線香の香りと…見渡す限り一面の墓石たち。
冷たく固い石畳たちが、今を生きる者たちを、没して眠る者たちの場所へと導く。
今導かれている少女、もといウマ娘は一束の花を両手で、片手は根元に、もう片手は花弁の生る方へと、まるで赤子を抱きかかえるかのように。優しく丁寧に。
こういう場所に来るときというのは、大抵ご先祖の墓参りの時に。両親の傍らでよく意味も分からずに手を合わせていた幼い日々が懐かしい。
そうして彼女は一つの墓石の前に佇む。
死んだら遺灰は海に投げ捨ててくれ。墓なんて建てるな。としきりに彼女を始め周りの者たちにそう言っていた彼だったが、その無茶ぶりだけはどうやら聞き入れて貰えなかったようだ。
『大城 彩雲』と書かれた墓石の横に、それはあった。
『大城 白秋』と。
少女は大事に抱えてきた花束をそっとその前に置く。
そして両膝をついて、手を合わせ、深く深く目を閉じた。
彼との思い出の日々、もうそれは恐れる記憶などではない。
彼女の中に大事に輝く、美しい思い出なのだ。
最期まで遅刻癖の治らなかった彼だったが、最後の最後だけは、遅刻せずに彼女に寄り添ってくれた。
もう一度、彼女を立ち直らせた。
少女は誰にも届かない声で、ありがとうトレーナーさんと呟いた。
そっと目を開ける、また新しい煙草がおかれている。
誰かが頻りに新しい煙草を置いて行っているようだ。
天国だからって、吸いすぎはダメですよ。と彼女なりの冗談をつぶやく。
「…トレーナーさん。私、URAファイナルズに選出されたんですよ。もちろん、
マーシャルは立ち上がる。そして
「忘れません…いつでも気持ちは。」
カツン。
石畳をヒールで叩く、誰かの足音が彼女の耳へ。
ここは多くの墓石が並ぶ墓場。自分以外の参拝者がいても何ら不思議ではない。
しかし、なぜか彼女はその足音が気になった。
ふっと顔を上げて、そのヒールの音がなるほうへ。
そこにいたのは、肩甲骨まで伸びる黒いストレート。細くて黒いフレームの眼鏡が何となく印象に残る女性。
ぱっと見で、成人していることは何となくわかるのだが、どこかまだあどけなさが残る。
マーシャルはその女性に妙な既視感を覚える。どこかでこの女性を見たことがあったのかと、自らの記憶をたどろうとするが。
「あの…レッドマーシャルさん、ですよね?」
と彼女の言葉が、マーシャルの記憶の詮索を打ち切った。
「え、…あ。はい。そうです。」
不意を突かれたような気がした彼女は、瞬間的に言葉を返せなかった。
落ち着いて考えても見てみれば、マーシャルは今やそれなりの知名度を誇るウマ娘、自分が知らない相手が、自分を知っていても不思議なことなどない。
マーシャルの返答を聞いたその女性は、何か安堵したように、彼女に向ってほほ笑む。
「やっぱり。テレビで見るよりも、ずっと逞しく見えるんですね。」
「そうですか…?」
「ええ。天皇賞でのあの走り、本当に素晴らしかった。…きっと天国の父も満足してると思いますよ。」
「天国の…父?」
マーシャルにはその言葉の意味が瞬間的にはわからなかった。
だが、すぐに察することになる。その女性の視線は…大城の墓石に向いていた。
「私、
と笑って付け足す。
「大城…。」
マーシャルの中で合点がいく。
この女性に感じた既視感…それはマーシャルが大城の家でみたあの家族写真に写っていた幼い少女…わずかだがその面影があった。
「マーシャルさん…あなたのトレーナー、大城白秋は…私の父です。」
春華は哀愁の瞳をマーシャルへ向ける。
―――――――――――――――――
「困った父でしたでしょう?…やることなすこといっつも突拍子がなくて、自分勝手でいい加減で。」
「いえ…。」
本当は、そのとおりと大きく頷いて答えてもいいのだが、やはりここは幾分の遠慮というものがある。
彼女は細く、そう答えた。
マーシャルと春華は、霊園の石段の隅に並んで掛けていた。
今日は人が少ないようだ。そこから見渡して思ったことはそれだった。
「父と母がなぜ別れたのか、私も詳しいことは知らされていないんです。」
春華はおもむろに語りだす。
父と母が離婚。仲睦まじい両親の下で育ったマーシャルにとって、それはドラマの中だけの遠くの世界に感じていただけに、少し重く感じた。
「でも私は父のことが好きだった。本当は父とずっと一緒に居たかった。でも母は頑なに父に会うことを嫌がってました。だから、会えるのは数年に一度だけ。最後に会えたのは、私がそうだな…今のマーシャルさん、あなたくらいの時。」
そのセリフが、あの時の彼のセリフとリンクする。
「私、やっと地方の大学を卒業して、東京で暮らすことになったんです。だから、父ともずっと会いやすくなって、週末とか一緒に過ごせたらな…って思ってました。でも…でも…。」
そういって春華は言葉を詰まらせる。まるで喉に何かを突っ返らせたように、何かを吐き出そうとするそれを、抑え込んでいた。
「大丈夫ですか?」
マーシャルが聞く。
「ええ…ごめんなさい。一番辛いのは、きっとあなたなのにね。」
春華は胸を抑えるとふぅふぅと息を整える。わざと大げさにやってみせるのは、彼女なりのおどけなのかもしれない。
「ごめんなさい。私の話ばっかり。そういえば、マーシャルさんはURAファイナルズ出られるんですよね。私きっと応援に行きますから!マーシャルさんは…。」
そういって、マーシャルの顔を見たとき。また言葉を詰まらせる。
一度心の奥に落とした感情が、再びこみあげてくる。
みるみるうちに、余裕を演じていた仮面がぼろを出す
「マーシャルさんは…マーシャルさんは…。」
そうして春華の溜まっていたものが、臨界を迎えた。
春華はマーシャルを深く抱きしめた。
「マーシャルさんは…。」
「私と父を繋いでくれる、たった一つの希望なんです…だから、どうか頑張ってください…!」
一瞬のことに驚いたマーシャルだったが、そっと春華の背中に手を回す。
「大丈夫ですよ、春華さん。私は負けません。あなたのお父さん…トレーナーさんに教わった大事なものがあるから。」
「大事なもの…?」
そういうと、マーシャルはあのハンドサインを見せる。
「ロックですよ。いつでも気持ちは…ロックでいること。」
それを見た、春華は涙顔のままではあるが、顔をほころばせた。
「…ふふ。父はあなたにも同じことを言っていたんですね。」
「じゃあ。」
「ええ…私にもよく言ってました。いつでも気持ちはロックでいろって。正直、なんのことだかって、いっつも思ってたけど。」
「でも、私は何度もそれに救われました。何度躓いても、倒れても。」
春華は、思い切り涙を拭う。化粧が崩れてしまってはいるが、そんなことはもうどうでもよかった。
「マーシャルさん…今のあなたを見ていると、父が言いたかったことが何となくわかる気がする。…ロック…か。」
春華は墓石に向かってそう呟いた。
――――――――――――――――――――
『俺はお前を信じている。
ロックに生きろ。
お前の超絶イケメントレーナー大城より。』
マーシャルはその一枚の手紙をそっと折りたたんで、勝負服の胸にそっとしまい込む。
「ええ…大丈夫。私は。」
そして大事な手紙が入った胸に手を当てて、深く目を閉じてそっと深呼吸をする。
そんな選手控室の外側では、スピカのメンバーたちがガヤガヤと。
「大丈夫かなぁ、マーシャルちゃん。」
スペシャルウイークがそっと耳を立てて、扉にペタリ。
パドックも済ませ、出走まで残り間もない。だがマーシャルがいる控室は変わらず無音。
そろそろ様子をと伺うスピカ達だが、レース前の精神統一中だとしたら、絶対に邪魔してはいけない。
そんな葛藤の前にたじろぐしかなかった。
「何か聞こえる?」
テイオーか重ねて耳を当てるが、変わらず無音。
「でも、ぼちぼち時間だし。」
そういってノブに手を伸ばそうとするが、やはりそこには迷いがある。
「ええい!出走は待っちゃくれねぇぞ!どけ!」
そういってゴルシが二人をはねのけて、ノブに手を伸ばした瞬間。
ノブがひとりでに動き、ゴルシの手をスルー。
ということは。
「よしっ!」
という気合の入った声と共に、ドアが内側から勢いよく開く。
そしてそのまま、真正面に立つゴルシへ…ドン。
「え!?」
まさかドアの真正面に誰かがいると思わなかったマーシャル。
「ぐあああああああ!!!」
「あ!っわあ!!ごめんなさい!ゴルシさぁん!大丈夫ですか!?」
「マーシャルさん!このお方は放っておいても問題ありませんわ!さ!出走のお時間、すぐですわよ!お急ぎになって!」
「あ…はい!」
そういってマックイーンの声に押されて、マーシャルはターフへ急ぐ。
「こんのォ!!ちび助ぇ!!負けやがったら承知しねぇからなぁ!!」
また一つ、負けられない理由が増えたとマーシャルは思った。
――――――――――――――――――――――
赤く漲る勝負服に、太陽の光すらも跳ね返すほどに眩く光るピアス。
そして、左肩に携えられた『Ⅶ』の刺繍。
ここを歩くときは、いつもあの人が一緒だった。
気持ちで負けてるときは背中を叩いてくれて、やる気十分な時は冷静なアドバイスをくれて、負けた時はおどけた態度で優しく慰めてくれて、勝ったときは大きく肩を組んで一緒に笑ってくれた。
だけど、もう彼はいない。
だけど不安なんてない。
私はずっと一人で歩いて行かなきゃいけないと思っていた。
でもそれは、半分正解で、半分間違い。
自分で歩くことも大切。
だけど、一人じゃなくったっていい。
信じられる仲間たちと、苦楽を乗り越えてたどり着く境地だってある。
今の自分にはそれがある。
だから怖くなんてない。
「行ってきます…トレーナーさん。」
光の明暗差で奥の見えない地下バ道の奥に向かってそっと言った。
そして、光の世界へと振り向き、一歩を踏み出した。
――――――――――――――――――――――
『さぁ、さぁ、この日を待ちわびた。そんなファンたちで会場は埋め尽くされております!URAファイナルズ!短距離部門!決勝まで駒を進めた名だたるウマ娘たち!さぁその彼女らの勇士を!』
会場が沸きに沸きあがる。
『さぁ!ここは彼女なしには始まらない!サクラバクシンオー!非常にいい仕上がりに見えます!』
『やる気も十分、コンディションもばっちりのようですね!』
『そしてチームリギルからはタイキシャトル!予選では見事な完封!非常に期待がかかります!』
『回数を重ねるごとに洗練される彼女の走り、さぁどう輝くのか!』
『そしてこの娘は外せない!ニシノフラワー!その甘いマスクの下に秘められた実力!』
『時にバクシンオーすらも凌駕するその走り!よそ見は厳禁!!』
『そしてそして闘志漲るバンブーメモリーッ!!その熱意がこちらにも伝わってきます!』
『私が個人的に注目している娘です!さぁその足は光るか?』
『そして、ここまで駒を進めた期待の若手!オオシンハリヤー!』
『その逃げ!ひょっとしたらがあり得ますよ!注目です!』
『そして』
『数々の苦難を乗り越え、再び這い上がってきた伝説のスプリンター!』
『レッドマーシャル!!』
再び白日の下に、日の光のスポットライトを受け、彼女が姿をさらす。
「いけええ!!チビ助!!お前らやるぞ!!」
「「「「「「押忍!!…かてぇ…かてぇ…」」」」」」
「マーシャル!!やってやれ!!ほら!モモ!なにしてんだ急げよ!始まるぞ!」
「ちょっと…寒いから暖かいお茶を…」
「お母さん。ほら」
「ええ、見てる。…こんなに立派になって。」
「だから言ったろ?僕たちは間違ってなんてなかった。あの娘は…中央で、こんなにも輝ける娘なんだ。」
「ええ!」
「うおおお!!!マーシャルちゃん!!ファイトだぁああ!」
「田原!ちょっとボリューム下げろ!気合入りすぎだ!」
「構うもんか!!西城!ほらお前も!」
「ええ…。んぅ…おっしゃ!ハラ括ったらぁ!!ファイトー!マーシャル!!」
「不撓不屈…やはり杞憂だったかな。さすがは彼の担当だ。」
「あなたもとって食われないように気をつけなさいよ?ルドルフ。」
「ああ、そうだね。」
「大城さん…正直そんなガラじゃないとは思いますが、これは俺のワガママです。」
そういって沖野は大城の写真を、ターフに向ける。
そして、広く晴れた青空を見上げる。
「よく見えるでしょう?…どうです?一番の特等席は?」
―――――――――――――――――――――――
そして、運命の時は迎えられる。
18戸のゲートが一斉に解放される。
『さぁ!ゲート解放!!それぞれの強い思いを胸に!18人のウマ娘、綺麗に横並びでスタートを切りました!!!さぁ!一秒先すらも読めない展開!どう動くのか!!」
............
照り付ける太陽が、こんなにも頼もしいだなんて思ったことはあったんだろうか。
日は私の背中を押し、目を十分に見開く。そして冷たく新鮮な空気を体いっぱいに取り込む。
これからも私は、何度だって躓くだろう。
何度だって倒れて、何度だって弱音を吐くかもしれない。
でも、どんなに苦しくったって、私はあきらめない。
私は立ち上がる方法を知っているから。
どんなに大きな壁が立ちふさがろうとも、決して足を止めない。
ココロが折れそうになったら、何度だってこう叫んでやるんだ。
『Let's Rock』って!
マーシャルは大きく息を吸い込む。
吸った息を全身に巡らせる。
血が沸騰する。
心臓が高鳴りを覚える。
視界は前方を中心に狭くなる。
耳は聞こえにくくなる。
そして
『さぁ!勝負どころ!ここで…くるか!レッドマーシャル!!』
マーシャルは強く、強く、地面を蹴り上げた!!
-7s Sprinter-
推奨ED①『うまぴょい伝説-32人ver-』
推奨ED②『悲しみが消える時 2014ver』