「大城さんが…亡くなった」
「…え?」
その言葉の意味が全く理解できなかった。
亡くなった…?沖野の言った言葉をまるで消化できない。
その言葉が意味するものとは何なのだろう。
自分が知らないだけで、そういった同音異義語があるのではないのだろうか。
頭の中で一瞬のスパークを張り巡らせたマーシャルは、もうそれ以上何も考えることができなかった。
呼吸を忘れた、瞬きすらも忘れた。ここがどこかすらも忘れた。目の前にいる人が誰なのかも、周りにいる大人たちが誰なのかも…自分が誰なのかも。
彼女は完全に固まった。まるで飾られたマネキンのように、ピクリとも動けなかった。
「表に車を留めてある…来てくれ。」
そういうと、沖野はマーシャルの腕をつかんで記者たちに背を向ける。
「すみません!取材はここまでで!…ウイニングライブも中止させてください!」
沖野はそう叫んで道を開けさせた。
ウイニングライブの中止。
その全くの異例の事態に、会場中が騒然となった。
「おい!どういうこったよ!…今の話マジか!?」
沖野の背中を追いかけるゴールドシップがそう声をかける。
スピカたちはただどうすればいいのかも理解できず、沖野の後につくことしかできなかった。
―――――――――――――――
「…ここだ。」
スーっとスライド式の大きな病室の戸を開ける。新しい病院なだけに建付けは良好のよう、扉の開け閉めには一切の抵抗が感じられなかった。
だけどその扉は少し重かった。そう感じるのは自分自身が生み出す抵抗のせいなのだろうか。
「…沖野、ご苦労。」
秋川はそう沖野に言う。沖野は黙って会釈をした。
「URAには私から断りを入れておいた。事が事だ。仕方あるまい。」
「ええ…ありがとうございます。」
そして沖野の背後から、マーシャルは姿を現した。
自身のレース中にトレーナーが絶命。そのあまりにもむごすぎる現実を突きつけられたウマ娘の顔を、秋川は直視できなかった。
扇子で顔を隠し、目線をそらす。
「…トレーナーさん?」
そこでマーシャルは久しく声を出した。
そして、そこに深い眠りに横たわる自身のトレーナーの下へ、ゆっくり、一歩づつ。
…たしかに大城だ。
間違いない。間違えようがない。
あれだけ時間を共にしてきた存在なのだから、辛い時も、苦しい時も、楽しい時も、嬉しかった時も。
いつも、余裕のある軽い笑みで自分を元気づけようと、励まそうとしてくれた彼の表情がふっと脳裏によみがえる。
…でも、今自分の目の前に居たのは、すっかり血の気が引いてしまい、呼吸や瞬きすらも活動を完全に止めてしまった彼だった。
「…嘘だ。」
マーシャルは表情を変えずにポツンとつぶやいた。
「マーシャル…。」
沖野が声をかける。
「だって…。約束した…んですもん…わ…わたし…しと。だ…だっだっだってま…またあ…明日って!」
ガタガタとマーシャルの声が壊れた機械のように揺れて震える。
そんな彼女を見るのが、周りの大人たちには辛かった。
「先生…そんな…。」
「流石に…ウソ…だよな…小島。」
「…死んじまったら…カッコイイもクソもないんじゃなかったんスか…センセ。」
大城の死に動揺を隠せなかったのは、スピカたちも同様だった。
「ね…ねぇ…トレーナーさん。ほ、ほんとは起きてるんでしょ?だ、ダメですよ…そんなまた私をからかおうだなんて…わた…」
そういって大城の頬に触れた瞬間だった。
彼の肉体が異常な程に冷たかった。
生きているものにとっては、絶対にありえないほどに。
その時マーシャルはようやく理解した。
沖野の言った亡くなったの意味が。
大城が死んだ。そのことだったのだと。
『ああ…また明日…な。』
彼の言葉がマーシャルの脳内に流れ込んだ。
それが終わりなくリピートされ続ける。
その瞬間、マーシャルの呼吸が異常な程に早まった。
全力疾走後のそれとも違う呼吸は、浅く早く繰り返され、自分のかすれた声すらも交じってしまうその呼吸をマーシャルは胸を押さえて必死に吐き出しそして…その場に倒れこんだ。
「マーシャル!!」
「センパイ!」
周りの大人たちが駆け寄る。
マーシャルは目を見開いたまま、手足を痙攣させて、変わらず異常な呼吸を繰り返していた。
近くにいた医師が彼女の容態を診る。
「いかん!過呼吸症だ!ナース!」
マーシャルは駆け付けた看護師や医師たちに連れられて病室を後にする。
その中でも薄れていく意識の中で叫び続けた。
嘘つき…嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき!
嘘…ばっかり…ずっと…あなたはずっと…そうなんだ。
私は…これから
どうすればいいんですか…?
――――――――――――――――――
『…百孔千瘡の身でありながらも、最期の刻まで刻苦精進し、我がトレセン学園引いては我々ウマ娘たちの為に尽力を賜った大城白秋教官へ、我々が持てる最大限の感恩報謝と敬意の念を以て…黙祷。』
その日、いつも賑やかで明るいトレセン学園は静寂に包まれた。
この学園でも一際目立つ存在であり、生徒からの人気も厚かった大城教官。その訃報が学園内を震撼させた。
彼と親しかった生徒も数多い。
そんな彼が、たった一夜にしてこの世を去った。
そのショックは生徒たちにとって計り知れないものとなった。
…ウソだよ…先生。
…だって!この間まで、あんなに元気だったじゃん!
…やっぱり、あの噂って本当だったのかな…。
…噂?
…先生、重い癌に罹ってたんだって…だから教官も辞めたって。
…どうして。
「お゛お゛し゛ろ゛せ゛ん゛せ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!゛!゛!゛!゛そ゛ん゛な゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛!゛や゛だ゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛」
「しっかりしろ!チケット…」
そういってビワハヤヒデは座り込んで立ち上がることのできないウイニングチケットの腕を、自身も目尻を赤く染めながら優しくとった。
ナリタタイシンも、沈黙を貫いたままチケットの手を握った。
「ありえねーし…マジ…ありえねーし!!ありえないよ…大城っち…大城っぢ!」
「大丈夫だよヘリオス…大丈夫だからね…きっと、ヘリオスには笑ってくれたほうが…先生もきっと喜ぶよ…。」
メジロパーマーはダイタクヘリオスを優しく抱きしめながら、止まらない涙を押し殺して彼女に語り続けた。
「先生に…きっと私の一番トロフィー見せてあげるって…約束したのに…うっ…せんせぇ…うえええぇぇ!!」
「ウララさん…気を確かに。大丈夫…きっと先生も、天国からウララさんのことを応援してくださってる筈よ…。」
『牽衣頓足…。私たちは敬愛すべき存在を亡くした。彼が私たちに掛けたその想いを、時間を、愛を、思い出を、私たちは無下にすることはできない。残された者として、私たちができることは、今日という日を慈しみ、今という時間を噛み締めて生きることだ。それが何よりの弔いになる。彼を…心から送り出してあげよう。』
…そして、シンボリルドルフは校内放送を切った。
その瞬間にらしくもない大きなため息をつく。
「会長、お疲れ様でした。」
「ああ、エアグルーヴ。ありがとう。…まさか、こんな放送をしなくてはならない日が来るとはね。」
「しかし、会長は立派に全うされました…。」
「立派に…か。エアグルーヴ、立派とはなんなのだろうね。」
「え?」
「…。いや、忘れてくれ。新しい冗談さ。」
そういってルドルフはエアグルーヴを通り過ぎて放送室を後にした。
――――――――――――
その日のトレセン学園には、涙の落ちる音ばかりが共鳴しあうように鳴り響いていた。
ただ、そんな中。
たったの一粒すらも涙を落とさないウマ娘もいた。
「…なぁ、マーシャル。…ごめん、こんな時、お前になんてったらいいかわかんねぇけど…大丈夫か?」
トップギアがマーシャルに声をかける、その言葉選びはいつもより慎重になる。
「…うん。大丈夫。」
そんなギアの問いにマーシャルは淀みのない声で答えた。
その表情は、哀愁の瞳を持ちながらも、全く崩れない無表情だった。
…どんなに苦しくても、辛くても、仲間への笑顔は絶対に忘れなかったマーシャル。
だがその日から、マーシャルに一切の笑顔が消えた。
―――――――――――――――
トレセン校舎裏の物置近く。
そこにエアグルーヴは居た。
ここの校舎壁際に背を預け、校内喫煙を行っていた大城を何度取り締まったことだろうか。
だが、もうここにその常習犯はいなかった。
エアグルーヴは彼と同じポジションへ、壁に背を預け、腕を組む。
「…たわけ者め。私たちを置いて…勝手に。」
そう誰にも届かない声で呟いた時。
「何をしている?」
はっと顔を上げて振り向く。そこにいたのはナリタブライアンだった。
エアグルーヴは預けていた背を離す。
「…別に、何も。…そういう貴様は?ここで何を?」
「…別に…何も。」
そういってブライアンはエアグルーヴに背を向けた。