『さぁ、始まりました!..ウマ娘一斉にゲートから飛び出します。..おっと、内枠5番イイセンケリー少し出遅れか?』
ゲート開放から、10秒。横一列だったウマ娘たちは次第に縦へと形を変える。
マーシャルは予定通り、中段位置へと構える。
今はもう、トレースの必要はない。...自分のリズムを..大切に。
だけど、スリップストリームは健在。最近はコツも分かってきた。
そうして静かに、その時に向けて準備を重ねる。
重賞といえども、やることはいつもと変わらない。
いや、変えてはいけない。
それがマーシャルの答えだった。
その背後に..ローズは構える。
(あーあ..視界に入んなっていったのに。...まぁいいや。..どうせ、途中でバテて勝手にいなくなるんだし。...どうせなら、私の差しで完膚なきまでに叩くってのもアリ。...まぁ、頑張って逃げてみなよ..先輩?)
―――――――――――――
予定通りともいえる彼女の動きに、大城は黙って頷く。
その表情に不安の文字はない。
観客席の柵に両手をついて、食い入るように、その様子を見守る。
そこに一つの影が忍び寄る。
「...どんな手をなさったんですか?..大城先生。」
それはチームベテルギウスのトレーナー。宮崎の姿だった。
大城とは違い、いつも律儀にネクタイを締め、無駄な装飾品を一切嫌う。
「どんな手ってのは、どういうこった?」
「...正直驚いています。彼女、マーシャルさんが..この重賞まで這い上がってくるとは。」
大城は宮崎と顔を合わせることなく、背中で会話をする。
「...ま、そういう素質があったってことだ。それがワカンネーから、お前は二流だって言ったんだよ。」
「....。確かに私の誤算があったということは認めましょう。ですが、それと同時にせいぜいここまでだろう..とも思っています。...確かにスプリントに限定をして重点的に鍛えれば..或いは彼女のように『ある程度』まで通用するのかもしれません。..ですが私は知っています。彼女の..身体的に欠けた..どうしようもないピースを。」
大城は顔を下げて小さく笑った。
(...へぇ、まだ持つんだ。..前ならもうこの辺で沈んでたくせに。)
マーシャルの背後でローズは面白くなさそうに心でつぶやく。
それと..なんだろう、この人から今まで感じなかった何かを..妙に感じてしまう。..バ鹿な。相手はあのマーシャルだ。..きっと気のせいだ。
ローズは軽く舌打ちをする。
「...なぁ。お前、もし、このレースに金賭けられるとしたら、テメェの担当にいくら賭ける?」
「..なんです?藪から棒に。ウマ娘のレースは賭け事の対象ではない。」
「相変わらずクソ詰まんねぇ野郎だなお前は。もしも、の話さ。」
「...あなたならいくら賭けるというんです?」
大城はスラックスのポケットから、カギを取り出す。
ディンプルとキーレスリモコンが一体となった鍵。ポルシェの鍵だ。
「..財布の中全部と..こいつかな。」
「...マーシャルさんのことを随分と高く買っておられるようだ。..名トレーナーとまで呼ばれたあなたの目が、そこまで耄碌しているとは。..何を根拠に?」
「俺の担当だからだ。」
「....退職間際、自分の担当に夢を見られるのは大いに結構です。..ですが、現実を見られたほうがいい。ローズさんは、今までに数回にわたって重賞を飾っている。このレースの次は、GⅠも予定しています。..それに比べ、マーシャルさんに何が残っているというのです?..目に見えるデータは何もない。」
「目に見えないところに財宝は眠る。..いいだろ?今俺が考えたフレーズだ。」
ローズのフラストレーションはジリジリと募っていく。
..なぜだ。..なぜ消えない?..なんでまだ..自分の前を走っている?
確かにあの頃に比べれば、体の動かし方は良くなってはいる。..重賞に来るだけの理由はあるんだろう。..だけど、こうもこいつの背中を見続けるというのは...癪だ!
「..もうあなたとは、会話すらもできなくなりましたか。最後に言っておきます。このレース。ローズさんが負ける理由がない。」
「..クク。まぁ聞けよ。..俺も、そんなクソみてぇな根拠でモノを語るほど落ちぶれちゃいねぇよ。」
「..ほう?」
「..あいつ、最近なんかオカシイんだよな。」
「..おかしい?」
宮崎は怪訝な顔をする。
(ああ..!!イライラする!なんで落ちないんだ!....もういい。少し早いけど、ここでもうブチ抜く!...あんたの居場所は後ろなんだよ!)
ローズのフラストレーションは、わずかな焦燥に変わりつつある。
「..最近、ほかの連中と並走させることがよくあってな。..その時、あいつと走った連中が口揃えて言うんだよ。マーシャルがスパートに入った瞬間。..姿が一瞬消えるってな。」
「...何を?」
「俺も最初は意味わかんなかったけど...でも最近は俺にも見えるようになってきた。..あいつの、ゾーンってやつが。」
ローズはマーシャルの横に並びかける。
マーシャルはしっかりイン側を閉めてはいるものの、ローズはそこに無理やり体を捩じ込みに入る。
(..さ、これでオシマイ。あとはせいぜい.....?)
ローズはある異変を感じる。
先ほどまでなかった...赤い気配を...しかもそれは..どこか毒々しい。
その時、マーシャルが..急加速を突然始めた。
(...な!?)
ローズは意表を突かれた。並びかけたと思ったら、彼女がその先を行った。
ローズの視界には、再びマーシャルの背中が現れる。
(ふざけ...!)
ローズはその背中を見て呆気にとられる。
自分の先を行ったマーシャル。その背中が...フッと蜃気楼のように一瞬消えた。
(..は?)
気を確かにして、もう一度彼女を見る。..姿など..消えていない。
だけど、その瞬間、もう一度...煙のように...。
(..何?...どうなってんの?)
『レッドマーシャル!!ここで仕掛ける!!』
『さぁ、重賞でも見られるか!?...彼女の...限定スパートは!!』
「...!?」
その様を見た宮崎は..自分の目を疑う。
「...これよ。....これが...レッドマーシャルの走りだ..!」
「....バ鹿な。....ありえない!」
正気に戻ったローズの魂に..ようやく火が灯る。
気が付けば..マーシャルとの差が..ぐんぐんと。
(....ふ..っざけんな....!!!...そんなこと...あっていいわけ....ないだろ!!!)
ローズもその場からスパートに入る。
だが、マーシャルとの距離は縮まることを知らない。
それよりか...それでもまだ..離される。
「..ちょっと..どうしちゃったの?ローズ?」
「あれ..マーシャル先輩...?..別人じゃないの..?」
ベテルギウスの席でも..動揺が騒めく。
「...マーシャル...ちゃん?」
「あれが..マーシャルだと..?」
無論、彼女の先輩にあたる二人にも。
(...5...6....7!)
リミットを迎えたマーシャルは..一気にスパートを解除する。
その瞬間だって気は抜けない。
『さぁ!レッドマーシャル!!一気に先頭へ踊り出た!!さぁ!その彼女を捉えるウマ娘!!誰か?...おっとここで、注目の1番人気ローズロード!!その人気を譲る気はないか!!レッドマーシャルに追いすがる!追いすがる!!残りは200!間に合うのか!?』
ローズは瞬間的に理解した。...マーシャルが失速したことに。
このチャンス...!不意にはしない!!
(ふざけろ!!!お前が...お前なんかが私に勝っていいわけなんかないだろ!!!差す!!差す差す差す差す!!!絶対に差す!!!!)
ローズはマーシャルに急接近する。
マーシャルがゴールに飛び込むのが先か...ローズがマーシャルを捉えるほうが先か。
『ローズロード!!驚異的な末脚を見せます!!さぁこれはわからないぞ!!』
「..わからないだってよ..。実況席の窓は曇ってんのか?..決まってんだよ..もう。」
「...ローズ..さん。」
「...なぁ?確かにこの世にゴマンと居るウマ娘、どいつもこいつも才能あるやつばっかじゃねぇ。..確かに才能のないやつだっている。..でもよ、そんな野郎が..才能マシマシの連中が集う重賞に飛び込んでよ..そんで勝っちまったら...。」
大城はゴールラインに背中を向ける。
『ローズロード間に合わない!!レッドマーシャル!!今先頭を維持したまま...!!』
「...最高にロックだと思わねぇか?」
『レッドマーシャル!!!一着!!!レッドマーシャル!!!そのスパートは!!重賞でも通用した!!!!』
会場から津波のような歓声が雪崩こむ。
「......ああ........そんな....そんなこと...って。」
宮崎は膝をつく。
「...お前らが捨てた...炭....ちったぁ光ったぞ?」
そういって大城は宮崎の横を過ぎていった。