翌十二月十五日の午前十時前、フェイスは経済部の自分の席に座り、既にパソコンを立ち上げ、政権与党のホームページを画面に表示させていた。まだ時間前で画面は「税制改正大綱」を捉えてはいない。フェイスは合格発表を待つ受験生の気分を久し振りに味わっていた。
あるいは時限爆弾の爆破時間を待つテロリストのような気分でもあった。小学生の頃、フェイスはほぐした爆竹を束ねて導火線に蚊取り線香を結び、蚊取り線香に火をつけて空き地の見えないところに放置し、自分は逃げ出して十数分後の爆音を楽しんだことがある。そんな気分だった。
午前十時、大佐が部屋に入って来るのと同時に、フェイスは政権与党のホームページの更新ボタンを押した。画面が最新に切り替わり、液晶の「新着情報」には「新年度税制改正大綱」の文字列が光り輝いた。
フェイスは興奮した手つきでマウスを操作し、その文字列に侵入した。しばらくCPUが稼働するタイミングがあって百三十八ページのPDFファイルが開いた。フェイスは画面をお尻の方にスクロールし、昨日、自分の手で書き加えたページに移動した。
人間は本当にビックリすると声が出ないものだ。フェイスはただ黙って画面を見つめ、「ない!」という言葉がその口から出ることはなかった。
「どうした?」
フェイスの様子を見ていた大佐の方が声を出した。
「ないんです…」とフェイス。フェイスは明らかに動揺していた。
「ない?」
大佐が聞き返した。
「昨日、僕が確かに書き込んだ一文が入っていないんです」
フェイスはそう言って液晶を大佐の方に向けた。大佐の首が伸び、液晶をのぞく。大佐は昨日、自身も見た文字列がそこにないことを確認した。
「どういうことでしょう?」
しばらく沈黙の時間が経過し、ようやくフェイスは声を出すことができた。
「まあ、事務方が最後に読み合わせかなんかして、ギリギリで気が付いて修正を入れたということかな。それならそれで税制調査会の事務方が騒いでるだろうからコングに探りを入れさせよう」
大佐がそう言った次の瞬間、机の上に置いてある、二人の携帯のバイブレーションが震える音がした。二人がそれぞれ手に取るとコングからKチームのSNSにメッセージが入れられていた。
(入っていませんね。)
メッセージはそれだけだったがコングが気付いたことを二人は理解した。
(探りを入れてくれ。)
大佐が打ち返した。
(了解)
コングが打ち返した。
(記者会館で昼飯を食うから都合がつくようなら来てくれ。)
大佐がもう一度打ち返した。
正午前、国会記者会館の食堂で大佐とフェイスがカツカレーをつついていると大男がやって来て、厨房でカツカレーを注文し、そのままフェイスの隣に座った。
「遅くなりました」とコング。
「何かわかったか?」と大佐。
「言うことは人によって少しずつ違うんですけど、概略、次のようでした。昨日の午後六時頃、担当職員がプリントアウトして税制調査会のメンバーのセンセイと読み合わせをしたそうなんです。誤字脱字の最終的なチェックのつもりだったそうです。ところがどっこい、あるはずのないテキストが出てきて大騒ぎになった。事務局とかメンバーのセンセイとか色々な人が犯人捜しをしたそうなんですけど、どうしてこうなったのかは分からなくて、とにかく明日、…もう今日ですね、今日の十時には公表だからとにかく印刷を急ごうということになって、最後は会長にまで確認をとって、問題のテキストを削除してから印刷して、ホームページにも掲載する準備をしたそうです。担当者は何とか終電に間に合ったって言ってました」
「それで犯人は分かったのか?」と大佐。
「犯人はおろか午前の段階では原因も不明です。それで、これはあくまでも憶測ということなんですけど、外部からハッキングされてこういうことになったのではないかということを職員と税調のメンバーのセンセイの何人かが言ってました」
「それで、これから本格的に犯人探しが始まるのかな?」
「いや、その余力はもはや税調にはないでしょう。とにかく税制改正は大綱の公表が事実上のゴールですからね。最後にドタバタしましたけど、公表は、少なくとも表面上は何事もなかったかのように行われたんですから、関係者は一同ホッとしているはずです。例年のようにギリギリになってたばこをどうするとか、公表前日の深夜までバタバタ議論していることに比べたら本当に平和なモノでしたよ」
コングは冷静に事態を分析した。
「そうか。それにしてもよくあんな膨大なものの読み合わせなんかできたな。敵ながらあっぱれだ」と大佐。
「敵ですか?」とコング。
「本当は仲間なのかもしれないけど、まあライバルといったところかもしれないな。軍人にとっては唯我独尊が一番の敵だ。ライバルの善戦や健闘や勇敢さは素直に認めなければならない」
そこまで言って大佐は対面のフェイスが押し黙っていることに気付いた。
「どうした?元気がないぞ」
大佐がフェイスに声をかけた。
「ええ。その~、ただ残念なだけです。あそこまでやったのに」とフェイス。
「まあ、こんなもんさ。うまくいく方がどうかしているのかもしれない。もし何もかもうまくいっているという状況があったとしたらそれは何か根本的なことが間違っているに違いないということだ。人生と同じだよ」と大佐。
「諦めるんですか?大佐は平気なんですか?ここまでやったのに」とフェイス。
「諦めるなんて俺は一言も言ってないぞ。諦めるわけがない。おふくろを施設に入れるまではな。もっとも何かの幸運でたまたまおふくろが施設に入れてしまったら、一気に熱が冷めてしまうのかもしれないけど」
「じゃあどうするんです?」と再びフェイス。
「また作戦会議だな。立て続けで申し訳ないけど、ここが案外山場かもしれない。今日、夜、大丈夫かな?」
大佐はそう言うと再びスマホをカチャカチャといじりだした。
その日の夜、Kチームの四人は再び大佐の自宅の二階に集合した。相変わらずエミータは子連れで、大佐の老いた母親は一階にいる。大佐は特殊部隊のリーダーらしく隊員達を前に訓示していた。
「軍隊の作戦でも失敗ということは希ではない。敵もいるし、自然とも戦わなければならないからね。平坦だと思っていた土地が、実は起伏が激しかったということもある。大切なことは諦めないこと、と言ってしまうと簡単だけど、もっと具体的に、というか実践的に言うと、失敗したらいかにそれを怪我の功名に持っていくかということを考えるということだ」
「怪我の功名?」とエミータ。
「今、俺の頭の中は色々な情報が渦巻いている。それで使えそうな情報をピックアップして組み立てようとしているのだけど、何か使えるものあるかなあ?」
フェイス、エミータ、コングの三人は顔を見合わせてそれぞれ首をひねった。大佐が続けた。
「今、永田町に政権与党のコンピュータシステムがハッキングされたという噂が飛び交い始めている。それは間違いないな」
「ええ、そのとおりです」とコング。
「この噂は使えないかなあ?どうだろう?」
「しかし、ハッキングしたのは我々ですよね?犯人探しみたいになって、本格的に事実関係が調べられ始めたら大佐や僕もまずいことになるんじゃないんですか?ハッキングは犯罪ですよね?」とフェイス。
「確かにアウトローな行為ではあるが、我々が気まずくなるのは事実関係がすべて明るみに出た場合さ。我々にとっておいしいところだけを明るみに出せばまた我々のペースに世間を引き込めるかもしれないぞ。さて、事実関係は我々が政権与党のコンピュータシステムをハッキングして、大綱の原文を書き換えたんだけど、政権与党の方は公表前にそれに気が付いて元に戻して、公表したということだな?」
「ええ、そうです」とフェイス。
「そこでだ。政権与党のシステムがハッキングされて大綱の原文が書き換えられた、その事実だけを極端に強調して噂を流して、エミータルートでマスコミにも載せてもらって、それ以上に、今はミニコミとは言わないんだろうけど、ネット上でつぶやいたりして尾ひれはひれをつけるんだよ。我々に都合のいいように」
大佐がそう言うと三人はしばらくポカーンとした。
「……どういうことです?」とエミータ。
「事実関係を逆転させるんだ。政権与党のシステムがハッキングされて大綱の原文が書き換えられた。それはそのとおり。これは利用しよう。ただ、書き換えられたのは公表された正しいものではなく、フェイスが書き換えた、国民徴庸制度導入に触れた一文の入っているもの、それが何者かによって書き換えられて公表文になったということにするんだ。つまりだな、国民徴庸制度導入に触れた一文の入っているものが真正のものだったことにするんだ。それが誰か心無い者の手によって書き換えられて、書き換えられた後のものが公表され、一人歩きし始めていることにする」
「…そんなことできますかね?」とフェイス。
「幸いにもフェイスは内閣府別館で書き換えたとき、念のため、全文をプリントアウトしている。それは今、フェイスの手元にあるだろ?」
「ええ。今日も持ってきていますけど」
「それをエミータに渡すんだ。そしてエミータはマスコミ関係者でエミータが操っているエージェントの、なるべく大物の一人にそれを渡す。『税制改正大綱、幻の原文』とか言ってね。そして与党税制調査会は嘘の発表をさせられたことにする」
「しかし、税調のメンバーは真実を知ってますよ」とコング。
「税調は今、問題ではない。問題は世論だよ。だから事実よりも都市伝説が大切になる場面だ。幻の原文が国民徴庸法に反対している守旧派の何者かによってアウトローに書き換えられたとしたら、怒る人も出て来るんじゃないのかな?特にこの法案の産みの親であるあの左翼のおばさんとかはさ?」
「彼女にまた質問させるんですか?」と再びコング。
「年が明ければ通常国会が始まる。今度はロングランだ。会期末は六月だろう?自分が言い出しっぺで、一部の国民から熱狂的な支持を得ている国民徴庸制度がアウトローに反故にされたと知ったら、あのおばさんが黙っているはずがない。それを半年も続けられたら政府もその持久戦に耐えられなくなるんじゃないのかな?」
大佐がそう言って三人を見回すと、三人はそれぞれうなづいた。
「エミータのエージェントは誰だっけ?」と大佐。
「前の会社の政治部長です」とエミータ。
「じゃあ、できればこのスクープ、年明けの一月一日、元旦の一面トップでいってほしいね。別に急ぐことでもないし、一番効果的なタイミングで紙面を飾る方が新聞としても見栄えがするだろう。他の新聞、新春をどんな素晴らしい記事で飾るか知らないけれど、御社だけは世紀の大スクープだ」
「そうですね。どうせ裏も取らないといけないだろうし、半月くらいはかかるかもしれません」
「裏かあ。政権与党の担当者に取材して『確認できない』とか言われるんだろうな。本当に確認できない状況なのに読者からすれば政権与党が何かを隠しているかのように感じるから不思議だよね。マスコミの論調もそれを助長するだろうし」
「私の方は左翼のおばさんに根回しですか?」とコング。
「もちろんそういうことになるけど、今回は別に根回ししなくてもおばさんの方から勝手に政府に噛みついてくれそうな気もするね。何といっても、この制度は彼女が言い出しっぺなんだから」
「うまくいきますかね?」とフェイス。
「……うまくはいかないだろうね。いくはずがない。それでいいじゃないか。この、Kチームの目的は所詮、暇つぶしだったはずだ。フェイスは大綱の書き換えに失敗したことを気にしているようだけど、気にすることなんかない。どうせ我々はこの大きな世界から見れば小さな存在さ。成功した時にだけ喜べばいいのであって、失敗、というかうまくいかないのはあたり前さ。うまくいかないときは今のこの平和で退屈な世の中が続く。ただそれだけのことだ」
大佐が言うと三人はそれぞれうなづいた。
年が明け、永田町が活動を再開した日の午後、コングは議員会館の隣の部屋のドアをノックした。ドアが開き、気難しそうな青年が現れた。左翼政党所属の女性議員の公設第一秘書だ。
「やあ、今いいかな?」とコング。
「新年のあいさつはあけましておめでとうございますじゃないのか?」と公設第一秘書。
「一人だな?」
「ああ」
「お邪魔する」
新聞を脇に抱えたコングはそう言ってその部屋に入り込み、勧められもしないのに勝手にソファに座った。他に人はいない。公設第一秘書が対面に座った。
「何だ?」と公設第一秘書。コングは脇に抱えた元旦の新聞第一面を目の前に広げた。トップには比較的大きな活字で「税制改正大綱幻の原文」と横に書いてある。
「知っているな?」とコング。
「ああ」と公設第一秘書。
「どう思った?」
「うちのセンセイの年明けの第一声がこれだったよ」
「じゃあ俺が頼むまでもないかな?」
「いいよ、頼んでくれても。そっちの方がお前のリクエストに的確に応えられるかもしれない。これが最後の仕事になるかもしれないし」
「最後の仕事?」
「もう秘書は辞めようと思うんだ」
「借金が片付いたのか?」
「まだ少し残ってるけど、この秘書の仕事をしていくうちに、一緒に仕事をしないかってある弁護士の先生から声を掛けられたんだ」
「雇われ弁護士になるってことか?」
「ああ。やっぱり秘書になって良かったよ。俺達の同期にはまだイソ弁がたくさんいるけど、俺はそれを飛ばして雇われ弁護士になれるんだからな。秘書をやってなきゃこんなチャンスには巡り合えなかっただろうし。まだとても独立できる状況じゃないし」
「いつまでここにいる?」
「俺の気分次第だ。だからこの法案成立を見届けてからでいいよ。ここまでやるからには出すつもりなんだろ?」
「ああ。もう法案も、コンメンタールもできているよ。いつでも出せる。後はどうやって出すかだ」
「じゃあ超党派とういうことでうちのセンセイから出すことにするか?」
「できるのか?」
「俺にとっては最後の奉公だ。どうせ、うちのセンセイが言い出しっぺってことになってるんだろ?最初からそのつもりだったんだろ?我が党の口を封じるために」
「そんなところだな」
「今度の国会中には成立だな」
「そう願いたいね」
「どこでやるんだ?」
「どこって?」
「責任官庁だよ」
「内閣府になると思う」
「お前には世話になった。本当に色々なことを教えてもらったよ」
「お互い様だ。弁護士に戻ってからもよろしく頼むぞ」
二人は表情を変えずに淡々としゃべり続けた。
国会開会中、やはり永田町は忙しい。国政の懸案事項がなくともやることは多く、通常国会が始まると季節は瞬く間にゴールデンウィークを迎えた。
ゴールデンウィークの谷間の平日、Kチームの四人は赤坂見附の交差点にあるホテルの地下一階のレストランでプチ豪華なランチミーティングを楽しんでいた。ゴールデンウィークは休む方が文化的だと国会議員のセンセイは考えているのか、国会は暦どおり開かれない。開催する委員会もあるにはあるが少数で、平日だというのに永田町は閑散としている。一方、公務員の大佐とフェイスは暦どおり出勤だ。介護職員のエミータも本来なら仕事があるのだが、シフトの関係でたまたま平日休となり、保育園は開いているので子どもは預け、久し振りにのんびりと永田町にやってきた。
四人は最初に出てきたサラダをつつきながらこの十ヶ月のドタバタを振り返っていた。
「それにしてもあっという間だったね。もっと時間かかると思ったけど」とエミータ。
「まだ終わったわけじゃないよ。ゴールデンウィーク明けに採決なんだから。またどっかで逆転してぽしゃっちゃうかもしれないよ」とフェイス。
「フェイスは慎重だな。まあ、ああいう経験をしたからな。でももう大丈夫だよ。衆議院は通過したし、参議院はスイッチポンだ。与党も野党も通したい議案がまだまだあるからこんなことでつかえていられないよ」と大佐。
「大佐もようやくお母様の心配がなくなりますね」とエミータ。
「それはどうかな。確かに法律はできたけど、それが実際に動き出すのはずっと後だ。一応、施行日は二年後ということになっているけど、その二年間で準備をしなくちゃいけない。もっとも戦前は実際に徴兵制をやっていたんだし、もっと歴史を遡ればまさに租庸調の庸なわけで、SFの中ですら経験したことのない未知の怪物と向き合うというわけじゃないから案外スムーズにいくかもしれないね」と大佐。
「じゃあKチームの存在価値もまだまだなくなりませんね」とフェイス。
「そうだな。Kチームはどのみちフェイスが国税局に戻るまでだな。二年の準備期間のうち、一年で体制作り、残りの一年で国民への浸透ということになるだろうから、フェイスが帰るまでの後一年間が勝負だ。そしてフェイスの国税局への帰還をもってKチームはその使命を全うし解散ということになるだろう」と大佐。
「大佐はこれからどうするんですか?自衛隊には戻らないんですか?」
サラダに続いて出てきた堅そうなパンに手をつけながらフェイスが聞いた。
「法律ができただけじゃどうしようもないからね。法律ができて、実際に国民の労力が介護施設に投入されるようになって、要介護のお年寄りが介護施設に吸収されるようになって、それでこれが一番大切なんだけど、要支援二のうちのおふくろも介護施設に入れるようになって、俺がおふくろの介護から解放されないと駄目だということだ。そういう意味ではまだまだ先は長いのかもしれない。あるいは今回のこの国民徴庸法が蓋を開けてみればあっという間に与野党全会一致で可決成立するようにあっという間にそういう施設の整備とかが整うのかもしれないけどね」
大佐もパンに手をつけながら答えた。エミータも堅いパンに手をつけながら大佐に続いた。
「うちの近所にS小学校っていうのがあるんだけど、児童数が減ってるんで近所のT小学校っていう小学校に統合して、S小学校は廃校にして介護施設に改造するっていうプランが持ち上がっているそうですよ。私の勤めている介護施設の運営会社も興味を示していて、できればうちで取りたいって思っているようです。今回、この法律でヒトをある程度まかなえるとしたら介護事業の一番のネックであるヒトの問題はクリアですからね。法律の可決成立は来週で、実際に制度が動き出すのは二年後なのかもしれないけど、実際に今から準備に入らないと間に合わないというか早い者勝ちで競争に負けてしまうから、これからそういう話どんどん出てくるでしょうね」
「S小学校ってR市内かな?」と再び大佐。
「ええ。大佐の家からも近いと思います」とエミータ。
「じゃあ、おふくろはそこで世話になろうかな」
大佐がそう言うと今度はフェイスがエミータに視線を向けた。
「エミータはこれからどうするの?今は契約社員というか非正規なんでしょ?正社員になる話とかないの?」とフェイス。
「ないことはないけど、一度、言ったことがあると思うけど、私、どうしてもジャーナリストの夢から覚めることができないの。今でも本業がジャーナリストでそれでは食べて行かれないから仕方なく介護のアルバイトをしているというのが本音のところなの」とエミータ。
「ジャーナリストの仕事なんかあるのか?」
大佐が突っ込んだ。エミータが続けた。
「結局、この一年間はありませんでしたね。努力はしてるんですよ。ルポを出版社に持ち込んだりして。一応、人脈だけは作ってありますから」
「ルポってどんな?」と大佐。
「ほぼほぼ介護の現場からのものですけどね。でも残念ながら筆力がないと突き返されてます。私の夢は今回のこの事件、とは言わないのかもしれないですけど、Kチームの活躍を活字にすることかな。まあネット配信でもいいですけどね。Aチームのエミーやターニャのように国民に真実を知ってもらいたい」
「おいおい今は勘弁してくれよ」
大佐がそう言ってフェイスを一瞥し、続けた。
「エミータやコングはいいかもしれないけど、俺とフェイスは国家公務員だ。今回のKチームの暗躍、かなり際どいこともしている。もっと言ってしまうと完全にアウトローなこともしているんだ。フェイスはまだ若いからやり直しも効くかもしれないけど、俺はこの歳で退職金ももらえないというのはちょっと厳し過ぎるね」
「私は英雄だと思うけどな」とエミータが言うのとほぼ同時に「私だって国家公務員ですよ」とコングが言った。大佐が続けた。
「そうだ。コングは紛れもなく国家公務員だ。俺が言いたいのは一般職の国家公務員だということ。国家公務員法の束縛を受けているということを言いたいんだ」
「匿名でも駄目ですかね?」とエミータ。
「駄目だね。ノンフィクションタッチの小説とかを時々見かけるけど、読む人が読んだら分かってしまう。今回のことも例えばあの左翼のおばさん。真実を知ったら激怒するんじゃないのかな?自分が主導したつもりでいたら、現実はただ神輿に軽く乗せられていただけだったんだから。まあ、エミータがどうしても書きたいと言うのならそれを止める権限は俺にはないけど、少なくとも俺がマルクスに会いに行ってからにしてくれよ」と大佐。
「じゃあフェイスはいいのね?」とエミータ。
「僕だって困るよ。僕だって国家公務員法違反以上のことをしてきたわけなんだから。コングは?」
フェイスはコングに振った。
「私もそうだな。結局、今のボスをだましたことになるんだから」
「じゃあばれたらクビになるかもしれない?」とフェイス。
「まあね。でも、この仕事についてみて分かったけど、秘書って結構、流動的なんだよね。一人の議員に長くつく人の方が少数派なんだ。だからクビになったらなったで次のセンセイを探せばいいということさ。さっき言ってた左翼のおばさん、今月、第一秘書が辞めるみたいだからその後任でもいいかなとかね」とコング。
「政権与党からいきなり左翼政党の秘書か?随分と節操がないな」と大佐。
「そのとおりなんですけど、秘書って、特に公設秘書はイデオロギーよりも秘書という仕事なんですよ。だから国会議員の秘書であれば政党はあまり関係ないんです。その辺はセンセイ方も承知してますよ。イデオロギーよりも国会内の手続きとかに熟知している方が重宝されます」とコング。
「野心はないのかな?節操がないのは生涯、秘書であり続ける輩だろ?秘書の多くは自分もバッチをつけたいと思ってるんじゃないのか?」と大佐。
「そのとおりですけど、私は地盤看板鞄なし。親は普通の人だし、何とか塾出身とか看板になるようなものもない。もちろんお金もない。危険を冒すよりも、今のままでいいのかなと。給料もいいですしね」とコング。
大佐は「職業としての秘書か」と一言言って、話題を変えた。
「Kチームの諸君。色々とあったが、諸君の力で作戦は成功した。まあ、俺のおふくろが施設に入るのを見届けないと最終的に作戦成功とは言えないんだけどな。今日は昼食会だけど、夜の会合もやるか?もちろん酒付きで」
大佐はそう言って三人を見回した。男三人は仕事中、エミータは休みではあるがこれから保育園のお迎えがあるということで酒を飲んではいない。
「また大佐のご自宅ですか?」とエミータ。
「なんだ、俺の家じゃ不満か?まあ、不満なのももっともなんだけどな。もっと高級ホテルとかでワインとか開けたいところだけど、その辺は小市民というか身の丈に合った生活ってやつだ」と大佐。エミータが続けた。
「別に大佐のご自宅に不満があるわけじゃないんですけど、結局、夜の部となったら私は子連れですよね?たまには子どものことなんか考えないでパーッとはしゃぎたいんですよ。私も。これから保育士、というか保育を担う人手も増えていって、保育園も増えていくんでしょうけど、結局、仕事や介護の間だけしか子どものことを見てくれないというのは残念ですよね。母親だってはしゃぎたいのに。もちろん毎晩毎晩飲んで帰るつもりはありませんよ。でも、一年に一度だってそんな機会ないじゃないですか?」
「そのとおりだな。楠田家はそのところどうなってるんだ?聞くところによると、楠田家では夫よりも妻の方がバリバリのビジネスウーマンのようだが」
大佐がフェイスに振った。
「そうですね。今は通勤時間の関係から、朝は僕が娘を保育園に届けてますけど、お迎えはずっと妻です。でも飲み会とかある時は僕が時間休をとって、早引けして、お迎えに行って妻には飲み会に行ってもらってます」とフェイス。
「いいなあ。私は、結婚はもうコリゴリなんで旦那はほしくないけど、そういうビジネスパートナーならぬ、ハウスパートナーみたいな人ほしいなあ」とエミータ。
「じゃあ今度、僕がエミータの息子さんも保育園に迎えに行って、エミータにパーッとはしゃぐ時間をプレゼントしようか?」とフェイス。
「それはいいけど、そうしたら今度はフェイスが飲みに出られなくなるじゃないか。エミータの子どもの面倒をフェイスの奥さんに押し付けるわけにはいかないだろ?そんなことしたら、フェイスの奥さんがフェイスとエミータの関係を怪しむだけだ。まあ、エミータには現行制度はまだまだ不満だろうが、それもしばらくの辛抱かもしれないよ。そういう声をエミータも諦めずに出し続ければ、今回の国民徴庸法のように、酒とかエンターテインメントのために子どもを預かる公的なサービスが生まれるかもしれないぞ」と大佐。
「でもその頃には私の子どもは大きくなっていて、新しい制度ができても私の役には立ちませんね」
エミータがそう言うと大佐は「ああそうか。もっともだ」と言い、ちょうどそのタイミングでメインディッシュが運ばれてきた。