後日談というか、今回のオチ。
翌日。僕達は再び星神神社に来ていた。僕達というのはつまり僕と羽川の二人だ。そこに比企谷と戦場ヶ原の姿は無い。その辺りの事情を簡潔に説明するのであれば、つまり比企谷は他の用事で外出、戦場ヶ原は彼氏を置きざりにさっさと帰宅、といった所だろうか。
そもそも戦場ヶ原に至っては『事件さえ解決したならもう滞在する理由は無い』とかで昨夜の時点で早々に千葉を退去している。淡白なやつだと思う反面で、しかしその即断即決の行動力はたくましい。ーー結局、あいつは何をしに来たんだと思う感情も一応は無きにしもあらずだが、逆に言えばあいつが居てくれたからこそ阿良々木暦はどんな状況でも阿良々木暦らしく振る舞えたのだと思っていたりもする。そういう意味ではやはり僕はあいつに感謝をしなければいけないんだろうなぁ。
「……まあ、帰ってからの勉強のペースを考えるとそれどころではないんだろうけど」
「ん?阿良々木くん、なにか言った?」
「いや、べつに」
ともあれ、である。それはともあれ、僕は羽川と二人きりで(ここ重要)昨日と同じように社の中に居た。日をまたいでの二度目の不法侵入。気後れはあるものの、やむをえない事情というものは総じてあるものだ。
どうか近隣住民に通報だけはされませんように、と心中で祈りーー神前で不届きを働いてるものに果たして聞いてもらえる祈りがあるかどうかはわからないがーーながら、僕は祠の前で作業をする羽川を後ろから眺める。
なんでも穢れを貯めた神体から穢れを払う作業を行っているとか。もともと邪気を払うための神体から邪気を払うとはこれやいかにと頭を悩ませた僕ではあるが、しかしまあ羽川にその辺りの事情を聞くのはなんというか、無様を晒すというか無能を晒すような気がして憚られる。
なので代わりに違うことを聞くことにした。
「結局さ、あの怪異って一体なんだったんだろうな」
「ん?」
作業の手は動かしたまま、羽川は横目に僕を見る。
僕は「いや、だからさ」と続け、
「結局、アレは純粋な孤毒蜘蛛じゃなかったってことだろ?だったら、やっぱりお前の時みたいに怪異が比企谷の内で変容したってことなんだろうか」
「……どうなんだろうね。実の所、アレは比企谷くん自身が生み出した怪異なんじゃないかなって、私は思っていたりもするんだけれど」
「……比企谷が生み出した怪異?」
怪異が違う性質に変化したわけじゃなくて、ヒトが怪異を生みだした?
……果たして、そんなことが本当に可能なのだろうか。
「絶対無いってことはないと思うよ。ただ、前例が無いってだけで。とはいえ阿良々木くんの疑問通り、本当にヒトが怪異を生み出せるのかは私にも解らないんだけどね」
「へえ。お前でも知らないことってあるんだな」
「当たり前じゃない。私は知ってることしか知らないんだから」
一体私を何だと思ってるのよ、みたいなジト目がこちらに向けられる。やったあ!羽川さんのジト目が見られたぞ!……じゃなくて、僕は愛想笑いを浮かべて、視線を逸らした。
そうして待つこと数分。
「……よし、こんなもんかな」
手ぬぐいから始まり、その他諸々と用意された道具をショルダーバッグの中に片付けて、羽川は振り向いた。
その満足気な笑みに僕も笑みを返す。実質、僕はなんにもしてないという空虚な事実は今は脇に置いておくとして。右手に着けた腕時計に目を向けながら、僕はなんとなくボソリと呟いた。
「……あとは『アイツ』が上手くやるかだな」
「うん、そうだね」
脳裏に浮かぶのは気怠げに歩く一人の『友達』の姿。
僕達は顔を見合わせてからまた軽く笑い合い、そうして社の外へ足を運んだ。
「あれ?阿良々木さんじゃないですか?」
携帯画面を見ながらの道中、俺はやけに聞き覚えのある声を耳にして顔を上げた。
目の前にはもはやお馴染みとなったツインテールのロリ少女。しかし俺は再び携帯に視線を向けてその脇を通り過ぎる。
間髪入れず、ふくらはぎに蹴り足がめり込んだ。
「痛ッ!?」
「……なにを普通に素通りしてくれてるんですか。せっかくの美少女からの呼びかけを無視するなんて、全国のロリかっけーお兄さん方が黙ってはいませんよ」
「て、めぇ……!!」
そのロリかっけーお兄さん方とやらが出てくる前にここでしばいてやろうかと一瞬考える。だが、確かに無視した俺にも悪い所はあったかもしれない。
仕方がないので振り返り、俺は渋々と言葉を返した。
「人違いだよ。俺はそんな発音するのにも苦労しそうなややこしい苗字は持ち合わせてない。俺の名前は比企谷だ」
「……なんと。ではようやく元に戻られたんですね」
「まあ、そんなところだ」
「それはそれは。では、私は謝らなくちゃですね。すみません。名前を間違えてしまいました」
「別にいい。わかればいいんだよわかれば」
「それで、ヒジ神さん」
「やっぱり間違えるんじゃねえか……」
「てへっ」
お茶目に舌なんて出してんじゃねえよペコちゃん人形かよお前は。
喉まで出かかったセリフを呑み込んで、俺は携帯を閉じる。が、目敏い八九寺がその動作を見逃すはずはなかった。
「うん?携帯なんて握りしめてどうしたんですか?それは他者とコミュニケーションを取るためのツールですよ?比企谷さんには必要の無いものの筈ですが?」
「暗に俺のコミュニケーション能力を乏しめるのやめてくれない?俺が携帯持ってて何がおかしいんだよ」
「いや、だって比企谷さん、友達居ないじゃないですか」
「っ……」
「……んん?」
顔を逸らす。だというのに八九寺はジーッと俺に視線をぶつけ続けていた。
なんというか、その、すごくウザい。あまりにウザかったのでつい反応を返してしまった。
「……なんだよ」
「ああ、いえ、すみません。ちょっと拍子抜けてしまったというか。比企谷さん、いつもなら『友達が居なくて何が悪い。そんなの居たって腹の足しにもならんし、内申点の足しにもならん。むしろ居ない方が人生を有意義に過ごせるまであるゼ』みたいなことを得意げに言うじゃないですか。キメ顔のドヤ顔で」
「なにそれそんなウザいやつ本当に居るの?ちょっと呼んでこい俺がぶっ飛ばしてやんよ!」
「……あの、比企谷さん?本当に大丈夫ですか?」
小学生にわりと本気で言動を心配されてしまった。生暖かい優しさがすごく心に痛い。
「やめろ俺に優しい眼差しを向けるな。うっかり泣いちゃうだろうが」
「……どれだけ優しさに飢えているんですか、貴方は。いえ、そうではなくてですね、比企谷さん。もしやひょっとしてですが、いまなにか緊張されていますか?」
「いや、してない。全然もう緊張なんてしてるはずがない。なんなら緊張じゃなくて尊重してるまである」
「なにを尊くされていらっしゃるんですか……。というか、ほらやっぱり変ですよ、比企谷さん。ツッコミとボケの比率が逆転しています。そんな調子では私がツッコミに回らざるを得ないじゃないですか!」
「うるせえよもう勝手にクルクル回ってろよ 。俺は今それどころじゃないんだよ。早急に考えなくちゃいけない事がーー」
「考えなくちゃいけない事?」
「…………」
つい余計な事を喋ってしまった。
八九寺の瞳がキラリと光る。眼前の女子小学生は更に一歩俺に近づくと、
「そうですか。どうやら、お困りのようですね」
「困ってねえよ。困ってたとしてもお前にだけは絶対に助けを求めねえよ」
即答してやった。だが八九寺は諦めない。完全に待ちの姿勢で、ジッと俺の顔を見上げ続ける女児。もういっそ走り出して振り切ってやろうかとも思ったが、予想外に真剣な眼差しを向けてくる八九寺に俺は動くことも出来ずにたじろぐだけだった。
そうして不毛な時間が流れる。
やがて、折れたのはやはり俺だった。
「……わかった。じゃあ一つだけ聞いてもいいか」
「はい、なんでしょうか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……やっぱりやめた」
踵を返す。しかし、走り出す一歩手前で服を掴まれた。
「……なにナチュラルに逃げようとしてくれてるんですか。男のクセに一度言ったことを取り消すおつもりですか!」
「うるせえ離せ俺はお前にだけは絶対に話さねえ!」
男のくせにじゃなくて、男だからこそこんなことを年下女児なんかに話せない。話せてたまるか。そんなことをしてしまえば俺は帰ってから布団の中で「うをおおおおお死にてええええええ!!」と叫ぶハメになってしまう。
なので俺は拘束される上着を無理やり引っ張って前進。決死の逃避行にただ全身全霊の全力を尽くしてーー
「ふむ。そうですか。ならもういいです」
「ぬお!?」
唐突に手が離された。おかげで俺は発射されたピンボール玉よろしく勢いよく前に弾かれ、地面とこんにちわ。ギリギリで手を付き、華麗な四つん這い土下座態勢を取る俺の尻に向けて女児の呆れた声が降ってくる。
「まあ女子小学生に相談、しかも『二度目』の相談ともなれば比企谷さんのカメムシサイズなプライドだって粉々でしょうしね。仕方がありません。今回は特別に私が退いてあげましょう」
「なんで微妙に上から目線なんだよ……」
物理的にも上から目線だしよ。そっちの方がプライドを傷つけると思うんですがそれは。
「ただし、アドバイスだけは勝手に送らせてもらいますよ」
「はあ?アドバイス?」
立ち上がり、手の平と膝の土埃を払いながら俺は眉根を寄せる。
八九寺は一昔前のツンデレヒロインのように片手を腰に、もう片方の手でビシリと俺に人差し指を突きつけ、
「比企谷さんはもう少しだけでいいですから素直になってください。自分を好きになれとか他人を好きになれなんて大それたことは言いません。ただちょっとだけ素直になるだけでいいんです。そうすれば自ずと伝えたい言葉というのが見つかると思いますよ」
見透かしたように、見通したように八九寺真宵はそう言った。思えばこいつは出会った時からそうだったかもしれない。率先して関わろうとしない俺に無理やり関わって、無理やり問題を解決していく。勝手な奴だと思う。勝手で、けど純粋に良いやつなのだろう。
自然と笑みが浮かびそうになる。俺はそれを強引に不機嫌な表情で塗り替えて、言ってやった。
「お前、それって要するにただの嫌味じゃねえか。口を割ろうとしない俺に対する」
「む、バレてしまいました。私の計画では『至極のアドバイスに感激感動した比企谷さんが感涙しながらエグエグと相談事をこぼしてしまう』といった流れになるはずだったんですが」
「計画がずさんすぎるだろ……。欠陥住宅だってもう少し綿密に考えて造られてんぞ」
「むむむ……では仕方がありませんね。比企谷さんの弱味を握るのはまた今度の機会としましょう」
「こねーよそんな機会は一生」
断言して、溜息を吐く。八九寺はにししと笑みを浮かべるだけだった。
再び携帯を開く。時間に目を向ける。……残念なことにあまり時間は残されていないようだ。
「悪いけどお前との無駄話はここで終了だ。今すぐ行かなきゃいけない所があるんでな」
「そうですか。でしたら、ここで一旦お別れですね」
存外素直に聞き入れて、八九寺はリュックサックのベルトに両手をかける。
と、その絆創膏付きの膝小僧が動く前に、俺は気付けばその言葉を向けていた。
「八九寺。お前もひょっとしてさーー【ああいう存在】だったりするのか?」
問いかける。八九寺は最初キョトンとした顔を浮かべ、次いで目を大きく開いて数度瞬きをし、それから柔らかな、それでいて悪戯っ子のような無邪気な表情を浮かべ、
「秘密です。その話はまた今度にしましょう。また今度会って、遊んで、その時にでもお喋りしましょう。ねっ、比企谷八幡さん」
八九寺は笑っていた。いつもは憎たらしい態度ばかりといいのに、今だけは年相応の眩しさを内包した、それはまぎれもなく「本物」の笑顔だった。
それは俺だけに向けられた、確かなーー
「……ははっ」
「……比企谷さん?」
気付けば俯いていた俺の視界の中に八九寺は入り込む。ズカズカと。ズケズケと。パーソナルスペースなんて言葉がこの世にある事も知らなそうな、距離感の近過ぎるその女の子を見ながら、俺は考える。
絶望を知らなかったあの頃の俺だったら、彼女に何を聞くだろうか。
失望に耐えれなかったあの頃の俺だったら、彼女に何を応えるだろうか。
諦めを知ったあの頃の俺だったら、彼女に何を求めるだろうか。
考える。考えて、考え続けてーー結局、考えるのを止めた。
頭の中の動きが止まって、代わりに手が動く。
開いた右手。伸ばした掌をおもむろに眼下の黒頭に乗せて、ワシャワシャと頭皮を撫でまくってやる。
存外に触り心地の良いその前髪の下で、胡乱な瞳がジロリと俺を見上げた。
「……比企谷さん。一体、いきなり、なにをされてるんですか?」
「あー、その、なんというか、アレだ。良い毛並みだと思ってな。ナイスキューティクルだ。例えるなら、夏毛に生え変わったばかりのウチの家猫に匹敵するレベル」
「私の自慢の黒髪と猫の毛並みを同列に扱わないで下さい!ていうかっ、ああもう、いつまで人の頭をワシャワシャしてるんですか終いにはセクハラで訴えますよ!!」
止まらない魔の手から勢いよく飛び退さった八九寺はフシャーと目を吊り上げて俺を威嚇している。毛並どころか行動まで同列だった。
ふと、胸に何かが込み上げてくるのを感じる。それが何なのかは分からないが、込み上げた何かは胃を通り、喉を通り、口に到達して、気付けば外に出ていた。
距離を取った猫娘が眉間にシワを寄せて俺を見ている。
その瞳は確かに「なんで笑っているんだ」と俺に語りかけていた。
「……あの、もう一度お聞きしますが、本当に比企谷さんなんですよね。紆余曲折の末に阿良々木さんと比企谷さんが融合して生まれた合体戦士アラガヤさんとか、そういうドッキリだったりしないですよね?」
「違う。昔はちょっとはそういうのに憧れもしたが、しかし今の俺は正真正銘の比企谷八幡だ」
「本当にそうですかねぇ……」
未だ疑いの眼差しで俺を見る少女を逆に見返してやりながら、俺はまた、込み上げた何かを静かに吐き出した。
ひとしきり吐き出し終えて、そして今度こそ本当に踵を返す。
もう十分だった。
十分に過ぎるほどに『アドバイス』は貰ったから。
だから俺は歩き出す。
ーーと、その前に。
「八九寺」
「はい?」
足を止めて首だけで肩越しに振り返る。
続く言葉は、存外にすんなりと出てきた。
「また明日、な」
八九寺はパチクリと目を丸くする。
そして間もなく、恐らく今日一番だろう輝くような笑顔で、
「はい!また明日、です!」
ありがとう。
さようなら。
また明日。
そうして俺と八九寺は別れた。
まるで友達同士のような、他愛もない『約束』を残して。
階段を上る。
ずっと考えていた。 昔から俺が欲しかったものとはなんだったのか。
欲しくないものであればすぐに出てくる。偽善、欺瞞、馴れ合い、自己を欺き虚実で塗り固められた嘘の関係。どれもこれもが吐き気を催すほど醜く、悍ましい。見るのも嫌になるほど歪で、だから俺はそういったものに嫌悪さえ抱いていた。
ならば逆に問おう。俺は一体、そうした嫌悪が渦巻く世界の中で何を欲してきたのだろうか。
階段を上る。
答えは未回答のままだった。そりゃあ一度は考えたこともあるかもしれない。ただ真剣に向き合ったことがあるかといえば、俺はNOと答える。それは永遠に完成しないパズルを必死に組み立てようとするようなものだと俺自身が思っていたからだ。
通路を歩く。
だったら今はどうだろう。もしも誰かにそう尋ねられたとしたら、俺はおそらく言葉に詰まってしまうかもしれない。知ってしまったから。気付いてしまったから。もしかしたら、このパズルは完成するんじゃないかという希望を見せつけられてしまったから。
だから俺もつい、そんな馬鹿げた希望につられて目を向けようとしまっていた。
通路を歩く。
だが、そうして盤上に目を向けても未だに答えは見つからない。
少女はヒントをくれた。少しだけ素直になればいいと。
少年は言った。お前は手にしようとしなかっただけだと。
全く簡単に言ってくれたものだ。それらが自分にとっては最も困難なことであるというのに。素直になる。正直になる。心を、開く。無理だと思った。無理で、不可能なことだ。
けれど、もしもその不可能を可能に出来たとしたら、俺はーー
気付けば扉の前に立っている。
その先、室内からは彼女達の声がしていた。知っているけど知らない。いや違う。知らないんじゃなく、知ろうとしなかった彼女と、彼女が、居る。
俺はゆっくりと息を吐く。深呼吸を一つ。二つ。三つ。四つ。五つ。そして扉に手をかけ……やめた。伸ばした手を握りしめて、二度、ノックする。
「はい?」
返ってきたその声が心臓を強く脈動させた。ドキドキとする。バクバクとする。ウジウジとする。だが、もう、迷うつもりはなかった。引き手にかけ、力を込めた指で一気にスライドして、俺は久しぶりにその光景を目の当たりにした。
「……ヒッキー?」
「……比企谷くん?」
いつもの場所、いつもの席に座る二人。
由比ヶ浜は息を呑むように俺を見て、雪ノ下は訝しむように俺を睨む。
伝えるべき気持ちは定まってない。伝えるべき言葉もまだ見つかってない。ただ、手に取ったままの一欠片のピースを恐る恐るパズルにはめ込むようにして、
「……よう。久しぶりだな」
俺は一歩を踏み出した。