18戸のゲートが、各々のウマ娘たちに対して道を切り開く。
阻むものが無くなったその世界へ、18人のウマ娘たちは一斉に狂気渦巻く勝負の世界へと流れ込んでいく。
その世界に絶対はない。この場所で幾千もの最強と呼ばれた猛者たちが散り、誰も見向きすらもしなかった娘が一瞬にしてスターに成り上がった。
マーシャルもその中の一人だったハズだ。
勝負の世界に身を投じ、栄光を確かに掴んだハズだった。
そして新たなるステージで、新たなる自分への挑戦をする彼女は、美しく、勇ましく、逞しい姿であるはず。…そうであるはずなのだ。
だが、そこにいた彼女に…そんな言葉たちは似つかわしくなかった。
幾度となく夢にまで見た天皇賞。
何度も倒れながらようやく辿り着いた母の背中。
そんな光の世界に、夢の世界に、希望の世界に、彼女は立っている筈なのに。
何故彼女は、ここまでにも哀しいのだろう。
何故ここまでにも、光を拒むのだろう。
何故ここまでにも…悍ましいのだろう。
18人、それぞれに絶対勝ちたい理由はある。
その価値はそれぞれだ。自分の夢の為。大切な人のため。仲間の為。名声の為。
彼女の想いは一体どれに属するのだろう。
稀に変わった理由を持つ娘もいる。
それは滅多に目にすることはないが…一目見れば大抵わかる。
…絶望を払拭するため。
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『さぁゲート解放!各ウマ娘…おおっと!』
実況が思わず声を上げる。
観客たちからも、どよめきが。
『レッドマーシャル!わずかに出遅れ!これは痛い展開です!』
『やはり大きく掛かっているようです…厳しさがやや目立ちます。』
『さぁこれは苦しい展開だ、先頭はスパンアーク!後方につくオークストリームを牽制しています!陰から狙うかテクノイニシャル!彼女の差しは光るか?…少し離れて中団スペシャルウイーク堅実な走りでポジションを固めていきます』
『ポジションセンス、光ってますね!』
…終わったな。マーシャル。
…最後まで悲惨だったな、ちょっと同情しちまう。
…マーシャルが出遅れたの、初めて見たぞ。
…スパートもそうだけど、スタートダッシュのセンスもウリだっただけになぁ。
…まだわかんねぇだろ!?2000mだぜ!?
…だけどまぁ、あの出遅れで巻き返しは相当キツいぞ…それこそ、体力ジマンのあるやつでもなきゃな。
「マーシャル…ちゃん…」
「肩落とすなよ…田原。勝負って…現実ってそういうもんなんだ。悲しい思いをしたやつが勝つなんてことは、映画の中だけだ。それよりもちゃんとあの娘が走り切れることを願うべきじゃないのか?」
「…ああ。」
「もう…いいんだ。マーシャル…頼むから、無事に走り切ってくれ。」
「お父さん…」
「出遅れたぞ、タマ。」
「ホンマやな…」
それでもタマモクロスの表情は変わらない。
オグリキャップの問いかけに対しても、まるで当たり前のことを聞かされているかのように。
「…不思議だ。これで終わった気がしない。」
「気ぃせんちゃうわ。…まだ終わっとらん…いや、始まってもおらん。それだけや。」
「ッ…」
スピカたちはマーシャルのその出遅れに対して、思わず目を背けた。
当然だ。こんな精神状態でまともな勝負ができるハズなんてない。
マーシャルのことを信じているでも…信じるだけじゃどうにもならないことだってある。
「お前ら…どこ見てんだよ。ほら、スぺが頑張ってんぞ。」
ゴールドシップの目線にはスペシャルウイークしかいなかった。
「ねぇ…ゴルシ。」
「ウジウジ言うな。これは勝負なんだ。どんな結果が待ってようとも。あの着順表に映ることが全てだ。お前らがイチバンよくわかってんだろ…おらー!スペー!ペース意識しろよ!」
「…スペちゃん!がんばれ!!」
「スペシャルウイークさん!その意気ですわ!」
スピカにようやく灯がともる。どんなに非情であろうとも…今のスピカの主役はスペシャルウイークなのだ。マーシャルは…敵なんだ。
――――――――――――――――――
『さぁ第2コーナー抜けてバックストレッチに入る。先頭は依然スパンアークが牽制その背後少し乱れたかオークストリーム、先頭集団に紛れ込んできたハイゲインスタック!三つ巴の展開!…と?』
実況がいつも淀みなく俯瞰した事実を観客に伝えられるのは、長い経験とある程度の予測展開が見えるからなのだろう。2秒先の未来を予測しながら言葉を流す。その声に安定と自信があるのは、その予測が破錠しないという確信があるから。
マーシャルは確かに出遅れた。だが、注目の娘が出遅れてしまうことは長い歴史のなかでもさして珍しい話ではない。実況もその光景は幾度となく目にしているからこそ、彼女の出遅れに触れながらも、いつも通りの実況をこなす。
では仮に、その長い経験の中でも目にすることのなかったことが起きたら?
それが予測の範疇を大きく超える出来事だとしたら。
…思わずおっと感の詩を詠うかもしれない。
-7.000-
会場がざわめく。
これは一波乱…あるのかと。
「…始まったで、オグリン。」
「だな。」
『レ…レッドマーシャル!後方から走りが変わった!…ッ!なんてことだ!中団に
向かってその差をグイグイと!』
『これぞ彼女のスパートの神髄!これはひょっとすると…?』
『だが早すぎます!…彼女の所在はまだバックストレッチ!…あまりにも早すぎるスパート!!彼女のスパートは限定的!これは…持つのか!?』
遥か後方から中段に群れる集団へ、大きな影が忍び寄る。
何かが来た。誰かがじゃない…何か、が。
-4.226-
『出遅れのハンデを埋めるのか!?シンイライザーを抜いて…スペシャルウイークに迫る!』
(マーシャルちゃん…!)
スペシャルウイークにも、その大きな影が迫った。
…初めて彼女に会った日を未だに覚えてる。
ちょっとおどおどしてて、みんなの圧とか、大城先生に振り回されて。
それでも、一生懸命に頑張ろうとする姿とか、諦めないでいっつも前を向くその強い心に…私も頑張らなきゃって思わされた。
お話してみると…とっても優しい娘で、思いやりがあって、私に負けないくらいいっぱい食べて
すごく…太陽みたいに明るい娘だった。
でも…私の横に今並んだこの娘は…果たして同じ娘なんだろうか?
私の知ってるマーシャルちゃんは…こんなのじゃない。
これじゃあ…まるで。
『レッドマーシャル!スペシャルウイークを抜いた!さらに加速を続けるか!?』
『今までのスパートと…何か違うように感じます…ッ!』
マーシャルのそのスパートは…確かに7秒の制約の下行われていた。
だが、その中身は大きく異なる。
大城と共に調整した2000m用にチューニングされた限界領域にギリギリ踏み込まないスパート…などではない。
スプリント…否、それをも超える程の120%状態の、文字通り全身全霊のスパートだった。
スペシャルウイークは抜かれざまにその背中を見た。
かつてブロワイエと対峙した彼女は、その時の印象を未だに強く覚えている。
まるで光を従えるほどに神々しい背中…。今思い出しても、それは明瞭だった。
簡単に言えば、今のマーシャルの背中はその真逆だった。
その背中はあまりにも暴力的で、儚く、哀しく、まるで猛毒を打たれた龍が身を捩って最期の大暴れをするかのように。
もっと簡単に言おう。
今のマーシャルは
暴走状態だった。
「…唯一抜きんでて並ぶ者なし。彼女のスパートは、唯一それを体現している。」
「まったくね…でも、大丈夫?あの娘の走り、何も裏付けがあるように感じないわ。まるで自暴自棄、7秒限定なんですって?…ならそれなりの運びがなきゃいそれを生かすことはできない。スパートを使いきってもまだ中団…結局それは彼に捧げた最後の花火。どかんと綺麗に光って…後は儚く散っていくだけ。」
マルゼンスキーはそっと手を伸ばす。
「でも本当に綺麗…7秒の制約なんてなければ、もっともっと光輝けたのでしょうに。」
「いいや…7秒だからこそ意味がある。私はそう思うよ。」
「ふぅん…お姉さんにはわからないなぁ。」
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-1.223-
ああ…終わっちゃう。
-0.957-
どうしよう。
-0.569-
まだ…前の娘に届かないのに
-0.296-
終わっちゃう
-0.155-
終わりたくない
0.058-
だったら…7秒を破ってでも…
-0.025-
『7秒だ。…7秒は守れ。全体を走りきるためでもあるし、なによりお前自身を守るためだ。』
…トレーナーさん。それじゃあ私…勝てないよ。
やだ…そんなの…いやだ。
私は…どうしたら…
彼女に纏った禍々しい炎は…弱っていった。
こんなとこで…終わりたくないよ…。
-0.000-