結論から言うと資料探しはほぼほぼ徒労の内に終わった。
せいぜいが八九寺の見つけてきた本が役に立つか立たないかぐらいなもので、しかして他に孤毒蜘蛛についての記述が書かれた本は一つとして見つからず、そうこうしている内にも時刻は早くも午後三時半。俺は取り出した分厚い民謡集を元の棚に戻してから、視線を横に立つ八九寺へと向ける。
「……今日はもうこれで終いだな」
「そうですね。これ以上、時間を費やしても恐らく良い結果は出ないでしょう」
んー、と。大きく背伸びしながら八九寺はどこか疲労を残した声で答えた。資料探しを始めること約二時間。流石に疲れも出てくるというものだろう。
「しかし結局、これといって確信を得られるようなものはありませんでしたね。いくら孤毒蜘蛛がマイナーな怪異とはいえ、少しぐらいは詳細の記された文献があると思ってたんですが……」
「まあ仕方ねえだろ。元々、文献の類は羽川が先んじて探してたんだ。アイツが探して見つからなかったものが俺達に見つけられるとは到底思えねえよ」
そう考えれば、むしろ手がかりになりそうな物が一つ見つかっただけでも大金星と言える。ならば今日の所はコイツを手土産にして退散という流れでも文句は言われまい。
時間帯を考えるならば、そろそろ羽川と阿良々木も帰ってくる筈だろうしーーって、そういえば。
「……戦場ヶ原はどこ行った?」
不意に思い至り、俺は辺りを見渡した。だがやはりというか、あのスーパー能面毒舌悪魔超人の姿はどこにも見当たらない。いくら蔵書数が多いとはいえ、同じ目的のブツを探すのならば場所は限られるはずなんだが……
「比企谷さん?急にキョロキョロしだしてどうしました?その死んだ瞳が相まってまるで不審者のようですよ。女児好きな」
「なんで最後に余分な形容詞を付け足した?……いや、じゃなくて、普通に連れを探してるだけだっつの。帰るにしてもアイツを残してここを出るわけにも行かんからな。後が怖いし」
「連れ?ですが羽川さんと阿良々木さんは今は別行動だったはずでは?」
「あー、あいつらじゃなくて。ここには戦場ヶ原ってやつと来たんだ。いや、来たっていうか無理やり連れて来られたと言った方がこの場合は正しいかもしれんけど」
「……なぜ、あの方がここに?」
どことなく苦みばしった表情の八九寺である。実は知り合いだったりするんだろうか。だとしたら浮かべた表情の意味合いもなんとなくだが理解は出来る。
「わざわざ阿良々木を追ってきたんだとよ。それで、なんか知らんがいつの間にか怪異調査に協力するって流れになってた」
「そうですか。そういう事でしたら私はまあ『阿良々木さんご愁傷様です』と言うほかにありませんね」
なーむー、とかなんとか言いながら八九寺は両手を合わせていた。俺も出来れば阿良々木に祈ってやりたい気分である。もちろん冥福をだが。
「まあ阿良々木の事は正直どうでもいいとして、今はとりあえず戦場ヶ原をさっさと見つけて帰ることの方が先決だ。つーわけで、ほれ行くぞ」
差し当たってはエントランス周辺に向かえばいいだろう。
凝り固まった首筋をほぐしつつ、俺は歩みを進める。どうやら外の日差しも幾らか弱まり始めたのか、着いたばかりの頃は利用客で混みあっていたエントランスも今ではちらほらと空席が見える程度にまで空いていた。
なんにせよ好都合だ。見通しの良くなった視界をフルに活用し、俺は戦場ヶ原を探す。あのエキゾチック物質みたいなぶっ飛んだ内面はともかく、容姿だけで見ればあいつは普通に目立つ部類だ。ならば、その姿を見つけるのにそれほど苦労はしないだろう……と。
軽く考えながら周囲を見渡していた俺の視界の内に、しかし戦場ヶ原とはまた別な意味で目立つ部類の人物が予期せず映り込む。
それは、この辺りでは全く見ることのないだろうピンクを基調とした制服を着込んだ一人の女子高生。今朝ぶりに姿を見るだろう完璧超人羽川翼と、見慣れたにも過ぎる外見をした『俺』こと阿良々木暦の凸凹コンビだった。
「あれ?ひょっとして……比企谷くん?」
「……比企谷?」
俺が二人に気付いたのと同様に、どうやら羽川達も俺の存在に気付いたようだ。
まさかの遭遇に驚きを見せる羽川と阿良々木。そして二人はこちらに近づいてきた。
「お前ら、こんな所でなにやってんの?」
「いや、どちらかというとそれは僕達のセリフなんだけれど……」
半日ぶりに見る俺の顔はどこか困惑したように俺を見ていた。その光景はやっぱり無条件に気色が悪い。
なので半永久的に阿良々木は視界の内に入れないとして、俺は説明を求めて羽川に視線を向ける。
「奇遇だね、比企谷くん。もしかして目的は私達と一緒だったりするのかな?」
「みたいだな」
どうやら羽川達も孤毒蜘蛛の資料を探しに来たらしい。
仕事を終えてまたすぐに進んで仕事を抱えこむとは……どうやらこいつらの社畜レベルは俺の遥か上を行くようである。
まあそれはともかくとして。
「……で?そっちは、上手くいったのか?」
「んー……あはは。まあ当たり障りなく、って感じかな」
「そうか」
正直、気にならないと言えば嘘になる。だが俺がどうこうして良くなる案件ではないというのもまた事実だった。ならば奉仕部に関してはこのまま全面的に羽川達に任せるほかないだろう。
と、
「ん?比企谷、お前の持ってるそれって……」
ふと気付いたように阿良々木が言う。
その視線は俺の右手に向けられていた。
「あ?……ああ、これか」
蜘蛛がくれ。そんなどこぞの甲賀忍法帳みたいなタイトルの本を俺は二人に手渡す。本日、唯一の成果。とはいえその本自体、俺ではなく八九寺が見つけたものなので成果もへったくれもないんだけどな。
「八九寺?」
「ああ、俺達が来た時にはもう先に八九寺がここに居たんだよ。それでこの本を渡されたんだが……っていうかちょっと待て。そういや、あいつどこ行った?」
気付けば、周辺にはまたしてもあのツインテールロリの姿は無かった。
まださっきの本棚の前に居るんだろうか。疑問はさておき、とりあえず戻って探そうと踵を返す俺を、だがしかし羽川の声が引き止める。
「……ねえ、ちょっと待って比企谷くん。真宵ちゃんを探しに行くのもいいんだけれど、その前に一つだけ教えて欲しい事があるの」
「教えて欲しいこと?」
俺は反芻するように言葉を返す。
羽川はどこか神妙な表情で俺に視線を向けていた。
「比企谷くん、いま『俺達が来た時には』って言ってたよね。確かに俺『達』って。ねえ、それってもしかして……」
神妙な表情はそのままに羽川は含みを持たせたような言い方をする。
だがおかげでーーというか今さらながらに俺は思い出す。と、同時に強烈な視線を感じて、俺は反射的にそちらを向いた。
羽川と阿良々木を通り越した向こう側ーーその先で仁王立ち、というか、仁王そのものなオーラを発しながら立ちはだかるラスボスの姿。
戦場ヶ原ひたぎ。
まるで図ったかのようなドンピシャなタイミングで、その女はそこに立っていた。
「ーーあら。あらあらあら。もしかしてもしかすると……まあ、奇遇ね。そこにおられるのはひょっとして、羽川翼さんではないかしら?」
「っ!!……せ、戦場、ヶ原さん?」
羽川が振り返る。その顔は今まで見たことがないくらいにぎこちない笑みを浮かべていた。続いて阿良々木が振り返り、瞬間最大風速を記録するレベルで一瞬にして顔面を凍りつかせる。
戦場ヶ原は笑っていた。張り付けたような薄い笑みで羽川を見て、そして阿良々木を見る。まるで獲物を前にした蛇のような狡猾な眼光をギラギラと瞳の奥で輝かせながら、戦場ヶ原は言った。
「まさかこんな所で既知の友人に出会えるとは思ってもいなかったわ。ここで会ったが百年目ーーいえ、ではなくて晴天のヘキレキと言った所かしら。そうね。そうだわ。こうして会ったのも何かの縁、色々と積もる話もあるでしょうし、一先ず場所を移すというのはどうかしら?ねえ、羽川さん?」
ーーねえ?あららぎくん?
蛇は蛙を一睨み。そうして蛙はなすすべもなく、恭順の意を示すのみであった。
「まず初めに聞いておきたいのだけれど、阿良々木くんはねじり切られるのと斬り刻まれるのとではどちらの方が好きなのかしら?」
まるで好きな色を尋ねるような気軽さで、戦場ヶ原は早速とばかりに死刑宣告を告げてきた。
近場の喫茶店に場所を移してからの第一声である。もちろん、その道中で心づもりをしていた僕は何の気後れもすることなく、流暢に言葉を返す。
「待て、戦場ヶ原。お前が僕にどういった不満を感じているのかは重々承知しているつもりだ。それでも、もしもお前の中に一欠片でも僕を信じる気持ちがあるのならば、黙って僕の言い分を聞いてはくれないだろうか?」
「言い分?……そうね。確かに、たとえ甲斐性なしのゴミクズ社会不適合者のドチビであったとしても、一応は言論の自由というものは与えられているものね」
「チッ……!?い、いや、そうだろう?だったら」
「ええ、もちろん聞いてあげるわ。だから、その後でねじり切って、斬り刻んであげる」
「…………」
どうやら認めるのは言論の自由だけらしい。
その冷え切った目が僕を射殺すように睨みつけている。
と、
「せ、戦場ヶ原さん、ちょっと落ち着いて。とりあえず、その右手に持ったコンパスは今はしまおう?」
「ああ、ごめんなさい羽川さん。私ったら興奮すると無性に文房具に触りたくなるクセがあって。ええ、大丈夫よ。安心してちょうだい。『今』はまだなにもするつもりはないから」
なだめる羽川に戦場ヶ原は歯の噛み合わせが悪くなるような微妙なアクセントを残して返答する。
今は。
ということは後からはなにかするつもりなんだろうか?
不思議と両頬がムズムズと疼いてきた。
「……戦場ヶ原さん、あのね。私が言えた義理ではないんだけれど、でも阿良々木くんは戦場ヶ原さんのコトを思って今回の件を話さなかったの。関わる必要のない厄介ごとに戦場ヶ原さんを巻き込むワケにはいかないからって。だからーー」
「ーー大丈夫。解っているわ」
「え?」
「どうせこの男は愚かにも私を心配して連絡をよこさなかったんでしょう?わざわざ羽川さんまで口止めして。なんとなくだけど解っていたわよ。だって阿良々木くんはカッコつけの正義マンだものね」
「正義マンって……」
とんだネーミングセンスだ。
まだ正義の味方といわれた方が嬉しい。
「まあ、だからというワケではないのだけれど、実を言えば私は今回の事についてそこまで怒ってはいないのよね」
「え?そうなのか?」
そのわりにはエラく不機嫌だったような気もしたんだが。
「怒りと不満は別のものよ。挙句に私は勉強会もボイコットされているのだから、少しぐらいは機嫌を害していてもおかしくないでしょう?」
「……そういえばそうだったな」
怒りの本命はそっちだったか。
いや、確かになんの連絡もなしに勉強会を休むのは些かマズかったのかもしれない。少し遅刻しただけでも烈火のごとく毒舌を振りまく戦場ヶ原である。一人、来ない来客を待ちながら過ごす無為な時というのは彼女にとって最もフラストレーションを溜め込む時間だったのだろう。
少し、反省した。
「……ごめん、戦場ヶ原」
「それは何に対しての謝罪なのかしら?」
「なんの連絡も入れなかったこと。気の利かない、それでいて不甲斐ない彼氏だということ。それと……心配かけまいとして、結局心配させてしまったこと」
戦場ヶ原が僕のことを解ってくれていたように、僕も戦場ヶ原のことを解っているつもりだ。
要するに、戦場ヶ原は僕の身を案じてここまでやってきたのだろう。心配したがゆえに単身でこんな遠くの所にまで。それだけで僕はこいつに平伏叩頭して謝らなければいけない気がする。
頭を下げる僕に戦場ヶ原は「ふーん」と気のない返事を返し、そして、
「そうね。まあいいわ、特別に許してあげる」
「……戦場ヶ原」
「か、かんちがいしないでよねっ!私はべつに、下手に出た阿良々木くんなんかに優越感を感じたりしてないんだからっ!」
「いや、それちょっとなんか違う気がするんだけど……」
キャラがブレブレな戦場ヶ原さんだった。
まあそれはそれで新しいジャンルが生まれそうな気がしないでもないけれど。
「……あー。それで話は終わったのか?」
と。
話し合いの末の和解が成立した所で、第三者の声が僕らに呼びかける。見れば、どこか面倒くさそうに距離を置いていた比企谷が、タイミングを見計らっていたかのようにこちらに視線を向けていた。
「ああ、いや、ごめん。もう大丈夫だ。悪かったな、僕達の事情で貴重な時間を割いて」
「いや、べつにいいけど……」
心底どうでもよさそうに言う比企谷。それから彼は仕切り直すように小さく息を吐いてから、そしてその視線を戦場ヶ原に向ける。
「それはともかくお前はこれからどうするつもりだ。一応、阿良々木とのアレコレはこれで解消したんだよな。だったらもう帰るのか?」
「そんなわけないじゃない。もちろん事態が解決するなら、地獄の底まで付き合うつもりよ」
「やっぱりかよ……つっても、ウチには空いてる部屋はもう無いぞ?」
「それについては問題はないわ。この辺りには二十四時間営業しているファミレスも多いみたいだし、いざとなったら押入れの中でだって私は寝れるわ」
「お前はドラ◯もんかよ」
比企谷は一つ溜め息をこぼし、それから続けて、
「……仕方ねえ。だったら部屋に関しては俺がなんとかする。だから今日の所はウチに泊まってけ」
「いいの?」
「いい。逆にこれでなんかあって面倒事が増えるよりかは幾らかマシだからな」
「……そう。なら、お言葉に甘えようかしら」
聞くからに素っ気ない返事だったが、しかし戦場ヶ原は本心ではいくらか安心しているようだった。僕としても戦場ヶ原が外で寝泊まりするというのは正直心穏やかではない。
だからと言ってなにからなにまで比企谷の世話になるのは心苦しくもあるのだが、まあ、今だけはその好意を甘んじてうけさせてもらおう。
「……ありがとうな、比企谷」
「別にお前から礼を言われる筋合いはねえよ。つーかそう思うのならさっさと身体の戻し方でも見つけてきてくれ。せっかくの夏休みだ。早いところ終わらして俺は夢のインドア生活に戻りたい」
言って、比企谷は視線を逸らす。いつも捻くれている分、もしかしたらこういう直球な言葉や礼に弱いんだろうか。だとしたら今度機会があれば神原にも会わしてやりたい所だ。意外と相性の合うコンビになるかもしれない。
「さてと……それじゃあ、そろそろ帰ろっか?もう少しで日も暮れてきそうだし」
と、窓の外を見ながら羽川が言う。確かに時刻はすでに十七時を回っていた。日の長さを感じる夏といえど、あまり遅い時間に外をうろつくわけにもいかないか。
伝票の紙を持ち、レジスターの前で支払い(とりあえずこの場は僕が出す事になった。もちろん僕の財布から)をする。
その間、
「…………」
「…………」
比企谷と羽川がなにかの本を開きながら、どこか真剣な面持ちで話し合っていたのが何故か妙に記憶に残った。