俺ガイナイ物語   作:ベリーベリーハード

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二十六話

「ーーはい、みんなお疲れ様でした」

 

 生徒会一同が会する中で、その朗らかな声が作業の終わりを宣言した。

 会の代表者ーー城廻めぐりは柔和な笑みを彼ら彼女らに向けている。僕の知らない所で色々と苦労もあったのか、生徒会の面々は業務からの解放を心の底から喜んでいるようだった。中には打ち上げの企画を嬉々として話し始める生徒も居る。委員会(クラス委員は別として)や部活動とは縁遠い位置で学校生活を送っていた僕からしてみれば、それは幾らか新鮮味のある光景でもあった。

 と、周囲に労いの言葉を向けていた城廻の視線が不意にこちらを向く。

 彼女は少し離れた所で様子を見ていた僕達奉仕部組に歩み寄り、

 

「雪ノ下さん達もお疲れ様でした。それとありがとうね。せっかくの夏休みなのに生徒会の仕事を手伝ってくれて」

 

「いえ、お気になさらず。私達はただ定められた部活内容に沿って活動したまでですから」

 

「それでもお礼は言わせて。実の所、二日っていう期日じゃあ間に合わないと思っていたの。それなのに気付けばきっかり仕事が終わってて、先生達も驚いていたぐらいなんだから」

 

「それは……羽川さんのおかげです。彼女という助力があったからこそ、恐らく作業は停滞することなく進んだんでしょう」

 

 雪ノ下は珍しくもハッキリとしない声音でそう言った。それはある種卑屈じみた独白だったのかもしれない。けれど、その言葉はどうしようもなく間違っていると僕は知っていた。

 自然と笑みが浮かぶ。

 雪ノ下の隣にはそれが当然であるかのような顔で羽川が立っていた。

 

「ううん。それは違うよ、雪ノ下さん。だって一人の力なんてたかが知れてるもの。生徒会の人達が居て、比企谷くんが、由比ヶ浜さんが、それに雪ノ下さんが居て、みんながみんな協力して頑張ったからこの結果が生まれたの。それが誰か一人のおかげだなんてことは絶対に無いわ」

 

「……羽川さん」

 

 雪ノ下はどう反応したらいいのか解らないような表情で俯き気味に羽川を見ていた。

 羽川は笑う。

 まるで困っている妹に優しく接する姉のように彼女の頭に柔らかく触れ、

「だから、そんな寂しいこと言わないでよ。一緒に頑張って、一緒にやり遂げたんだから、一緒に喜びましょう?だって私達はもう友達なんだから」

 

「友、達」

 

 その時、雪ノ下が浮かべた表情をどう形容していいかは解らない。

 だけど、それが決して嫌なモノではないという事だけは確かに確かなものだった。

 雪ノ下が羽川に対して抱える感情を僕は知る由もないけれど、あの様子ならば何の心配もいらない。なら、あとは『僕と彼女』の問題だけだ。

 一人、更に僕達から少しだけ距離を置いて俯いている少女の元に僕は行く。

 そして声をかけた。

 

「由比ヶ浜」

 

「っ……」

 

 ピクリと震える身体。緩やかに顔を上げた彼女はとって付けたような笑みを浮かべている。

 

「ど、どしたの、ヒッキー?」

 

 揺れる瞳は僕を映しているようで映していない。その先には恐らく本当の彼が映っているんだろう。由比ヶ浜の知る本当の彼が。

 だけどそれでいい。今はそれでいい。

 だから僕は、今この時だけは『比企谷八幡』としてではなく『阿良々木暦』としてこの言葉を彼女に向けよう。

 

「……大丈夫だから」

 

「え?」

 

「今はまだ、僕から由比ヶ浜に向ける正しい言葉なんて見つからないけれど。でも、大丈夫。じきに全部元に戻るから。きっとーー」

 

 それは少し卑怯な言葉なのかもしれない。よけい彼女を混乱させる言葉だったかもしれない。けれど他に言葉は見つからなかったから、だから僕は僕の言葉で彼女に告げた。

 

「きっとーー由比ヶ浜の知る比企谷八幡を取り戻してみせるから」

 

「っ……!!」

 

 返事は無かった。

 唐突に過ぎた言葉だということは理解している。何も知らない由比ヶ浜にとって、僕の言葉はまるで意味を成さない戯言にも聞こえるだろう。

 それでも、無駄だとしても、僕には言葉にして彼女に意志を伝える事しか考えつかなかったのだ。

 静寂の中でただただ由比ヶ浜を待つ。

 彼女は視線を落とし、口を閉ざし、瞼を閉ざし、思考を重ね、逡巡を重ね、躊躇して、そして強く制服の裾を握りしめてーー

 

「……わかった」

 

 ーーやがて、小さく頷いた。

 

「……そうか。なら良かった」

 

 笑いかける。と、彼女は俯かせた顔を再び上げた。

 まだぎこちない、だけど偽物ではないそれは本物の、

 

「うんっ」

 

 比企谷八幡にではなく阿良々木暦に向けたーー初めての笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が暮れかけていた。

 人通りが無い薄闇の路地を僕と羽川は歩いている。コツ、コツと。地面を叩くローファーの音だけが路面に響いている。

 しかし、やがてはその音すらも止み、僕達は赤い鳥居の前で立ち止まる。

 視線の先には見慣れた人影が二つ。

 僕はカラカラの喉を震わせた。

 

「待たせて悪かったな、二人共」

 

 まるで一枚の写真を前にしたような錯覚を覚えながら、こちらを見る『僕』と戦場ヶ原に声をかける。

 初めに口を開いたのは戦場ヶ原だった。

 

「いえ、気にしないで阿良々木くん。べつに私を待たせた秒数分だけ阿良々木くんを針のムシロに座らせようとか、ましてや羽川さんと散歩デートを楽しむ阿良々木くんを考えうる限り非道な方法で痛め付けようとか、決してそんなことを考えてはいなかったから。ええ、安心してちょうだい」

 

「いや、その言葉からは絶対的に不安しか生まれないぞ……」

 

 姿形は変われど、戦場ヶ原の僕に対する毒舌だけはやはり不変なものだった。

 なんだろう。下手をしたらこいつは僕が脳みそだけの存在になったとしても平然とした顔で罵ってきそうな気がする。

 

「まあ正直に言えばそんなに待っていたわけでもないんだけどな。つーか、んなことより聞かせて欲しいんだが、わざわざここを集合場所に選んだってことはそれなりに理由があるってことなんだよな?」

 

「ん?ああ、実はその事については僕もまだ何も知らないんだよ」

 

 比企谷の問いに僕は横目に羽川を見る。

 『一時間後、星神神社に集合』ーーその文面を送信した本人は、今は大きめのショルダーバッグを手に、神妙な表情で社に目を向けていた。

 

「……『中』に入ってから全部説明するよ」

 

 短く、ともすれば簡潔に答えて、羽川は足を進める。

 その後ろを僕達は互いに顔を見合わせてから黙って追従した。

 

 

 ーー思えば、この時に僕は気付くべきだったかもしれない。羽川が見せたその些細な異常に。その真意に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「阿良々木くんは『まつろわぬ民』って知ってる?」

 

 社の中、外から入る日差しを遮断する作業に意識を向けていた僕に羽川は突然そんなことを言ってきた。

 まつろわぬ民。聞いたことがない言葉だ。なにかの伝承かなにかだろうか?

 

「いや、知らないけど」

 

「じゃあ比企谷くんは?」

 

「一応、聞いたことはある。確かーー」

 

「大和時代に生まれた、朝敵を意味する蔑称ではなかったかしら?」

 

「…………」

 

 比企谷の言葉を遮っての声。戦場ヶ原は手に持った黒布を窓部分に貼り付けながら、平然とした顔で作業を続けていた。

 黙りこくる比企谷に羽川は苦笑を向け、

 

「うん、正解。まつろわぬ……つまり従わないっていう意味だね。地方によってはまつろわぬ者、まつろわぬ鬼とかって伝えられているけれど、まあ広く捉えればどれも同じような意味として使われているかな」

 

「へえ……」

 

「ちなみにまつろわぬ民が信奉していた神様の名前は天津ミカボシ。彼らはその神を畏怖と敬意をもって『天星蜘蛛(あめのほしぐも)』と呼んでいたそうよ」

 

「あめのほし……ぐも?」

 

 その響きがどうしようもなく頭に引っかかった。

 まさか……と、振り返る僕に羽川は小さく頷き、続けた。

 

「それが時を経て、様々な伝承を経て、そうして埋もれた歴史の中でその名すら変えて現代に残ったものがーー孤毒蜘蛛。私達が探していた怪異の名前だよ」

 

「いや……いやいやいや、ちょっと待ってくれ、羽川。ということは孤毒蜘蛛は妖怪の類である怪異ではなくて、つまり元は神様だっていうことになるのか?」

 

「そういうこと。まあ要するに名称が変わっただけだからね。孤毒蜘蛛はいわゆるニックネームみたいなものだよ」

 

「ニックネームって……」

 

 罰あたりにも程がある。神様の名前をそんな気まぐれに変えていいものなのだろうか?

 

「あはは、あんまり良くはないよね。でも怪異は呼ぶものではなく、呼ばれるものだから。そうして人の願いを最も集めやすい形に帰結するのは自然な流れだよ」

 

「……なるほど。だから蜘蛛だったのね」

 

 納得したように言うのは戦場ヶ原だった。

 ウンウンと頷いているところ悪いが、僕には全くもってなるほどな考えは浮かんでこない。見れば、比企谷も僕と同じように眉根にシワを寄せていた。

 

「まつろわぬ民は他にも土蜘蛛という蔑称で呼ばれていたわ。人扱いすらされず、存在すら忌むべきものとされたそんな彼らが神を蜘蛛として信奉するのは当然の結果と言えるでしょうね」

 

「……ん?それって普通は逆じゃないか?蔑称として蜘蛛と呼ばれているなら、むしろ蜘蛛自体を嫌忌しそうなものだけれど」

 

「……はあ」

 

「え?」

 

 何故か馬鹿を見るような目で見られた。おまけにあからさまに溜息まで吐かれた。

 え?なにか変なこと言ったか、僕?

 

「そうね。なら例え話をしましょう。ある日、比企谷くんが周囲からヒキガエルと呼ばれるようになったとします」

 

「おい、急に例えになってない例え話をするのはやめろ。というか阿良々木で例えろよ。なんで俺に振った」

 

「あら、これは失礼。じゃあ阿良々木くんがヒキガエルと呼ばれるようになったとします。阿良々木くんはそれでカエルの事が嫌いになったりするかしら?」

 

「……あー、いや、それは」

 

 不思議と即答は出来なかった。

 まあさすがにカエルカエルと呼ばれ続けたら見るのも嫌になる可能性もあるけれど、しかし逆に言えば疎まれるカエルを疎まれる自分と重ねてシンパシーを感じるようになる可能性だってある。

 改めて聞かれてみると、それが簡単に是非を決めれる問いではないことがわかった。

 

「断言は出来ないでしょう?」

 

「まあ……そうだな。けど、だからってそれが蜘蛛を信奉する理由にはならないんじゃないのか?」

 

「……いや、そうでもないな」

 

 なんとなくムキになって反論する僕に今度は比企谷が異を唱えた。

 話を聞いていてなにか思い付いた事があったのか。比企谷はちらりと一瞬だけ戦場ヶ原を見てから、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「確かに蜘蛛はまつろわぬ民達にとって屈辱の蔑称だったが、同時にそれは朝廷に敵対する意志を示す証としても名前が広まっていたからな。蜘蛛の名を冠する奴らが旗印として蜘蛛を祀りあげるのはなんら不思議なことじゃない。……まあ、実際にまつろわぬ民が蜘蛛を神様に据えたのは別の所に理由があったんだろうけどな」

 

「別の理由……?」

 

 僕は問う。

 比企谷はーー何故か自嘲気味にその口元を歪めていた。

 

「簡単な話だ。理不尽に迫害された奴らが神様を使って考えることなんて大概にして二つしかない。一つは気休めの救いを求める。そしてもう一つはーー」

 

「ーー復讐ね。それもただの復讐じゃない。朝廷が忌むものとして自分達に冠した蜘蛛そのものを使って、彼らは朝廷を呪い殺そうとしたんでしょう。毒を持って毒を制す。幼稚な考えだわ」

 

「復、讐」

 

 呪い。毒。人の悪意を集めた蜘蛛の猛毒。それはーーどんなに悍ましいものなのだろう。

 想像したくもない、想像を絶する業。

 身が竦むようだった。

 

「……まあ、でも、その復讐も結局は成し遂げられていないんだけれどね。だから今のはあくまでも推測の域の話。むしろ今の状況で一番大切なのは、孤毒蜘蛛が人を呪う神様でありながら、人を救う神様でもあるということだよ」

 

「呪って、救う?なんか矛盾してないか、それ?」

 

「じゃあ違う側面から考えて。孤毒蜘蛛はつまり、人の願いを叶える神様なの。呪いも救いも、元を辿れば人の願いから生まれたものでしょう?」

 

「……ああ、なるほど」

 

 ここにきて、恐らく初めてちゃんと理解出来たかもしれない。

 願いを叶える。……え、でもそれはつまり。

 

「もしかして僕達の入れ替わりも、つまり誰かの願いが叶えられた結果ということか?」

 

「……うん。多分、そういうことになるね」

 

「…………」

 

 僕と比企谷の入れ替わり。何がどうしてこんなことになったのかと最初は嘆きもしたが、しかしようやくその原因がハッキリと判明したのだ。怪異現象が怪異によるものであるならば、それには必ず解決策がある。

 戦場ヶ原ひたぎに重さが戻ったように、羽川翼が自分を取り戻したように、千石撫子が蛇から救われたように、八九寺真宵が呪縛から解き放たれたように、怪異が起こす現象には必ず終わりがあるはずだ。

 一筋の希望が見えてくる。ーーただその反面、増えた希望の代わりとでもいうようにまたしても一つの謎が増えてしまったワケなのだけれど。

 叶えられてしまった願いをどうにかする方法なんて、本当に存在するのか?

 

「もちろんあるよ。シンプルで、簡単な方法が一つだけ」

 

「なっ、本当か羽川!?」

 

「うん。……つまり、孤毒蜘蛛に捧げた願いを返してもらえばいいのよ。願いを叶えた本人の元に」

 

 一足す一は二、とでも言うようにあっさりと羽川は言った。

 だが当然、僕は間髪入れずに反論を返す。

 

「願いを叶えた本人って……いや、でもそいつを探し出すのはさすがに無理だろ?手掛かりだって何も無いし、それとも願いだけを取り出す方法があるってのか?」

 

「それは無理だよ。たぶん、本人の願いは本人でしか取り除けない。だってそれはその人にとってその人だけの願いなんだから」

 

「だったら」

 

「違うわ。……違うのよ、阿良々木くん。そもそも探す必要なんてないの。だってその人はもうこの場に居るんだもの」

 

「……え?」

 

 羽川は僕から視線を外した。

 それからゆっくりとその視線が滑っていく。僕はつられるようにその行く先を追った。

 やがて、それは一人の男に向けられる。

 

「ねえ、そうでしょ?……比企谷くん」

 

「…………」

 

 言葉が出て来ない。

 無表情の比企谷はただ冷め切った瞳で僕を見ていた。

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