かつて聖地でアンドロイドの繁栄を祈った時、その相手はやはり始祖と全知だった。
本当の事を言えば、アンドロイドの繁栄だけではなく、かつて始祖と全知が恋をしたあの頃の気持ちのままに、人間とアンドロイドが手を取り合っていけたのならと。
そんなものは所詮ただの夢だった。壊れてしまったアンドロイドの神は、堕ちた神の能力に手をかけようとしている。
世界の中心はいま、間違いなくこの島にある。この先の全てが自分の言動で激しく変わる。
(……私のせいだ)
壊れかけのプレッシャーを見逃したせいだ。
林檎の型番はSub-1294-446で、プレッシャーの型番はSub-1295-446。工場で互いに隣で生産された個体。
彼女は現在の林檎のことを知っている数少ない個体だったのではないか。
あの時にとどめを刺さなかったせいで、終の能力の存在を林檎に知られてしまった。
顔を上げると今にも破裂してしまいそうなほどの情報が飛び込んでくる。
カグツチ、ワダツミ、タケミカヅチ、カゲヤグラ、ミューズ、ソール。それ以外にも大小さまざまな能力が林檎の頭に詰め込まれている。
始まりのアンドロイドは全知の死から100年間も何をしていたのか。
かつて神奈川で全知の仇であるカグツチを殺してから後、彼女の動向を知る者はほとんどいなかった。
(最初の能力者狩り……!)
林檎の身体全体を覆うゴム製のように見える黒いスーツはアサイラムが開発した戦闘用ダイラタンシースーツだ。
普段は半液状のゴム質だが一定以上の速度で物体が衝突した際は固体として反応するという極めて優秀な防具。
同質の黒い仮面まで着けており、最早かつての林檎の面影は後頭部から伸びる黒髪と赤いマフラーしかない。
そのマフラーにすらも幾重にも血が染み付いており、この100年間の殺戮を無言で示している。
狩って狩って狩って、能力者を殺し続けたアンドロイドがここに来たことが何を意味するのかあまりにも明白で――――林檎にいきなり頭を掴まれた。
「あっ!?」
「…………。…………」
何をしたのか分からないが、迷いなく終に向かって歩き出したのを見るに記憶を覗き見たのだろう。
それならば自分にとって終がどういう存在かも同時に理解したはずなのに、林檎は殺意を湛えたまま気絶している終に手を伸ばした。
「待ってください!」
「……いま、自分が何をしているか分かっている?」
顔すらもまともに上げられない、心の屈服しきった状態でそれでも林檎の腕を掴む。
何をしているかなんて分かっている。恐らくはアンドロイドがこの100年一番捜し求めた能力。
そしていま人間に一番必要な救世の力。この能力を手にした方が世界を支配すると言っても過言ではない。
「シュウは間違った使い方をしていない、今まで誰も殺していない!!」
「個人が持っていい力ではない」
一見正しい理屈だが、それならばアンドロイドが持っていいのかとなるとまたそれも違うと思う。
そもそも誰もが持っていていい能力ではない。
それでも、地上に堕ちてしまった神の力を誰かが持つというのならば、それは終であるべきだ。
「私がシュウを導きます。間違った方向に行かないように、死ぬまで」
「出来ない。子供の気まぐれで滅ぶ世界でいいとでも?」
今でさえ終は時間を操作し物体を複製し核兵器並みの圧力を出すことが出来る。
このまま知識を身に付けていけば本当に世界を滅ぼせるほどの存在になってしまうだろう。
「私がそうさせない!」
「…………」
林檎は何も言わずにその手に拳銃を持った。
こんな世界では今どき護身にすらも物足りない武器だが、気絶した能力者ならば殺すには十分――――トリガーが引かれた。
「!!」
稲光のような速さで弾丸を受け止める位置に移動したが、予想していた痛みは訪れなかった。
まさか、と背後を見るが倒れた終に異変はない。
そもそも弾が装填されていなかったのだとようやく気が付く。
「これで死ぬ、終わってしまう。この世界で最も尊い力が、転んだだけでも永遠に失われてしまう!」
生身だけで生きていれば、それが全て。代わりはない。
たとえそれがこの星を統べる王でも、世界を支配する神でも同じこと。
そのことを誰よりも知っているのが他でもない林檎なのだ。
「あなたはアンドロイドでしょう。この星の支配者。だとすれば、何をしなければならない?」
「何って……?」
「歴史を繰り返させない。この壊れかけの星を修繕する。人間よりも優れているというのならばいっそうその義務はあるはず」
暴力の前の対話だけで終わってほしいが、説得できるだけの材料が圧倒的に足りない。
世界がこうなった原因はたった一人の人間が神の能力を持って生まれてしまい、その力を制御できなかったからだ。
終を連れていくなだなんて、自分一人の都合のわがままに過ぎないから。
「ち……違う。間違ったことは言っていないと思うけれど……生まれてきたからには、なにをするのも自由で……やらなくちゃならないことなんてないはず」
「いいえ、あなたは良くやった。G4-v9inの裏切りがあってもなお、記憶を失ってもなお、予想以上の成果をあげた。与えられた使命を果たした。任務はこれで終わり」
話が通じる相手ではない。わざわざヴェインの記憶領域をぶっこ抜き未来の通信装置と共に置いたのは終の隙を作るために他ならない。
同胞の死ですらも利用する相手に今更どんな説得が出来るというのだろう。
しかも、自分は記憶を失いながらもこの世で最も貴重な能力を届けに来てしまったのだ。
「子供の脳が宇宙と接続されて世界を書き換えている……それがどれだけ危険なことかを私たちは理解しているはず。その上この子は既に心に悪を宿している。理解したならどいて!」
絶対者の命令に身体は否応なく動いてしまい、終に近づこうとする林檎を見逃してしまう。
(動け! 動け!! 今動かないと一生後悔する!!!)
ヴェインの記憶の中の誘拐された能力者はただ殺される以上に酷い状態にされていた。
ましてや全能の能力者だ。能力を回収されるだけでなく、細胞の一つに至るまでバラバラにされるだろう。
「行かせない!!」
何のためにヴェインが自分に自由をくれたのか。本当の自由とは何か。
例え絶対的なモノが相手だとしても自分の意志を持てるよう願ったのではないか。
だとしたらそれはまさしく今だった。
「…………我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか」
「…………?」
「あなたはなんのために生きるの?」
「まだ分からない……。だけど、シュウは連れて行かせない。まだ一緒に生きていたいから」
「どこまでも……哀れな運命の奴隷……」
理解できない言葉について考える前に、林檎の手に核を遥かに上回るエネルギーが集まった。
林檎の前方全てを焼き尽くす、カグツチの能力。そこまで分かっているなら対策などいくらでもあるが、いまここで回避したら終が死ぬ。
それを分かっていて目の前で大技を発動しようとしているのだ。アンドロイドは炎を弾けるがいくらなんでも限界がある。
せめて攻撃の方向だけでもずらせれば――――林檎の腕に手を伸ばす前に、別の手がカグツチの炎をかき消していた。
「林檎だな」
いつの間にか意識を取り戻していた終が自分の前に立って林檎と対峙している。
なぜ――――人間が意識を保てる電流ではないはずなのに、終は今も電気が流れている首輪をなんなく破壊した。
(……理解したんだ!!)
あの村で終は電磁気学の勉強をしていた。
その上で身体に電流を受けたことによって電気とは何かを全能の力で理解してしまったのだ。
「教えてくれよ。神さまは誰に祈るんだ?」
仮面の向こうから漂う殺気、最早戦いは避けられない。
たった一つでも星を滅ぼすのに十分な能力をかき集めたアンドロイドと、全ての能力を内包した全能の戦い。
そんなことをすれば地球は終わりだと分かっていたからこそ、林檎も隙を突く方法を選んだはずなのに――――ダイヤモンドも切り裂くような高圧水流が未来に発射された。
「仲間を狙うな!!」
能力判定が終わる前に終が同等の力で相殺したのと同時に、黒刀を終に振り下ろそうとしている林檎が目に入り、咄嗟にアンドロイドの神であるはずの林檎の腹を蹴っていた。
(蹴ってしまった!!)
それも人間なら絶命を免れない威力で蹴ったせいで、10m以上吹き飛んでいる。
きっとこの悍ましさは人間が尊敬する親を殴るのと似た感覚だろう。
こうしなければならなかったと分かっているのに震えが止まらない。
「くそっ、また殺し合いになるのか」
「殺し合い!?」
「逃げても追っかけてくるんだろ。地球の裏側でも」
「…………。たぶん、絶対」
全能を終が持っていると分かっていればどこまでも追いかけてくるだろう。
逃げ切れたとしてもその後の人生はアサイラムから永遠に狙われることになるし、それどころか次は他の回収部隊も引き連れてやってくるかもしれない。
起き上がった林檎の視線は狩人そのものだ。
「蹴ったね……。私を」
「……全知が……私たちに未来をくれたのは、こうしてもいいからでしょう?」
「でもその子は全知じゃない。一緒にいるあなたのことすらも分かっていない」
「確かにシュウは全能なだけで、全知なんかじゃない。知らないことだらけ。だけど、1番大事なことを知っている」
「全能……」
自分の能力の正体すらもようやく今知った終にとって、この世界は1万年生きても分からないことで埋め尽くされているだろう。
神の半身の本能は知を追い求めるだろうが、神に戻れる日はきっと来ない。だがそれでも。
「分け与えること! だからシュウはこの力を持っていてもいい!!」
全能の力で多少ずるいこともするだろう。他の人間よりは楽に生きれるだろう。
だがそれ以上に人に優しく分け与える善性を終が持っていることを知っている。
神の力を神のように使わなくたって構わない。
「インフェルノを抹殺できる能力は現状ブラックホールだけ。でも、その子の能力なら出来る。全能ならば出来る」
インフェルノは謎の多いレベル10だが、その人知を超えた理不尽な能力から、全知と同様に『理』の外から来た存在ではないかと言われている。
あれは分け与える者と真逆の存在、全てを奪う者。インフェルノの目的は進化の涯を見ることであり、それは終わりなき争いの先にあるものだと考えている。
最初から勝つ気などない。より多くの死を、戦いを生み出そうとしているだけなのだ。自分は死なないから。
理の外から来た存在に打ち勝つには同じく理外の力が必要なのだ。
「俺にやれっていうのかよ」
「君に出来るの? インフェルノを止める方法は? 汚染された地球を修復するには? 未だに世界を彷徨うブラックホールを救うには?」
終には圧倒的に知識が足りない。それらに対する答えを持っていない。
代わりに自分がやると言ったところでそもそもが不可能なのかもしれない。
「これはアンドロイドだけの問題じゃない。この星の、この世界の話。この星を統べる者として、人間のように感情で世界を終わりに向かわせはしない!」
林檎が手から放った巨大な火球が音よりも速い速度で自分たちの頭上を掠めていった。
外した――――なぜ、と考える前に林檎に向かって伸びる自分たちの影が目に入った。
「掴まって!!」
「うぉおおお!?」
終に伸ばした手は空を切り、伸びた影を引っ張る林檎の元に終が引き寄せられていく。
林檎の影が変化し断頭台の刃がいくつも出現した瞬間、終の姿が消えた。
「どこへ――――」
性能の問題か、林檎には聞こえなかったようだが未来の耳にははっきりと終が口笛を吹くのが聞こえていた。
すぐそばにいた動物の中に入ったのだ。どこへ行ったのかを理解したときには地面から巨大な木の根が生えて林檎の身体を突き上げていた。
それとほぼ同時に島の周辺にいた鳥類が集まってくる。
「……さぞや気分がいいでしょう。神のごとく想像を現実にするのは!」
周辺全てを焼き尽くすほどの爆炎が林檎の周辺を焼き尽くす。
だがその炎が鳥たちに届く前に強烈な圧力によりかき消され、林檎の体勢が崩れた。
「いいわきゃねえだろ!! 何度命狙われたと思ってんだ!!」
また一つ終が能力を手に入れてしまった。鳥から飛び出した終が掴んだのは林檎の影。
物質を腐敗させる手が林檎本体に触れようとする直前に、終の身体が宙に浮かぶ水の中に閉じ込められた。
周辺にあれだけ炎を撒き散らしておきながら、空気中の水分から人を溺死させるのに十分な量の水を作り出している。
まるで神々の戦いそのものを目撃しているかのようだ。介入する隙がほぼ無い中で終を閉じ込める水牢に向かって飛ぶ。
「痛っ!!」
なんとか終を救出したはいいが、林檎の攻撃が脇腹を切り裂いた。
これぐらいの傷ならば3分もあれば完治するが、今は遅すぎる。
「未来! くそ!!」
そばに駆け寄ってきた終が未来の身体を抱えながら圧力砲を次々に放つが、高速移動する林檎に狙いが定まらず一向に当たらない。
当たり前だが、能力者の特性をよく理解している。この島そのものを破壊する程の能力も終ならば発動できるが、そうすれば未来を巻き込むことになるから林檎を狙うしかない。
だがいかに強力な能力と言えど使用者である人間の反射神経を凌駕する速度の相手にはそもそも当たらない。
(私が足手まといになってる!)
きっと人間には残像しか見えないであろう速度の林檎から炎の球や影で作られた刃が飛んでくる。
その一つ一つを終は同じ能力で叩き落しているが、ただ避けるのと同質の力を発動するのとでは消耗度合いが違うのは当たり前だ。
すぐに終の鼻から血が蛇口のように噴き出してしまった。
「……辛そうだね」
「辛くねえよ、馬鹿にすんな」
鼻血を乱暴に拭った終は強がってはいるものの、不利であることは明らかだ。
攻撃は当たらないし、このまま林檎の攻撃を防ぎ続けているだけでも倒れてしまうのだから。
「他の能力者が能力を使い過ぎてそうなっているところを見たことある?」
「……?」
「そこまで顕著にオーバーヒートしないんだよ。現に私はしていない。自分の脳から出せるものだけを出しているだけだから」
「どういうことだよ」
「君の能力は別。人の脳を動かして夢を見せたように、宇宙そのものを動かして能力を出力している。人間の脳はそこまで高性能に出来ていない。人の身では使いこなせない力なの」
かつて全知も未来予知をする際や、世界の形を変える際に脳が過熱し壊れていくという症状を見せていた。
脳と同型の宇宙そのものに接続できるとはいえ、世界の大きさに比べて人の脳はあまりにも小さい。
だからこそ、神のみが持てる力なのだ。
「でもお前が使う能力は俺も使うぞ」
「そうだね。……だから一番簡単な方法で君を倒すことにした」
宙に浮かんだ林檎の脳が太陽のように輝き始めるが、何も攻撃らしいことはしてこない。
攻撃を誘う罠かもしれず、様子を伺っていると太陽が出ているはずなのにあたりが薄い影に包まれ始めた。
「な……なにしてんだお前!!」
終が叫んだのはその後何が起こるか想像が付いたからだろう。
島の周辺を取り囲む海が高く高く、雲よりも高く持ち上がり壁になっており、この島だけが凹んでしまったのかと錯覚するほどだ。
あの海水を持ち上げている力を解除するだけで大津波が起こるが、その被害はこの島に留まらず日本全体に及ぶだろう。
特にここから近い関東外縁部は全て海に飲まれることは間違いない。
「君の力で止めてみなさい」
林檎の人差し指に光が集まっていく。固まった光は熱となり、炎となり、あっという間に小さな太陽のようなエネルギーの塊となった。
あの炎の球も、津波もこちらに向けての攻撃ではなく世界への攻撃――――林檎が終の性格を把握していることを思い出した時にはエネルギー弾が発射された。
こちらへ向けてではなく、西へ向けて。あの村がある方へ。
「あれは弾いちゃダメ!!」
不安定なエネルギーの塊はどこに当たらずとも数秒後には小国を焦土にするには十分すぎる威力の大爆発を起こすだろう。
速度から算出するに、約10km飛んだ後に弾ける。上に弾いても対流圏で爆発して火の玉が降り注ぎ地表に甚大な被害をもたらす。
それを言う前から分かっていたのか、既にその弾を受け止める位置に終は飛んでいた。
「うぉおおあああっちぃいいいい!!」
終の手のひらに当たる直前にエネルギー弾は虚空に掻き消えた。
もしかしたら使えるのではないか、と推測してはいたが本当にブラックホールの能力をも使っている。
それと同時に持ち上がっていた海が静かに海面へと戻っていく。レベル10の力に時間操作、使い過ぎなのは明らかだった。
「人間を憎んでいるのに、思想とは裏腹に傷付く人を守ろうとする優しい性格……」
「あ――――」
終の能力をとにかく使わせて出力限界を狙っていたものと思っていた。
他の人間なんか知ったこっちゃないという態度を取っていても、実際は誰かが理由なく傷つくのに己の心も痛める人間だと知っているからこそ、終ではなく世界に攻撃をしたのだと。
終は絶対にその攻撃を消しに来る。そこに能力を割いてくれればそれでよかったのだ。
「神が個々の命を気にかけるな。だから君にはその力を持つ資格がない」
終の腹に黒刀が深々と刺さっていた。
乱暴に刀を引き抜かれた終が落下してきたのをなんとか受け止める。
「シュウ! しっかりして! すぐ治すから!!」
そう口にしたものの、改めて確認するまでもないほどに大量に出血しており、長くはもたないことは明白だ。
影の刀は重要な臓器をいくつも切り裂いており、腸が飛び出そうになっているのを息も絶え絶えの終が必死に押さえている。
例えアンドロイドの施設で最高の手術を受けられたとしても助かるか怪しい。
顔中の穴という穴から血を流している終は既に限界であることが見てわかる。
「堕ちた神が敵を信じてたどり着いた結末……哀れな……」
能力を使って必死に出血を押さえている終に林檎が近づいてくる。
避けられない運命――――愛する者に殺される道をそれでも誇っていたヴェインは、なぜ林檎を神と認めないと口にしたのか。
きっと覚悟の言葉だったのだろう。その先に死が待ち受けていようと、神を敵に回そうと己の意志を貫き通す覚悟。
ヴェインほど組織に忠実な個体が何故裏切ったのか真に理解できた。自分にとって本当に大切なものに比べれば、信じるべきものも、己の命でさえもくだらない。
「ここまで連れてきてくれてありがとう」
同胞を攻撃したくない。アンドロイドと敵対したくない。神に逆らいたくない。
そんな思いに今までずっと浮ついていた心の中心が定まり、全てのナノマシンがオーバークロックして熱を発し始めた。
「守ってあげる」
倒れ伏して未来を見上げる終のバイタルサイン分析が終わる。あの家には医療器具も手術に適した部屋もある。まだ終わっていない。
心の中の何かが変わったおかげで全てがゆっくりに見える。こちらに向かってくる林檎の歩みはあくびが出そうな程のろまで――――次の瞬間、未来は風になっていた。
「!?」
30mは離れていた林檎の腹部に、戦車をも一撃で大破させるほどの拳が直撃する。
林檎の理解が追い付いた頃には強烈なハイキックが林檎の身体ごと回転させていた。
最新型のアンドロイドは最早この星のどの生物よりも強い。
同胞だろうが神だろうが、本気になれば自分を捉えられる生物も機械も存在しないのだ。
苦し紛れに出力された炎を弾き、林檎を海まで蹴り飛ばす。
「シュウが好き!!」
今までその言葉をたったの一度もはっきりと口にしたことがなかった。気持ちは通じているものだと思っていたし、実際に通じていたから。
だが、そのシンプルな言葉を口にしただけで頭がクリアになっていく。自分の本当の望みが見える。
「未来……」
「シュウはかっこいい。きっともっとかっこよくなる。それを見るのは私! 私だけのもの!! 誰にも邪魔をさせない!!」
堕ちたとはいえ神の能力をたった一人の子供が持つなんてことはあってはならない。
その理論はきっとアンドロイドだけではなく、人間も同じ主張をするだろう。世界のために、全ての命のためにと。
それで結構、全て無視すればいい。終は永遠に自分のものだ。
「く……来るぞ……まだ……」
本気で殴ったが、世界で最も強力な防具の装甲は貫けなかったようだ。
海から世界を侵食するような影が伸びて木々を抜き、岩を持ち上げこちらに向かって投げてくる。
投擲された物体の影が未来の影と繋がっており、理屈を超えて『これは避けられない』と分かる。
(全弾撃ち落とす!!)
弾丸よりも速い拳が岩を打ち砕き、巨木を消し炭にし、ホーミングしてきた炎の弾を跳ね返す。
こちらに向かって飛ぶ林檎の大脳新皮質が輝いていた。
「見えている」
ワダツミの能力だと判断して0.5秒も経過してから未来が立っていた地面から水流が噴き出した。
やはりかつて戦ったプレッシャーと同じく、能力と言っても人間の脳から出力されるものであることには変わりはない。
この世のどの生物の反応速度でも追い付けない本気の未来に当てられるはずがない。
「未来、後ろ!!」
そんな馬鹿な、林檎は前方にいることを目視出来ているのに。それでも後ろには終がいる以上振り返らないわけにはいかなかった。
(なにもいない!?)
驚いた表情の終がこちらを見ているが、口を開いてすらいない。
何に驚いているのか――――何も言っていないのに響いた自分の声に驚いているのだ。
音を操る能力――――その判断と後ろへ放った攻撃との間には1ナノ秒のラグもなく、林檎の仮面を未来の肘が砕いていた。
仮面の下から見えたのは、人工皮膚がほとんど剥がれた初期型アンドロイドの素体だった。
歯はむき出しで、瞼すらもなく、濁ったアイカメラだけが爛々と輝いている。その姿は殺人機と成り果ててしまった今の林檎をこれ以上ないほどよく映し出している。
最早昔の林檎と同じ部分は全知から貰ったマフラーだけ――――心に浮き上がった葛藤をなんとか嚙み潰す。
「どれだけ能力を積み込んでも、私は最新型だ! 私がアンドロイドの未来だ!!」
「…………。シュウが好き、ね。本当に心から? 疑いなく?」
「好きだから守ることの何がおかしいの?」
「そうだよね、まだその子の遺伝子を貰っていないからね」
「……それは関係ないこと」
ヴェインの記憶にあった自らの設計コンセプト。
その通りに動いていると言われれば否定は出来ないが、そんな物質依存の考えで動いているつもりはない。
いつかはその目論見通りに遺伝子を受け取ることにはなるのだろうが、ヴェインが望んだとおり全て自分の意思だ。
それでも、表情すらも表現できない林檎が薄く笑っている気がした。
「いくらなんでも、あまりにも設計通り過ぎる。せっかく自由になったというのに、まだ任務に固執しているなんて。G4-v9inの死を無駄にしていると思わない? これではまるで退化……そんなものがアンドロイドの未来ならば、そんな未来は必要ない」
「何を言っているの……?」
心の底から終を好いていて、そこに一切嘘はない。
種の信仰する神ですらも敵に回しているのに、なぜまだ『任務』という言葉が出てくるのだろう。
「なぜ能力者を見分ける機能を付けたのか、まだ分からない?」
へばりつくような悪寒がする。自分の存在意義や根幹そのものを壊すような言葉が飛び出す予感がする。
そう、ずっと疑問があった。そもそも未来は終と一緒に旅を始める必要なんて全くなかった。
全能の能力者とはいえ、その心を解きほぐして味方にするよりも、自分一人の方が記憶を取り戻すのは早いということは分かっていたはず。
それでも最初から終と一緒にいることを選んでいた――――ここまでの記憶の全てが揺らぎ始める。
終との出会いは運命だと思っていた。敵だと分かっていても互いに一緒にいることを望んだのも運命だと。
だが、そもそも運命とはなんなのだろうか。
定められた道。もっと言ってしまえば、本人の力では干渉できない存在による意志。
人間ならばまさしく神の意志となるのだろう。
ならば機械の運命とは? アンドロイドにとっての神は?
聞くな、と機械の勘が叫んだが、もう遅かった。
「あなたは能力者に恋するように作られた」
つくづく運命の奴隷、自分の意志で選んだ未来さえも設計通り。
砕けそうな心とは裏腹に、機械の脳はいつも通り静かに冷たく林檎の能力も終の能力も判別している。
「う……嘘だ……」
「機械を修理している横顔は大人びててかっこよくて、寝顔はあどけなくて可愛い。いざと言う時は頼りになるし、とても優しい……そう感じたんだよね。そう本能的に感じるように作られてるから。強力な能力者に惹かれるように出来ているから。私がそう設計したから」
「…………っ」
血を失い過ぎてもなお意識をなんとか保っている終が、血だまりと泥に沈みながらも未来を見て何かを言おうとしたが、口から出てきたのは血の塊だった。
ああ、血だ。プレッシャーと戦った時も撒き散らされていたこの世で最も尊い血。
あの戦いの後に終と別れようとしたが、あれはそもそも本気だったのだろうか。
介助が必要だと分かっている相手を置いていくなんて。終が引き留めてくれると分かっていたから出来た行動なのではないのか。
「よく見てみなさい。品も教養もなく、自分が何者かも知らずに自分勝手に生きるただの汚染された能力者の子供。私たちが嫌う薄汚い人間そのもの」
いつにもまして泥まみれで汚い終の髪はぼさぼさで、血の泡までふいている。
どこがどうかっこいいのだろう。そもそも機械の自分が人間の何を魅力的に感じるのだろう、冷静な機械の脳はそう言っているのに心が付いてこない。
終が好きだと心が言っている――――それすらも機械の脳に作り出されたもの。
(私なんで人間を守っているんだっけ……)
好きだから。そう感じるようにアンドロイド達に設計されたから。
そして任務は完了だとアンドロイドの祖が言った。
『アンドロイドと人間の違いは?』
ヴェインは何度も考えていたが、未来も今になってその答えが分かった。
目的があって生まれてくるかどうか。
意味もなく、目的もなく、ただ生きて死ぬ下等な人間と違い、機械であるが故に全てのアンドロイドはそれぞれ目的のために生まれ、与えられた責務を全うする。
脚から力が抜け、気が付けば地面にへたり込んでしまっていた。
「それでもと言うのなら、同じ見た目のアンドロイドを作ってあげる。それでいいでしょう」
決定的な何かが壊れる音。涙がこぼれた。
「うぉおおおああああ˝ぁあああ!!」
終の叫びに呼応し大地が揺れた。終の大脳新皮質から発生した閃光は最早普通の人間でも目で見てわかるほどに宇宙と繋がっている。
神の能力の行使は地面が割れる程の大地震を引き起こし、亀裂から伸びた木の根が林檎の身体を掴んだ。
「まだ抵抗を――――」
身体中から炎を出そうとする直前に林檎の身体は亀裂に引き込まれ、地面は再び閉じられた。
だがそんなものは時間稼ぎにもならないことは終も分かっているはず。そんなことを考えている間に炎の柱が地面を貫き――――全てが停止した。
炎柱だけでなく、空を流れる雲も、波の音も、全てが。この世界の全て、未来と終以外の時間が停止していた。
「み……未来……」
命そのものである血を垂れ流しながらも這いずってくる。
まるで破綻した愛情に縋る赤子のようだ。
「私……私は……シュウのことを好きになっちゃダメだった……。ごめんなさい……私が悪い……」
這いずってくる終から思わず遠ざかってしまう。全てを悔いる言葉を口にしてしまう。
全てが一つ一つ刃となり終を刺す。14歳の少年には余りにも残酷な現実が身体だけでなく心までもズタズタにしていく。
残酷なことをしていると感じる心も慈しみも全てが偽物。
それならばせめて出会わなければ良かったのに。
「なんで謝る……?」
「私が好きになったのはシュウじゃない。シュウの能力を好きになっていたんだ! 全部、全部嘘だった!」
せっかく終は前を向き始めたのに。その身に災難ばかりもたらす能力をそれでも善の心を以て使おうとしていたのに。
それを導いた自分の言葉が全て噓だった。この機械的な頭が冷静に計算して、終が本当は望んでいた言葉を出して喜ばしていたにすぎないのだ。
ただの高度な人形遊びだったのだ。
「……はっ…………」
口から粘ついた血反吐を吐いて、鼻血を垂らして血涙まで流した終の顔から嗚咽に混じり透明な雫がこぼれる。
この世の全てが敵だと思い込んでいた終が、ようやくこの世界で見つけたたった一つの拠り所。
それまでもが虚構だと知って潰れかけてしまっている。
(泣かないで)
その言葉を口に出来なかったのは、嘘だと知っているから。
一度魔法が解ければきっとこんな死にかけの汚い子供など、どうでもよくなってしまうのだろう。
ただの下品な子供が神の力を持って生まれてしまった、それだけなのだから――――能力で止めていた出血も限界だったのか、終の腹から血が噴き出て腹圧により臓器までも飛び出してしまった。
あまりにも酷すぎる。悪意に満ち溢れている。
せめてこの世の全てが敵だと思い込んだまま死ぬことが出来たのなら、希望のない世界から消える希望を持てたのに。
せめて未来が最後まで味方と信じ込んだまま死ぬことが出来たのなら、短い時間でも幸せを味わえたまま終われたのに。
この世界は終に偽りの希望を与えて嘘の喜びに躍らせ、最後の最後に全てを取り上げてしまった。
「……泣くな。大きな成果をあげて帰れるんだから……」
死ぬだろう。確実に。出血のしすぎで呂律も回っていない。きっともう目の前もよく見えておらず、ただ一つ見えるのは死のみのはず。
この世に魂がしがみ付く理由すらも失ったのに、それでも終から出てきたのは愛してしまった嘘の塊を慰める言葉だった。
その目も当てられない健気さが、G8-m1rAというボディの中に出来上がってしまった『未来』に止めを刺す。
誰もがアンドロイドとして生まれたならば役割を与えられるのだ。
種のために。種のために!!
愚かな先人が示したように、この世界で種が存続するのは途轍もなく難しく、一つの命それ自体はあまりにも儚い。
もしも100万年の繁栄を手に入れられるのならば、命に宿ってしまった個の意志など必要ない。決められた通りに動くこと以外は求められていない。
『未来』なんていらなかった。
「こんな……こんな思いをするなら……最初から機械でいたかった」
何もかもを失う。ヴェインから貰ったこの名前すらも。
このまま自分はアサイラムに連れ帰られ、任務を終える。すなわち、もう無用となった能力者を愛するように作られたプログラムそのものを消されるのだ。
それは自分の土台・行動原理であったため、記憶も全て失うことになるだろうが、それでも成果は成果。
ここまでで形成した人格を全て消された後のG8-m1rAが、これから抱く全ての願いはアサイラムで叶えられるだろう。
終が歯ぎしりをして、大地に爪を立てている。止まった時の中で神の力を示す脳はより一層、怒りを示すように輝いている。
怒るだろう、もう何に怒っていいのかも分からないくらいだろう。騙しに騙されて死に向かうことになってしまったのに、そうすると選んだのは終自身なのだから。
「……誰もがどんな形に生まれるかはっ、っ……えっ、選べない……。だけど、けど……どう生きるのか、何を信じるのかは自由なはず……。だから……それでも未来を信じる……!」
「…………」
もう目の前に死が迫ってもなお。全てが偽物で、目の前にいるのが指令通りに動く哀れな機械人形だと知ってもなお。
終の強い心から発せられた言葉にむしろ未来の心が砕けてしまいそうだった。
変わらないものはその想いだと言えるならば、それが強さだと言わんばかりだ。
「好きなように生きて……好きなように死ぬ……じゃないと……じゃないと俺たちは……! なんのために生まれたか分からないだろうがぁ!!」
灯滅せんとして光を増す。
魂の叫びと共に終の胸が炎の柱に貫かれていた。
「嘘」
終が微笑んでいる。今の今まで苦痛に息も絶え絶えだったのに、全ての痛みが消えてしまったかのよう。
その間にも神の炎が終の胸に空けた大穴から広がり身体を灰にしているのに。
「泣くな。俺は――――」
短い人生でも最後まで心の赴くままに自由であったことを喜ぶような強く優しい笑顔。
己の選択を後悔していないことを伝えるかのようだった。
「未来に会えて良かった」
この世のどんな生物よりも高性能な両目は、終の目から命の光が消えて斃れる瞬間を写真のように脳に焼き付けていた。
機械的であっても心の底から愛した者が物言わぬ死体になる瞬間を。
「可哀想な未来……あなたの気持ちは分かる」
終の身体から炎が消えた。人の頭が丸ごと入りそうな程の大穴が胸に空いているが、頭部は林檎の操作した通り無事だった。
生気の消えた目に草が刺さっているのに、血まみれの舌が地面に触れているのに全く動いていない、ただの死体。
神は死んだ。いや、むしろこれからが本当の死なのかもしれない。世界をいい様に作り替えるための道具にまで堕ちるのだから。
「大丈夫。全部偽物だから。ただの悪い夢だから」
愛した相手は死ぬと――――自分と同じ道を辿ることを分かっていてzzz林檎は未来を作った。
それならばzzzこの目の前にいる、壊れかけの身体をzzz防具で無理やり拘束してでもzzz能力者を狩り続けるアンドロイドはzzz未来の『未来』なのだろうか。
だからこそzzz全てのアンドロイドの神なのかもzzzしれない。全てのアンドロイド達のzzz向かう先を歩んでいるのだから。
「目が覚めたら、全て忘れている。さぁ、帰ろう」
「…………」
zzzzzz悲しみを感じる心は偽物帰れば全て忘れる記憶も人格も何もかもeli eli lema sabachthani明日にはせせら笑いながら死骸の道を歩いている狂いそうだchur menya終の下半身が灰になって崩れた6553565535涙も灰に溶けてなくなるここにあるのは盲目の殻だpandemonium感情に身を任せてもいいことなどなかったmacabre湧き上がる立役者the world何ひとつも救えないيا جبل ما يهزك ريح笑えアンドロイドのための世界を救ったan unexpected error翼を広げて飛びたいhas occurred来なければよかったあそこで幸せに暮らせていれば嘘嘘ばかりで幸福だkyrie eleison生きる意味さえ罪なのかobscure起きて神さまなんだから惡夢私をaider殺してka,,zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
色を失くして燃え上がる空。
全て消えてなくなる。
「――――――」
どうせ抹消される用済みの人格だ。
未来は一足先に自我の完全な初期化を選んだ。
泡となり消える一瞬の間に、終との思い出だけでも持っていこう。
全てが偽物の存在だとしても、最後にそれくらいの自由だけは許してほしい。
せめて、この身体に宿る新たな、 自分は、 今 度こ そ 、 自 由に、 幸 せに 、な っ て――――
END
Ἀνάστασις
それでも鳥は飛ぶ
ただ翼を持って生まれたから、空を飛んでいるだけだとしても
それでも鳥は飛ぶ
自由に飛んでいると信じている