「マーシャル?」
「ああ、どこにいるか知ってるか?」
トレセン学園の園内、少し怪しい雲が空全体を支配する。
まもなく大雨が降りそうだ。それは天気予報を見るまでもないほどに明瞭だ。
ある一角の教室。
沖野はそこでマーシャルの親友であるトップギアとモモミルクにマーシャルの所在を尋ねる。
最近の彼女、時間が空くたびに行方を眩ます。
練習場にも現れず、大城のトレーナー室にも現れず、寮にいるのかと思えばそこにもいない。むしろ最近は門限スレスレに戻ることが多いのだそう。
そしてほぼ誰とも口を利かずに、授業が終わればまるで幽霊が姿を消すかのように、学園から居なくなってしまう。
そんなマーシャルの状態を危惧した沖野は彼女との接触を試みようと考えたが、
行方が分からないのでは打つ手はない。
「マーシャルか…俺たちもわかんねぇんだよ。」
ギアは視線を下げてそういう。
「そうか…。」
沖野もそう俯いた。
「なぁ、スピカのトレーナー。あいつ、どうにかしてやれねぇのかな。」
「え?」
「最近のあいつ、もう完全にヘンなんだよ。俺たちとも話さなくなって、ガッコー終わったらすぐに消えちまって、寮に戻ってきたと思ったら…ケンカでもしてきたのかってくらいボロボロになって。」
「そうだったのか…。」
「心配なんだ…。このままアイツ天皇賞出たら、本当に壊れちまうんじゃないかって。」
「やめてよ…!ギアちゃん。」
そういってモモはギアの肩を掴む。
「…わかった。俺が様子を見てくる。場所はなんとか探すよ。」
「俺も行く!」
「いや…お前たちはここで。ここからは大人の仕事だ。」
そういって沖野は彼女らに背を向けた。
――――――――――――――――――
…ううん。知らない。
…うーん。わからないなぁ。
…さぁ?練習場にいないの?
…学園にいないんなら、外とかじゃない?
…そういえば、その娘前にほら、ライスちゃんと話してなかった?
「本当か?」
「え、うん。何話してたかまでは知らないけど…あ!おーい!ライスちゃーん!」
そういってそのウマ娘は沖野の背後の存在に向かって手を振る。
「ふぇ?な、なんですか?」
そこにいたのは、妙におどおどした態度を隠せない、気弱そうに見えるウマ娘。
だが沖野は侮らない。そのマスクの下に秘められた本当の顔を彼は知っているから。
マックイーンもそれにやられた。その記憶は未だに新しい。
「え?あれ?あ…スピカのトレーナー…さん。」
そういってライスシャワーは後ずさる。
「ま…また…私を誘拐して…縛りにきたんですか?」
「あ!ち!違うって!」
そう沖野はライスを宥める。
「なら…いいんですけど。」
あいつらにはもっとやり方を考えさせねばと沖野は頭を掻く。
「それで何の御用ですか?」
「ああ、お前この間レッドマーシャルっていう娘と話をしたか?」
「え?レッドマーシャル…?」
「ほら、この間訪ねてきた中等部生の娘だよ!」
と、クラスメイトが補助を入れる。
「ああ…あの娘。確かにちょっとお話しましたけど。」
「なんの話を?」
「えっと、確か、一人でトレーニングできる場所を紹介してほしいって。」
「一人で?」
「はい。私、大きな賞の前に集中してトレーニングしたい時によく使う場所があるんですけど、そのことを風の噂か何かで知ったみたいで、教えてほしいって。」
「それは…どこに?」
―――――――――――――――――
古びた廃校の昇降口前に広がる小規模なグラウンド。
それはトレセンの練習場の比にならないほど狭く、手入れをされていない路面コンディションは最悪だった。
だが、そこにいた。
マーシャルは。
ぽつぽつと雨が落ちてくる。
沖野は事前に用意した傘を手にはしているものの、それを開けずにいた。
雨が落ちてきていることはきっと彼女もわかっているだろう。
それでも彼女は走る足を止めなかった。
必死に腕を振り続け、足を上げ続け、はち切れそうな肺を何とか押さえつけながら、前に前に進み続けた。
コロン…。
沖野の足元に何かが当たる。それはスプレー缶。
酸素吸入器だ。よく見てみると、一本だけではない。
何本も何本も。大人数を抱えるチームでも、これだけの酸素吸入器は使用しない。
「マーシャル…。」
その時、マーシャルがバタっと倒れた。
「!」
沖野はすぐに彼女に駆け寄ろうとしたが、彼女は地面に這い蹲ったまま、まるで獰猛な猛獣のように荒々しい息を何度か吐き出すと、立ち上がってまた走りだした。
倒れたのは、きっとさっきのそれが初めてではないのだろう。
彼女の体は既にボロボロだった。顔も、体操着も、手足も。
それは最早トレーニングという名の自傷行為に等しく見えた。
「マーシャル!」
あまりの彼女の姿を見かねた沖野はマーシャルを呼び止めた。
「…沖野さん。」
激しく体を揺らしながら呼吸をする彼女は、ようやく足を止めて沖野の方を向いた。
「こんなトレーニング…あまりにも無茶だ。」
「無茶をしなきゃ…私はダメなんです。」
そういってまたマーシャルは走り出そうとする。
「止せ!こんなこと続けてたら、体を壊すぞ!」
「…いいですよ。壊れたって。それで勝利が手に入るのなら。」
「そんなこと…大城さんは望まない。」
「私のワガママなんです。沖野さんは気にしないで。」
いつもの丸く優しい瞳は影を潜めていた。その代わりにエッジの利いた鋭い目つきが今の彼女にはあった。
「そんなわけに行くか。…俺は、大城さんに託されたんだ。君のことを。」
「…。」
「トレーナー不在の中の、一人でのトレーニングは非常に危険だ。俺や…いや、俺じゃなくったっていい。正しいトレーニングを積むためには…誰かに付いてもらう必要がある。」
そう諭すように言った。
「…。ごめんなさい。でもダメなんです。私のトレーナーは…大城白秋トレーナーなんです。この天皇賞が終わるまでは…あの人の担当でいなきゃダメなんです!」
ぽつぽつとふった雨が大粒の勢いのある大雨に豹変した。
「沖野さんは…スぺちゃんのトレーナーさんでしょ?ダメですよ、私に構ってちゃ…スペちゃんだって、本気で来るはずだから!」
そういってマーシャルはまた、土砂降りの路面を駆け出した。
バアンッ!!と近くで雷が落ちる音がした。
それでもマーシャルは意にも介さなかった。
―――――――――――――――――
「それで、止められなかったワケね。」
「ああ…俺はどうしたらいいんだ。おハナさん。」
東条は肘をついたまま、ウイスキーグラスを傾ける。
「…。ねぇ。このままあの娘を止めてあげることって、正しい事なのかしら?」
「え?それってどういう。」
「私もわからないから訊いてるの。…今まで色んな娘を見てきた。走る意義も理由も価値も様々で、その一瞬の為なら全てを捨てる覚悟をしてる娘なんてザラよ。…いくらトレーナーといっても、所詮私たちは外野から見てる大人。その娘の本当の信条やそのレースに掛けている重さなんて到底理解できっこない。止めてあげることは簡単。でも、それで100%で挑めなかったとき、その悔やみを処理するのも、またその娘なのよ。」
「…じゃあ、止めないほうがいいってコト?」
「だからわからないって言ってるでしょ。…止めるのも止めないのも、所詮は大人のエゴ。…エゴイズムを汲まない指導を。それが私のトレーナーとしての理想像。だけど、恐ろしく難しいのよ。」
そういって東条は立ち上がる。
「ご馳走様、今日は奢ってあげる。だから少しは背筋伸ばしなさい。」
それでも沖野は項垂れていた。
「…でもそれで、マーシャルにもしものことがあったら、俺は大城さんに顔向けできねぇよ。」
そう呟いたとき。
パシンッ!と東条は沖野の背中を叩いた。
「いっつ!」
「オトコがクヨクヨしてんじゃねぇ。そんな情けねぇサマ、テメェの担当に見せるつもりか?…ってあの人ならきっとそういうわよ。じゃあね。」
カランカランとドアのベルと共に、東条は去っていった。
(…妙に似てたな)