星繕説   作:K-Knot

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月からの侵略者

 

 春の暖かい風が木々を揺らし、のびのびと咲く桜の花びらが流れていく。

 100年前ならばまずこの辺りで見かけることはあり得なかった野生のリスが木の実を食べながらのんびりと花々を眺めている。

 人間のほとんどが絶滅した世界は動物も植物も実に生きやすそうだ。

 油をさしていない自転車を力任せに漕ぎながらベルを鳴らし道を塞ぐ小動物をどかしていく。

 ノーパンクタイヤとはいえ、がたがたの道を走っているのだからそう遠くないうちに壊れてしまうだろう。だが目的地までもそう遠くない。

 壊れるのが先か到着が先かは分からないが、今となってはこのある程度の行き当たりばったりさ加減に旅の面白さがあったように思える。

 

「いい天気だな」

 亀裂の入った道路の両脇で桜が好き放題咲き、道路に侵食している。自分はおおまかな季節しか分からないが、春に入ったらしい。そろそろ外套を羽織るのも暑くなってきた。

 

「かなり時間かかっちゃったね」

 そんなことを言いながらも荷台でコーヒーを淹れている未来は春の陽気の中でどことなくのんびりした様子だ。 

 壊れた自転車にボロの荷台を無理やり合体させたおかげで少なくとも荷物は以前よりも大量に持てるようになった。

 エロ本を含め、荷台には既に売るほどの本やボードゲームが積んである。

 

「ま、ここまでこれたからいいじゃんかよ」

 交差点名標識を見るにやっと神奈川に入ることが出来たらしい。

 自転車で高速道路を行ければ一番楽だったのだが、壊れた自動車で埋め尽くされているうえにところどころ完全に崩落してしまっていた。

 街の間を縫うように行くしかなかったが、どうも自分が生まれる前に関東で大地震があったらしく、あちこちの道路が断裂しており、何度も回り道をしなければならなかった。

 今日のように天気の日ばかりではなく、雨や台風で動けない日もあった。今思うと子供二人で日本をほとんど横断するのはかなり無茶だった気がする。

 どちらもただの子供ではないということもあるが、それでもここまで来れた。来てしまったのだ。

 

(また一人になりたくないなぁ……)

 旅の終点が近いことは未来との別れが近いことも意味している。

 一年くらい前は感覚が完全に麻痺していて一人でも何も思わなくなっていたのに。

 今となっては1時間別行動するだけでもそわそわしてしまう。 

 初めから終わりがあることは分かっていたはず、と自分に言い聞かせて自転車を漕ぐ。

 容器にお湯を注ぐ音が背後から聞こえた。

 

「はい、コーヒー」

 

「やったね」

 ペースを落としてマグカップを受け取り景色の中で揺らぐ湯気を楽しむ。

 口にすると疲れが吹き飛ぶほど苦いが、最近はこの苦すぎる液体にも慣れてきた気がする。

 砂糖を入れても美味しいが、一番香りが濃厚なそのままで飲むのが好きだ。商人から追加で買ったコーヒーで、いつかに街で買ったものよりも苦いがこれはこれで美味い。

 桜の花びらがカップの中に入りコーヒーに浮かぶ。未来に見せようと後ろを向くと、自分と同じくブラックでコーヒーを飲みながら畳んだ布団をクッションにしてエロ本を読んでいた。

 

「コーヒーとエロ本は合わねえなぁ」

 

「そう? 面白いよ」

 

(コーヒーには小説じゃないの?)

 大怪我をして動けない間、かなり漢字が読めるようになった終に未来が文字だけの本を持ってきてくれたのだ。

 時代が違い過ぎて何を書いてあるか分からない部分もあるが、毎日寝る前にコーヒーを飲みながら読み進めるのを楽しみにしている。

 今から300~400年前の時代を舞台にした物語が特に今の生活と似ている部分もあってお気に入りだ。

 

「カッコつけちゃってさ、結局シュウも集めてくるんだから。シュウはどのジャンルがお気に入りなの?」

 

「俺ぇ~? おねショタかなぁ……おっぱい大きいお姉さんが甘やかしてくれるやつ」

 

「うわっ…………」

 以前にも買うように頼んだことがあるから知っているはずなのに改めてドン引きされた。 

 ここは嘘でも胸は小さめで生意気な女の子がメインのやつ、とでも言っておけば良かったのだろうか。

 

「…………。未来はどうなの。けっこう読んだから好きなジャンル出来たんじゃないの?」

 

「うーん。中年体育教師による寝取られとメスガキ分からせものが好きかな」

 

「どうしてそんな邪悪な性癖育つの……?」

 特に前者は自分にとっては読むのも割ときついので飛ばしてしまうようなジャンルだ。

 人の好みに引いておいて、よくもまぁそんな業を背負えるものだ。

 

「どうしてかぁ……。この前シュウが呼んだ小説はね、源氏物語がモデルで……そういう歴史的に価値のある物語とかはだいたい全部知ってる」

 

「…………?」

 

「大昔って今と変わらないよ。他に何もないから楽しみなのは性・食・睡眠の三つ」

 

「ああ、だけどそんな時代に脂ぎった中年体育教師なんかいなかったもんな」

 くだらなすぎて知らない、とはいつだかの未来の言葉だが確かにそんなものをアンドロイド達が記録しているとは思えない。

 ありきたりなストーリーよりもそういった先鋭化したジャンルの方が知らない分刺激的なのだろう。

 確かに今まで出会ったどのアンドロイドもそんなのは知らなさそうだ、と思っていると荷台の未来が顔をぺたぺたと触ってきた。

 

「で、やっぱりシュウもそうなの?」

 

「なにが??」

 ずっと荷台でのんびりしているのに退屈しきってしまったのか、終の口を引っ張りながら湿っぽい絡みをしてくる。

 がたんがたん、と操縦を誤って段差を乗り越えた自転車が大きく揺れた。

 

「私のことわからせたいって思ってるの?」

 

「ちょっと、まじ、危ないから」

 

「ほらほら誤魔化さないでさぁ。寝る前とか私のこと見て考え込んでるときあるじゃんかさぁ」

 実のところ未来の想像は当たっている。機械だからと思っていた頃と違い、世界を知り、アンドロイドのことを知り、何よりも未来が自分に抱いている想いを知った。

 周りに年の近い異性もおらず、それこそ漫画の中でしかあり得なかった出来事が実はすぐそばまで来ていることに気が付いてしまい、本当に近いうちに爆発してしまいそうなのだ。

 そして運転しているから危ないというのもまた事実。目の前にある妙な段差に気が付きはしたが、片手にマグカップなので必然的に片手運転となっており、その片手は指が欠けていてブレーキをかけることが出来なかった。

 

「マー!!」

 やってしまったと思った時にはもう遅い。飲みかけのコーヒーを思い切り被りながら2人は自転車から放り出されていた。

 腹が立つのは未来は見事に宙返りし着地していたことだった。

 

「あははっ! マー! だってさ!」

 

「お前なぁ! 運転している人にちょっかいかけるな!」

 恐らくはいつの時代でも変わらない常識であろうことを叫ぶが、ひっくり返った荷物の中でコーヒーまみれになりながらも笑っている未来を見ているとなんだかどうでも良くなってきた。 

「あーあー、コーヒー全部こぼれちゃった!」

 

「全くよぉ、もったいないことを……。……この溝なんだろ」

 終の自転車がバランスを崩したのは、地面に描かれたどこまでも続く平行な二本の溝だった。

 溜まった雨水は太陽の光を反射して都心へと銀の道を作っている。

 

「……線路剥がした跡だね」

 

「鉄のために? 戦前はもう線路でも剥がしちゃうくらい資源に困っていたのかな」

 

「いや……。つい最近剥がしたように見えるよ」

 

(鉄を集めてる奴らがいるってことかな)

 いくら貴重な資源とはいえ、線路をかっぱらってもそのままでは何も使えない。

 最低でも線路を剥がして持ち運べるだけの人数と、鉄を溶かして再利用できる技術・拠点を持った集団の仕業だ。

 第三帝国も商会もやりそうなことだが、その目的までは分からない。

 

「スカイツリーが見えるね」

 

「……あんなものまで作った人間がこうなるなんてなぁ」

 剥がされた線路の跡に溜まった雨水に桜の花びらが浮き、花びらの道を辿った先に折れかけの東京スカイツリーがある。今にも倒壊しそうだが何かがもたれ掛かり絶妙なバランスを保っている。

 手で望遠鏡の形を作り能力で視界を拡大すると、巨大な人型の何かがそのまま繭になったような物が引っ付いている。

 そこに草木が生い茂っているのを見るに、既にあの状態になって何十年も経過しているようだ。

 

「人間のバベルの塔はまだ崩れていない……」

 

(あれは崩れてないって言えるのかな)

 ここまで時間がかかったのは物資を調達するために周囲を漁るだけの日もあったからだが、都心を大きく迂回したというのが大きな理由だ。 

 都心に近づけば近づくほど、細かなガラスのような塵が混ざった風が吹き荒れ息をするのも困難で、おまけに放射能汚染された動物や全知の夢から生み出された怪物が蠢いていた。

 特に千代田区、中央区、港区、渋谷区の都心はガイガーカウンターも大騒ぎの完全なる地獄と化していてとてもではないが通ることは出来なかった。

 ビルの中に集団の人影を見たこともあったが、どう見ても知性のある動きはしておらず、ちらりと見えたそれはまるで地の底から這いあがってきた餓鬼のような見た目をしていて、物陰からこちらを見ながら己の指を齧っていた。

 未来が言うには都心が地獄になっているのはインフェルノの能力のせいだとも言うが、最早詳しく聞く気にもなれなかった。

 

(シュウ!)

 未来が合図したのを見て咄嗟に身を屈める。指さす先には丸々と太った二匹の鴨がのん気に歩いている。

 都合100kgもある物体が倒れる音を聞いても逃げないという、野生動物の中でも相当抜けた部類の個体のようだ。

 

(今日は鴨肉だ!)

 熱した鉄板の上で鴨肉と野生の野菜を一緒に焼き醬油をかける。

 想像しただけでよだれが垂れてきそうで、未来も同じことを考えていたのかとろけた顔をしていた。 

 音を鳴らさないようにボウガンの照星を鴨の胴体に合わせる。風は多少吹いているが彼我の距離は20mもないから気にする必要はないだろう。

 こんな簡単な獲物は久し振りだ、と慢心を乗せながらも真っすぐ飛んだ矢は――――

 

(外した!? これを!?)

 二匹の鴨の間をすり抜けていき、驚いた二匹は飛び立とうとしている。

 照星が壊れているのか、ボウガンがどこか曲がってしまっているのか。

 

「あ!」

 20mもないと言ったが、逆に言えば20mもあるから鴨もまだ逃げる必要はないと判断していたのだ。

 その距離を未来は猫科動物よりも速く距離を詰め、一瞬のうちに二匹の鴨を捕まえていた。

 首をへし折られた二匹の鴨は自分が死んだことにすら気が付いていないかもしれない。

 普段なら贅沢な獲物を捕らえて大騒ぎしそうなものなのに、未来がやや苦々しい表情でこちらを見ている。

 

(そうか……目が片方ないから……)

 隻眼になってしまったことにより距離感がうまく掴めなくなってしまっているのだ。

 日常生活では既に慣れてしまったが、狩りは片目が潰れてから初めてだった。

 未来はそのことに先に気が付いてしまったがために、どことなく居心地の悪そうな顔をしているのだ。

 

「はい、荷台にくくっておいて」

 

「そうすっぺか」

 起こした荷台に荷物を積みなおし、鴨を括り付ける。

 何はともあれ今日の晩飯は豪華になったしいいだろう。

 

「シュウ、こっち向いて」

 

「?」

 なんだそれ、と訊く前に未来がゆっくりと潰れた左目を覆うようにそれを取り付けた。

 後頭部に回された紐の感触でようやく眼帯を付けてくれたのだと分かる。どうやら自分の知らない間に作っておいてくれたらしい。

 

「シュウはよくても、他の人に会ったら怖がらせちゃうでしょう」

 もう痛みはないが露出した肉が固まり、無理やり瞼を開くと瞳の大半が欠けた目が覗くというグロテスクな潰れ方をしており、見た人はいい気はしないだろう。 

 何よりも、確実に人死にが出るような戦いの最中にいたことを示してしまっている。この時代にそんなことをする人間は余程の恐れ知らずか能力者のどちらかでしかなく、普通の人間にとっては恐怖の対象でしかない。

 そこまで考えてくれていた未来になんと言ってよいか分からない。

 

「……キャプテン・キッド!」

 ガントレットナイフを空にかざし、空元気を外に出す。

 転んだのも矢を外したのも、怪我のせいだがそんなことは気にしていない。

 死ぬまでの安全よりも生きたいように生きることを選んだ結果だ。だから未来が気にするようなことではないのだ。

 この眼帯を貰えて嬉しいし、1人だったら絶対に死んでいたであろう怪我を治療してもらえて感謝しているのだから。

 

「もう! 人前でやっちゃだめだよ」

 終の心の内がどこまで伝わったのか定かではないが、とりあえずはいつも通りの声で返してくれた。

 

「ていうかなんだ、さっき凄い速さで動いてなかった?」

 

「そうかなぁ。だって出来ると思ったし……」

 

「いやいや……ちょっと測ってみようぜ」

 未来から線路の枕木40本分の距離を取る。感覚的に大体これで25mくらいだろう。

 先ほど未来はこれに近い距離を本当に文字通り一瞬で詰めていた。腕を上げ、よーい、と声を出す。

 腕を降ろす直前、未来がスターター代わりに踏んでいた枕木が砕けるのが見えた。

 

「ぷぁッ!?」

 顔の皮膚が全部吹き飛んでいったかと思った。事実、せっかく付けてもらった眼帯は吹き飛んでしまった。まるで今気が付いたかのように巻き上げられた桜の花びらが降り注ぐ。

 秒数を数えることすらかなわない、矢よりも速い速度。それも足跡を見るに一足で終の目の前を通り過ぎている。

 

「お前……これ……最初から走って山とか飛び越していった方が早かったんじゃね……」

 走ったついでに取ってきてくれた眼帯をつけ直しながら考える。これでも結構な数の動物を狩ってきたが、そのどれよりも圧倒的に速く力強い。

 終と旅をしているからしていないだけで、下手な山なら本当に軽く飛び越えてしまうだろう。見た目は人間と同じなのに、最新型とやらのスペックがここまで生物の域を超えてしまっているとは想像もしなかった。

 

「そうだね。……あれ、なんでそうしなかったんだろ」

 

(俺が一緒に行くって言ったから?)

 スペックが高ければ能力者に勝てるという話でもないが、少なくとも無視して逃げることは出来ただろう。それが出来るならもっと、圧倒的に早く目的を達成していただろう。

 この先を考え始めたらこの旅の根幹が崩れてしまうのではないかという領域に考えが及ぶ前に、誰か来たと未来が呟いた。

 

「……商人だ。ちょうどいいから何か買おうか」

 線路を辿るようにして男が三人と牛車と一緒に歩いている。 

 両端の2人は商会に雇われた傭兵だろうというのは顔つきからも分かる。

 

「何か買っていくか?」

 

「じゃあ……水とMREと……ノートと火薬を300グラムくれ。あと薬20錠」

 

「あとせっけんとタイツと剃刀ほしい。シュウの靴下に穴空いていたからそれも」

 それとこれとこれとあれ、と終が使おうとするまで忘れていたであろう切らしている日用品を未来が注文している間にぼんやりと考える。

 こいつらどこから来ているのだろう、と。神出鬼没で必ず2人以上の傭兵を引き連れて歩いている。荷台にある日用品は手作りに見えない。

 

「おっさんたちってどこから来てるんだ?」

 

「気になるならついてこればいい」

 

「いや……別にいいや」

 過酷な旅で鍛えられた終ならば能力を使わずとも殴り倒せそうな初老の男なのに声は重々しくドスがきいている。

 恐らく大小問わず強盗に尾行されたことは一度や二度ではないのだろう。共通通貨のRacは英語で文字が刻まれているが、その言葉の意味はそれほど大事ではない。

 大事なのはこの通貨が海の向こうで生産されたということ、この連中の大元は海外から来ているということの方が重要だろう。商品を見るに既にいくつもの工場を稼働させているように思える。 

 ここまでの旅で自分がいかに井の中の蛙だったかを知ったが、未だに商会の規模が見えない。その辺の強盗だけではなく、第三帝国の連中もその武力を以て制圧に乗り出しそうなものだが。

 

「おい。聞いているか?」

 

「……あ!? 何か言った?」

 

「その鳥二羽と交換でどうだ? 俺たちも新鮮な肉が食いたい」

 随分とざっくりな提案に困って未来の顔を見ると、眉根にしわを寄せながらも終の顔を見て頷いていた。

 鴨肉は食べたいが、それでも差し引き得な提案らしい。流石に生肉はなく、食料に困ってはいないとはいえ人間である以上はそういう贅沢もたまにはしたいのだろう。

 

「わかった」

 

「ほらよ」

 纏められた商品と鴨を交換する際の傭兵の目つきは今夜の夢に出そうだ。

 仕事熱心であるとか、そう言うわけではなく、防衛対象が一番危険に晒される瞬間を理解し警戒している機械的で昆虫のような双眸。

 あそこまでは行かなくとも、きっと自分も似たような目をしているときはあると思う。

 

「なんか多くね?」

 

「取引に応じてくれたからおまけだ。じゃあな」

 得をした喜びよりも困惑が勝る。この連中がおまけなんてしてくれたことなど一回でもあっただろうか。

 線路跡を辿りどこかへと歩いていく商人と薬瓶を交互に見ていると未来に取り上げられた。

 

「見せて。…………。……!」

 薬を一粒一粒手の平の上に乗せて何かを確かめているが、数を数えているようには見えない。

 目を閉じて鼻を近づけて数秒後、いきなり商人たちに薬瓶を投げつけ――――衝突する寸前に水に投げた石のようにいきなり勢いを失い薬瓶は空中で静止した。

 

「…………子供を殺すのは嫌だな」

 呟いた言葉とは裏腹に振り返った傭兵の目は殺気に満ちており、既に何が起こっているかを理解したうえで殺すつもりのようだ。

 終は全く状況が分かっていないが、未来が間違ったことをしているはずがないと信じボウガンに矢を装填する。

 

「待て。待て待て待て。気が付いたのか。どうやって?」

 商人が今にも攻撃を仕掛けようとしていた傭兵を制止し声をかけてくるが、当の未来は顔に隠すつもりもない怒りが浮いている。

 

「本物の薬を置いて消えて。今すぐ」

 

「まぁ待て。お前ら、本当に来るか? その抜かりの無さなら……良い待遇になることを約束するぞ」

 

「どっちが勝つかは別でも商品は無事には済まないと思うよ」

 ピン、と鉄の糸が張り詰めるような空気が身体中に刺さるようだ。

 終が引き金に置いた指に1mgでも力をかけた瞬間に誰もが致命傷を負うことになるだろう。

 

「わかった」

 

「!」

 商人の声で思わず発射しそうになったボウガンをすんでのところで降ろす。

 新たに取り出した瓶を地面に置いた商人は未だに警戒を解いていない傭兵を連れて今度こそ去って行った。

 

「なんだったんだ? 一体」

 

「あいつら、薬に薬物混ぜてた……! 子供でも見境なしに!」

 

「薬物……? 薬だからいいんじゃないの?」

 新しい薬瓶を終に投げ渡した未来は、悪意の混ざった薬瓶を念入りに踏みつぶしている。

 何をそんなに怒っているか今一つピンと来ないがどうやら気付かぬうちに相当ひどいことをされていたらしい。

 

「違う。あれを飲むと幻覚が見えるようになって暫く頭がおかしくなっちゃうの。依存性があるから買い続けるしかなくなる。しかも効果が弱い種類なのがタチが悪い!」

 

「なんでそんなことを?」 

 

「知らないよ、あんな人間の考えることなんか!」

 

「…………。もしかして」

 

「なに?」

 

「俺みたいに能力を見ただけで使えるヤツが他にいてもおかしくない。そしたらお金の価値も商会の立場も全部なくなっちゃうから……」

 

「それで今のうちにって考えた策がこれだなんて。本当に救えない」

 

(……やっぱ無理なのかなぁ)

 自分と未来の繋がりの間に悪意など一切ないから、まだこの星は救いようがあるなんて考えもした。だが子供の手本となるべき大人が能力者も非能力者もあんなのばかりだ。

 このまま緩やかに、しかし確実に滅んでいくしかない運命なのか。西に沈む太陽に向かって鳥が飛んでいく。人間は知恵の実を食べてしまったがばかりに滅びに向かっていく。

 

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 満月の向こうから、人間を資源としか見ていないアンドロイド達が地球を監視している。

 宇宙から舞い落ちて来たかのような桜の花びらが、月の光に照らされる文庫本の上に落ちた。

 『この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』

 未来が言うには丁度終くらいの年齢に習う短歌らしいが。

 

(未だにみんなそう思っているんだからな)

 その辺の雑魚能力者も、第三帝国も商会も、アンドロイド達もこの世界を自分の物だと思っている。

 みんなしてボロボロの手を必死に伸ばしてこの星の何もかもを奪い合っているからこうなってしまっているのではないか。

 その先に何があるのだろう。全てを滅ぼし瓦礫の星の頂点に立てたとしても永遠には生きられないというのに。

 花の妖精のような可憐な指先が終の読んでいた部分を指さした。

 

「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」

 

「どういう意味?」

 先ほどまでテント内で身体を拭いていた未来が終の横に腰かけた。

 月明かりと焚火の火を受けた未来は消えそうなほどに眩しい。きっとこの世のどんな女の子でも自分はこんなに眩しく感じることはないのだろう。

 

「その短歌より後の時代に出来た語りもの。天国の時間に比べればこの世界の全ては一瞬で、滅びないものなどないっていう意味。多分シュウが今思っていること」

 知識をつけるとは、世界を知るとはこういうことなのだろう。脳みそ小さめの自分が思いついたことも感じたことも、大抵はとっくの昔に誰かが言葉にしている。

 そうして視野を広げていかなければ、これまでに出会った情けない大人にいつ自分がなってもおかしくない。

 

「俺、未来と会っていなきゃ、大人になってもエロ本だけ読んでいたんだろうな」

 

「…………。シュウのこと、よくおバカさんって言っちゃうけど……物覚え早いし要領いいから、どこかで読み書きもちゃんと覚えていたと思うよ」

 そう話しながら未来は終の左手に触れた。

 やることがなくなり退屈になったら終をかまいだすのはいつものことだが、何故か今日のスキンシップはいつもより、なんというか――――しっとりしている気がする。

 

「もう痛くないから大丈夫だよ」

 最初は他の指を動かすだけでも皮が突っ張って痛かったし、しばらくは左手全体が痺れてまともに力も入らなかった。

 だがこの目もそうだが無いなら無いでなんとかなるもので気にしていないのだが、未来はそうではないらしい。

 

「私、多分あれくらいの爆発なら大丈夫だった」

 この旅で当然未来も怪我をした。だが、未来は軽い擦り傷くらいなら1秒で完治してしまうし、普通の人間なら歩けないような怪我を負っても見る見るうちに塞がってしまう。

 能力が間に合わずまともに受けた終でも結局生きているのだから、言っていることは間違っていないのだろう。言っていることは、だ。

 

「男なら誰だってああする」

 

「私の方が力強いのに?」

 

「関係ない。あそこで動けない男なら死んじまったほうがいい」

 

「…………」

 

(何も言い返してこないな)

 そもそも種族が違うだとか、今更男だ女だ言うのは時代遅れだとか普段なら言い返してくるのに。

 上目遣いで終を見るその眼差しに隠れた感情を察するにはまだ終は幼かった。

 

「シュウも身体拭いてきたら?」

 それもそうだな、と答えてお湯の溜まった桶にかけてあるタオルを手に取り桶を入口近くに寄せる。 

 いつも通りにテントに戻る未来があまりにもいつも通りの歩き方だったので気が付くのに時間がかかってしまった。

 どちらかが身体を洗うときはどちらかが外に出るという決まりがある。確かに言葉にしたことは無かったが、それにしたって一緒に未来も入ってくるのは不自然だ。

 

「なんで中に入るの?」

 

「私が洗ってあげようかなって」

 

「…………。いいよ、そんなこと。外に出て、はい」

 テントの中に入るが、まるで主役のように真ん中に陣取った未来は全く動く様子がない。

 

「今更恥ずかしがるの?」

 そう、未来の言う通り。大怪我をして安静にしていた間は身体を拭くどころか排泄すらも苦労した。

 ならばどうしたかと言えばどうすることも出来ず、下の世話まで未来にされてしまったのだ。

 14歳といえば思春期まっさかりであり、ナッツを食べたら次の日にはニキビが出来るような年頃だ。

 たとえ肉親に介護されたとしても屈辱に感じただろうに、よりにもよって未来にしてもらったという記憶は思い出すだけで気絶したくなる。元々アンドロイドはそういう事のために造られたと分かっていても。

 

「もう一生分されたから――――あ……」

 ベッドのそばで日誌が開かれていることに今気が付いた。確かにリュックの中にしまっておいたはずなのに。 

 ここしばらくは無かったが、今までに何回も字が間違っていないか、内容はおかしくないかと未来に読んでもらったことがある。

 だから今更読んではいけないとは思わなかったのだろう。駄目な訳ではないが、もう完全にプライベートなものだと思っていたから少々恥ずかしいことも書いてある。

 

『機械だから仲が悪いんじゃなくて互いに感情があるからこうなったんだと思う。未来の記憶が戻ったらどうなるんだろう。それでも一緒にいてくれるといいな』

 そう書かれているのはプレッシャーとの戦いの後、動けない状態で書いたページだ。

 簡素な線で描かれた挿絵は、笑顔の未来だと分かる程度には特徴を捉えている。飾り気のない本心が全部見られてしまった。

 未来をどかそうとした姿勢のまま固まっていたせいで、終が気が付いたことに未来も気が付いたようだ。

 

「シュウはこういうこと言ってくれないね」

 

「……そりゃ……恥ずかしいから」

 

「本当にそう思っているから?」

 顔が火照っていくのを感じる。それ以上開いたら途端に閉めてしまうギリギリのところまで心の扉を開いて覗き込むかのような声。

 恥ずかしいが嫌ではないと思っていることを自覚して頷くと、いきなり人形のように宙に放られ布団の上に着地した。

 

「なにす――――オあっ!」

 身体に力を入れる暇もなく飛び込んできた未来が身体の上に着陸し裏返った声が出る。

 しかし痛くはない。びっくりするほど軽い、なんてことはとっくに知っている。

 もう結構な時間、未来を後ろに乗せて自転車を漕いでいるのだから。

 

「身体拭いて歯を磨いたらいつも通り寝ちゃうんでしょ?」

 胸板に鼻を擦り付けている未来の顔が赤い気がする。そんなことよりも鼻をくすぐる未来の髪から理性が砕け散るような匂いがただよい頭がくらくらしてくる。

 居ても立っても居られないくらいに、終の本心を見ることができて嬉しかったのであろうことがきつい抱擁からもよく分かる。

 

「…………」

 目は口程に物を言うとはよく言ったもので、ほっぺたを赤らめて終を見つめるその目は留めきれない感情を雄弁に伝えてくる。

 好き好き好き――――口を開いた未来がそのまま終の鼻先を甘噛みしてきた。

 熱い吐息に発火しそうだ、このまま未来を襲ってしまいそうだし未来もそれを望んでいるような気がする。

 いかにも人をからかうのが好きそうな目がただひたすらに見つめてくる。

 

「…………」

 未来が何を思っているかなんて本当はもうとっくに分かっている、ということも未来に見透かされていそうだ。

 そうなってくると金縛りにあったように動けない自分が情けなくなり顔を横に向けることしか出来ない。

 パニックから少しでも逃れようとしたのを察したのか、わざわざ顎を掴まれて再び前を向かされた。

 

(やめろこの沈黙を!)

 もう五分ほども見つめ続けられただろうか。

 熱い視線と吐息に中てられ、溶けて布団と同化してしまいそうだ。

 終だって物を見つめて能力で燃やすことはできるがそれとは全く違う。意思それだけで相手をおかしくさせようとしている。

 あろうことか桜の季節なのに息が白くランタンの明かりに透けた。まだ少し肌寒い外にいたから外套を羽織っていたが汗ばんできている。それくらいに自分の体温が上がっているようだ。

 

「…………」

 鼻と鼻がくっつくような距離で未来が薄く笑う。普段なら耳に届かない、口が開く僅かな水音が聞こえて心臓が跳ねた。

 とうとう汗が額から鼻を伝って垂れた。自分よりも力の強い相手に組み敷かれて無言のまま見つめられれば誰だってそうなる。

 せめて何か一言でも話してくれれば――――そう思っていることを分かって黙っているのだろう。

 

「!」

 流れる汗を逆向きに舐められ膨らんでいた脳の血管が破裂した気がする。 

 塩辛いだけの液体を味わうように唇を舐める姿――――舌なめずりというものを初めて見た。相手を交尾の対象と認めた動物はこんな顔をするのではないか。

 そう思ってしまうほどに扇情的な表情をしている。開いた瞳孔、静かだが烈しい呼吸音、早鐘、汗ばんだ肌。

 何も言わないならどこまでもやってしまうぞ、でもどこまでやっていいんだろう――――崖に向かってすり足をするようなスリルが言葉以外の全てとなって伝わってくる。

 冗談ではなく本当にくらくらと酸欠になってきた。『何回もしたことだからここまでは大丈夫なはず』と思っているのが伝わってくるほどに、終の上着とシャツを脱がす動作には戸惑いが無かった。

 介護とはまるで意味が違うことを分かっているのだろうに。それを止めない自分の頭はもう駄目だ。

 

「……すぅ――……」

 終の上にまたがったまま脱がしたシャツに顔を大げさに押し付けて。

 わざわざ布繊維を貫通するような音を出しながら、染みついた汗のにおいを思い切り吸い込んでいる。

 終の反応を楽しむかのように細めてこちらを見る目にほんのり涙がにじんでいるように見えた。

 ああ、このまま全部投げ出して欲望のままに生きれたら最高だろうな。

 堕落なんて言葉は無縁のアンドロイドでもその先触れに掴まれて壊れかけている。人間を人間たらしめている七つの大罪を最後まで覚えてしまったかのようだ。

 だがそれでいいと思う。感情を手に入れたのならば欲求、すなわち罪の源が生まれて当然なのだ。それを完全に抑制したのなら機械に逆戻りだ。

 細い指で終の傷痕をなぞる未来は、行ってはいけないと大人に言いつけられている黒い森に好奇心に負けて手を引く子供のようだ。

 

「頼むから何か喋ってくれ」

 もう爆発寸前だった。あと少しでも何かされれば脳の血管が切れて死ぬか外に飛び出して走って逃げてしまいそうだった。

 普段一緒に寝ているのにほんの少しの意識や行動の違いでここまで差が出るとは思いもしなかった。

 

「負け」

 

「負けでいいから」 

 いつから勝負になっていたのか知らないが、振り返ってみれば確かに自分も未来の沈黙に釣られるように何も喋っていなかった。 

 

「負けたら分からせられないのになぁ」

 ぐぅ、と一応出たぐぅの音以外には何の言葉も出ない。

 そんな情けない終を見て未来はくふくふと笑いながらもう一度終のシャツに鼻を近づけた。

 

「相変わらずくっさーい。機械のにおいするし汗臭いし」

 

「…………」

 

「だけど今はこのにおいが好き」

 ドストレートな表現に思わず顔をこする。思えばこの旅が始まってから未来が感情を表に出すことを控えたことなどあっただろうか。

 女の子にここまで言わせて恥ずかしがっている場合なのだろうか。

 

「お……俺だって……――――!」

 組み敷かれた時点でこうなるだろうと分かっていた気がする。心の準備をしていなかった訳ではないのに、唇が触れた瞬間に総毛立った。

 ケガ人への最大限の配慮があったあの日とは違い、終の頭を抱える手が興奮を抑えきれずにぼさぼさの後ろ髪を掴んでいる。

 体内に入り込んでくる熱が腹の底まで落ち込み魂まで融合するかのようだ。

 我慢に我慢を重ねたせいで、それだけで溶ける程の快感が背筋を駆け抜けていく。

 2カ月前のプレッシャーを破壊した日以来、境界線を越えることは一切なかった。眠る前に未来が何かを言いたげな顔でこちらを見ていることは分かっていても知らんふりしていた。

 

「シュウはどうして……」

 

「……なに?」

 

「日誌。好きってたくさん書いてあった。好きって漢字は女の子って書くのが不思議だって書いてあった」

 その言葉を聞いて、未来がなんとなくで終の日誌を読んだのではないと確信した。

 未来なりに終から好かれていることを感じている一方で、今まで通り何も変わらないことが不思議で仕方なかったのだろう。 

 何を思っているか知りたくて読んでみたはいいが、書いてあったのは本人が思い出すのも恥ずかしい好き好きばかりだったのだ。

 

「あとどれくらいの距離なんだっけ」

 

「30kmくらい」

 順調に行けば明日にもたどり着く距離だ。

 東京の半ばを過ぎた辺りから永遠に思えたかのようなこの旅の終わりが見え始めた。

 未来がどこから来て何が目的だったのかを知った後のことを考えるとどうしようもなく憂鬱な気分になる。

 

「……未来の腕、細いよな」

 

「……?」

 

「この細い腕や小さい手に触れていると、この子を守らなくちゃって思うんだよ。この世のありとあらゆる残酷から」

 自分なら出来るだろう。生まれ育った土地を飛び出して世界を知り、自分が相当強力な能力者だということを知った。この能力があれば、愛した存在を守り生き抜くこともきっと出来るはず。

 だけど本当はそんなもの全く必要なかったのだと知るのが怖い――――言わずとも伝わったようで、終の手に未来の手が重ねられた。

 だから自分を必死に抑えていた。歴史小説やら短歌集を読むようになったからといったって、相変わらず頭の中はほとんどピンク色の思春期ど真ん中だ。

 起きている間30分に一回はむっつりスケベが顔を出している。異性に興味がないなんてそんなはずがない。

 未来は何かしらの任務で地上に来たはずだと言っていた。それが何かは知るよしもないが、能力者を狩れという命令はあり得てもこんな関係が許されるはずがない。

 たどり着けば必ず終わる関係だと未来も分かっていたはずなのに、あの日自分たちは一歩踏み込んでしまった。

 せめて笑って見送ってやろうと思っていたのに。

 

「……大人になったね。初めて会った頃よりずっと。今日で旅に出て何日か知っている?」

 

「さぁ……秋の終わりくらいに出発したのは覚えているけど」

 

「156日」

 

「そんなに……」

 

「シュウにとってはただの数字かもしれない。でも、私にとってはまるで生まれてからの日数のよう……。それを一緒に過ごせたのがシュウでよかった」

 終を引っ張り起こしてシャツを着せた未来は、もう一度感情を丸ごとぶつけるような抱擁をした。

 少年の精いっぱいの思いやりと葛藤の塊が溶けていくかのようだ。

 

「一人で走って行った方が早かった、そんなことは分かっているけど。私を見つけたのがシュウでよかった」

 最新型のアンドロイドは、機械の脳は理解し始めている。

 予測のつかない人生の回り道の意義を。意味の無さや無駄にこそ意味が宿るということを。

 感情を手に入れて100年、それすらも知ってしまったアンドロイドはもう。

 

「大丈夫、シュウとずっと一緒にいる」

 境界線が壊れる。アンドロイド達は何を願い、何を託すために未来を造り出したのか。

 きっと自分の汚染された脳では考えも付かないような壮大な計画と緻密な計算を以て生み出されたはず。

 機械であるがゆえの統一と絶対性が崩れ、世界をここまで腐敗させた人類にまで堕ちていくかのようだ。

 

「世界中が敵なんだぞ」

 人間はもちろん能力者もアンドロイドの敵だ。地上に未来の味方は基本的に自分以外いないと言っていい。その上自分の所属まで捨てると言っている。

 その辺のアンドロイドが脱走するのとは訳が違う。自分はアサイラムに正式に所属している回収部隊を潰した、明確なアンドロイドの敵であり能力者だ。

 それに与することは裏切り以外の何物でもない。

 第三帝国からは指名手配されているだろうし、アサイラムにも自分の情報は伝わっているだろう。明日いきなりとんでもない朝が来ても何も不思議ではない。

 

(違う……もっと恐ろしいのは……)

 自分の存在が未来にそう決断させてしまったこと。

 自分が見つけたから、未来はきっとアンドロイドの基準で言えば壊れてしまった。

 壊れたことを喜んですらいる。

 

「それでもシュウと一緒にいたい」

 脳が揺れる。小動物のように怯えた心を射抜くような言葉の力。

 少女の真っすぐな視線と偽りのない言葉ほど価値のあるものはこの世にない。

 たとえそれが機械の言葉だとしても。いいや、機械ならこんな得0損100の決断をしないだろう。

 だからこそ、より価値がある。自分たちにとって価値があるのなら、それでもういいのではないか。

 

(お前らは能力者を追いかけまわしてればいい)

 そこに価値があると信じて勝手に滅びに向かえばいい。

 今この世界で一番価値があるものはここにある。その先にあるのはもっと確実な滅びだとしても。

 心の底からざまぁみろ、という言葉が出てくる。アサイラムが持てる全てを注ぎ込んで製造したことは未来の性能を見れば分かる。

 良かったじゃないか。機械らしい1と0、あるいは損得を超えた先にある物を未来は手に入れたのだから。

 

「外で待ってる。シュウの本音を聞けたから満足した」

 

「?」

 

「ほんとに私に洗ってほしい?」

 

「わ、あ、そうだな」

 すっかり冷めてしまったお湯の入った桶を手渡し、未来は出ていった。

 なにもかもそれで良かったのかもしれない、と急速に冷えていく身体のどこかからそんな言葉が浮かんでくる。

 先の分からない人生を生きて、その結果をあるがまま受け入れることが生きるということなのだろう。

 そう考えるとこの先の全てを分かっていた全知はもう、ただの人間であることは出来なかったのかもしれない。

 ふと、100年以上前に死んだ人間――――それもこの世で最も神に近い能力者に、何故か終は同情してしまっていた。

 

 

******************************************************

 

 風に妙なにおいが混じってきた。未来に話すとこれは潮のにおい、いわゆる海のにおいなのだという。 

 満開にしても大げさな桜の群れに囲まれながらポットに入れておいたコーヒーを飲む。

 

「う……うまい……」

 昨夜未来は自分のことを大人になったと言ってくれたが、正直あまり実感がない。

 だが、苦みや辛みなどの中にある美味しさを理解できるようになったところは大人になったと思う。

 もう一杯、苦い、春風の中で廃墟を背景に眺める桜のなんと美しいことか。木にもたれ掛かりながらぼんやり高い空を眺めていると未来が戻ってきた。

 

「ただいま」

 

「うん。どうだった?」

 

「やっぱり思った通り。この辺りの桜は戦後人が植えたもの」

 

「そりゃまたなんで?」

 これまで通り、未来を乗せて自転車を漕いでいたら『人が近くにいるかも』と言って未来は急に飛び降りてしまったのだ。

 何やらのこぎりで桜をいくつか切っていたのは見えたが、恐らくは年輪を見ていたのだろう。しかし人が植えたものだとしたらそんなことをしていいのだろうか。

 

「あれは手弱女桜。あれは観音桜。桜の種類がばらばらなの」

 

「……?」

 

「つまりね、京都や熊本、長野とか産地がばらばらってこと」

 未来の言いたいことが分かってきた。終の目から見ても桜の木々は一本一本が若い。

 そして産地もばらばらとなれば、この近くにいる誰かが日本中から桜の苗木を集めてここに植えたのだろう。

 

「ずいぶんとまた、夢のある人間がいるもんだな」

 

「能力者かも?」

 

「別にいいんじゃないか。誰がどう見ても悪い使い方じゃないと思う。すごい……うん、能力もこういう使われ方をしているなら素晴らしいことだと思う」

 それもそうか、と未来が歩き出す。今日も結構な距離を進んだから、目的地まであと2時間もかからないだろう。 

 だからこそあえて時間をかけたいという思いが表に出てしまっているような速度だ。荷車を取り付けた自転車など手で引く方が重労働なのだが、口には出さずに付いていく。

 

「この旅が終わったらどうするの?」

 

「分からんなぁ……。俺の能力で何かしようとか、そういうのも思わないから」

 

「シュウの夢は何?」

 

「夢……?」

 

「能力者でもシュウくらいの年なら夢とかあるんじゃないの?」

 

「……俺のスープ……もっともっと美味しくして、誰かにお腹いっぱい食べてもらうことかな……」

 掃除や洗濯などは好きではない一方で、ガラクタの修理や料理など何かを作ることが本当に好きなんだと思う。

 今までは作ったとしても自分が使う・食べるだけだったが、何を作るにせよ未来から感想を貰えるのが本当に嬉しく、ますますそれが自分に向いているのだと思い始めた。

 そう考えると、能力者は能力者である前にみな人間で、好き嫌いや趣味、夢なんかもあるはず。それを全部無視して能力名だけで呼ぶのはとても残酷な見方だと感じてしまう。

 

「あれを? あのスープを?」

 

「そう。別にいいだろ」

 

「ふふ。いつになるのか……いつか叶うといいね」

 金が悪の根源だと言う話はよく聞くが、善の根源はどこにあるかと考えたら、食べ物を分け与えることだと思った。

 食料の独占が権力を生み、その食料の交換のために金とは生まれたのではないのだろうか。

 もしも人間全員がお腹の空いている誰かに食料を分け与えることが出来たら――――というよりも、その施しの心こそが善の源なのだろう。

 

「未来は?」

 

「私? …………」

 珍しく二の句を継げずに考え込んでいる。配慮の足りない質問だったと気が付いたのはその数秒後だ。

 記憶がなく己の原点が分からないから何をするべきかが分からないのだ。150日も一緒にいるといっても、たかが一年未満。

 終と一緒にいたい以上の願いを手に入れられていない。

 

「それを探すためにここまで来たんだよな」

 元々何かを夢見ていたのか。終が能力者であることよりも先に好きなことがあるように、アンドロイドであること以上のアイデンティティがあったのか。

 それを取り戻すのがこの旅の意味なのだろう。その途中で大切なものが見つかったなら、またそれは自分を織りなす根幹となる。

 

「うん。……あ、変なネコちゃんいる」

 未来が指をさした先を見ると、確かに変な猫がいた。

 桜の木の下で寝ているのはよいが、頭の後ろで手を組み木の根に腰かけて熟睡しているのだ。

 

「うははっ、なんだこいつ!」

 けたけた笑う声が耳に届いたのか、変猫は目を覚まして大あくびをした。

 それは普通なのだが、人間のように後ろ足で立ち上がり腰に手を当てて伸びをしながらあくびをしている。

 これも変異した動物の一種なのだろうか。あるいは全知が夢で見てしまったがために生まれた動物なのだろうか。

 首を回しながらこちらにてくてくと近づくその姿が面白すぎて更に笑いが湧き上がってくる。

 

「こっちこっち。おいでおい――――」

 しゃがんだ未来を見るその猫の目に未来も終も同時に知性を感じた。

 頭の中で第六感が弾ける前に、猫の中から何かが飛び出し――――

 

「出た――――!!」

 また会いたいと思う人よりも、もう二度と会いたくないと思った尊敬の出来ない大人だらけの世界で、その筆頭であるバードリングが猫から飛び出していた。

 こんなことまで出来るなんて全く知らなかった。

 

「久しぶりね」

 ハオジウブジィエン、と聞いたことのない言葉を話しているのに意味が理解できるのも相変わらず。

 以前と違っている点と言えば、強化外骨格ではなく普通の服装でいることだろうか。

 帽子を被りサングラスをかけて、まるで桜でも見に来たかのようだ。

 

「ストーカー野郎め、太平洋までぶっ飛ばしてやんぜ!!」

 

「待って、戦いに来たんじゃないよ。私だけでは君たちには勝てない」

 

「じゃ、何しに来たの!」

 終の敵である以上に二重の意味で未来の敵だからか、未来の周囲の空気に嫌悪が滲み出ている。

 少しでも敵対的な言葉を口にすればバードリングは比喩ではなくぶっ飛ばされるだろう。

 

「今日は休暇。でも、個人的に君たちのことが気になったからにおいを辿って探していたの」

 

(……あ! 地図落としたんだっけ!)

 意識を失った終を未来が担いで逃げる際、荷物をいくつか落としたと言っていた。

 確かに落とし物の中に目的地を印した地図はあった。

 

「今、本当に驚いている。まさかアンドロイドと能力者が助け合っているなんてね」

 

「……。それで? それを見に来たのか?」

 

「違うよ。ちゃんと正式に勧誘に来たの」

 

「な――――」

 

「アンドロイドも能力者も関係ない。君はどこにも所属せずに生きていくのはいいことだと思っているの?」

 未来の言葉を遮るようにバードリングが言葉を続ける。未来が言い返さなかったのは正論に聞こえるその言葉が実際正論だからだろう。

 

「俺の勝手だろ。ほっといてくれよ」

 

「でもほんの数か月のうちに……かなり大怪我をしているように見えるよ。そうやって、近い将来どこかで野垂れ死ぬのが望み? アンドロイドのあなたにも言えること。私が間違ったこと言っているように聞こえる?」

 集団への帰属意識は知性のある生物なら持っていて当然の本能だ。

 生きていく上で当たり前のことだし、それがこんな世界で自分たちは子供となれば尚更だ。

 

「分かっているはず。能力者もアンドロイドも地上では厄介者。上手くいくはずがない。私たちのやり方が強引だったのは認める。怒っているのも当然。それでもあなたはあなたの国に帰って、君は私と一緒に来る。それがあるべき姿だよ」

 

「…………」

 未来は黙ったまま何も言わない。

 この話が正論であるということよりも、人間よりも遥かに賢い機械の脳でこのまま二人でいるよりも第三帝国に所属した方が生き残れる確率が高い、そんな計算をしているのだろう。

 

「それでも断る」

 

「シュウ……」

 

「未来、この女の言っていることは正しいように聞こえるだけだ。いや、正しいこと言っているんだろうな。でも正しいか間違っているかは関係ない。その上で自分の生きたいように生きるべきだ」

 

「…………。分かっている? 確かにこの女は敵だけど……伝えに来てくれたんだと思う」

 勝手気ままに生きる能力者など第三帝国にとってはアンドロイドと同じくらい危険な存在だ。

 既に終は指名手配されており、次に見つかった時は総攻撃を受けるだろう。そうなる前に、最後に選択する機会をくれたのだ。

 だがそうだとしても、第一印象が消えることはない。

 

「お前らは嫌いだ」

 

「まるで子供だね」

 子供だからな、と割と格好の悪い言葉を返そうとしたとき、コートの下に隠されたバードリングの右腕が全く動いていないことに今になって気が付いた。

 左の袖は通しているから肩にかけているだけという訳でも無さそうだ。

 

「右手、どうした?」

 

「これ? 君の攻撃で墜落したヘリに巻き込まれたの。不運にも私だけこんな大怪我をしたんだよ」

 そっと開いたコートの下に、最早まともな形状をしていない右腕があった。

 複雑骨折をして骨が皮膚を突き破ったことが容易に想像できる夥しい数の縫合があり、常時細かく痙攣している上に人差し指しかない。

 だとしてもお前たちが攻撃してきたんだ――――と、そう割り切ることが出来たのなら。そういう人間なら終は第三帝国の勧誘に乗っていただろう。

 

「……謝らねぇぞ」

 

「謝らなくていいよ。どうせ君には勝てないし」

 能力を自分の思うままに使うというのはこういうことなのだ。

 自由に使える代わりに、その責任も全て自分にのしかかる。

 それを受け止められないのならば、管理される歯車になれと言っているのだろう。

 その責任から逃げるだけならば、最早それはその辺の悪党に堕ちた能力者と同じだ。

 

「手、出してみな」

 

「なんで?」

 

「治してやるから」

 

「……どう信じろと?」

 

「あんた、自分でいうのも変な感じだけど……子供の言うことすらもいちいち疑ってかかるような世の中じゃ、もういくら能力者を集めても世直しなんかできっこないだろう」

 

「…………」

 バードリングはほんの少し逡巡した後、左手を使い右腕を持ち上げて終の方に差し出してきた。

 未来は、自身の敵であるはずの人物の治療を申し出た終を止めるようなことはせず、ただ黙っている。

 そうだ、そんな未来がそばにいるからこそこうありたい――――終の脳から発生した時間の逆回転が手のひらを通してバードリングの腕に伝わる。

 100年の時間も1分ほどで戻せるのだから、そう時間はかからない。縫合されていた部分が再び裂け、バードリングが小さく悲鳴を上げる間に裂けた肉は塞がり折れた骨は元の形に戻っていく。

 痛みを感じる間もなく、元通りの健康な右腕に戻っていた。

 何事も無かったかのように動く腕を見ながらバードリングが息を呑んでいるのを見届け、背を向ける。

 

「もう追っかけてくるなよ。未来、行こう」

 

「待って」

 

「なんだよ。もうほっといてくれ」

 振り返った終の目の前で、バードリングは口笛を吹いていた。

 いきなり攻撃――――と、未来は距離を大きく取ったが、終にはその音の正体が分かっていた。

 分かっていたが故に不思議で仕方が無かった。たかだか鳥一匹を呼んでどうしようというのか。

 肩に鳩をとめて、バードリングは何やらメモ帳に文字を書き始めた。

 

「……私に出来るのはこれくらいしかない」

 

「なにこれ? なんか変な漢字だなぁ」

 

「アンドロイドのあなたなら読めるよね」

 

「……。神奈川県で操梦者の死体を発見……」

 

「……?」

 それは自分のことなのか訊く前に、メモを足に括り付けた鳩は空高く飛んでいった。

 恐らくは第三帝国の仲間の元へ、終が死んでいるという偽の情報を届けに。

 

「本当は少しだけ羨ましい。……心の内がどうであれ、最早私たちに自由などないから」

 もう一度口笛を吹いたバードリングの元に新たに鳥が舞い降りた。

 能力者だろうが非能力者だろうが、行いというものは自分の身に帰ってくるものなのだな、とある種の感動を覚えているとまさかの未来がバードリングに声をかけた。

 

「帰る前に! どうやって私たちを見つけたの?」

 

「においを辿ってって話したよね」

 

「においだけでこんなピンポイントで見つけられるわけないじゃん」

 

「…………。あなたたち聖地に向かっているんじゃないの?」

 

「聖地ぃ?」

 終がオウム返しするのとほぼ同時に未来が『あっ』と頓狂な声を出した。

 何が何やら、少し前から話についていけない。

 

「もしかしたら……呼ばれているのかもね。预知梦に。今度こそ、さようなら」

 

(サイツェン……。なんだろ、また会おうって意味かな)

 鳥になって飛んでいってしまったバードリングの言葉が頭の中で反芻される。

 確かに脳の中では『さようなら』と認識したのだが、言葉の響きがどうにも『また会おう』だったような気がしてならない。

 

「まぁ……結果的に良かったのかな?」

 

「あいつは腕が治って俺は第三帝国から狙われなくなったんだもんな。さっきのなんだ、操梦者っての? 俺の事?」

 

「うん。中国語だとそう言うみたいね。他の国だと……ドリームとかかな」

 

「预知梦ってのは?」

 

「全知のこと。英語だとウォッチャーだけど、中国だと预知梦って呼ばれ……あっ」

 本日二度目の『あっ』だ。さっきから何と何が結びついているのかついていけないが、とりあえずは一つ目の方から訊いてみよう。

 

「聖地ってなんのこっちゃ」

 

「もうちょっと歩けば着くよ。私……行ってみたいな」

 

「……? それじゃあまぁ、行ってみるか?」

 行ってみたいと未来が言うからにはきっとアンドロイドにとって大切な場所なのだろうと思っていた。

 だがそこは、アンドロイドだけではなく、全ての能力者にとって、あるいはこの世界に生きる全ての者にとって運命が変わった場所。

 全ては描かれた筋書き通りであることを、無知な終が知るはずもなかった。

 

*************************************

 

 海のにおいが更に強くなってきた。

 聖地という言葉はやや大げさだが、道にいくつもの足跡があるのを見るに、少なくともランドマークとなっている何かがこの地にはあるらしい。

 なんて、そんな推測をしなくても目の前にあるこの妙な灯台がそれなのは間違いないようだ。

 

「着いたよ」

 

「……灯台が聖地?」

 看板はあるが酷く錆びていて文字を判別することは不可能だ。

 所々段差が崩壊している階段をのぼり未来についていく。

 一分ほど歩いてようやく頂上にたどり着いた。

 

 壊れた木のベンチの隣に固く封鎖された灯台がある。

 灯台というからにはすぐそこは見渡す限りの海だと思ったのだが、見えたのは水位が下がり干乾びた海だった。

 ひび割れた大地の向こう側でようやく太陽が海に溶けていっている。

 足元にはいくつもの花束が置かれており、初めて目にした海なのにあまりにも覚えのある光景で――――

 

「創……」

 物事のはじまり。あるいは、作ること、傷つけること。

 質量のない何かが大量に終の中に流れ込み、出てきたのは今まで口にしたこともないであろう漢字だった。

 駆られるように、荷物から『それ』を取り出す。

 かつて未来が描いてくれた始祖の記憶の絵だ。

 恋するアンドロイドの少女と全知の逢瀬の場所が今自分が立っている場所と完全に重なる。

 海は干上がり丘は崩れかけているが、それでも。未来が何の説明もしなかった理由が分かった。

 

「どうしてその名前を知っているの?」

 

「名前……?」

 

「全知の名前。天明屋創」

 

「お、俺……」

 この絵では遠すぎてどんな顔かまではよく判別できないのに、未来が名前を言う前から既に全知の顔は浮かんでいた。

 

(あいつ……あいつが全知!!)

 好きな女はいい匂い、この音楽が好き、コーヒーはうまい。

 この旅に出てから何度か夢に出てきた三白眼の少年。彼こそがこの世界を作ってしまった神の半身、全知。

 

「バ……バカじゃねえの……」

 100年以上前に死んだのに、何を思ってこの時代の能力者の夢に出たのか。

 何か考えがあったのか、いや、無かったとしても。

 もしも自分が世界の全てを知っていてこの時代の能力者に、仮に夢の中だとしても出会うことが出来たのなら、もっと大切なことを伝えるだろう。

 それなのに奴と来たら、女と飯と音楽の話しかしていない。頭が良すぎて逆にパーなんだろうか。

 

「シュウ? どうしたの? なんか……今までにない表情なんだけど」

 

「全知って……創って変な奴だった?」

 

「直接会ったわけじゃないから、だったって言うのもおかしいけど……変わり者だった」

 

「……ここで死んだのか」

 

「うん」

 アンドロイドに心を与え、能力者という存在を創り出し、世界を良くも悪くもこのような形にしてしまった不完全な神。

 それが亡くなった場所ならば、それが全てのアンドロイドの心に刻まれているのならば、聖地と呼ばれるのも納得だ。

 添えられている花はアンドロイドが訪れたのか、能力者が訪れたのか、あるいは両方か。

 こう考えると改めてとんでもない能力者なのに、なぜ自分にはあんなどうでもいいことしか話さなかったのだろう。

 

「神さま扱いもいいけど……墓ってどこにあるんだろ。その、ちゃんと人間としての」

 

「お墓はないよ。粉々の灰になって、風に飛ばされちゃったから」

 

「…………」

 

「でもそれでよかったと思う」

 

「なんで?」

 

「不完全とはいえ、神に最も近い力……少しでも身体が残っていたら、人間にもアンドロイドにもいいように利用されていたと思うから」

 

「その力がアンドロイドのものになったとしても?」

 

「……うん。17年しか生きていないのに世界はこうなっちゃったんだよ。そんな力を手に入れてどうするの?」

 

「死後利用されないことがせめてもの救いか……」

 

「…………。最期は笑って死んだんだってさ。アンドロイドに未来をあげるって言って」

 どうしてだろうか。死をずっと前から悟っていて覚悟を決めることが出来たとしても、17歳の少年だ。

 自分だったらできない。愛した相手の目の前で死んで笑うなんて。

 キスはしたのだろうか。抱きしめてあげたのだろうか。ちょっとくらいエッチなことはしたのだろうか。そういうことも出来ぬまま死んでしまったのではないか。

 なのにどうして笑うことが出来たのだろう。 

 

「全知……ウォッチャーの能力、もう一度言ってくれない?」

 

「……? 周りの生き物の未来と、世界の岐路となる重要な事件が全部見える」

 

(……俺は未来を……アンドロイドを命のある存在だと思っている……)

 機械の未来は見えないが、生き物の未来は見える能力だった。

 アンドロイドはいつ生き物になったのだろう。

 何時何分何十秒とは言えないが、創が死ぬ直前だったことは確かだ。

 

(どうして笑った……?)

 死ぬ直前に目の前にいたアンドロイドを、新たな生物種となったアンドロイドを通して未来を見て笑ったのではないか。

 人間よりアンドロイドが好きだとして。

 人間を虐殺するアンドロイド、汚染された地球、暴れる能力者。

 これが創が見て笑える未来だったのだろうか。

 

(そうなのかな……)

 伝えていないだけで、言えなかっただけで。

 あるのではないか。更にその先が。

 神の半身の魂が空に溶けてなくなるほんの僅かな瞬間に見た未来の夢。

 最早誰も知ることの叶わないその先を知って笑ったのか。

 

「シュウ……いやだったらいいんだけど……このベンチ直してもらえる?」

 あれこれと考えている間に降ろした荷物から未来はタオルを取り出して、水筒の水をかけている。

 能力者として、というよりも終としては思うことも多々あるが、何をどう解釈してもここはアンドロイドにとっては始まりの場所なのだ。

 

「いいよ。出来るだけ綺麗にしていくか」

 未来が灯台の見える範囲を磨き床を掃除している間にベンチを修復していく。

 トンカチと釘でなんとかなる部分は工具で叩き、どうしようもない部分だけ時間を戻して直していく。

 30分もすれば、戦前そのままとはいかないが少なくとも人が滞在できる場所にはなった。

 

「…………」

 もう30年もすれば自然に崩壊するであろう灯台は、役割を失い干乾びた海を眺めている。

 いつもより大きい夕陽の中で、膝をついた未来が手を独特な形に組みながら目を瞑っているその姿は、まるで祈りのようだ。

 

(アンドロイドの祈りか……)

 多種多様な種類がいた人間だが、どの土地にも祈りを捧げる文化が生まれた。

 自分たちよりも大きく、絶対であるものに頭を垂れて、何かを祈る。

 どこの土地でも人間が同じことをしていたのなら、それは知性を持った存在の本能に近い部分からの行動なのだろう。

 そして今やアンドロイドも自分たちの存在がここにあるという奇跡に対して祈っている。

 もはや、機械の非生命体らしさはどこにも見えない――――そんな文章を祈る未来と灯台の絵に添えて日誌に記しておく。

 

(何に祈るんだろう?)

 まだ生きているという始祖には祈らないだろうから、そうなるとやはり全知だろう。種族の繁栄か、それとも自身の幸福でも祈っているのか。

 人間を下等種族とみなす一方で、人間であったはずの全知を崇めているという矛盾を彼らはどう受け止めているのだろうか。

 ビーフジャーキーを嚙みながら、未来の気が済むまで待つが、終が未来と同じ行動をしないのはひねくれているからではない。 

 アンドロイドの始祖とやらはともかくとして、夢の中で出会った創が祈られて喜ぶような人間に見えなかっただけだ。

 

「ありがとう。私たちに敬意を払ってくれて」

 

「うん」

 自分がどんなに屁理屈をこねたところでアンドロイドは基本的に敵なのだろう。

 ましてや自分は(最近よくよく自覚したが)強力な能力者で、これからも追われ続けることは違いない。

 だが、だからといって相手の大切にしていることさえも貶めればそこが人間の終わりだ。

 いつか滅びるという意味ではなく、生きる価値が無い。アンドロイドのよく言うこの世で最も下等な生物に本当になってしまうから。

 

「あのさ、話さなくちゃって思っていたんだけど……ちょっと話す機会が無くて」

 

「?」

 

「昨日の夜、あと30kmくらいって言ったでしょ」

 

「あっ」

 細かい数までは知らないが、今日はいろいろあって直線距離でいえば10km程度しか進めていないと思う。

 目測2,3kmほど先に海があるが、未来の言葉通りなら更にそこから15km以上先だ。

 

「船……いるよね」

 

「マジかよ」

 この近くを探せば廃墟となった港くらいはあるだろう。

 だが問題は海の水位が思い切り下がってしまっていること。

 そこに船はあるかもしれないが、海まで運ぶ手段が思いつかない。

 念動力で運ぶことも出来はするだろうが、脳の血管が破裂するかもしれない。

  

(ていうかなんで海?)

 一瞬アンドロイドの国であるアサイラムにあるのかと思ったが、それはないだろう。

 能力者との戦いに巻き込まれて通信装置を奪われたのはほぼ間違いない。わざわざそんなところで能力者と争いを起こすはずがない。

 未来の通信装置を奪った能力者が何かを思って海に捨てたということだろうか。

 

「あと10何km……ハードな道になりそうだな」

 ぶっ壊れたの船を無理して海に運ぶよりも、街と海辺を往復して材料を運んでそこから頑張って一から作るか。

 だとして食料はどこで調達しようか――――あれこれ未来と考えていたら何かが聞こえた。

 

「!」

 今まで生きててほんの数回しか聞いたことのない車のエンジン音だと気が付いた時には、扉を閉じてこちらに歩いてくる音も聞こえた。

 足音は一人分、こちらの存在は分かっているはずだが階段をのぼる音に警戒心は表れていない。

 ガンマンの決闘のようにいつでも武器を取り出せるように構えながら相手を待つ。

 

「子供がこんなとこでなにしてんだ?」

 のぼってきたのは普通、と表現する必要もないほどに普通の中年男性だった。

 ボロの長シャツを着て顔が縦にやや長く頭頂部が少々薄くなっている。まったく普通の人間を見るのが久しぶりすぎて肩の力が抜けてしまった。

 

「私たち船を探しているの。この辺りに船着き場とか港とかない?」

 

「あるにはあるけど……動かないぞ」

 

「俺が直すからいいんだ」

 男は口を開けて驚いたような表情をしている。

 子供がこんなところにいることも、船を欲しがっていることも、直そうとしていることも全て不思議で仕方ないのだろう。

 

「壊れた船でいいなら……うちの村にあるぞ」

 

「ほんと!? 金払うから、買えないかな」

 

「ちょっと待った待った。買うも何もうちの村に来て見た方がよくないか」

 

(村か……)

 車の音がしたということはそれなりに距離はありそうだが、少なくとも人が暮らせるところが近くにあるらしい。

 なんにせよ、実物を見ないことには確かに始まらないので頷く。

 

「宿ってある?」

 

「宿……はないなぁ」

 

「じゃあ船見てどこかでテント張らないとね」

 

「なんだお前ら、家が近くにあるとかじゃないのか?」

 

「家なんかないよ」

 子供とはいえ初めて会ったばかりの人間の話をちゃんと聞いてくれるあたり、見かけの印象通りに親切な人なのだろう。

 だから薄くなるんだろうに、わざわざ禿げかけている部分をがりがりと掻いた男は、とりあえず村に行こうと言ってくれた。

 

「車、珍しいな……」

 ライトが片方壊れているが、最早今の時代動いていることすらも貴重な軽トラだった。

 街中ならば悪路凄まじくそもそも車が邪魔にすらなってしまうが、海岸沿いだから崩れた廃墟も道を塞いだりはしていないのだろう。

 

「誰か乗ってる」

 

「よっ。よろしく」

 その未来の言葉を待っていたかのように助手席にいたその子は顔を出した。

 無造作に伸びた髪を頭に被ったテンガロンハットでまとめた女の子。

 車から降りていないので体格は分からないが、やや年上くらいに見える。

 幅の広い二重の上のやや太目な眉が快活な印象を作っているが、顔の特徴がこの男と似ている。

 

「娘の真央だ。えーと、お前たち、なんて言うんだ?」

 

「あっ……シュウ」

 自己紹介なんて何カ月ぶりだろうか。

 影山治、と男が名乗り手を出してきたので慌てて握る。

 助手席からも伸びてきた手に指の欠けた左手で応えてしまいそうになったのに気づきぎりぎりの所で右手を出す。

 

「…………」

 

「未来? どうしたの?」

 車が珍しかったのか、それとも親子が珍しかったのか。

 未来は二人を見てぽかんと口を開けて呆けていた。

 

「な、なんでもない。同い年くらいの女の子会ったのってはじ……久しぶりだから」

 そう言われてみればそうかもしれない。

 旅の途中で寄った街にいたような気もするが、実際に話したりしたわけではない。

 しかも未来は記憶を失っているのだからこういう反応になってもおかしくない。

 

「終と未来ね。自転車、車にくくって荷台に乗りな。連れて行ってあげる」

 昨日想像していた明日とずいぶんと違っているな、と未来と顔を合わせる。

 壁に突き当たった途端にこんなに物事がうまく進むだろうか、という疑念は拭えないが他で船が手に入る保証もない。

 実物を見てから決めても遅くないだろう。そう考えた終はロープを取り出して自転車を軽トラにくくりつけた。

 

 

 

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