7s Sprinter   作:マシロタケ

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真実の朝

「…んぅ…ん?」

僅かに差し込む光の筋が、眠る少女の瞼に包まれた目を苛める。

結局はそれに負けて、彼女は意識を覚醒させる。

 

「…えっと…あれ?」

気が付いたらそこはベッドの上だった。

そのベッドというのは…無論彼のだ。

 

だってここは、彼の自宅なのだから。

 

マーシャルは自分のおかれた状況を少しづつ整理する。

そして、ハッと急に慌てた。

 

ここは彼の家…気が付いたら彼のベッド。

…と焦るのも杞憂だった。

 

衣服には一切の乱れもなく、それに昨晩の出来事だってちゃんと覚えている。

あの後、その日の疲れが一気に出たマーシャルは、ソファで寝てしまっていた。

それを彼が自分のベッドまで運んでくれたのだろう。

 

…よくよく思えば、男の人の家で無防備に眠ってしまうのもどうだろうかとも思うが…でも、あの人なら大丈夫だという安心感もあった。

 

彼の香りが宿るベッドから身を起こし、マーシャルはリビングへと歩く。

そこには誰もいない。ただ、昨日騒いだ後のギターとアンプがそのままそこに鎮座しているだけだった。

 

そこに、少し肌寒い風が、タバコの香りを連れてやってくる。

それはベランダからの隙間風だった。

 

ベランダに目を向けると、そこに彼はいた。

目が合うと、よく眠れたかと聞いてくる。

 

「おはようございます…トレーナーさんは眠れたんですか?」

思えばこの人が寝ているところなんて見たことない気がする。

自分は何度も見せてしまっているというのに。

 

「眠れるかよぉ、昨日のドンチャン騒ぎでさっきまで管理人からしこたま叱られてたんだからヨ。次やったら出てってもらうとまで言われた。」

と笑いながら言う。

叱られたはずなのに、いつも…というかいつも以上に上機嫌に見えるのはなぜだろうか。

 

そこには何か吹っ切れたものがあるようにも感じ取れる。

 

笑いごとですか。とマーシャルがいうが、叱られていることには慣れていると大城は笑い飛ばした。

 

「…おなかすいちゃいました。」

「朝飯、なんかあったっけな。」

大城はキッチンへ目を向ける。

 

「台所貸してもらえたら、私準備しますよ!」

とマーシャルはいう。

「じゃあ…たのむヨ。」

大城はマーシャルの背中を見送った。そして、決心を固める。

(…リハなんていらねーよな。)

そうボヤいて、リビングへ上がった…時だった。

 

――――――――――――――

 

「すっごい…いろいろある…。」

マーシャルはキッチンに積まれた見たこともない調味料の山に目を丸くする。

海外製のシナモンだとかココナッツパウダーだとかバルサミコだとかパームシュガーだとか。エスニック料理でも彼は作るのだろうか。

 

「…なんて読むんだろう」

もはや英語ですらない言語で書かれたそのおどろおどろしい見た目をした調味料には、本当に食品なのかと疑いを持つほど。

 

振り向くと今度はワインテラーを始めとした洋酒の山。

ウイスキーにバーボンにウオッカ、ジンにラム酒にブランデー、ワインは赤も白もゴールドラベルで。

 

それはまるでバーのようにラベルの向きまでそろえてある。

…そのあまりにも瀟洒な空間にマーシャルは幾分かの気後れを感じる。

 

「なんか作るとはいっちゃったけど…どうしようかなぁ。」

そういって顎を抱える。

 

ここでいつも大城は料理をしているのか。とふとそこに彼が料理をしているイメージを立てる。

キッチンに立つ彼。…ちょっと似合わないなとは思いながらも、どんな料理を作るんだろうかとも興味がわく。

 

…そういえば、結局昨日、彼が言おうとしていたことは何だったのだろうか。

昨日の騒ぎのせいで、結局有耶無耶になったのだが。

 

と思った拍子だった。

 

ドサっとリビングから鈍い音が響いてくる。

それは何か物が倒れたような音。

 

その鈍さというのが…なんだか生生しいものに聞こえた。

 

「…?」

あの空間、そんな鈍い音を出すものなんてあったのだろうか。

 

「…トレーナーさん?」

マーシャルはそろりそろりとその音の方角へ向かって歩く。

彼に問いかける声に、レスポンスはなかった。

 

「…がっ…あ…ああ…ガハッ!」

なにか音が聞こえる。

 

「…トレーナー…さん?」

その音を辿った先にいたのは彼だった。

床に倒れこんで、悶え苦しみ…その口元には、血の跡があった。

 

「トレーナーさん!?」

今まで見たこともないような彼の急な容態に、マーシャルは驚愕し、すぐに彼に駆け寄る。だけど、駆け寄るだけで何をしたらいいのか全く分からない。

 

「ガハッ!!ゲホォっ!!!…あぁ…ま…しゃる」

激しく何度も咳き込む彼は、掠れるような声で言う。

 

「そ…そんな…どうしちゃったんですか!?えっと…きゅ、救急車!!」

「いい…それより…く…クスリを…。」

「え?」

「俺のジャケット…の…内ポケット…。」

そういって大城はハンガーにかかったいつものストライプが入ったワインレッドのジャケットを指す。

 

マーシャルはすぐにそれをとって、内ポケットを調べると…そこから小瓶が出てくる。

よくわからない表記がついたそれを、大城に渡す。

 

「トレーナーさん!これですか!?」

「あ…ああ…。」

大城は錠剤を手に出すと、そのまま乱暴に口へと放り込む。

 

「トレーナーさん!!一体どうしちゃったんですか!?救急車呼んだほうが!」

そう取り乱すマーシャルに、大城はいう。

「大丈夫だ…。時間が経てば…。」

「どこが大丈夫なんですか!?」

彼が吐いた後の血を見て、マーシャルは血相を変えてそういう。

 

「…すまん…ちょっと…休ませてくれ…。」

といって、大城は目を閉じた。

…自分の口からいうつもりが…こんな醜態をさらすハメになるとは。

大城は自分の不甲斐なさを呪った。

 

 

―――――――――――――

 

それから彼の意識が覚醒したのは20分後のことだった。

彼はソファの上で頭を肘置きにし、あおむけに。

 

痛みは幾分引いていた。

あの痛み止めのおかげだろう。意識もはっきりとしている。

 

…だが。サイアクなところを、一番見られたくない相手に見られてしまった。

 

「…」

マーシャルは、ソファの空いた部分にその小瓶とスマホをもって沈黙していた。

 

「…すまん。…騒がせた。」

そういうしかなかった。

ほかになんて言えばいい。

 

そういって身を起こす。

二人の間に静かな時間が過ぎていく。

 

さっき彼が倒れていた部分。血は拭き取られていた。

おそらくマーシャルが掃除したのだろう。

 

「…やたらに、他人の血なんて触るもんじゃねぇぞ。」

「トレーナーさん…。このクスリ。」

マーシャルは大城へ彼が服用した小瓶を見せつける。

 

「…私には、ずっとブドウ糖だって言ってた。でも…これ、癌の痛み止めの薬なんですよね…?」

「…調べたのか。」

「そんなに…ひどいんですか…?今すぐ、病院に行かなきゃ…ダメなんじゃないんですか!?」

再びそう取り乱しかねない彼女に大城はいう。

 

「もう…病院なんてイミねぇ場所なんだよ。」

「…それって。」

「…そういうコトなんだ。所謂…末期ってヤツさ。」

「そんな…。」

 

 

 

ああ…ようやく言えた。

最悪なタイミングで。最悪な形で。

 

 

 

「…どうして。…どうして…いままで…黙ってたんですか。」

それは絶対に言われるであろうと予測された問だった。

だけど、それに対する解なんて用意していなかった。

 

マーシャルの声が少しづつ震えていく。

「…すまん。」

いままで生きてて何度その言葉を言ったのだろうか。

すまないで済んだ試しなんてあったんだろうか。

 

「そんなの…そんなことって…ありませんよ。」

いきなり突きつけられた現実に、マーシャルはどうしようもできなかった。

 

「なん…で。…ひっ…ぐッ。」

その声がだんだんとひきつってくる。

グスグスとマーシャルは嗚咽を漏らし始める。

 

「トレーナーざんは…いっつも…ぞうなんでずッ。…いっつも…いっつも大事なことを言わない!…でも、そのことくらいは…知っておきたかった。」

マーシャルは下を向いたまま、顔を腫らしてそういった。

 

先ほど見た彼の発作。

医学に詳しくない彼女であってもその容体の深刻さは一目瞭然だ。

彼は、自分の見えないところで…そんな苦痛と戦ってきていた事実を今更知った。

 

その事実は彼女をこれでもかと苦しめた。

 

そんなマーシャルに大城は手を伸ばし、彼女を自身へ引き寄せた。

「すまん…本当のことを言うと。これは、お前と出会う前から患っていたものなんだ。お前と会った時には…その運命は全部決まっていた。…お前が責任を感じることなんて何もない。全部…決まっていたことを知りながら、俺はお前のトレーナーになると決めたんだ。」

「…どうして。」

「お前が俺の生きる希望になってくれると、信じたからだ。…とんでもねぇよな。自分のザマを誰かに託そうだなんてな。…ズルい大人だよ。俺は。」

「ズルくなんて…ない。トレーナーさんは…私を信じてここまで連れてきてくれた。何にもなかった私に…取柄をくれた。」

「それは違う…俺がやったんじゃない。そのチカラは…お前自身が自分で勝ち取ったものだ。」

 

マーシャルは大城の懐で涙を流し続けた。

 

「もっと誇っていい。お前は実力者だって。俺なんていなくてもやっていけるようなヤツだって。」

大城はマーシャルの頭を撫で続けてそういった。

「…嫌だ。…いやだ…いやだ。…そんなの…いや。」

 

その涙に、大城は苛まれる。

やはり…自分は残酷なことをしたと。自覚する。

 

だけど、もう決められた道なんだ。

精一杯今を生きて…彼女を支え続けなければならない。

 

「マーシャル。そうだ。俺はもう長くない。医者からはいつそうなってもおかしくないとまで言われてる。…ごめんな。すまなかった。俺は弱かった。でも。お前にはここで立ち止まってほしくはない。俺は…お前の行く末を見たいんだ。」

 

大城は天を仰ぐ、そこには天井しかないのだが。

 

「自分の歴代の担当が…それも母娘揃って天皇賞を飾るなんて、そんな経験誰ができる?なぁ。最後に俺に見せてくれよ。お前のチカラを、勇姿を。…俺の為に走れなんてこたいわねぇけどさ。でも俺は見たいんだ。…きっと、最後まで見届けたい。」

「う…うぅっ…とれー…な…さん。」

 

 

「天皇賞…絶対に勝ち取ろう…な?」

マーシャルは、大城の懐でこくりと頷いた。

 

 

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