャワーが練習用のトラックを走っていると、トレーニング場を囲む土手で寝転ぶステージチャンプを見つけた。
草をムシャムシャと食べている。
また道草を食ってるのかな。
気にはなったけど、トレーニングを継続する。休憩を挟みつつ、走りこみを続けた。
一時間後。
あれ。
まだ草を食べてる。
ステージチャンプは土手の同じ場所で草を食べ続けている。
道草を食っているにしては長すぎる気もする。
声をかけてみよう。
そう思って、トラックから出て土手を上る。
「ステンちゃん、おはよう」
ステージチャンプは一呼吸の間を置いてから、ゆっくりと顔を上げた。
「あ、お姉ちゃん。おはよ〜」
「え、お姉ちゃん……?」
ステージチャンプからそんなふうに呼ばれたことは今までないし、もちろん、ステージチャンプは自分の妹なんかじゃない。
「あ~、間違えちゃった~。でも、なんか~、ライスってお姉ちゃんみたいだな~って思って~」
ステージチャンプは間違いだと言ったけど、でも、なぜだか、間違いではないような気がした。
たぶん、運命的な何か、だ。
自分もステージチャンプをなぜか妹のように感じていた。まだ会って間もないというのに、妙に親近感を覚えていたのは、そういうことなのかもしれない。
運命的な何かの輪郭が少しだけ見えた気がした。
「トレーナーさん待ってるの?」
ステージチャンプはトレーニング用のジャージを着ている。
「うん、そうだよ〜。芹花遅いな〜。どっかで道草食ってるのかな〜?」
トレーナーがステージチャンプみたいに寝転がって草を食べている姿を想像してしまった。ウマ娘ではないので、そんなことはないはずだけど。
「あれ。ステンに、ライスちゃん」
ステージチャンプのトレーナー上厚真芹花が声をかけてきた。ようやくやってきたらしい。
「ステン、何してるの?」
「芹花を待ってたんだよ〜。道草食ってたの〜?」
芹花は首をかしげた。
「うん? トレーニングは午後からだよ?」
「え〜。うそ〜」
「また勘違いしてたの」
「そうみたい〜」
ようやくやってきた、のではなく、たまたま通りかかっただけらしい。草を食べていないどころか、道草も食っていなかったらしい。
「学食でお昼ご飯でも食べてからまたここに来なさいな。道草食わないようにね」
「ううん〜。ライスと併走したい〜」
「えっ!」
芹花が大きな声を上げた。何かに驚いたかのように。
「あ。いや、うん。そっかそっかー」
でも、すぐに気を取り直したかのように何度もうなづいた。嬉しそうに。
どうしたのだろう、とちょっとだけ気になった。
「ね〜。芹花いいでしょ〜? ライスが走ってるとこ見てたら、一緒に走りたくなった〜」
「そっかそっか。ライスちゃん、併走してもらってもいい?」
「はい。いいですよ」
そんな流れでステージチャンプと併走することになった。
ミホノブルボンは練習用トラックのラチの外で芹花と並んで、ライスシャワーとステージチャンプが併走トレーニングしているのを眺めている。
脳内のミホノデータベースからステージチャンプのレース戦績を引っ張り出す。
ステージチャンプは去年、クラシック三冠全てのレースに出走しているが、一つも勝てていない。見るべきところとしては、菊花賞の二着か。一着はビワハヤヒデ。これは相手が悪すぎる。夏を越えて本格化したと言われているビワハヤヒデ相手に二着ならば、充分な戦績と言えるだろう。
他にも、長い距離での勝利が目立つ。どちらかと言えば、ステイヤー寄りなウマ娘らしい。
これから先、ライスシャワーとレースで走ることもあるだろう。現に、ライスシャワーが出走予定の今月三月の日経賞、四月の天皇賞春で出走予定が被っている。
敵。
ライスシャワーにとって、そうなる相手かもしれない。
そんな相手と仲良く併走トレーニングをさせるべきではないのかもしれない。少しだけそんなふうに考えてしまうが、そこまでシビアに考えることもないだろう。敵だとは言っても、命のやり取りをするというわけでもない。ただ、レースで競い合うだけだ。
いけない。ライスシャワーのことになると、考え方が少し過保護になりすぎてしまうのかもしれない。
「ありがとね、ブルボンちゃん」
芹花が声をかけてくる。
「いえ、こちらこそありがとうございます。ライスはチームに所属していないので、併走してもらえて助かります」
ステージチャンプと併走するライスシャワーは嬉しそうに見える。
ライスシャワーにはトレーナーがいない。それはつまり、チームにも属していないということだ。一緒に走ってくれる仲間がいないということだ。
ミホノブルボンは一緒に走ってあげることができない。短距離を軽く走る程度ならできるが、全力で走ったり、長距離を走るようなことはできない。
ライスシャワーが誰かと併走できて嬉しそうにしているなら、それを邪魔するようなことはしたくない。むしろ、望むところである。ライスシャワーが嬉しそうなら、こっちも嬉しくなってしまう。
「ライスちゃんほどのウマ娘にトレーナーがついていないなんてもったいない。でも、今はブルボンちゃんがいるもんね」
「私がしているのはただのマネごとではありますが」
「いやいや、ブルボンちゃんがんばってるよね。トレーナー資格の模擬試験で合格判定もらったんでしょ。あれ、そんなに簡単じゃないよ。もう一度受けろって言われても受けたくない」
ライスシャワーの役に立ちたくて色々と勉強していただけだったのだが、何かと気をつかってくれる駿川たづなが受けさせてくれたのだった。
模擬試験で合格判定を取ることによって、トレーナーではないミホノブルボンをこのトレセン学園でトレーナー代行として扱ってもらえるようにしてくれた。
「何か困ったこととかあれば遠慮なく言ってね」
「はい、ありがとうございます」
芹花はトレセン学園の勤続は七年で、中堅トレーナーと言ってもいいだろう。パイプを作っておけば、何かしら有利に働くこともあるかもしれない。
いや、いけない。そんなふうに誰かを利用するような考え方をしてはいけない。ライスシャワーのためとはいえ、さすがによくない。
「ていうか、私の方が困ってるんだけどねー」
「どうかしたんですか?」
「ステン、ステージチャンプのことなんだけどさ、なかなか難しくて」
「そうなんですか?」
「トレーニングはちゃんとやるし、走り方の指示にもしっかり応えてくれるんだけど、レースになるとなかなかねー」
はあー、と芹花はため息をついた。
「闘争心が足りない、みたいな感じなのかなー。判断力もまだ足りてない感じもするし」
レースの前にトレーナーが走り方の指示を出すことはできる。レースで一緒に走るウマ娘を分析して、展開を予想して、それに合わせた指示を出すこともできる。しかし、必ずしもその通りの展開になるとは限らない。追込を得意とするウマ娘がいきなり逃げを打つこともあるし、いつもなら失速する大逃げウマ娘が失速せずにゴールしてしまうこともある。そういった思いもよらない展開に限らず、そもそもレース展開を完全に予想しきることはとてつもなく難しい。やはり最終的に必要となるのは、実際にレースを走っているウマ娘の判断力と、レースに勝ちたいという闘争心だ。
ステージチャンプは見るからにのほほんとしていて、マイペースにレースを走ってしまいそうだ。
「やる気がない、というわけではないんだろうけどさ、まだ気持ちが足りてない感じがあるんだよね。私が、もっとやる気を出せ、なんて言うのも違うし、そんなことは言いたくない」
芹花はきっぱりと言った。
トレーナーの在るべき姿の一つとして、こういうものがある。
トレーナーはウマ娘が輝くサポートをするべし。
輝かせるのではなく、輝くサポートをする、だ。
主体はトレーナーではなく、ウマ娘であるべし、ということだ。
芹花は、ウマ娘が輝くサポートをするトレーナーであろうとしているのだろう。
だから、芹花は困っているのだろう。
ステージチャンプに輝いてほしいが、輝かせるのではなく、自ら輝いてほしいと思っているのだろう。
「ライスちゃんのやる気はすごいよね。去年の春天は伝説のレースと言ってもいいくらいだよ。ブルボンちゃんはそのサポートをしてあげたんでしょ」
「いえ、私はほとんど何もしていません。がんばったのはライス自身です」
でも、ライスシャワーにもやる気を失ったことはあった。菊花賞での観客からのブーイングに心を痛め、天皇賞春への出走を拒否した。それを、ミホノブルボンは自らの気持ちを伝えることによって、奮起させたのだった。
その出来事をかいつまんで芹花に話すと、興味深そうに話を聞いて、感心したように声を上げた。
「へー。そんなことあったんだ」
「ステージチャンプにも、やる気を奮い立たせてくれるような相手が見つかるとよいかもしれませんね」
「うん、そうだね。実は、ライスちゃんにちょっと期待してる」
「ライスに?」
「うん。ステンさ、ライスちゃんと併走したいって自分から言い出したんだよね。今まで自分からトレーニングしたいとか言ったことなかったからさ。だから、びっくりしちゃって」
それで、あんな大きな声をあげていたのか。
「ライスちゃんと関わることでなんか変わってくれるかもしれないって、ちょっと期待してるんだよね」
トラックで併走している二人を見る芹花の視線には暖かいものがある。
「これからもステンが併走したいって時は付き合ってもらえると助かるな」
「いえ、こちらこそお願いしたいです。ライスも誰かと一緒に走れることが嬉しいみたいなので」
「よかったー。ありがとね」
芹花は笑顔を向けてきた。
「いえ、こちらこそありがとうございます」
ブルボンも小さな微笑みを返す。
「あ。ブルボンちゃん、ようやく笑ったね」
「え」
「なんか、ずっと緊張してるみたいなこわばった顔してたから、色々がんばりすぎてて疲れてるのかなーってちょっと心配だったからさ」
「あ。いえ、私は」
どう返したらいいのかわらなくなってしまう。
不意に優しい言葉をかけられてしまったから。そして、芹花の言ったことは当たっているかもしれない、と思ってしまったからだった。
たぶん、疲れているのだろう。だから、考え方が荒んでしまっているのかもしれない。
「困ったときはお互いさま、とも言うし、これからよろしくね」
芹花は笑顔で手を差し出してきた。
「はい。よろしくお願いします」
握り返した手はじんわりと暖かかった。