7s Sprinter   作:マシロタケ

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昔話

コツコツ…と一人のウマ娘が花束を持って、廊下を静かに歩んでいく。

 

目的地である彼のトレーナー室はお世辞にもアクセス良好な場所にあるとは言えない。

トレーナー室が並ぶ廊下の突き当りだもの。

だけど、その距離というのがなぜか今は妙に心地よかった。

 

早く目的地に着くよりも、こうして床を踏みしめ続けて、彼との記憶を、軌跡を辿るように。

 

だが、もう気が付けば目的の場所は目の前だった。

以前ならば何の気兼ねもなく開けられたというのに、なぜか今は幾分の気後れを感じてしまう。

 

…らしくないな。と自分自身に言葉をかける。

彼を心から送り出してあげようと言ったのは自分じゃないか。

 

こんなところで自分が立ち止まってどうする。

彼の為にも、彼を喪い悲しみに暮れる者たちの為にも、私が歩みを止めてはいけない。

 

と彼女は戸を開けた。

 

…どうやら先客がいたようだ。

その対面式のソファーの下座に鎮座し、相手のいない上座をただただぼうっと見つめている。

 

「…やぁ、やはり君はここにいたんだね。マーシャル。」

その言葉は彼女に届いているはずだろうが、それでも彼女は振り向かなかった。

 

そうして数秒立って、首だけをこちらにそっと浅く傾けて、その相手が誰なのかを確認する。

 

「…会長さん。」

「私は邪魔だったかな。」

「いえ…。私ももうすぐ出ていきますから。」

「そうかい…。」

 

そうしてルドルフは持ってきた花束を両手に携え、菊やカーネーションを始めとした色とりどりの花々たちを愛でた。

 

「…エアグルーヴが生けてくれたんだ。夜更かしまでしてね。」その花束には『親愛なる大城教官へ、生徒会一同より』と書かれた小さなメッセージカードが、花の群衆の隅にこっそり隠れるように。

 

彼のメインデスクに目を向ける。

机上からはPCやモニターなどが一切なくなり、代わりに彼へ手向けられた花束たちが覆いつくしていた。

よく見てみると、花束だけではない。彼が生徒たちに餌付けと称して分け与えてた菓子を今度は彼に向けて。

その他にも、『大城先生へ』と書かれた沢山の手紙や寄せ書き、彼の同僚の教官やトレーナーたちが置いていったのであろう、彼のお気に入りの銘柄の煙草が積み上げられていた。

 

その賑やかな机の上に、ルドルフはそっと花束を崩れないように置き、目を瞑って10秒間ほどの黙祷を捧げた。

 

「…先生。」

と静かに。背後にいるマーシャルにすら届かない声でつぶやく。

 

そして顔を上げてふとマーシャルがいるソファへ目を向けた。

 

そこにいた彼女は、瞳から輝きが完全に消えてしまい、その焦点がどこに合っているのか、何を見ようとしているのか、ルドルフにもわからなかった。

 

そんな彼女に、ルドルフは花束から一本だけリンドウの花を取り、彼女の目の前に置いた。

 

「愛別離苦…。彼との別れは身を割かれる程の思いだろう。会者定離というように、出会いには必ず別れがある。…と、こんなことを言っても、君の慰めにはならないだろうけど。…私も同じ思いだよ。」

そういいながら、ルドルフはマーシャルの対面、上座に座った。

 

「最期まで…困った人だったね。急に教官職を辞すると言い出したかと思えば、トレーナーに返り咲き、君という逸材を育て上げたかと思えば…。別れもなく去っていった。いくら私でも、彼という存在は本当に読めないよ。」

クスっとルドルフはマーシャルに笑みを見せた。…だが、彼女の表情は相変わらずだった。

 

「一つだけ、昔話をいいかい?」

ルドルフは言う。その言葉にようやくマーシャルが少し顔を上げた。

 

「君はあの中庭の洞に向かって叫んだことはあるかい?」

ルドルフは肩越しに中庭への窓を見る。

 

「え?」

「私はあるんだ。たった一度だけ。」

 

―――――――――――――――

 

当時の私は皐月賞に日本ダービーを制し、菊花賞を残してクラシック三冠へ手をかけていた。

 

日本史上初無敗の三冠。その時私にかけられていた期待と圧は重厚だった。

連日のように記者たち追われ、周りの者たちからは並々ならない期待を寄せられ続けた。

 

私は皆の期待に応えようと、皆を失望させまいと、どんな時も気丈に振る舞い続けた。私は強くあらなければならない。私は絶対でなくてはならないと。自分に鞭を入れ続けた。

 

だがそれは長く続かなかった。自分を強く見せようとすればするほど、自分の中の何かが解れるような浮つくような妙な感覚が襲った。

 

それでも私は、その微かに見え隠れするような不安を押し殺し続けて、振る舞い続けた。

 

でも、彼はそんな私を見透かしていた。

 

『貴方に私の何がわかる…!』

その時の私はまだ幼かった。自分の内なる弱さを認めることを恥だと思っていた。

だから、私は彼に強く反発した。

 

『ジブンのことをわかりきってねー奴が、この世界のアタマ張って生きていけるほど甘くはねぇ。テメェの本音に目を背けるな。』

『…私は、皆の期待に応えなければならない!今まで支えてくれたトレーナーや仲間たちやファンの為にも、私にはその責務がある。内なる弱さなど…単なる私の甘えだ…!』

『期待に応える為に…ねぇ。お前はいつからそんな退嬰的なヤツになった?』

『退嬰的…?聞き捨てならない言葉だね。』

『お前が今並べた耳障りのいい言葉たちは、お前自身を前に導いてんのかって聞いてんだよ。俺はその期待に応えるっつーのがワカンネーんだ。お前は誰の為に走るんだ?お仲間サン達の為か?東条の為か?』

『…。』

『期待されてる。だから走る。なんてこた、ただ日和った野郎の言い訳にしか聞こえねぇのよ。お前はチャレンジャーだろ?期待されてんじゃねぇ。試されてんだよ。お前が本当に無敗の三冠ウマ娘として、その名を語る覚悟があるのかってな。』

 

誰かの為じゃない。自分の為だ。

そんな簡単な理屈を、私は見失っていた。

 

『保守的になるな。いつまでもチャレンジャーであり続けろ。貪欲に、恐れを知らず。無敗なんてのは…ただのオマケみてぇなもんさ。お前の本当に目指すところは…その先にあるはずさ。』

『…貴方は痛いことを言う。どうしてくれるんだい。折角、纏まりかけていた私の気持ちが、また四分五裂する。』

『ならもう一度組み立てればいい。使えるモノなんでも使って。』

『使える物?』

『ついてこい』

 

その時彼に連れられてきたのが、あの洞だった。

 

『使ったことは?』

『…ないね。』

そうすると彼は、その洞の両端をつかんで。

 

『チキショウ!!エボのエンジンがブローしやがった!!この間軽量フライホイール組んだってのによぉおお!!!』

と叫んだ。

 

『…何を。』

『お前も叫んでみろよ…使い方わかんねぇか?』

『私は…』

『いいじゃねぇか。お前の本音に、ちょっと会ってこいよ。誰にも聞かれねえなら今のうちだぜ?』

 

私はふらふらと何かに導かれるように、体が勝手にその洞に向かった。

そして私は…何かを叫んだ。何を叫んだのかは覚えていない。

でも確かに、その日、その時に、私は本当の私を知ることができた。

 

そして菊花賞。不安なんてもうなかった。

私は私の為に、私であり続けよう。この賞は、私の誓いのレースになった。

 

 

―――――――――――――――

 

「陳腐な表現かもしれないが、彼の言葉は、私の中で生き続けている。君の中にもきっとあるはずだ。彼の言霊が。…。共に乗り越えよう。不安なら、私が手を取る。」

マーシャルはルドルフのその凛々しい表所を見た。だがその視線をまたゆっくり下げていく。

 

「ありがとう…ございます。でも、私は一人で歩きたい。私は一人で…大丈夫だって、トレーナーさんに…見せてあげないと。」

そういってマーシャルはふらっと立ち上がる。

 

「…焦ることはないよ。傷を癒す為には時間が掛かる。」

「それ…でも…ッ!」

マーシャルは胸で大きく息をした。

 

「…天皇賞、トレーナー不在の中でも、君は出るのかい?」

「トウゼンですよ…私たちはそれの為に…走ってきたんですから。トレーナーさんはその為に…命を削って私を育ててくれたんですから…。」

手で強く拳を作り、顔をゆがめる程に歯を食いしばってそう言った。

 

その黒い何かがベールのように纏う彼女に、あの優しい面影はもうなかった。

 

「私は…勝ちます。自分と…トレーナーさんの為に。…この命を捨ててでも。」

マーシャルの非常にらしくもない発言に、ルドルフは思わず顔を歪めた。

 

「…君からそんな言葉は聞きたくなかったよ。命を捨てるなど、軽々しくいうものじゃない。その辛さを一番理解しているのは君だろう。」

「…はい。…ごめんなさい。」

 

そういってマーシャルは大城のトレーナー室を去っていった。

 

カツカツカツ…マーシャルはそう足音を立てながら、何かを急くように歩いた。

そして急に

「…っふ。…ひひ…ふ…ふ。」

と淀んだ表情のまま、細く笑い出した。

 

そして顔を両手で塞いだ。

 

「ああ…ダメだ…なんか私…おかしくなっちゃってるかも…。」

 

それでも、その笑いは止まらなかった。

 

 

―――――――――――――――――――

 

一人トレーナー室に残ったルドルフは、マーシャルに手向けたリンドウを回収し、それをもって大城のデスクの椅子に座った。

 

「…先生。私の最後の願いだ。…彼女を護ってあげてくれ。貴方にしかできないよ。」

 

そんな彼女に、そっと秋の風が吹き込んだ。

 

 

 

 

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