俺ガイナイ物語   作:ベリーベリーハード

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一話

 夏休み。

 それは至高の言葉。甘美な響き。リア充非リア充問わず万遍に、平等に安らぎと遠足前の小学生のような高揚感を与える安寧の時の始まり、つまりはその初日。

 

 俺こと比企谷さん家の八幡くんは普段であれば登校の準備に割かれているであろうその朝の一時を、しかし恐らく今年に入って初めて感じるだろう幸福感を胸に抱きながら、ただただ純粋に惰眠を貪っていた。

 

 時間に追われることのない朝の、なんたる素晴らしいことか。

 

 ぼっちは自由を何よりも愛する。だからこそ時間に縛られることを嫌い、世俗に縛られることを嫌い、そして友達とかいう人生の上で最も不必要ともいえる足枷を……人間関係とかいう腹の足しにもならない束縛を忌嫌することによりただ一人となりて、解放感を満喫する。それこそがぼっちジャスティス。

 

 つまりぼっちとはこの世で最も崇高で純粋でかつフリーダムな人種なのだ。

 

 そこにエレガントという単語を付け足してもいい。ちなみに俺は中学の終わりまでエレガントという言葉をなにか卑猥な隠語のことだと思っていた。ぼっちの想像力は宇宙よりも遥か壮大なのである。

 

 ともかく。

 俺が何を言いたいかというと、つまり夏休み最高。冷房バンザイ。もう学校なんて行かずにこのまま布団の中でずっと睡眠学習していたい。

 しかし世の無常は無垢なる少年のそんなささやかな願いも叶えてくれないわけで、だったらもう夢の中で夢見るしかないよね?俺だけの理想郷を作るしかないよね?

 

 というわけで、頭の先から足のつま先まで、俺は深々と掛け布団に包まれてアヴァロン建設に着手するのであった。

 いや、つーかもうね、マジで眠いのだわ。異常に高まる夏休み初日テンションに流されてマンガ全巻一気読みなんざするんじゃなかった。おかげで、ロードローラーに踏み潰される夢で一旦目が覚めちまった。そうです深夜にジョジョ読んでました。

 

 やっぱり三部は最高だよな……と、俺はうつらうつら回想しながら身体を布団に埋めてダンゴムシのように小さく丸まる。そろそろ本格的にセカンドチャンスがやってきた。

 縛りは何もない。今だけは世界も社会も出席日数も平塚先生の拳も気にせず寝ていられる。なんという優しい世界。この世界ならば誰もがハッピーエンドを迎えられるに違いない。つまり第三部、完。

 比企ヶ谷先生の次回作にご期待ください。

 

(……もう今日は昼まで寝ていよう)

 

 別に早起きしてまでやりたいことなんてないし。それに今日は平日だ。うるさい親も仕事でいない。……まあ、うるさい妹は居るが。

 

 とはいえ、小町も俺と同じタイミングで夏休みを迎えたのだ。アイツだって夏休み初日の魔力には勝てなかったはず。さすがにこんな時間に起きてきて、あまつさえわざわざ俺を起こしに来るなんてありえないだろう、と。

 俺は高を括っていた。

 結論から言うと、それは大きな間違いだったのだが。

 

「おっきろー!兄ちゃん、朝だぞー!」

 

 戸を叩く謙虚な音なんて無かった。代わりに、朝の訪れを知らせてきたのは扉を蹴破るような大きな物音と、鼓膜を突き破るような大きなグッドモーニング。

 おいふざけんなこんな朝っぱらから一体誰だこの野郎ーーなんて、考えるまでもなく、この世界に置いて俺を兄と呼ぶ存在はギャルゲー内に数多といる妹キャラ以外には残念ながら一人しかいなかった。

 

「おーい!朝だぞー!兄ちゃん兄ちゃん朝だぞー!ほら起きろ今起きろ早く起きろー!」

 

「……んだよ小町、夏休みの朝ぐらいは静かに寝かせてくれよ。朝飯なら後でちゃんと食べるからさ。今の俺は死ぬほど疲れてるんだ。お兄ちゃんは今日一日布団と同化すると決めたんだ。だから……おやすみ」

 

「おやすみじゃねぇっての!!」

 

「ん、むぅ……!!」

 

 乱暴にグラグラと揺らされる身体。布団を介した頭越しからは相変わらず不快ともいえるほどに大きなキンキン声が聞こえてくる。おまけに上半身も袋叩きにされている。

 なんというかーー普段のきゃぴるんとした小町からは考えられない野性味溢れるその直接的な目覚まし方法に、俺は違和感を覚えるよりも先に殺意を覚えていた。

 

 うぜぇ。マジでうぜぇ。

 今ここにデスノートがあったら迷いなく名前を書き込んでるレベルでイラッとした。あ、いや、でもやっぱり小町をデスしちゃうのは可哀想なので、代わりに親父の名前を書いて親父をデスしようと思います。

 子供の責任は親の責任!

 

「火憐ちゃーん。お兄ちゃんもう起きたー?」

 

「ああ、月火ちゃん。いやそれがさぁ、今日はいつにも増して強情に起きようとしないんだよ。どうする?もうこうなったらあたしが兄ちゃんの脳天にローリングソバット食らわすしかないかもしれねぇ」

 

「……ふーん、せっかくわざわざ可愛い妹が起こしに来ているというのに、お兄ちゃんはその優しさも親切心も無下にして一人のんきに寝てるんだぁ。私なんてわざわざ朝食の用意までしてあげたのにそれも生ゴミにして一人ぬくぬくと眠り続けるつもりなんだぁ。ふーん、へー、ほぉー」

 

「…………」

 

「……そう。わかった。火憐ちゃんそこどいて」

 

「あ、月火ちゃん。もしやるならヘッドの部分じゃなくて持ち手の方が……いや、やっぱりなんでもない。じゃあ、とりあえずあたしは先に下行ってるな」

 

 トコトコトコ。

 ガタ、ガタ、ガタ。

 騒音は足音と物音に分離して遠ざかっていく。静けさを取り戻した室内で、俺はようやく訪れた再びの平穏に安堵した。そしてどこか勝利にも似た余韻を胸に抱いて、寝返りを打って、瞼を深く閉ざしてーーそこで初めて、途方もない違和感に目を開けた。

 

 小町の言動も、行動も、なんなら声音も。その異常の全てが夏休みの魔力なのだと言われたら何となく納得出来る。俺にも経験はあるからな。ついテンション上がり過ぎてロボットダンスしてみたり、裏声でノリノリに歌ってみたり、意味もなく鏡の前でシャドーボクシングしてみたり。

 つまり兄妹とは同じ血を持ち、似たような習性を持ち得るわけで、そこに関しては変だとは思わない。むしろ何とも思わない。無関心しかない。

 

 しかし、今さっきの、布団越しに聞こえてきた会話には関心を向けざるをえなかった。というか、えっ、会話?小町ちゃん誰と喋ってたの?

 意識すると知覚出来るものはあるものだ。

 背後に感じる確かな気配。

 嫌な悪寒を覚えながら、お化けなんてないさお化けなんて嘘さと掛け布団から目だけを出して、そろりと振り向く。

 その先、視線の先には小町ぐらいの背丈の見知らぬ女の子が映っていた。その両手には鈍い銀色の金属バットが握られていて、それが大きく振り上げられた態勢で動作を停止。沈黙の間が空き、視線と視線が合う。

 瞬間、ゾクリと背筋が凍った。

 

「ちぇすとぉぉぉぉぉ!!」

 

「うをぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 

 唐突に振り下ろされた銀色の凶器が脳天目掛けてパイルダーオン!

 その身命を賭した合体を俺は運よくギリギリのところで回避し、次いでベッドから転げ落ち、そしてゴキブリのようにカサカサとそのデンジャラス少女から早急に距離を取った。

 

 やだこれ。なにこれ。ウソこれ。

 

 先ほどまで自分の頭があった場所に視線を滑らせる。そこには俺の腕よりも太いだろう銀色の凶器がメリメリと枕にめり込んでいた。つまりあと少しでも反応が遅れていたらあの枕の代わりに俺の後頭部にアレがメリメリしていたわけであって、アンパンマンでもなければ知り合いにジャムおじさんさえいない俺にとっては替えの一つもないこのわりと水準以上の顔がメリ潰される一歩手前だったというわけで。

 想像して恐怖する。というか想像しなくても恐怖の権化がすぐ目の前に居た。

 

「……なんだ、起きたんだ」

 

「ひぃっ!?」

 

 バットを握りしめたまま少女の視線が俺に落ちる。

 怖い。つーか怖い。いやマジで怖すぎるんだけどなんなのこの子だれなのこの子もしかして悪魔の化身かなにかなの?

 

 その無言の迫力に、わりと冗談抜きに悪魔の類かなにかなんじゃないのかと全身全霊でビビリながら壁際まで後ずさる俺。少女は未だ俺を見下ろしたまま、ユラリと身体をこちらに向き直してきた。

 

 人間味をまるで感じさせない冷酷な無表情。

 カラン、と。バットの頭部がベッドの足に当たり無機質な音を鳴らす。更にビビりすぎて、胃がギリギリと強く痛んだ。

 金縛りにあったかのように身動きが取れない。そんな蛇に睨まれたカエル、雪ノ下に睨まれた材木座状態と化した俺の視界の内で、その少女はにやりと口元だけに笑みを浮かべた。

 こ、殺されるぅ……!!

 

「うん。じゃあ早く下に降りてきてね。言っとくけど二度寝なんてしちゃダメだからね?」

 

「ひぃぃ!!……ぃ?」

 

 パタパタと足音が遠ざかっていく。気付けば、瞬く間に、俺は一人きりだった。

 いやまあ、一人なのはいつものことだけれど、それでも今ほどぼっち全開なこの状況を嬉しく思ったことは恐らく未だかつてない。

 なんだか知らんが……とりあえず危機は去った、んだよな?

 そろそろと立ち上がり警戒心モリモリで部屋を見回す。

 そして気が付いた。

 

「……ここ、どこ?」

 

 見知らぬ部屋だった。知らない天井どころではない。前後左右そして上下に至るまで知らない光景。間違いなく、昨日までマンガ片手にゲラゲラ笑っていた俺の部屋では断じてない。もしや俺が寝ている間に匠がビフォーをアフターしてしまったのだろうか。

 解らん。

 え、つーかマジで何も解らないんだけど。

 

「お兄ちゃーん、なにしてるのー。……もしかして本当に二度寝してるんじゃあ、」

 

「は、はひっ!すみません今すぐ行きまふ!!」

 

 開きっぱなしな扉の向こう側から漂ってくる殺気に俺は条件反射で足を動かした。嘘だろ世紀末覇者でもこんな威圧感だせないぞ。

 

 状況への理解が未だ追いつかないものの、しかし恐怖からか身体は勝手に階下へと降りていく。すると、不意にほのかな味噌の香りが鼻をついた。

 

 匂いのもとまで視線を向けると、そこには朝食らしきものが並べられたテーブルと、そのテーブルの横で行儀よく座る二人の少女の姿が。内一人は先のデビルレディーである。つい数分前に人を撲殺しかけたというのに今では涼しげな笑みをこちらに向けていた。

 

 もう怖いとか通り越し過ぎて普通にキチ◯イだろこの女。人格破綻者といっても過言ではない。雛見沢出身とか言われてもコンマ何秒で納得出来ちゃうレベル。

 

「ん?そんなに私の顔を見つめちゃって、どうかしたのかな、お兄ちゃん」

 

「べ、べつに?なにも?」

 

「そう?なんだかそこはかとなく貶されてるような気がしたんだけども」

 

 恐ろしく的確な発言に俺は引き攣り笑いを浮かべるほかない。

 エスパーかよ、こいつ。

 デビルで狂人でエスパーとか、属性積みすぎだろ。

 

「……まあいいや。とにかく早く座ったら?せっかくの月火ちゃん特製スペシャルスクランブルエッグが瞬く間のうちに冷めちゃうよ」

 

「そうだぜ兄ちゃん。それに今日から勉強会に行くんだろ。さっさと食って支度しねーと間に合わないんじゃないのか?」

 

「…………」

 

 交互に掛けられた言葉に俺は全くといっていいほど反応が出来ない。というか今更になって寝ぼけた頭が正常に稼動を始めていた。

 見知らぬ部屋、見知らぬ女の子、本当にスクランブルしちゃっている可哀想なスクランブルエッグに、何故かワカメまみれの味噌汁。あと白米。

 そうか、なるほどな。……全然わからねえ。

 

「……お兄ちゃん?」

 

「のぉっ……!?」

 

 と、危ない方の片割れがこちらに近づき、おもむろに顔を覗き込んできた。

 ちょ、近い近い近いいい匂い!

 なんで狂人のくせにこんな甘い香り漂わせてるのこの子!

 

「なんか……今日のお兄ちゃん、変だよね」

 

 更に顔を寄せるキチ女。

 すかさず後ずさる八幡くん。

 

「うん?……まあ、確かになーんか違和感あるよな、今日の兄ちゃんは」

 

 続いて、もう一人の少女までもが参戦。

 甘い香りが更に強みを増し、同時に俺のSAN値が減少。

 よくよく見れば二人とも可愛いなどっちか俺と結婚してくれないかなとトチ狂うぐらいには正気度が削られた。

 

「なんだろうね」

 

「なんだろうな」

 

 ずずいっと。もはやこのまま流れでチュウしちゃっても許されるんじゃないかと勘ぐるほどに顔が寄せられ、そうして俺の中のロンリーウルフなイケない遠吠えをしそうになるぐらいの時間をかけてから、唐突に二人の瞳が同時に見開かれた。

 そしてようやく俺のパーソナルスペース外へと離れると、

 

「「あっ、そうか!わかった!」」

 

 またもや同時に声をあげながらポンッと両手を合わせ、

 

「「目が死んでるんだ!」」

 

 俺の顔面に人差し指を突きつけてきた。見事なハモり具合である。あまりに巧みな連携に感動してうっかり自殺しそうになったぐらいだ。

 

「道理で今日の兄ちゃんからは魚の腐ったような奴みたいな雰囲気が感じ取れたわけだ。だって目が死んでるんだもんな!」

 

「道理で今日のお兄ちゃんからは汚らしい家畜みたいな雰囲気が感じ取れたわけだね。だって目が死んでるんだもん!」

 

「ねえ、ちょっとやめてくんない?納得したーみたいな清々しい顔しながら俺の人間としての尊厳コナゴナにするのやめてくんない?死んじゃうよ俺?あまりのショックで本当に死んじゃうよ俺?」

 

 暴言に重ねられた暴言が俺のガラス細工のようなハートを打ち砕いていった。いや、打ち砕いただけならまだしも、心情的にはそのあとに破片をすりこぎですり潰して粉末状にしてからキラウエア火山の火口へ放り込まれたぐらいの衝撃である。

 今ほどマゾヒストに生まれていればと思ったことはない。やはり女なる種族は小町を除いて全員滅べばいいのにと心の底から願った瞬間だった。

 

「うんうん。じゃあ、とりあえず顔でも洗ってきたらどうかな?多分、お兄ちゃんまだ寝ぼけてるんだよ。冷たい水でしゃっきりしてきなって」

 

「……そうだな。そうする。で……洗面所、どこ?」

 

「……兄ちゃん、もしかして本当に寝ぼけてんのか?」

 

 ほらあっちの方だよ、と。

 俺の背面方向へと差された指先に従って、俺はふらふらと足先を向けた。とびらをくぐる。倒れこむようにぐにゃりんと洗面台に上半身を傾け、バシャバシャと顔を洗う。こする。取れないヨゴレをとるように力強くゴシゴシと。それこそ擦痛でなにかが覚めないかと期待するよう念入りに顔面をこすり続けた。

 

 そうして一息ついてから、顔を上げた。

 

 鏡を見る。そこには死んだ目をしたまるで見知らぬ一人の男が鬱々しげに俺を睨んでいた。右手を上げる。すると鏡の中の男も寸分狂わぬタイミングで手を上げていた。パチパチと。二回瞬きをすると、これまた同様に鏡の中の男も瞬きをする。最後にウィンク。誰とも知らぬ野郎に返されたウィンクを見て思わず吐きそうになった。嫌悪感と共に唾を排水口へ吐き出し、再び鏡の中を見る。

 

「……………………俺ガイナイ」

 

 三秒後。今世紀稀にみるレベルの絶叫がどことも知れぬ洗面所の内を響きわたった。

 

 

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