『各ウマ娘、ゲートに入りました』
ゲートに入ってから開くまでの時間、ほんの数秒の時間ではあるものの、その中で時を待つ者たちにとっては永遠と呼べるほどに長い。
ゲートが開く前から、すでに駆け引きは始まっている。
開いた途端に、勝利を確信する者、敗北を覚悟する者さえもいるほど。
そんな殺伐とした中に身を置くことは、いつも息苦しく感じる。
でも、今日こそは、何かが変わるかもしれない。
――――――――
「さぁ、お前を見せてみろ…。」
大城も、観客席の策に腕を置いてその時を待った。
そして、運命の時は始まりを告げる。
『スタートしました!』
ゲートから一斉にウマ娘たちが飛び出る。
『各ウマ娘揃って綺麗なスタートを切りました。』
―――――――――
マーシャルは一瞬、いつもの癖とも呼べる条件反射で、ゲートが開いた途端、前に出ようとした。
だが、大城の作戦をふと思い出し、その出足を緩め、中段位置に落ち着く。
(…あぶない…いきなり失敗するところだった。)
『先頭から6番、4番、9番の並び、そこから少し離れて3番12番5番、中段位置8番はここに構えます』
まず、一つ目の作戦…自分と似た人を探す…だって。
そんな人、どこに?
マーシャルは落ち着いて周りを見渡す。
そして、なんとなく、本当になんとなく自分とリズムがあっているような、いないようなウマ娘を見つける。
(この娘…かな?)
マーシャルはレースに集中しながらも、意識的にその前を走るウマ娘の動きを自分にトレースしていく。
ターフに足を付くピッチの間隔、速度、腕の振り方。
自分と相手とのちょうど中間あたりを狙って、それらを微調整していく。
そしてそれらが体に馴染んできたときに、マーシャルは大城の言葉を理解していく。
(…ほんとだ。なんでだろう…自分で走ってるのに…引っ張ってもらってる感じ。まるで、体を動かしてもらってるみたい…。少し楽かも…?)
無意識的に体が引っ張られていくその感覚に、マーシャルは驚く。
(ま、今は補助輪みてーなモンだ。いずれそんなモンに頼らねぇで走れるようになりゃ、上出来だ。…にしても)
他ウマ娘のトレースが齎す恩恵はリズムだった。
いつも先行に躍り出て、ろくにリズムも作れずにバテていくマーシャルは、走りのリズムを安定化させるという概念に乏しかった。
そのため誰かをリズムメーカーにさせることで、中段位置での走り方を知らないマーシャルでも、安定して走ることができる。
そしてそのリズムに乗り、引っ張られることで、精神的に楽に走ることが可能となった。
無論相手のリズムに頼りすぎてしまえば、自分のリズムを失い無駄な体力消費ににも繋がりかねない。しかしマーシャルはそれを知ってか知らずか、自分のリズムと相手のリズムの中間の塩梅を見出して、無理のない範囲で自分に取り込んでいた。
こればかりは、彼女の、自身も知らないセンスが光ったという他はないかもしれない。
(…意外なところ、器用なんだなあいつ)
大城は静かに感心した。
そしてマーシャルの体と心に調子が宿ってきたとき。
(…よし!この人!このまま後ろについちゃおう!)
それはマーシャルがトレースした相手だった。
リズムが似た上に、背丈も自分とそう大差ない。ならばこの相手に、第二の作戦、スリップストリームを決行した。
(見よう見まねだけど…いけるかな…。)
その相手と綺麗に縦一直線に並ぶ。
だが、風の抵抗は依然変わらない。
(な、なんでぇ…。)
自身のスタミナに少しづつ陰りが見え始める。
(こ…このまんまじゃあ、また同じことに…。)
スリップストリームに入れない理由。マーシャルは頭で必死に考えた。
「…ハマらねぇか?よく考えろよ?…答えは単純だ。こっから見てもわかるぜ?」
(思い出して!授業で習ったんだ…!)
ただでさえレースでは勝てなかった彼女。ならばせめて勉強だけでもと必死になった。その記憶を巡らせていく。
そして一つの解にたどり着く。
(…距離?)
よく考えてみると、前の娘との差は軽く見積もっても1バ身以上はある。
それだけの距離が離れていれば、スリップストリームの恩恵は薄いのでは?と彼女は推測を立てる。
(これ、もし間違ってたら…でも、やるしか!)
思い切って彼女は、少しだけスピードを載せて前の娘に近づく。
追いかける背中が大きくなってきたその時。
彼女の周りから、流体の流れが断ち切られた。
(う…うそ。…これが…スリップストリーム。)
自動車レースでさえも一番の課題とされる空気抵抗。
人やモノは普段、空気に馴染んで生活をするが、ひとたび高速での移動を行えば、それらに対して猛烈な牙をむく。
しかし、それを克服してしまえば、それは何よりも強い武器になる。
マーシャルはまるで前を走るウマ娘に吸い込まれるように、その背中に追従する。
(すごい…!すごい!こんなスピードで走ってても…あんまりきつくない!)
だが、それは長くは続かない。
このコースのコーナーに差し掛かる。
今までの直線と比較し、各ウマ娘たちに横の動きが加わる。
このままでは、安定したスリップストリームを行うのは難しい。
(うっ…!!)
「さ、こっからが勝負だぞ。おまえのクソ根性、見せてやれ。」
(うう…!離されないように…。)
『さぁ、最終コーナーに差し掛かる...。ああっとここで6番トージョーイシン抜け出す!それに追従!各ウマ娘一斉に仕掛ける!!』
(え!?そんな!?)
マーシャルは動揺する。
自分が追っていた前の娘、自分の後ろにいた娘、横に居た娘が一斉にスパートに入った。
(あ…ああ…)
次々自分を追い抜いていくその背中に、彼女は焦りを隠せない。
(わ…私も…!)
と思ったが、そこで大城の言葉を思い出す。
『今日のお前はコーナー出ての直線だ。周りがスパートに入ってもあせらず、ぐっとこらえろ』
(…!!)
マーシャルは歯をぐっと食いしばる。
確かに周りの娘たちの背中を黙ってみるのは悔しい。でも、今日こそはその流れを…断ち切るんだ!
そしてコーナー出口
マーシャルのスタミナ、足、共に残っていた。
(いける..!仕掛けられる..!)
今までではありえなかった、最終コーナー抜けての余力。
その感覚は、マーシャルの高揚感すらも搔き立てる。
そしてマーシャルは…ターフを蹴った。
―――――――――
(クソっ!前の連中には届かないか…。だけど、このままいけば入賞は堅い。せめて…ん?なん…だ?だれか…来てるのか?)
『さぁ中山の直線は短いぞ!一番手は変わらずトージョーイシン!それを追いかけるハーネスブラック、おっと後ろの方では誰かがバ群を抜けた…これは…8番レッドマーシャル!!強い追い上げを見せます!!!』
『驚異の瞬発力です!』
「は…ははは…あっはっはっは!!…お前、なんだそりゃあ!!」
大城は咥えていた煙草を落としたことにすら気が付かなかった。
マーシャルはライバルの背中を一人、また一人と追い抜く。
(嘘だ…これ、本当に私…?)
そのスピードに、心が追い付いてこない。
『レッドマーシャル!驚異的な追い込みを見せるが!果たして先頭集団をとらえられるか!?』
レッドマーシャルのその追い上げに、観客たちからもどよめきが走る。
「だ…だれあの娘?」
「あんな娘いたのか?」
「い…いや!おれパドックで見た時から違うって思ってたんだ!」
「嘘言うな、お前一番人気出せとか言ってたろ。ま、確かにすごいが、先頭には届かんだろうなぁ。」
(う、うう…くる…しい…。)
スパートをかけるということは、全力を使い果たすこと。
そのリソースに乏しいマーシャルには、それを長時間扱うことは困難だった。
しかし、ゴールは見えている。
(前には追いつけない...…でもゴールは切れるっ…!!)
マーシャルはスパートの速度をわずかに落としながらも、もう一度前を向いた。
(い…けぇ…!!)
『今ゴールしました!一着トージョーイシン!見事逃げ切りました!二着は惜しくもハーネスブラック!三着にオオエドカエヅ、そして四着に…』
――――――――
(…はぁ…はぁ…はぁ…)
マーシャルはターフにうつ伏せで倒れていた。
今度はあの重い蹄鉄を全身につけているかのように、体中が重かった。
センニンから習った呼吸を…と思っても、それだけじゃあ間に合わない。
なんとか自分の着順だけでもと無理やり顔をモニターへ向ける。
(今日は…ちょっと…早かった…よね?)
そして自分の名前とゼッケン番号を適当に探した。
(えっと…6.7.8.9.10.11.12…ない?)
そんな馬鹿なはずはない。
自分はいつもこの辺にいるのだから。
(えっと、一着が6番二着が4番三着が9番…四着が……8…番…?)
8番…えっと8番って…私?
マーシャルはガクガク震える手で自分のゼッケンを引っ張る。
そこには大きく
『8』
と記されていた。
――――――――
「とれーなーさぁん…私…わだじいぃぃ!!」
「わかったからもう泣くな!ったく4着でうれし泣きするやつがあるか!」
選手控室。そこではボロボロと涙をこぼすマーシャルと、呆れながらも笑みがこぼれる大城の姿があった。
はた目から見れば、一着が取れなかった悔し泣きと解釈するのが正しいのだろうが…。
「だってぇえええ…。」
彼女にしてみれば、トレセン入学以来初めての入着だった。
「でもま、よくやった。お前のソレ、どうも通用するっぽいな。だが、もっとブラッシュアップさせる必要もある。…次は表彰台だぜ?」
「…グスっ…はい!!!」
大城はその時、初めてマーシャルの笑顔を見た。
――――――――――
「マーシャルちゃん..もう電気けすよぉ?」
「あ、うん!ごめんね!」
マーシャルは寮に戻って以降、ずっと4着の賞状を眺めていた。
「えへへ…モモちゃん。私…初めて賞状貰ったんだよ。」
「うん…おめでとう!」
マーシャルのその嬉しそうな表情に、モモミルクも微笑んだ。
電気を消した後も、マーシャルは月明りを頼りに賞状を眺めた。
「…よっぽど…うれしかったんだねぇ。」
モモミルクは優しい顔で、マーシャルのその横顔を見ながら目を閉じる。
程なくして、マーシャルも、その賞状を抱いたまま、深い眠りに就いた。
競技場売店にて
「あら!ハクちゃん!久しぶりじゃない!煙草..いつもの16番かい?」
「ああ…いや…今日は8番で頼む。」