後悔する前に投稿だ!
初心者だから大目に見てね
「……」
「……」
静かな研究室の中、二人きりの俺と師匠の間に会話はない。
隣り合って座り、お互い手元の本に意識を集中している。
人によっては気まずい雰囲気と思うかもしれないが、俺にとってこれは好ましいものだ。とは言うものの、それは後になって感じることの話。俺の頭の中には既に師匠の存在はなく、本が語る世界のイメージのみが広がっていた。
俺こと仲尾綾斗は高校卒業後、実家の隣県である浜野県の国立浜野大学文学部に進学していた。ここへの進学を決めた理由は特にない。とりあえず文系で、自分が努力すればギリギリ入れそうな大学だったからだ。専攻する学科もどれでもいいとすら思っていた。
しかし二年次への進級前に、一冊の本に出会った。十八、十九世紀のドイツ人が書いた小説だ。適当に手に取った小説には、色とりどりの草花や謎の力に満ちた美しい鉱石が描写されていた。頭の中に浮かんだイメージのあまりの美しさに、俺は時間を忘れて没頭した。後で知ったのだが、その小説は「鉱山文学」と呼ばれるジャンルの小説の一つだった。
そんな経験を経た俺は、迷うことなく西洋文学学科に進んだ。
その直後に会ったのが黒崎薫先輩。
新歓コンパで自分が鉱山文学を研究したいと言った時に、教授から彼女を紹介された。彼女はまだ3年生だが、そうとは思えないほどの鉱山文学に造詣が深いと。
実際その通りであり、俺は彼女から短期間に多くのことを教わった。今では彼女のことを師匠と呼んでいる。
俺は師匠に十分ほど遅れて小説を読み切った。
「どうだった?」
「これも面白かったです。重要な部分で青がよく出ていましたが、これって具体的に何色なんですかね?どういう意味があるんですかね?」
「ん。それは明言されていない」
師匠は品のいいカバンからファイルを取り出し、俺に渡した。
中身は今呼んだ小説の原語版のコピーだった。
「これを読んで」
師匠はとても口数が少ない。しかし言いたいことは分かる。きっと原語版を読めばイメージが掴めると言いたいのだろう。
「読み終わったら、さっきの疑問の答えを教えて」
そう言うと、師匠は一緒に読んでいた本をカバンにしまって、また別の本を取り出した。タイトルから察するにSFのようだ。
「その本は?」
「自主ゼミの課題図書」
師匠は表情の変化が乏しく、分かりにくい。しかし俺には分かる。これは面倒くさがっているときの表情だ。
自主ゼミでは大学院生と学部の三、四年生で課題図書について論じる。課題図書は自主ゼミ参加者が持ち回りで決めるので分野は様々。鉱山文学にしか興味のない彼女にとっては苦痛の時間だが、参加は必須。最低一人一回は意見を述べなければならない。
俺は苦笑しながら荷物を纏める。二年生の自分が参加するイベントではない。
すると荷物をまとめ終えたタイミングで研究室の扉が開かれた。
「よぉ~黒崎ちゃん。今日も早いね」
研究室に入って来たのは青山哲也。西洋文学学科の三年生。紙には黄色のメッシュを入れており、白のシャツの上に着た黒いジャケットがよく似合うイケメンだ。
あまり面識はないが、モデルにスカウトされたとか、かなりモテルとか、非公式のファンクラブが存在するという話を聞いたことがある。
「おはようございます」
「あ、なんだお前」
俺が挨拶しても、青山先輩は挨拶を返さない。それどころか睨みつけられてしまった。
イケメンエピソードもある青山先輩だが、反面男女差別が激しく、気に入らない相手は人を使って虐めるという噂もある。実際、何割かはその通りのようだ。
「仲尾です。二年生の」
「聞いてねーよ。俺は男の名前を覚えないから。つか、早く出ていけ。黒崎ちゃんの隣に座るから」
その言い様にはカチンときて、何かしら理由を付けてここに居座ってやろうかと思う。だが、いつの間にかもう一人、四年生の先輩が入って来た。片山市子先輩だ。彼女は黒崎先輩同様、俺に良くしてくれている。そんな彼女が、青山先輩の後ろから両手を重ねて俺に「ごめんね」と口パクで伝えてきた。
彼女の手前、スッキリしないが大人しく出ていこう。そう思って立ち上がった時だった。
「師匠?」
師匠が俺の手を掴んでいた。
「あなたも参加」
師匠が腕を掴んだままドンと大きな音を立てて師匠が一冊の本を俺の前に置く。あのSF小説だ。
「本もある。片山先輩、いいですよね?」
「ま、まあいいんじゃない?仲尾くんも来年から参加するわけだし。青山くんもいいでしょ?」
「先輩がそう言うなら……」
有無を言わせない雰囲気だ。まるで脅迫でもしているかのようで、片山先輩は頬を引きつらせている。きっと俺も同じような顔をしているだろう。
「だがお前は部外者だ。端っこにいろ」
「分かり―」
「だめ。あなたはここ」
「いや、でも」
「先輩命令」
(師匠!青山先輩に気づいてください!めっちゃ怖いです!)
青山先輩の眉間の皺がどんどん深くなっていく。
たぶん青山先輩は師匠のことが好きだ。それなのに、師匠から隣に座るのを拒絶された上にそこによく知らない男の後輩が座るというのだ。面白いわけない。
師匠には悪いが、俺は逃げる。真面目な師匠のことだ。嘘でも勉学に関する理由で断れば、きっと諦めてくれるだろう。
「すみません。明日の朝までに提出する課題があるんです」
「夜にやって」
「夜にはバイトが……」
青山先輩に目をつけられるのは避けたい。噂の非公式のファンクラブを使って虐めてきそうだからだ。
「そう」
俺があれこれと理由をつけると、師匠は俺の腕を離して俯いてしまった。自分の嘘のせいでこうなってしまった師匠に対して罪悪感を覚えてしまう。
(ごめんなさい師匠!今度何か埋め合わせをします!)
そう心の中で詫びている俺に対して、師匠は目だけを俺に向けてこう言った。
「私の隣は……嫌?」
かわいい。師匠かわいい。師匠の上目遣い超かわいい。
「嫌じゃないです!大好きです!」
俺はドキドキしながら師匠の隣に座った。
まあ大学で本当に良くある修羅場って浮気だよね。
でもそういうのは嫌いだから書かない。