ところで三人分もの切符代をどこから捻出したのかと。
不思議に思い羽川に聞いてみた所、なんとこの女、実にあっけらかんとした口調で「貯金を切り崩した」とか言い宣ってくれやがった。
倹約家として知られるこの俺でさえ貯金に手をつける時は俺のやりたかった新作ゲームが出た時か、もしくは小町がやりたかった新作ゲームをねだられた時ぐらいのものだというのに。それを羽川翼は自分とは関係のない筈であろう他人のいざこざを解消するために使ったのだという。もはやドが付くほどのお人好しだ。
正直言って、その思考形態は俺にはまるで理解し難い。しかしだからこそ俺には得難い何かをこの美少女は持ち合わせているのかもしれない。少なくとも、俺の目に映るこの羽川翼という人間は、そういったものを得るにたる確固たる信条のようなものを持っているのだろうと、俺はその横顔を覗き見ながら一人でに悟った。
ともかく、代金の件に関しては後日しっかりと返済しよう。
羽川翼という本物がその胸の内に確固たる信条を抱いているように、比企谷八幡という偽物にだって薄く小さな信条というものが宿っている。
それはつまり『借りと借金と友達は絶対に作らない』
だからつまり材木座は友達には入らない。もちろん戸塚も別な。戸塚は俺の嫁だから。
「ふっ、はーっ。ここが『千葉』ですかぁ!」
とまあ。
そんな風にニヒルでクールでハードボイルドな感じを装おってーーつまりは他二人の会話の輪から弾き出されるように一人無言で外を眺めていただけなんだけどーー新幹線に乗車すること一時間弱。俺は、俺たちは、早くも千葉の地に足を踏み入れていた。
窮屈な座席から放たれたこの解放感たるやいかに。俺は少しばかり凝り固まった身体を伸ばし、そして潮風の香りを深呼吸と共に体内に取り込む。
……なんでだろうな。たかが半日と経っていない筈なのに、何故か俺はその潮の匂いを懐かしく感じてしまっていた。
ふっ、千葉県民よ……私は帰ってきたーッ!!
「んー、出来れば観光とかもしたいけど、今は阿良々木くんとの合流を優先しなきゃだね。ところで比企谷くん家があるのはこっちの方向で合ってる?」
「おう。……いや、待て。なんでお前が俺の家の方角を知っている」
羽川が指差した方向は寸分狂わずにマイホームのある方角を示している。
なに?もしかしてお前、俺のファンなの?もしくはストーカー?やだなにそれ屈折した愛を感じちゃう!!……なんてことは当然なく、どうやら羽川は阿良々木暦からある程度の位置情報を聞き伝えられているらしかった。
しかし、それにしても千葉初心者である羽川に我が物顔で地元を案内されるのは千葉検定初段の俺からしてみればプライドが許さない。
どれ、ここは俺が一つ、余裕をもって最適な道へと誘導してやるとしよう。
「ちょっと待て羽川。確かに方角はそっちであってはいるが、こっちの道の方が遥かに近道になる。つーわけでこっちから行こうぜ」
「ううん。確かに近いは近いんだけどそっちは極端に人通りと交通量が多いからね。はじめての場所ではぐれてもいけないし、やっぱりこっちから行こうよ」
「…………」
一つ西に外れた大通りを示した俺の指先は、しかし予想以上に的確な羽川の言葉によってアッサリと折れ曲がる。
え、なにこいつ。なんで千葉の交通事情にこんなに詳しいわけ?
「ん、べつに前に来たことがあるとか、ましてや昔住んでたなんてこともないよ。ほら、いまってネットでストリートビューとか見れるでしょ?わたし、そういう擬似的にでも外の世界を眺められるのが好きで、その時たまたまにこのあたりを見ていたっていうだけなの。ほんと、それだけ」
言葉を失っていた俺から的確に感情を読み取ったのか。羽川はアッサリと種明かしをしてみせた。
……ストリートビュー、ねえ。
図書館での調べものといい、今回のことといい、どうやら羽川はアナログにもデジタルにも特化している人種とみた。そういう人間は大概にして様々な知識をその脳みそに有している。ソースは俺。友達とかと遊ぶ時間を一人、読書やネットサーフィンに割いていた自称比企ペディアな俺に知らないことは、まあ興味の無い事柄を除いてはほとんど無いと断言出来る。
試しに知恵比べをしてみた。
「では外の世界に興味津々なそんな羽川翼に問題だ。世界で一番水深が深い湖の名前は?」
「ん?バイカル湖?」
「……正解だ。次の問題。世界一高い山、エベレストの標高は?」
「たしか八千八百四十八メートルだよね」
「正解。なら千葉県で一番高い山はなに山?」
「愛宕山、でしょ?ちなみに全国で同名の山が百二十二個もあるんだよね」
「ぐっ、正解。なら最後に、全国で現在生産量が一位とされる千葉特産の果物は?」
「梨!美味しいよね。私も好きだよ」
「……負けた」
完敗だった。しかも後半に至っては千葉限定でのクイズだというのに、まさか数まで正確に覚えられているとは……。おかげで俺の知らない雑学まで増えてしまった。愛宕山って同名の山がそんなにあるのか……。
「羽川翼恐るべし。実はお前なんでも知ってるんじゃないの?」
「あはは、別になんでもは知らないわよ。知ってることだけ」
そう言う羽川はただ苦笑いを浮かべるだけだった。
と、俺が何も言わずに悔しさを噛み締めていると、急に横からクイクイと腕が引かれる。そちらに目を向ければ何やら八九寺がえへんごほんと咳をしながら、チラチラと流し目で俺に視線を向けていた。
あん?なんだ?
「わたし、これでも同年代の子達に比べれば雑学がかなり豊富な方なんですよ?ですからもし比企谷さんさえよろしければわたしがお相手になってあげてもいいんですがねぇ」
ニヤリと口角を釣り上げる。それは見るからに挑発的な態度だった。
……ほほう、千葉の雑学王としてこの県下に君臨する俺に無謀にも挑戦とは。八九寺真宵、まるで身の程知らずなやつである。
ふっ、だがいいだろう。その小さな自信、この俺がすぐにでも刈り取ってくれよう!
「ふっ、ではいざ……!!」
「勝負だ……!!」
そして女子小学生と男子高校生の真剣な闘いの火蓋がこの場で切って落とされた。
デュエルスタンバイ!
ガンダムファイト・レディー・ゴー!!
住宅街。もはや網膜に焼き付いていると言ってもいいほどに見知りすぎた景色のその中に、比企谷家の居城はあった。
平々凡々な中流家庭に相応しいそこそこな家。まだローンが数年残っている、幾らか屋根の色もハゲかけた我が家を目前に、俺は人知れず胸中から込み上げてくるものを感じていた。
ははっ、全然変わっちゃいないんだな。……いや、まあ、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
「じゃあ、阿良々木くんを呼ぶね?」
「……ああ」
羽川の人差し指が呼び鈴を押す。かすかに聞こえる電子音。そして少しばかりの静寂ののち、扉は開いた。
「……羽、川?」
「ふふっ。一日ぶりだね、阿良々木くん。どう?ちゃんと大人しく勉強してたかな?」
笑顔の先、羽川の言葉が向けられた先に……俺ガイル。いや、俺の姿をした阿良々木暦が立っていた。
阿良々木は俺の顔でホッと安堵するような表情を形作ると、俺の顔で羽川に向き直り、そして俺の顔で何かを言いかけて、俺の顔で今度は羽川の隣を見た。
「……八九寺?どうして、お前までここに……?」
「どうして、とは心外ですね。私は八九寺真宵であると共に八九寺Pでもあるんですから。たとえどこの彼方で迷子になろうとも、阿良々木さんごときを見つけ出すぐらい、この私にとっては造作もない事だということですよ。伊達に、迷子のプロを名乗っているわけではないですからね」
「……そうかい。そりゃあお見それしたよ」
いや、お前なにもしてねえじゃん。
そんなツッコミを心中で八九寺に投げかけながら、俺はどこか呆れたような面持ちの俺……じゃなくて、阿良々木をジッと眺めていた。
なんというか、他人の目から通して見る自分というものは予想以上に奇妙なものだ。不思議と鏡で見る自分とは幾らか違っているようにさえ思える。
たとえば……目とか瞳とか眼差しとかその辺りが特に。
「……あ」
と、わりとジロジロ見過ぎていたのが原因か。
俺の視線に気付いた阿良々木はようやくのこと俺の存在に気が付いたようだった。どうやら身体は違えど、そのステルス技術にはまるで衰えがないらしい。もはやスパイの鏡といっても過言ではないな。まあそもそもがスパイとかじゃないんですけどね、僕。
「…………」
「…………」
無言が生まれる。とりあえず合った視線はそのままにミリ単位で会釈すると、阿良々木も慌てたように俺に会釈を返してきた。
そして、また、無言。
……おいおい、なにこの気まずい空気。「いやぁ、お互い大変でしたねぇ!」とか言った方がいい感じなの、これ?
「あ、阿良々木さんっ!その、こちらの方はですね……」
「ああ、いや、知ってる。というよりかはもう聞いてたといった方が正しいかもな。たしか、比企谷八幡……くん、だっけか?」
「……ああ」
「そうか……」
頷く。
沈黙。
会話終了。
……ホント、初対面の相手に何話せばいいのかって全然分かんないよね!
「えーっと、こんな場所で立ち話ってのもさすがになんだしさ。お互い積もる話もあるだろうし、とりあえずは中に入って話をしない?いいでしょ、阿良々木くん。……あ、ううん、この場合は比企谷くんに聞くのが正しかったかな?」
「……なんでもいいけど、まあ、中に入るってのは賛成だ。こんな往来の場で出来る話ってわけでもないだろうし」
「そ、そうだな。じゃあとりあえず、全員中へ入ってくれ」
促されるままに俺たちは歩をすすめる。そうして、俺含めた三人はめでたくも比企谷家の敷居をまたぐこととなった。
羽川が先に行き、続いて八九寺が、そして最後に俺が入ろうとした瞬間、妙な視線が俺の背筋に絡みつく。
後ろを振り返る。しかし、そこには誰もいない。
……なんだ、いまのは。
「どうした?」
「いや、べつに……なんでもない」
たしか、あの感じは……いや、たぶん、きっと気のせいだろう。
そんな言葉で自分を誤魔化し、そしてなんとも言えない不快感を胸に俺は再び足を家中へと向けたのだった。
千葉の描写とか、クイズとか、その他諸々の描写とかがちょっとアレなんですがスミマセン単純に力不足と知識不足と根気不足いうことでどうかお見逃しくだされ……。