「...なん...ですか...ここ...?」
マーシャルは、助手席にて目の前に広がる光景に唖然とする。
確かに峠というのは..曲がり角がたくさんあるのが普通だろう。
でも、その峠は限度というものを知らない。
一つカーブがあったと思ったら、すぐに次のカーブ。
まるでシャトルランを峠でしているのかと疑うほどの光景に、マーシャルの早朝の眠気は吹き飛ぶ。
「また、カーブ...これでいくつめ..?」
「まーだあるぞ。」
コーナーに差し掛かった大城は、深くポルシェのステアリングを切り込む。
あと20年若ければサイドブレーキに手をかけていたかもしれないなと、燻りながらも、わざとコーナー出口で後輪を軽く滑らせ、カウンターステアを浅く当てながらマーシャルの反応を楽しむ。
「ちょっと!ドリフトはだめです!」
「ドリフトじゃねぇ。パワースライドってんだよこういうのは。」
「同じです!」
その会話が終わる前に、また次のコーナー。
「まだ..あるんですか...?」
「トウゼンだ。...日光いろは坂...全48ヘアピンコーナー...。今日はここを走ってもらう。」
「よ...48!?」
そうして下りきった先から、再び上り専用道路を伝って、二人は下りへ向かう一般道へと戻る。
レトロな街並みが印象的な場所だと、少しワクワクしたマーシャルだったが、その街並みの先にこんな狂ったような峠があるとは想像もしなかった。
下りに入る前の道にて、大城は車を止めて、降りる。
まだまだ朝は冷え込むが..夜明けの時間は幾分早くなりつつある。
「よぉし、降りろ!ああ、いい朝だ!」
「いい朝って..まだ5時...。」
「道路は見えるだろ?なら十分だ。」
「お昼じゃダメなんですか?」
マーシャルは重量蹄鉄付きのシューズを履きながらぼやく。
「昼は一般車両が多すぎる。...チャリのほうが早いくらい渋滞すんだよ。」
「じゃあ..夜とかは..?」
「ここ、あんまり街灯ねぇし、それに夜中は免許を持ったサルが沸く...。」
大城は早速一本目の煙草に火をつける。
「今日もこのシューズですか..。」
「大事にしてくれてるようで何よりだ。ま、今日は箱根の時とは逆の
「...そうは思えませんでしたけど...。」」
「しっかりしろよ。バクシンオーに勝つんだろ?」
「...はい!」
―――――――――――
ペースは半分...確かに下りのおかげか...ずいぶんと楽には走れるし..スピードもつく!
これだけのコーナー..すべてこなせば..私はきっと!バクシンオーさんに..!
重量シューズがこの下りの勢い拍車をかける!この重さが良いと思ったことなんて!
そうして最初のカーブ!!
よし...レースをイメージ...コーナーが近くに来る..!
これは..中山の最終コーナー!..逃げるバクシンオーさんの背中を...
しかしコーナーが近づくにつれ..一つの疑問が。
...あれ?そういえば....ここのカーブ...競技場と比にならないくらい...深くなかった...?
ようやくコーナーの全貌がはっきりとする。
この勢いじゃ、どうにも曲がれそうにないくらいに...深くRのかかったコーナー...。
まって!この勢いじゃ..!
そう思った時には遅かった。
「ちょ..!とまって..!!とまれえええ!!!...なああいいい!!!」
重量シューズを履いた足に...この下り勾配...。自分のブレーキが利かない..!
そうして...。
「...ヘブっ!!!」
マーシャルは...ガードレールとお友達になった。
―――――――――――
大城は車のボンネットに軽く腰を据え、カーオーディオからはサマータイムブルースを流し...加熱式煙草を口にする。
「んだこれ...やっぱ紙がいい..。」
こんなものが若い世代に流行ってるというらしいので、試しにと手を出したのだが、どうやらそれはハズレらしい。
「..俺も流行りに乗れん時代遅れな人間になったか...。」
そんな中身のない愚痴をこぼしたときに...やっと自分の担当が姿を現す。
「おう、思ったより早か......。」
マーシャルは...ガードレールの粉を体いっぱいに...何度も転けたのだろう擦り傷が...体のあちこちに。
「いくつ曲れた..?」
「...4こ」
「...赤点だな。」
勢いをつければ足が負ける。逆にうまく曲がろうとすれば..大きくスピードを犠牲にしてしまう。
グスっと涙を拭うマーシャル..コーナーの壁が..こんなにも厚かっただなんて..。
だけど、これを乗り越えなければ...私は...。
ドアを大きく開けた車の席に、外向きに座ったマーシャルは、大城の簡易的な治療を受ける。
あとで本物の医者を連れてくると笑いながら彼が言うそれは、きっとジョークなのだろう。
「...んで。今日はどうする。...もうやめとくか?」
「...いいえ。...まだ...走ります..!」
ここで折れちゃいけない..。私の赤は...不屈の赤なんだから..。
そうして、再びマーシャルは峠の頂上へと戻った。
―――――――――――――
「...っく!」
やはりコーナーが迫るにつれ、マーシャルは恐怖で速度をおとしてしまう。
まけちゃいけない..!
そう思って勢いをつけると...すうっとガードレールに体を吸い寄せられるか...滑ってゴロン。
「..ふぅ..ふぅ..。」
せっかく治療を受けたのに..また体は擦り傷だらけ。
それでもマーシャルは前を向いた。
その時..一台の車がマーシャルの背後に迫る。
見慣れないエンブレムを付けた...なんだか高級そうな車。
マーシャルはとっさに体をよけて道を譲ろうとするが...その車は依然...マーシャルを抜かなかった。
むしろ先に行けと言われているような。
その挙動に気味の悪さを感じたマーシャルだが..抜いてくれないのなら..走るしかない。
でも...相変わらずコーナーでは壁にぶつかるか、大幅にスピードを殺すか..転ぶか..よたよたと抜けていくかのいずれかだった..。
こんな姿を..知らない誰かに見られるのは..とても恥ずかしい..。
くっと歯を食いしばったマーシャルだが、車は急に加速をすると、そのままマーシャルを抜き去って消えていった。
―――――――――――
「...ハク!...7年は経ったか?」
「よぉ!タケ!...マジで来るとは思わなかったぜ。」
先ほどマーシャルを追い抜いた車は..峠の麓に停まるポルシェの後ろにビタ付けで止まる。
そこから降りてきたのは...大城とさほど年は変わらない、細身で長めの黒髪を後ろで束ねているのが特徴の男。
その車を見た大城は嫌味に笑う。
「はっ!アルファロメオねぇ...。なんだご自慢の
「そういうお前は?
「年だからさ...ラクなのが欲しくなってな..。」
岳隆二は、ポルシェのキャラクターラインを指でなぞりながら、大城の下へ向かう。
「トレセンのトレーナーってのは..そんなに儲かるのか?」
「親の病院を、七光りで受け継いだドラ息子ほどじゃねぇよ。」
「は!言いやがる!...悪いが病院は儲かってるぞ?このアルファロメオは..その辺の家庭の原付みたいなもんさ。お前みたいに背伸びして買うポルシェとはワケが違う。」
「ほう...お前の下で働く医者たちの給料からくすねた金か?...医者たちが不憫だ。」
「ああ..お前のそのクチを今すぐ縫合して、死亡診断書書いてやりたいよ。」
昔のノリを、数年越しに味わう二人に、そっとあの頃の風が吹く。
「...さっきの走ってた娘だろ?..お前の担当って。」
「まぁな...元スポーツ医学を専攻してたお前から見ての感想は?」
「なるほど....そのために呼んだワケか。悪いが、スポーツ医学とスポーツ工学は別物だぞ。だが、安心しろ。俺はスポーツ工学にも精通している..。でも...ウマ娘工学となると...流石に話が変わるかもな..。」
「似たようなモンだ。モノになりゃそれでいい。」
「相変わらずテキトーだな、お前って。」
紙たばこを靴の裏に押し当てて火を消したときに、やっとマーシャルはかえってくる。
「うわぁ..こりゃひどい。」
ボロボロのマーシャルを見て、岳はふぅと溜息をする。
「どなた...ですか...?」
その見慣れない男に..マーシャルは自分の傷を忘れてきょとんとする。
「ヤブ医者だ。患者を騙して金を巻き上げる悪徳病院のドラ息子さ。」
大城は笑いながら言う。
「君がウワサのマーシャルちゃんか?..まったく。こんなガラの悪いチンケなチンピラヤクザに苛められて..かわいそうに。」
そう大城に視線を刺し、ニヤッと笑いながら岳も返す。
二人の罵り合いに挟まれたマーシャルはしどろもどろ。
「ま、ヤブ..ではなく..超エリートの医者さ。..俺は岳。さっき君の走りを見てたけど...まだカラダの軸がぶれてるようだね。直線には強いみたいだけど、コーナーに差し掛かったとたん、軸がぶれる。重心移動が伴っていない。それが、コーナーをうまく対処できない理由だ。」
「軸...ですか..?」
「結構な筋トレを積んではいるんだろう..体幹自体は悪くないように見える..だけど..それが走りに十分生かし切れている感じがしない。走っているときの軸は重要だ。それでどれだけコーナーに対しバンクをつけるか..どれだけスピードを制御するか...そうか..軸足についても言っておいたほうがいいか..。」
もはやアドバイスというより、ぶつくさと独り言のように自分の世界に入っていく岳。
たったあれだけの時間で自分のことをここまで分析したのかと..マーシャルは素直に驚いていた。
「は..こういうヤツなんだよ。」
大城が呆れたようにつぶやいたその時。
一台の乗用車が彼らの横を通過する。
その車に乗った高齢者の男性は端に停めてある車を見て、邪魔だと言わんばかりの不満を顔に表す。
それを皮切りに、峠にも車たちが次第に下ってくる。
「...タイムリミットか。なら..続きは明日だな。」
「一回東京に帰って、また明日くるんですか?」
「冗談じゃねぇ。..ここに泊まるさ。」
「やったぁ!じゃ!じゃあ観光しましょうよ!!来る途中に気になってたお店があったんですよ!!」
傷だらけでも急に元気になるマーシャル。尻尾と耳が電池を入れ替えたように活発化する。
「...まずは治療が先だよ。」
そう岳はあきれるようにつぶやいた。
「こんな峠..どうして知ってるんですか?」
「昔そういうマンガが流行ったのさ..。」