俺ガイナイ物語   作:ベリーベリーハード

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九話

 それは聞き覚えがあり過ぎる女の声だった。

 ヒッキーヒッキーと繰り返されるマヌケな響き。まるでいなくなったペットでも探すような、それでいて新種のポケモンみたいな声をあげるその人物に、しかし俺は遺憾ながらも心当たりがありすぎた。

 

(……なんで、由比ヶ浜がここに……!!)

 

 声は続く。阿良々木はジッと俺に視線を向けていた。そして当の俺はというと、想定外すぎる事態にあらゆる動作を停止。迫り来る嵐を察知した小動物のように身を縮こませ、息を潜め、気配を押し殺す。

 そんなヒキガヤ=ニンジャと化した俺に、阿良々木もまた息を潜めながら、小声で話しかけてくる。

 

「……なあ比企谷。さっきから聞こえるこのヒッキーってのは、まさかお前の事なのか?」

 

「…………」

 

 無言で聞き流す。一応は事実であるが、それを自分から肯定するほど俺はヒッキーというその響きをさほど気にいってはいない。というか普通に嫌がってさえいる。

 ただ、阿良々木は俺の沈黙を肯定として受け取ったのか。

 続けるように言葉を発した。

 

「友達、か?それとも……」

 

「……単なる同級生だ。間違っても、由比ヶ浜はお前が思ってるようなもんじゃない」

 

「……そうか。いや、べつに比企谷の交友関係を無闇に詮索するつもりなんて無いんだけれど、じゃあ何で、単なる同級生がお前の家に居て、お前の名前を呼んでるんだ?」

 

 それが分かったら苦労はしない。

 不安そうに俺を見る阿良々木になんの答えも示せないまま、俺は扉を睨みつける。聞き耳を立てる。

 扉の向こう側から、声が続く。

 

「ヒッキー!!……もうっ、一体どこに居るのよ、ヒッキーのやつ」

 

「……あの、本当にごめんなさい、結衣さん。わざわざこうやって家まで来てもらっちゃって」

 

「あ、ううん。全然気にしないでよ、小町ちゃん。あたしが勝手に付いてきちゃったようなもんなんだからさ。それにあたしだって、その……ヒッキーのことが心配っていうかなんというか……」

 

「うぅ、すいません。ありがとうございます」

 

 次第にすぼんでいく由比ヶ浜の声に続いて聞こえてきたその声は聞き間違いでなければ、いや、聞き間違いようもなく小町のーー俺の妹である比企谷小町の声だった。

 そういえば、と俺は思い出す。

 

『なんか僕の顔を見るなりエラい形相でどこかに電話して、それで一目散に家を飛び出してたけどーー』

 

「……それでこんな状況になったってわけか」

 

 恐らく小町が電話した先は由比ヶ浜の携帯で、そして飛び出した先で会っていたのも由比ヶ浜なのだろう。

 阿良々木の言葉を聞く限り、もしかしたら小町は普段の俺と今の俺との違いに何かしらの気付きを得たのかもしれない。小町はあれでいて実は突発的なアクシデントには弱い方だからな。それでつい動転して由比ヶ浜に相談めいたものをしていた、と。俺は刑事コロンボ並みの閃きをもってそう推察する。

 

 ……まあ、それにしても過剰に反応し過ぎだとは思うけどな。しかし逆を言えばそれだけ小町の目には今の俺(in阿良々木)が不気味なものに見えたのかもしれない。

 それとも……まさかこいつ、自己申告をしていないだけでひょっとして俺の小町に、俺の小町に(大事なことなので二回言いました)なにか良からぬことをしたんじゃないだろうなアァン!?

 

 そんな心配症な兄心が爆発し、俺は内なる怒りを小宇宙と共に燃やしながら阿良々木を睨めつけるように見た。

 奴は要領をえないように眉をひそめるだけだったが……まあいい。だが、もし本当に小町に何かしら手を出していたらタダではおかない。お前の携帯電話(こじんじょうほう)を握っているのがこの俺だということを、決して忘れるなよ小僧!

 

 ……と。

 

 妹への純粋な愛のせいでついついキャラがブレブレになりながら俺は阿良々木をもう一睨みし、そして、とりあえず継続してジッと無動を貫いた。

 無になれ。そして世界の理と同化するのだ!

 そんな老師の声が脳裏をよぎる。もしくはマスターアジアだったかもしれない。ともかく、俺はただただその教えに殉ずるのみである。

 さあっ、こんな時こそ『あ……居たんだ』の異名を持つ俺のステルス力を発揮する時だ。

 世界よ……今こそ我と一つに!!

 

「あ、そうだ。もしかしたら兄は自分の部屋に居るかもです。基本的に休日はリビングで寝転ぶか自室で寝転ぶかのどちらかですからねぇ、あの自堕落さんは」

 

「……うわぁ。ヒッキーってマジヒッキーなんだね」

 

 しかし、俺の試みはあっさりと無に帰した。

 トンテンと階段から聞こえてくる二つの足音。俺と阿良々木は咄嗟に顔を見合わせる。考える時間も余裕もない。ついでに言えば俺の部屋にはプライバシーの要となる内鍵さえも付いていなかった。

 焦燥を促すように足音はみるみる内に近付いてくる。やがて、それは扉のすぐ近くでぴたりと止まった。

 沈黙と静寂の間が空き、そして扉が開く。

 

「……お兄ちゃん?居るの?……入るよー?」

 

「お、お邪魔します……」

 

 相対する。

 恐る恐ると開かれた扉の向こう側には由比ヶ浜と小町の姿があった。二人はそろりと部屋の中へ足を踏み入れるとまず初めに正面に座る阿良々木の存在に気付き、次いで真横に座る俺へと視線を滑らせ、そしてその表情に驚愕とした感情を張り付けた。

 

 え、この人誰?……みたいな視線がザクザクと突き刺さる。まあ由比ヶ浜はともかくとして、それよりも小町からそんな他人行儀な視線を向けられたのは思った以上に堪えた。あまりのショックにちょっとだけ泣きそうになってしまった。だがしかし、残念なことに今はそんな感傷に浸っている状況でないことも確かである。

 

 ……迷ってるヒマは無いな。

 

 覚悟を決める。掌に浮かんだ汗を拳を作って握り潰し、そして平然を装った表情ですかさず『比企谷八幡』に言葉を向けた。

 

「……あー、『比企谷』。もしかして、この人達がさっき言ってた妹さんの比企谷小町と、同級生の由比ヶ浜結衣さんか?」

 

「……!!」

 

 驚いたように目を見開いた『比企谷八幡』……まあ要するに阿良々木が俺を見返す。その揺れる瞳を俺はただジッと見据えるだけだった。

 そして一瞬の間ののち……阿良々木はゴクリと唾を飲み下して、意を決するように喉を鳴らして、ゆっくりと口を開いた。

 

「あ、ああ、そうだよ。この二人がちょうどさっき話題に出ていた妹の小町と、同級生の……そう、由比ヶ浜結衣だ。とりあえずお帰り、小町。それと……やあ、いらっしゃい、由比ヶ浜」

 

「へ?……あ、うん、ただいま」

 

「えと、お邪魔、してます……」

 

 阿良々木の幾分か引きつった笑みに、小町と由比ヶ浜はそれぞれ挙動をおかしくしながらも返事を返す。……が、恐らく、というかどう見ても二人揃って不審感を露わにしたような表情を浮かべていた。

 

 それもそのはずで、まず第一に繕ったような笑顔が気持ち悪い。第二に俺は間違っても「やあ」なんて朝ドラに出てくる好青年みたいな爽やかな挨拶はしない。第三に目が腐っていない。あ、でも逆に腐ってる方が不審者っぽいですよね、テヘっ。……なんて言っている場合ではない。

 

 だが、俺の物申したげな視線に阿良々木は気付いていないのか。はたまた、そんな余裕がないのか。相変わらずの引きつりスマイルを小町達に向けながら、言葉を続けた。

 

「そ、それよりもどうしたんだ二人共。ひょっとして、僕になにか用なのか?」

 

「僕……!?」

 

 由比ヶ浜が目を見開いた。

 おまけに、既に由比ヶ浜の背後へと隠れていた小町なんかは小声で「やっぱりお兄ちゃん、変になっちゃったんだ……!!」とか言いながら怖れの入り混じった視線を阿良々木に向けている。

 

 マズい。出だしから最悪だ。やはり即興での誤魔化しでは無理があったか。

 

 もはや引きつりすぎて新たな次元に辿りつきそうな表情となっていた阿良々木の横顔に危険を感じ、俺はすかさず次なる行動へと移った。

 次なる行動。それ即ち、

 

「……比企谷、そういえばそろそろアレに行く時間じゃないのか?」

 

「あ、アレ……?っ、あ、いや、そうだったな!そうだそうだ!そろそろアレに行く時間ということをすっかりと忘れていたよ!」

 

 いやぁ、危ない危ない!……と。

 あからさまに取り繕ったような焦燥感を言語化しながら、ついでに適当な謝辞の言葉なんかも由比ヶ浜達に向けながら、阿良々木は俺を連れ立って即座に部屋の外へと足を踏み出した。

 

 口は禍の元であり、つまりは三十六計逃げるにしかず。

 

 背後からかけられた「あ、待ってヒッキー!」とかいう言葉も完全に無視して、俺達は脅威を察知した脱兎のごとく玄関から飛びだす。

 飛び出して、だが、その足はすぐさま歩みを止めた。

 皮膚を突き刺すような熱光線が明るく照らした先、つまりは目前のその視界の内に、そいつが立っていたからだ。

 

「……羽川?」

 

 門扉の向こう側に立つ人物……それは買い物に出ていたはずの羽川翼だった。その手には英語で店名が表記されたミスタードーナツのテイクアウトBOXが持たれていて。そして羽川の隣には八九寺真宵の姿が……しかし、無かった。代わりにそこには別の人物が立っていた。

 

「……お兄ちゃん」

 

「っ!?」

 

「お前……!?」

 

 驚きで声が出ない俺と、驚きから言葉を吐き出す阿良々木の心境が見事にシンクロした瞬間だった。

 それは俺にとって二度と会いたくなかった人物。

 阿良々木暦の小さい方の妹が、そこに仁王立ちしていたのだった。

 

 

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