俺ガイナイ物語   作:ベリーベリーハード

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恐らくあと五話


二十二話

 照りつける太陽が眩しい。

 その陽光はさらにアスファルトを反射し熱気となって俺を蝕んでいた。肌が焼ける。流れ出る汗で肌にシャツが張り付き、言い知れない不快感が生まれていた。

 そんな状況下、そんな悪環境の中で。

 目前の女は不思議なくらいに涼しい表情で汗一つもかかず、平然と言ったものだ。

 

「暑苦しいわね」

 

「…………」

 

「ああ、いえ、間違えました。暑いわね、と言いたかったのよ、比企谷くん。決して貴方のような虫以上人未満な存在が真横で存命している事が鬱陶しくて思わず口を突いて出た言葉というわけじゃないから大丈夫、安心してちょうだい」

 

「……………………」

 

 安心どころか、むしろ進んで精神状態を不安定にさせてくる能面フェイスな戦場ヶ原さん。

 お前それ表情筋を真理の扉にでも持ってかれたのかよと言いたくなるような完膚なきまでの無表情に、俺はちらりと横目に視線だけを向け、思いきり苦々しく言葉を返した。

 

「いや、なにが大丈夫なのか全然伝わってこねえんだけど……。そんな苦しい言い訳されるくらいなら逆に真っ向から罵られた方がまだマシだ」

 

「存在が鬱陶しいわね同じ空気を吸うのも嫌だからちょっと永劫に呼吸をやめてくれないかしらこのゴミ虫」

 

「すいませんやっぱり真っ向から罵るのも勘弁してください……」

 

 アクティブ過ぎる掌返しに俺の心がストレスでマッハだった。

 というか、コイツ、一応は初対面である俺にさっきから辛辣過ぎない?

 その容赦の無さとか毒舌の濃さとかが、シンクロ率百パーセントで某部長様と重なってすごく既視感。ひょっとしてこっちも中身が入れ替わってるんじゃ……と、浮かび上がる想像に戦慄としながら戦場ヶ原を視線で牽制していると、不意に、その横顔が薄く陰った。

 

「……ふぅ。厄介なものね。中身は別物だと解っているのに、その顔を見るとつい阿良々木くんを前にしたように喋ってしまうわ。本当の私は、人前ではもっと可憐でお淑やかな少女だというのに」

 

「……そうですか」

 

「ええ、そうなの。ところで比企谷くん。私は当然この辺りの地理には乏しいわけだけれど、道はこの先で合っているのよね?」

 

「ああ、合ってる。後は道沿いに百メートルくらい行けばじきに目的の建物が見えてくるはずだ」

 

 言って、俺は視線で道の先を示す。

 戦場ヶ原は同じく視線を前へ向け、

 

「そう。わかったわ」

 

 歩みを再開する。

 俺もその進行に従い、気怠さを伴いながらも後を追った。

 

「…………」

 

「…………」

 

 図書館へと向かう道中だった。

 時に道の確認を行い、時に意味もなく罵倒され、そしてそれ以外の時間を一切の世間話もなく沈黙のままにここまで歩き続けて三十分弱。それは俺にとっては苦痛の三十分弱である。

 一人ならまだしも、未だ素性が自己申告でしかないヤンデレ女と行動を共にするとかマジ恐怖。いや、決して美少女と肩を並べて歩くことに緊張しているなどということは断じてさっぱり一応多分無いが、それにしたって戦場ヶ原というこの女、あまりにも感情の起伏が乏しすぎてある意味で不気味だった。

 無表情だし、声のトーンは常に低空飛行だし、そのわりに口を開けば猛毒ばかりを吐き散らしていく。なんかもう一緒に居るだけで疲れてくるというか、『アイツ』を彷彿とさせて尚更余計に近寄りがたいっていうか。

 というか阿良々木は本当にこんなのと付き合ってるのかよどんだけ愛に飢えてんだよこれが愛なら俺は愛など要らねえよ。

 つまり世紀末的に考えれば俺マジサウザー。

 ほら、聖帝と童貞ってなんか響き的にも似てるしね!

 

「…………」

 

「…………」

 

 ……沈黙が居たたまれない。

 ぼっちは多対一においてははがねのよろい並の防御力を有するが、一対一においてはステテコパンツレベルの脆さを露呈してしまうのだ。

 妙にそわそわする心境で、しかし当然のようにここで爽やかに世間話を振れるようなポテンシャルなど持ち合わせていない俺は無駄に欠伸なんかしたりしながら、一馬身ほどの距離を置いて戦場ヶ原に追従する。

 そうして、また幾らかの時間を経過させたところで、

 

「あれがそうかしら?」

 

 上げられた視線の先、そこに見えてきたのは壁面がガラス張りの建造物ーー千葉市中央図書館である。

 肩越しに振り向く戦場ヶ原。視線は合わせずに、俺は小さく頷いた。

 

「そうだよ。俺の知る限りではこの近辺で最も蔵書量が多い図書館だ。確か八十万冊ぐらいはあるらしい。まあ、それだけあれば伝承の一つや二つくらいすぐに見つかるだろ」

 

「へえ、詳しいのね」

 

「べつに詳しいってほどじゃねえよ。ただ一人で静かに勉強するにはうってつけの場所だったからな。利用している内に自然と知ったんだよ」

 

「へえ、友達が居ないのね」

 

「…………」

 

 ……ほんとなんでこいつはこう毎回一言多いの?上げて落とすのが趣味の人なの?戦場ヶ原バスターなの?

 

「かっかっかっ。そうです私が魔界のプリンスです」

 

「いや、それ本家の方じゃなくて悪魔超人の方だし……」

 

 まあ確かにこいつほど悪魔超人という名称が似合うような女も居ないけれど。むしろ残虐超人と呼ぶまである。

 

「まあいい。こんな所で突っ立ってるのもなんだし、さっさと中に入……って、もう先に行っちゃってるし……」

 

 俺の存在などまるで無いもののように戦場ヶ原は早々に玄関口をくぐっていった。

 当然、俺は一人きり。ぽつねんと熱射の下に取り残される。

 

「……はぁ」

 

 溜息を一つ。

 そして俺もドナドナとした足取りで入り口へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みのせいなのか、図書館の中は思いのほかに利用客で混み合っていた。

 発情したサルのようにやかましい小学生の集団に、机上に広げた教科書をよそにケラケラと頭の悪い会話に興じる中学生達。広間の脇にそなえつけられたソファでは甚平姿の爺さんが舟を漕ぎ漕ぎ、うたた寝している。

 つーかお前ら本読めよ、とか思わず言いたくなるような光景だ。恐らく大半が涼を求めてやってきたような奴ばかりなのだろう。まるでショッピングモールの一角みたいなワチャワチャしたエントランスを前にしながら、俺はとりあえず戦場ヶ原に聞いておく。

 

「……で?こっからどうすんだ?」

 

「愚問ね。図書館に来てすることなんて一つだけでしょう?それとも貴方はわざわざこんな場所まで来ておきながらリンボーダンスでもやるというのかしら?」

 

「やらないし何でそこでリンボーダンスを例えに持ち出してきたのかが甚だ分かんねえ……。べつに、一応聞いてみただけだっての。解ってるよ。孤毒蜘蛛についての記述がある資料を探せばいいんだろ?」

 

「そう。解っているのなら別にいいわ。それじゃあ後は頼んだわよ」

 

 無感情にそう言ってから戦場ヶ原はスタスタと奥へと歩いていった。

 まあ二人で同じ所を探すよりかは二手に分かれた方がよっぽど効率的だろう。そう判断し、俺は戦場ヶ原が向かった先の真逆へと足を進める。

 

「って、知ってはいたけどこんなにあるのかよ……」

 

 進んだ先。俺が立ち入ったのは歴史や民話などに分類されたコーナーの一角だった。

 そこには数えるのも嫌になる程の棚がずらりと並び立って異様な圧迫感をこちらに与えてくる。……うげぇ、マジでこの中から探さなくちゃいけないのか。

 手をつける前からウンザリとしてくる。仕事と同じだ。つまり専業主夫を志す俺としてはこれはやらなくてもいい作業なのではと一瞬考えてはみるものの、しかしその案を採用するとのちにハサミでチョキチョキされるだろう未来が容易く見えてくるので、致し方なく俺は資料探しを始める事にした。

 とはいえ、全ての本の中身を見て回るような時間的精神的余裕はない。

 とりあえず背表紙のタイトルからそれらしいものを見繕おうと棚を上から下まで眺めながら真横へスライドしていくーーと、

 

「わっ」

 

「っと」

 

 なにかにぶつかった。いや、なにかなんて曖昧な表現をしなくても十中八九、人にぶつかったんだろう。

 軽い衝撃に少しばかりバランスを崩しながら、俺はそちらへと目を向ける。

 すぐ眼下。小学生ぐらいの女の子が床に尻餅をついてうずくまっていた。

 

「……あー、悪い。大丈夫か。怪我とかないか?」

 

「いたた……ああ、いえ、こちらもすみません。少し探し物に集中していたせいで、周りが見えていませんでした」

 

「あ?」

 

「へ?」

 

 少女が顔を上げ、目と目が合う。そして恋は始まったのだ……なんてことは当然無く、というかそこに居たのは八九寺だった。

 八九寺はぽかんとした顔で俺を眺めながら、やがて目前に居るのが顔見知りだという状況を把握したのか。

 シュバッと立ち上がるなり、ズザザと後ずさり、そうしてようやく次の言葉を発した。

 

「あ、あなたは……ひ、ひき……比企なんとかさんじゃないですか!?」

 

「開口一番でそれかよ」

 

 たかが一日ぶりだというのに名前を忘れられていた。なんだよ比企なんとかって。知り合いの名前をうろ覚えとかとても最低なことだと僕は思います!

 

「あっ、そうでしたそうでした。いま思い出しましたよ。いやぁ、お久しぶりです。元気そうでなによりですね、ヒキガエルさん」

 

「比企谷だよ。なんで一番ダメなものを後ろに付けちゃったの?わざとなの?」

 

「失礼、噛みまし……って、比企谷さんフライングです!崇高な通例儀式を一体なんと心得ているんですか!」

 

「知るか。だから俺はそういう内輪ネタが嫌いだって言ってんだろうが」

 

 つーか普通に名前言えてるし。やっぱりわざとじゃねえか。

 

「……で、八九寺。お前こんな所でなにやってんだ?」

 

「ふん。空気も読めない比企谷さんに教えることなんて何一つとしてありません。ええ、もう絶対に教えたりしませんからね」

 

「そう膨れんなっての。アレだ、後でミスドおごってやるから機嫌直せって」

 

「マジですか!?きゃっほーっ、比企谷さん大好きです!」

 

「…………」

 

 八九寺真宵、やたらとチョロい小学生だった。

 まあまた帰りにでも買っていけばいいだろう。それに、いざという時の為に常備しておこうとも思っていた事だしな。

 床に写る自分の影をちろりと一瞥してから、俺は八九寺に向き直る。

 

「で、なにしてたんだ?」

 

「はい?……ああ、私のことですか。意外ですね。そんなにも比企谷さんは女子小学生の行動に、というか女子小学生に興味があったんですか?」

 

「言い直しに悪意がありすぎんだろ……。べつに興味とかじゃなくて普通に気になっただけだよ。いきなり家から居なくなった小学生がなんで一日またいでこんな所にいんのかってな」

 

 心配していなかった、と言えば嘘になる。昨日の時点で、暗くなる前に探そうとも思った。しかし阿良々木も、あの羽川でさえも八九寺は大丈夫だと言って憚らなかった。その理由をーー俺は、聞いてはいない。

 

「う……し、心配をかけてしまった事は謝ります。ですが、私だってもう立派なれでぃーなんです!自分のプライベートタイムをどう山越え谷越えしようが文句を言われる筋合いはありません!」

 

「立派なレディーは山も谷も越えたりしねーよ。それに文句とかじゃなくてただ普通になにしてんのか聞いただけじゃねえか。それをなんでそんなムキになって返してくんの、お前?」

 

「べ、べつに、ムキになってなんて……」

 

「…………」

 

 八九寺はキョロキョロとサバのように視線を泳がしまくっている。

 と、俺はその両手が後ろに回っていることに気が付いた。今は背負っていないリュックサックの代わりになにかを背で隠すように、八九寺はその態勢のまま動かない。

 ふむ。

 俺は隙を突いて背後に回ってみる。

 

「あっ、ちょ、なにを……!?」

 

「……これは」

 

 覗き込んだ背中側に隠されていたのは一冊の本。八九寺が驚いている内に俺はその本へと手を伸ばし、かすみとる。

 そこに書かれていた題名は、

 

「……蜘蛛隠れ?」

 

 草書体で書かれたそれは幾分と歴史を感じさせるような古びた書籍だった。

 無意識の内にパラパラとページをめくると中には蜘蛛に関する妖怪や怪談の類の記述が為されている。そして、そこには図ったかのように孤毒蜘蛛に関する記述も載っていた。

 その紙面から目を離し、再び八九寺を見る。

 八九寺はいたずらがバレた悪ガキのように、照れ臭そうな笑みを浮かべていた。

 

「は、ははっ。見られてしまいましたか。本当はなにも知らない所にコレを差し出して盛大に驚かせようと思っていたんですがね。いやはや、ちょっと予定が狂ってしまいました」

 

「……お前、これを俺や阿良々木の為に一人で探してたのか?」

 

 驚きと、そしてどこかむず痒い感情を覚えながら俺は八九寺に問う。

 この膨大な本の山の内から、たった一人で、俺たちの為にーーと。

 だが八九寺は清々しくハッキリと「違います」と答えを返した。

 

「これは私が私の為に探していたに過ぎませんよ。腐った瞳をした阿良々木さんなんてもはや不気味の権化といっても過言ではありませんからね。だからさっさとお二人には元に戻ってもらって、それで私の精神衛生を清らかに保とうという、つまりこれは私の自己満足みたいなものです」

 

 えへへとはにかみながら八九寺は言う。あざとい。あざと過ぎる。しかしそれは恐らく表裏のない素の言葉で、だからこそ俺は戸惑うしかなかった。

 ーー阿良々木といい、羽川といい、八九寺といい。どいつもこいつもお人好しで、どいつもこいつも俺の調子を狂わせる。俺のーー信条を揺るがす。

 このリア充共が溢れる腐った三次元な現実も意外と悪くないんじゃないのかと。

 そう思わされる事が、しかし俺にとっては歯がゆく、許されざる事で。

 その思いはしょせん偽物、仮初めの身体であって初めて得られる仮初めのモノでしかないのだから。

 だから俺はーー

 

「……比企谷さん?」

 

「……っ」

 

 声がした。

 思考を途切らせたそれは心配そうに投げかけられた八九寺の声。

 俺は見上げられた眼差しから逃げるように目を逸らし、とりあえず言うべき言葉だけを簡潔に返した。

 

「まあ、なんだ。……ありがとな」

 

「へ?」

 

 馬が二足歩行で走り始めた場面を目の当たりにしたような間抜け面を伴って、八九寺は目をぱちくりと瞬かせる。そして、少しの間を空けてからニヤァと嫌な笑みを浮かべると、

 

「へぇ、比企谷さんも意外と素直な所があるんですね。なんですか?ひょっとして健気な私にちょっとだけトキめいてしまったんですか?やっぱりロリコンなんですか比企谷さんは?」

 

 実にウザい顔でウザい口調だった。

 これ以上なにかを言って更にウザくなられても面倒なので俺は回れ右して歩き出す。

 ーーロリコンではない。俺は断じてロリコンではない。

 そんな呪詛めいた呟きを繰り返しながら、そして後ろから背後霊のように付いてくるニコニコニヤニヤ顔のガキンチョを意識外に追いやりながら、俺は資料探しを再開した。

 

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