週が明けた月曜日、今朝も楠田は午前七時の保育園にいた。週末、小さいながらも家族会議が開催され、保育園への朝の送りが妻から夫に交代することが正式に決まったのだ。これで自宅の近くの税務署に勤務する妻は、朝はギリギリまで眠っていることができる。朝は自分のことだけをやって出発すればよく、娘の身支度はもちろん、朝食も、洗濯もすべては夫が対応することとなった。お迎えは、永田町勤務の夫では間に合わないので従来どおり妻が対応するものの、楠田は妻の荷を軽くすることができて少しホッとしていた。
楠田は先週と同じようにお気に入りのDVDで娘を起こし、シリアルを口の中に突っ込んだ。娘がまどろみながら朝ご飯を食べている隙に洗濯物を干し、着替えさせてからラジオが交通情報を告げるタイミングを見計らって、家を出た。
娘をフラッカーズの前に乗せ、ペダルを漕ぐと五分もかからずに保育園に到着した。楠田は一番乗りだった。荷物を降ろし、着替えやタオルなどをセットし、連絡版にコメントを書いてから、娘と一緒にホールに移動し、七時十五分の保育士到着を待った。
娘と二人でぼんやりと園庭を眺めていると、門が開き、二番手の親子が現れた。母親と男の子の組み合わせのようで、男の子は母親にしっかりと抱きかかえられている。楠田は母親の方に確かな見覚えがあったのでビックリした。楠田は園庭側の窓から、その母親に声をかけた。
「おはようございます」
声の方を振り向いた母親もビックリした顔をした。
「楠田さん?どうしてこんなところにいるんですか?」と徳井。
「それはこっちの方が聞きたいですよ。いや、本当のことを言うと、この前、記者会館の食堂でお会いした時、どっかでお目にかかったような気がしていたんですよ」と楠田。
「お嬢さん、ここの保育園だったんですね。それは奇遇です。ゴメンナサイ。私、急がないと」
徳井はそう言って子どもを抱きかかえたまま入口から建物に入り、靴を脱ぎ、階段を昇っていった。
二人が子どもを預けている保育園は二階建てだが、二階がゼロ歳から二歳の乳児クラスで、一階が三歳から五歳までの幼児クラスとなっている。園児が全員集合する九時頃には各クラスでの保育となるが、朝早く、あるいは夕方遅くは園児も保育士も数が減るので各クラス入り混じっての合同保育となる。ここの保育園では一階のホールで乳幼児をまとめて一人の常勤保育士ともう一人の、福祉員という肩書を持つ非常勤保育士の二人が朝の早い時間、園児を見ることになっていた。
徳井は二階の乳児クラスで、楠田と同じように着替えや汚れ物袋やタオルのセットをし、乳児クラスは、楠田の娘が通う幼児クラスと違って連絡帳があるので、連絡帳を決められたトレイの中に入れると再び息子を抱きかかえてホールに降りてきた。ホールでは楠田とその娘が待っていて、徳井が息子を降ろすと早速、楠田の娘が近寄ってきてちょっかいを出した。
「随分と早いんですね」と楠田。
「今日は七時半からシフトが入っているんですよ」と徳井。それを聞いて楠田は徳井がフリージャーナリストと介護職の掛け持ちをしていることを思い出した。
「シフトって介護職のですか?」
「ええ。今日は早番なんで」
そう言った徳井は、フォーマルとカジュアルを足して二で割ったような記者会館の時とは違う印象を醸し出していた。徳井はジャージとスウェットを足して二で割ったような、介護職のユニフォームのような服装をしていた。胸の所に名札が縫い付けてあり、施設の名前と「徳井靖子」というフルネームが並べて記載されている。
「七時半からって間に合うんですか?もうすぐ七時十五分ですけど」
「ああ、それはね。勤務先、とっても近いんですよ。歩いても五分くらい。そうでもないとやっていかれないんですけどね」
徳井がそう言うと、十五分までまだ二分ほど前だったが、非常勤の保育士が入ってきて、「おはようございま~す。もういいですよ」と言った。保育士の言葉を「フライング可」と解釈した楠田は「スミマセン。じゃあよろしくお願いします」と言って娘と別れのやり取りをした。徳井も別れ際のセレモニーなのか、もう一度、息子のことを抱き上げた。
二人は並んで二人の子どもに手を振り、建物を後にした。
「珍しいですね。お嬢さんを送ってくるなんて」
自転車置き場まで移動しながら徳井が言った。
「ええ。あそこに異動して始業時間が随分と遅くなってしまいましたから。妻はまだ寝てますよ」
「そうですか。うらやましい。私の別れた夫はそんなことはしてくれなかった」
徳井がポツリとそう言ったので楠田は次の言葉をためらった。「別れた夫」という言葉に対して何と返したら良いのか楠田が考えている間に二人は自転車置き場に到着した。
先に徳井が自転車を引っ張り出し「今度、ゆっくりお話ししましょうね」と楠田に言って自転車にまたがり、さらに「じゃあまた」と言って、駅に行くのとは逆の方向の道を左折して楠田の視界から消えていった。
午前十時の内閣府庁舎。既に本日の社説をまとめ上げた楠田が引き続き机の上のノートパソコンに向かっていると、先週と同じようにコンマ一秒の狂いもなく、大佐が現れた。
「おはよう。土曜日は子守り、お疲れさんでした」と大佐。
「おはようございます。大佐も親孝行お疲れ様でした」と楠田。
「そのとおりだ。土日は疲れるね。ヘルパーも来てくれないし。土日の休みをこうやって週日の仕事で癒しているんだからおかしなものだよな」
大佐にそう言われて、楠田も思い当るふしがあった。楠田も週末は娘の世話や妻への気遣いで疲れてしまい、いっそビジネスライクにいられる週日の方が楽だとさえいえる。きっと、仕事の世界は打算的なものであり、妥協が可能なのに対し、家庭は超打算的であり、妥協が不可能かつ不適切、さらに放棄できるものではないことが原因なのだろう。先週と同じように総務班の女性職員が麦茶のコップを持ってきた。
「ところで大佐」と楠田。
「うん」と大佐。
「今朝、保育園で珍しい人を見かけましたよ。この前、国会記者会館の食堂でカツカレー食べてたフリージャーナリストの徳井さん。彼女の子どもさん、うちの娘と保育園が一緒だったんです。それで朝、バッタリと」
「ああ、そうか。そう言えば、君の家は俺ん家に近いんだよな?」
「彼女の家、ご存じなんですか?」
「家までは知らないけど、近所に住んでいることは何となく知っている。地元で二回、会ったことがあるからね。一度は国分寺の駅で、もう一回はバスの中だった。俺は途中で降りてしまったけど、彼女はその先まで行ったから、多分、君と同じR市に住んでるんだろうな」
「そうだと思います。保育園は都営の隣にあるんですけど、自転車で来てましたから。勤務先もその保育園の近くだそうです」
「J町の都営というと大きいのが二ヶ所あるけど、バス通りの方かな?」
「はい」
「じゃあ、あそこの保育園か。あの保育園の近くの老人介護施設だと五ヶ所あるな。そのうちの三つは最近、というか、ここ数年のうちにできた施設だ。その三つのうちのどれかなんだろう」
「よくご存じですね?」楠田はそう言って、大佐がそういう情報に興味を持たざるを得ない状況に置かれていることを刹那に思い出し、「お母様の関係でお調べになっているのですね?」と付け加えた。
「そうだよ。でもどこも満員で順番待ちだ。順番待ちといっても既に入居してる人が長い旅に出なければ回ってこない順番だ。後何人というのは分かるんだよ。それはそれでファストフード店の行列と同じだ。しかしいつ前の人が終わるのかは分からない。そうなると順番を待っているという感覚も薄れてくるよなあ」
そう言われて楠田は思い出したことがあった。娘が産まれたとき、楠田夫妻は保育園入園が絶望的に過酷であることを知らなかった。確かに保育園が混んでいるという情報は報道で知ってはいた。しかし駅前の保育園に「園児募集中」の掲示がいつも出ていたので気楽に構えていたら、募集しているのはもっと年長の子どもであり、ゼロ歳児の枠はほとんどなかったのだ。
幸い、夫婦ともに公務員であり、育児休業取得には支障もなく、「保活」と呼ばれる保育所探しには比較的じっくりと取り組むことができた。どこも満員で順番待ちというのはどこの保育園でも同じだったが、それでも保育園には進級があり、どこかの保育園では順番が回ってくる可能性が高い。老人介護施設の順番待ちはきっと保育園よりも過酷なのだろうと改めて楠田は大佐に同情した。
「何やってるんだ?」
楠田が少し黙っていると大佐の注意が楠田の机の上のノートパソコンに向かった。
「ああ、これですか?宿題をやってます。作文といいますか、『国民徴庸法』を僕なりに打ってみています」
楠田にそう言われて、大佐はさらにのぞきこんだ。液晶の中の文字列は、横書きではあるものの「第○○条 ……」という形になっていて、端から見れば既に法律の条文の形が完成しているようにも見える。
「なるほど、もう、法律の形にしているんだ。さすがは税法のプロ。法律はお手のものって訳か」と大佐。
「大佐にはイメージでいいと言われましたが、頭の中を整理するためにも条文の形の方が分かりやすいので、法制局というよりも自分のために条文の形にしてみています」と楠田。
「まあ、君のやりやすいようにやればいいよ。それで、いつくらいに一旦、まとまるかな?」
「まとまるというとどういう状態でしょう?」
「ゲラの完成程度の認識でいいよ」
「今週中くらいには余裕で完成すると思いますけど」
「随分早いな。俺としては、半年くらいはかかるもんだと思っていたよ。まあ、俺がやったんじゃ半年かかってもできないだろうけど。じゃあ、今週中に徳井君と新田君にも声をかけて、四人で一度集まろう」
「四人で、ですか?」
「うん。事実上のプロジェクトチームの結成式だ。それで、俺は、もう承知してもらったかと思うけど、土日は駄目で、週日も夜とかは駄目だから、まあ、君も同じような境遇だと思うけど、平日の昼間に、できれば俺ん家でやりたいね」
「平日の昼間は構いませんが、大佐のご自宅ではお邪魔なのでは?お母様もいらっしゃいますでしょうし」と楠田。
「そっちの方が俺の目が行き届くんでありがたいということだ。徳井君もシフトの合間に来てもらえるから永田町に呼びつけるよりもよっぽどいいだろう」と大佐。
「まあ、徳井さんはお子さんの保育園の送迎もあるでしょうしね。それで、新田さんは?」
「新田君はサラリーマンじゃないし、…サラリーマンだけど、サラリーマンのようには働いていないから、ちょっと面倒をかけるけど、M市まで来てもらうのにそれほど迷惑じゃないと思うよ。どうせ政務調査費ということで交通費も出るんだろうから。じゃあ、二人には俺から連絡しておくよ」
「あの二人はお互いに知り合いなんですか?」
「古くからの知り合いのようだが、どこでどう知り合ったかは、俺は知らないし、聞いてもいないし、興味もない。二人が古くからの付き合いだというだけで情報としては十分だということだ。もし、男女の関係だったりしたら気まずくなるからね。興味があるなら君の口から聞いてみるんだな」
大佐はそう言って麦茶をぐいっと飲み、目の前の新聞に手をかけた。
プロジェクトチームの発足式はその週の金曜日に開かれることになった。楠田の作業スピードは大佐の予想をはるかに上回るものであり、火曜日の午前にはゲラができあがった。ゲラは形も中身も大佐をうならせるものであり、徳井と新田に連絡してあっという間にミーティングの段取りが整った。
金曜日の昼前には大佐と楠田の二人は永田町を後にし、途中で昼食を挟みながら大佐の自宅に移動した。大佐の自宅は国分寺の駅から歩いて十五分ほどのところにある。駅からは比較的近いものの、国分寺駅自体が市の端の方にあるので、大佐の家もM市内にはあるものの、R市とさらに隣接するH市の境に近い場所にあった。
二人は携帯メールで連絡を取りながら国分寺駅で新田と合流し、炎天下を大佐の家まで歩いた。
大佐の家は、相当の年代物で、三DKという今ではあまり見られない、リビングのない間取りだ。それでも内外装のメンテナンスは行き届いていて、ダイニングキッチンが斬新的だった頃に建てられたという古さは感じられなかった。
玄関を入るとすぐにダイニングがあり、その先の和室との間の引き戸が開けっ放しになっていて、楠田は車椅子に座ってテレビを見ている大佐の母親と目が合った。
「ああ、ノリオちゃん。遊びに来たのかい?」と母。
「こんにちは。お邪魔します」
楠田は母の問いにはまともに答えず、日本の伝統的なあいさつだけをした。
「お母さん、一人で留守番して大丈夫なんですか?」
楠田は母に聞こえないように大佐に聞いた。
「この前も言ったけど、食事と排せつは一人でもできるし、火さえ使わなければそれほど危険ではないからね」と大佐。
「普段から車椅子を使っているようですけど、介助は必要じゃないんですか?」
「確かにおふくろは足がそんなに丈夫じゃないけど、トイレくらいまでなら手すりを伝って一人で行かれるんだ。でも外出とかはもう車椅子でないと無理だな」
「確かにこの前お会いした時は車椅子を利用されていらっしゃいましたけど」
「だから助かっているとも言えるんだ。もし、足が丈夫だったらどうしようもないくらい徘徊されているだろうからね。それじゃあとてもじゃないけど、一人で留守番はさせておかれないし、俺一人で面倒見ることもできないだろう」
大佐がそう言うと、ちょうど玄関のチャイムが鳴り、インターフォンに出た大佐は相手を誰何することもなく「どうぞ」と言った。門から玄関に移動するタイミングがあって、徳井が入ってきた。手土産を持っている。
「悪かったな。暑い中呼び出したりして」と大佐。
「いいえ。私の方こそ、都合合わせてくださいましてありがとうございました。丁度、昼のインターミッションで抜けてきたところです」と徳井。
「じゃあ、二階に移動して」
大佐がそう言って、メンバーは途中で直角に曲がった階段を二階へと上がった。二階は二部屋あり、北側の部屋に入ると中にはお膳を真ん中に座布団がきれいに四枚並べてあった。大佐が今朝、出かける前に準備したものだった。
大佐は三人に座るよう促し、三人の着座を確認すると、再び一階に降りていった。そして缶コーヒーを四本持って上がってくると、入口に一番近い座布団に座った。
「ゴメンな。こんなものしかなくて」
大佐はそう言って、いかにも安物の缶コーヒーを三人の目の前に置いていき、三人はそれぞれ礼を言った。大佐が「じゃあ」と言って楠田に目配せし、楠田が鞄の中から資料を四部取り出し、各人に配った。数枚の紙が束ねられ、左隅がスタプラーで綴じられている。
四人はしばらく数枚の綴じられた紙の束に目を通しながら黙っていた。徳井と新田は楠田の作った「法案」を見るのはこれが初めてだ。
「いいんじゃないですか。よくこれだけのものが作れましたね。あんなに短時間で」
しばらくして読み終えた新田が言った。新田は職業柄この手の文章に慣れている。
「まあ楠田君はそれだけ優秀だということだよ」と大佐。
「でもなんで五百四十日間なの?」と徳井。徳井は新田よりもじっくり読んでいるのかこの手の文章が苦手なのか、読むのに時間がかかっていて、まだ三分の一くらいが残っている。
「法案」には「国民はその生涯において五百四十日間、政令の定める介護事業又は保育事業に労務を提供しなければならない」という規定がある。
「別に必要な労働時間を計算したわけじゃないんです。ただ、介護福祉士の受験資格を得るために五百四十日間の実務経験が必要だということは知っていました。ですから、五百四十日間を義務付けて、それが全部介護に費やされると、自動的に介護福祉士の受験資格が得られるようになって、じゃあいっそのこと介護福祉士になろうかなって思う人が出てくるとさらにいいのかなと思いまして、取り敢えずその日数にしてみました。もちろん暫定的な数字ですから皆さんのご意見をいただいて変更すべきところは変更したいと思っています。僕も社会福祉のプロではありませんから」と楠田。
「まあ、取り敢えずはいいんじゃないんですか。どうせこれから調整が入るわけですから」と新田。
しばらくして徳井も読了したようで「いいと思います」と一言いうと、さらに「いただきます」と言って缶コーヒーのプルタブを開け、口をつけた。
「よし。じゃあ政治家の方は新田君が、マスコミの方は徳井君が担当するということでいいね?役人の方は俺と楠田君で対応するから」と大佐。
「ええ。いいですけどあまり期待しないでくださいね」と新田。
「それは分かっている。これはあくまでもゲームだ。目標は経済財政諮問会議の議案に乗せるところかな」と大佐。
「随分、トーンダウンしましたね。前は最終答申に載せるって言ってたと思いますけど」と新田。
「ああ、まあどっちでもいいやということさ」と大佐。
「私は比較的真面目、というか力を入れてやりますね。てか、ストレス解消として」と徳井。
「ストレス解消ねえ」と再び大佐。
「そりゃそうですよ。マスコミの仕事はやっぱり燃えるし、介護士は増えてほしいし、今の仕事はきついし、私生活もきついですからね」と徳井。
「楠田君は特にいいかな?」と大佐。
「あっ、はい。僕はとにかく要領がよく分からないので、対人折衝というよりは後方支援にまわりますね」と楠田。
「まあ、君は学究肌だからそれはそれで似合うかもしれないな。よし、ではこれで『国民徴庸法』プロジェクトチームの誕生ということで皆さんご異議はございませんね?」と大佐。
「プロジェクトチームですか?」と徳井。
「そうチーム。Aチームみたいなもんだ。Aチームは知っているかな?一昔前のアメリカのテレビドラマ、『特攻野郎Aチーム』のAチームだ」
大佐がそう言ったが他の三人はピンとこない。大佐が続けた。
「Aチーム知らないかなあ?まあジェネレーション・ギャップっていったところかな。Aチームは昔、アメリカで、それから日本でも流行ったテレビドラマさ。平成になって、映画でリメイクもされていたと思う。ベトナム戦争、……なんて君達の記憶の片隅にもない、歴史上の出来事なんだろうけど。俺ですらサイゴン陥落の記憶が微かにあるくらいだから。…それでそのベトナム戦争でならした特殊部隊のメンバーが、濡れ衣を着せられて、軍事法廷で有罪にされるんだけど、刑務所を脱獄して、地下に潜って、傭兵として、弱いものいじめというか、不当な目にさらされている小市民達を助けるという勧善懲悪モノだ」
大佐が言ったが、三人はまだキョトンとしたままだった。
「ごめんごめん。こんな話を聞いても面白くはないな。マニアだったら食いついてくるところなんだけど。…それで、話を元に戻して。正式にチームが発足したところで、チームのルールを二つほど作っておきたいんだけどいいかな?」と大佐。
「ルール?」
徳井がそう言って、徳井、楠田、新田の三人はお互いに顔を見合わせた。
「ルールといってもそんなに難しいものじゃないよ。このチームは総勢四人かもしれないけど、それはそれで組織だ。組織として活動するのであれば、フラットで、フランクで、フレキシブルな組織がいいと思う。おっ。今、たまたま口をついて出たけどこの三つの単語、全部Fから始まっているぞ。将来、俺のことを研究する学者は今、俺が言ったことを三Fの法則とか名付けるかもしれないな」
他の三人はまた顔を見合わせ、楠田が「それで、どんなルールです?」と言った。大佐が続けた。
「ルールその一。チームの中ではため口。どんなに年が離れていてもため口だ。これは忌憚のない意見、遠慮のない意見を奨励するためだ。遠慮とかは言葉遣いとか、形から出てきてしまうからね。くだんのAチームでも軍曹であるコングが大佐であるハンニバルに『ぶん殴ってやる』みたいなことを普通に言っていたからね。とは言っても二回りくらい年上の俺に対して君達が「ぶんなぐってやる」とか言うのは難しいかもしれないけど、君達同士は歳も近いんだし、もっとフランクに話してもいいんじゃないのかな?今みたいに『ですます調』じゃなくてさ」
三人は再び顔を見合わせ、それぞれうなずいた。大佐は続けた。
「ルールその二は、ルールその一を裏から支える道具になるんだけど、フランクな組織であることを裏書きするためにチーム内ではニックネームで呼び合うということだ。Aチームでもそうだけど、『太陽にほえろ』とかでもそうだけど、フランクな組織は構成員同士をニックネームで呼び合っているものだ」
「タイヨウニホエロ?」と徳井。
「そうか。またまたジェネレーション・ギャップというやつだな。伝説の刑事ドラマだけど、君達にとっては本当にレジェンドかもしれない。リアルはおろか再放送でも見てないんだろうから。でも、まあお互いにニックネームで呼び合い、ため口で話し合う方がフランクな組織になるということは理解できるだろ?」と大佐。
三人は再びお互いに顔を見合わせ、再び楠田が「それはまあ」と言い、徳井が「それは理解できましたけど、私にはニックネームなんかありませんよ」と言った。
「産まれてこの方、本名だけで呼ばれてきたわけじゃないだろう?昔は友達からなんて呼ばれていたんだ?高校生のときとか」と大佐。
「高校生の時は『ドラちゃん』って呼ばれてました」と徳井。
「『ドラちゃん』?」と大佐。
「ええ。昔は太ってたんです。今より、二十キロくらい太っていたと思います。で、ネコ型ロボットの妹に体型が似ていたんですよ。それで…」
「なるほど、ネコ型ロボットの『ドラ』か。じゃあ今は使えないな。まあいいよ。俺が決めてやろう。俺は大佐だけど、ハンニバルと呼んでもらってもいい」
「ハンニバル?」と楠田。
「Aチームの続きさ。Aチームの主役ジョン・スミス大佐はハンニバルと呼ばれていた。俺は階級も同じ大佐だし、このチームのリーダーになるわけだからハンニバルそのものって訳だ。まあハンニバル・スミスとは違って変装の名人ではないけどね。そういうことで楠田君。君のニックネームは『フェイス』にしよう」と大佐が楠田に振った。
「『フェイス』って、…顔ってことですか?」と楠田。
「フェイスはAチームのメンバー、テンプルトン・ペック中尉のニックネームさ。ペックは女たらしのなんでも調達屋だけど、君もカテゴリーとしてはイケメンの方だし、フェイスマンと呼ばれても別に悪い気はしないだろう?」
「はあ」
「君がフェイスになるのは新田君を『コング』と呼ばざるを得ないからだ。コングはB・A・バラカス軍曹。飛行機が苦手の大男だ。飛行機が苦手かどうかはともかくとして、大男の新田君がコングになるのは必然だから、消去法で楠田君はフェイスとなる」
「私はどうなるんです?そのAチームには女子もいるんですか?」と徳井。
「Aチームは合衆国陸軍の特殊部隊だからチームの正規メンバーには女子はいないけど、Aチームをサポートするヒロイン役として新聞記者がいたなあ。なんていったっけかなあ?」
大佐が自問自答していると徳井がスマホを取り出してガチャガチャといじった。
「Aチームですよね?……ああ、これだ。『特攻野郎Aチーム』ですね?」
「ああ。それが正式なタイトルだ」と大佐。
「ええっと、登場人物……。新聞記者は二人いますね。エミー・アマンダ・アレンとターニャ・ベーカー」
「そうだ。エミーとターニャだ。じゃあ徳井君はエミーとターニャを合わせてエミータにしよう」と大佐。
「なんだかコードネームみたいですね」
それまでおとなしく黙っていたコングこと新田がポツリと言った。
「なんだかスパイみたい」とエミータこと徳井。
「スパイじゃなくてオペレーターと言ってほしいね。そうだな。コードネームという言い方でもいいだろう。そっちの方が秘密組織っぽくって面白いかもしれない。じゃあ決まりだね。楠田君はフェイス、新田君はコング、徳井君はエミータだ。俺のことはハンニバルでいいけど、引き続き大佐でも構わないよ。大佐も所詮はニックネームだし、Aチームのジョン・ハンニバル・スミスも設定上は大佐で、モンキーとかには大佐と呼ばれていたからな」
大佐は本当に楽しそうに言った。
「ニックネームはそれでいいけど、まだ一つ残ってますよ」とエミータこと徳井。
「なんだ?」と大佐。
「チームの名前ですよ。まさかAチームと名乗るわけじゃないですよね?Aチームじゃあまりにもパクリそのものでしょ?ただの『チーム』でもいいけど、普通名詞だと区別がつかなくなったりしますからね」
「そうか、何がいいかなあ?…じゃあ、これは国民徴庸法を作るためのチームだから頭文字を取って『Kチーム』にしよう。どうだ?」と大佐。
三人は再び顔を見合わせ、フェイスこと楠田が「いいんじゃないんですか」と言った。
「ようし、じゃあ『Kチーム』で行こう。Kチームの諸君、今日は歴史的な日になった。今日のことは各人、日記や手帳に記しておくんだぞ。将来、君達のことを研究する歴史学者が見た時に参考にできるようにね」
そう言った大佐はご満悦だった。
「悦に入っているところ恐縮ですが、今は夏。秋の臨時国会が始まるまでは大したことはできませんよ」とコング。
「それは分かってる。それまでは練るんだ。どうせ法制局とのキャッチボールもあるだろうし」と大佐。
「じゃあそれまで私はマスコミ関係者をあたって種をまいておきますね」とエミータ。
「何だかよく分からないけど、僕は財務省の図書館や国会図書館にこもって皆さんを後方支援しますね」とフェイス。
新しいゲームが始まる予感がして、四人は同じドキドキを共有していた。