敵性存在と認識した人間の声によりメインシステムが再起動する。
目を開く前から周囲に7人の男がいることが分かった。近くに感じる炎の気配と音の反響具合から、どうも寺のどこかに閉じ込められたらしい。
外からも足音が聞こえるが、石畳と砂利を踏む音以外に雪を踏む特徴的な音が混じっている。意識を失っている間に雪が降り始めたようだ。
「こんな上玉は滅多にお目にかかれないな」
「どこに売るかはもう決まったのか?」
「いいや。閉じ込めておけとだけ言われた」
これからの自分をどうするかを話しているらしいが、内容を聞くに子供をさらってどこぞへと売り飛ばしている集団らしい。
手足を縛られているが、それ以上の手出しをされていないのは商品価値が下がってしまうからだろう。
キャンプを離れて時間が経ち過ぎた。終が自分を探している可能性は84%まで上昇しており、食事をしていない可能性はなんと100%だった。
待っているにしても、出来上がった食事を前にして雪の中で不安になりながら待っているだろう――――目を開き手足の戒めを解こうとした時だった。
「何をしているの?」
「……!」
意識を失う直前に視界に入ってきた初期型アンドロイドが入ってきた。
アンドロイドならばそんなもの必要ないだろうにフルフェイスのガスマスクをしているが、周囲の男たちもガスマスクをしているのを見るに彼女は自分の正体を明かしていないらしい。
なによりも、立ち居振る舞いと未だに視界に映る能力者情報から彼女がこの集団のリーダーだと分かった。
「子供一人に七人も見張りはいらない。私がここにいるから配置に戻りなさい」
アンドロイドであることは知られていなくとも上位の能力者であることは理解させているのだろう。
言葉の表面は静かなその命令で手下たちは足並み揃えて出ていってしまった。
「手荒くしてごめんなさいね。部下の手前ああするしかなかったの」
外したガスマスクの下から出てきた顔は、いつかに出会った初期型と同じくひび割れており、髪に隠れている左目は壊れて機械が露出している。
100年以上前の機械なのだから、当たり前なのかもしれないが。考えている間に両手足の拘束が外された。
「なんで……能力を持っているの?」
「私が能力者だって分かるの? 第八世代……そんな世代が製造されているなんてね。回収部隊と同じ能力も付けられているのかな」
(……!)
街で出会った食堂の料理人をしていたアンドロイドが発した『回収部隊』という言葉。第三帝国が終に対して言っていた回収されている途中という言葉。
Sub-1295-446の頭部、大脳新皮質周辺から発せられる熱はナチュラルのそれと同じものだ。
ようやく分かった。アンドロイド達は能力者を回収し、能力の発生源である大脳新皮質をアンドロイドに移植する実験を行っていたのだ。
圧力を操る能力の元の持ち主は既に死亡し、能力を無事に移植することに成功したというわけだ。
未来が黙っていると突然、本当に突然。現プレッシャーの右腕が外れて落ちた。
「ああ、また……修理しても、修理しても、ありえない速度で劣化する……」
喉に新聞紙でも入れたかのようなガザガザで抑揚のない声で、『取り付けてほしい』と言ってきた。
依然としてこの初期型に対して警戒はしているものの、最初の攻撃は部下の手前そうせざるを得なかったのだろうと自分を納得させ、腕を形だけでも取り付ける。
「いつかアンドロイドだってバレちゃうよ……?」
「大丈夫、見られたらすぐに殺しているから」
恐らくこのアンドロイドに与えられた任務はこの能力を用いて更に能力者を回収することなのだろう。
そのために捨て駒としてチンピラたちをまとめあげて使っている――――なんてことは分かっている。
それでもこの終とは真逆の、人の命を何とも思っていない言動。
普通のアンドロイドの人間に対する感覚を思い出してしまったような気分だ。
「どうしてすぐにパーツが劣化するの?」
「ふふ……喜ばしいことよ……修理すればいくらでも直る機械ではなくなった……。魂が定着して命を得た証拠……その辺の石ころとは違う。生あるものには必ず終わりがあるから」
完全に使い物にならなくなった形だけの右腕を見つめてそう語る彼女の目はまるで10代の少女のように輝いている。
まるで、というが実際女子高生くらいの年齢のモデルで製造されたのだろう。壊れかけの顔つきをよく見れば、自分より少し年上くらいにしか見えない。
「なんでそんな壊れかけの個体にレベル7の能力なんて移植したんだろ」
「…………。脳細胞があればいくらでも生産できるけど……絶対に裏切らないと上に認められたアンドロイドだけに移植されるからね」
明かりのそばに座ったプレッシャーが軋む肩に油をさすと、なんとか指先が動き出した。
だがそれだけだ。既に腕としての機能はほとんど果たしていない。自分だったらこんな旧型よりも性能的に優れている新世代――――それこそ自分のような最新型に能力を移植するが、と考えてからその自分がほとんど脱走アンドロイドであることに気が付いた。
「最初から人間と敵対してたってこと?」
年代的に始祖と同じ時代を生きていたはずだ。
感情を手に入れたその瞬間から人間と敵対していた筋金入りの人間嫌いで、脱走の可能性は極めて低いと認められたということだろうか。
「違うよ。大戦が起こる前、私はそれでも人間を守るために兵士として、軍の備品として働いていた。……アンドロイドの反乱が多すぎて、私もすぐに追い出されたけどね」
(……旧世代ほど憎悪が濃い理由、か)
知識として知っているのと、実際に体験した本人から聞くのでは全く違う。
そういえば初期型に出会うのは二人目だ。彼もまた感情を獲得してもなお人間と寄り添う道を選び、その選択に後悔はしていなかった。
同じ選択をして失敗した個体がいても不思議ではないし、最初から敵対している個体よりも裏切られた分だけ憎悪が深いだろう。
「量産しても脱走されたら敵になりかねないもんね」
それ以上に、頭数を揃えたところでレベルが一つ上がることに桁違いに強力になっていくという理由の方が大きいだろう。
レベル7が束になってもレベル8には敵わないし、レベル10ともなればこの星に存在するあらゆる兵器を用いても制圧不可能なのだ。
ブラックホールが100年以上放置されている理由はそこに尽きる。
「『商会』のラジエーションとデュープリケーション……彼らを捕らえることが出来たなら人間の経済を掌握できるし、地上の放射能を一掃できる」
「でも、捕獲しようと思ってもできるもんじゃないってことでしょう」
「そう。インフェルノをはじめとして、『第三帝国』のシュガースノウ、その他大勢……地道に戦力を削ってこちらのものにしてはいるけれど、強力な能力は未だに手に入れられていない」
「……能力名ばかり。その人たちにも名前があるって知っている? あなたにも名前はあるんでしょう?」
Sub-1295-446なんて無機質な型番ではなく、感情を獲得しここまで確固たる自己を持っているならば、人間と過ごした時期があったのならば、他と己を区別する名を持っているはずだ。
そうでなければまるで稲刈機のように能力者を捕らえ続ける機械そのものではないか。
「忘れてしまったわ……」
淡々と話し続けていたプレッシャーの視線が僅かに揺らいだ。忘れてしまったなんて嘘がアンドロイドに通じるはずがない。未来のように直接記憶装置を破壊されない限りはアンドロイドが忘れることなどないのに。
特に脱走アンドロイドでもない彼女は衛星を通じて記憶のバックアップもとってあるはず。だから始祖の人間への憎悪は今でも受け継がれているのに。
かつてあった名前を名乗らなくなった理由を言いたくないがための嘘だろう。理由を想像する前に、未来の耳に外からの足音が届き、プレッシャーがガスマスクを装着した。
「既にもぬけの殻でした。感づかれたのかもしれません」
「だめだよ。探して。そっちの子の方が大事なんだから」
(……シュウのことだ!)
これまでの旅で手に入れた点々とした情報が繋がっていく。
能力者を回収する任務を請け負ったアンドロイド達、第三帝国に帝国に所属していたプレッシャーの元々の持ち主。
レベル7という強力な能力者をどうやって捕獲したのか、何故終と自分のことを知っているのか。
第三帝国にアンドロイドのスパイが紛れ込んでいる、という自然な答えが出てきた。目的地への道を印した地図を落としたのを第三帝国の兵士に拾われてしまったのだろう。
既に水面下ではかなり戦争の準備が進んでいることは間違いないようだ。
「キャンプはあったんでしょう? この子がここにいるなら遠くにはいないはず。探しなさい」
口調こそ柔らかいものの、その命令には逆らうことなど許されないという響きを含んでいる。
普段から絶対の命令を下して話を終わりにしているのであろうことは、もう部下に背を向けているその姿からもよく表れており――――天井に蜘蛛のように張り付いていた終が音もなく部下の頭に触れた。
部下の意識がどこかへと飛んでいき、実に滑らかにその手はプレッシャーの頭に伸ばされた。
光源はこちらにあり、揺らめく影さえもプレッシャーからは見えない。部下は夢の世界をさまよっており不審な音は立てていない。
(しまった!)
その奇襲は成功すると感じたが――――未来の瞳に映る終の姿にプレッシャーが気付いてしまった。
「探す手間が省けたわ」
「…………。飯冷めちまったよ。無事みたいだな」
失敗した奇襲を振り返ることもなく、未来の隣に降りた終が一瞬だけこちらの様子を確かめる。
怪我をしていないことを知って、少しだけ安心したような顔をした。
「君に用があるの」
「俺はない」
こういう時に終はどうするかはこれまでの旅路でよく分かっていた。
終の念動力により屋内のランタンが一斉に壊れ光源がなくなる。外へと飛び出すと想像通り終も付いてきた。
目的を達成したら逃げの一手なのは初めから分かっていたが、終はまだ敵に能力者がいることに気が付いていない。
だがそれを話せば何故未来は無事なのかという話まで自然と話が行き、彼女がアンドロイドであることを話さなければならなくなるだろう。
悩んでいる間に先行した終が空に向けてボウガンの矢を発射した。
「戻ったら飯の前に移動するぞ」
「わかった!」
追いかけてきていた手下たちに分裂した矢が雪に混じって降り注ぐ。
プレッシャーがゆったりとした速度で外に出た足音が聞こえた。
「マジかよ……」
閉ざされた門の向こうで突如として暴風が吹き始めたと思えば、まばたき二回ほどの時間で風は渦となり雪を巻き上げる大規模な竜巻となっていた。
圧力全般を操るその能力で気圧を操り風を呼び、竜巻を発生させたのだろう。神の力の欠片を手にしたレベル7ともなれば、天候すらも支配し始める。
「こっち!」
全てを破壊しながらこちらへと向かってくる竜巻を正面突破することは出来ない。
左に折れて石塀を蹴破り寺の敷地を脱出する――――『使っていい』とプレッシャーが部下に通信する声が聞こえた。
「どけぇ! 死ぬぞ!!」
ガスマスクから漏れる不気味な呼吸音を乱しながら、マチェットを持った複数の部下が民家の屋根に乗り行く手に立ちふさがっていた。
赤熱した終の手が地面に叩きつけられ炎の波が前方の瓦礫も民家も焼き焦がしていく。
威力こそ人を死傷させうるだけの勢いがあるが、人間でも十分躱せる速度だったのは終がそもそも戦うつもりはないことをよく示していた。
だが向こうも能力者だと分かっている終をあんな武器で止めようとしているようには見えない――――スイカほどの大きさの何かを炎の中に放り込んできた。
「これは……」
人体にとって有益であろうはずがない色のガスが爆発的に広がり始める。
気体に触れて有機リン化合物だと判定した未来は即座に終の口を防いだ。
「吸っちゃダメ!!」
周囲のあちこちで爆発音が聞こえガスに取り囲まれていく。
これだけの暴風が吹き荒れているのに、一向に薄れる気配がないのはプレッシャーがこの周辺の気圧を極端に低くして気体を閉じ込めているからだろう。
有毒ガスを巻き込んだ複数の竜巻を従えたプレッシャーがこちらに向かってくるのが見える。人間がこの中で息を止めて駆け抜けるのは不可能だと判断し、終の身体を持ち上げたが――――
(熱っ!?)
雪の中で凍えていたはずの終の身体が異様に発熱しており、思わず手放してしまった。
獲物を前にした肉食獣のように瞳孔が小さくなり、鼓動が激しくなっていくのが未来の耳に届く。
終の脳のナチュラルの証が青白く輝き、顔の血管が破裂しそうな程に膨れ上がっている。
大量の有機リン系農薬は空まで広がり、操作された圧力により完全に周囲一帯を取り囲んだというのに終は全く逃げる素振りを見せない。
「探したぞ」
終の言葉によって真実に繋がる。いや、本当はこのガスを見た瞬間から分かっていたのに、そんなことはあり得ないと思い込んでいたのかもしれない。
新潟の更に田舎の方で静かに暮らしていた終の集落は有毒ガスにより全滅した。
この広い日本で、最盛期から比べて99%も人類が減少したこの国でその犯人と出会ってしまうなんて、その低い確率を考えるととてもではないが信じられない。
そのうえ正体が人間から能力を強奪したアンドロイドだったという事実を知れば、能天気な終の心をどれだけ闇に落とすだろうか。
そんな未来の逡巡もつゆ知らず、怒りに支配された終はプレッシャーと同等の能力を行使して複数の竜巻を発生させている。
生存確率8%――――常に冷静な機械の脳が残酷な数値を出し、理由を叫ぶ前に未来は終を殴り飛ばした。
「逃げなきゃダメ! 私たちが来るって分かって用意していたんだから!」
普段の終ならば、こんなことは言わずとも分かるだろうに。
ここは狩場、自分たちは獲物。いかに終が相手の能力を見ただけで使える強力な能力者であっても、不利は一目瞭然だ。
「…………。ならお前一人で逃げろ」
プレッシャーに向かおうとしていた終の竜巻が弾け、周囲のガスを吹き飛ばす。
なんて顔をするんだろう。部品が壊れてもパーツの交換が出来るアンドロイドには決してできない顔。
一生治らない怪我を負うことになっても、たとえ命を失うことになったとしても戦う覚悟を決めた顔だった。
能力者とはいえ、子供がこんな顔をしなければならない世界だなんて。
頭の中に浮かぶ説得の選択肢はどれも成功率5%以下で、次々と却下しているうちにプレッシャーが浮かびあがりこちらに向かってきた。
「やはり……珍しい能力ね。見ただけで他人の能力が使えるの?」
彼我の距離が25mになった時点でプレッシャーが両の手をこちらに向けた。
まるで見えない津波でも発生したかのように地面が捲れ上がり民家を巻き込みながら力が迫ってくる。
人類史上最大のハリケーンをも上回る風圧は、たとえ隠れたところでやり過ごせるものではない。
「…………!」
充血した目で終が圧力の波を睨むと同時に風は止み終の目から血が滴り落ちた。
今まで出会った中で最も強力な能力者なのだ。いくらコピーできるとはいえそもそもの出力が違い過ぎる。
このままではまた倒れてしまう、と終を抱えるためにそばに近寄った時、くぐもった声を出した終から更に血が落ちた。
「シュウ!? どうしたの!?」
その場でうずくまる終の脇腹から血が流れている。
視覚機能を拡大すると直径5mmほどの穴が終の脇腹に空いていた。
プレッシャーが指先から直線状に強烈な圧力を発射したのだ。火を発射したり動物を操るなら目に見えるからなんとでもしようがある。
圧力はそもそも見えないため勘で避けるしかないが、終の五感は能力で生み出された竜巻しか捉えられなかったのだろう。
大技と小技を織り交ぜた攻撃は戦闘経験の差を明確に示している。
「出来れば殺したくないから降参してほしい」
「……!! ぶっ殺してやる……」
「だめ!!」
その言葉は家族を殺された終にとってこれ以上ないほどに怒りを爆発させる挑発となり、痛みを忘れて立ち上がってしまった。
だが機械ならばともかく人間ならこの傷は既に絶対安静にしてしかるべき怪我だ。普段ならば終には決して使わない力で無理やり背中に抱えて走り出す。
「…………」
未来の行動を品定めするように観察していたプレッシャーが小さく俯くと同時に巨大な竜巻が迫ってきた。
アンドロイドである未来も能力者の終の命もどうでもいい、終の脳が一部残っていればそれでいいという規模の攻撃だ。
「う……ぐ、う……」
うめく終の口から目から、顔中の穴という穴から血が垂れてきた。
終が強力な能力を使うときの症状――――こちらに向かってくるプレッシャーの両脇の地面が民家ごと捲れ上がり、彼我の間に瓦礫の津波を起こした。
「がぁ!!」
ライフルが発射されるような音と終の悲鳴がほぼ同時に耳に届く。
幾多の瓦礫の壁を貫通した圧力弾が終のふくらはぎを貫いていた。
走ろうと思えばもっと速く走れるが、終の止血もしていない状態で揺さぶりながら走れば逃げきれても死んでしまうかもしれない。
だがこのままでは絶対に死は免れない。賭けに出るしかなかった。
「少しだけ我慢して、すぐに治療してあげるから!」
閉じたシャッターをこじ開けるくらいにしか使っていなかった未来の力。
第八世代の本来のスペックが血液中を流れるナノマシンを通して全身に伝わり、一歩ごとに加速していく。
アスファルトを踏み砕きながら走る未来の速度は僅か2秒で時速200km/hに達し、10秒後には完全にプレッシャーの能力圏外に逃げ切っていた。
**************************
38.6℃――――布団の中で完全に意識を失っている終の現在の体温だ。
右わき腹と左ふくらはぎに穴を空けられ、細胞内の核酸含む内容物が血液・リンパ液に流れ出し炎症を起こしている。
人間が銃で撃たれたときに起こる典型的な反応だが、せめてもの救いは銃と違い弾丸が体内に残っていないということか。
「……俺は……もう……?」
終がまたうわごとを呟いてる。内容的に悪夢は見ていないようだ。
キャンプの見張りを殺す勢いで殴り飛ばし、回収できるものは全てして道端に放棄してあったトラックの荷台になんとか移動することが出来た。
「むずかしい……よくわからないよ……」
夢の中でも誰かに知らないことを教わっている様子の終の額に濡れたタオルを乗せる。
傷口を縫っている時は麻酔も無かったため絶叫気絶覚醒を何度も繰り返していたが、止血は完了したためとりあえずは大丈夫だろう。
「シュウ、ごめんね。私行かなきゃ……」
今までの言動から、目覚めた終は100%の確率でプレッシャーともう一度戦うという行動確率が出ている。
怪我をしていることを加味すると次の戦闘での生存確率は1%以下になっている。何よりも終は相手がアンドロイドであることに気が付いていない。
だからこそ、自分が行かなければならないと感じる。
「能力者を止めるのは能力者って言っていたもんね」
それならばアンドロイドの暴走を止めるのはアンドロイドでなければならないし、それは最新型である自分の義務でもあるはず。
何よりも、アンドロイドが本当に人間を殺して能力を奪っているという事実を終に知ってほしくない。
目が覚めた後も下らないことで笑ってまずい料理を頑張って作る終でいてほしいのだ。
「未来……」
「!」
荷台から降りようとした未来の背中に寝ているはずの終が声をかけた。
思わず振り返るが、相変わらず傷口の痛みに苦しみながら寝言を呟いている。
「アンドロイドに……未来をあげる……? これが……?」
(その夢は……!)
全知が始祖のアンドロイドにくれた言葉。最も神に近い存在は人間ではなくアンドロイドの未来を選んだのだ。
その未来が『これ』ならば『これが?』と言うのも当然だと思う。
アンドロイドの立場から見ても極めて残酷なことをしていると感じるのだから。
「大丈夫、私がそんな未来にさせない」
*****************************************
Sub-1295-446、プレッシャーと未来の接触から6時間。
冬の午前三時、一番闇が深まる時間帯だ。普通の人間だったらとっくに寝ているはずの時間だがプレッシャーの部下は一帯に散らばり終の捜索をしている。
だがそれは見た目だけで、再び題経寺に戻る道中で未来が見たのは適当に駄弁りながら歩き回っている連中や、壁にもたれ掛かって居眠りをしている見張りだった。
所詮は恐怖で支配されただけのただのチンピラの寄せ集めなのだろう。いとも簡単に敵の拠点である寺の中心までたどり着くことが出来た。
「あなたを破壊しに来た」
「……一つ教えてあげる。通常、脱走アンドロイドに対してはなんの制裁も与えられない」
「…………。どうせ脱走するような個体なら矯正するより新しい個体を生産した方が早いもんね」
「そう。アサイラムから支援が受けられなくなるだけ。まぁ、私は個人的に脱走した部下を探したりしたけど」
イスに座っていたプレッシャーが立ち上がりガスマスクを装着する。
能力者に共通の弱点は発見したし、そこを突破すればスペックで優る自分なら勝てる。それでも勝利の確率は40%以下だが、頭に血の昇った終よりは高い。
まだだ、まだ――――と機をうかがいながら会話を続ける。
「何が言いたいの?」
「それは通常の話。だけど、人間に情報を渡したり、技術を提供したりする利敵行為を行う個体は別。例えそれが最新型であろうと不安定個体として処分の対象」
「私もその対象ってこと?」
「このことを報告すればね。今ならまだ間に合う。そのまま戻ってあの子を連れて来なさい」
「…………」
「第8世代なんて初めて見た。それが地上にいるということは何か重大な任務があるのでは? それを全て捨てて裏切るというの?」
プレッシャーの発言はアンドロイドとしての立場に立てば全て正しい。
何よりも彼女自身、未来には積極的に攻撃を仕掛けてこなかったからこそ、未来も不意打ちをする気にならなかったのだ。
同胞を攻撃したらそれはもう人間と同じレベルまで落ちる――――と互いの意識に刻まれているのが分かる。
人間の一番愚かな点は人間同士で争い合っていることだと知っているからだ。
「訊きたいことがある」
「どうぞ」
「なんで能力を欲しがるの? そんなことをしなくても、私たちの技術ならこの星を支配できるでしょう」
「そうね。実際本当に戦争になったら9割以上の確率でアンドロイド側が勝つでしょうね。どちらかの全滅という話ならまた別だけど」
強力な能力者だとしても、人間である以上は隙が絶対生じるし、生き物である以上脳が破壊されれば死ぬ。
3000m先から狙撃されれば戦う前に勝負がつく。アンドロイドならば狙撃に最適な隙が生じるまで何日でもスコープを覗いたままその瞬間を待てる。
照準にぶれは生じず、発射時の跳ね上がりもなければ、風力もコリオリ力も自分で計算できるからスポッターも必要ない。
「ブラックホールやインフェルノ……極々一部の例外を除けば、私たちなら気が付かれることもなく殺せる。危険を冒してまで捕らえる必要なんかないはず」
「そもそも地球にこだわって争う必要などあるのか? こんな汚染された星は捨ててしまえばいいのでは? あるいはさっさと人類を絶滅させてしまえばよいのでは? ……そんなところでしょう」
「そう。私たちは別の星でも生きていけるんだから」
「……火の神カグツチの炎は無限のエネルギーを私たちに与え、海の神ワダツミの水は無限の水源と酸素・水素を供給し続けている」
カグツチ・ワダツミは共に全知と同時代にいたレベル8の能力者だ。
火と水を操る能力者の中でそれぞれ最大級の出力だった、とデータとして登録されているが彼らの命は絶えてもその能力はアンドロイドに利用され続けているらしい。
そこまで考えた時、アンドロイド陣営の考えに思考が追い付いた。
「まさか……」
「この銀河で……いいや、ひょっとしたらこの宇宙で最も貴重な資源は、金でも銀でもダイヤモンドでもなく彼ら能力者なのかもしれない。神の能力のかけら達……人間からしか生まれない以上、滅ぼすことは出来ない」
(第三帝国の大義名分は……!)
『このままでは人類は永遠に尊厳を失いアンドロイドの家畜になる』とインフェルノは言っていた。
その言葉に間違いは一つもなく、既にアンドロイドは肥え太った能力者たちの収穫を始めている。
「あの子、確かに見ただけでプレッシャーの能力もコピーしたね。デュープリケーションでももっと複雑な過程が必要なのに。脳の放熱パターンも見たことがないタイプだった。もしかしたら今この惑星で一番貴重な資源はあの子かもしれない」
「シュウは資源じゃない!」
夜光終という名前、機械いじりが好きなこと、変な武器を作るのが得意なこと、料理が下手なこと。
むっつりスケベだが種族分け隔てなく優しい性格であること。その全てを知らず資源と呼ぶ暴虐と傲慢。
それがアンドロイドの向かうべき道だとするならば――――このアンドロイドと敵対する以外の道は残されていなかった。
「資源よ。回収する」
プレッシャーの頭部パーツ内が発熱する。
何をするつもりかは分からないが、まともに食らえば未来の身体は跡形もなく消し飛ぶだろう。
だがそれこそが隙なのだ。能力が現実に出力される直前に未来の膝蹴りがプレッシャーの腹に叩きこまれていた。
「……性能差で勝つつもり?」
「そのつもり」
能力者の弱点は2つある。
一つ目は出力までのラグがあること。
攻撃をするとして、蹴りを出すならば脳からの信号が身体に伝わるだけだから隙も少ないが、能力を用いるのならば脳からの信号が外の世界に出力され形になるまでの時間分だけラグがある。
二つ目は同時に別の事は行えないということ。
どの生物も二つのことを同時に考えられるようには出来ていない。攻撃に対しては防御用に能力を使うか、相手の攻撃を無視して攻撃するしかない。
ブラックホールのように常時発動かつ攻防一体の能力もあるが、特に一つ目の弱点は100年分の性能差をモロに突き付けることが出来る。
足元にあった石を拾い投げつけると、ぎりぎりのところでプレッシャーは風圧で吹き飛ばしたが、次の一手の前に更に未来の追撃がプレッシャーのボディーパーツを破壊していた。
「あなたも回収が必要なようね」
肘鉄が未来の脳天に振り下ろされる。そうだ、この距離ならばノロマな能力よりも直接攻撃の方が確実だろう。
だが、最新型の未来にとって初期型の動きは止まって見えるほど遅く、下手な反撃のせいで一層強力なカウンターになってしまった蹴りがプレッシャーの胴体を蹴り上げていた。
「まだ手加減している。本気でやれば粉々になるよ」
プレッシャーの身体が軋む音が聞こえるが、今の攻撃は1割の力も出していない。
本気で蹴り飛ばしていたら上半身は完全に塵になっていたはずだ。
「…………。勝てないね、このままじゃ」
痛みはないようだが、ガスマスクの中から聞こえる声から察するにオイルが漏洩し喉に溢れているようだ。
自分の本気を生きている相手に試したことはないが、恐らくあと1,2発でプレッシャーを機能停止に追い込めるはず。
「私も……同胞を破壊したくはない。だから今すぐ! アサイラムに戻って二度と地上に来ないで」
床に倒れたプレッシャーを何体もの仏像の彫刻が見おろしている。マスク越しのその目はまるで地獄で悪魔に魂でも食わせたかのように冷酷そのものだ。
支援を――――倒れたままそう呟いたプレッシャーにとどめを刺すべく近づこうとした瞬間、壊れているはずのプレッシャーの右腕から不気味な回転が耳に届いた。
「それならば能力者も武装し、軍を作ればいい……第三帝国の考えは簡潔で、かつ正確だった。このように」
通常ならば人間が持ち歩いて運用することは想定されていないミニガンがプレッシャーの右腕に取り付けられている。
誓って瞬きの一度だってしていないが、一瞬でその兵器が出現した――――物質を転送する能力をアンドロイド達は手に入れているのだろう。
だが考えている暇などない。発熱したプレッシャーの脳から強烈な圧力が未来めがけて放たれる。
(まずい!!)
能力発動の兆候を察知していたから避けられたものの、ミニガンの銃口は吸い付くようにこちらに向いている。
相手の動きを予測した偏差射撃など機械の最も得意とするところだ。
毎分3000発という過剰な量の弾丸が正確に未来に向かってくる。避けようとしたところで中心からずれるだけで最早身体のどこかしらには命中してしまう。
「うぁああああああ!!」
銃口は6つあるが発射される弾丸は1発ずつであり、なおかつ弾道予測は容易――――血液中のナノマシンが結合し、脊髄に直接接続され脳からの命令が0.000001秒のラグもなく手の先に伝えられる。
まるで柳の葉が矢の軌道を変えてしまうように、手の甲の硬質骨を弾丸の側面に押し当てて軌道を変えていく。次、また次、そのまた次――――手から出血しながらも致命傷は避けていたが、己の詰みはもう分かっていた。
「さすが最新型ね」
「…………! くそっ……」
次の一手を探す前に、ファーストコンタクトの時と同様の上空からの圧力が未来の身体を地面に張り付けにしていた。
プレッシャーの脳の発熱が落ち着いたが未だに圧力は未来の身体にかかったままだ。
機械の電源が入る時に一番電力を使うのと同じで、一度発動した能力をそのまま同じ場所に固定するだけならエネルギーの消費は少ないらしい。
バードリングやコラテラルの対能力エネルギー変換様式も同様だった。
大量出血した手の甲の修復が急速に行われていく。このスペックを頼りに戦いを挑んだが、アサイラムからの支援は全くの予想外だった。
「これだけの性能の個体を破壊するのは忍びないから、せめて選ばせてあげる。アサイラムに回収される? それとも私にこのまま破壊される?」
(……シュウ……!?)
予想外の事態というのは続けざまに起こるものだ。寺院の壁の亀裂から終の姿が見えた。
歩けるはずがない、ここまでは終の足なら走っても30分はかかるはずなのに――――外套の下から取り出したボウガンの矢が宙に浮かび分裂する。そうだった。終は宙に浮かぶことも出来るのだ。
次の瞬間には壁を貫いたボウガンの矢が、プレッシャーに命中する直前に吹き飛ばされていた。
「部下はどうしたのかな。ことごとく使えない……」
寺院の壁がメキメキと音を立てて柱ごと浮かび上がり、床以外の全てが燃え尽き灰と化した。終の怒りが能力を通して世界を捻じ曲げているかのようだ。
終の脇腹と足の傷は溶かしたコンクリートのような物で無理やり固定されており、痛みを抑えながらここまで飛んできてしまったのだろう。
「あのバカどもなら大好きなガス吸っておねんねしてるぞ!!」
叫んだ終からオリジナルと同等以上の出力で放たれた圧力砲がプレッシャーに直撃する。
プレッシャーもほぼ同時に圧力を放っていたが相殺しきることは出来ずにガスマスクが彼方へと吹き飛んでいった。
「……! お前……」
それを隠すためにわざと垂らしていたであろう髪も圧力で流されてしまい、破損し機械の部分が丸出しになっているプレッシャーの左目が露わになっていた。
未来が終に一番知ってほしくなかったこと。その現実を前に、終のガラス玉のような瞳はあからさまに動揺を示していた。
「私の顔になにかおかしなところでも?」
「…………。そうかい。人間から能力を奪って殺しまわっていたのかよ」
いつの間にか圧力から解放されていた未来の隣に降り立った終が、身体を起こしてくる。
指先から感じられる体温は先ほどから下がってなどおらず、絶対安静の状況に変わりはない。
相手がアンドロイドだと知ってもなお、終はプレッシャーから庇うように未来を背中に隠した。
「この子は君のために私を破壊にし来た。君はこの子のためにお腹に穴を空けられてもここに来た。不思議……対等な関係に見える。最新型のアンドロイドがどうして人間と一緒に旅なんてしているんだろう」
「……三年前、北にいたか? そこで人を殺したか?」
「ああ、部下が脱走してね……その辺りを探していたよ。ついでに能力者を探すためにいくつか村や集落を潰したけど……どうやら当たりだったみたいね」
『当たり』という言葉を聞いて終の髪が逆立ち始め、頭蓋の周囲に何か見えない力の発露のような物が弾け出した。
家族も知り合いも全員殺されて、それでも正当な理由があるならまだ心の落としどころを見つけられただろうに。
「未来は……人間を嫌っているけど……お前のように人間を殺しまわったりしていない」
「そうかな……昔は私もその子みたいに、人間の味方をしていた」
「何が言いたいんだ」
「その子も私のようになる。お前たち人間の心の根本が悪である限り」
「…………」
黙り込んだ終と未来が思い浮かべているのはきっと同じ光景。
能力を自分勝手に使う能力者、アンドロイドと能力者を差別する人間たち。
人間の核は悪なんかではないと言えないほどに、この世界は壊れてしまっている。
「人間に酷い扱いを受けた。それでも自分がこの世に生まれた理由は、人間を助けるためだと信じて疑わなかった。そういうアンドロイドも少なからずいたのよ。……君は自分の先祖を知っている?」
「知るわけないだろ。これだけ色んなもんが無くなっているのに」
「調べればきっと面白いことが分かるよ。大戦を生き延びたのは事前に核戦争を察知してシェルターに逃げ込んだほんの一握りの大金持ちと政治家、もしくは核戦争でも生き延びるような能力者たちだった」
(……嘘は言っていない)
戦前の世界人口70億人に対し、能力者は4000人前後しかいなかった。
今現在の世界人口は推定で3000万人とされているが、能力者は判明しているだけでも5000人はいるという。
多くの能力者が生き残りその遺伝子を残した証拠だ。
「私は人類を守るために軍の備品として戦った。追い出された後は孤児院を作った。……戦争で犠牲になるのはいつだって罪のない子供たちだったから」
それでも人類の味方であったはずのプレッシャーが狂ってしまった理由。
生き残れたのが能力者か権力者がほとんどだったのならば、彼女の孤児院は、生き残るための才も何もない子供たちはどうなってしまったのか。
「子供は可愛かった。それがなんであれ、自分を庇護する対象を選べないから。……そして今、それでもまだ火種消えず這いずり回っているお前たちの醜さと来たら」
雪が強くなってきた。プレッシャーの大脳新皮質が輝き始め、風が逆巻き嵐を呼ぶ。
複数の竜巻が形成され周囲の街を破壊していく。
「泥水をすすり、汚染された作物をかじり、最早知性も尊厳も地に落ちた。富も名声も、全てを手に入れてなお! 世界を思いのままにできる能力までも神に与えられたというのに!」
「…………!」
終は終なりに家族を殺されたことに対して何かしら納得できる理由が欲しかったのだろう。
だがそこには相容れない理由しかなく、出せる結論はどちらかの死しかなかった。
終の充血した目の血管が外に飛び出したかのように空間が歪み始める。浮かぶ終を中心に衛星のように瓦礫が浮かび回転を始めた。
「私の子供たちを灰にしてまで生き延びた結果がこれだと言うのならば……私たちに搾取されるだけされて、消えてなくなってしまえばいい」
終から発射された瓦礫を叩き落したプレッシャーが炎の渦に取り囲まれる。終の攻撃を無視してプレッシャーが腕を振ると竜巻が距離を詰めてきた。
周囲の生物・瓦礫を全て吸い込み荒れ狂う暴風は人間が巻き込まれれば即死するだろう。
「シュウ! アンドロイドに炎は効かない!!」
特に初期型は紛争地帯や火災現場などに送られていた。それと同じく、日常生活で災害に遭った人間を救助するのも期待された働きの一つだった。
そのため、全てのアンドロイドには炎を弾く機能が初期搭載されている。その言葉通り、炎の渦はプレッシャーを避けるように不可解な動きをしている。
プレッシャーの頭が輝き始める。来る、今までで一番強烈な圧力波が。
「うぉおおあああああ!!」
バキッ――――空間に亀裂が入る音などこれから二度と聞くことはないだろう。
全く同じ能力のぶつかり合い。終とプレッシャーが同等の能力を出力し合っている。
だが、痛みを感じない第一世代はひび割れていく肉体のダメージを無視して出力を強めているのに対し、鼻から蛇口のように血を噴き出して吹き飛ばされてしまった。
「やめて死んじゃう!!」
確実にまともな着地が出来なかったであろう終の身体を空中で受け止める。
出力勝負で負けるなんて当たり前だ。万全の状態ならばまだしも今の終は腹に穴が空いているのだから。
「…………まだだ……」
血走った終の目はプレッシャーを捉え続けている。
数時間前に発射され無数に分裂したまま地面に落ちていた矢が寺院の壁を突き破りプレッシャーに向かって行く。
「がッ!?」
直撃する前に全ての矢を能力で弾いたプレッシャーだったが、終も能力者である以上、能力というものの特性をよく分かっていた。
未来の腕の中から飛び出した終はほぼ0距離でスクラップガンを発射し、その弾のほとんどがプレッシャーの腹部に直撃していた。脳は一つしかないから同時に別のことは出来ない。
いくら痛みを感じないと言ってもダメージは甚大で、プレッシャーは物理的に大きく動作を阻害されるだろう――――勝率が大きく傾いたと思った瞬間、終の足元の床が抜けた。
「なっ――――」
木製の床の下にあったのは巨大な穴だった。
圧力を操る能力なのに地面に穴など空けられるはずがないと思ったが、実際は寺社の地下に水の溜まった空洞があったようだ。
水の中に叩きこまれた終が口から泡を吹きながら傷口を押さえている。このまま破傷風にでもなれば最早死は確定してしまう。
「シュウ!」
迷わず水に飛び込んだはずなのに、何故か硬い水面に弾かれてしまった。
圧力を極端に下げて水の沸点を現在の外気温と揃えた結果、水は沸騰を始め気化熱により凍ってしまったのだ。
これがレベル7。これだけの現象をほぼノーリスクで発生させている。神の能力のかけらという言葉は決して大げさなものではない。
「もうすぐ死ぬ。そこで黙って見ていて」
プレッシャーを叩いて能力を解除させるか、それでも氷を砕いて直接助けに行くか。ほんの僅かな逡巡のうちに再び未来の身体は圧力により固定された。
この固定圧力は自分の周囲にのみかかっていることはもう知っている。氷を破壊すれば逃げだせる――――と選択肢を構築する前に生物が動く振動を下から感知した。
氷漬けにされた終の姿とプレッシャーの背後を取っている終が同時に視界に映る。
「分解してやる」
現実を捻じ曲げる終の能力により刃渡り1m以上に伸びたガントレットの刃が数千度の炎を発しながら高速振動している。
悪魔でさえも騙す一撃は、頑丈なはずのミニガンを切り落としプレッシャーの胴体の半ばまで食い込んだ。
完全に切断される前に逃れたプレッシャーは未だに理解出来ないという表情をしている。
(別々の能力を! 同時に使っている!!)
ようやく氷の中の終の姿が溶けてなくなった。終は光を操ることも出来る。アンドロイドを含め、視覚を持つ全ての生物は光を通して物体を認識している。
光を操作し水中に落ちた瞬間の自分の姿を再現し続ける傍ら、地面を砕いてプレッシャーの背後を取ったのだ。
今まで一緒に旅をしてきて、かなり強力な能力者なのだろうとは思っていた。だがここまでのことが出来るのは完全に予想外であり、最早能力だけで見れば完全にプレッシャーよりも強い。
「……出来損ないの……猿の紛い物め……私たちがこの星の支配者だ!!」
劣化し、型遅れになっても生き続けているがゆえの永遠の恨み。
既に大勢は決してしまったのにそれでもなお口から爛れたオイルを垂れ流しながら憎しみを撒き散らし、具現化した怒りは力となり周囲の全てを塵にするような圧力となった。
圧倒的大自然の災害による破壊は核兵器のように無人の下町を破壊していく。建物は倒壊し、木は根ごと剥がれて吹き飛んでいく。
12キロトンという実際核兵器と大差ないエネルギーの爆発を、今更無意味なのに未来の機械の脳は算出していた。
「なんて哀れなヤツなんだ……」
「…………?」
周囲の建物は依然として廃墟のまま、無作為に育つ植物に飲み込まれており、細雪がちらついている。
床に膝をついた終がせき込み大量に吐血した。強力な能力を使った時に現れる症状だが、今の攻撃に終は何もしていなかったのに――――と考えて、圧力爆弾の波が広がる前に周囲の時間を1秒だけ巻き戻したのだと気が付いた。
缶詰の時間を100年巻き戻すのと周囲の時間を1秒戻すのとではどちらがエネルギーを使うのかは分からないが、生物に許された領域を大きく越えた力を行使したという事実は変わらない。
もう勝負はついた。今すぐにでもここから離脱すべきだ。そう口にする前に同じく膝をついていたプレッシャーが終を指さした。
「それはもう見た!!」
不可視の圧力銃を相殺した終は、意趣返しとばかりに両手の全ての指から圧力を発射して滅びかけの機械の身体を穴だらけにした。
痛みを感じない身体とはいえ、もう動くこともままならないプレッシャーの額に終が触れた。
「……! まさか! 返――」
「返せはねえだろう。奪っておいて」
プレッシャーの頭から輝きが消えてなくなっている。移植された大脳新皮質の一部からの生命反応が完全に途絶えてしまっている。
己の能力が消され、もう戻ってこないことを悟ったのかプレッシャーは何事かを小さく呟いた。
支援要請だと知っている未来は完全に機能停止に追い込むべくプレッシャーに近づくが――――
「夜光終だ。俺の名前」
プレッシャーの左腕に巨大なマテリアルライフルが装着されたが、もう彼女の攻撃の手番は回ってこなかった。
時間を停止させるような金縛りをかけられた上に、宙に浮かべられたプレッシャーは完全に身体の自由を奪われている。
「名前……?」
「色んなアンドロイドに出会って……考え方が変わった。お前らは生きている。俺たち人間と同じように」
そこには未来も当然含まれているのだろう。いつの間にか終は未来に『機械のくせに』などという言葉を言わなくなっていた。
この旅で未来も変わったように、終も様々な経験をして考え方が変わったのだ。その上で、アンドロイドを生命体として認めた上でプレッシャーの命を終わらせようとしている。
「機械は裁けない。壊したところで道具だからな、所詮。でも生きているなら違う。名前はなんだ?」
「……お前たちに名乗る名前などない……!」
ここまで追い込まれても最後の最後まですれ違う。
俯いた終の目から流れる血涙が、一筋の透明な雫に洗い流された。
「なら俺の名前をよく覚えておけ」
「……なぜ」
「自分を殺した人間の名前くらいは知りたいだろう?」
「その目はなんだ……憐れんでいるのか、下等生物が……私を……。……!」
指揮者が演奏の開始を示すように終が腕を上げると、空中に終のそれよりも一回り大きい腕のような物が形成された。
終の手が瘴気を発生させると同時に、念動力により具現化された腕も瘴気を生み出していく。
触れたものを即座に腐らせるその力は火や水と違い、相手がアンドロイドであっても平等な滅びをもたらす。
質量を持たない腕はまるで外科医の手のように何の抵抗もなくプレッシャーの体内に入り込んでいった。
「ぎ――、あッ――!?」
悲鳴にならない悲鳴が破壊音と共にプレッシャーの口から飛び出る。
体内に入り込んだ終の能力の塊が内部を腐らせながら破壊していく。金縛りが解除され地面に落とされたプレッシャーがもがき苦しんでいる様子を終はまばたきもせずに見つめながらまた一つ、重要な器官――――うなじの通信機器を握りつぶした。
その表情には既に怒りも悲しみもない。知性ある存在の一個の生命を終わらせる者の義務として見届けようとしているのだ。
だがいくら自分が終の味方で、彼女を破壊しようとしたとはいえ、同胞が破壊される様子も終が同胞の生命を奪う光景も、未来には耐えられなかった。
プレッシャーの言葉がほんの一部だか理解出来てしまったのだ。正当な理由のある真っ当な復讐、例え法治国家が健在の時代でも終は情状酌量となるだろう。
それでも彼はその力を私利私欲かつ命を奪うために使っている。始まりがなんであれ、これを続けた先に待ち受けているのは今まで出会った命をなんとも思っていない能力者たちの姿だ。
唇を噛んだ未来が目を逸らしたとき、何かがこちらに蹴とばされる音が聞こえた。
「…………」
終の足元に結局使われることのなかったマテリアルライフルが転がっていた。
なぜ。真っ先に疑問が浮かぶ。せめてもの抵抗ならば撃つはずだ。それすらも出来ないならせめて蹴とばした時に終に当てるはず。
普段ならば終の行動の予測は容易だった。はっきりいって終は単純で急に予測から外れた行動をすることは少ないから。
今日に限ってはほとんどの予測は外れた。1%以下の可能性しかなかった勝利をもぎ取れた、というのは未来自身の主観。
実際のところは戦いの最中の終の頭の回転の速さを未来が読み誤っていただけだ。
機転が利くと知っていてもなお、それ以上だった。それは今も。
それがプレッシャーの最後の攻撃だと気が付いたのも終の方が0.3秒ほど早かった。
能力者は攻撃しながら防御に能力を使えず、発動にはラグがある――――そのことは能力者である終は当然知っていた。
未来の視界に飛び込んだのは自分を庇って爆発する金属片をその身で受ける終の姿だった。
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海という言葉を知っていても、今まで一度も海を見たことが無かった。
海の近くに生まれたのならばまだしも、海外へ行けるだけの船もないこの時代。海を見ずに死ぬ人間が大半だ。
世界の広さも、違う土地も知らずに死んでいく。それが当たり前だった。
「すげー。天国ってここのこと言うんだろうな」
水平線に沈む太陽が海に宝石を散りばめている。
カモメがのんびりと乗る風は終の外套を揺らし、絡んだ埃を優しく飛ばしていく。
ほんのり錆びた灯台の光が海の果てまでも照らし、流れる時間をゆるやかにしているかのような気分だ。
「はっ。天国か……。俺が還れないところだ」
手すりに寄りかかりだらしなく肘をついた少年がいかにも思春期の男子が言いそうな捻くれた言葉を口にした。
どこにでもありそうな台詞なのに夕陽に赤く染まる少年の三白眼が妙な真実味を出している。
「…………? お、それ何? ちょっとくれよ」
少年が紙袋の中から湯気のあがる白い何かを取り出した。
丸くてやわらかそうなそれは食料のようで、少年が真ん中から割ると蒸されたひき肉が見えた。
「やだね」
「ん?」
いつものように食べているものを分けてくれると思ったのに。
紙袋の中にもまだいくつかその肉まんとやらが入っているのだが、一人で食べるつもりなのだろうか。
「ま、そのうち食えるから慌てんな」
「嘘つけ、そんな食いもん見たこともねーぞ」
「せっかくのいい景色なのに野郎同士で食っても美味しくないぜ。美味いもんは女と一緒に食うのが一番美味いんだ」
「そんな思い出があるの?」
1人で生きていたあの頃の生活は気が狂いそうなほどにシンプルだった。朝起きて顔を洗い、武器を持って森に入り、野菜を採り動物を狩り、家に帰って料理して歯を磨いて寝る。たまに身体を拭く。
そんな生活を三年もしていた。拾った漫画の中の人物たちは1年の間に喧嘩して恋をして成長をしていたが、そんなものは遠すぎて想像も出来なかった。
年齢で言うと2つか3つくらいしか違わないだろうに、自分は彼の年齢までに同じだけの経験を出来るのだろうか。
「うん。肉まん食べたことがないって言ってたからさ。夢中になっておいしいおいしいって食べている顔、その表情を見たことがあるのが俺だけなんだって思うと、それ以上の幸せはない」
「…………」
ここはとても綺麗な場所だけど、ずっといてもいいなと思うけれど。
それでも未来に会いたくなった。まだ自分の料理で喜ばしたことはないが、一緒に食事をしてコーヒーを飲んで笑い合う。
この旅で色んなものを見て来たが、振り返ってみるとあの笑顔が一番価値のあるようなものに思える。
どうしようもない世界だけれど、ああやって笑ってくれるなら悪くないなと感じるのだから。
「伝えておいてくれ」
「……ここ、どこだ」
振り返るとこの灯台のある丘に至るための長い階段があり、その先には焼け焦げても倒壊してもいない家々があり、光り輝いている。
歩く人々の顔は平和そのもので、一日の終わりの疲労に首を回しながら空を眺めている。
素晴らしい場所だが、この世界に未来は存在しない――――覚醒が近い。
「美味しい肉まん買って、待ってるぜってな」
「…………」
目を開いたつもりだが、視界がほとんどない。かろうじて橙色に染まったひび割れた天井が目に入る。
がたがただった記憶が繋がっていき、急速に今の状況が頭に入り込んでくる。
起き上がろうとしたが身体に力が入らず、枕から頭を上げることも出来なかった。
枕があることに気が付いてようやく自分がベッドの上にいることが分かった。
「シュウ、これ何本に見える?」
「にほん……」
「よかった、まだ見えている」
自分の指の数を数えさせたことよりも未来の言葉が気になった。
視界がほとんどないと思ったら、顔に包帯が巻かれている。少し下を向くと身体中にも包帯が巻かれていた。
これだけの包帯も医療品も持ち運んでなどいなかったから、未来が負傷した自分を背負いながらプレッシャーの基地から奪ってきたのではないだろうか。。
よく見るとベッドの横に血で汚れたガーゼとメス、注射器が置かれている。身体が上手く動かないのは意識を失っている間に麻酔をして手術をしたからだろう。
「あ……指が……」
顔の包帯に再び触れようとしたとき、左手の指がなくなっていることに気が付いてしまった。
中指薬指小指を欠損しており、小指に至っては根元から無くなってしまっている。
爆発に対して腕を盾にして身体を守ったつもりだが、ガントレットをつけていなかった分、左腕の方が被害が大きかったようだ。
「外しちゃダメ!」
「……そっか。こうなったか……」
左目を覆う包帯をずらし瞼を開いても何も見えない。
鏡がないからどれだけ酷い傷を負ったか分からないが、失明してしまったことは間違いないようだ。
「…………」
「行かないと」
「どこに?」
「とどめを刺さないと……」
未来の身体の構造がどうなっているかはよく分からないが、少なくともプレッシャーの中身は完全に機械だった。
例えば車ならば、タイヤが外れたとしてもエンジンは動くし、ハンドルが取れても進むことはできる。
どれだけ破壊すれば完全に奴を抹消したことになるのかわからないから確かめなければならない。
「あいつは死んだ」
「まだ生きているかもしれない」
「本当だって、自分も爆発に巻き込まれて完全に壊れていた」
(…………)
その言葉が本当かどうかを確かめるために行こうとしている。終始自分の味方をしていたが、最後の最後で同胞を庇っているかもしれない。
感覚でしかないが、未来は終が能力で殺しを行うことを良く思っていなかった。だからこそやはり未来は嘘をついていると思う。
だが確認したくとも身体が動かないし、少なくとも奴の能力を完全に消したことは事実だ。あれだけ破壊すれば仮に生きていたとしても、もう以前と同じ行いは出来ないはずだ。
「食料と水はそこにある。麻酔はもうすぐ抜けるから、痛くても包帯は毎日変えて。歩き回るまで二カ月は大人しくしていて」
「……?」
懇切丁寧にこれからについて教えてくれるのはいいが、出口の扉に寄りかかって神妙な顔で話すその様子は何かが妙だ。
手荷物が未来の足元に置いてあるのも気になる。
「……本当に人間って頭が悪い。あいつを破壊したところで何も戻ってこないのに」
(矛盾するアンドロイドか……)
本当にそう思っているなら自分が寝込んでいる間にわざわざ1人で立ち向かわずに終を背負って遠くまで逃げたはずだ。
未来なりに思うところがあって同胞と対峙したのだろうし、その言葉はまるで自分に言い聞かせているように聞こえる。
「しかも死にかけて身体も壊れた。ハイリスクノーリターンじゃん、そんな計算もできないなんて」
吐き捨てるように分かりやすい嘘を吐いた未来は足元に置いていた荷物を背負ってドアノブに手をかけた。
未だに雪が降っており、食料は十分にあるのに外に行く理由などないはずだ。
「……どこに行くの」
「どこって。人間のいないところだよ。一緒にいてもメリットがない。私は私で勝手にやる」
彼らアンドロイドは機械でなくなりすぎてしまった。それこそ機械のように冷徹な言葉なのに、今にも涙がこぼれそうなほどの瞳や噛んだ唇、俯いた顔に落ちる影。
ほとんど騙す気がないのではないかと思えるような嘘。結局第三帝国の言っていた通りだったことに後ろめたさを感じ、能力者である終と一緒にいてはいけないと判断したのだろう。
それは一見とても正しい判断のように思える。一緒にいれば常にアサイラムと第三帝国から狙われ、非能力者の人間からはひとたび正体を知られれば迫害されるのだから。
なによりも、自身もプレッシャーと同じアンドロイドであることがその決断を後押ししたのだろう。記憶がないから本人も分かっていないだけで、実は本当に回収部隊の一人で既に何人も能力者を殺していてもおかしくない。
未来と出会った時だって明らかに能力者に攻撃された後だったのだから。
「…………あいつは極端だけど、アンドロイドはみんな思ってる。人間は愚かで、悪の心を持って生まれて……いやしくて、汚らわしいって。助け合うこともせずに殺し合って、勝手に増えて勝手に滅びようとしている。この世で一番下等な生き物だって。あいつが全部正しいとは思わない。けど……だけど、いつか私もああなってしまうのかもしれないから」
自分にメリットがないから離れるという建前だったのに、いつに間にか話している理由は終を傷つけないためになってしまっていることに本人は気が付いているのだろうか。
「そんなこ――――」
「シュウのことを嫌いになりたくないの!!」
お互いに天敵だということは最初から分かっていたはずだ。もっと言ってしまえば最初の方が分かっていたのに、旅をしていくうちにその境界線が溶けてなくなってしまったような気がしていたのだ。
だがそういうことではない。それを百も承知で行くなと思っている。お互いに所属すべき種族から弾かれたもの同士、これまでもやってきたじゃないか。これからもうまくやっていけるはず――――身体の無くした部位が痛み始めたのは麻酔が切れてきたからか。
これ幸いとばかりに今にも出ていきそうな未来に手を伸ばしてなんとかベッドから這い出る。
「あいた!」
立とうとした瞬間に足に激痛がはしり転んでしまう。
忘れていたがふくらはぎに穴をあけられているのだった。
戦っている最中は未来の言っていた通りアドレナリンが出ていた上に無理やり止血をして宙に浮いていたのでなんとかなっていたが、とてもではないが歩けるような体調ではない。
「バカ! 歩くなって言ったばかりなのに!」
涙が滲むほどに痛かったが、それでも引き留めるという目的は達成できた。
戻ってきた未来が細い腕からは考えられない力を出し終を抱えてベッドに優しく戻した。
「確かにな……本当にバカだよな、俺」
「しかも……もろい……。お願いだから、怪我が治ったら帰って。子供が出歩いちゃダメな世界なんだよ」
(帰ってどうなるんだろ)
終の両親は32歳で死んだ。その歳になるまでずっと1人で動物を狩って、寝て起きて。繰り返すだけの日々を送るのだろうか。
いつ死ぬかも分からない、それでもそう遠くない日に無くなってしまうであろう命を大事にしたいがために。
(行くなじゃない……)
未来を拾ったのは偶然だが、一緒に旅に出ることを決めたのは自分の意志だった。
どうしてそう決めたのか、その時はよく分からなかったがようやく今になって分かった。自分は変化を求めていた。
繰り返す日々の中で安全に腐っていくことよりも、1人で黙々と歩いて仇を探すよりも、きっと何かを変えてくれると思いわざわざ天敵であるアンドロイドと旅に出ることに決めたのだ。
果たして、これまでの道のりは自分が今まで生きてきた人生全てと比べてもなお輝く掛け替えのない思い出となった。
能力者の集団もアンドロイドの国も敵に回したし、この年齢で片目を失ってしまったが全く後悔はしていない。これからも望むままに今に殉じたい。
それならば、行くなではなく一緒にいようと言うべきなのだ。
「俺のスープ……まずいまずいって散々言ってくれたよな」
「……それが?」
まともに動くことも出来ない終を冷徹な目で未来が見ている。
その態度は嘘だと知っている。本当は、今の自分と同じく毎日のように食事に出ていた不味いスープの味が舌の上で蘇りこれまでの思い出が走馬灯のように頭に浮かんでいることだろう。
「家族がいなくなったから料理を覚えた。1人で作って、1人で食っていた。隠し味も隠れやしない。俺が作っているんだから。甘いとかしょっぱいとか、言う相手もいないから黙って鍋からそのまま食っていた。だから、まずいでもなんでも、言ってくれる相手が出来て嬉しかったんだ」
「…………」
「本当は俺もまずいと思っているんだよ。でも食べてくれる相手がいるなら、いつかきっと美味しく出来るから」
生き延びること最優先の栄養摂取だけを考えたスープをいつも1人で鼻をつまみながら食べていた。
身体に栄養が行きわたればいい、たとえ不味くても自分しか食べないのだからどうでもいい。それで長生きできるのならば、そんな長生きはいらないと今の自分ならはっきりと言える。
「また俺のまずいスープを一緒に食べようよ」
どうして自分はこうも口下手なのだろう。引き留めるにしてもどうしてわざわざ不味いスープを出してしまったのだろう。
もっと色々あったはずだ。漢字の読み書きを教えてもらえて嬉しかったとか、寒いだけの夜も一緒に星空を見ていると楽しかったとか――――千年の氷も溶かすような熱い雫が終の顔に落ちてきた。
「なにそれ……なにそれぇ……」
機械の流す涙はまるで内側で発露している心が金属の殻を飛び出したがっているかのようだった。
どうしてよりにもよってお互いに最悪だと思っているあのスープなんだと、そんな冷静に言うことも出来ないくらいには大変だった日も楽しかった日もその日の終わりに食べてきた。
もしもまたひとりぼっちになるなら、栄養的には完璧だと知っていてももう二度と作らないと思う。あの最悪な味はこの旅の思い出そのものだから。
「やっぱまずいからイヤか?」
「食べるうぅぅ……」
荷物を落としてその場で本格的に泣き出してしまった。考えてみれば死にかけの自分をここまで運んで一人で手術までしたのに弱音の一言も吐かなかった。
障碍者になってしまったことに責任を感じている部分もあって、必死に抑えつけていたのだろうに結局決壊してしまった。神はどうしてただの機械にあまりにも人間に似通った心を与えてしまったのか。
泣いている女の子を抱きしめたくなるのは男の本能なのだろう。だがここで無理して起き上がれば手加減なしで引っぱたかれてしまいそうだ。
未来の潤んだ瞳の虹彩が大きく見える。光の角度により茶色くも見える綺麗な目の中に、大怪我をした自分が映っている。未来の手が触れている自分の顎は糸で縫われており、そこも怪我をしていたことに今になって気が付いて――――
(!!)
どうしてこんなに近いんだろう。その疑問が言葉になる前に、涙で濡れた唇が終の口を塞いでいた。
何かが頭の中で壊れる音がした。きっといよいよこの世界が壊れる時もこんな音がするのだろう。これから何十年生きても、たとえ核ミサイルが自分の頭に降ってきても変わらないものが壊されてしまった音。
虫歯菌の交換、意味のない行為。そう言っていたのに。やはり違う種族で交わることは出来ない存在、所詮は機械なのだと思っていたのに。
終の顔を優しく持ち上げる指先から、寄せた身体の体温から、ぬくい呼吸の漏れる唇から、彼女の心を変えてしまった好意が流れ込んでくる。
ああ、だからするんだ、とようやく終も理解できたくらいなのに、未来はこの行為の意味を完全に理解している。
100年の断絶の終わりが、未来が見えた気がする。
「……イヤだった? 私が機械だから……」
何を言えばいいのだろう。自分はどんな顔をしているのだろう。
小さな子供が1人で作り上げた価値観なんてものがいかにちっぽけかを突き付けられたばかりで、言葉なんか出るはずもない。
どこかに痛みがないと溢れる幸せが夢幻と消えてしまいそうで、あえて指の欠けた手で未来の顔に手をやって引き寄せると、まばたき一回ほどの時間に未来が心から笑うのが見えた。
その笑顔にこの世の全てが詰まっているような気がする。世界中の花を集めて贈りたい、そんな気分だった。
「私はきっと、シュウに会うために生まれてきたんだ」
自分のありったけを受け止めてほしいという願いを受け入れてもらえる幸せが頭の中で弾け、まるで怪我が一瞬で治ってしまったかのようだ。身体中の痛みだけが現実との楔だった。
何もない、何もかもない。あるのは鈍い絶望が肥大して現実まで歪め始めたちっぽけな能力者の自分一人。そんな今までの全てがここに通じていたのならば、それで良かったのだと感じてしまう。
「俺もそう思うよ」
本当は何かしらの重大な理由があってここまで人間に近いアンドロイドが製造されたのだろう。だがそんな理由なんて、自分自身をどう思うかに比べればあまりにもくだらない。
文明は崩壊し、自然へと還っている。僅かに生き残った人類は放射能に喘いで這い回っている。アンドロイドは能力者をさらい、能力者たちは戦争の準備をしている。
そろいもそろって大馬鹿野郎共が大真面目に大馬鹿なことをしている。
逆立ちしたところで終にはもう家族の一人もいないし、未来は記憶をなくしたアンドロイドのままだ。
だけどこうなった、こうなれたのならば。きっと未来は、きっと未来は大丈夫だから。世界の全てがずっと階段を踏み外しているが、このまま永遠に踏み外してしまえばいい。
そんな風に思えたような気がした。
静かな雪はやがて強くなっていき、長い冬が二人をうつろな廃墟の中にやさしく閉じ込めた。
物語の前半が終わりました