俺ガイナイ物語   作:ベリーベリーハード

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二話

 阿良々木暦。

 財布の中に入っていた一枚の学生証にそのなんともいえない微妙に噛みやすい語調の名前が記されていた。

 そして名前の横にはどこかで見たことがあるような、詳細に言うならば一時間ほど前に鏡に映っていただろう顔面と瓜二つな顔写真が貼られている。

 

 前髪を片目に被せるというお前どこのキタローさんだよと言いたくなるようなヘアスタイルを除けば、ごくごく一般的な目立ち鼻立ち顔立ち。もちろん見覚えなんてない。むしろ、今のところは見知ったものを一度だって目にしていない。

 ため息を一つ。

 身も知らない男の顔面なんて、いつまで見ていても愉快な感情は湧かない。

 だから俺は、学生証を適当にポケットに突っ込んで、顔を真上に向けた。

 

「…………」

 

 空が綺麗だった。

 透き通るように澄み渡った広大な青の下、少しばかり自己主張の激しい太陽からの熱光線でジリジリと肌を焼きながら、俺は中途半端に広い公園の内のこれまた中途半端に横幅の広いベンチの上に座り、ただただボーっと空を眺めていた。

 

 その姿をはたから見るならば、さながらリストラされたことを家族に打ち明けることも出来ず一人誰もいない公園で途方にくれるお父さんのような図になっていたかもしれない。

 

 俺はお父さんではないし、将来的には専業主夫となって家庭に入るつもりなのでリストラされるような心配は全くもって皆無なわけだが、しかし、今現在進行形で途方に暮れているという部分だけは図らずもお父さんと一致していた。

 

 そう、俺は途方に暮れていたのだ。

 

 一時間前、鏡に映し出されたこの顔面を見た俺は半ば逃げ出すようにあの家を飛び出して、それから走って走って走って走って走って、それで、気づいたらベンチに座っていた。

 

 裸足で、もろに寝巻きっぽい格好で、そうしてなにをするでもなく空を眺めていたらふと財布がズボンに入ってることに気づいて、学生証を見つけて、そこには墓場鬼太郎みたいな髪型野郎の顔写真が貼られていて、で、リストラされた架空のお父さんのことを考えて鬱になって、そして今こうして途方に暮れていたのだ。

 

 なにがどうしてこうなったのかは知らないし、解らない。

 

 もしや、とうとう比企谷八幡という男の子の存在感が世界にも認知されなくなるほど薄くなり、そうして輪廻転生森羅万象消費税増税みたいなミラクルが起こって俺の魂だけが他の人間へと乗り移ってしまったのだろうか。

 

 不意に、そんなライトノベルみたいなトンデモ設定が頭をちらついたのだが、しかしこの仮定が真実であればそれはそれでスゴイな俺。世界からも見放されるとかそれもう究極的なぼっちだろ。もはや新世界創造出来ちゃうレベル。たぶんその世界でもぼっちであろうことは間違いないだろうけどな。

 

 思わず笑みが浮かんでしまう。人間、どんな時でも笑うことは出来るんだなとちょっとしたニヒルを気取っていると、ふと視界の中に、連れ立って歩く親子の姿が入った。誰も居ない砂場の脇で、幼稚園児らしきガキが横に立つ母親らしき女性を見上げながら何事かを尋ねている。何故か俺に人差し指を向けながら、もう片方の手で女性の服の裾を引っ張っている。

 

 女性はにこやかに笑いながらチラリとだけ俺に視線を向け、そうして不自然にもすぎる笑顔固定のまま一言二言返してから、ガキを連れて公園からフェードアウト。

 その会話内容はいとも簡単に想像出来た。

 

『ねぇー。ママー。あの人なんで一人で笑ってるのー?ぼっちなのー?』

 

『ユウくんアレと視線合わしたらダメよー。視線を介してぼっちが移るわよー?ほら、とりあえずあっちに行きましょうか、ふふふふふー』

 

 とかいう内容に違いない。

 そうか、ぼっちに視線合わせるとぼっちが移るのか。納得納得。だから中学ん時誰も俺と視線合わせてくれなかったわけだな。いやー、知らなかったわー。てっきり学年全体で存在を無視されてるのかと思ってたわー。

 

「あれ、なんだろう。なんだか目から汗が……」

 

「いえ、それは汗ではなく涙ではないんですか、あららららぎさん」

 

 込み上げる塩水的なものを指で拭っている最中、突然に背後から声が聞こえてきた。俺は首を後方へねじる。果たして、そこには大きなリュックを背負ったツインテのロリ少女がニコニコ笑顔を俺へと向けていた。

 ……え、誰?

 

「…………?」

 

 俺、沈黙。

 そして言葉なく、ジロジロとそのロリを見てしまう。そのせいか、ロリは笑顔を崩しどことなく不満気味に眉根を寄せた。

 それからえへんとわざとらしい咳を一つし、

 

「いやぁ、それにしてもお久しぶりです。今日も実にいい天気ですね、シャララ木さん」

 

「……はあ」

 

「…………」

 

 とりあえず同調的な意味合いで相槌を返してみる。が、何故かロリはさらに眉根にシワを寄せるとまるで躊躇なく右足を振り抜き俺の脇腹へ痛ぇ!?

 

「お、おうふ……!!」

 

 声が漏れるぐらいには地味な鋭さを伴った痛み。うずくまる俺の頭上からは氷点下並の冷たさを伴った視線が落ちる。そしてロリはあからさまに不機嫌な音程で鼻を鳴らした。

 

「……失望しましたよ、阿良々木さん。まさか二度もネタ振りをされておきながらそれをスルーするとは。信じられません。芸人の風上にもおけませんね。罰としてこれからは空気読めない略してKYさんと改名して以後の人生を酸素の供給なく過ごしてください」

 

「この、クソガキ……!!」

 

 遠回しな死ね宣告にもれなく泣かしてやりたい気分で一杯だった。

 というかなんでこいつは俺の昔のアダ名を知ってるの?ちなみにその時は『空気読めない』の略ではなく『キモいやばい』の略でKY。

 なんだよキモいやばいってキモいのかやばいのかどっちかにしてくれよ合わせ技は無しだろ……。

 

 若かりし頃のトラウマにより八幡の精神に八万のダメージ!……八幡だけにな。くふっ。

 

「ああ、いまなにか即興で駄洒落をお考えになったようですけど残念ながら全然おもろしくない上に激さむですよ、それ。人間としての品位を疑うどころか最早出来がひどすぎて死んじゃってもいいくらいのレベルです。平然と生きていけるのが不思議なくらいの恥晒しっぷりですよ」

 

「うるせえな。というかお前も勝手に人の心を呼んでんじゃねえよ。なんなの、もしかして俺が知らないだけで女の子は生まれながらにして読心術とかマスターしちゃってるわけ?」

 

「いえいえ、そんな大層な技術など身に付けてはいませんよ。ただこのツインテールに他人の思考を受信する機能がついているだけです」

 

 なにそれ欲しい。

 ということはそれさえあれば俺の事を好きな女子が簡単に割り出せるというわけか!

 

「ただし人の悪意限定ですが」

 

「絶対いらねぇ……」

 

 瞬間的に俺のソウルジェムが穢れマックスになることうけあいである。

 他人の悪意ほど汚いものはない。しかし、悪意を抱かない人間などこの世界には一人としていないわけで、つまりぼっちである俺はそういった穢れの集合体から切り離された純粋無垢な人間なのであることが暗に証明されている。

 要約するとぼっちマジ天使。

 ハチマニエルと呼ばれる日はそう遠くはないかもしれない。

 

「……ふむ、どうやらツッコミを放棄したわけではないようですね」

 

 と、俺がまっさらな心で神の啓示をいまかいまかと待っていると『となり失礼しますね』微かな揺れと共に俺に寄り添うような形でツインテロリ少女がすぐ真隣に座ってきた。

 不意に左腕に伝わる熱。瞬間的に、俺は体を反対側にずらす。いや、違うから。ちょっと風邪気味なだけだから。ソーシャルディスタンス守っただけだから。

 空いた間を視線で制し、ついでにロリにも牽制の眼差しを向ける。ロリはきょとんとした顔を浮かべたのちに、次いでハハーンと悪意に満ちた笑みを浮かべ、そしてまたしてもピッタリと身体をすり寄せてきた。

 ……なにこいつ。一体なにがしたいの?

 

「それでですねロリコンさん」

 

「おいふざけんな誰がロリコンだ。俺は断じてロリコンではない!」

 

「失礼噛みました」

 

「いや、どう噛んだらロリコンになるんだよ。絶対ウソだろ。絶対わざとだろ」

 

「かみまみた」

 

「わざとじゃなかった……」

 

「……ふむぅ」

 

 再び距離を離す俺に、ロリ少女はなにやら胡乱な眼差しを向けてくる。なにが気にくわないのか、不満気に鼻息も漏らしていた。しかし不満度具合では言えば明らかに俺の方が上だ。いきなり蹴られるわ暴言吐かれるわロリコン扱いされるわで、もう雪ノ下の毒舌に慣れていなければ確実に今夜はまくらを涙で濡らしていたことだろう。もうマジで危なかったわ。もうマジで雪ノ下さんに感謝だわ。

 ……やばい、調教済み過ぎてなんだか違う意味で泣けてきた。

 

「やはり、なにかがしっくり来ませんね。それになんでしょう。なにやら今日の阿良々木さんはいつもと少し違います。一体なにが、どこが違うんでしょうか」

 

 そう言ってズイッと顔を寄せてくる少女。素晴らしく激しい既視感を覚えながらも俺は視線を明後日の方向へ。

 そうして、一方的にガン見されること数秒。

 少女は何事か閃いたかのようにぱあっと顔を明るくさせ、

 

「わかりました!そうです、なにかが変だと思ったら今日の阿良々木さんは目が死んでいらっしゃるんですね!それはもう三年ぐらい常温で放置した牛乳のようなドロドロとした目なんです!見事と言っても過言ではない腐り具合ですよ!」

 

「やっぱりまたそれか……」

 

 もはや聞き慣れすぎて何の感情も湧いてこない。いや、嘘だった。やっぱりムカつくし、腹立たしい。

 というか、そんなに俺の目ってダメなの?いやいや、そんなことないって。ほら、納豆とかくさやだって見た目や臭いは腐ってるっぽいけど実際食べてみると美味しいでしょ。つまり、そういうことだよ。……いや、どういうことだよ。

 

「つまり腐ってるように見えて、しかし実際は食べてみると美味しいというわけなんですね、阿良々木さんの目玉は」

 

「違ぇし何よりも発想が怖すぎんだろ……」

 

 思わず返してしまったツッコミに少女はニシシシと楽しげな笑みを見せる。そんな年相応な表情を見ながら俺はしばしの間を閉口し、そして……一つ、大きな溜め息を吐いた。

 立ち上がり、一歩を踏み出す。案の定、後ろから声がかけられた。

 

「阿良々木さん?」

 

「…………」

 

 だが、俺は無言で足早に歩を進める。一刻も早くこの少女から離れたかった。……離れる必要があった。

 

 雰囲気から察するに、たぶん、こいつは『阿良々木暦』の知り合いか何かなのだろう。ずいぶんと慣れ慣れしいことから、きっと親しい間柄であることは間違いないと思う。

 小学生と親しい間柄とか一男子高校生としてはある意味でギリギリアウトなんじゃないのかと思わないこともないが、だが、今はそんなことはどうでもいい。今はそんなことを考えている余裕は無かった。何故なら俺は『阿良々木暦』ではなく『比企谷八幡』だからだ。

 

 だったら……あとは言わずもがなだろう?

 

 砂場を通り過ぎ、出入り口付近の掲示板を横切る。……が、そこで俺の歩みは止まった。

 後ろから腕を掴まれていた。

 振り向く。ふんわりとした柔和な笑顔が俺を見上げていた。

 

「待って下さい、阿良々木さん。……いえ、阿良々木さんの姿をした誰かさん、といった方がいいでしょうか?」

 

「っ……!?」

 

 驚く俺にもう一度柔らかく笑いかけ、その少女は言う。

 年不相応に穏やかな声で、

 

「私は八九寺、真宵。八九寺真宵と申します。よろしければ、貴方の話を聞かせてはくれませんか?」

 

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