三人寄れば文殊の知恵。昔の人はこんなことわざを残している。
確か意味としては「特別に頭のいい奴がいなくても、何人かで集まって相談すれば良い案が出てくる」的なものだっただろうと記憶している。
なるほど。一見してみれば確かに良い言葉だ。たとえ優れたものがいなくとも、人は協力することによって優れたものを生み出せる。それは暗に協調の重要性を説いた言葉であるのかもしれない。
だが、待てよ……と。
そんな素晴らしい故事を前にして、しかし俺はここで一つの異を唱えてみようと思う。
それは事の根幹であり、根っこの部分についての問いかけでもあった。それは単純にして簡潔な問い。……果たして、本当に人は真なる意味で協調のなせる種族なのか、と。
人間は本来利己的な生き物である。
自分の意見を最良と捉え、もしその意見に対してわずかにでも否定的な言葉を向けられれば、即座にそのものを敵とみなす。絶対的に相容れないものとし、力の限り排除しようとする。
何故ならば、人は意見の否定そのものを自らの否定と受けとるからだ。
自分の意に沿わない、たとえ反対意見を出されずとも賛成的な態度を取られないだけでもあいつは気に入らないと吐き捨て、あわや少しでも違う意見を出すだけで調子に乗っているとさげすむ。底知れぬ悪意を向け、容赦なく追い詰め、そして挙句の果てには自身の正当性を示すためだけに相手をとぼしめるのだ。ソースは俺。おかげで俺は中学の三年間を「うん」か「はい」だけで過ごすハメになった。
というか、なんであいつらちょっと嫌そうな顔しただけで本気ギレしてくるの?もしかして普段からカルシウム足りてないの?
俺なんてほぼ毎日練乳たっぷりカルシウムたっぷりの手作りMAXコーヒーを飲んでるというのに。……だって、この世で唯一俺を甘やかしてくれるのがその一杯だけだからね、ふへっ。
「……比企谷さん。なにやら私の気のせいでなければ更に目が濁ったように見えるんですが本当に大丈夫ですか?というか、いい加減その顔で目を腐らせるのは是非ともやめてもらいたいんですが。阿良々木さんの容姿でそれをやられるとヒドく違和感がありすぎて、その……非常に気持ちが悪いです」
「知るかよ。文句なら俺じゃなくて、俺に優しくないこの社会に言え。っていうか、そうだよ。きっと俺の目が腐ってるわけじゃない。この世界そのものが究極的に腐ってるからそれを映しだす俺の目まで腐ってるように見えるだけで、つまり結論から言えば俺は悪くない。悪いのはこのぼっちに優しくない世界の方なんだ!」
「お、落ち着いてください比企谷さん!その責任転嫁はあまりにも無理があります!あなたは一人でこの世界に反旗を翻すというのですか!」
何故か話が壮大になっていた。ちょっとだけ厨二心もくすぐられる。ただ、その話の大元があまりに矮小すぎて悲しくなってくるのが普通に辛い所だ。
「まあ、涙を拭いてください比企谷さん。それにあなたの身に起こった現象そのものに厨二病感が漂ってることは確かに否めませんしね。精神が別のモノに入り込んでしまうなんて、普通に考えれば相当に現実離れしていますし。ねえ、引きこもりさん?」
「誰が現実社会から隔離された生粋の引きこもりさんだ。一瞬、なんの違和感もなく肯定しそうになっちまったじゃねえか」
少なくとも夏休み中はそれこそ俗世との縁を切った釈迦のごとく外界との接触を断とうと思っていたから尚のことである。危ねえ危ねえギリギリセーフ。
というか厨二病なんて言葉よく知ってたな、このロリ。
「失礼。噛みました」
「絶対わざとだろ」
「噛みまみた」
「わざとじゃなかった……」
「噛みまみた?」
「いや、疑問系にされても……」
それよりもキョトンと小首傾けながら俺を見るな上目遣いをするなちょっとだけ可愛いとか思っちまったじゃねえかこの野郎。いや、だからボクはロリコンではないです。
自身の性癖に、否、心に今一度戒めの言葉を刻み込み、そして溜め息を一つ。
駄目だ……全然話が進まねえ。
文殊の知恵どころか「もんじゅ?それって鉄板の上で焼くやつ?」ぐらいのレベルでしか話し合いが出来ていない。
やっぱ、いくらなんでも小学生には荷が重すぎる話だよな……と、そんな思いを視線に乗せて向けているとその眼差しの意味に気付いたのか。八九寺はムッと唇を尖らせた。
「なんですか。まるで私が真剣に考えていないんじゃないんかとでも言いたげな腐ったお顔ですね」
「腐ったは余計だ。言っとくが俺の本来のお顔は目以外はわりとハイスペックなんだぞ。むしろ目以外はイケメンだと言っても差し支えないほどだ」
「そんな虚言妄言はさておき、心外です。憤慨と言い換えてもいいでしょう。まさかこの私が比企ヶ谷さんごときに見くびられるとは思ってもいませんでしたよ。ほのかな怒りを覚えるほどです。もうこうなれば比企谷さんには真なる私の力をお見せするほかにないようですね」
あと変身を二段階くらい残していそうなラスボスじみた言葉と共に、八九寺はビシリとこちらに指を突きつける。そして犬歯を剥き出しに、大口を開いた。
「一時間。一時間、私に時間をよこすがいいです。私はその制限時間内に必ずや突破口を見つけ、そしてそれをあなたの鼻先へ突きつけることをここで約束しましょう」
「ほお、随分な自信だな。だが本当にそれだけの大見得を切ってもいいのか?後で後悔しても知らんぞ?」
「ふっふっふ、あいにくと後悔なんて言葉は私のタウンページには載っていないんですよ!」
まあ載ってないだろうな。だってそれ電話帳だし。
「ではまた一時間後に!……さらだばー!」
そうして八九寺は野菜食べ放題な捨て台詞を最後に旅立っていった。菜食主義だったんだな、アイツ。
さて……で、俺はどうすりゃいいんだ?
遠くの方でひそひそチラチラと顔を寄せ合う主婦達からのプレッシャーを尻目に、仕方なく、俺は一人再び空を眺める作業に移った。
それから、かっきり一時間後。
俺が不審者としてご近所の奥様方から通報されるような事態に陥るよりも早く、八九寺は約束通り、時間通りに再び俺の前へと現れた。
えっへんと自信満々な表情を浮かべるロリ少女。その横にはどこだかの学生服に身を包んだこれまた誰とも知らぬ女学生が立っていた。
ちらりと目を向ける。すかさずニコリと笑いかけられ、俺はとっさに視線を地面に落とした。それから無い胸を張った状態の寸胴ボディへと、的確な問いを向ける。
「……誰?」
「ふむ、彼女は羽川さん。羽川、翼さんです。私の知る限りにおいて最高の人格者であり、また今件に関しては最強の助っ人ともいうべき天下無双のスーパーアドバイザーです」
「どうも初めまして。羽川翼といいます。確か……比企谷八幡くん、でよかったのかな?私なんかが力になれるかは判らないけれど、それでも早く元の生活に戻れるよう尽力させてもらうね」
「……は、はあ。どうも」
無駄に折り目正しいご挨拶に俺は引きつった笑いで会釈する。
まさかの登場人物追加。それも女子。しかも俺のような下位カーストからしてみれば、それはもはや雲の上の存在ともいうべき美少女だった。
その容姿は三浦や由比ヶ浜のようにビッチビッチした風ではなく、むしろ淑女の鑑とでもいったように清廉であり清らかな美。
肩口で揃えたふんわり黒髪ショートカットに印象強い大きな黒い瞳。化粧っ気のない所やまるで改造のされていない制服から察するに、たぶん、今時の女子としては珍しい品性校正な部類の人物なのだろう。例えるならば清楚系美人とでもいうべきところだろうか。
どちらかといえば雪ノ下雪乃のタイプに属するだろうその洗練された佇まいに、しかし俺は知らずの内にA.Tフィールドを展開。
そして再び八九寺に視線を移した。
「おい、八九寺。……ちょっとこっちにこい」
「はい?」
疑問符を浮かべながらも近付いてきた八九寺に、俺は小声で言葉を続ける。
「お前、これは一体どういうことだ」
「はて。どういうこととは、どういうことです?」
「いや、だからな。……もしかしてこの羽川さんとやらに話したのか?その、色々と全部」
「……?ええ、もちろん話しましたよ。色々と全部」
平然とのたまったアホのアホ発言に軽く「イラッ☆」ときてしまった。
この野郎。ただでさえ現実では受け入れられない、ともすれば電波ゆんゆん野郎とさえ受け取られかねないこの現状を、よりにもよってこんな知的度限界突破な清楚女子に全部話しやがったのか。
失策……!!圧倒的失策……!!
まさかのウルトラミスだ。もはや呆れを通り越して怒りの感情がこみ上げてきた。
「ありえねえ……。ないわ。マジでないわ、お前」
「むっ、何やらずいぶんな言い草じゃあないですか。確かに羽川さんのものに比べれば私のものなんてそりゃあ無いにも等しい体積量であることは認めますが、しかしそれでも同年代の子たちと比べればそれなりに大きい方ではあるんですよ?むしろ、これでも発育はよろしいほうだと自負しております」
そうして胸元に両掌を当てる八九寺。
なにをどう勘違いして聞いたのか。思わず可哀想な子を前にしたような態度で丁寧に言い直してやろうかとも思ったが、まあしかし、ボケを重ねられても面倒くさいのでとりあえずやめておく。
それよりも問題は……と、わずかに顔を上げた所で不意に、唐突に、羽川翼の顔がデデンと視界の中央に現れた。
すぐ近く。それこそ彼女が使っているだろうシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐるぐらいに極近な距離で、羽川は再びニコリと俺に笑いかけてくる。
俺、フリーズ。
やっぱり近くで見ても可愛いな、とか。近くで見ると余計に胸でけえんだな、とか。そんなどうでもいい思考だけが働く状態で、しかし身体は固まったままだった。
目と目が合う。羽川は一切視線を逸らすことなく、口を開いた。
「大丈夫。安心して喋ってくれていいんだよ、比企谷くん。たとえ貴方の口から出た言葉がどんなに突拍子のないものだったりしても私は決して笑ったりしない。否定したりしない。だから……ねっ?私にも力にならせてくれないかな?」
そう言って羽川は俺の顔をジッと見る。
純粋で、透明で、そして異質。まるで心の裏側まで見透かされるようなその瞳に気圧される形で、俺は大きく後ろに仰け反った。
というか、その……すごく、近いです……。
どいつもこいつも俺のパーソナルスペース内にずけずけと入り込んでくる。領空侵犯もいいどころだ。おかげで胸のドキドキが止まらない。
はっ!!もしかしたらこれが……不整脈ッ!?
そうだ、病院へ行こう。
「あの……ダメ、かな?」
「は?……ああ、いや、別にダメってことはないけど……」
「けど?」
「……いやなんでもない。その、よろしく、頼む」
「うん。よろしくね」
笑顔がまぶしい。とりあえずは警戒の必要のない相手なんだろうか。少なくとも、人の悪意や害意を見定めることにかけては右に出るものは居ないと自負している俺の外敵センサーにも一切の反応はない。
ならば……仕方がない。一応は仮初めの馴れ合いに興じてやるか、と。俺は八九寺を防御壁として間に挟みこみ、強者の笑みで羽川翼を我が傘下に迎え入れてやることにした。
べ、べつに笑顔はひきつってないよ?女の子との距離感を測りかねてるなんてこともないよ?全然、もうホント、至って冷静。超クール。
……イヤ、ホントニホントダヨ?
「比企谷さん、服の布地が伸びるのであまり強く袖を握らないでくれませんか?っていうか、後ろからグイグイと押さないでください。非常に鬱陶しいです」
小学生にめちゃくちゃ本気のトーンで嫌がられた。
傷付いた。「全くもう、俺ってば老若男女問わず嫌われるダメな子なんだから☆」なんてキャラがブレブレになっちゃうぐらいには傷付いた。
大人しく離れ、心なし二人から距離を取りつつ、ベンチの端に座る。
羽川翼はそんな俺にそこはかとない苦笑を向けながら、とりあえず場を一旦整理するように「じゃあ、挨拶はこれぐらいにして」と手を叩き、
「では作戦会議を始めます」
ちょっとだけおちゃらけた風に号令が発せられる。
横で「さ、作戦会議……!!」と瞳を輝かせるお子ちゃまをガン無視し、俺はいの一番に手を挙げた。
「はい、比企谷くん」
「まず始めに確認しておきたいんだが、具体的にはこの場で何を会議すりゃあいいんだ?」
「なにって、それはもちろんどうやって比企谷さんを元に戻すかということについての話し合いじゃないんですか?」
俺の質問に羽川よりも先に八九寺が反応を示す。だが、そのアンサーは少しばかり見当違いなものだ。
仕方ないな。ここは俺が年上らしくバシッと……
「ううん、確かに大枠で言えば真宵ちゃんの言う通りなんだけど、その前にまず行動指針を決めなくちゃいけないかな。比企谷くんの場合はなんでこうなったのかっていう原因も理由もまだ分かってないし、それに比企谷くんだけじゃなくて阿良々木くんの所在ーー今回の件においては、阿良々木くんの精神の所在もまだ解らないし。阿良々木くんの身体に二つの精神があるのか、単純に入れ替わったのか、それとも第三者の存在があるのか。そういう現状とか、原因とかをまず明確にして、それから対策を考えるっていう風に物事を順序立てて決めていくような話し合いにしたいと思ってるの」
「なるほど、そういうことですか。さすがは羽川さんです!頼りになります!」
「…………」
……まあ、そういうことですよ、はい。
準備万端に開いた口をゆっくりと閉ざし、俺はベンチの片隅で物言わぬ銅像と化した。
べ、べつに気にしてなんかねーよ?だって俺も同じこと思ってたし。
聞く人が聞かなくても十分に負け惜しみに聞こえる言を胸中で呟きながら、俺は俺抜きで順調に進んでいく話し合いをソッと草葉の陰から見守る。
時折思い出したように向けられる意見に適当に頷き、適当に反対意見も交えながら、考えることは一つ。
話し合いのルビは話し合い(ただしぼっちテメエはダメだ)で間違いないと思いました。
ファイナルアンサー!