トレセン学園の駐車場。
そこには多くの教官やトレーナーたちが在籍する故に多くの車が停められている。
その車たちは様々だ。
自分の用途に合った合理性を形にした車もあれば、趣味全開といった車もあり、よく見る国産車からあまり見ない外車まで。彼らはそこで主人の帰りを待ち続けている。
あるところには、よく目立つ赤いスーパーカーもある。それはこの学園の生徒の所有物だという噂なのだが一体誰のだろうか。
そして、その駐車場の奥の一角。
日照時間中はちょうど木の陰になるような場所に停められてある白い車が。
その車の持ち主は、車のルーフが日に焼けることを嫌いわざわざ奥まったこの場所に好んで停めていたんだそう。
ただ、今は枯れ葉舞い散る季節。その車には水気をなくし老いた葉たちが、その車をベッドにするかのように。
本来なら、その厚かましい枯れ葉たちを取り除いてくれる主人がいずれは来てくれるはずだ。
だが、その車に積もった枯れ葉はいつまで経っても取り除かれなかった。
折角見た目の立派な高級車だというのに。その枯れ葉たちのせいで随分とみすぼらしく見える。
それでも、その車は不満の一つも漏らさずに
二度と戻ることのない主人をひたすら待ち続けていた。
そんな取り残された車の前に一人の男が佇む。
その男は、車の持ち主とは違いいつも律儀にネクタイを締め、乱さぬ言葉遣いと表情をいつも身に纏う、そんな男だった。
男は彼が残していった車の盾型のエンブレムにそっと触れる。
そしてそれに背を向けて、とある場所へと向かった。
―――――――――――――――――
コツコツコツと自分だけの足音が廊下に響き渡る。
合理性を好むその男のトレーナー室は、昇降口からでもかなりアクセスのいい位置にある。しかし今その男が向かう先は、お世辞にもアクセスのいいところとは言えない場所。
トレーナー室が並ぶ廊下の突き当り。すでに主のいなくなったその部屋に向かっていた。
ガラガラと少し建付けの悪くなった戸を開ける。
…そこには既に先客がいたようだ。
「沖野君…?」
「ん?ああ…宮崎か。」
対面ソファの下座に座る沖野は足を組み、何かに浸るように誰もいない上座を見つめていた。
「…私が一番乗りだと思ったんですがね。」
「はっ、お前には譲れねぇよ。」
そういって下座の空いている隅に宮崎もかけた。
「マーシャルさん、スピカに入部されたんだそうですね。如何です、彼女。」
「如何もどうかもあったもんか。またバケモンが一人増えちまったよ。」
クスっと沖野は笑った。
「お前んとこの問題児たちはどうした?」
「ええ…一歩づつですが、堅実に踏み出しています。…無論まだ謹慎が解ける見込みはありませんが。」
「大丈夫そうなのか。」
「…彼女らは自分の犯した罪に真っ直ぐに向き合っています。当然弊害も0ではありませんが、きっともう一度やり直せる。競争ウマ娘として再起は不能かもしれませんが、一人の生きる少女としては…。」
「そっか…ならいい。」
宮崎は沖野に菓子を差し出す。
「飴ばかり食べてないで、こういうのもいかがです?」
「…これ、大城さんが前に生徒に配ってたヤツだろ。なんでも生徒からの評判がいい菓子だとか言って。」
「ええ…私も好きなんです。」
そういうと宮崎はそれを口に運ぶ。沖野も飴を外し同じように。
「そういえば駐車場のポルシェ、手つかずのままのようでしたが…沖野君、キーは貴方が受け取ったのでは?」
「ああ…そうなんだけどサ…やっぱどうも荷が重いっつーか、俺の身の丈にあってねぇ。」
「売ってもいいと仰ってたのでは?」
「それもなぁ…お前は?宮崎。」
そういって沖野はそのキーレスを宮崎に見せる。
「…結構。私は
「あっそ…。」
そういって再びキーレスをしまう。
「…この部屋もようやく撤去ですか。寂しくなりますね。次は決まっているんですか?」
「ああ…新人のトレーナーが入るんだとさ。」
「新人君ですか…その子は幸運だ。…名乗りがなければ私が頂きたかった程なのに。」
「合理主義者のお前がか?」
「ええ…非合理性の中に合理性を見出した方が使ってた部屋です。十分に価値がある。」
「非合理性の中に合理性をねじ込んだって言ったほうがあの人らしいんじゃねぇか?」
「…それもそうかも」
と二人は笑う。
「…未だに実感がわきませんね。そう簡単にいなくなる人だとは思ってませんでしたが。…彼からはもっと教わらなければならないことが…沢山あったというのに。」
「んなコトいってっと、またバカ野郎って言われちまうぞ。…ま、俺も本音はそうなんだけど。」
そう二人が顔を下げたとき。
再びその部屋の戸が開き、同僚のトレーナーや教官らがぞろぞろ
…お疲れっす!
あれ?二人だけ?
これからまだ来るんだって。
どれから手ぇつけんの?
終わったら大城さんへの弔いの飲み会ってマジ?
お前が飲みてぇだけだろ?
「お疲れ様です。沖野さん、宮崎さん。」
「ああ南坂君。お疲れ様です。」
「南坂ぁ…おハナさんは?」
そうきょろきょろ沖野はあたりを見渡す。
「少し遅れてこられるそうですよ。ゲストを連れてくるんだとか。」
そういったとき。
「ごめんなさい。ちょっと遅れちゃった。…ってまだ始まってないようね。」
「ああ!おハナさん!」
「スペシャルゲストよ!さ、こちらへ。」
と招かれて出てきたのは。
「みんなご無沙汰。…元気してた?」
「あ!…椿さん!」
と部屋がザワザワ…
「聞いたわよ沖野君、あなたのチーム、すごく張り切ってるんですって?」
「ええ…まぁ」
そう後ろ髪をなでるしぐさを。
「流石…彼の直属ってトコロかしら…東条さん、油断したらダメよ。例えトレーナーを引退した身だとしても、あの男に後れを取ることは、私のプライドが許さないんだから!」
「ええ…わかってますよ。椿先輩。これからもトップを担い続けるのは、アルタイルの意思を受け継いだリギルなんですもの!」
と二人の闘志がまるでレース直前のように滾る。
「…つまりどういうこと?」
と北原が南坂にそっと耳打ち。
「ああ…北原さんはご存じないかもしれませんね。椿香織さん、元々トレセンのトレーナーでアルタイルという当時学内最強を誇っていたチームの担い手だった方です。そして東条さんはその椿さんの直属の後輩にあたる方でして。」
「ああ…なんとなく読めた。てことは沖野さんが大城さんの直属の後輩だって言ってたから…インネンの関係ってヤツだ。」
「大城さんが過去に率いたアルキオネというチームも、アルタイルと1.2を争う強豪だったと聞いています。それが今は、スピカとリギル。」
「わかりやすくてイイ。」
と賑わう大城のトレーナー室。
誰かが制止しなければ、ただの宴会と化してしまう。
「はーい!おしゃべりはそこまでにして、さっさとやっちゃいましょう!」
そうパンパンと手を叩いたのは三鷹だった。
――――――――――――――――――
「オイオイオイオイ!フツーこんなんトレーナー室に置いとくかぁ!?」
と彼の遺品整理が始まったトレーナー室が再びざわめきだす。
棚から引き出しからでるわでるわ、いかがわしい雑誌に趣味の雑誌。いつ使うのかわからない小物たち。綺麗に並べられた車や飛行機の模型。なぜかある調味料。彼のコレクションのシルバー・ゴールドアクセサリー。そして隠しておいた大量の煙草。
…一丁のモデルガン。
「…これ、ホンモンなわけねぇよな?」
「本物だったとしても、大城さんが持ってたってんなら驚かない自分がいる…。」
「なんかわかる…。」
しかしそれはちゃんとニセモノだった。
「まったく!ホントにガサツな男なんだから!」
女性陣は引き出しに雑に仕舞われた書類に憤る。
大事な書類だろうとファイリングもせずに裸のまま、引き出しに入れるものだからそれらの紙はシワシワのよれよれ。
「ほんとですねぇ。あれ?これ…。」
桐生院がとある手紙を見つける。それには大城先生へと書かれてあり、封のシールにはハート。
そろりと中を開ける。
『大城先生へ、どうしても抑えきれない自分の気持ちを手紙にします…。私、先生のことが…』
「すき…です?まさか、ら…ラブレター!?」
「お、懐かしいモン出てきたな!」
男性陣が割り込んでくる。
「大城さん、昔生徒からガチ告白されたことあったからなぁ。」
「ほ…ホントですか!?」
桐生院は顔を赤らめてそういう。
「ナニソレ、私聞いてないわよ。」
と椿は腕を組む。
「いやぁ、そんときゃ流石の大城さんも参ってたみたいで。『いいか?女ってのは最初の恋愛でその後の価値観が決まってくるんだ。相手はいくらガキでも女だ…ぞんざいに扱うワケにはいかねぇ。』っていつになく真剣だったなぁ。」
「そのあとってどうなったんだっけ。」
「時間かけて丁寧にフったそうだよ…流石そういうのは手慣れてんだから。」
そんなこんなでその奥からもう一枚何かが出てくる。
「これは…ああ懐かしい。ほら桐生院さんたちの新歓の時の。」
それは集合写真。大城が写真の隅で南坂に絡みついている。
「大城さん、この時珍しく酔ってたよね。皆が呆れるくらいに。」
「ソーソー、それで唯一南坂が介抱しててさ、そん時お前なんて言われたんだっけ。」
「えっと…確か…『南ぃ…ヤサシーのはお前だけだよぉ、お前俺の新しい女房になんねーかぁ?』って。」
そうしてまた部屋が笑い声に包まれる。
彼の部屋から出てくるもの一つ一つが、まるで彼と対話をしているかのようだった。
「なんだかんだ、物持ちはいいのね…ん?これ…って。」
「どうしたの?」
三鷹の拾い上げた紙に東条が視線をやる。
「これ…。」
二人は言葉をなくす。
「ほーらお二人さん!さぼってちゃ!」
「沖野君!ちょっと!」
「何?今俺も手ぇ空いてないってのに…」
そういって沖野は彼女らのもとへ…そしてその紙に目を落とす。
「…これ。」
「そういうコト…よね?」
沖野はその紙を手にしたまま、振り返る。
「…宮崎!」
沖野の張ったその声に、急にその場がシンとする。
「…私ですか?」
「おまえ…これ。」
そういって沖野は宮崎にその紙を差し出す。
その紙には大きく書かれていた。
『嘆願書』と。
『嘆願書。
URA諮問委員長殿。
嘆願者:大城白秋。
嘆願趣旨
日本ウマ娘トレーニングセンター学園(以下トレセン)指導者、宮崎宗一朗の今後の処遇について。
上に記す者、現在の指導力や功績を考慮し、また個別に行った面談等を介した結果、彼の再建には大きな見立てがあることと判断。今騒動における責任の追及への処罰として、指導者資格の剥奪及びトレセン学園の解雇を判断することは尚早であると主張し、宮崎宗一朗の続投を強く要望するものとする。』
「これ…は…。」
その書類は宮崎は大きく目を見開く。
「嘆願書の写しだ…大城さんだったんだよ。お前の続投を願うために、URAへ嘆願書を宛てたのは。」
「そんな…。」
――――――――――――――――――
「もう二度とあなたと会う機会はないと思っていたというのに。大城白秋。」
「俺もですヨ、諮問委員長。」
URAの中でも最高機関、虫の息すらも戒められるほどの緊迫した空間に大城はいた。
むろんいつもの調子は崩さないで。
「それで、何この書類は?」
「ああ『たんがんしょ』って読むんですヨ。初めて見たワケじゃないでしょう?」
「私にそんな冗談が通用すると?」
その委員長の視線に大城は耐えられなくなり、そっぽをむいて頭をかく。
「まったく…わからないわね。あなたは自分の担当が何をされたか理解しているのかしら?捉え方次第じゃ、これは大きな裏切り行為よ。」
「また捉え方次第じゃ、俺は慈悲の女神ナイチンゲールでしょう。」
「…真面目な話ができないのなら帰りなさい。」
「いいや、俺は大真面目ですよ。」
クスっと笑って再び委員長の前に立つ。
「確かに、俺が勝手な理由をつけてそんな舐めた書類を出せば、担当への大きな裏切りだ。ですが…俺じゃないんですヨ。あいつの、いや、あいつらの再起を願うバカがどうも近くにいたんです。だから俺は一緒にバカになってその手伝いをしたまでですよ。」
「それがあなたの担当だって言いたいわけ?…あなた自身はどう思ってるの?」
「俺は…そうですね。…宮崎宗一朗、キザでスカした野郎でお高く留まってるいけすかねぇ奴ではあります…ケド、やっぱりなんだかんだ言って俺のカワイイ後輩なんですよ。」
「後輩ならなんでも許すとでも?」
「俺はあいつの先輩です。…先輩として、後輩が間違ったときに、大事なことをしっかり教えて、もう一度手を差し伸べてやる。それが先輩としての務めだって、俺にナマイキ叩いた奴がいましてね。」
「そんな生意気をたたく娘に、絆されたってわけね。」
「否定はしません。」
そこに一瞬の静寂が流れる。
「これだけの全国騒然とさせる出来事、当然URAとしても無視できない事案よ。その発端の責任者を処分もせずに手元に置いておけだなんて、どれだけリスクのある要求をしているのか、自覚はあるのかしら?」
「デカイリスクにはハイリターンがつきものです。」
「彼がハイリターンを生み出すと?」
「ええ…俺はそう信じてる。」
諮問委員長は立ち上がる。
「信じるのは勝手よ。でも、世の中はすべて100%の確率では回らない。彼に再建の見立てがないと、大勢の主張があった場合あなたはどう責任をとるの?」
「俺のクビを差し出しますヨ。それでどうです?」
大城は間髪入れずに委員長へそう返した。
そのあまりの迷いのなさに、一瞬委員長は口を閉じた。
「どこまでも勝手な男。そうやすやすとクビを差し出すだなんて、万が一のことがあればあなたの担当は置き去りになるのよ。」
「そうはなりませんヨ。だから心配はない。」
「何を根拠に。」
「だから言ってるでしょう。俺はあいつを信じてる。あいつには信じる価値がある。…それだけです。」
トンと委員長は再び椅子に掛けた。
「あなた…先も長くない体なんでしょう?」
「よくご存じで。」
「どうしてそこまでできるの。あなたの長くない人生を台無しにするかもしれなかった彼らを。」
「俺はトレセン学園の退職を踏みとどまりました。それはやり残したことがあったからです。やり残したもんってのは…担当を勝たせたいってだけじゃあないんですよ。宮崎という存在は、そのやり残したことの一つだったってワケです。」
大城は足を開き、両ひざに手をついて、委員長に頭を下げた。
「こんな先の長くないオヤジの我儘、最後に聞き入れてもらえませんか。…頼みます。」
「…だからあなたは嫌いなのよ、白秋。」
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ポツ…ポツ…と嘆願書の写しに雨が降る。
宮崎という雲から。
「どう…して?」
「宮崎…。」
その写しに皺が寄るほどに、宮崎はその書類を強く握った。
「なんで…どうしてぇ?」
そのまま宮崎は膝をつく。
「どうして…どおして!!」
その雨は、豪雨に変わる。
「私は…私はあなたに、恨まれなければならないはずなんだ!…なのになんで…」
あなたはそんなにも…優しいんだ。
「大城さん…そりゃあ、カッコよすぎじゃないですか…?」
沖野は最後に残った大城の写真に向かってそう呟いた。