俺ガイナイ物語   作:ベリーベリーハード

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二十五話

 翌朝。

 ようやくの帰宅を前に泣きそうな顔で別れを惜しむダブルシスターズを尻目に、俺と戦場ヶ原は会話もなく、ある場所へと向かっていた。

 入り組んだような細い路地を何度も通りすぎ、途中ちらほらと居場所を携帯のナビで確認しながら、そうして辿りついたのは赤い鳥居を入り口に構えたこじんまりとした敷地。

 星神神社ーーそこが俺達の目的地だった。

 境内を見渡しながら、戦場ヶ原はぽつりと呟く。

 

「……驚いたわ。本当になにからなにまでそっくりなのね」

 

「はあ。そんなにか?」

 

「ええ。実を言うと、少し前に向こうの星神神社には足を運んでいたのだけれど、ここはその時見た光景とまるで変わりないわ。むしろ変わりなさすぎて不気味なレベルよ」

 

 珍しく感情の発露した声で戦場ヶ原は言う。

 県さえまたいだ遠方の地に突如現れた見慣れた光景。そりゃあまあ、少しぐらいは驚きもするわな。

 ぼうっと鳥居の前で立ち尽くす戦場ヶ原に先んじて、俺はなんの感慨もなく境内に足を踏み入れる。完全初見ということもあるし、とりあえず狭いながらもぐるりと敷地内を回ってみようと俺は更に一歩を踏み出してーー

 

「……ん?」

 

 ーー奇妙な既視感に襲われた。

 年季の入った石畳、苔の生えた石灯籠、敷地面積のわりにやや大きい古ぼけた社。

 覚えが無いはずなのに、見覚えのある景色が記憶を刺激する。

 俺は……ここを知っている?

 

「なにをしているのかしら、比企谷くん。道の真ん中で立ち止まったりして」

 

 と、背後からの声で俺はハッと意識を戻した。

 同時に奇妙な感覚は霧散する。……まあ気のせいだろ。記憶を探る必要すらない。こんなことで脳細胞を浪費するのも馬鹿らしいしな。

 

「……どうかした?」

 

「いや、別になんでもない。ただちょっと狭いなって思ってただけだ」

 

「え?あなたの器が?」

 

「ちげーよ。なんでさも当然であるかのようにその言葉が出てきたんだよ」

 

 息を吸うような自然な罵倒におもわず頷いてしまいそうになっていた。

 危ない危ない。危うく自虐嗜好に目覚めちゃう所だったぜ。

 

「狭いってのは境内の話をしたんだよ」

 

「なんだ、そっちのことだったの。ええ、確かに少し狭いかもしれないわね。それでも比企谷くんの器量よりかは幾らか広そうだけれど」

 

「ねえ、なんでもう一回言ったの?それそんなに大事なことだったの?」

 

「では、社に入りましょう。羽川さんの言うことが正しければ、そこに『例の物』が祀られているらしいから」

 

「そして無視かよ……」

 

 げんなりと目を腐らす俺をよそに、戦場ヶ原は恐れ多くもズカズカと土足で社の中に入りこんでいた。

 俺も周囲に人影が無いことを確認してから、ソッと忍び込む。

 腐った木の匂いがむずむずと鼻腔をくすぐった。

 

「……まるで泥棒にでもなった気分だな」

 

「どちらかといえばスパイの方が近いような気もするけれどね」

 

 多少ホコリ臭い空間の中を進む。

 少し広いワンルームほどの室内、その奥に作られた小さな祠のようなモノの中で、俺達はすぐに『ソレ』を見つける事が出来た。

 

「これが……」

 

「……羽川が言ってた『神体』か」

 

 楕円状の物体。それは見るからに古めかしい造りをした『銅鏡』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「机は五列、一列を六つとして横に並べてちょうだい。それと長机は南側に二つ、これも横に繋げて。あとは冊子を一組ずつ机の上に並べ……って、なにをやっているのかしら比企谷くん?私は確か長机は南側に置いてと言ったはずよね。ニワトリでさえ数歩歩くまで覚えていられるようなことを貴方は記憶に留めておけないのかしら?もしかして健忘症?だとしたら今すぐにでも病院にかかることをお勧めするけれど」

 

「…………」

 

 実際に作用するとしたならば確実に致死性のあるだろう毒舌を振るいながら、黒髪の美少女ーー雪ノ下雪乃は、実に凛とした立ち振る舞いで黒板の前に佇んでいた。

 対する僕、比企谷八幡の皮を被った阿良々木暦はといえば、それはもう、誰が見てもすぐ解るほどに疲労困ぱいとしながら机を運搬する作業に従じているーーいや、従じているというか、この場合は従じさせられていると言った方が正しいのかもしれない。

 誰に、なんて野暮なことはこの場合においてもはや言うまでもなく。その代わりに辟易とした溜め息を吐いてから、そうして無意識に呟きをこぼした。

 

「……なんで、こんなことに」

 

「あら、愚問ね。人手が足りないという現状は前もって知らされていたでしょう?それでいて男手も少ないのだから、貴方がこういった力仕事の役割におさまるのは至極当然の結果だと思うけれど」

 

「…………」

 

 聞こえるか聞こえないか程度の声量で呟いた独り言にまで、雪ノ下は律儀に答えを返してくる。どうやら、そういう所まで雪ノ下は戦場ヶ原に似ているらしい。

 まさか、あいつみたいな高校生女子があいつ以外にも存在していたなんてなーーと

 若干戦慄を覚えないでもない心境に陥りながら、僕は雪ノ下に視線を向ける。

 そして汗ひとつかいていないその涼しげな表情に向け、なんとはなしに言葉を向けた。

 

「なあ雪ノ下。お前ってさ、もしかして蟹が嫌いだったりするか?」

 

「……は?蟹?」

 

 この奴隷野郎はいきなりなにを言っているのかしら、とでも言いたげな視線に「いや、やっぱり何でもない」と言い直してから、続けて言葉を向ける。

 

「というか、それよりもさ。学校に来て早々に俺、は力仕事に従じているわけだけれど、この作業は一体いつまで続くんだ?かれこれもう一時間以上は経ってるだろう?いい加減、手とか足とか腰とかが限界に近いんだけど」

 

「……そうね。準備だけで言えば後はこの教室を含めて、四クラスほどしかないから。早ければもう一時間ほどで終わる計算になるでしょうね」

 

「四クラス……」

 

 まだそんなに残っているのか……。

 知りたくも無かった事実に気持ちがドシリと落ち込む。そんな気分に引きずられるように、心なしか身体にまとわりつく重力までもが更に圧力を増したような気がしてきた。

 

「……働くって、意外に大変な事なんだな」

「当たり前でしょう。なんの労力も要さない労働なんて、それこそただの職務怠慢でしかないわ。良かったわね、比企谷くん。貴方はいま、その年若さで非常に貴重な体験が出来ているのだから」

 

「…………」

 

 慈しむような笑みとは裏腹にその言葉の響きにはシビアな辛辣さが混じり合っていた。どうやら雪ノ下は羽川の天使のような笑みと戦場ヶ原の悪魔のような毒舌の両方を兼ね備えたハイブリッド型であるらしい。

 世の中にはまだまだスゴイヤツが居るんだなぁ……。そんなことを考えながら不思議と達観した心持ちで僕は散漫な動きで作業を再開する。

 と、

 

「……やっぱり、皮肉は言わないのね」

 

「は?」

 

 ささやくような小さな呟きに作業を止める。

 顔を上げると雪ノ下が無表情に近い、それでいてエッセンス程度に困惑を混ぜたような面持ちで僕を見ていた。

 

「雪ノ下……?」

 

「……いいわ、比企谷くん。労働はたしかに尊いものだけれど、だからといって過重労働は愚の骨頂だものね。無理して怪我でもされたら面倒だし、仕方がないけれど少しだけ休憩を入れましょう」

 

「……?まあ、雪ノ下がそう言うんなら遠慮なく休ませてもらうけど」

 

 机を下ろす。腕の節々からは痺れるような痛みが発生していた。

 

「……何ヶ月ぶりだろうな。筋肉痛なんて」

 

 春休みの時はおろか、その後も後遺症のせいかこういった痛みとは無縁だった僕だ。確かに辛くはあるものの、しかし不思議とその辛さも痛みもどこか懐かしい。

 自分が普通の人間であるとーーただただ実感出来る。

 

「……比企谷くん。たしか以前も言ったと思うけれど、その何もない所でニヤつく行為をぜひとも止めてくれないかしら?実に気味が悪いわ」

 

「え?もしかして笑ってた?」

 

「…………」

 

 無言の肯定に僕は急いで口元を隠す。

 恥ずかしい。絶対に見られてはならない変な癖を他人に間近で目撃された時ぐらいの羞恥心だった。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……あー、そういえば羽川と由比ヶ浜はどこにいったんだ?」

 

 もうギブアップだ。痛々しい静寂に耐えかねて、僕は雪ノ下に言葉を向ける。

 彼女は冷え切った眼差しはそのままに口を開いた。

 

「彼女達には別室で雑務を任せているわ。まあ由比ヶ浜さんはともかく、羽川さんには分不相応な仕事を任せて申し訳ない限りではあるけれど」

 

「分不相応?」

 

 なぜかその言い方が気になった。

 反射的に問いかけを向ける。すると雪ノ下はすぐに見て取れる程に険しい表情を浮かべ、こちらを睨みつけてきた。

 

「あなた……本当に何も知らず、羽川翼と知り合ったの?」

 

「ど、どういうことだよ?」

 

「どうもこうもないわ。貴方が彼女の才能も知らず、ただ彼女を偶然知り合った普通の女子高生としてしか見ていないのだとしたら、それがどういう理由であれ愚か者だと罵倒されても仕方がないということよ」

 

 雪ノ下は恐らく初めて見せるだろう真剣な表情で僕を見据えていた。

 その迫力に僕は息を呑む。

 彼女は淡々と語った。

 

「……名前を聞いて初めは驚いたわ。まさか『あの』有名な才女が、ひょっこり目の前に出てくるなんて思ってもいなかったもの。だから、最初は同姓同名の人違いだと思ってた。そんな人が貴方みたいな人間の腐ったような男と知り合いだなんて到底考えられなかったしね」

 

「…………」

 

 人間の腐ったって……比企谷は普段どんな目で見られてるんだろうか……。

 それに羽川。アイツもアイツで、只者ではないとは知っていたけれど、一体全体、地方に住んでる田舎暮らしの一女子高校生の名前が、どうしてこんな異境の地にまで伝わっているんだろうか……。

 驚きを通り越してただただ閉口する僕をよそに、雪ノ下はつづける。

 

「でも、昨日調べてわかったわ。彼女が正真正銘の羽川翼であることが。彼女が本物の天才であることが。彼女がーー」

 

 ーー姉さんをも凌駕する人物であることが。

 

 そう言う雪ノ下の瞳には落胆にも似た失望の色が現れていた。

 まるで小さな自分を恥じるように。届きようのない希望から目を逸らすように。

 彼女はその小柄な身体を短く揺らした。

 そして沈黙。

 喉の奥の辺りがむず痒くなるような居心地の悪さに、僕はゴクリと唾を飲み込んで、

 

「……あー、その、羽川ってそんなに有名人だったのか?だったら、今のうちにサインとか貰っておこうかな。あ、あははは……」

 

 投げかけた乾いた笑いに返事はない。

 ただ一つだけ、蝶の羽ばたきのような溜め息をこぼすと雪ノ下は顔を上げ、

 

「……もういいわ。つまり私が何を言いたいかというと、貴方は彼女との付き合いをもっと真摯に考えるべき、という事よ。もしも下衆な考えで羽川さんに関わろうというのなら尚更。発情期のチンパンジーが人間に恋をするようなものよ。身の丈と、そして身の程を弁えるべきだわ」

 

「チンパンジーって……」

 

 せめて人間で例えてくれないものかなぁ……まあそれだけ不釣り合いであるという事実を強調しているのだろうけれど。

 ともかく、冷たさと鋭さを伴った眼差しに僕は小さく頷きを返した。

 

「……ああ、解ったよ。ようするに、安易な下心は身を滅ぼすってことだろ?もちろんそんなつもりなんて無いけれど、でも肝には命じておく」

 

「そう」

 

 素っ気なく返事を返し、雪ノ下は備え付けの時計を見上げた。

 休憩を入れてからまだだいたい五分ほどしか経っていないだろう。そうだな。次の作業の為にも今はゆっくりと身体を休めて体力をーー「もう休憩は充分ね。さあ、作業を再開しましょう」ーー温存しているヒマなどなかったようだ。

 渋々と立ち上がる。

 と、雪ノ下に背中を向けた所で彼女は呟くように言った。

 

「それとーーいい加減、由比ヶ浜さんとも和解しておきなさい」

 

「え?」

 

 不意打ちにも過ぎる言葉。再び振り返ると雪ノ下は優雅に腕を組みながら、涼やかな顔で僕を見ていた。

 

「気付かないとでも思っていたの?彼女、昨日からずっと様子がおかしかったわ。特に貴方の前では」

 

「う……」

 

「いい加減、鬱陶しいのよ。この際、由比ヶ浜さんの様子が変でも比企谷くんの様子が変でも構わないわ。それでも『二人揃って』視界の内でギクシャクされるのは勘弁ならないの。何が理由でそうなっているのかは知らないけれど、可及的速やかに正常に業務だけはこなせるようにしなさい。これは部長命令よ」

 

「……はい」

 

 何もかも見通していそうな透き通った眼光に僕はなすすべもなく頭を垂れた。

 雪ノ下雪乃。忘れていたが、彼女は比企谷が最大限に警戒しろと厳命した要注意人物だったのだ。

 その片鱗をまざまざと見せつけられた気分だった。

 

「まあでも心配する必要はないわよね。比企谷くん、そういうの得意でしょう?謝罪とか、土下座とか、切腹とか」

 

「お前は最終的に自殺しろと言いたいのか!?」

 

 責任の取り方が武士すぎる。

 というか、

 

「そんなことしなくてもなんとかしてみせるさ。元々、俺、が蒔いた種だ。自分のしでかした事ぐらい自分でケジメをつけてみせる」

 

「そう。なら頑張りなさい。期待しないで待っているわ」

 

 小さな、けれど柔らかい笑みを雪ノ下は薄く口元に浮かべる。

 それを見て、僕の脳裏にふと一つの想像がよぎった。

 無意識に口が動く。

 

「……雪ノ下。お前ひょっとして、俺、達の事を心配してくれてたのか?」

 

「っ……なんですって?」

 

 一瞬見開いた目は、しかしすぐにキツく細められる。

 瞬間、雪ノ下の舌剣は振り抜かれた。

「貴方、私の話をちゃんと聞いていたのかしら?心配するとか心配しないとか以前に奉仕部の活動に支障をきたすと私は言っているの。事実、昨日からの作業効率は目に見えて悪いものだったわ。それを改善しようと思うのは必然の考であるし、そもそも私は奉仕部部長として課せられた義務を果たさなければいけないの。それをなに?言うに事欠いて心配してたのかですって?そんな妄言を吐くヒマがあるのなら可能な限り早く問題の解決に労力を割くべきだと私は思うのだけれど、貴方は違うのかしら。第一、貴方には自覚が足りないのよ。思慮と言い換えてもいいわ。だいたいにして貴方はーー」

 

 ……後悔先に立たず。止まる事を知らない雪ノ下の論舌に晒されながら、僕は深く深くうなだれるのだった。

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