「うわぉ!すっごいなにこれ!?この料理全部こまっちゃん一人で作ったの!?」
そんな阿良々木月火のオーバーリアクションボイスが比企谷家の食卓に響きわたった。その視線の先、リビングの脇に置かれたテーブルの上には数々の料理が所狭しと置かれている。
ハンバーグにフライドポテトに麻婆豆腐にチンジャオロース、肉じゃがにほうれん草の胡麻和えに漬け物にキャベツの千切り、そして最後に各々の茶碗の横に置かれた小皿には千葉名物みそぴーがその茶色い存在感を露わにしており、そうして食卓の上では和洋中、あと千葉という国際色豊かな中に地元愛の垣間見える料理群がそれぞれに香ばしい匂いを発しながらレッツパーリーしていた。
実に美味そうである。いや、実際にその見た目が決して味を裏切らないことを俺の舌は知っていた。
阿良々木月火の横を見る。そこに居たのはエプロン姿のプリティガール、比企谷小町が晴れやかな顔で慎ましい胸を自慢気に張っていた。
「いやいやぁ、ちょっとだけ頑張ってみちゃいました」
そう言って小町は満足げにニコリと笑う。
はっ!?天使かと思ったら妹だった……なんて実に気持ち悪いことを考えながら、俺は豪勢にも過ぎる食卓を前についつい思ったままの疑問を口にしていた。
「……今日って誰かの誕生日だったりしたか?」
「いいえー。けど、せっかく我が家を訪れてくれたお客さんですからね。それにツッキーにはもちろん、羽川さんやツッキーのお兄さんにも美味しい料理を食べてもらいたかったですし。だから、たまには張り切ってみよっかなーなんて」
あ、今の小町的にちょっとポイント高かったかも。
なんて条件反射のように小声で呟く小町は普段よりかは控えてはいるものの、しかしやはりというか他人の目から見ても少々あざとい。
だがまあ、そんな小町のあざとさはともかくとして、それよりも今は目の前の食欲であった。
時刻はすでに夜の七時を迎えている。
よくよく考えれば朝食も昼食も取っていない、せいぜいが冷えかけのポン・デ・リング一つとコーヒー一杯しか腹の中に入っていない俺からしてみれば、その目前の質と量は衝撃を越えて暴力たりえるもので。というわけで、俺の右手が無意識に手近のみそぴーへと伸びる。が、そのフライングは阿良々木月火の強烈なチョップによってあっさり阻まれた。
「こら、お兄ちゃん!つまみ食い禁止!羽川さんとこまっちゃんのお兄さんが来るまでちゃんと我慢してよね!」
「ぐっ……!!」
まったくもうっ、よそ様の家でみっともない事しないでよプンプン!
と、怒気を見せる阿良々木月火の威圧によって、俺は敗残兵がごとき心境でテーブル片隅への撤退を強いられた。ヒリヒリと痛む手の甲をさすり、仕方なく視線を番組垂れ流しのテレビへ向ける。
そうして特にこれといって面白くもないバラエティ番組を右から左へと聞き流していると、すぐ真横から小町達の会話が否応なしに聞こえてきた。
「ああ、そういえばさ、ツッキー。その服のサイズはどうかな?もし小さいようであればまた違う服を取りいこっか?」
「うぅん、それは問題ないかなー。ベストマッチのベストフィットだったよ。文句無しだったよ。本当にありがとね」
「そんなの全然気にしてないよー。ツッキーは大事なお友達で、それに小町だって久々のお泊まり会で気分がルンルンだしね。というかもう逆にそんな質素な部屋着なんかで申し訳ないかぎりですというかなんというか……」
「もー、そんなことないよー。暖かいお風呂に加えてこんなに美味しそうなご飯も頂いちゃって、もう至れり尽くせりだね。こまっちゃん様々だよ。もうホント大好きこまっちゃん!」
きゃーきゃー言い合いながら抱きつき合うゆる百合シスターズを尻目に俺はどんよりと目を腐らせる。こうなるともはや帰れとも言えない雰囲気だった。
てっきり小町との外出を終えたらその流れで帰るんじゃないのかとも期待していたのに。しかし、その期待は俺が危惧していた事態そのままの形となって、こうしてゆる百合時空を作り出していた。
わからん。なんだって俺の周りにはこう、同性でいちゃいちゃするようなやつばかりが集まるんだ。もしやこれはアレか。周囲の流れに沿って俺も戸塚といちゃいちゃするべきだという神からのお告げかなにかなのだろうか?なにそれヤバい。なにがヤバいって、そんなことをわりと真剣に考えてしまっている俺の頭が一番やばかった。
八幡、あなた疲れてるのよ……。
「わぁ、とてもいい匂い。まるでレストランに出てくる料理みたいに美味しそうだね」
「あ、羽川さん!」
小町の声につられて顔を上げると、そこには制服姿ではないラフな格好をした羽川翼の姿があった。
フリーサイズのジャージパンツに、多少裾の余ったシンプルな柄のシャツ。その顔はわずかに赤らみ、水気で湿った黒髪がそこはかとない艶やかさを演出している。
「お湯、ありがとね。広くて、綺麗で、とっても気持ちの良いお風呂だったよ。疲れが嘘みたいに吹き飛んじゃった」
「いえいえ、お礼なんてそんな、全然いりませんよー。お気に召されたようであればなによりです。あ、それよりも服のサイズはどうでした?小町のだとちょっと小さすぎると思ったので母のTシャツをチョイスしてみたんですけど……」
「うん、全然問題はなかったかな。なにからなにまでありがとうね、小町ちゃん。本当に助かっちゃった」
笑みを一つ。それから羽川は右から左へと視線を動かして室内を見回し、
「……あれ?比企谷くんは?」
「お兄ちゃんですか?……あー、そういえばまだ二階から降りてきてないみたいですねえ。いつもならご飯時になれば勝手にその辺りからひょっこりと現れるんですけど……むぅ、仕方ない。ちょっと呼んで来ますね」
言うなり、小町はパタパタと二階へと駆けていった。
それをきょとんとした表情で見送ってから、羽川は火照った顔でトコトコとこちらへ近づき、そしておもむろに俺の横に立つ。すかさず訝しみを向けた俺の視線に羽川はごく自然体な笑みを返してきた。
「……比企谷くんも、ありがとうね。本当は日帰りのつもりだったんだけれど、まさかこうして家族の団欒にご同伴あずかれるなんて思いもしなかったよ」
「仕方ねえだろ。ここに阿良々木の妹一人だけを置いてくわけにもいかねえし、それに今日は親父も母ちゃんも残業で帰ってくるのが遅いらしいから都合もいいし。あとは……まあ、なんだ。わざわざ千葉くんだりまで来て収穫の一つも無しに帰るのもアホらしいしな」
テーブルに肩肘つきながら答えた俺に羽川は苦笑を浮かべていた。
と、不意にその視線が天井に向けられる。
二階からかすかに聞こえてくる小町の声に羽川はスッと目を細めてから、ぽつりとつぶやく。
「……阿良々木くん。まだ夕方の事を気にしてるのかな」
「…………」
夕方の事。
キッチンの端でテキパキとフライパンやら包丁やらを片付ける阿良々木(妹)の姿を横目に眺めながら、俺の脳裏では先のーー阿良々木の土下座シーンがありありと思い出されていた。
土下座で想いを吐露した阿良々木。
羽川も、八九寺も、どこか張り詰めたような表情でその視線を俺の影に向けていて。だからこそ、なにかが起こるんだろうと。場の空気に感化されるように緊張しながら、生唾を飲み込み、そして自分の影に意識を集中していた俺の眼前でーーしかし、いつまで経っても変化は表れなかった。
表れないし、なにも現れない。ただ俺に向かってひたすらに土下座をし続ける阿良々木の姿だけが滑稽に俺の網膜に映し出されていただけだった。
ーー失敗した。
何も知らない俺だとしても、その結果が意味するところはすぐに解った。
羽川の語った解決策、阿良々木が吐き出した忍という言葉、それらが意味するだろう一端すら把握出来ないままに。結局、事態はなんの推移も見せず、沈痛な空気のまま時間を無駄に浪費する内にも小町達が帰ってきてしまい、そうして、俺達の行動は全てが徒労に終わってしまったのだった。
阿良々木は放心したように頭をうなだらせ、羽川は視線を伏せたまま、八九寺はまたしてもいつの間にかその姿をどこかへと消し去り、そして俺は途方に暮れーーで、現在に至る。
「……阿良々木くんには悪いことしちゃったかな。多分、本来ならもう少し時間をかけて解きほぐす問題だったはずなのに、私が無理を言ったせいで阿良々木くんに嫌な想いをさせちゃった。それに……比企谷くんもゴメンね。私の見通しが甘かったばかりにぬか喜びさせちゃって。本当にごめんなさい」
羽川は目を伏せる。その唇はなにかを悔いるように、きゅっと引き結ばれていた。
俺は一瞬の逡巡ののち、言葉を返す。
「べつに、お前が謝る必要なんてねえだろ。お前も阿良々木も、変に気にしすぎなんだよ。そもそもが他に打開案があったわけでもなし。それに俺に至ってはお前らが居なければ今ごろまだあの公園でわけもわからずボーッとしてただろうしな。つまり、感謝を要求される謂れはあれど謝罪をされるような謂れはない。だからいい加減、顔を上げろ。いつまでもお前がそんなんじゃあ、せっかくの小町のご馳走も不味く感じちまうだろうが」
恐らくここ最近の中で間違いなくトップクラスの出来だろうディナーである。せっかくの豪華な食事を雰囲気が重いままに食べるのはやはり俺個人としてもいただけない。
第一、もしも羽川が落ち込んでいる原因に俺が関与していると小町達に知られでもしたらと考えると戦慄ものだ。小町はともかく、あの暴走娘がなにをしでかすかが解らない。というか解りたくもない。つまり羽川が精神的に凹んでいると俺が物理的に凹まされてしまう確率が大いに出てくるという最悪な結論に至るのだ。それはなんとしてでも避けたい。
だからそろそろ空気を読んではくれないですかね羽川さん、という意味も込めて返した言葉に彼女はパチパチとまばたきをしてから、
「……ふふっ。優しいんだね、比企谷くんって」
背中がむず痒くなってくるような微笑みが打ち返されてきた。
そして俺が反論の言を向けるよりも早く、羽川は言葉を続ける。
「けど、違うの。そうじゃなくてね。今回うまくいかなかったのは、たぶん、私に責任があるから、だからごめんねって言いたかったの。きっとあの場に私が居たから、彼女は出てきてくれなかったんだと思う。だから……」
「……彼女?出てくる?」
ぽつりとぽつりと紡がれる羽川の言葉は正直言って要領を得ない。
お前はなんのことを言ってるんだーーと。喉の半ばまで出かけた疑問は、しかし更なる他の声によって上書きされた。
「おっまたせしましたー。なんだかお兄ちゃんはドーナツの食べ過ぎで食欲がないとか言っちゃってくれちゃったので、もう先に私達だけでお夕飯を食べてしまいましょう。ではでは、ご飯よそっちゃうんで皆さんは席に着いててくださいねー」
「あっ、私も手伝う手伝う!」
小町の能天気な声によって会話は強制終了。結局、羽川の謝罪の真意を聞きそびれたままに賑やかにも過ぎる食事が開催された。
晩餐の最中も羽川はまるで先のやり取りのことなどおくびにも出さないニコニコ笑顔を終始浮かべたままで。だから、俺もその話題には触れずに黙々と料理を口の中にかっこんでいくだけだった。
ただ、俺が飯を喰らいながら思い考えていたことはたったの一つだけ。
やはり小町の料理は超絶に美味かったです、はい。
夜風が心地良かった。
熱光線のようなジリジリとした日差しを発するあの殺人太陽も今は南米辺りに遠征しているし、加えて最近では雨も少なかったおかげか夏特有ともいえるあのうだるような湿気も幾分とマシになっている。ただ吹きゆく風だけが爽やかに木々を揺らし、肌を撫で、風呂上がりの身体の熱をゆっくりと冷ましていく。
まさに外出にはうってつけな心地よい環境。ただ唯一心地よくないのはその外出を決めた理由そのものだった。
『歯ブラシが無いから買ってきて』
あっけらかんと言い放ってきた阿良々木月火の言葉が苦々しく蘇ってくる。
とはいっても俺の愛飲料でもあるコーヒーの粉もちょうど切れかかっていたワケだし、だからそれを買いに行くついでとして買ってきてやるのもまあやぶさかではないとその時は大きな器量を持って承諾したはいいものの、しかし何故だろう、今思い返すとそれはそれでなんだか釈然としない。これってさ、要するに体のいいパシリなんじゃないの?
比企谷八幡ボディの時もたびたび小町にお願いという名のパシリを請け負わされたことが幾度かあったが、だからといって身体が変わっても妹からパシられるとか俺いじめられっ子気質ありすぎでしょ。パシられ過ぎて光速の足とか会得しちゃうレベル。あとは俺を保護してくれるような美人で幼馴染みなお姉ちゃんキャラが居てくれれば言うこと無しである。
ホント、誰か生活ごと俺を保護して養ってくれるような相手は居ねえかなあ……。
俺にとっては輝かしい未来予想図にドロドロと想いを馳せる。馳せていたらいつの間にか目的地のコンビニへと到着していた。お目当てのブツを買い、ついでに新刊のコミックスを物色し終えてから、今度は復路を歩く。
と、その道中で俺はある建物へと目を止めた。
「……新装開店」
看板にデカデカと印字された英字の羅列。その下には祝だの呪だのと書かれた仰々しい花輪が軒先に幾つも飾られている。それは記憶にも新しいミスタードーナツの店舗だった。
開店セール!と入り口に貼られた貼り紙と手元のコーヒーの粉とを見比べる。そういえばさっきの店でなにかしらのお茶請けを買うのを忘れてたな。
一瞬の黙考。飯を食べたばかりではあるが、けれど甘いモノは別腹だってよく言うもんね!
決断し、開いた入り口から放たれた甘い匂いに誘われるように俺はフラフラと店内へ。時間が時間なのか、都合のいい事に店の中はガラガラだった。
さて……ど・れ・に・し・よ・う・か・な?
眼前の甘味にウキウキワクワクと胸を踊らせながら、俺はケースの中身を品定めしていく。
やっぱりメジャーにポン・デ・リング?いや、だがフレンチクルーラーも捨てがたい。しかしオールドファッションこそが王道なのではないだろうか……。
思考に思考を重ねる。そして俺の中の俺会議が閉幕し、ではさっそく注文をしてやろうじゃないかとカウンターに向け俺が顔を上げた……その時だった。
俺以外誰も居なかったはずの真隣から、その声は聞こえてきた。
「おい、お前」
厳かでいて、だがその反面で稚拙さも感じさせる声。
グイッと引っ張られる左腕の感触につられてそちらに視線を向けた俺の目の前にはーー
「……!!」
ーー幼女が、居た。
金髪の、たぶん七、八歳くらいのまごうことなき外人幼女が冷めた瞳で俺を見上げていた。
絹糸のようなその腰まで伸びた金色の髪をゆらりと揺らし、幼女は静かに口を開く。
「儂はゴールデンチョコレートが食べたい」
「……はぁ?」
意味不明な催促、いや、幼女風に言うならばおねだりか?
周囲には俺以外の客は誰一人として居ない。つまりこの、こまっしゃくれたような幼女の言葉は確実に俺へと向けられているわけだ。ふむ、アレだな……唐突すぎて意味が分からねえ。
つーかなんで俺は見も知らぬ幼女にいきなりたかられているんだろうか。
「おい、だから儂はゴールデンチョコレートが食べたいと言っておるだろうが。ポーっと間抜け面を晒しおって。ちゃんと聞いておるのか、貴様」
対応に困り黙っていたら罵倒が飛んできた。
幼女に罵倒されるとか。よその業界ではご褒美かもしれないが俺の業界ではただそれは腹が立つだけである。しかし、相手は年端もいかないTHE幼女。俺は寛大な心を持って大らかに対応する。
「……おい、ちびっ子。お前、お母さんかお父さんはどうした。一緒じゃないのか。もし一緒だとしたらその言葉は俺ではなくお前の保護者に向けろ。いいか、第一だな、この国には知らない人からは何一つとして物をもらうなという代々と受け継がれし神聖なる風習がーー」
「あとはエンゼルフレンチも食べたい。それとポン・デ・リングも忘れずにの」
お願いというよりかはむしろ命令に近い偉そうな口調。そんな傍若無人にも過ぎる振る舞いに俺は軽くイラっとしつつ、仕方がない、ここは年上としての尊厳とやらをこのクソガキに見せつけてやるべきだろうと正面から向き直った所で……その幼女は淡々とした表情で唇を動かした。
どうでもよさそうに、感情のこもらない口調で、
「ーードーナツ三つ。それが、儂が貴様らに手を貸してやる条件じゃ。この儂の力を借りるのにたったそれだけの対価で済むんじゃからな。どうじゃ、安いもんじゃろ?のう……怪異に憑かれた哀れな小童よ」
再び向けられた冷たく、鋭い眼差し。俺は身体を射抜かれたような感覚に陥った。脳が揺れる。幼女が口に出したその怪異という言葉が、俺に多大な衝撃を与えていた。
幼女は喋る。依然として不遜な態度で、
「かかっ、契約成立じゃな。存分に感謝しろよ、小童。鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、伝説の怪異であり怪異殺しとまで呼ばれ畏怖されていたこの儂と出会えたことをな」
ーー忍。
何故か、脳裏にはその言葉が浮かんでいた。