「ま…マーシャルお前…朝帰りしたってマジかよぉ!?」
食堂でトップギアの声がこだまする。
「…まぁ…うん。」
マーシャルは力なくそう答えた。
その顔はどんより暗く、いつも斜め下の目線で、目の前にいる二人でなく、テーブルを見ているようだった。
「そっか…夕べいなかったって思ってたら、トレーナーさんのところでねぇ…。」
モモミルクはお茶を啜りながらそういう。
「…ごちそうさま。」
「え?お前もう食わねぇの?」
マーシャルは席から立ちあがる。
いつもは何度か往復しないと片付かない量の空ドンブリをこさえる彼女だが、今日はたったの一杯だけ。
しきりに何度もため息をついて、いつも明るく振る舞う笑顔も、今日はなかった。
「ごめんね…私、先に行ってる。」
「あ…おう…。」
そしてマーシャルは食堂から去っていった。
「やっぱ、様子もヘンだよな?あいつ。」
「そうだねぇ。」
「…まさかって思うけど、その…何もなかったんだよな?あいつ?」
ソワソワとした態度をギアは隠せなかった。
「うーん、どうだろうねぇ…。大城先生って言っても男の人の家にお泊りだからねぇ…。」
「いや…そんな…あんな生真面目なアイツがそんな大それたこと!」
「でも、案外真面目な娘に限って
「そ…そんなぁ!!G1どころか!
「声が大きいよ、ギアちゃん。」
――――――――――――――
「…そうですか。では、ちゃんと言えたってコトですね。」
「ちゃんと言えた…ってのはアヤシイ表現だな。」
「彼女…なんて?」
「…なんでもっと早く言ってくれなかったのかって…泣かれちまったよ。」
暮れの街角の行きつけのバーに沖野と大城はいた。
彼のお気に入りのウイスキーを、二人はロックで。つまみは暗い話で。
「二度と女を泣かせることはないって、誓ったハズなんだけどな。…やっぱそう上手くはいかんもんだ。」
「…でも、よかった。ちゃんと伝えられたのなら。」
そういって沖野はクイっとロックを煽った。
「何にもよくねぇよ。例え伝えられたとしても、その事実は変わんねぇんだ。…俺はクズだよ。嫁に捨てられたあの日からなんも変わってねぇ。自分のエゴの為に、誰かに業を背負わせて…。」
「そういわないでくださいよ…。貴方がいたから、彼女は。」
二人にシンと沈黙が訪れる。
「…なんで、癌なんだろうな。」
「大城さん…。」
「俺はやっと手に入れたんだ…自分が生きてる実感を。証を。やっと面白くなってきたってのに。やっとその先が見えてきたってのに…。ああ…」
「…死にたくねぇな」
彼がボソっと呟いたときだった。
「…ッ!大城さん!」
沖野がそう驚嘆しながらいう。
「…え?」
大城の頬に、温かい雫が伝っていった。
彼は直ぐにそれを拭う。そして、その雫の正体に気づき、下を向いて笑った。
「ははは…。あーあ。俺もトシ食っちまって涙脆くなっちまったか。」
「…。」
沖野は何も言えなかった。付き合いの長い彼でも、その涙をたったの一度たりとも見たことなどなかった。それなのに。
「こーんな気取ったジャズなんか流してっから辛気臭くなんだよ!マスター!SUM41でも流してくれよ。グリーンデイでもいい。ハデなのを頼むよ。」
「…残念ですが、当店の店内BGMはジャズ専門なんですよ。」
「あっそ…ならコルトレーンでも頼む。」
「ご承知…。」
店内にサックスの色が濃いジャズが流れ始める。
「ロックを流せないのは残念ですが…代わりにこれを。」
と言ってマスターは大城によく磨かれた灰皿を差し出す。
…だが、大城はその灰皿をフンと鼻で笑って、人差し指でツンとつついてマスターへ返した。
「大城さん?」
「…タバコは止めたのよ。」
「え!?あなたが!?」
沖野は思わず目を丸くする。
学園内一のヘビースモーカーである大城。煙草自体が彼のトレードマークであるというほど。そんな彼が煙草を手放すなど…夏に雪が降るようなもの。
「タバコはもうダメです…だってよ。」
それはマーシャルが言った言葉だった。
「酒も今日で卒業だ。」
ウイスキーグラスに入った氷を大城は指で突いてそういった。
「…大城さん。」
一つ一つ彼が変わってゆく。その変化は…哀しい変化に沖野は感じた。
「…そうだ沖野」
「なんです?」
「お前さ。左ハンドルのMT転がせられるか?」
「え?」
そういうと大城は、スラックスのポケットから。あの鍵を取り出す。
「…お前にやるよ。」
「え!?…これって!?」
「俺の愛車…大事にしろよ…なんてな。」
それはポルシェのキーレスだった。
「この間、車動かそうとした瞬間、発作起こしちまってよ。ガンより先に、事故って死んじゃ笑い話にもならねぇだろ?」
沖野はそのカギをとってまじまじと見つめる。その重厚なエンブレムマークが彼には重く感じた。
「今はトレセンの駐車場に停めてあっから、好きな時にもってけ。乗り潰してもいいし、売ってカネにしてもいい。あぁ、名変は自分でやってくれ。」
「…あれだけ、大事になされていたのに。」
「だからお前にやるんだよ。…っていうとカッコつけすぎか?まぁ、気負わなくていい。お前の好きなように、思うようにやってくれ。」
彼のその言動は、まるで死に際に自分の整理をつける人のそれだった。
「まぁ、その代わりっていっちゃなんだけどさ。」
「…何か。」
「沖野…俺に、もしものことがあったら…マーシャルのこと、お前のトコで面倒見てやってくれねぇか?」
「彼女を?」
「ああ…お前のとこなら…あいつも馴染めるだろ。それに、お前んとこ今スプリンター居ないだろ?」
「それはそうですけど…。」
沖野は少しの沈黙の後に口を開いた。
「…やっぱり、そんな約束できませんよ。…あなたにはもっと、生きてもらわないと!…彼女を、見届けてあげてくださいよ。彼女のトレーナーは大城さん、貴方しかいませんよ!」
「…できるんなら、そうしてぇさ。」
大城は残ったウイスキーをクイっと傾けた。
「ダメだ…今日は全く酔えねぇ。」
「俺もですよ…。」
二人の心情を表すかのように、ジャズは静かに終わりを迎えた。
「ポルシェ…ローンとか残ってないですよね。」
「あと1000万くらい…か?」
「え!?」
「ジョーダンだよ、一括で買ってんだから。」
「貴方の懐って…どうなってるんです?」