『ああ、また明日……な』
『嘘つき……嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき! 私はこれから……どうすればいいんですか……』
『待ってて……私も今、そっちに行きますから』
『マーシャル……俺たちの合言葉はなんだ?』
『居るんだ……。すぐそこに来てるんだ……トレーナーさん』
『みんな、ほんとうに……ありがとう』
「………………んぅ?」
少女の固く閉ざされた瞼を強く叩くのは、赤く染まった斜陽。優しい朝陽と比べると、それはどうも情熱的だ。
それから逃れようと毛布へ包まれば、今度は少女の蒸し焼きが出来上がってしまう。
どうやらこの光は、少女を逃してくれる気がないらしい。だったら、覚悟を決めるしかない。
意識が揺蕩う微睡の中で、スマホを手に取る。親指を画面に翳せば、一枚の待ち受け画面が姿を現す。
それは、齢50程の男と、中等部生程の少女が肩を並べ、ロックなハンドサインを掲げている嘗ての
数刻程それに見とれて、画面に浮かぶ数字に意識を向ける。
-16:58-
……お昼寝にしては、随分と悠長だったかもしれない。だけど、これも作戦なのだ。
「あ、おはよう。マーシャルちゃん。どう? 眠れた?」
寝起きのマーシャルにそう声を掛けてくれたのは、同室のモモミルク。自分の机に向かって、音楽を聴きながら宿題の途中。ワイヤレス・スピーカーが近くにあるにも関わらず、ウマ娘用イヤホンを使っている理由は言うまでもない。
「うん……でもやっぱり、お昼に寝るのってヘンな感じ」
「ふぅん。私、お昼寝好きなんだけどなぁ」
「モモちゃんはちょっと寝すぎかも……」
日中に5時間昼寝をした挙句、夜もしっかり8時間眠ることがあるモモミルクが少し羨ましいとマーシャルは思う。
「コーヒーとか淹れてきてあげようか?」
「うーん……お砂糖入れすぎないでね?」
「はぁい!」
モモミルクは尻尾を揺らしながら自室を後にする。一応釘を刺してはおいたものの、また砂糖とミルクたっぷりの甘ったるいコーヒーが出てくるのではないかと内心穏やかではない。
しかし今は、そんなことに拘ってもいられない。今日は、大事な日なのだから。
マーシャルは、櫛を持って自分の机へ。荒れ放題の鬣を、その櫛で梳いていく。そして温まったヘアアイロンで彼女の栗毛のショートヘアーが仕上がっていく。
続いて尻尾。どちらかというと厄介なのがこいつだ。鬣と違ってなかなか上手く纏まってはくれない。尻尾の癖の付きやすさは母親譲りなのだ。櫛で水でアイロンで何とか太刀打ちするも、一筋縄ではいかない。
マーシャルは櫛を置いて溜息一つ。そして、すくっと椅子から立ち上がり、部屋のワイヤレス・スピーカーを起動。そしてスマホのミュージック・サブスクリプションから、とある洋楽を選択する。
途端、ズドンとスピーカーから弾き出される、低音弦に軸を置いたギターリフ。Eのパワーコードに、ブリッジミュートとGのハンマリング。そしてダウンピッキングにより刻まれる'70s Rockのリズム。
"Friends say it's fine, friends say it's good
Everybody says it's just like Robin Hood"
メインボーカルの高いキーに載せられたハードロック。シンプルな8ビートだからこそ、乾いた心に火を放ってくれる。
「よぉし!」
マーシャルは再び櫛を手に取る。ロック・ギターのバッキングを奏でるように、櫛というピックで、尻尾という弦を弾く!
"I move like a cat, charge like a ram
Sting like a bee, babe I wanna be your man"
ロックギタリスト・レッドマーシャルの前には、我儘な尻尾すらも適わない。誰もが彼女のフレーズに酔いしれる。今の彼女ならば、ジミー・ペイジだって、ブライアン・メイだって
"Well it's plain to see you were meant for me, yeah
I'm your boy, your 20th century toy"
尻尾が終われば、次は着替えだ。パジャマを脱いで、綺麗に畳む。そしてクローゼットを開ける。まず、そこを開けて目に入ったのが、彼女のエレキギター。赤色のボディに、白のピックガードが映えるストラトキャスター。彼はギタースタンドにふんぞり返り、出番はまだなのかと持ち主に訴えかけるよう。
……正直、ギターの練習はあまりできていないのが実情だ。少しそれに触ると、弦が錆びているのが感触で分かった。折角お小遣いを奮発して、"Marshall"の10w小型アンプまで買ったのにだ。
「だってぇ、夜中に弾いたら煩いし……」
なんてギターに言い訳をしてみるけれど。実際のところは、Fコードから先に進めていないだけなのだ。
ちゃんと練習はするから! とギターにもうしばらくの待機を命じると、クローゼットの一番奥底に眠っている、とある服に手を伸ばす。
それは、彼女の大一番をいつも支えてきた、掛替えのない相棒。
――
今回は、GⅠクラスのレースではないものの、それの着用を許可された。
勝負服を両手で持って、ひとつの深呼吸。その時、彼女へ風が吹く。
「マーシャルちゃん。お待たせ……。あ、またこれ聴いてる」
彼女の耳を劈き、空間を揺さぶるハードロック。
"20th century toy, I wanna be your boy
20th century toy, I wanna be your boy"
「もぉ、こんな曲可愛くないよぅ!」
と、モモミルクは頬をぷくりと膨らませながらも、スピーカーには触らなかった。
「えへへ、これ聴いてると、その、やる気が出るっていうか、目が覚めるの!」
「マーシャルちゃんも変わってるねぇ」
それはトレーナーのせいだ! と嘶きながらも、マーシャルは勝負服に袖を通す。
赤いブレザーチックな意匠のそれ。チェック柄のスカートとネクタイが彼女らしさを演出し、夕日に照らされた金の飾緒がきらりと赤を修飾する。そして、左肩にはⅦの称号。
「……やっぱりかっこいいよね、その勝負服」
持ってきたミルクたっぷりな珈琲を啜ってモモミルクは言う。
そうかな、と面映げなマーシャルの表情は、どうやらまんざらでもない。姿見の前で一回転。スカートがふわりと風に乗り、再び正面で決めポーズ。ここだけのパドック。
「よォ! まだいるかマーシャル!」
と、二人の部屋にもう一人の親友の姿。大きな荷物を引っ提げて、半ば興奮状態。
「あ、ギアちゃん」
「おう、よかった。ちょっとお前に渡したいモンが……」
そうとまで言ったとき、トップギアの耳に入ってきたのは、往年のハードロック。ギアはワイヤレススピーカーを見て「またこれ聴いてんのかよ、
「うん。やっぱり私は
「お前がお化け退治するって聞いたからよ。ほら、俺のコレクション。貸してやるよ」
そういって彼女が差し出したのは……なんだか如何にも映画に出てきそうな特殊ゴーグル。
「なにこれ……」
「何ってお前、エクトゴーグルに決まってんだろ。知らねぇのかゴーストバスターズ! 限定1/1プロップレプリカなんだよ。くぅ……こいつがようやく役に立つ日がくるなんてなァ」
マーシャルはゴーグルのスコープを覗いてみる。しかし、所詮はただのおもちゃ。マーシャルの苦笑はギアには届かない。
「そしてほら、プロトンパックとゴーストトラップ!。それと……PKEメーター! これくらいありゃ大丈夫だろ!」
「遊びにいくんじゃないよぅ」マーシャルはあきれながら言う。
「違うよギアちゃん! お化け退治には掃除機なんだよ! あとこれも効くって」とモモミルクが差し出すのは部屋の小型掃除機とファブリーズ……。
「もぉ! 二人とも真面目にやってよ!」
"20th century toy, I wanna be your boy..."
―――――――――――――――――――――――
栗東寮の昇降口。そこでマーシャルは、レース用のシューズ〈ターフエンペラー〉をその脚に包む。
窓の向こうに見える空は、すっかりと暗くなり、星の輝きが目立ち始めている。
深呼吸をして立ち上がる。その時、背後から
「準備は万全?」と彼女はマーシャルに問いかける。
「はい……未だにちょっと実感湧かないんですけどね。お化けと戦うだなんて。何もないまま帰ってきちゃうかもしれないです」と、少しはにかんだ表情で言った。
しかしフジキセキは首を横に振って「ううん。君はきっと戦うことになると思うよ。その幽霊とやらと」据わったような瞳でそういった。
「寮長さんも、お化け信じるんですか?」とマーシャルが問う。
「さぁ、どうだろうね。でも、彼はきっと君に逢いたがっている。その理由は、君もなんとなくわかっているんじゃないのかい」
フジキセキの言葉に、マーシャルは沈黙で答えた。
「……さぁ、私の大切な寮生に、夜間外出を強制させるような困った不良ウマ娘だ。しっかりとお灸を据えてきてあげておくれよ! ファイト、ポニーちゃん!」
フジキセキはマーシャルの背中をたたく。マーシャルは強く頷き、寮の外へと足を踏み出す……そこには、
『レッドマーシャル』の横断幕を掲げて、マーシャルの出陣を飾る。
「みんな……!」その光景は、マーシャルの心の琴線に触れる。
「あ! 出てきた!」彼女たちはマーシャルを見つけるや、周囲を取り囲むように。
「聞いたよマーシャル! 赤いウマ娘と戦うんだって! しかもカイチョーからの指名付きで! 本っ当ならボクがやっつけてあげる所だけど、ここは譲ってあげるよ!」とトウカイテイオーが後ろ手を組んで言う。
「けっぱれ~! 一番人気!」と激を飛ばすスペシャルウイークは、サイレンススズカと横断幕を広げる。
「マーシャルさん。よろしいこと? 例え相手がどんな存在であろうと、油断してはなりませんわ。貴女の強さは、私共が保証致します。どうか、ご武運を」とメジロマックイーンはマーシャルの手を握る。
「センパイ! 絶対負けちゃダメっすよ! お化けに負けたりなんてしたら……連れてかれちゃうかもしれないってウワサ……わぁ! オレには無理だ!」
「もぉ、ずっとあんな調子なんだから……でも、気を付けてくださいね。先輩。何があるかなんてわかりっこないんだから」とウオッカを尻目にダイワスカーレットは言った。
「ありがとう、みんな。また、助けられちゃってるみたい」
「それがスピカの掟だから!」とテイオーは高らかに笑う。
「よぉ、マーシャル。車、表に回してるから、準備いいなら乗ってくれ」と、彼女らの背後から沖野が姿を現す。
「沖野さん! はい、私はいつでも大丈夫です!……そういえば、ゴルシさんは?」
そういえば、彼女の姿が無いようだと、くるりとあたりを見回す。すると、沖野よりも背後に大柄の葦毛のウマ娘は姿を現す。彼女の表情……何か険しい。
ゴールドシップはマーシャルの両肩をしっかりと掴むと、瞳をじっと見つめて言った。
「アタシたちはお前を信じてる。ちび助。お前が負けるはずなんてないってこと」
「ゴルシさん……」
「そう……」
「あの『まじかる☆らぶりん きらきらもーど!杯』を勝ち取ったお前なら! 幽霊なんか相手じゃねぇ!」
「私の勝鞍……ほかにもあるんですけど……」
「沖野さん、この車……確か、デロリアンとかいうやつですよね……買ったんですか?」
「いいや、ゴールドシップがどっかから持ってきたんだ……」
「……多分、映画違うと思うんですけど」