俺ガイナイ物語   作:ベリーベリーハード

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十八話

 慣れない道を歩き進むこと一時間弱。

 そうして僕は、僕達は、比企谷の通う千葉市立総武高校へと訪れていた。

 初めての土地、初めての場所ということも相まって、下手をすればこの年で迷子になってしまうのではという危惧さえあったにも関わらず、だがやはりそこは羽川翼というべきか。

 まるで淀みない足どりで、なんなら途中途中で小粋な千葉知識を教えてくれるほどの余裕さえ見せながら、羽川は道一つ間違えることなく僕をここまで道案内してくれたのである。

 なんでもは知らない、知ってることだけを知っている彼女ではあるが、しかしその類い稀なる知識量は、どうやらこの新天地千葉でも大いに通用するようだった。

 本当に、なんでもそつなくこなす奴だ。

 僕なんかにはもったいないほどによく出来た友人である。

 

「それじゃあ、まずは職員室に行かなきゃだね」

 

「ああ、そうだな。えっと、確か比企谷が書いてくれた地図によると職員室は……」

 

「阿良々木くん、そっちは違うよ。職員室はこっち」

 

 言って、羽川はさくさくと歩き出す。

 その様子から見るに、どうやら校内においても彼女のナビゲーション能力は健在であるようだ。

 右へ左へと。迷いなく歩みを進めるその後ろ姿を追うこと少し。

 羽川の足はある扉を前にして、動きを止めた。

 

「うん、ここみたいだね」

 

 見上げられた視線の先、入り口にかけられたプレートには確かに『職員室』の文字が印字されていた。

 あまり優等生とはいえない、むしろその対極に位置するような生徒である僕としては、職員室というその名称を前にするだけで憂鬱な気分になったりもするのだが、しかして、そこは品行方正、礼儀正しく折り目正しい、委員長の中の委員長としても名高い羽川翼である。

 躊躇いもなくノックを二つ、そして扉を開けるなり流れるように自然な動作で頭を下げ、

 

「お忙しい中、失礼します。私立直江津高校よりボランティア活動の一環として伺った羽川翼と申しますが、平塚静先生はご在室でしょうか?」

 

 すらすらと続く文言が浸透するように室内に響き渡った。

 部屋の中に居た幾人かの教諭の視線が、ぴしりと背筋を伸ばす羽川へと集まる。

 その内の一人、スーツの上に白衣をまとった長い黒髪の女教諭が、羽川に続いて言葉を発した。

 

「……私が平塚静だ。話は聞いているよ、入ってきたまえ」

 

「はい、失礼します」

 

 もう一度頭を下げ、次いで羽川は室内へと一歩を踏み出した。

 続けて僕も職員室の中へと足を踏み入れる。すると、さっきまで平静そのものだった女教諭の瞳が驚いたように大きく見開かれた。その瞳が一瞬羽川へと向けられ、そしてまたすぐに僕の方へと向き戻る。

 ……なんだ?もしかして、もう異変に気付かれたとでもいうのか?

 

「……これは、驚いたな。電話では伝え聞いていたが、まさか本当に彼女の知り合いというのが君だったとは。てっきり、何かの間違いだと思っていたんだが」

 

「はあ」

 

 そう言いながら、彼女は動物園のパンダでも見るような物珍しそうな表情で僕をジロジロと眺めていた。

 しかし僕は僕で、自分の正体に疑惑が及んだのではないということが解り、ホッと胸をなで下ろす。

 電話。

 それは恐らく、比企谷家を出る前に羽川が事前連絡としてこの総武高へかけたという、あの電話のことだろう。

 極度の緊張でうっかり描写を忘れてはいたものの、そう、確かに羽川はボランティア参加の旨を電話を介して直接学校側に伝えたということだったのだ。

 その内容はもちろんのこと、どうやって交渉に及んだのかも僕は聞いていなかったものの、まあ恐らく、理由や経緯を求められた際に比企谷のーー友人の存在を答えに挙げでもしたのだろう。

 それにしては友人の正体が僕、というか比企谷だと分かった瞬間の反応が大げさすぎるような気もするが……なんだろう、まさか比企谷のやつ、本当に友達が一人も居なかったりするんだろうか?

 だとしたらあまりにも灰色すぎる青春だ。

 いや、まあ、ついこの間まで立場がまるで同じだった僕が言うのもどうかとは思うけれども。

 

「ふむ、不躾だとは思うがどうにも気になってしまうものだな。年も違う、学区も違えば出身地さえ違う君たちは一体どういった経緯での知り合いなのかね?……まさか、親同士の思惑によりその年にして結婚の契りを交わした許嫁とか、そういう甘酸っぱい間柄ではないだろうな?」

 

「いや……さすがにそれはないです」

 

 頭脳明晰、才色兼備でなおかつ一個上のお姉さんと許婚同士とか。しかもそれが羽川翼であるとか。

 ……あれ、ちょっと待てよ?ひょっとして、そのシチュエーションってめちゃくちゃに萌えるんじゃないだろうか。

 試しに考えてみる。

 委員長で、お姉さんで、許嫁な羽川翼がそこはかとない年上オーラを振り撒きながら僕に笑いかけてくるーーああ、なんてことだ。想像して戦慄とする。僕は、とんでもない怪物を生み出してしまったのではないだろうか。

 この羽川になら叱られてもいい。いや、むしろ存分に叱られたいぐらいだ!

 母性にあふれた羽川に「暦くん」と名前を呼ばれながら叱られるーーまさしく、想像を絶する萌えシチュエーションである。

 ここに、男心を惑わせる究極生物が誕生したのだった!

 

「……比企谷。何を考えてるのかは知らんが、しかし、いつにもまして目が腐ってるぞ。しかもキラキラと」

 

「え?」

 

「……比企谷くん?」

 

 前方からは呆れられたような視線が。左方からは心底から底冷えしそうな冷ややかな視線が向けられる。

 しまった!孔明の罠だったか!……なんて。

 ついつい思ってしまった僕だけれど、しかし実際にはただ僕の顔が口ほどに物を言っていただけのようだった。

 なんなら、口よりも物を言っていたかもしれない。どちらにせよ、羽川の反応を見るに後々に叱られることは確実であるようだ。

 確かに叱られてみたいとは言ったけれど。

 委員長で、同級生で、僕の大恩人である羽川に怒られるのは本意ではない。普通に不本意である。不本意な本意だ。

 とりあえず、この場はこれ以上余計なことーーと言っても僕自身はなんの行動も起こしてないハズなのだけれどーーはせず、大人しくしてしているべきだろうと。

 判断し、口をつぐむ。

 まあ、若干、時すでに遅しな気がしないでもなかった。

 

「……まあいい。君と彼女の関係がなんであれ、現状が人手の足りない中での助っ人は実に心強い。ぜひ、よろしく頼む」

 

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

「うむ、いい返事だ。では早速……と、その前に面合わせが先だな。比企谷」

 

「っ……は、はい」

 

 突然に向けられた言葉に半歩遅れての返事。

 うう……駄目だ。やっぱりまだ、他人の名前で呼ばれることには抵抗があるなぁ。

 

「どうせ今から部室までいくんだろう?ならば、羽川も一緒に奉仕部まで連れてっていってやれ。彼女には生徒会の側ではなく、君達の側で、共に作業に当たってもらうことにする。彼女も、知人がそばに居た方がなにかと仕事がやりやすいだろう」

 

「はあ」

 

「私も後からすぐに行く。雪ノ下にもそう伝えておいてくれ。では、頼んだぞ」

 

 そして、平塚教諭はデスク上に置かれた幾枚かの書類に向き直った。最後に一礼し、僕は羽川の後を付いてそそくさと職員室を出る。

 ……まずは第一の関門突破、というところだろうか。

 結局のところ僕はなにもせず、ただ流れに流されるまま話が終わってしまったという感も否めないが、まあ、結果よければ全て良し。

 さあ、というわけで、次は奉仕部の部室に向かおうか!

 

「ちょっと待って、阿良々木くん」

 

「…………」

 

 なんて。

 勢いに任せて事をうやむやにーーもとい、進めようと足を踏み出した僕の背後から制止の声が向けられた。

 ギクリ、と。心臓を跳ね上がらせてから、僕は恐る恐ると振り返る。

 そこには、満面の笑顔の内に言い知れない圧力を内包させた羽川の姿があった。

 

「少し、阿良々木くんとお話したいことがあるのだけれど」

 

「……はい」

 

 一難去ってまた一難。

 有無を言わさぬその迫力に、僕は怒られた飼い犬よろしく頭を垂れ、黙々と羽川のお説教に恭順するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校舎二階の渡り廊下を過ぎた先。人気の無いリノリウムの床をいくらか進んだ先に、その教室はあった。

 

「……ここが、奉仕部の部室か」

 

 奉仕部。

 比企谷が属しているという文化系の部。その活動内容や理念、実績などはまるで定かではないにしろ、ともあれ、こうしてたどり着いてしまったからにはそろそろ僕も腹をくくる覚悟を決める時なのかもしれない。

 比企谷にはもちろんのこと、彼を慮って行動を取った羽川にも、迷惑をかけるわけにはいかないのだ。

 気分一新。

 一つ深呼吸し、隣に立つ羽川と目配せあってから、僕はゆっくりと拳の甲を扉にあてがう。

 そして二つ、ノックをした。

 

「どうぞ」

 

 内側からの声に従い、扉を横にスライドさせる。中に入ると僕達に視線を向ける二つの人影が視認出来た。

 

「……あ」

 

 一つは、由比ヶ浜だった。

 僕の姿を確認するなり、彼女の表情に暗い影が差す。そして、すぐさま俯いてしまった。

 そんな彼女に僕はーーなにも反応を示すことが出来ない。

 ただ申し訳ないという気持ちに苛まれながら彼女から視線を逸らし、その隣に座るもう一つの人影を視界におさめる。

 ーー比企谷が氷の女王と表現した女子。

 ーー奉仕部の部長をつとめるという、絶世の美少女。

 戦場ヶ原のような艶やかな長い黒髪を窓から浸入した潮香る微風になびかせながら、彼女ーー雪ノ下雪乃は、その大きな瞳を怪訝そうに細めていた。

 

「……一体、どういう風の吹き回しかしら。人間としての尊厳同様に著しく礼儀の欠如した貴方がノックだなんて。正直に言って不気味で、とても気持ちが悪いのだけれど。もしかして、今さらになって自分が社会不適合者であるという現実を見つめなおす気にでもなったのかしら?」

 

 第一声から、第一印象をぶち壊しにするような毒舌が飛んできた。

 それこそ最初期の戦場ヶ原のような歯に衣着せぬ、どころか頬にホッチキス挟むような攻撃的な口撃に、一瞬だけ比企谷の苦虫を潰したような表情が脳裏を過ぎる。

 何故だろう。

 不意に、やっぱり僕と比企谷は仲の良い友達同士になれるんじゃないのかと。

 つい、瞬間的にそんなことを考えてしまっていた自分が居た。

 

「比企谷くん?人の話を聞いてるのかしら?それに、いつまでもそんな場所に立っていられると気が散って仕方ないのだけれど」

 

「ああ、いや、悪い。すぐ退くよ……って、いや、じゃなくて。えっとーー雪ノ下。実は今日は部活動を始める前にボーー俺、の友達を紹介したいんだけど」

 

「……とも、だち?」

 

 雪ノ下の眉がぴくりと動く。

 怪訝そうだった表情は更に険しさを増し、見るからに訝しげなその眼差しが僕を貫くように鋭くなる。

 まるで頭のおかしくなった知人を見るようなーーそんな視線に少しだけ気圧されつつも、それでもなんとか表面上平静を保ちながら、僕は背後に立つ羽川が部屋に入りやすいようにと一歩横に身体をずらす。と、同時に羽川は動いた。

 足を前に踏み出す。

 そして、その存在を雪ノ下と由比ヶ浜に確認させるようにもう一歩、身体を前進させてから。

 羽川は、物怖じもせず堂々と名乗りを上げた。

 

「はじめまして。直江津高校からやって来ました、羽川翼といいます。どうぞよろしくお願いします」

 

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