租庸調の庸   作:山田甲八

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十二 終わり良ければ

 裁判では懲役一年六ヶ月の実刑判決が言い渡され、フェイスは自宅のあるR市の隣の、さらに隣の市にある刑務所に収監されることになった。妻と子どもがR市の自宅を離れ、千葉県にある妻の実家に移り住むということも弁護士経由で伝え聞いた。ローンがまだ十分残っているR市の自宅は処分されることになりそうだが、その辺は弁護士に任せてある。

 刑務所暮らしは快適とは程遠かったが、一年半くらいは我慢できるような気がしていた。そもそも罪の重さを感じていないフェイスは、これからの一年半の間、外界から完全に遮断されたいと思っていた。新聞もテレビもなく、面会人も断るような、そんな一年半にしたいと、そして世界中の人々が自分の存在を忘れてくれたらと、そう考えていた。

 妻や子どもとは連絡が取れているがすべて弁護士経由で、事務的な話ばかりだった。親からは何度か手紙をもらっているが開封はしていない。読んですがすがしい気持ちになるはずはないし、それは出所後の楽しみにとっておいても良いだろうと思っていた。自由な時間は推理小説や時代小説など純粋に楽しめる物語を読んで過ごしている。出所後に備えて少し勉強をしておこうかとも思ったが、それもすぐにやめた。出所後はエミータが引き取ってくれるはずだし、しばらくエミータの番犬として過ごしながらこれからの余生を考えるのも悪くはないのかなとフェイスは考えていた。

 もちろん、出所した時にはもうエミータの気持ちが変わっていて、あれはなかったことにされているかもしれない。それならそれでも別に構わない。フェイスにはエミータに対する思いがあるわけではない。あるのは妻と子どもに対する未練だ。これからの余生、やることは一つだけだ。大佐を見つけ出して痛い目に合わせることだ。今となってはそれを考えることだけがフェイスの生きがいとなっていた。

 懲役一年六ヶ月といっても、刑期を満期で迎える囚人はむしろ少数派だ。多くは模範囚として刑期を過ごし、満期よりもかなり早い時期に出所してくる。無期懲役でさえ模範囚として十年も過ごせば仮出所して社会復帰できる。刑務所はどこも満員であり、必然的にそのようなシステムが構築されている。

 そして、その日はフェイスが収監されて半年くらいが経った頃、何の前触れもなく、突然にやってきた。

「楠田さん。ちょっとお時間よろしいですか?所長が、話があると言っていますので」

 その日の作業を終えたフェイスが作業場で後片付けをしていると担当の看守に声を掛けられた。普段、番号でしか呼ばれることがないのに、突然、苗字にさん付けで呼ばれたのでフェイスは驚いた。刑務所のルールではありえないことだ。

 フェイスは黙ったまま看守に付いていき、所長室に案内された。眼鏡をかけ、中年太りで制服が可哀想な所長は笑顔でフェイスを迎え、目の前のソファを勧めた。

 フェイスはソファに座り所長と担当の看守が対面に並んで座った。

「楠田さん。本日も作業、お疲れ様でした。突然、お呼びして恐縮ですが…」

 所長はそこまで言って担当の看守と顔を合わせ、またフェイスの方を向いてニッコリと微笑んだ。

「何でしょう?」とフェイス。

「実は楠田さんの恩赦が決定したのです。おめでとうございます」と所長。

「恩赦?」

「はい。恩赦というのはご存知ですよね?」

「刑期が短縮されるとかですか?」

「そうです。今日で刑期は満了となり、突然ですが、明日の朝、出所になります」

「随分、急ですね?」

 フェイスは戸惑いの表情を見せた。フェイスは所詮、どこにでもいる予定調和型の人間だ。恩赦という、とてつもなく喜ばしいに違いないことでも不意打ちには頭が追い付いていかれない。喜びよりも急に娑婆に出されることの不安の方が強かった。エミータは迎えに来られるのだろうか?来られないとしたらこれから数日はどうしたらいいのだろうか?家には帰れないし、これまでの作業で稼いだお金をくれるのかもしれないが、それで当座の資金は大丈夫だろうか?そんなことが頭をよぎった。

「急な話ですからね。戸惑うのはもっともかもしれません。でも大丈夫ですよ。明日は法務省から使者がやってくると聞いています。その人達が色々と手配してくれているはずです。ですから楠田さんは何も心配することなく、身辺整理をして、明日の朝にはここを出発できる準備をして下されば結構です。どうも長い間お疲れ様でした」

 所長はそう言って深く頭を下げたのでフェイスの方が恐縮した。

 

 翌日、スーツに着替えたフェイスは荷物、といってもボストンバック一つを抱え、使者の到着を待っていた。ネクタイを締めるのも久し振りだ。そのうち担当の看守がやって来て使者の到着を告げた。フェイスは看守の先導で所長室に向かった。

 所長室に入ると、中のソファには黒いスーツに身を固めた使者が座っていた。フェイスは、その使者には確かに見覚えがあった。使者はソファから立ち上がると深々と一礼した。

「長い間お疲れ様でした。これから法務省の大臣室にご案内致します」と大佐。

 人間は本当にビックリすると声が出ないものだ。フェイスは声が出せないままボストンバックをフェイスから奪い取った大佐に先導されて建物の外に出た。外には黒塗りのクルマが止まっていて、後部ドアの前にはパリッとしたブルーのスーツを着こなしたエミータが立っていた。フェイスを捉えたエミータは少し微笑み、後部ドアを開けて「どうぞ」と言った。声が出せないままフェイスが後部座席に乗り込むとハンドルを握っているコングの姿が見えた。大佐が後部右側に、エミータが助手席に同時に乗り込み、黒塗りは出発した。

 黒塗りが刑務所の敷地を出ると、フェイスはようやく声を出すことができた。黒塗りは府中街道を南下し、甲州街道との交差点へ向かっている。

「大佐」とフェイス。大佐はそれを左手のパーを見せて制した。

「色々と話したいことはあるだろう。それはお互い様だ。俺も君に話したいことがたくさんある。でもお互いに話すのはもう少し後にしよう。取り敢えず恩赦の伝達を受ける。それが最優先だ。それで君は晴れて自由の身だ。今日はこれから三ヶ所回ることになっている。一ヶ所目が法務省大臣室。大臣が直接君に恩赦の伝達をするんだ。これだけでも異例のことだと思ってほしい。なぜそんな異例のことが君のために行われるのかは着いてみれば分かる。二ヶ所目が目と鼻の先、でもないけど日比谷の野外音楽堂。ここでは君の支持者が集会を開いていて、君の到着を待っている」

「僕の支持者?」

「行けば分かるよ。今、長々と説明してもいいんだけど、君のその混乱している頭で理解することは難しいだろう。百聞は一見に如かずの方がいいと思う。そして三ヶ所目が番町の事務所なんだけど、ここで今までのこと、それからこれからのことをゆっくり話すよ」

 大佐がそう言うのを聞いてフェイスは黙った。別に大佐のことを許したわけではなかったが、大佐が逃げも隠れもせず、言い訳もせずに堂々としていたので、何か理由があると思ったのだ。フェイスは大佐のことを恨んでいるが、今ここで大佐を絞め殺してしまいたいわけではない。フェイスは真実を大佐の口から聞きたいだけだった。

 フェイスにとって久し振りの娑婆の空気は新鮮だった。コングの運転する黒塗りは甲州街道との交差点を左折し、しばらく直進して調布インターから中央道を東向きに入った。空は雲一つない日本晴れだった。十月も中旬に入り、季節も心地良い。フェイスは窓を開け、久し振りの外の空気を楽しんだ。黒塗りはそのまま首都高速四号線につながって環状線から霞ヶ関のランプで降りた。

 法務省庁舎の駐車場で降りた四人は大佐の先導でセキュリティーを突破し、うやうやしく大臣室に案内された。フェイスが驚いたことに法務大臣はもう一人の男と既にフェイス一行を待っていて、フェイスは笑顔と最敬礼を持って迎えられた。

「こちら、法務大臣殿と大臣政務官殿です」

 大佐が二人の政治家を紹介した。

「まあおかけください」と法務大臣。四人はフェイスを上座に、ソファに腰掛けた。

「既にお聞きになっているかと思いますが、楠田さんに恩赦が決定されました。長い間お疲れ様でした」

 法務大臣がそう言ったがフェイスは何と返答したら良いのか分からず、取り敢えず「ありがとうございます」とだけ言って座ったまま一礼した。法務大臣は続けた。

「それで、早速なんですけど、楠田さんにお願いがあるのです」

「お願い?」とフェイス。

「急な話で申し訳ないのですが、楠田さんには是非、次の参議院選挙の全国区に我が政権与党の公認候補として出馬していただきたいのです」

「はあ?」

 フェイスはそう言って大佐、エミータ、コングの方を見た。三人ともニタニタしている。法務大臣の隣に座った政務官が続けた。

「ビックリされるのももっともですが、我々としては是非楠田先生にお願いしたいと思っています。もちろん、名簿の順位は一位か二位を予定させていただいております。当選は間違いありません。この話、断らないでいただきたいのですが」

「……」

 フェイスは黙った。あまりにも急な話で何と返したら良いのか分からなかったからだ。フェイスが黙っていると一番奥に座っているコングが口を開いた。

「スミマセン。楠田先生はあまりにも急な話でとまどっていらっしゃるのだと思います。今朝、出所されたばかりですし。今日のところはごあいさつだけということで、正式なお返事はまた改めてということでよろしいでしょうか?先生には少し休憩時間が必要かと存じますので。その後は、きっといいお返事をいただけると思います」

「そうですよね。今日はゆっくりお休みください。いい返事をお待ちしています」

 大臣がそう言って政務官と一緒に席を立つと大佐、エミータ、コングの三人も席を立ち、ワンテンポ遅れたフェイスが慌てて席を立った。

 コングが二人の政治家にあいさつすると、フェイスは大佐に促され、大臣室を後にした。

 

「どうもお疲れさんでした。どうだったかな?悪い気はしなかっただろう。別に芝居じゃないぞ。ここが本物の法務省の庁舎であれが本物の法務大臣であることは君だって分かるだろう?次は日比谷の音楽堂まで徒歩で移動だ。天気が良くて良かったよ」

 大臣室を出ると、大佐が廊下を歩きながらフェイスに言った。

「大佐。クルマの中では黙っていろと言ってましたね?だから大佐から指示があるまでは黙ってはいるつもりです。でもどうしてこういうことになるのか、ヒントくらいはくれませんか?」

 フェイスが憮然とした表情で大佐に聞いた。

「そうだな。ヒントくらいは出してやろう。エミータ、例のモノ、フェイスに見せてやれよ」と大佐。

 それを聞いたエミータは歩きながら肩にかけた白い鞄を開け、中から雑誌のようなものを出して付箋の貼ってあるページを見せた。

 その雑誌は以前、内閣官房に出向してきたその日にフェイスも買ったことがある、とある月刊誌の何ヶ月か前の号で、広げたページには「国民徴庸法の真実」というタイトルの付された記事が掲載されていた。タイトルの下には「フリージャーナリスト徳井靖子」の記載もある。大佐が続けた。

「君が収監されてすぐ、エミータがこの記事を発表したんだよ。君は読んでないようだけど、それで、世論が雪崩を打って君の支持に回ったってわけだ。それが今や一大ムーブメントになって、本当に全国規模の運動になって、政権与党もそれだけで大層な票になると読んだんだな。その辺はコングの入れ知恵もあるようだけど。介護に関係していた人、保育に関係していた人、それはそれでものすごい数だったというわけだ。それで参議院選出馬の話が出てきたのさ」

 フェイスはエミータから雑誌を奪い取り、法務省の廊下の真ん中に立ち止まって記事を読んだ。しばらく記事を目で追ったフェイスは顔を上げ、大佐をにらんだ。

「大佐は今までどこで何をしていたんですか?」とフェイス。

「それは昔みたいに四人で落ち着いて腰かけた時にゆっくり話すよ。今、日比谷の音楽堂で君の支持者の集会が行われている。君を刑務所から奪還するための集会だ。そして奪還には成功して君はその会場に姿を現すんだ。君はものすごい熱気と興奮に包まれることになるぞ」と大佐。

 それを聞いたフェイスは雑誌をエミータに返し、一人でドンドン歩いて行った。日比谷音楽堂がどこにあるかは永田町に二年間勤めていたフェイスには分かる。前を歩くフェイスを小走りで三人が追いかけるような格好になった。

 音楽堂に到着したフェイスは舞台を見て驚いた。舞台のバックには「おかえりなさい!楠田隆先生」という横断幕が掲げられている。観客席の一番後ろでそれを見ているフェイスに追いついた大佐は腰のホルスターから銃のようなものを取り出した。フェイスはそれを見て一瞬ギクリとしたが、大佐はそのフェイスの表情を見て少し笑い、銃のようなものを上に向けて打ってみせた。

 「ポン」と軽い音がして打ち上げ花火と照明弾を足し合わせたような球体が上昇し、音楽堂の頭上で炸裂して心地良い音が鳴り響いた。それが到着の合図だったようで、司会者がマイクに向かってフェイスの到着を告げ、満員の観客が一斉にフェイスの方を振り返り、拍手と歓声を上げた。

「どうだ。亡命先から帰国した革命家のような気分だろう?」

 呆然としているフェイスに大佐が声をかけた。エミータが続ける。

「しょうがないよ。裁判の最後の最後で自分が首謀者だって言っちゃったんだから。あれはKチームみんなの業績だったのにね。全部フェイス一人に持って行かれちゃったよ。だから責任はとってもらわないとね」

 エミータは笑ってフェイスの背中を押した。フェイスはよろよろと舞台に向かって一人で歩き始めた。傍にいる観客が次々と握手を求める。舞台の上にはそれまで壇上にいなかったフェイスの妻子と元少子高齢化社会担当大臣、そして左翼政党の女性議員がフェイスのことを待っていて、フェイスが登壇するとまず、娘が駆け出してきて父親に抱き上げられた。傍にいる妻は涙を流している。娘を降ろすと続いて壇上の二人の政治家が相次いで握手を求めた。そしてそれぞれフェイスの手を片方ずつ握って観客に向けてそれを高く掲げ、会場の興奮は最高潮に達した。大佐とエミータとコングはそんな光景を見て、何だかフェイスがこの国の全権を掌握したような、そんな錯覚を覚えた。

 

 凱旋集会が終わると、フェイスは再びコングの運転する黒塗りに乗りこんだ。隣のシートには大佐が座ったが、助手席にエミータの姿はなかった。

「エミータは?」

 別に気に留めたわけではなかったが、フェイスは何となくそう聞いた。

「エミータは先に現地に行っている。これからの準備をするためにね」と大佐。

「現地って?」とフェイス。

「番町のとあるワンルームマンションだよ。まあワンルームマンションを名乗ってはいるけど、それは名前だけで、実際はこじんまりとした事務所がほとんどだ。弁護士事務所とかね。もちろん政治家の事務所もある。実際に住んでいる人も何人かはいるみたいだけど、それもSOHOっていうのかな。住まいと事務所を兼ねてるみたいだね」

「僕は離婚していなかったんですね?」

「ああ。奥さんから何か聞いたかな?」

「あの会場はすべてがぐちゃぐちゃでよく分かりませんでしたよ」

「俺も実はブラジルから帰国して間がないんであまり正確なことは分からないんだけど、君がサインした離婚届を受け取るだけ受け取って、それを出すかどうか迷っているうちにエミータの記事が発表されて、それから急激に世論が動き出して、それで結局、離婚届を出すことを思いとどまったってとこじゃないかな。まあ、正確なところは後でゆっくり奥さん本人に聞いてみてよ」

「家族とはゆっくりできるんですか?」

「今日からしばらくはホテルで家族と水入らずの生活だよ」

「子どもの学校は?」

「そんなことは気にしないでいいよ。君は革命の英雄だぞ。だから色んなことが特別扱いだ。平日の昼間に遊園地で家族とのんびり過ごすでもいいよ」

 大佐がそう言うと、それを聞いたフェイスは再び長い沈黙に入った。これまで我慢してきた家族への思いが急に湧き上がってきたのだ。これから家族と何を話したらいいのかフェイスの思いは家族へと向かった。フェイスが長い沈黙に入っている間に黒塗りはテレビ局の隣にある、三百部屋はあるだろうと思われる背の高いマンションに到着し、フェイスは家族への思いから目覚めた。

 エレベーターを上がり、五階の一室の前に到着すると、その玄関には「楠田隆仮事務所」という表札が掲げられていた。

「ここはあくまでも仮の事務所だ。急ぎだったもんで取り敢えずこんなものしか準備できなかったけど、落ち着いたら平河町あたりのもっとゴージャスな部屋に引っ越すよ」

 大佐がそう言って呼び鈴を鳴らすと中からエミータの声が聞こえ、ドアが開いてエミータが顔をのぞかせた。

「お待ちしておりました。おかえりなさいませ。準備できていますのでどうぞ」とエミータ。

 フェイスを先頭に中に入ると部屋の真ん中にテーブルとそれを囲む形で椅子四脚が置いてあり、テーブルの上には寿司やオードブル、ビールなどがきれいに並べられていた。これから小さなパーティーでもやるようだ。フェイスは大佐に促されて一番奥に座らされ、その周りを右から大佐、コング、エミータの順で取り囲んだ。

「さあ、飯だ。取り敢えず昼飯にしよう」と大佐。

「ちょっと待ってください。お昼にするのは構いませんが、その前に僕に話すことがあるんじゃないんですか?」とフェイス。

「お腹すいてないのか?」と再び大佐。時計は午後一時頃を指している。

「お腹はすいていますし、喉も乾いています。しかし、その前に話を聞きたい」

「ビールくらいいいだろう?飲みながら話そうよ。もう喉がカラカラなんだ」

「駄目です」

 フェイスが毅然とそう言うと大佐はしょうがないなあという表情になった。

「分かったよ。一番肝心なことはフェイス、君が何か誤解しているということだと思う」と大佐。

「誤解?」とフェイス。

「そうだ。誤解だ。エミータにも聞いたけど、君は今回のこと、俺が全部君に責任をなすり付けてブラジルにとんずらしたと思っているな?」

 大佐にそう言われてフェイスは一度左側のエミータと視線を合わせた。

「ええ。そうじゃないんですか?」

「まあ、そう思われても仕方のない状況ではあるな。でも事実はそうじゃないんだ。信じるか信じないかは君の自由だけど、俺がおふくろを施設に預けてサッサとブラジルに行ったのは純粋に息子に会いたかったからさ。君のことなんかまるで聞いてなかったし」

「息子さん?」

「そうだ。俺はおふくろの介護に追われていて息子には父親らしいことは何もしてやれていなかった。それは本当にすまないと思っていたんだ。だからおふくろが片付いたらブラジルまで出かけて行って、息子に手を貸してやろうと本気で思っていた。おふくろを施設に入れたかったのもそれが最大の理由だよ。俺が楽したいんじゃなくて、もう先のない年寄りよりも先のある若者のために何かをしたかったんだ。それで俺はブラジルに行った。息子はアマゾンの奥の方にいてね。日本はおろか、とても文明社会と連絡を取れるような環境にはなかったんだ。だからフェイス、君が起訴されたことも全く知らなかった。しばらくしてたまたまリオに行くことがあってね。そこで初めて君が大変なことになっていることを知った。すぐにでも帰国して君を救出したかったけど、息子の方のプロジェクトが中途半端でとてもすぐに帰国できるような状況じゃなかった。どうにかこうにか都合をつけて、帰国できたと思ったらエミータの活躍で君の奪還運動が盛り上がり始めていて、それに乗じて恩赦にこぎつけたってわけさ」

「こぎつけたって、僕が釈放されたのも大佐の力だと言いたいんですか?」

「もちろん俺だけじゃない。エミータやコングの力も必要だった。やはり俺達は一つのチームだよ。チームで行動しないと力は発揮できない。逆に言うとチームで結束すれば革命だって起こせるってわけだ」

 大佐にそう言われてフェイスはもう一度、エミータ、コング、そして大佐、一人ひとりと視線を合わせた。みんな笑顔だった。

「これから僕はどうなるんですか?」とフェイス。

「さっき法務大臣が説明したとおりだよ。君は参議院議員になるんだ。全国区の名簿の一位か二位だ。絶対に当選する。一度当選してしまえば再選は容易だ。そうでなくても君は英雄なんだ。有権者が落選させるわけがない。君に恩を感じている有権者は何百万人もいるからね。君はまだ三十代前半だし、五期三十年だってやれるよ。そうすれば議長は確実だし、憲政史上初の参議院出身の総理大臣にだってなれるかもしれないぞ」

 大佐にそう言われてフェイスはもう一度三人を見回した。

「何を言ってるんですか?僕は刑務所に入った男ですよ。前科者なんですよ」

「それを言うなら吉田松陰も高杉晋作も牢屋に入っているよ。英雄とはそういうものだ」とコング。

「そう。肝心なことはピンチをいかに怪我の功名に持っていくかということだよ。前にも言ったと思うけど」と大佐。

「…こんなことで押し切れると思っているんですか?」

 フェイスは低い声でうなった。

「何を言ってるんだ君は。何をそんなに小さくなってる。君は英雄なんだぞ。英雄はもっと胸を張れ。きっと君の伝記が出版されることになるぞ。おふくろにも読ませてやりたかったな。ひょっとしたらお札の顔にもなるかもしれないな」と大佐。

「そう。おいしいところ全部持って行かれちゃったね。私達、フェイスの伝記に脇役くらいで登場できるかなあ」とエミータ。

「まあいいじゃないですか。すべて丸く収まったんだから。結局、この四人の中ではフェイスが一枚上手だったってことですよ」とコング。

 フェイスはそんな三人をもう一度見回した。

「みんなはこれからどうするつもりなんだ?」とフェイス。

「俺はブラジルに帰る…と言いたいところだけど、ブラジルにはもう帰らない。日本に骨を埋めることにするよ。実はブラジル、行ってみたはいいけど、どうも水が合わなくてな。息子も俺がいると迷惑みたいだし、やっぱり日本で暮らすことにするよ。まあ何年かに一度くらいは行ってみてもいいし、君を連れて行ってやってもいいけどな。それで、俺は参議院議員楠田隆大先生の公設第一秘書になるよ。どうか俺の派手な人脈を最大限使って永田町で思う存分暴れてもらいたい」と大佐。

「私はもちろんジャーナリストは続けていくつもりだけど、この際、政治に首を突っ込んでみるのもいいかなあとか思ってね。新聞社では政治部にいたんだし。それで私は差し当たり公設第二秘書ってとこかな。楠田隆大先生の政治の世界での文字どおり女房役として精一杯やらせていただきますよ。フェイスのお蔭で実家とも和解できそうだし」とエミータ。

「私は引き続き政策担当秘書をやらせてもらいますよ。もちろん今、仕えている、あがりを迎えた元大臣は卒業して楠田隆大先生のね。私はこの三人の中では、秘書としては一番のベテランだし、酸いも甘いも知っているからきっとお役立ちになると思うよ。それでしばらくしたら都議会議員にでもさせてもらおうかな。楠田大先生の推薦があればそれも簡単だよね。議長くらいすぐになれたりして。それから衆議院議員にでも転じようかな」とコング。

 それを聞いたエミータが「ずる~い、それ。それなら私も地方議会に出ようかな。私は市議会議員くらいでいいや」と言った。三人ともとても幸せそうな笑顔だった。

「フェイス。これだけお膳立てができてるんだ。もう逃げられないぞ」

 大佐が静かに言った。フェイスもやれやれという表情になった。

「…それで僕はこれからどうすればいいのかな?」

 フェイスがそう言うのを聞いて大佐は指を鳴らした。

「そうこなくっちゃ。フェイスにはこれからあちこちで講演してもらうよ。実は全国各地から講演の依頼が殺到してるんだ」と大佐。

「そうそう。講演原稿の原案は私が作るから、後はフェイス好みにいじってもらえればいいよ」とコング。

「私も記者だから文章を書くのは得意なんだけど、有権者受けするのっていうのはコングじゃないと無理だからね」とエミータ。

「これから忙しくなるぞ~。やっぱり我々四人は素晴らしいクルーだ」

 大佐がそう言うのをエミータが右手で制した。

「ちょっと待って大佐。何か忘れてない?」とエミータ。

「ああ、乾杯だな。もうビール飲んでもいいだろ?」と大佐。

「そうじゃなくて、チームの名前よ。このチームの、楠田隆大先生のチームの名前をつけなきゃ」と再びエミータ。

「ああ、チームの名前か。じゃあこういうのはどうだ?このチームは楠田隆大先生がリーダーとして率いるチームだ。だから大先生のイニシャルを取ってKチーム」

 大佐はそう言うとプラスチックのコップをフェイスに押し付けて缶ビールのプルタブを開けた。

 

(了)

 

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