星繕説   作:K-Knot

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テラリウム

 車で10分ほど飛ばした場所にその村はあった。

 近くで見たところ、4,50人は住んでいるようだ。

 海岸沿いにある漁村と言えば簡単に聞こえるが、今の海に沿って存在しているということはブラックホールのせいで水位が下がった戦後に作られたということだろう。

 よく見てみるとどの家も手作り感たっぷりの木造建築だ。

 

「おっ? 犬おるが……」

 村の入り口に終が小さいころから追いかけ回し回されした変異体の犬が寝ている。 

 割れた顎からでろんと出た舌が地面に触れても気にせずにがーがーと眠り、その背で猫まで寝ている。

 

「よそ者が来た時のために番犬として飼っているのさ」

 真央はそう言うがまさしく今よそ者が来ているのに起きる様子すらもない。

 人に懐くとは驚きだが、これで番犬としての役割が果たせるのだろうか。

 

「ほら、船はあそこにある」

 

「漁船か」

 桟橋のそばにいくつか船とボートが泊っている。

 手前の一艘がそうらしいが、なるほど他のに比べて明らかに壊れている。

 

「確かエンジンが動かなくなっちまったんだったかな? あと計器も色々ぶっ壊れているし、舵もだったか」

 詳しく見てみないことには分からないが、船の修理は一番初めに受けた仕事でありその後も定期的に義治の船を修理していたため一番得意だ。

 びっくりするくらい完璧に直して未来に褒めてもらいたい。

 

「いくら?」

 

「使ってなかったやつだし、邪魔だっだしな。金はいいさ」

 

「……そういうわけには」

 自分がおかしいだけかもしれないが、こんなにただで親切を受け取る訳にはいかない。

 何しろ一度海に出てしまえば借りを返すことも出来るかどうか怪しいのだから。

 

「そうだな……。うちの村は風力発電で電力を賄っていたんだが……壊れているんだ。それも直してもらうってはどうだ?」

 なるほど、村に電線が張り巡らされているが電気の明かりは見られない。

 焚火やランプなどの原始的な手段で光源を確保しているようだ。

 直せるかどうかは別問題として、それを受ければ時間がかかってしまう。

 私の方が背が高いね、と真央に言われている未来を見ると静かに頷いてくれた。

 元々期限がある訳でもないと言っていたから別に構わないらしい。

 

「いいよ。とりあえずは見てみる」

 

「えらいな、終は。その年で手に職をつけてるんだな」

 大人に褒められたのが久々過ぎて面食らう。

 終からしてみればいきなりよそ者にそこまで歩み寄れる方が余程偉いと思うのだが。

 

「じゃあ、また明日の朝来るよ」

 

「ん? どこ行くんだ」

 

「どっか寝泊まりできるところ探さないと」

 

「あっちの外れにある家、今は使ってないから使っていいぞ。村長には話しておくから」

 

「…………」

 本気かよ、という言葉が口から出かけた。

 子供とはいえ――――というよりも子供だからこそ二人で旅をしているなんて怪しさ満点ではないのだろうか。

 ましてや自分は一目見ればトラブルに巻き込まれたであろう人間であることは分かるはずなのに。

 

「それともうち来るか? 部屋一個空いているから――――」

 

「いや、大丈夫大丈夫。ありがとうございます、本当に」

 戦前までは普通だったかもしれない大人からの親切と優しさが怖く、食い気味に影山の言葉を遮ってしまう。 

 そんな終を未来は何か言いたげな顔で見ていたが特に何も口にしなかった。

 

「え、なに。一つ屋根の下で男女二人? その年で? ずいぶんなんていうか、楽しそうじゃん?」

 

(楽しそうか……)

 楽しかったが文字通り死ぬほど大変だった。自分だって生まれ育った土地を出るまでそんなことを考えもしなかったから、きっと真央は想像も出来ないだろう。

 晩飯食うべという父の背についていく真央の向こうに、いくらかの作物を育てている農場と牛と馬のいる牧場が見える。

 海も近いし電気さえ戻れば自給自足が完全に成り立つ数少ない地の一つなのかもしれない。 

 

「ここに暮らしていた人、どうしたんだろうね」

 

「考えても仕方がないさ」

 大黒柱がしっかりとした木造の家は、土間がありその先に囲炉裏を中心とした部屋がある。

 この村のどこかに電気を使わずとも暮らせる家を造れる知識のある人物がいるらしい。

 鉤に鍋がつるされているし、棚にも古びた釣り竿や枯れ枝なんかが置いてある。

 使われなくなった船、人がいなくなった家。色々考えようはあるが、こんな時代では病気の一つでも治すのは難しい。

 

「この鍋錆びちゃっている」

 それは残念だが、部屋の中は誰も住んでいない割に定期的に掃除されているように見える。

 村に几帳面な人でも住んでいるのか、元の住人が帰ってくると今でも信じているのか。 

 

「とりあえず俺らの使おうぜ」

 自分たちの鍋を入れて持ち運んでいた8Lの水を全て入れ、枝を囲炉裏に放り投げて能力で火をつける。

 熊の皮で作った外套を壁にかけてようやく一息つく。ずっと一人で暮らしていた弊害かもしれないが、一人でも生きていける代わりに他人の親切に対してどう反応していいかよく分からない。

 

「ごめんね、気付いた時点で言っておけば良かったかも」

 

「ま、なんとかなっているし別にいいんじゃねぇ」

 多分ぎりぎりまで言いたくなかったんだろうな――――とは思っても言わない。

 気が付いているか知らないが、まだ旅は続くと知ってか未来の顔からほのかな喜びを感じる。 

 

「でもこの村何かちょっと変だね」

 

「なにが?」

 

「だってここ元々海だったんでしょ。海水が地面に染み込んでいるはずなのに農作物なんか育てられるかな」

 

「……確かに……変っちゃ変だな」

 だが放射能汚染により凶悪に育つようになった植物はたとえそこがコンクリートだろうが突き破って伸びてくるくらいだ。

 変と言えば変だが、それで人が生きていっているのだから現実を認めるしかない。

 

「それだけじゃないんだけど……ま、いっか」

 荷物から桶を取り出した未来は鍋の中の水の温度を確かめている。

 蒸留してすぐにポットに入れたから微妙に温かいが、まだ沸騰はしないだろう。

 とりあえず今は夕飯に何を作ろうか考えているところだ。

 

「シュウがもともと住んでた家よりずっと立派だね」

 

「思ったとして言わんでほしかったですね。何はともあれ、昨日までよりずっと落ち着けそうだ」

 部屋の端に布団を敷いて座り、いつか使えるかもと家の造りを日誌に記しておく。

 自分が3年間過ごした風が吹けば飛び雨が降れば漏るような家とは凄い差だ。

 

「身体洗おうかな」

 

「そう? じゃ、俺外行ってるわ」

 お湯の温度を確かめていたのはそのためだったらしい。

 身体を洗うのは大体二日に一回なのに昨日の今日でまたか、という気もするが海がそこにあるせいか少し身体がべとつく気がする。

 日誌とペンだけ持って出ていこうとすると後頭部にヘアゴムがぺちっと当たった。

 

「来たばっかりで夜に外うろついていたら本当に不審者だよ」

 

「え……じゃあドアの外で座っているよ。まだ書き終わってないし」

 

「いいよそんなの」

 

「あの、俺むっつりスケベだから横目で見ちゃうよ」

 

「…………」

 完全に無視して服を脱ぎだした未来を見て慌てて背中を向ける。

 耳クソが詰まり過ぎて声を出したつもりが自分の頭蓋骨の中で反響しただけなのだろうか。

 

「ゔうんっ。俺むっつりスケベだから横目で見ちゃうよ」

 

「聞こえているよ。どうせ見るなら……そうだなぁ。シュウに身体拭いてもらおうかな」

 

「あ? ん?」

 

「何十回もしてあげたじゃん。おかえし」

 その言葉を言われると絶対に断ることが出来ない。

 動けないときに毎日身体を洗ってもらいベッドの上で体勢を変えてもらいとこれ以上ないくらいお世話をされた。

 それと同時にもう未来に見られていない部分はないというくらい身体を隅から隅まで見られた。

 おかえしというか、これでようやくおあいこだ。

 

「……なんで急に?」

 

「べつに甘えたっていいじゃん」

 振り返ってみれば未来はずっとそうだ。

 欲求に素直で思っていることをそのまま口にする性格で、ここまで直球を投げられると受け止めることしか出来ない。

 目をしばたかせながらタオルを取りこちらに背中を向ける未来の元へ向かう。

 おろしていた髪を先ほど飛ばされたヘアゴムで結い上げて白い背中を晒す。

 

(相変わらず綺麗な肌だなぁ)

 自分なんかもう傷ついていない部分がないくらいなのに、と指先でその背に触れる。

 この肌を綺麗なままにするのが男の責任のような気がする。

 きっとその代わりに女はその男だけにその肌に触れて好きなようにする権利を与えるのだろう。

 お湯に浸けたタオルで背中を拭きながら肩甲骨の下にある型番号をなぞる。

 

(最新型に『未来』、か。良い名前だよな)

 この前本で読んだ貴族の従僕のように腕を持ち上げて手の先から順に洗っていく。

 特に汗をかく腋を念入りに拭く。そういえば未来はカミソリなんか買っているが、ムダ毛を処理したりしているのだろうか。

 触った感じだと元々生えていないようにも思える。自分もようやくちょろちょろ生えてきたくらいだし、ぷにぷにしているだけなのもまだ当たり前なのかもしれない。

 

「ふふ。くすぐったいよ」

 

「わ、ごめん」

 

「もっと下の方も洗ってよ」

 そっちお尻ですよ、なんて今更言っても返ってくる言葉は大体予想がつく。

 こらえたつもりの唾を飲み込む音が部屋に響く。肩越しにこちらを見ていた未来の目が笑っている気がする。

 強がって素手で臀部に触れて何も気にしていない風を装って拭いていく。

 

(ちくしょう、やわらかい!)

 最初の頃は恥ずかしいから見るなと言っていたが、あの『恥ずかしい』は自分より下に見ている存在に肌を見られることに対する恥辱だったんだろう。

 今も少し恥ずかしそうにはしているがいやがってはいないことをひしひしと感じ胸をかきむしりたいような衝動に襲われる。

 なんでいま自分が未来のお尻をタオルで拭いているのか分からなくなってきた。おっぱいは小さいが健脚の伸びるお尻はしっかり大きいのはずるい、一体何がどうしてずるいと思ったのだろう。

 

「後ろばっかりじゃん」

 

「え?」

 三秒くらいの間を置いて言いたいことが理解できたが、こういうのは背中だけ流すものではないのだろうか。

 頭の中が「?」でいっぱいになっている間に、意を決したように未来はこちらに向き、終は片方しか残っていない目が飛び出したかと思った。

 

「はやく」

 

「はい! はい!」

 すぐに視線は下に向けたが、頭の中は一瞬の間に見えた未来の胸の残像でいっぱいだ。

 もはや取り繕うことも出来ない手で震えながら足を持ち上げて拭いていく。

 

(足こんな形していたんだ……)

 手なら普段から見慣れているが、足の形まで綺麗だなんて知らなかった。

 中指が一番高く、定規を使って設計したかのように指の長さも爪の大きさも完璧だ。

 足の裏も土踏まずは当然ながら、かかとの皮膚までもやわらかい。

 自分は毎日のように皮が剝けているのに、と思ったがここ最近未来はずっと自転車の荷台にいたことを思い出す。

 汗が溜まっていたであろうひかがみを拭いてふとももまで上がってきた。いつだかに膝枕をしてもらったが、素肌のままもう一度してもらいたい。そろそろ心臓が壊れそうだ。

 

(ここより上も??)

 暗くて大事な部分はよく見えないが、囲炉裏の火だけで残念なようなほっとしたような。

 だが足の裏や腋などの汗が溜まる部分を特に念入りに洗う必要があるのだから、鼠径部もそのはず。

 そこまで行ったらさすがによく見えていないからセーフなど言っていられないと思うのだが。

 

「シュウの身体を綺麗にしてあげてるとき、私そんな顔していたかな」

 

「……してない」

 

「どきどきする?」

 

「めっちゃする……」

 まるで鼓膜が心臓になったかのようだ。

 海辺で涼しいはずなのに汗だくになっていた額を拭おうとしたら手をそっと持ち上げられた。

 

「私も」

 

「…………」 

 あえて後回しにしていた胸に手のひらを押し当てられて言葉を失う。

 自分も相当心臓がおかしなことになっているが、未来の心臓も身体全体が小さく揺れているかと思えるほどに早鐘を打っている。

 

「すごいよね。最初はシュウに触られてもこんなことにならなかったのに」

 意味の無い行為だと散々言っていて、そのたびにどこか落胆していたのに。

 今では質量のない心というものがその存在を主張しているかのよう。

 ここまで変わってしまうものなのか、変われるものなのか。 

 

「…………。全知が……世界をめちゃくちゃにしたことは分かってる。それでもお前らに……未来に心があるのが嬉しくて仕方ないんだ」

 一人で生きていた頃、誰もいなくなった街で完全に壊れた女性型アンドロイドを見たことがある。

 服は着ていなかったが、何も感じなかったのは機械だと認識していたからだろう。

 いま自分の心臓が痛いくらいに鳴っている理由は、これ以上ない程に生きていると認めているからだろう。

 

「せっかくだし……洗いっこしよっか?」

 

「……俺、エロマンガ読み過ぎてそういう意味にしか聞こえないや」

 何がせっかくなのか分からないし、自分の言葉への返しがそうなる意味も分からない。

 

「じゃあそれで」

 

「するする!」

 ネジが三本くらい頭から外れた音がする。もう完全に馬鹿になってしまった。

 もう未来が押さえている訳でもないのに、ずっと胸に手が触れていて更に頭がおかしくなってくる。

 他にもやることはまだあるがそんなもの全部後回しだ、未来もそう思っている――――扉が乱暴に叩かれた。

 

「「!!」」

 未来に服を押し付けたのと未来が服を手に取ったのはほぼ同時だったのは我ながら素晴らしい反射速度だ。

 

「未来ー、お風呂いこー」

 

「「お風呂??」」

 扉の向こうで真央の言っていることの意味が分からず未来と向き合い同じ回数だけ瞬きをする。

 何はともあれ、まずは服を着ることが先だった。

 

 

***************************************

 

「マジか」

 湯煙の中で、何人かの大人が談笑している。

 ここに来るまでの間に真央から聞いた話では、村のすぐそばに源泉が湧いていたから温泉を作ったのだという。

 男湯と女湯の間についたて一枚の簡単な仕切りがあるだけの簡素な温泉だが、こんな時代ではこれ以上ないほど贅沢なものだ。

 

「なんだ終、ケンシロウみたいな身体してるなお前!」

 

「ケンシロウ……?」

 影山が禿げた部分を隠すように頭にタオルを置いている。

 目の前で笑っている老人はなんと歯が一本もない。

 

「入る前にユウの身体洗ってやってくれ」

 真央が一緒に彼女の弟だという游を連れてきていた。

 普段は女湯に連れていっているが、今日は男湯に連れていってほしいと頼まれたかと思えば身体を洗うことまで頼まれてしまった。

 

「うん。おら、逃げんな」

 見た目から3歳くらいだと思うが、身体を洗うと聞いたとたんにぴゃっと入口に走り出したのを捕まえる。

 確かに自分もこれくらいの時は風呂は嫌いだった。

 

「…………」

 

「暴れんなって! ちゃんと身体洗わないと……。女の子に嫌われちまうぞ!」

 風呂につかっている男達がいっせいに爆笑したどころか、女湯からも笑い声が聞こえた気がする。

 未来も聞いていたかもしれないと思うとかなり恥ずかしい。

 

「…………」

 

(喋んないなこの子……)

 少し熱すぎるお湯を頭からかけて石鹸とタオルでがしがしと身体を洗っていく。

 これくらいの年齢だったら色んな言葉を口にしてもおかしくないと思うが――――

 

(……! 脳が壊れている……)

 洗うふりをしながらそっと頭に触れ、能力で意識を撫でる。

 今まで何度も人間を夢の世界に叩きこんできたが、その時と感触が明らかに違う。

 脳の一部、額側に位置する部分がまともに機能していない。

 

(これは俺では治せない……)

 何かの事故でこうなったのなら治しようもあるが、外傷が見られないことから生まれた時から障害を持っているのだろう。

 治そうにも脳の構造など知らないからどうしようもできない。

 今の時代、2,30人に1人は身体のどこかが壊れて生まれてくると聞いたことがある。

 そう考えると『健康体だった自分の家族』は運が良かったのかもしれない。

 

「終、なんでお前そんな怪我だらけなんだべ?」

 

「これは……」

 

「ええじゃないの、今生きているならそれで」

 

「あ、村長ねこの人。俺の親父」

 

(真央のお爺さんか)

 顔は影山にそっくりだが歯がないどころか髪までないのを見るに、影山のおっさんもいつかはつるつるになるのだろうが、この時代にこの年齢まで生きていることそれ自体が幸運だ。

 

「この村ってどうやって作ったんだ? 家とかすごいしっかりした造りだけど」

 

「爺さんたちが廃墟から柱とか運んで1から作ったんだよ。大工だったからな」

 

「え、じゃあ風車俺じゃなくても直せるんじゃないの」

 

「風車造ったのは別の人だ。もう亡くなっちゃっててなぁ」

 

「おまけに俺もまぁ、身体ボロボロでな」

 爺さんはワハハと笑っているが、確かに体調は既に良さそうには見えない。

 医者どころか怪我を治療する知識がまともにある人間だってほとんどいないくらいだ。

 終の身体にも、プレッシャー戦の傷痕以外に右腕に大きな火傷の痕があるが、これは昔に犬に噛まれた傷にアルコールと火薬をかけて焼いたからだ。

 

「できるかな……」

 

「俺も分かることはいろいろあるから、そしたらまぁー聞きに来たらいいや」

 

「親父はずっと家にいるから。勝手に上がっていいからさ」

 

(勝手に……)

 いきなり上がってきたりはしなかったが、そういえばあの家にも鍵がそもそもなかった。 

 泥棒が入るという発想はないのだろうか。自分の考えがおかしいのだろうか。

 熱いお湯を游の頭にかけて風呂の中に入れる。ちんちんが浸かった瞬間に驚いた顔をしていたが、声が全く出ていないのを見てほんの少しだけ悲しい気持ちになった。

 

「でも明日は早いから早く寝ろよ」

 

「?」

 もちろんそのつもりだが、なぜそれを改めて言ってくるのだろう。

 何か引っかかるところはあるが考え事がすべて熱い湯に溶けていくかのようだ。温泉最高、風呂最高と思いながら口まで浸かる。

 その言葉の意味が分かるのは翌朝のことだった。

 

 

*****************************

 

 波の音を聞くとよく眠れるのは母親の胎内での音に似ているからだという。

 自分がどうやって生まれたのかよく分かっていない未来だが、それでも窓から漏れ聞こえる波の音の中でぐっすりと眠っていた。

 

「起きろガキども!!」

 

「「!!」」

 ドアを乱暴に叩く音により終と未来は共にビー玉が弾けるように飛び起きた。

 影山の声がするドアを見た後に窓を見るとまだ日も出ていない。

 

「網引くぞ!」

 

(網?)

 外から大勢の人間の動く音がする。

 まだ半分寝ている頭では分からなかったその言葉の意味も外に出たら一目瞭然だった。

 

「マー! ワー!」

 最前列で脳の90%が動いていなかった終が網に巻き込まれてびしょ濡れになりながら砂浜の上で引きずられている。

 

(…………)

 網を引くというのは海に展開させた網を村民全員で引く地引網のことだったらしい。

 終が絡まり転げまわっている網も、未来の1割程度の力で引けてしまうのだが、そんな空気の読めないことはせずに全員と息を合わせて引いていく。

 朝からハードな運動だったが、その苦労の甲斐もあり大小さまざまな魚が大漁に獲れた。

 

「大丈夫?」

 

「ちょーいてぇ……」

 両肘両膝を見事にすりむいてへたり込んでいる終は大漁を喜ぶ気にもなれないのか、眉毛をハの字に曲げて息を傷口に吹きかけている。

 その時、砂浜の上で小さくなっている終を大きな影が包んだ。

 

「なんだぁ? よそもんがいるっつーから見に来たらまだガキじゃねーか」

 

「あん?」

 終が見上げているその相手もまだ15,6歳といった風貌だが、それにしては大きい。

 栄養不足飢餓状態が当たり前の時代なのに180cm近くある。

 夜漁に出ていて先ほど戻ってきた船があったが恐らくはその船員で、つい今しがた自分たちの話を聞いて見に来たのだろう。

 

「海に出たいだと? 泳げるのかよ、てめぇ。悪いこと言わねえからおかあちゃんとこに帰んな」

 

「…………」

 ほんの僅かだが、終の目に殺気が奔ったのを未来は察知した。

 同じものを感じたのかは分からないが真央もそれとなくこちらを見ている。

 人間は多様性に富んだ動物だ。だからこそ、その気が無くてもこういう風に一番相手を怒らせる部分を踏みにじってしまう者もいるのだろう。

 問題は、それをつっかけた相手が本来ならばどうしようもない怪物であること――――

 

「豪! 船が流されるだろ!!」

 ゴウと呼ばれた少年の頭が包丁の腹で思い切り引っぱたかれていた。

 叱り飛ばしていたのはこれまたこの時代には珍しい、どころか日本では珍しい180cm近い長身に加えて横にも太い中年女性だった。

 まず間違いなく彼の母親だが、確か誰かが尾神さんと呼んでいたか。

 母親の所に帰れと言いながら自分は母親には逆らえないのか、豪は頭をさすりながら流されかけている船の元へと行ってしまった。

 

「悪かったね。ほらこれ」

 

「え、何が?」

 尾神から終に渡されたざるの上には締められたアジに貝と海藻が乗っており、それだけで贅沢な料理が作れそうだ。

 

「あんたたちの分」

 

「いくら……?」

 

「? 働いたんだからその分渡しているんだよ」

 終のどんぐりのような黒目が動揺を隠せずに震えた。

 尾神は当然のことを言っている。半ば強制的だったが、働いたのだから報酬があって当然だ。

 

(…………)

 終と出会ってからこれまでの全ては機械の脳に記録され、機械らしく夜光終という人間の感情分布分析は蓄積され少しずつ完璧に近づいていっている。

 今まで終が人と出会った際の反応に感じた僅かな違和感が少しずつ確信を帯びて言葉になってくる。

 だがまだ早い、かなり正確といっても8割程度。それを今口にしてもどうにもならない。

 これまでで一番の素材を手にして固まっている終の肩に手を置くと、まるで意識が戻ったかのように立ち上がった。

 

************************

 

 何はともあれこの村のルールはシンプルだった。

 住むからには働け。働いた分の食料はやる、と。

 自給自足がほぼ完全に成り立っているから可能な単純さ。

 終は風車の修理があるから久々に離れ離れだ。未来に言い渡された仕事は牧畜の世話だった。

 

「ほら、うちらの馬と牛……と犬もいるね」

 真央に連れられて牧場を案内される。元々海だったはずの地面に青々と草が茂り、牛も馬ものんびりと草を食んでいる。

 昨日は入口にいた変異犬が木桶のそばでまたがーがーと寝ており、猫と子牛が遊んでいる。

 

(サフォークか……どこで手に入れたんだろ)

 こんな時代だ、動物の力を借りるのはそこまで不思議ではない。

 だが未来の視線の先にいるのは、ずんぐりとした体つきに栗色の毛をしたサフォーク・パンチだ。

 1500年代起源の欧州産荷馬だが、どう考えても日本で野生で捕まえられる馬ではない。右の耳が少々欠けているがそれ以外に大きな怪我は見られない。

 どこかで誰かが育てた馬に見えるが――――と考えていたら件のサフォークと目があった。

 

「わっ、なになに?」

 一トン近い雄馬が未来の姿を見るやいなや地面を踏み鳴らしながらこちらに駆けてきた。

 耳を立てて地面を蹴り、鼻をぶひぶひと鳴らしながらこちらに顔をこすりつけてくる。

 何をどう見てもこれ以上ないくらいに懐かれている。

 

「あれ、珍しい。けっこう人見知りなんだけど……」

 

「なんでだろ」

 

「なんでかな。可愛い子が好きなんじゃない、やっぱり」

 私にも懐いているしね、と言う真央の言葉を軽く流しつつサフォークの首を撫でる。

 喋れないから分からないが、今にも泣きだしそうな表情にも見える。

 

「どこで買ったの?」

 

「商……じゃないか。時々来ていたお医者先生がいてね、その人が野菜の種持ってきたり、動物もたまに連れてきていたから買ったの」

 

「…………?」

 真央は気にしていないようだが、この馬も牛も人間のために品種改良された種だ。

 野生に存在する確率は極めて低い。どこかで人の手により繁殖させられたということだが、当然そんなことは個人では不可能だ。

 そうなると商会以外にも何かの目的で商品を売って金を稼いでいる集団がいるということになるのだが。

 

「じゃあ牛乳絞って、その後野菜採りに行こうか。明日には商人が来るからね」

 

「なるほどね……」

 先ほどの魚にしても村人が消費する以上の収穫をしていると思ったが、それを商人に売っているらしい。世界の至る所にこうした生産地があり、流通の役割を商会は担っているらしい。

 昨日真央と影山は軽トラに乗って何をしていたのかと思ったが、他の村との交易を行っていたのだろう。

 この村は放射能汚染が極めて少ない。元々海だったことを考えれば当然だ。

 規模は大きくないが知る限りでは一番環境のいい村で、特に終のいたド田舎とは天と地の差だ。

 そこまで考えて、ふと、未来の心の中に浮かんだ考え。

 ここで、終と暮らせたのなら――――そして機械の脳は悲しくもそれを終が受け入れる確率は限りなく低いことを弾き出していた。

 

 

****************************

 

 春に採れる野菜数種類に加えて煮てよし焼いてよしの魚が数匹。

 朝から働いた未来と終への宝物のような対価。

 ザリガニをありがたがり、その辺の草をなんとかして食べていた今までが嘘のようだ。

 

「こんな贅沢なもん……そもそも買えないぞ……」

 

「ここに来て良かった……」

 幸いにも調味料は結構ある。やはり海のそばということもあり夜は肌寒いから鍋で煮込むか。

 大根をおろして焼き魚と一緒にいただくのもいい。

 

「さてと」

 あれこれと頭の中で献立を考えていたら終がざるを持って立ち上がった。

 

「ちょっ……ちょっと待って。シュウがご飯作るの?」

 

「そうだけど。待ってろよ、美味い飯作ってやるから」

 

「だめだめだめ!! せっかく美味しそうな材料なんだから!! 私が作る!!」

 

「美味しい材料使えば美味いもんできるに決まってんだろうが!」

 

「私が作るって言ってるでしょ! シュウはそっちで絵日記でも書いててよ!!」

 せっかくの材料が終の壊滅的な料理の腕により形容しがたい物質になるなど冗談ではない。

 ざるを奪い取って終を壁へ突き飛ばし台所へ向かおうとする――――が、不可逆的な念動力が未来を終の元へと引き寄せる。

 

「俺がやるったらやるんだ!!」

 

「あいたっ!」

 バラバラになった材料は宙に浮かべられ、未来は布団へと見事な背負い投げを決められた。

 自分でも自分の料理がまずいことを知っているのにこの意地の張り方。最近大人になったなと思っていたのにこれだ。

 

「そこでエロ漫画読んどけ! 今日の晩飯は大根と魚を溶けるまで煮込んだスペシャルスープに決定! です!!」

 

「ずいぶん変わった喧嘩してるね」

 

「!」

 もう一度終の背中に飛び掛かろうとしたら扉から尾神のおばさんが入ってきた。

 終が能力を使っているところは見られなかったようだが、料理担当の奪い合いという珍しい喧嘩を見て笑いながら床に鍋を3つ置いた。

 

「なにこれ」

 

「いや、材料だけ渡しちゃったけどね。どうせうちでも作るからあんたたちの分も作ってあげようかと思って」

 

「…………」

 鍋の蓋を開けると魚と大根をふんだんに使った照り焼きが入っている。

 もう一つは野菜スープ、最後の一つは二人が3回おかわりしてもまだあまりそうなほどのご飯だった。

 

「明日も作って持ってきてあげるよ」

 未来は別に作りたかったわけではなく、せっかくの美味しそうな素材を無駄にするのが嫌なだけだったので、いま尾神が素材を持って行ってしまうことになんの異論もない。

 だが終はお礼を言いながらもどことなく不満そうだ。明日も早いからさっさと寝な、と終始にこにこ笑顔で尾神は去って行ってしまった。

 

「じゃ、まぁ……食うか。ほら」

 米は初めてだと言いながらよそってくれた食事を受け取る。

 自分も記憶にある限りでは初めての日本人らしい夕飯だ。

 

「いただきます」

 

「うっ! うまっ……!」

 食べたことがないだろうから仕方ないが、皮ごと魚を頭から齧った終がうなりながら太ももを叩いている。

 ご飯をかきこむ終の目に涙すら浮かんでいる。

 

「明日も持ってきてくれるんだって。しばらくはご飯の心配なさそうだね」

 

「明日からも……そうだな。嬉しいな」

 言葉とは裏腹に、嬉しいという顔をしていない。

 思えば出会った日から違和感はあった。義治と話した感じでは、終が大人になるまで一緒に住むことは提案したと思う。

 そうでなくとも、もっと近くで住むことも出来たはず。

 

「…………」

 終が拒否したのだ――――確度の高い推測を出す頭を自分で叩く。せっかくの美味しい食事を余計なことを考えて微妙にしたくない。

 船と風車はそこまで壊れてはいないが、それでも修理には2,3週間はかかりそうだという。

 長いような短いような期間だが、少なくともその間空腹に苦しむようなことはないだろうな、と照り焼きの切り身と米をよく噛みながら思った。

 

 

*****************************************

 

 村に来て一週間が経った。

 たわしでブラッシングをしているサフォークが尻尾で小さな虫を軽快に払いながらリラックスしている。

 冬毛が大量に抜けているのに気が付き、空を見上げると泣けるくらいに青い空に太陽が輝いている。遠くに蜃気楼のような廃墟が見えるが、それ以外はなんて平和なのだろう。 

 野暮ったい外套も武器も全て外した終がシャツと短パン姿で牛を引っ張っている。

 終も動物の世話を覚えた方が良いと言われ、出来る出来ないで言えば当然出来た方がいいので、こちらも手伝っているのだ。

 

「べぇー、べぇー、ほらこっち来いってべぇーべぇー」

 べぇべぇ言いながら牛を引いているが、当の牛は微動だにせずに終のシャツを齧っているし、その牛に必死になっている間に別の牛に鼻水を思い切りすりつけられている。

 懐かれているというか舐められているというか、とりあえず怖がられてはいないようだ。

 

(バードリングの能力を使えればなぁ……)

 あの口笛で操れたのなら五秒で終わることなのに。

 そう考えてみると、能力者が非能力者の集団の中で周囲に合わせて暮らすのは本当に大変で馬鹿馬鹿しいのだろう。

 猿の中で人が混じって相手を尊重しながら暮らせるだろうか。

 

「あんたたち、動物に好かれるタチみたいね」

 

「シュウは優しいから」

 尾神のおばさんがボロの掃除をしながら声をかけてくる。

 動物は世話をしてくれる人間の本質に敏感だが、自分まで好かれているのはどういうことなのだろう。

 この村に来てもう十日も経ったが、特にこのサフォークはここに来てからずっと自分にべったりだ。

 結局終はべぇべぇと牛と言い合いながら放牧しに行ってしまった。

 

「干し草の俵取ってきてくれない?」

 

「うん」

 ここでの仕事も大分覚えて、何がどこにあるかも把握できた。

 言われたままに牛舎裏の干し草保管庫へ向かう。

 

「よお」

 目的の俵の上に座り、煙草を吸っている豪がいた。

 煙草なんか手に入るものなのか、前より日焼けをした、などなど色々頭に浮かんできたがまずはどいてほしい。

 

「干し草の上で煙草吸ったら火事になっちゃうよ。どいて」

 

「よう働くなお前ら」

 

「そっちは今日海に出ないの?」

 

「シケが来そうだから帰ってきたんだよ」

 海のはるか向こうにほんの少しだけ雲が見えるがそれだけだ。

 天気予報の機能なんてついていないから分からないが、漁師の勘だしきっと正しいのだろう。

 

「あっそう。そこどいてよ」

 

「いいじゃねえか、少しくらいサボっても。ちょっと話そうや」

 そこまで聞いて、豪がただぼんやりしていたのではなく、未来をここで待っていたのだと分かった。

 軽い言い方をすればナンパというやつだろう。平和な証拠だな、と思う。

 天の彼方まで投げ飛ばすことは造作もないが、事を荒立てたくはない。

 

「私たちどうせもうちょっとしたら出てっちゃうし、他の女の子に話した方がいいよ」

 

「そんなつれねぇこと言うなよ」

 俵から降りた豪が手を伸ばしてくる。正直対処に困る。

 一番早いのがぶっ飛ばすことで次がアンドロイドだと明かすことなのだが――――こちらに伸びていた手が何かに払われた。

 

「未来に馴れ馴れしく近づくな」

 いつの間にここに来たのか、終が間に立っていた。

 野生動物のような警戒が空気ににじみ出ているのが背中からでも分かる。

 

「別に誰のもんって訳でもないだろ」

 

「もう言わないぞ。離れろってんだよ」

 

「やなこった」

 

「……原始人みたいに決めるしかねえぞ」

 この一週間で何度か小競り合いはあったが、自分が関わってしまったことで衝突の気配がかなり濃厚になっている。

 煙草を吸い込んだ豪が終の顔に思い切り煙を吹きかけた。

 

「やってみろよ、チビ」

 その言葉が引き金だった。

 次の瞬間には豪の顎が割れるようなアッパーが突き刺さり、僅か1秒の間に終は豪に馬乗りになっていた。

 

(あーあ。まぁいっか)

 男と女のいざこざよりも、子供同士の喧嘩ということの方が後で周りに説明がしやすい。 

 終もちゃんと理解して能力だけは使っていないし、二人に決着を任せていいだろう。

 派手な殴り合いをしている二人を無視し、干し草を持って出ていく。

 

「はい、持ってきたよ」

 

「ありがとね。そこ置いといて」

 

「うん」

 

「今日は何食べたいんだい? 作れるものなら作ってあげるよ」

 作業をしながら今日の夕飯に思いを巡らせる。素材がいいというのもあるだろうが、尾神のおばさんは料理が相当に上手い。

 それを考えると、終があんな程度の料理で必死になっていることを鑑みるに終の両親は実は料理が壊滅的に下手だったのかもしれない。

 

「そーだなぁ。お刺身とか食べたいなぁ」

 

「この前食べたのが美味しかった?」

 

「うん、すごく」

 

「あれ豪がさばいたんだよ。仕事サボっていたし、今日はあいつに作らせようか」

 

「おー……いってぇ……。なんだよあのチビ、滅茶苦茶強ぇじゃねえか」

 噂をすれば影、というような距離ではないが見事にボコボコの豪がふらふらとした足取りで牧場に来た。

 切れた唇と鼻血を雑にシャツで拭っているが、まだ血は止まらない。

 

「そうだろうね」

 能力者ということを抜きにしても、終は自分で変な武器をこさえて自分よりも遥かに大きな野生動物を相手にしてきたのだ。簡単に言えば命のやり取りをした回数が違い過ぎる。

 見た目に騙されてしまいそうになるが、過酷な旅をしてきたし本人が栄養にこだわっている事もあってかなり筋肉質で力持ちだ。

 豪もきっといきなり手加減なしの攻撃を貰うと思っていなかったのだろうが、あの顎への一撃が綺麗に入った時点で負けは決まっていたようなものだ。

 思い切りがいいから、喧嘩も長引かずにすぐに終わってしまったらしい。

 

「あら、あんたどうしたのそのケガ」

 

「いやー。こいつら外から来たんだもんな。喧嘩弱くちゃ話にならねぇか」

 

「だいぶ手加減してくれてるよ」

 

「まじか、信じられねぇ」

 想像する100万倍は手を抜かれていることに気が付くことはないだろう。

 よく喧嘩をするのか、息子がボロボロでも大げさに気にしていなかった尾神のおばさんも、話の内容から終に喧嘩で負けたことに気が付いたらしい。

 

「あんた! あんな小さい子に負けたの?」

 

「いや、めちゃ強ぇよあいつ。きっとデカチンだわ」

 

(悪い人じゃないんだろうな)

 ここまで男性ホルモン振り切れていると単純で分かりやすいというか、たびたび突っかかっていた終に喧嘩で負けたことで素直に終を認めたようだ。

 ガハハと笑うおばさんと豪は流石親子と言いたくなるくらいに似ている。

 

「んで、お前らいつまでいるんだ?」

 

「船直したら出ていくよ」

 

「いや、そうじゃなくて。ここにいろってことだよ。技術もあって腕っ節も強いなら誰も文句言わねぇよ」

 

「…………」

 影山一家と尾神のおばさんは二人の滞在を認めてくれていたが、やはり村の中には警戒心を隠しきれていない人もいる。 

 その中で豪は村の若年層のリーダー格だから、彼がそういうなら村のほぼ全員が認めるだろう。

 

「そういうアレも無かったわけじゃないけど、それが言いたかったんだよ。問題も起こしてねえしな」

 

「そうさ。船なんか直して子供だけでどこに行くのさ。どこも危ないんだから、ずっとここにいな」

 

「…………。嬉しいけど……」

 

「終と話してこいよ。どっちの用で海に出たいのか知らねえけど、命より大切なもんなんかねえぞ」

 この二人は全くの正論を言っている。それが一番困る。

 よそ者扱いされていた方がずっと楽だったのに、自分たちを受け入れてくれているのだ。 

 後はやっておくから行ってこい、と言われ自分がどうするべきかも迷ったまま終を探す。

 

(どこ行っちゃったんだろ)

 終はたとえ毎日風呂に入っていてもどこか機械のにおいがしていて、そんな人間はこの村では終しかいないからすぐに判別できる。

 僅かに血のにおいが混じる終のにおいを追っていく。

 

「家だ。当たり前か」

 一番終のにおいが濃いところは当然家だったが、今は誰もいない。

 床に日誌が開かれたまま放られている。そういえば朝は真央のお爺さんの所に話を聞きに行っていたのだったか。

 

「……風車直径の2乗に比例し、風速の3乗に比例する……風車の回転を一定にする方法が必要……。……いつの間に、こんなに……」

 風力発電の基本ではあるが、ここだけでも戦前の大学教育レベルのことが書いてある。

 一基あたり月間発電量を世帯数で割る計算や、村の各所で停止している機械の消費電力についてなど抜け目なく書かれている。

 いつの間にこんなに賢くなったのだろう。確かに、動けない間に頼まれて持ってきた本を次々と貪るように読んでいたが、数学や電磁気学の本なんかなかったはず。

 ほんの5カ月前まで文字すらもまともに書けなかったのに。地頭がいいのではないかと薄々思っていたが、もうこれはそういう次元ではないような気がする。

 エロ本ばかり読んでいるのもどうかと思うが、あれはあれで年頃の男の子らしくて可愛かったのに。

 

「!」

 海の方から風に流れて終のにおいがする。

 歩いていくとすぐにどこいるか分かった――――と思ったのだが。

 

「あれ……?」

 壊れた船から終のにおいがする。

 いてもおかしくないし、実際ににおいはここで途切れているのに誰もいない。

 船倉が開いており工具が散らかっているので中を覗き込むと。

 

「猫ちゃん?」

 

「……くぁー……」

 中から飛び出してきたのはこの村に住み着いている半野良の白猫で、こちらを見て大あくびをした。

 猫はこういうところに入り込むものだし、終に懐いていたから自然とにおいが移ってしまったのだろうか。

 色々と考えている自分を見るまん丸な猫の目に何故か知性がある気がして、ふとバードリングのもう一つの能力を思い出した。

 

「まさかシュウ?」

 

「…………」

 猫は答えなかったが代わりに尻尾をぴんと立てた。

 猫になれば狭いところにも入れるし暗がりでもよく見え便利だから身体を借りたのだろう。

 後ろ足で耳を搔くその行動は猫になったからあえてしているのだろうか。

 

「猫そのものじゃん。ほら、おいでおいでー。――――あいたっ!」

 手を差しだしたら指先を嗅ぎだし、人間の終がそんなことをしていると笑っていたら手の平に猫パンチをもらってしまった。

 

「こんの!」

 お尻を叩くとシュウ猫は甲高い悲鳴をあげた。

 ここ一分くらいの行動を見るに、もしや知性はあっても猫としての感覚がかなりリンクされてしまっているのではないのか。

 

「ほらほらっ、まいったかっ!」

 背中を押さえつけて猫の性感帯である尻尾の付け根をリズムよく叩いていく。

 

「おっ、おっ!?  にゃっ♡」

 

「あは! おもしろ!」

 さっさと抜け出せばいいものを、抗えない力と快楽に身体の自由を奪われ情けない声で鳴き続けている。

 人間の姿のままでも同じようにいじめられたらさぞ楽しいだろう。

 

「マ゚ッ!  ニャ!♡? ニャメっ、め、めっちゅうに!!」

 猫の声帯でかなり頑張って拒否の言葉を口にしながら噛みつこうとしてきたが、すんでのところでかわして代わりにげんこつで頭を軽く叩く。

 

「マーーーー!」

 

「あっ、シュウだ」

 小さな手で頭をかかえ、猫になってもおなじみの悲鳴を叫んでいる終がなんだか可愛い。

 敵の能力であることは分かっているがこんな終を見れるのならば悪くない、と猫と化した終を持ち上げる。

 あんなに強力な能力者なのに下半身をでろんと伸ばしてムスッとしているのが愛らしく、顔に息を吹きかけると肉球で口を塞がれた。

 

「何しに来たんよ!」

 たった一回瞬きした間に口を塞いでいた肉球は人間の手になり、目の前には人間の終がいた。

 身長161cm、体重53kgと気が付けば自分よりも大きくなってしまった絶賛成長期の少年。

 猫の終もいいが、やはりこの見た目が一番落ち着く。

 

「べつに……なんかシュウとお話したいなって」

 

「んが……」

 いきなり本題を出すのは憚られるため、答えになっていない答えを口にしたら終も言葉にならない声を出した。

 汗をぬぐいながら照れ隠しをしている終を甲板に座らせる。

 

「ほら、持ってきたよ」

 

「うわ、ありがと!」

 毎日尾神家から一日では食べ切れないほどの食料をもらう。

 ここに来て三日目くらいから自然と弁当の分として取っておくようになったのだが、未だに終はよく弁当を家に忘れてしまう。

 先ほど家に戻った時に見つけたので荷物と一緒に持ってきたのだ。

 

「なんで猫ちゃんの中に? 狭いところ入りやすいから?」

 

「それもあるけどな、動物の中に入ったままでも能力使えるんだ。へへ、新発見……」

 攻撃的能力者とばかり出会っているから仕方がないことだが、元の夢を操る能力からどんどん殺傷力に特化していく。

 今の終は動物の中に入っても能力が使えるのならば鳥に入って空から圧力爆撃をすることだって出来てしまう。

 すっかり人間兵器になってしまったことも気が付かず、魚の干物を念動力で浮かべて猫と遊んでいる姿は年相応の少年らしくて無邪気だ。

 

「あれ、弁当以外にも何か持ってきたの?」

 

「読んでみる?」

 他にも水筒と未来の私物であるノートを持ってきている。

 まだ未完成だが、いつかは読んでもらうつもりだったノートを受け取った終は特に何も考えずに開いて思い切り米を噴き出した。

 

「エロマンガじゃねーか!」

 

「描いてみたの。どう? えっち?」

 終が本を読んで知識を身に付け使っているのと同じだ。大怪我をして動けない終が本を読み漁っている間、暇だったから漫画を読みながら描いていたのだ。

 そしてやはり作ったからには誰かに読んでほしい。

 

「いや、えっちっちっち! タイトルが最高! ちょっとこのタイトル音読してみてよ」

 

「『メスガキvs強制種付けわからせ催眠おじさんvsPTA』」

 

「いい! すげぇいい! 好きじゃなきゃ出てこない題名最高!」

 絶賛してくれてはいるが何故かアシカのように手を叩きながら呼吸困難になるほど笑っている。

 面白かった物語の好きだった部分を抽出して混ぜたつもりなのだが、タイトルだけでここまでの反応を貰えるとは思わなかった。

 

「中身もいい! 写真みたいな絵じゃなくて漫画の絵になっている! えんぴつだけでよくこんな描けたね!」

 

「そうでしょ」

 全てが写実的である必要はない。

 極めてハードな運動をした後にようやくあり得るくらいの汗を常にかいていたっていいし、加湿器そこのけの蒸気をコマいっぱいに描きこんでいい。

 本当は十年単位でかかる催眠・洗脳だって文字を見せるだけでかかるようにしたっていいし、現実的にあり得ない擬音を散らしたっていい。

 最初の頃は『こんなことはあり得ない』と終によく聞いたりしていたが、フィクションなのだからあり得ないことを平然と表現したって誰も困らないのだ。

 

「『お尻の穴でピンポン玉キャッチできるまで終わらないからね~♡』ってこの怪文書なに?? 同じ飯食っててどうしたらこんなセリフ出てくるの?」

 

「面白い?」

 

「すげぇいいよ、すげぇいい。でもさ、あのさぁ……」

 

「なに?」

 途中まで夢中になっていた終が苦々しい顔をしながら顔を上げた。

 その表情は一言で表すなら『萎えた』、だろうか。

 

「途中から出てきた竿役さぁ……影山のおっさんに似てねぇ?」

 

「身近で1番描きやすい顔だったから」

 

「俺これあかんわ……」

 

「え、なんで!」

 肩を落とした終に途中までしか読んでいないのに返されてしまった。

 ちょうどそのあたりから汚いおっさんも増えて地獄具合が倍増して面白いと自分では思っているのに。

 

「あのな、世の中にはいいおっさんと悪いおっさんがいるんだよ。あんないいおっさんになんてことするのよ、おっさんコレ見たら泣くど。可哀想なのは抜けんのよ」

 

「なんかシュウ、気持ち悪っ」

 

「…………。そもそもなんでこれ描いたの?」

 

「なんでって……。ただ好きだから、描いてみようかなって」

 終はまたしても『それすげぇいい』と同じ言葉を口にした。

 ただし、先ほどのように笑いながらではなく割と真面目な顔で言っている。

 

「俺もそうだった。親父が仕事してるのが見てて楽しそうだったから、連れてってもらったんだ。何か好きなことがあるってとてもいいことだ」

 

「どうしてそう思うの?」

 

「くそったれの世界だけど、好きなことがあるなら生きる価値あるだろ」

 終の好き嫌いの情報も蓄積されかなり完成されている。

 感情がなかった時代を生きた第一世代のアンドロイドは、こうして個人の好き嫌いを覚えて仕える人間に好かれる行動をするように生きていたのだろう。

 機械を触るのが好き。新しい知識を手に入れるのが好き。料理を作るのが好き。

 人に頼るのが嫌い。能力者が嫌い。他人に悪意をぶつける人間が嫌い。

 

 一人でいるのが好き。 

 人間が――――

 

「…………」

 まだ、確定した訳ではない。

 だがそのことを考えるとどうしても先ほど尾神一家から言われたことを言い出す気になれない。

 

「船な、壊れているって言っても少し前まで動いていたみたい」

 終が甲板を拳で叩く。それならば、壊れた部分の時間を少し戻せばいい。

 もちろんメンテナンスが必要な部分もあるだろうが、終の知識と能力をフルに使えば難しいことではなさそうだ。 

 

「問題はまぁ……ほかにもいろいろあるけど、必ず直すから。もうちょっと待ってな」

 

「…………うん」

 この村に来ていることが脳裏にちらつき、何よりも楽しそうに船を修理している終を見て何も言い出せなかった。

 豪の言った通り、海の向こうから分厚い雲が迫ってきていた。

 

**********************************************

 

 3時間ほどの大雨の後、再び雲は消えてなくなった。

 プレッシャーの能力を使えば船の修理を中断しなくても済んだのだが、牧畜たちの餌にもなっている草木が雨に濡れているのを見てやめてしまった。

 雨も風も、あるいは台風も既にこの村の長いサイクルの中に含まれているから自分一人の都合で変えてはいけないのだ。

 

「おらおら、暴れんな」

 相変わらず一言も喋らない游を抱きかかえたまま湯船に浸かる。

 豪に殴られて出来た擦り傷に一瞬だけ沁みたがそれ以上に身体中に溜まった疲れがお湯に溶けていく。

 

「なんだおめぇ、喧嘩強くてもちんこは普通だな」

 殴られ過ぎて顔がでこぼこになった豪が何を考えているのか隣にやってきた。

 腫れはいくらか引いたものの、まだ頬に終の拳の形をした痣が残っている。

 

「どのツラ下げて俺に話しかけてんだ」

 

「ほれ……おめーに殴られて歯が折れちまった」

 

「歯の一本くらいでがたがた言うな」

 

「大丈夫大丈夫、歯が無くても飯はなんとか食えるもんだ!」

 

「オ゛ッ」

 風呂に入ってきた影山のおっさんを見て変な声が出てしまった。

 游は真央が連れてきたので未来のエロ漫画を読んでから初めて顔を見た。

 あの漫画の中では年端もいかない少女の身体中を舐めまわしていたが、現実の彼は歩くこともままならない裸の父を背負って湯船に入ってきた。

 

「悪いな、毎日風呂に入れてもらって」

 

「いや……これくらいなら」

 ふとこの間気が付いたのだ。

 影山は面倒だから息子の入浴を終にやらせているのではない。

 よそ者の終が遠慮して温泉に来ないなんてことにならないように、あえて大事な息子を任せているのではないか。

 最初に会った日からずっと親切にしてもらっている――――胸の下あたりが痛くなるような感じがしてうつむいてしまう。

 

「よぉ、お前……かあちゃんとこに帰んなって言っちまったけど、そもそもなんで旅なんかしてんだ? 家はどうした?」

 

「家は……」

 そんな感性があったとは驚きだが、言葉を途切れさせた終を見て豪は何かを察したような顔をした。

 

「目ん玉もそうだけど、その傷は未来を守って出来ちまったのか?」

 

「まぁ、そうだよ」 

 この怪我から何かを察したのならその想像は多分どこかしら間違っていると思うが、結果は同じだ。

 彼の想像通り自分は孤児で未来と何とか二人でここまでの道のりを生きてきた。

 

「女守って出来た傷は勲章だよ」

 豪にごつごつとした肘で小突かれるが、今までの小さないびりと違い男から男への敬意を感じる。

 日に日にこの村になじんでくる。すれ違ったらほとんどの村人は挨拶をしてくれるし、中には採れたての野菜をくれる人もいる。

 ずっと昔に終が住んでいた村によく似ている。

 

「ならここに暮らしたらいいや。終も未来も働き者だし、家はどうせ空いているからな」

 游も懐いているし、と言う影山のおっさんに豪は頷いて同意をしている。

 膝の上にいる游が小さな手で終の腕を力強く掴んできた気がした。

 

「そんでもうちょっとしたら未来と結婚式を挙げな。みんなで祝ってやるさ」

 

「気が早すぎる!」

 

「バカヤロ、みんな40前後で死んじまうんだぞ。20で子供出来ても成人まで見れるか分からないんだ」

 

「真央はおっさんが16の時の子だぜ。俺のかあちゃんも19で俺を生んだ」

 影山家には母親が、尾神家には父親が欠けている。

 彼らの言っていることは間違っていない。事実として、終の両親は30代前半で亡くなってしまったし、殺されなかったとしてもこんな世界では長生きなど望めない。

 

「村長は51だから長生きだけどな、見ろ!」

 

「ハァ―、髪がねぇ。歯もねぇ」

 

「話にならねぇ!」

 

「歯無しだけにってか!」

 年長者らしく村長が見事に話にオチをつけ、終を除く全員が大爆笑をした。

 こうして産めよ増やせよで人類はまたなんとか復興していくのだろう――――自分の関係のないところで。

 

「…………。…………」

 終が生まれたのはこことよく似た、自給自足がほぼ成り立った100人程度の住人がいる村だった。

 全員親切で、家に鍵もかけず、どこかの家の子供はみんなの子供だった。貧しかったし、飯もうまくはなかったが、幸せだった。

 ああ、出来ることなら。出来ることならば。

 今すぐ巨大な隕石でも落として自分ごとこの村を消してしまいたい。

 

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