太いパイプがいくつも並び、その下にある筒形の装置には培養液と人が入っている光景。
細い通り道を忙しなく白衣を着た研究者たちが行き交い、悲鳴と血の匂いが絶えず漂っている。
その道を通り抜けて被験室へ。
ずらりと並ぶ同じ顔、番号の刻まれた首輪、得体の知れない液体の入った注射。
丁度、隣からも同じ顔をした金髪の少年が苦しさに呻き出した。
「あ゛、ぇ゛っ」
名前はアダム。何番目からは分からないけど生まれた時期が近く、よく隣にいたから一緒に文字遊びなどをしていた。たどたどしい発音から会話を交わせるくらいになって、たくさん話しをした。
その言葉を出した口からは血が溢れかえった。咳き込んで、そしてすぐ傍の研究者は冷めた目をする。
手元に持ったバインダーへ、実験失敗、死亡という意味を持ったそれを酷く軽く引かれる。
――目が合った。苦しさで生理的な涙が出ているアダムは俺へと手を伸ばした。
よく転ぶそそっかしい奴だから、何度も手を引いて立たせてた。
よく隣にいて、よく遊んだりもした。
苦しいよな。苦しいもんな。俺も分かるよ。
言葉に出さずとも分かった。だから、痛みを堪えてまでその伸ばされた手を握り返した。
だからといって、アダムの容体が良くなる訳でもなく。咳や血生臭い匂いに混じってサッ、と軽い軽い音が響いた。
■
うぇんうぇんと泣く子供の声やけらけらとした子供の笑い声が響く。背景には分かりやすい塗装された青空と天井から釣り下がったおもちゃ。机ではお絵描き、動けない子には大人の介護が付いている。床ではアルファベットを組み合わせるだけの言葉遊びのおもちゃとか、あとは追いかけっこする子供たち。
などなど、ほぼ同じ顔と色素を持つ子供たちが触れ合う光景は異常だ。辛うじて目元が垂れている、少し吊り目など些細な違いはあれど、基本的には同じパーツだ。
で、交通事故で死んだらそんな異様な場所にいた。転生っていう流行りのアレだ。俺はよく漫画とかゲームが好きだったからすんなりと飲み込めた。
もう自分の名前や性別がどうだったかは忘れたが、この光景は前世でよく読んでいた『青の祓魔師』の過去編に出てくる十三號セクションに似ていた。――というか、それそのものだった。
テッテレー! 俺は青エクの世界に転生した!
過去に行われていた人体実験の一人として!
最初叫び出さなかった自分に偉いと言いたい。とんでもねぇ鬱製造場に生まれてきてしまったぞぅ。
「ね、あそぼ」
「あそぼ、あそぼ」
くい、と服を引っ張られた方向を見ると、二人の金髪の子供がいた。
首元に3、8と付けられた名札が付いていた。この前死んだから新しく補充されたアドルフォスとアレンだ。
「いいよ、何してあそぶ?」
「追いかけて」「追いかけてー」
頷いて二人と追いかけっこをした。無邪気さが可愛くも辛い。
ここで製造される俺達クローンは、いつまで生きられるのか、いつまで自身でいられるのかが分からない。それがとても怖い。
『青の祓魔師』は
その
ここで行われている人体実験とは、その
そのためのクローン強化人間実験とエリクサー開発実験。ふざけんな。
正直言うとめちゃくちゃ辛い。痛いし、叫びたくなる。同じ顔と感情が乏しい奴が多すぎて気が狂いそう。
実は俺、転生したと思い込んだ一般被験体なのかもしれないと疑いたくもなるが、だとしたらこの世界を『青の祓魔師』なんて呼べない筈だから違うと思いたい。
「はい、二人とも捕まえた」
「えぇー! もう一回やってぇ!」
「はいはい」
ちょこまかと動く小さい金色を二つとも捕まえた。アンコールが出たのでもう一回遊ぶことにする。
――この二人のように、アダムと追いかけっこをしていたことを思い出した。
『アルってば、はやいよ』
『アダムがおそいんだー』
止まりそうになった足と動きそうになった表情。なんとか足は動かして、表情筋は止める。
アダムは俺と同じ時期に生まれて、よく隣にいた奴だった。もういない。
多分、関わると失うからあの獅郎はツンケンとした態度になったのかもしれない。ついさっきまで隣で話していた人が急に死んでしまうのは怖い。何の予兆もなくエリクサーの副作用で死んでいくのは怖い。
……さっきから怖いとしか言えねぇな。でも死ぬの怖いし……。
今が原作軸から何年前なのかが分からない。とりあえず、奥村燐と奥村雪男の母親であるユリ・エギンの友人であるジェニ・カルが見当たらないので、それよりは前なのは分かる。
ここですることは一つ。どこぞの神父兼父親役希望である検体と同じく、十三號セクションからの脱出。できればエミネスクとルシフェルに一発入れたい。
脱出は一人じゃない、全員での脱出を目指してやる。
このセクションで行われる実験は
俺達の命はすごく軽い。部屋の隅にある埃程度にしかない。また替えがあるから、いくらでも成功するまで開発を続けられる。
俺だけじゃなくて、兄弟たちも引き連れて外の世界へ出たい。さっきのように、俺に鬼ごっこをせがんできた子供に青空の下を駆け巡らせてぇわ。前世の俺では当たり前だったことを体験させてやりたいというのは傲慢だろうか。
けれども警備は万全。十三號セクションが世に知れれば騎士團の名誉は底まで落ちるからだ。
だから少しでも内部に詳しいジェニがここに配属され、多くの
■
当然のことながら、俺達クローンには時間が決められている。食事の時間、研究の時間、休憩の時間、睡眠の時間といった風に。
研究のない日もあるが、生死を分ける研究の日もある。判断基準は出される食事だ。
ない日は比較的固形物と味が薄いおかずが出てくる。米食いてぇ。
研究のある日はサプリメントと携帯食料。ひでぇ味なんだこれが。
サプリメントを飲み込んだら、不死に近い悪魔の細胞をミックスさせたエリクサーもどきを注入されて研究成果を見る。中枢神経が破壊されるか、細胞が活性化するか、それとも何も起こらないのか。
幸運なことに、俺は何も起こらない確率が高かった。たまーに細胞が活性化することもある。
でもギャンブルで大当たりが連続で出ないように、この研究だって常にそうではない。ある日ポッと死んでしまうかもしれん。
かったい台に寝そべって腕を差し出す。エリクサー67とラベルの張られたバッグが見えた。
チク、と痛みが走ってバッグの内容物が入ってくる。……何にも起こらなかった。
……そういや、ルシフェルがちょっとでも動けるようになったエリクサーは1151だっけ。どれだけ検証を重ねてんだ。
青い夜以降、十三號セクションで行われている実験は中止になるけど、それらの実験はルシフェル率いるイルミナティに全部持って行かれる。それもこれもエミネスクの野郎のせいだ。
あいつが死ねば実験が中止……になる筈も無い。ここには多くのクローン技術者たちが集まってるんだから、その中からまた研究の主導者を設定して終わりか。
この時間は嫌という他ない。なるべく楽しいことを考えていようにも、部屋に響く悲鳴や血で中断せざるを得ない。
ちら、と隣を見る。そこにいるのはアルフォンスと名札の付いた子供。なんか人体錬成で体全部持ってかれた弟みたいな名前だ。
「ああああああ、まあああ、ええええええ――――」
そんなアルフォンスは、白目を剥きながら言葉にならない言葉を吐き出していた。
いたたまれなくなってそっと目を逸らした。ああやって脳がダメになってしまうと、廃棄か浸透実験ってやつに使われる。浸透実験ってのはエリクサー漬けにされることだ。
それから、新しいアルフォンスが作られてくるのだ。
この日、俺は何も起こらない確率を引き当てた。
翌日。味が薄い肉とサラダ、それと米代わりの携帯食料。あー、米食いてぇ。
……というかさぁ。転生するにしても青エクはないだろ。
だってここ、悪魔に憑依されないために精神力が強くないと生きていけないし、運が良くないと悪魔による事故で死亡するんだぜ? 怖すぎるだろ。
それにこれから人工
転生するならどうぶ○の森くらい平和な世界が良かった。あそこ、一日中昼寝してても文句言われないんだぜ。羨ましすぎる。
ダーク・ファンタジー、人体実験上等、悪魔による憑依アリの世界なんて嫌だし、そのクローン体なんてもってのほか。軒並みな言葉だけど、普通が良かった。せめて悪魔が見えるとしても醍醐院くんくらいのポジションでいいんだって。
最後の一切れの肉を口に運んだ。これ、何の肉だろう。牛でもない、豚でもない、鳥っぽくもない……?
やめよう。何も考えないようにしておく。
とりあえず、青い夜直前まで生き残ってジェニの十三號セクション告発を手伝って皆で外に出るのが目標。それが失敗したら……、なんとかルシフェルから離れながら十三號セクションからの脱出を目指す。
ジェニの告発が失敗すれば下手な動きは取れなくなるだろう。そうなると次の脱出チャンスは青い夜当日。
悪魔たちのおとんであるサタンが同じ苦しみを味わわないかなんかでルシフェルがボンバーをかまして、サタンユリ獅郎の三角形を歪にしやがるのだ。
そして脅威のルシフェル徘徊。憑依体もエリクサーも完成できず、ついに切れたルシフェルが十三號セクション内を歩き回り、当たった者の肉体を崩壊させる光線を施設中に巻き散らすぞ。ふざけるな。
あの光線をモロに受けたアーサーがなんで生き残ったのかも分からない。でも、壁とかがで光を遮断出来れば回避できるか……? 実際、傍付きのエレミヤが樹木を盾にして回避していた。
というか、ルシフェルボンバーを間近で食らうと失明する恐れがある。普通に眩しそう。
あれは出来るだけルシフェルから離れればいいかも……? いや、やっぱ遮断できるような壁が欲しい。というか、部屋に籠るとかもいいかもしれない。それかルシフェル自身を監禁するとか?
ぐるぐると考えながら、画用紙をクレヨンで全部真っ黒にしていく。今日は話しかけてきた職員がお絵描きでもどうかと勧められたので適当に塗り潰すことにした。俺に絵心なんてものはないんだ。
引いた顔をしながら職員は「す、すごーい」と言ってくれた。ありがとう、仕事熱心だね。
もう一枚紙を渡してくれたので同じく塗り潰していこう。
すると、服の袖をくいくいと引っ張る感覚が。
「それ、どうやってやるの」
どうやら隣に座っていた子供からだった。首元の番号は11。
アーサーじゃん。でも、将来
「画用紙の白いところが無くなるまで塗るだけだよ」
「……? こう?」
「そう。上手上手」
ぐりぐりと画用紙の外まで豪快に動かすクレヨン捌き。傍にいる職員が慌てふためくのを見て内心にんまりとだけしておく。
彼らも家族があるから仕方ないんだと思うんだけど、これくらいはね。じゃなきゃ悪魔にでも憑依されそうなくらいにメンタルがおかしくなる。
俺もアーサーに次いで画用紙を真っ黒にする作業に入った。最初に端の方から黒くしておいて、そこの部分を折りたたんでから他の場所も塗っていくと指が黒くならずにしっかりと紙を抑えながら塗れるぞ。
なんっっっも役に立たないけど。
「できた」
「どれどれ」と、アーサーの画用紙を覗いた。
アーサーの持っていたクレヨンの色は黄色だった。全面真っ黄色の画用紙が出来上がっていた。
クレヨンを持っている手や紙を抑えていた手はぺとぺとに黄色いクレヨンが付いていた。
「すごいぞー」
「すごい?」
「すごいすごい」
あんまり流暢に話すとどうなるか分からないから、周りと同じ様に片言で話すように心がけている。これで意味はしっかり伝わっているのかは不安だけど。
じーっと無表情に画用紙を見つめるアーサーを見ていると、背中を指で突かれる感覚が。
何だと思って振り向けば「これもすごい?」と聞いてきた。
聞いてきたのはアラスターだ。一面真っ赤な画用紙を見せつけられた。
ふむふむ、白い所がない。が、アーサーと同じく画用紙を持つ手にはクレヨンの赤が付いている。
「すごい」
「やった!」
しばらく画用紙を一色で塗り潰す遊びが流行ってしまった。隣の机で座っていたサマエル群の子供たちもこぞってやり始めた。ちょっとだけ面白かった。
そして俺は塗り潰した画用紙で鶴を折った。俺も結局手が汚れることになっちまったが、足の生えた鶴が折れたので満足だ。そしてそのべたついた手で職員の服や肌を汚すことにした。
■
鬼ごっこ。またの名を追いかけっこ。
鬼を決めて、鬼は他の人を追いかける。鬼じゃない人は鬼から逃げる。
鬼に捕まった後はその人が鬼になるか、それとも鬼が増えるかとか色々と遊び方がある。子供にとっては定番の遊びである。
それは十三號セクションでも同じ。
俺は毎回休み時間になれば他の子供に鬼ごっこの鬼役をせがまれていた。職員に頼めばいいのにわざわざ俺に頼んでくるんだ。
最初はアドルフォスとアレン。その二人とやっていたらアーサー、アラスター、アモスと増えていった。
どれだけ人数が増えても大体鬼は俺っていうね。まぁ、楽しいからいいんだけど。
「アンソニー捕まえた」
「うー、何度やっても捕まるんだけど」
「後はアレンとアモスか」
同じ顔がよく散らばっている中、よく追いかけっこで遊ぶ面子の顔は覚え始めた。アンソニーはちょっとふくよか、アラスターは垂れ気味の目、アドルフォスは口が大きいとか。
ぐるりと見回してアレンとアモスを探す。たまたま目に入ったガラスケース越しになんだか見覚えのある顔がいた。
メフィストフェレスだ。あの胡散臭いチョビ髭の顔はメフィストフェレスしか該当しない。
ヤベ。目が合った気がする。
そっと外してアレンとアモスを探す。いやー、心臓がバクバクしてる。
アレン、アモスはっと……。
どうやら角の方に隠れていたらしい。そちらに駆け寄ろうとして。
「う゛ぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
叫び声が響いた。しかも俺が向かおうと思っていた方から。
なんだなんだと周りがざわつき始めた。それと同時に職員たちは叫び出した検体から離すようにバリケードを作り始めた。
アレンたちを離すために俺も近寄った。バリケードの向こう側ではサマエル群の子供が声を上げながら背を丸めていた。
「悪魔が憑依し始めたぞ!」
その言葉で足が止まった。確か、その言葉は――。
叫び始めた検体の胸元辺りに妙な形をした物体が浮かび始めた。心臓だ、地の王アマイモンの。
あ……、だったらもう青い夜までの時間が近付いてるっていうことか? 確かシェミハザがルシフェルにこのセクションを閉鎖するよう諭している時にアマイモンが受肉した筈だ。
それで、近々起こるのがサタンの受肉。アサイラム攻城戦、青い稲妻作戦、青い夜――――。
「アレン、アモス離れるよ」
二人の肩を叩いて意識をこっちに向ける。どうして、といった風に首をかしげた。
「あんまり見ない方が良い」
目が合えば何されるか分からない奴らだ。特にアマイモンなんかは気まぐれで動くことが多かった気がする。
手を引けば、二人はついてきてくれた。
背後の方ではメフィストがアマイモンと喋っているのが見えた。
ぞわぞわと、存在感の違いのような物をひしひしと感じる。どうしよう、俺ってばルシフェル殴れるかな……。
嫌でも慣らすんだ。こんな状況にした張本人に一発かませるならかましたい。それから速攻で兄弟たちと十三號セクションを離れたい。エミネスクの野郎も一発死んどいた方が良い。
「良い体をありがとうございます」
アマイモンの憑依体となった子供の名前は確か、アンブロシウス。
クローンと言っても、俺達には僅かばかりの自我と感情があるんだ。それを一切合切乗っ取って自らの体にする。
俺も、ルシフェルの憑依体の条件でも満たしてしまったらそんなことになるんだろうか。
(……絶対に嫌だ)
思わず二人の手を握る力が強くなった。
■
しばらく研究の日が無かったので油断していた。
何日か経って、いつも遊んでいたメンバーがほぼほぼ死亡した。
ジェニによって言及されていたクローンの死亡率は九割だ。
一割を勝ち取っても心が死ぬので、無表情で無感動な人間が出来上がる。
エリクサー74の被験をした際、アドルフォスがいなくなってしまった。エリクサーに身体が耐えきれなかった。
エリクサー79の被験ではアモスとアラスターがアドルフォスと同じ様な反応を起こしていなくなった。
エリクサー81ではアンソニーは脳が破損したらしく、浸透実験行きになった。
それでも、殺風景にも思える子供部屋のような場所は変わらない。死んだら補充されるだけ。
現に、知っているけど知らないアダムが周りを歩いている。幼いアドルフォスがいる。アモスとアラスターだって。
「……どうしたの、そんなとこで」
「ちょっと疲れた」
アーサーの声が頭上から聞こえてきた。
先程研究の時間が終わって、変に体が反応したから間違いではない。
反応があったということは、後で必ず細胞を採取されるということだ。つまり研究の時間が他の子供より倍になったということ。うげぇ……。
「寝なかったの?」
「寝たけど疲れた」
実際体重いし、頭痛いしで散々だ。ああでも弱気になったら悪魔に憑依されるのがこの世界なんだよな。
なんか悪魔に憑依されない方法って自殺以外にないか……。
「――――あ」
その時俺に電流走る。その名案の名を――。
びっくりするほどユートピア――――!
全裸になり、自らの尻を両手で叩きながら白目を剥き、「びっくりするほどユートピア!」と叫び続ける。
これも十分もやれば完全に除霊……ではなく祓魔できるのでは!?
悪魔にだって少なからず意思がある。なら気が狂えば悪魔側だって「うわなにこいつやめとこ……」みたいな感想になる筈だ。ちょっと懐の広そうなメフィストやルシフェルだって退ける筈だ。
――できれば、の話だけど。
ここはどこだと聞かれたら、対悪魔のスペシャリストたる正十字騎士團が運営する祓魔塾アサイラムを隠れ蓑にしている十三號セクション。
そして俺はクローン体。時間帯、体重、命すらも管理されてるYO。
つまり、びっくりするほどユートピア作戦を行えば精神異常者として廃棄処分か浸透実験行きにされるYO。
それはごめんだからYO。
俺はハジケることにした。
その一歩として、このくっらい気分を吹き飛ばさなければならない。陽キャパウワァで悪魔どもをねじ伏せてやるのだ。
だから、どんなに頭痛がしても体が妙にふわふわと軽くても立ち上がるんだ俺。
……よし、立ち上がれたぞ。
「アーサー! 鬼ご……追いかけっこしよう!」
「どうしたの突然」
「疲れは吹っ飛んだ」
無表情ながら僅かに眉を顰めたアーサーはのろのろとした動きで俺の隣から立ち上がった。
ん? というか隣に座ってたのか。
「ルールはいつも通り、俺が追いかける方な」
「いいよ」
マイルールで二十秒経った後から逃げる奴らを追いかけるようにしている。
ふ……、なんたって俺、この子供たち全員の中で一番足が速いからな。少しは手加減をしなければ相手もつまらない。
ここが健全な小学校だったらモテモテだったのに、ここには職員を除いて男しかいません。悲しいなぁ。
二十秒も経ったのでアーサーを追いかけた。妙に体が軽かったせいか、手加減したつもりが手加減できていない感じになってしまった。
後でぶすくれたアーサーを宥めるのに大変だった。
■
ぶっちゃけいうと、セクション内は暇である。俺がハジケることを心掛けて、言葉を流暢に話すようになっても変わらなかった。
色んな遊びに工夫を凝らしてきた。鬼ごっこにルールを加えたりだとか、周りの奴ら(職員も)を巻き込んで鬼ごっことか、折り紙でフェニックス折ってみたりとか、それを周りに教えたりとか。
そのおかげで子供の中で俺の評価は鰻登りらしい。毎回部屋に来れば遊びをせがまれるくらいには。
幸か不幸か、今でも廃人とならずにアーサーも無事に生きている。このセクション、検体が大きくなる程に心が死ぬ病気にでもかかっているからある程度感情のある大きな検体というのは珍しいらしい。
……病気というよりも、幼い時より考えられるようになった脳で自らの役割を察知してしまい、どうすることも出来ずに諦めてしまうというのが正しい。
現実を受け止めきれなくなって精神が幼くなる奴もいる。幼い頃――何も知らない時――の方が良かったって判断したんだろうな。
つい最近まで遊んでいた鷹郎と鷲郎も「俺らの命は無価値」なんて言うようになってしまった。他にはサマエル群のアンゼルム、アルノー、ルシフェル群のクラーク、エドワード、グレン、ヴィクターとかも。
「アル、アルは分かっているのか? 俺達は死んでも――」
「俺嫌だよ。死にたくない、死にたくないよ」
「どうせ替わりがあるから」
大抵その言葉を発してエリクサー実験後、職員の手を借りながら生きる屍か、無邪気に遊ぶ幼児か、はたまた物言わぬ屍に早変わりだ。
そう言われる度に、俺は「替わりなんていない」って返してもあまり伝わらない。
俺たちと遊んで感じたことはまったくもって代用も替えも効かない。楽しいとか悲しいとか、ある程度の条件は同じであっても、そいつに蓄積された物はまったくもって同等にはならない。
言葉って難しいなーと思いつつ、俺はルシフェル群に振り分けられた寝室で寝るのであった。
個室ではなく大部屋に四段くらいのベッドが敷き詰めてあるだけの空間だがな。
――寝ると、そこには何もない空間に俺は立っていた。
人目も無い。なら今こそびっくりするほどユートピアを披露する時! 知らない内に悪魔が憑いているのかもしれないからな。
とは思ったが、ベッドが無かった。あれはベッドが計画の要を握っているのだ。全裸で飛び跳ねる計画主を下から支える縁の下の力持ちにして鍋では白滝並の存在感。あれが無くては計画を遂行できない――!
「んじゃ芝狩るか……」
ある日芝刈に出かければ、川から桃がスライディンゴーしてくれるかもしれない。そして切った桃から現状を打開する救世主、首○パッチソードが現れてサタンやルシフェルとかを硫化アリルでなんとかしてくれる筈だ。
すると手に草刈り鎌を持って地面には芝が生えていた。今日はお日柄もよく、絶好の芝刈天気だ。
こんな日におチビ共を放牧させたいわな。
あ、でも脱出した後どうなるんだろ。ジェニの告発に乗っかればそのまま周囲のまともそうな
俺達ルシフェル群は特に数が多い。それも十三號セクションがほぼルシフェルの為に作られた延命装置ってのが一番大きいからだ。
それぞれ引き取られたり~……、はしなさそうだな……。一括まとめて保護されて施設にでもぶち込まれたら俺が頑張ろう。
俺と同じくらいに大きいのはアーサーを筆頭としているっちゃいるけど、情緒的な面で言えば子供だし、廃人になってるし。ここは転生経験者であり経験豊富な俺が指揮を取らねば。
資金繰りとかどうっすかなぁ……。流石に保護されたら資金くらいは出すよな? いや絶対出してもらえるようにしよう。目指せ、兄弟全員学校通い。せめて高校まで援助してくれれば大丈夫だろ。
ちょっと同じ顔の奴らが同じ制服着てると見分けつかなくなりそうだけど、それはそれで面白いな。
あ~、脱出してぇ~~。
「起床時間だぞ」
「んぐぇ」
ものすごい揺さぶりと腹への圧迫感で起きた。さっきまでのは……夢ぇ?
目を擦りながら横を見るとそこにはアーサーと、腹の上にはベンジャミンが乗っかっていた。
「きょうのごはん、たべにいこー」
「さっさと起きろよ」
「んぁ……うん」
なんと今日は薄味の焼き魚が出た。でも米食いてぇ。
俺の体は一つである。
なので、絵本を読み聞かせながら折紙を折り、追いかけっこしながらお絵描きをしたり、ぬいぐるみのままごと遊びをしながら高い高ーいは出来ないんだ。
壁面に描かれているやけに腹の立つ太陽の顔を見据えている俺の頭上ではしゃぐベンジャミン。
おい、職員。なに微笑ましそうな目で見てんだ。元々お前たちがやるべき仕事だぞ。
「平和……ですね」
おやぁ? 隅の方でこそこそ話し声が聞こえてきたぞ。
「ええ。最近はあの検体が率先して遊んでくれているので負担も……」
「でもあの検体だっていずれは……」
「あまり深入りしないように。それが貴方のためでもあるわ……」
マジか。最近ここら辺で子供たちの面倒を見る検体がいるらしいぜ。
俺じゃん。
にしても、深入りしないように、ねぇ……。それも処世術っちゃ処世術なんだろう。
このセクションで働くのは祓魔塾の前身、アサイラムで
ここを失えば働き口に困る。エリクサーの研究も進まない。明らかになれば長年、悪魔のスペシャリストとして築き上げてきた騎士團の地位はがた落ち。
利権関係はメンドイなぁ……。そうだ、今日は
「アル、見てみろ!」
そう言ってベンジャミンをおぶっている俺に、アーサーはこの前教えた足の生えた鶴を見せてきた。
ふっ……、まだまだ甘ちゃんだぜ。俺はもう、足の生えた鶴では満足できない体になってしまった。
「甘いな」
「何……?」
ベンジャミンを落とさない様に腰を落とし、机の上に無造作に並べられていた折り紙の一枚を取った。
最近は立ちながら折ることも出来る様になってきた。
「ほい」
俺が折ったのは、腕の生えた折り鶴だ。ついでにマッスルなポージングもさせておく。
「う、腕が生えている……!?」
「足の生えた鶴が折れるようになったら次は腕を生やすだろ」
ぐぬぬ、と悔し気なアーサーに気分を良くしながら、時間は過ぎた。
俺は片付けを手伝う為、手始めにぬいぐるみを片付け始めた。
すんなりと宿舎から出れた。ここからは物音一つ立ててはいけないザ・エスケープが始まっべ!
宿舎から出る前に、布団のシーツをぐるぐる巻きにして膨らみは作っておいた。やべぇ、ちょっとドキドキしてきた。
今回はある程度の地形の把握。脱出口があるんならまぁ、そこも調べておく程度。あんまり騒ぎにならない様にしたい。
下準備は先の方にやっておいても大丈夫だ。ジェニが来てから下準備やるとなんか……、メッフィー辺りに「ジェニに協力して脱出の準備でも企てていましたね?」みたいなこと言われそうだし。
脱出は彼女の勇気に乗っかってやるものだ。
協力なんておこがましい。結局、俺は色々と理由を付けても、失敗した際には彼女に責任を擦り付けたいだけだ。
だって……。――――いや、止めよう。
クローン体にも、人にだって命は一つ。ここから全員で脱出する機会は一つ。そんな機会を彼女は身を張ってまで二つに増やすのだ。乗っかるしかあるまい。
おっと、危ない。警備員と言う名の
夜中のドキドキ☆十三號セクション散歩は順調だった。しかも嬉しいことに、徹夜をしている研究員はいなかった。
カードキーの必要な場所もあったけど、それはそれ。エリクサー研究の被験体にされている時にな、エミネスクの野郎の次に偉そうな奴が近付いてきたからカードキーを盗んどいた。隠し場所は検体養成室と呼ばれる、あの子供部屋にあるぬいぐるみの中。
スニーキングミッション楽しいわ。俺の足は止まらず、エリクサーの浸透実験兼製造所の部屋にやってきた。
電気を付けてないのでうす暗い。そんな中、培養液に入っている自分と同じ顔を見るのはちょっとホラー味がある。
ルシフェル群以外にもアザゼル群も、サマエル群も培養液で満たされたパイプ入っていた。皆うずくまるようにしてエリクサー漬けにされている。
(……アンソニーだ)
人体ホルマリン漬けの並びに見知った顔がいた。ちょっとふくよかな顔つきで、いつも鬼ごっこでは最初に捕まえてた。
そんなアンソニーも年月が経って俺と変わらない体躯へと育っていた。……あれから、何年経っているんだろうか。
おセンチな気分になりつつ、その部屋から出た。
俺の思っていた以上に部屋はあった。マウスの飼育部屋、動物実験室、研究員たちが使っているだろう仮眠室。
それに、クローンの培養室。
そこにはいた。俺の代わりがいた。幼児サイズの俺、小学生くらいの俺が培養されていた。
名前はAL、Lu-La-04の補充分。
でもきっと、その俺には『前世の俺』は入らないんだろう。『前世の俺』にとっても、この個体が最初で最後。死ねばきっと、俺も皆と同じ様になる。面倒見のいい、前世を覚えているALは消える。
それは嫌じゃないけど、
(あー、やめやめ! 暗い気分だと悪魔にでも付け入れられる!)
目的は地形の把握だ。こんな気分になる為に来た訳じゃない。
部屋の探索がてら、机の上に散らかっている書類をちょくちょくと覗いた。それで分かったんだけど、今はあのサタンの宿った検体が怪しいと睨んでいるらしい。サタンが受肉し始めてるってことだ。
つまり、そろそろ覚悟をしっかりと決めておかないといけない。頭を回して失敗した後のことも考えておかないと。
色んな部屋を回ったが、入り口付近はまだ行っていない。その……、明らかに血が出ていると分かっている場所に行くのは嫌じゃないか。
ジェニも言っていたなぁ……。高収入だからといってクローンを産むことを目指した奴もいたけど、全員顔を見ることはなかったって。
でも一応、怖い物見たさで行くか……? 折角、研究員も休んでることだし……。
その部屋らしい場所の前に着いた。恐る恐るとカードキーを入れた。
難無く開いた。
――やっぱ、見るべきじゃなかったとだけ。
分娩台がずらって並んで、その殆どに拭き取れなさそうな汚れが付いてる。後、すごく空気が籠ってる。
思わずうえって顔になってしまった。あまり長居はしたくない。
書類に載っているのもクローンを産む実験に志願した女性の戸籍とか、結果とか……。
さっさと分娩室から出た。脱出に繋がるようなものはなかった。
無駄に時間を過ごした気がする……。
次は思い切って出口に行ってみようか。ちゃんとドアの確認をすることは大事だってバルディ先生が言ってた。
出入口付近。僅かに人がいるみたいだ。まぁそうだよね。宿舎付近にはいなくても、出入り口には設置しておくよね……。
という所で下準備は一旦終わり。早く寝ないと明日に響く。
■
――バリバリに響いたんじゃが?
現在の俺、エリクサー実験で三途の川が見えてるなう。川向こうで一緒に育ったアダムや初めに鬼ごっこをしようと声を掛けてくれたアドルフォスたちが手を振っている。
これはいかんと、川から背を向けて走った。最初は全力で地面を蹴っているのに歩く速度でしか動けなかったが、川からの距離が遠くなるといつも通りの全力スピードで走れた。
普段の鬼ごっこでは加減しているが、俺は風の様に走れるのだ。歩くスピードでも普通の人が走る速さになる。歩道では規定スピードを守らなければ歩けないような体質になったのもほぼほぼエリクサーのせいだ。
今なら私、おターフで馬に紛れて走れますことよ。おほほほ……。
そのまま走り続けていると視界が真っ白に変わった。同時に身体がぎゅっと詰め込まれるような感覚が。
耳に、ジィィィ――という音が聞こえた。
咄嗟に手を天井に翳した。考えずとも自分がどこに収納されそうだったかが分かった。
手を見せた瞬間、どよめく声がくぐもった音声で届いた。
そっと、閉じられそうだった隙間から複数人の顔が覗いた。
「まだ、生きてるんですけど」
掠れた声だったけど、伝わったらしい。
俺は何とか生き残れた。
ファスナーは下ろされ、窮屈さが消えて体を起こす。後からになって冷や汗が酷い。心臓もバクバク言ってる。
――横目で見れば、納体袋が片付けられるところだった。
……っべーわ。夜更かししただけで死にそうになるのマジっべーわ。
暫く散歩は控えておこう。心臓に悪すぎる。
「これはもしかして……」
「要検証だな」
落ち着いて―、息を吸ってー吐いてー。吸ってー、吐いてー。
……ふぅ。何とか生き残れた。うん、生き残ったんだ。
ごめんよ川向こうから迎えに来てくれた兄弟たち。俺はまだそっちに行きたくないんだわ。
せめて行くにしても、ルシフェルに一発殴ってからだ。
決意を新たに、脱出を必ず成功させようと思った。
アーサーから自我が消えてもそう思ったのだ。
ハジケるとかいってあんまりハジケてないので自害します