「お…っまえらなぁ…。」
沖野がスピカの部室に戻ると、そこに先ほどまで話していたウマ娘が椅子に括り付けられ、身動きができない体勢でそこにいた。
「この間…やり方をもっと考えろって言ったばっかだろ…」
と沖野は頭を抱える。
メンタル面で深い傷を負ったマーシャル。そのケアを施すためには十分な時間と綱渡りをするかのような繊細さが求められる。
なので沖野はどれだけ時間を要しようとも、慎重に彼女と接しようとカウンセラーとの相談や心理学やメンタルケアの専門書を用意し、これからのことを考えようとしたその矢先だった。
ただでさえフラジャイルな状態のマーシャル、そんな彼女と接していくためにはこちらもナーバスに成らざるを得ない。
…拉致して椅子に括り付けるなど、以ての外。
「ご…ゴールドシップさん?…あの、これってまさか貴女の独断ですの?」
と、沖野の見せる様子に、自らが地雷を踏んだことを察したマックイーンが訊く。
「お?トーゼンだろ?こういうのはスピード勝負だって相場が決まってんだよ。鮮度が高いうちにな。」
「あ…貴女というウマ娘は。」
そういって恐る恐るマーシャルのほうを見る。
椅子に括りつけられた少女は、特に抵抗することもなくされるがままといった状態だった。その瞳もうつろなままで。
「まぁ…そうなっちまったモンは仕方ねぇ。…悪かった。ウチの連中、ちょっと手荒だったな。」
「いえ…。」
「…さっきの話の続き、もう少しできるか?」
沖野は腹を括ってそういった。
その問いに対しマーシャルは静かに頷いた。
「その…なんだ。今のお前の気持ちは十分に察する。直ぐに復帰しろだなんて俺もいうつもりはない。だけど、お前には走り続けて欲しいんだ。直ぐじゃなくていい。時間はかかってもいい。だから…。」
沖野は慎重に言葉を選ぶ、少しでも踏み外せば事態は更に悪化する。
ゴールドシップたちが行ったこの所業を、好機に転ぜられるかは自分次第なのだと喝を入れる。
「どうして…?」
そう口を開いたのはマーシャルだった。
「え?」
「どうして…沖野さんがそんなに私のことを気に掛けるんですか…?私は…スピカでもなんでもないのに。」
マーシャルは沖野と目を合わせようとしなかった。
「俺は…大城さんに託されたんだ。マーシャルお前のことを。でも、託されたからっていう理由だけじゃない。俺もお前に夢を見てるんだ。」
「夢…?」
「正直失礼な話だけど、俺は大城さんから話を聞くまでお前のことを知らなかった。後から気になって少し調べたんだよ。お前のことを。はっきり言って最初はわからなかった。大城さんがお前を選んだ理由が。…でも、大城さんはお前の何かを絶対的に信じていた。そしてお前は…スプリンターSだけじゃない、うちのスカーレットやスペまでも破ってその冠をに手にした。」
シンと沖野だけの声が部室に響く。
「大城さんが最後にお前に掛けた、見た夢を俺も見たいんだ。天皇賞で終わりだなんて無いハズだ。二人が見た夢は…そこがゴールで、そこで終わり果てる夢なんかじゃ…ない筈だろ?」
沖野はマーシャルの目の前に椅子を置いて座り、彼女と目線を合わせた。
「…大城さんは、俺が初めてトレーナーになった時の直属の先輩だった。今も昔も…最期まで変わらない人だったけど、本当に…俺の兄貴みたいな人だった。俺が躓いたとき、迷ったときに何度も腕を引いて起こしてくれた。今の俺があるのも…。そんな彼が残したお前という存在。やっぱりこんなところで終わってほしくないんだ。お前がもう一度立ち上がるというのなら、俺は全身全霊でお前をサポートする!だから…ッ!」
自らのその言葉に思わず感情が揺れそうになる。
スピカのメンバーたちの中には、瞳を赤く充血させそれを悟られないように、顔を隠す者もいた。
しかし。
「…ありがとう、沖野さん。…でも、私。」
彼女の言葉は変わらなかった。
「マーシャル…。」
「私…あの人と大事な約束をしていたんです…私を、自分を守るための大切な約束を。でも私は守れなかった。絶対に守らなくちゃいけなかった約束だったのに。勝つことよりも、大切なことがあった筈なのに。…だから、私にはもう走る資格なんてないんです。」
マーシャルは大きく俯いた。
「…バ鹿野郎!」
沖野のその言葉に、マーシャルを始めとした全員がハっとした。
「大城さんなら…きっとそう言うんじゃないかな。マーシャル。お前は確かに危険なことをした。でもそれは、お前がどうしても大城さんの為に勝ちたかったから。そうじゃないのか?…そんなお前なら、大城さんが今のお前にどうして欲しいのか、これからのお前に何を望むのか…わかるんじゃないのか?」
それは沖野の賭けの言葉だった。
大城がマーシャルにかける想い。そして今の彼女に何を望むのか。
「私…は。私は…。」
彼女の声が震える。
彼女にとって走るということは…彼との思い出に向き合うこと。
心を抉られるほどの悲しい記憶たちと対峙すること。
彼女はそのことに怯え、立ち向かうことができなかった。
その記憶たちと向き合えば、また自分が傷を負うことになるかもしれない。
その恐怖こそが心の枷の正体だった。
またシンとスピカの部室に似つかわしくない静寂が訪れる。
時計の針の音だけがチクタクと耳障りな程に鳴っていた。
「…おい、チビ助。お前はそれで満足できんのか?」
そう斬ったのはゴールドシップだった。
「お前が走ることをやめるのも、お前の自由だ。でもそれでお前自身は満足できんのか?小島はお前に言ったんじゃねぇのか…後悔のない生き方をしろって。…テイオーだってそうだった。一度本気で引退を考えたアイツだったけど、本当はやり残した後悔が山のようにあった。だからあいつは戻ってきた。自分自身の為に。…アタシはお前のコトに惚れてんだよ。どんなドン底に居ようとも、必死に光を目指して這い上がっていくお前を。アタシだけじゃねぇ、ここにいる全員がそうだ。…小島だって、そんなお前に惚れたんじゃねぇのか?…今のお前は、自分から光に背を向けている。そういう風にしか見えねぇよ。」
ゴールドシップは彼女の前に立ちふさがる。
「そんなお前は、お前じゃねぇ。…小島が命張って育てたお前は、レッドマーシャルは、そこで終わるヤツだったのか?」
ゴールドシップの視線は固い鉄のように、まっすぐマーシャルへ向けられていた。
「トレーナー…さん。」
彼女の中の何かが、また大きく揺れ動く。
そしてゴールドシップはその場にいる全員に言った。
「お前ら、今から全員着替えてターフに出ろ!チビ助…お前もだ。」
「…え?」
「え?じゃねぇ。仮にお前がよかったとしても、アタシは納得しねぇんだよ。ここでお前が終わることを。…なぁ、いいよな?トレーナー。」
ゴールドシップの視線は沖野へ。
沖野は…黙って頷いた。