それからも、健気でいたいけな私と、自由気ままで勝手なトレーナーさんの滅茶苦茶なトレーニングは続きました。
トレーナーさんの用意するトレーニングはいつも突拍子もないもので、この間なんてタイヤ引きの代わりに10tトラック引きをさせられました。
その前はトレーナーさんのポルシェと0-400をさせられました。
普通に負けました。
その前は引っ越しのバイトのシフトを勝手に増やされました。
もう毎日クタクタだけど、本当に私は早く、強くなってるのかなぁ。
わからないけど、でも、私に残された道はこれしかないもの。
私はもう少し、あの人を信じて頑張ってみようと思います。
だけど、あまり無茶なのは少し勘弁してほしいです。
――――――――――
『うー!!うまぴょい!うまぴょい!!』
夜中の栗東寮。皆が寝静まったころに一つのスマホが鳴り響く。
「ん…んんぅ…マーシャル…ちゃんの?」
「え、私…?うわ…ほんと…ごめんねモモちゃん…。」
時刻は午前3時、明け方とも呼べないその時間に、彼女のスマホは鳴り響いた。
「…だれだろう?」
寝ぼけたまま、着信の相手も確認せずに電話を取る。
「…はぁい?」
「よぉ!マーシャル!!俺だ!!」
「…トレーナーさん!?」
その相手は、いつもの調子の大城だった。
こんな真夜中だというのに、どうしてこう元気なのだろうか。
「トレーナーさん…いま何時だと…。」
「お前今何してる?」
「何って…そりゃあ寝てましたけど。」
「俺は今お前の寮の真ん前にいる。言いたいことわかるか?」
「え?」
マーシャルはそっとカーテンを開ける。
寮の門に目をやると..そこにはあの白いポルシェ…。
「え…ええ!?どういうことですか!?」
「決まってんだろ?トレーニングだ!今すぐ準備して出てこい!」
そういうと大城は一方的に電話を切った。
「な…なんなのお!?」
――――――――――
車内にて、マーシャルは淀んだ顔をしてふらふらとしていた。
「どうした?寝不足か?夜更かしでもしたか?」
「あの…今何時ですか?」
「3時20分だな。釣りに行くより早いな」
そう大城は笑った。
「…もういいです。まったく…いつもめちゃくちゃなんですから。」
「それでも付いてきてくれるお前が、俺は好きだぜ。」
その言葉にマーシャルの目はカッと開いた。
「なっ…!」
「ほら、朝飯だ。今のうち食っとけ。」
そういって大城はコンビニのおにぎりを差し出す。
「…一体、どこへ行くんですか?」
おにぎりを貪りながらマーシャルは聞く。
「ああ、箱根だ。」
「へぇ..箱根…箱根!?」
「今日は嫌というほど走らせてやる。」
―――――――――
「こ…ここって…。」
「箱根ターンパイク…最強のヒルクライムコースだ。」
まるで高速道路のように料金所が置かれたその上り坂は、十分すぎる道幅に途方もなく見える勾配。
その大きな坂は、先行きが全く見えない。
「あの…これ…。」
「早朝だけ貸し切ったんだ。車は来ねぇよ。」
「の…上るんですか…?」
「一見キツそうに見えるが、実際の勾配はそうでもない。カーブも緩やかだが、ま、エゲつねぇことには変わりねぇよな?」
そういうと大城は車から、タオルと簡易水筒をマーシャルに投げる。
「ざっと14kmってトコだ。2時間で登ってこい。」
「に…2時間…。」
「時間になったら迎えに来る。もう無理だと思ったら端で休んでろ。じゃあな!」
そういうと大城は車にのって一足先にそのコースを登った。
―――――――――
「ヒィ…ヒィ…ひいいい!!」
登っても登っても登っても、まったくと言っていいほどに先が見えない。
本当にここのゴールなんてあるんだろうか。一生ここを走る地獄かなにかなのだろうか。
そのあまりにも希望の見えないコースに、マーシャルの心は折れそうになる。
そのときに、ふと、あの日々がよみがえった。
レースで何度も敗走したこと。頼りにしていた先輩からも見放されていたこと。後輩から幾度となく受けてきた侮辱。そして、大好きな母へ恩返しができなかったこと。
マーシャルはふと気づく。このコースは、まるで今の自分そのものだと。
今の自分は先の見えない道をもがき続けている。
でも、ゴールはきっとあるんだ。上り詰めた先に、きっと答えがあるんだ。
このコースのように。
(あき…らめる…もんか…。)
――――――――――
「…ふぅ。」
今日この短時間で何本タバコを吸ったのかもうわからないが、それでも大城は新しい一本に火をつけた。
コース頂上の見晴らしのいい駐車場にて、大城はひたすらにマーシャルを待った。
時間はすでに1時間55分を経過していた。
(まぁ、さすがに厳しかったか。このコース。上に行けば行くほど酸素は薄くなる。途中でブっ倒れてなきゃいいが)
念のため、車の中には酸素吸入器を用意してある。
このトレーニング、マーシャルに課す課題は二つ。
一つは疲労感に見舞われる先行きの見えないコースでの、根性を鍛えるもの。
そしてもう一つは、酸素への克服。酸素の薄い高山を走らせることで、いつもよりも器用に酸素の供給を行わせる為のトレーニング。
どれも今の彼女に必要なものだった。
しかし、彼女が登り切れないことは、あらかじめ予想はしていた。
彼にとっては半分以上登りきれば上出来だという目論見だ。
(ボチボチ、時間か…。)
大城は靴底でたばこの火を消すと、そのまま車に乗り込もうとエンジンをかける。
その時。
「…ん?」
コースの下から、よたよたと何かの影が迫ってくる。
その姿は、もはや気力だけで走っているといっても過言ではないほどにフラフラだった。
「…おいおいおい、…マジかよ。」
大城は酸素吸入器を持つと、勢いよくマーシャルに向かって駆け出した。
「と…とれーなー…さ。」
バタっと倒れこむマーシャルを間一髪大城は抱きかかえた。
「はっはっは!!スゲェなお前!マジで!!」
マーシャルの口に酸素吸入器を当てながら大城は上機嫌に笑った。
「わたし…やりましたよ…。」
「ああ…まったく…見上げたクソ根性だな!恐れ入ったぜ!」
「わ…私の…」
「あ?」
「私の…レッド…は…不屈の…赤…ですから」
マーシャルは絞り出すように言う。
「不屈の赤…ねぇ。そういや昔似たようなコトいわれてるヤツが居たな…。ん?」
大城はマーシャルと視線を合わせる。
「おい…お前のオフクロ…名前は?」
「え?レッド…レッドクラウン…。」
「レッドクラウン...っく!っはっはっは!!!」
その名を聞いた瞬間大城はおもむろに笑い出す。
「どうしたんですか?」
「いいや!なんでもねぇ!!帰るぞ!!」
「ま…まってぇ…。」
大城は上機嫌のまま車へと戻った。
「お前昨日のメジャーリーグ見たか?延長に次ぐ延長でよ!やっぱああいう拮抗した試合ってのが一番燃えるよな?俺も家出る直前まで見ててよ…」
(この人…いつ寝てるんだろう?…Zzzz)