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user - Hakushu
待ってて…私も今…そっちに行きますから。
少女は駆け出した。
その優しい影に向かって。
ずっとあなたに会えることを望んでいた。
あなたに会えるのなら、どんな苦痛にも耐えられた。
あなたに…会えるのなら。
私は戸惑わず…そっちの世界へでも。
『…だめ!』
…え?
誰かが彼女の腕を掴む。
なぜ?…ここには誰もいないはずなのに。
…離して!私!行かなきゃいけないの!…あの人が…待ってるの!
だから!…だから!
それでもその腕は離してくれなかった。
『ダメ!…行っちゃダメ!!』
その声が随分と懐かしく、心に響く。
最近までこの声を聞いていた気がするというのに、一体誰の声なんだろう。
……
…
ああ、そっか。
スペちゃん
やっぱりあなたは…ヒーローだったんだね。
…トレーナーさん…私は。
彼女はその影に向かってもう一度つぶやいた。
その時、また優しく懐かしい声が彼女の心に聞こえてきた。
『お前がこっちに来るには…まだちっと修行がたんねーな。』
…また、イジワルですか?
『さーナ。…ほら、お前を待ってるヤツらが山ほどいんぞ。こんなオヤジのとこに来るのは、最後でイイ。』
でも…私はあなたに会いたい。
『マーシャル…俺たちの合言葉はなんだ?』
合…言葉?
…あれ?
私たちの…
合言葉は…
......................
.................
............
........
.....
...
..
.
「…ゲッッホ!!!あッツ!…ゲホッ!!ガァッ…!…はぁ…はぁ…?あれ…?」
「…マーシャル…ちゃん?」
「スペ…ちゃん?」
天を仰ぐように大の字に倒れていた彼女の視界に、ある少女の顔が映し出される。
それは…大事な友達で、絶対的なライバル。
でもなぜか、さっきまでずっと一緒に走ってたハズなのに、随分と久しく会った気もする。
「よか…った…よかった…」
そういうと彼女は顔をくしゃくしゃにしながら、マーシャルを抱擁した。
遅れて救護班の姿が見え始める
まだ頭がクラクラとふわふわとする。体の末端が上手く動かない。
それでも彼女は…生きていた。
『レッドマーシャル!ええ…中継の様子ですと、わずかに受け答えをしている模様…ああ!意識があるようです!レッドマーシャル、ゴールイン直後に倒れ意識不明の状態、現場に居合わせた関係者の話によると呼吸が止まっていたとの情報もありましたが…えー今救護班の担架によりレース場から担ぎ出されます。えー今入った情報によりますと意識はある模様。しかし精密検査を要する必要があるとのことです。』
実況から女性のアナウンスに切り替わる。
『会場のお越しの皆様にご連絡を申し上げます。天皇賞(秋)を出走しました1着9番レッドマーシャル選手ですが、重篤な身体不良の為予定されていたウイニングライブの中止が決定となりました。皆様へのご迷惑並びに…。』
――――――――――――――――
…。あれから私は丸2日ほど眠っていたらしい。
ひどくお腹がすいている。
未だにアタマの整理が追い付いていない。
話によると…私は秋の天皇賞…ちゃんと勝ったらしい。
でもその実感は全くない。
というかそもそも…あの日自分が何をしていたのか、記憶が曖昧だ。
気が付いたら病院にいた。
両親と病院の先生にはひどく叱られた。
お母さんは『あなたまで居なくなったら…私…』と私を抱きしめながら泣いていた。
私が強くなれば、お母さんは喜んでくれるはずだと思ってたのに、なのにまた悲しませてしまった。
それからしばらくして、スピカの皆やギアちゃん、モモちゃんがお見舞いに来てくれた。
沖野さんは、私に『無事でよかった…すまなかった』と言った。
どうして沖野さんが謝るのか、私には理解できなかった。
そしてゴールドシップさんを始めとしたスピカのみんなが私を元気づけようと色々な催しをしてくれた。
メジロマックイーンさんとよく似たウマ娘の神様がやってきて、未来の私が活躍していることを予言してくれた。なんでもフランスのパリジェンヌ杯というレースで私が走っているらしい。そんな賞…あったんだっけ。
そしてギアちゃんとウオッカさんの即興コントとか、テイオーさんのテイオーステップ講座だとか。
私を励まそうといろいろしてくれた。
そのあとにも、バクシンオーさんや会長さん。オオシンハリヤーさんやジンさんの家族が来てくれて。
ベテルギウスの人たちも来てくれた。
うれしかった。
こんな自分自身を投げ出してしまって、皆を心配させた私を、皆は優しく受け止めてくれた。
本当にうれしかった。
でも。
…。
私は確かに栄光を掴んだはずだ。
何度も夢に描いた天皇賞。出走だけでなく、その勝利を私は手中に納めたはずだ。
そして、周りにはそんな私を祝してくれる仲間たちもいる。
幸せだ。
こんな情景を…喉から手が出るほどに欲したはずだった。
それは叶った。
これ以上ないくらいの幸せが、私の手に入った。
確かに夢は叶った。
でも…なぜなんだろう。
どうして?
こんなにも満たされないのだろう。
―――――――――――――――――――――――
「失敬!」
と病室の戸がゴーッと音を立てて勢いよく開く。
そこから現れた小さな少女、もとい学園内最高峰の権威ある女性。秋川理事長。
その傍らには、何かを抱えているたづなの姿もあった。
彼女らは、座ることもせず、扇子を靡かせながらマーシャルに言う。
「暫く様子を見にこれずすまなかった。…調子はどうだ?レッドマーシャル。」
「はい…私は大丈夫です。」
「そうか、退院の日も近いと聞いておる。…天皇賞、見事な健闘だった。」
「ありがとうございます。」
「しかし…」
そういったところで秋川は言葉を切った。
数秒何かを考えこんだのちにもう一度口を開く。
「…レースをするものたちに対し、無茶をするなという文言は適切でないのかもしれん。皆が掛ける思いは強い。そのことを言ってやる方が無理なのかもしれん。…だが、自分自身は大切にしたまえ。彼の為にも。」
「はい…すみませんでした。」
「うむッ!ならば、説教はここで終わりだ!…たづな、例のものを!」
「はい!」
そういってたづなは大事に抱えていたその箱を、マーシャルへ。
それは厳重に固められた、厳格な空気を醸し出す。一切のシワやヨレすらも許さないその箱には。URA文言と共に『天皇賞(秋)』と記されていた。
「本当は退院を待つべきかとも思ったが、日が空かんうちがよかろう。」
そしてマーシャルはそっとその箱を開ける。
その中からは。
…天皇賞(秋)の盾。
もう今更いうことなんてない。
小さいころから、何度もこの盾を見て育ったんだもの。
だけど、その時と決定的に違うのは。
この盾が…自分のものということだ。
それを手にしたときに、彼女は言葉をなくした。
その盾が彼女にはあまりにも重く感じた。
実家にあった盾ももちろん重かった。
でも、その重さとは全く違う重さに感じた。
だってこの盾は…彼女と大城の命の結晶なのだから。
盾に触れた時に、彼女はようやく自覚した。
自分が、天皇賞の覇者となったことを。
彼の屍を超えて、勝利を掴んだことを。
ようやく自分が…ゴールを果たしたことを。
その刹那に、彼女の心に閉ざされた記憶が解錠され一気に流れ出た。
今まで彼と一歩づつ歩んできたその記憶たちが。
彼と初めて会った日。彼に振り回されながら、無謀ともいえるトレーニングに挑んだ日。
彼と初めて勝負に挑んだ日。初めて入着した日、失敗した日。初めて勝利した日。
彼とお出かけをした日。彼を叱った日。彼に叱られた日。初めて…重賞を掴んだ日。
そして…最期の日。
「…あれ?…あれ?」
彼女の瞳から、温かい雫がぽつりぽつりと落ちてきた。
「マーシャル…?」
秋川が顔を覗き込む。
マーシャルは顔を隠して、その雫を振り払おうと顔を擦る。
「や…っだ!わだ…し…ながないっで!…やぐぞくッ!したのに…!!」
マーシャルはその涙を何度も何度も拭った。
どんなに食いしばっても、どんなに自分を制御しようとしても涙は止まってくれなかった。
「トレーナーさん…トレーナー…さん。」
彼との優しい思い出たちが…彼女の胸をこの上なく締め付けた。
「う゛っ…!!う゛う゛ううぅ!!…っひ!!」
何度も何度も感情を殺そうとした。
そんな彼女に…秋川はマーシャルの肩に手を置いた。
「…泣いていい。泣くことは認めることだ。彼の喪失を。だが認めなければ君は前に進むことはできない。泣いていい。泣いて…泣いて。前に進むんだ!」
秋川もその顔に大きな涙の跡があった。
「う…うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
今までに溜めに溜め込んでいた、彼女の負が一気に放出された。
大きく口を開けて、手の付けられなくなった感情の赴くままに、泣き続けた。
その様子に耐えられなくなったたづなも、顔を隠して嗚咽を漏らした。
その病室の外で、沖野は腕を組んで壁に背を預け、飴を咥え俯きながら、マーシャルの彼に手向ける最後のレクイエムを聞き続けていた。
――――――――――――――――――
ああ…わたしってば情けない。
私は勝ったのに。応援してくれた人たちのためにも、笑顔を見せなきゃいけないはずなのに。
…ああ、せっかく綺麗な盾なのに、涙で汚れていく。
…トレーナーさん。ごめんなさい。
私も…結局約束を守れませんでした。
私も嘘つきの約束破りでした。
トレーナーさん
私たちの合言葉って
…なんでしたっけ。