お供え物
「…それでもう、私、無理なのかなって。」
「そんなことはありません。今は少し、時間がかかっているだけですよ。」
「でも、同期の娘たちの中じゃ私…。」
「いいではありませんか。あなたにはあなたにしかできない走りがあります。無理に焦る必要はない。」
少しづつ日の光が、温もりを引き連れてやってくる季節となった。
だが、暖房器具を手放すにはまだ少し早いのかもしれない。
そのトレーナー室にも、健康支援課推奨の温度に設定されたエアコンと加湿器が静かな音を立てて働いていた。
「私にしかできない…走り?」
「ええ、それが何なのかは、まだはっきりとは判りませんが、きっとあるはずだ。ノーベルラインさん。…それが何かを、二人で一緒に探しましょう。答えは必ずある。」
そして、諦めてはいけない。あなたはきっと輝けるウマ娘なのだからと宮崎は付け加えた。
「トレーナーさん…。」
そのウマ娘は、宮崎の言葉に強張っていた表情を少しだけ綻ばせた。
「ノーベルさん。私はあなたを信じています。あなたの懸命な弛まぬ努力を、私はこの目で確りと見ています。あなたのその想いを、私は無駄にしたくはない。もう少しだけ私を信じ、付いてきてみませんか?」
そのウマ娘は涙ぐんだ目で、首を大きく縦に振った。
それを見た宮崎もまた、無言でこくりと頷く。
「今日はもう、お休みになってください。また明日から一歩踏み出してみましょう。…お互いにね。」
「はい!」
宮崎はその生気が戻った新しい担当ウマ娘の明るい表情を見て、また柔らかい表情で頷く。
そしてその娘がトレーナー室を後にしようと立った時、彼女は一つの疑問を宮崎にぶつける。
「トレーナーさんって煙草吸うんですか?」
「え?」
彼女の視線の先には、ガラス製の灰皿に未開封の煙草がライターとセットでおいてあった。
「ああ…昔は少し吸ってた時期もありますが、今はもう吸っていません。」
「じゃあどうして?」
「それは…そうですね。お供え物ですよ。」
「?」
そのウマ娘は宮崎の回答に今一つピンとはきていないものの、宮崎のその引っ掛かりのない表情に、これ以上訊くのは野暮かと手を引いた。
――――――――――――――――――
彼女が去った後のトレーナー室。
宮崎は暖房を止めて窓を開ける。
まだ冷気が肌を刺激するものの、換気は欠かせない。
そして先ほど担当ウマ娘が指したその灰皿のもとへ、それを両手で持ち上げる。
まるでダイアモンドのように、無駄にデザインされたそれを、無駄な装飾品を嫌う彼が好むものとも思えなかったが、彼はそれを満足げに眺めていた。
「マーシャルさんがG1を獲ったら、私の部屋を喫煙所にするんでしたよね。…早くいらしてくださいよ。ずっと待ってるんですよ。…心配は無用です。必要があれば、私も一緒に叱られますから。」
そういってまた灰皿をもとの場所へ。
そこにコンコンコンとノックの音が、その部屋の主を呼びつける。
「どうぞ、開いてますよ。」
きっとフロイドスピリットが日報を持ってきたのだろう。承認印を押す必要があると彼は扉ではなく、その逆のデスクのほうを向く。
「失礼します。」
背中にかかるその声に彼は固まった。
その声は、フロイドスピリットの声ではない。
でも確かに、十分に聞き覚えのある声だった。
そっと彼は扉のほうを向く。
そして、目を丸くする。
その来訪者は、彼の想像しなかった人物だった。
「なぜ…あなたが?」
「マーシャルさん…。」