星繕説   作:K-Knot

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ハックルベリーの君に

 顔よりも大きい紅葉がはらりはらりと落ちてくる。

 もういくらか寝ると全ての葉も落ち、やがて冬が来るということもようやく分かってきた。

 もこもこに着込んだ服のせいで動き辛い中で、一つまた一つと松ぼっくりを拾っていく。

 一個二個ではただのゴミにしかならないが、100個もあれば着火剤として売ることができて一食分の金にはなる。

 

「うわ、虫のたまごだらけだ!」

 かごの中の松ぼっくりを確かめ売れなさそうな物を弾いていく。 

 このかごにしても自分の背丈くらいあるが、重たい面倒くさいなんてことは言っていられない。

 去年生まれた妹、優名は最近ようやく立てるようになってきた。

 一昨日の夜初めて発した意味のある言葉はお父さんでもお母さんでもなく、お兄ちゃんだった。

 

(もうちょっと取ってから帰ろう)

 ダメな物を取り除いたら少なくなってしまった。

 母はまだ優名から目が離せない状態で、それだけで一家の稼ぎ手が一人少なくなっていることは4歳の自分でも理解している。

 それならば父がもっとたくさん働くよりかは、いま自分でも出来ることをして家計を助けた方がいいだろう。 

 かじかむ手に手袋をつけて立ち上がった瞬間だった。

 

「!!」

 無数に爪が生えた丸太のような手足。黒焦げた毛皮は至る所が裂けて肉が露出しており、常に血が流れている。

 真っ赤に充血した目は瞳が異様に大きく、終の頭を丸ごと飲み込めそうな口からは黄土色の粘液が垂れている。

 最近この辺に出没すると聞いていた変異体の熊がそこにいた。こちらと目があったことで動きは止まっているが、やろうと思えば1秒で終を殺せる距離だろう。

 

「ごめんね」

 ここまで人を恐れずに近づくようになってしまった動物は、そう遠くないうちに村に侵入して大被害をもたらすだろう。

 食べる以外の目的で動物を殺すのは好きではない。持ち帰ることはもちろん出来ない。殺したと言うことも出来ないから、ただただ命を奪うことになってしまう。

 背中に背負っていたかごから松ぼっくりが次々と飛び出し音速に近い速度で熊の身体にめり込んでいく。

 露出していた肉に、悲鳴をあげた口に、見開いた目に。窒息死か、あるいは破壊された眼球から更に突き進んだ松ぼっくりが脳を破壊したのか。苦しんでいた熊は息絶えていた。

 

「あっ……」

 

「…………」

 近くの木のそばで荷物を落としてこちらを見ていた人物がいた。

 近所の青年だ。彼は終にも優名にもよくしてくれたし、彼の家族もみんな親切だった。

 彼から教えてもらった松の葉遊びは終も大得意で、同年代の子供で終に勝てる子はいない。そんな終を見て彼はよく褒めてくれた。

 だから今、ここで危なっかしい熊を殺したことを褒めてもらえると思ったのに。

 その目は、先ほどの目前に迫った死に恐怖を覚えた熊と同じ色をしていて、彼は何も言わずに全速力で走り去っていった。

 

 生まれた時からこの世のほとんどの人間よりも優れた存在。そしてその証である能力。 

 それを両親は厳しく制限した。人前で使うな、出来ることなら一生使うなと。

 その夜、終は両親がそう言った理由を言葉ではなく一生治らない傷として心の奥に深く刻み込まれることになった。

 

**************************************************** 

 

 目が覚めるとまるで今の今まで走っていたかのように心臓が早鐘を打っていた。

 大量の汗で額にはりついた髪をかき上げ起き上がる。まだ夜は明けておらず、空気のにおいや温度から察するに丁度一番深い夜に目が覚めてしまったようだ。

 

「なんで今更こんな夢を……」

 お前らが俺をこうした。お前も殺してやろうか。報いを受けろ。同じ目に遭わせてやる。殺さないでいてやっただけだ。

 溶岩のように湧き上がってくるどす黒い感情を、爪が食い込むほど胸を強く掴んでなんとか抑え込む。

 ここ1,2年でようやく思い出さなくなってきたのに、また急にぶり返してきた。

 

(理由は分かってる……)

 この村の人たちが善人ばかりで、自分たちを受け入れようとしてくれているからだ。

 大人が危険だらけの世界から子供を守ろうとしてくれているからだ。

 小さいころに住んでいた村の住人たちと同じように。

 俺にはそんなもの必要ない!!――――心の中に住み着いている怪物が勝手に主張する。

 その怪物は今まで出会った、人を人とも思わない能力者の心にも、あのプレッシャーの心の中にも棲みついている。 

 終が嫌悪している奴らと同じモノが。

 

「……くそ」

 シャツで汗を拭うと目の下が涙で濡れていることに気が付いた。

 特に左目は眼球が破損してしまっているからか、拭っても拭っても零れてくる。

 

(もっと早く時間を戻せることを知っていたら……)

 およそ想像できる何もかもを現実にできると知ったのは全てを失った後だった。

 人の怪我を治せることも、やろうと思えば時間を戻せることも知らなかった。

 両親に固く禁じられ、それを愚直に守っていたからだ。そして、ほとんどなんでも出来る中で死人を蘇らせることだけは出来なかった。

 魂や命というものを理解できていないからだ。自分の想像の付かないことでも見てしまえば、あるいは聞くことが出来れば自分のものに出来る。

 だが機械にすら宿っている命というものについては全く理屈が分からない。理解が出来ない。

 そもそもこの世界に存在する、命というものを持つ存在が生きている間に生命を理解することなど出来るのだろうか。

 人間が人間のまま、アンドロイドがアンドロイドのままではきっと永遠に不可能だろう。

 

「まだ寝てないと……」

 横になると下弦の月に青白く照らされている未来の寝顔が目に入る。

 丁寧に結われている髪にそっと触れると乱れていた心が元に戻っていくのを感じる。

 寝る前にせがまれて結んであげたのだ。明日も明後日もまた色んなわがままを言ってほしい。

 眠っている間だけは平らな未来の目が開かれた。

 

「……どうして泣いているの?」

 

「泣いていない、泣いていない。ごめん、起こしちまった」

 逆光になっているから見えるはずがないのに気が付いたのはどうしてだろう。

 猫のようなつり目を細めて、未来の頬に触れていた終の手を優しく握ってきた。

 普段はガキっぽいわがままばかりなのに、終の精いっぱいの強がりはすぐに見抜いてしまう。

 寝起きですらもかっこつけさせてくれない。

 

「ほら、おいでよ」

 きっと青い炎で輝いている終の頭を胸元に抱き寄せた未来は、髪の毛の上から口づけをした後また寝息を立て始めた。

 波と同じリズムの呼吸音は終を眠りの世界に一緒に連れて行こうとしているかのようだ。

 気付いているのか、それともただ終にはひたすら優しいだけなのか。

 

 一人の方が気が楽だ。

 そうでなくとも、まだ敵であるアンドロイドがそばにいる方が落ち着いた。

 淡い期待を砕いてこちらを攻撃してくれたのならば、ほらみろと気兼ねなく破壊できたから。

 どうしてそんなことを思ったりしてしまったのだろう。

 

 この世界はこんな風になってしまっても、いつかどこかで誰かと一緒になるように出来ているらしい。

 二足歩行の愚者達の物語を、神はまだ終わらせる気はないようだ。

 そういう風に出来ているのなら、次こそは絶対に。

 

(この子を守るんだ……)

 雨風から、空腹から、暴力から、恐怖から、人間から、アンドロイドから。

 この世のありとあらゆる残酷の全てから。

 

 あいつ、そんな気分だったんだな。

 世界よりも人間よりも、目の前のこの子が。

 そう思ったから世界はこうなってしまったんだろう?

 

 

**************************************

 

 

 この村に来て15日が経った。

 風車の修理は8割、船の修理は7割終わっている。

 特に船については動かそうと思えば既に動かせる状態だ。

 

「燃料さえあれば、か……」

 甲板をレンチで叩き、脱いだシャツで顔を拭う。

 需要は少ないが供給も少ないので、燃料は極めて高額だ。

 この場合はガソリンだが、タンクを満タンにするのに全財産投げうっても足りるかどうか。

 

「どうしよ……」

 例えば穴を見れば規格の分かるネジならば能力を使って作れるが、構造も知らないガソリンを無から作り出すことは出来ない。

 途方に暮れて農場を見るとトマトの苗を植えている未来が目に入る。

 白いブラウスに黒いズボンとサスペンダー、そしてブーツと麦わら帽子。真央から貰ったお古の服がよく似合っている。

 団欒を避けている自分と違い未来は徐々にこの村に溶け込んでいっている。

 女の子を眺めていて問題が解決するなら世話はない、と視線を上げると遠くで揺らめている滅びた街が目に入り、簡単なことに気が付いた終は影山家に向かって駆け出した。

 

「ガソリンスタンド? そりゃあ街にはあるが……」

 

「場所さえ分かればいいんだ」

 野菜を縛っていた影山は唇を真っ平にしながら顎髭を触っている。

 場所は知っているが、危険だから行ってほしくない。そんなところだろうか。

 

「劣化してダメになっちまってると思うぞ」

 

「俺が精製する。おっさんの車の分も取ってくるから」

 

「そんなことも分かるのか?」

 

「…………うん、まぁ」

 そんなやり方が存在するのかも知らない。だが、腐っていようが劣化していようが目の前にあるなら時間を戻せばいい。

 そう考えると、なぜ今まで思いつかなかったのかは分からないが、燃料を再生して売り飛ばすのが一番手っ取り早い金稼ぎだったかもしれない。

 

「分かった。一緒に行こう」

 荷物を取りに戻った影山家から色んな音が聞こえる。

 ポリタンクを引っ張り出す音、防具になりうる服を取り出す音、コッキングの音。

 

「……! …………」

 村長に話を聞くために何度か家に上がったから知っているが、この家には猟銃がある。

 今のは残弾数を確認した音ではないだろうか。やはり街には危険が待ち受けていそうだ。

 

「いいよ父さん、私が行く」

 先ほどまで未来と一緒に農場にいたはずの真央がいつの間にか隣にいた。

 どこの家庭でも聞けそうな言葉だが、僅か一呼吸で言い終わるその文章に僅かな違和感を感じる。

 

「そうか。じゃあ、夕方までには帰って来いよ」

 

「はいよ」

 自分は何に違和感を感じているのだろうか。

 影山からポリタンクを受け取っているのも、暗くなる前に戻れという言葉も当然なのだが。

 

(……。……? 武器は受け取らないのか?)

 街に行きたいと言った瞬間、いつも平和そうな顔で笑っている影山の表情は真剣そのものになった。

 どのような危険が待ち受けているか知っている顔だ。やっていいことと悪いことの線引きが分かっている大人の顔だった。

 それなのに真央が行くと聞いたら武器を渡すこともなく全部任せてしまっている。そもそも農場まで結構な距離があったのに、どうやって真央はこの会話を聞きつけたのだろうか。

 まだ言葉には出来ない疑問を色々考えていると荷物を置いた真央が村全体に響くような指笛を吹いた。

 

「馬か」

 音を聞きつけて走ってきたサフォークが終の前で唇をぶるぶると震わせている。

 その大きな顔を撫でると気だるげに目を細めた。

 

「後ろに乗りな。大丈夫、この子はそんなに速く走れないから」

 鞍を取り付けた真央がポリタンクとテンガロンハットをくくりつけて馬に乗った。

 馬鍬をのそのそと引いているところしか見たことが無かったので、人を乗せている姿が意外だ。

 

(車じゃないんだ)

 違和感は多々あるが、ここで一つ一つ聞いていたら日が暮れてしまう。

 真央の手を取り馬に乗った終は、この馬の中に入った方が速いのになという考えを追い払うように首を振った。

 

 

******************************************

 

 馬で駆けること30分ほど、遠くにあったような気がした街は割とすぐそこにあった。

 倒壊した家屋からわずかに見える人骨、ビルとビルの間に架かる元が何かすら分からない植物の蔓、どす黒く変色した血の痕など何となく嫌な雰囲気がする。

 

「へぇ、じゃあ14歳なのに日本の北から歩いてきたってこと?」

 

「そうなるね」

 街にある程度接近してからは真央は馬の速度を落としていた。

 自分と豪は16歳で、あの村には昔冷凍庫があって氷を作ることができて――――なんて意味の無い話をしながら目的地に向かう。

 

「この辺でいいか。ほら、あそこに黄色い看板が見えるだろ。あれがガソリンスタンドだよ」

 真央が指さした先に酷く劣化した看板が見える。カビと苔に覆われて文字は判別できないが、確かにガソリンスタンドに見える。

 だが、この辺でいいかという言葉がよく分からない。

 

(なぜ馬で行かない? なぜ馬を留めない?)

 まだ目的地まで500mほどある。確かに道は大荒れだがこの馬でも歩いて乗り越えていけるはず。

 ここで降りるにしても、どうしてその辺の電信柱に馬を繋いでおかないのだろう。

 だが手綱を握っていた真央が降りてしまったので終も降りるしかない。

 

「おい、どこに行くんだ?」

 

「せっかく街に来たんだ。使えそうな物を集めてくる」

 

「…………」

 そう考える理由は分かる。商人から買えるとはいえ、食器や衣服など細かい物まで買いそろえていったらいくら金があっても足りない。

 出来るならば街で状態がいいものを集めたいだろう。現に自分もこの旅でそうしてきた。

 奇妙なのは、明らかに危険のにおいがするのに真央が手ぶらで行ってしまったことだ。

 

(……こんなでかい街に入るのは初めてだな)

 どうやらこの辺りは港町でそれなりに栄えていた街らしい。錆びた観覧車、折れたタワーなどランドマークがいくつかある。

 まだ壊れていない建物もよく見ると巨大なデパートだし、すぐそばには日用品ならば全て揃うような3階建てのスーパーがある。 

 アパレルショップの割れた窓から見えるマネキンは首が取れて落ちており、店内はかなり焦げている。地下鉄は濁った水に満たされており、水面には虻の幼虫が浮かんでいる。

 

(生き延びたのは金持ちと能力者だけ、か)

 喫茶店の中をひしゃげたドアの隙間から覗くと人骨が机の上に突っ伏しており、頭蓋骨の中でネズミが巣を作っている。

 いくつかビルがあるが焼け焦げていてガラスが全て割れているのは恐らく、避雷針が劣化した後の落雷で火災となったからだろう。

 好んで街の真ん中に行くことなどなかったため、いい機会なので滅びた街の絵を日誌に描いていく。

 

(…………まだ新しい。何があった街なんだ?)

 喫茶店のドアの外側には何度も引っ搔いたような跡が残っており、その跡には途中から血が混じっている。 

 地面には剥がれた爪が落ちているが、血痕をよく見てみるとまだそう日は経っていないように見える。

 すぐ近くには短い草が大量に生えて鳥の巣が作られている戦車があるが、砲身はへし曲がっており、強烈な力で大破させられたように見える。

 

「お、鹿……」

 人間が珍しいのか、建物の陰から立派な体格をした牡鹿がこちらを見ている。

 生まれた時からこうだったため何も思わなかったが、戦前の小説などを読むにこれだけ大型の草食動物は基本的に都会にいなかったらしい。

 

(草木が生えてくるからかな)

 手入れをされず放置された道路には亀裂が生じ、そこから植物が伸びてくる。

 成長する植物に押し広げられてさらに草木は生える。同じく鉄筋コンクリートの建物も、金属部分が雨水で腐食して隙間となりそこに植物が根を張る。

 シロアリが侵入し木材を齧り、その間も更に植物は成長し緩やかに建物を破壊していきやがては倒壊する。

 気が付けば緑豊かな土地になった都会に、草食動物は集まりそれを追って肉食動物も来る。まだ倒壊していない建物などはねぐらとして最適ということもあるのだろう。

 

「しっしっ。あっち行きな! 食っちまうぞ!」

 軽く威嚇すると鹿は耳をピンと立てて走り去っていってしまった。

 鹿肉を食べたい気もするが、目的が違うし戻れば食料は沢山ある。

 ガチャンッ――――明らかに敵意を含んだ衝撃音が背後から響いた。

 

「うわっ!!」

 先ほどまで覗き込んでいた喫茶店のドアの隙間から、誰かがこちらに手を伸ばしている。

 変形して開かないドアに何度も身体ごとぶつけて壊そうとしている。

 

「出た……」

 旅の途中、大きな街で何度か見かけた変異してしまった人間だ。

 全身の皮膚が焼けただれ、溶けた皮膚で口がほぼ塞がれてしまっている。

 灰のように白く染まった目は失われた理性を暗に示しているが、裂けた肌から見える肉はむしろ活性化して肉体を修復しているようにも見える。

 放射能だけでこんな風になってしまうものなのだろうか。あるいは全知の夢が作り出してしまった悪夢の産物なのだろうか。

 どちらにせよ、もうまともに戻ることは出来ないことだけは確かだ。せめてここで終わらせてやろう、とガントレットに取り付けていたナイフを空気に晒し――――

 

「うっ!」

 背後から迫っていた屍もどきの飛び掛かりをぎりぎりのところで掴んで止めることが出来た。

 血生臭い息を荒げ、押し返そうとしている終に噛みつこうとしている。

 見た目で判断するに元は普通の女性のようだが、信じられない力だ。しかも後ろから襲ってくるときには野生動物のようにほぼ気配が無かった。

 まるでこの前読んだ漫画に出てきたゾンビそのものではないか。

 

「この野郎!!」 

 終を押し倒そうとする力を受け流し、頭を掴んで強かに壁に叩きつけるとスイカを砕いたかのように血と歯が飛び散った。

 だが、下手をすれば即死してもおかしくないようなダメージのはずなのに、潰れた顔をこちらに向けて再び飛び掛かってくる。

 噛みつかれたくない、と本能が叫び顎を押さえるがそのまま壁に押し付けられてしまった。

 

「……! こいつら!」

 喫茶店の中から伸びている手が増えている。どうも中に複数体いたのを起こしてしまったらしい。

 これ以上集まってくる前に静かに対処する必要があると判断し、顎から脳天に向けてナイフを突き刺したが、それでもまだ動いている。

 もう能力なしではどうしようもない。ナイフを刺したまま数千度の熱を帯びた手で歩く死体の頭を掴んだ。

 

「う、お、あぁ!?」

 一瞬のうちに燃え尽きてほとんど骨だけになって崩れたのはいい。それは予想通りだ。

 問題はそこではない。

 

「インフェルノ……!」

 頭に触れた時にその脳にまで触れてしまうのはこれまでの戦いで身に着いた癖だ。

 ほんの一瞬しか触れなかったはずなのに、逆に終の精神が引きずり込まれそうになった。

 急速冷却された左手に瘴気がまとわりついている。まるで地獄に腕を突っ込んだかのようだ。

 この人間たちはまだ死んでいない。本人の意識はまだ脳の中にあるが、意識はもう永遠の悪夢に取り込まれてしまっている。

 現実では怪物として彷徨っていることなど知らず、悪夢の中で摩耗している精神がそこにあった。

 ぽつりと未来が言っていた、インフェルノが原因でもあるという言葉。彼女がどのような人物でどんな能力者なのか実際のところほとんど知らないし興味もなかったが、今まで知った能力の中でも最悪なことだけは間違いないようだ。

 

「うわ、うわっ! くそっ!」

 ガラスが割れる音が聞こえたと思ったら喫茶店の二階から次々とおかしくなった人間たちが降ってきた。

 それとほぼ同時にドアも突き破られ中から大量のゾンビが溢れ出てくる。

 

「終! こっちに来て!」

 

「!」

 全員ここで殺してあげるべきか、逃げるか迷っていると真央の悲鳴が聞こえた。

 足は声の方向に向かって動き出すが、ずっと形になっていなかった僅かな違和感はようやく言葉になっていた。

 

「助けて!」

 距離にして50mも離れていなかったが、真央は二人のゾンビに押さえつけられ、更に3体が別方向から真央へと向かって行っている。

 街はこうなっていることを知っていたはずなのになぜ武器も持たずに単独行動をしたのか。

 その答えを終は既に知っているが、もう能力を使わなければ間に合わない。

 圧力砲で3体のゾンビを吹き飛ばし、真央を押さえつけている2体の頭を念動力で握り潰し終わった時には激しく後悔していた。

 

「能力者……!」

 助けられたことに対してお礼を言うこともなく、驚いたような顔でこちらを見ている。

 背後からは先ほど喫茶店から飛び出してきた集団が追ってくる音がする。

 だが真央の嘘を全て看破していた終は、宙に浮かんで信号機の上に座り込んだ。

 

「俺だって女の子に優しくしたいよ。こういう場面で助けられる男になりたい」

 

「…………」

 終の言葉を聞いて目を見開いたのも一瞬、テンガロンハットのつばをつまみながら真央はあっけなく演技の仮面を外して小さく笑った。

 

「でもそれが能力者で、しかも俺のことを騙そうって奴まで助ける気にはなれねぇ」

 

「……鋭いね」

 

「はよしないと美味しくいただかれちまうぞ」

 終の座る信号機の下で、真央の存在に気が付いたゾンビ達が一直線に駆けていく。

 数にして30体はくだらない。それなりに強力な能力者じゃなければ突破できないはずだが――――いきなり地面がひび割れ、信号機が傾いた。

 

「その鋭さが外で生き抜く秘訣、とか?」

 突如として出現した巨大な木の根にゾンビ達は一体残らず縛り上げられ、瞬く間に全員が雑巾のように絞られて絶命した。

 破壊音を聞きつけたのか、街のあちらこちらから化物どもが向かってくる音がする。だが。

 

(これは……! 植物を操る力!!)

 それにしたって規模が大きすぎる。100体は中に入っていたであろうビルごと巨大な木が飲み込み、街のあちこちから樹齢千年級の木が生えてきてゾンビ達をただの肉の塊に変えていく。

 

「手伝ってくれない? まだまだ来るよ」  

 

「…………。俺は生まれてこの方俺含めて善人の能力者ってのを見たことがねぇ。やなこった」

 彼女の父は真央が能力者であることを知っていたから終との同行を任せたのだ。

 元々海だった土地で農作物が育つ理由も真央なのだろうが、そうなるとあの村は全員真央が能力者であることを知っていたということになる。

 何よりも不可解なのは、終が能力者だと知ってその能力を使わせようとしたことだ。

 子供二人で旅をしているからにはどちらかは能力者に違いないと考えたにしても、ピンポイントで当てた。

 理由は不明だが、いつからか、あるいは最初から終が能力者だと知っていたのだ。そうなるとあの村の人間は終を能力者だと最初から知っていて黙っていたことになる。

 

「この中のどこかに。いま二人が住んでいる家の元々の住人がいると聞いても?」

 

「…………本当?」

 

「街に物資取りに行くって言って帰ってこなかったから、多分……。騙してごめんよ。でも協力してほしい。戻れないならせめて解放してあげたい」

 

「…………後で全部話せよ」

 バードリングの口笛が街中に響き渡る。先ほど戦って分かったが、彼らは半分は人間だが半分は動物だ。獣に堕ちたとでも言うべきか。

 まさか殺されたら仲間入りするとまでは知らなかったが。

 この音では操ることまでは出来ないが、場所ならば分かる。サフォークをついでに遠くまで逃がし、音に反応した数を探ると千体以上は――――

 

「来たか」

 

「なんだこいつは……」

 地面を掘り砕きながら巨大な生物が近づいてくるのを検知するのと同時に、傾いた信号機の上に地響きが伝わってきた。

 細長い形をした何か、はっきりとは分からないが全長60mはありそうだ。考えている間にそいつは目の前に飛び出してきた。

 

「ミミズ!?」

 細長く赤黒い体は見間違えようもない。あの魚の餌くらいにしかならないミミズだ。

 村に来て畑仕事をしながら何度も見たが、いくらなんでも大きすぎる。こちらに向かって広げた真円の口の中にいくつもの巨大な牙が生えている。

 すんでのところでかわされた巨大ミミズは信号機を丸ごと飲み込み、体中に生えた固い体毛で地面を砕きながら再び地中に戻っていった。

 

「全知が生んだバケモノ……この辺りの主だ。少し騒いだらすぐに襲い掛かってくる」

 

「なんて迷惑な野郎だ!」

 能力者とはいえ、言ってしまえばただの村人がなぜ全知のことを知っているのだろう。

 そういえばここ最近、創は全く夢に出てこない。

 そりゃそうだと思う。彼が全知と知った今、夢に出たのなら言いたいことなどたくさんある。

 未来予知の能力を持っていて、文句を言われることが分かっているから出てこないのだろう。まったくふざけている。

 

「なーに。全知が生んだ一番のバケモノは、私たちだよ」

 

「…………。そうだな」

 そう、能力者は人間であるにも関わらず化物だ。なのにどうして。

 どうして自分は駄目で、真央は村に受け入れられているのだろう。

 木の根に捕まり地上に飛び出たミミズに向かって炎の波を向かわせる。

 化物同士の戦いは、あまりにも一方的な虐殺にしかならなかった。

 

***************************************

 

 一面の炎の海は上昇気流を生み出し、そこに加わった気圧操作により嵐が発生した。

 大雨は火を鎮火させ死体の山から流れ出る血を洗い流していく。僅か30分の戦いで街は形を変え化物達は死に絶える小さな天変地異が起こった。

 能力者がその力を解放させればこれだけの時間でここまで壊滅的な被害をもたらすことが出来る。戦前の世界があっという間に壊れたのも無理のない話だ。

 今は朽ちた本屋の中に入り、火の勢いが衰え雨が止むのを待っている。

 

「やるじゃないか。いいデタラメ具合だね」

 店内にサフォークを連れてきた真央が水筒を投げてきた。

 謀られていたことが確定した今となってはたかが水ですらも飲むのをためらってしまうが、自分を殺すつもりならばもっと前からそのチャンスはいくらでもあった。

 今更毒が入っていることもあるまいと飲むと微かなジャスミンの味がした。

 

「桜の木を植えたのはお前か?」

 あの村に行くにはどういう道を通ってもあの種類様々な桜の木々を抜けていく必要がある。

 誰が植えたのかとなると真央しかいない。先ほどまでの戦いで身体中から枝を生やし蔓を出していた。

 皮膚を突き破っていたような様子でもなかったのを考えると、木と同化出来る可能性がある。

 あの桜の中に紛れ込んでいたから終が能力者だと知っていたのではないのだろうか。

 

「そうだよ。たぶん考えていることは当たっている」

 

「なんで俺たちを村に入れた?」

 

「なんでか……悪だくみしてそうだったら、道塞いじゃって入れないんだけど……話聞いている限り、そんな感じしなかったし。ずっと見ていたけど聖地を掃除していただけだったしね」

 

「それだけ?」

 

「もちろん全部信じた訳じゃなかったよ。でもさ、あんた豪に喧嘩売られただろ」

 

「…………! 危ないことを……」

 話の内容や雰囲気から危険な連中ではなさそうだと思ったが、100%安全だとはまだ信じられなかった真央は豪に指示して終にわざと喧嘩を吹っ掛けさせたのだ。 

 そこでも能力を使わなかったから信じることにした、ということなのだろうが危険すぎる。実際に豪が粉々にされることを考えたりしなかったのだろうか。

 

「でも何も起きなかった。これだけ強力な能力なのに。しかも色んな力を使っていたね。どんな能力なの?」

 

「さぁ」

 

「…………。私は植物を生み出せるし、操れる。中に入ることも出来るし、植物が聞いたことは私にも聞こえる。これでもダメ?」

 

「もうちょっとしたら出ていくから知らなくていいだろ」

 真央の話を全て信じるなら、未来がアンドロイドであることも知っているということになる。

 危険と危険が歩いてやってきたのにあの村の人々は能天気にも受け入れていたのか。

 終始つっけんどんな終を見て真央はテンガロンハットを指先で回しながら大きくため息を吐いた。

 

「疑り深いね。外で生きてきたから? 外の話聞かせてよ」

 

「そもそもなんで平気な顔してお前はあの村で生きていけているんだ?」

 

「なにが?」

 今自分の心の中で燃えている黒い炎に名前を付けるのならば『嫉妬』だろう。

 真央の祖父があの村にずっと居て、そこで生まれた真央は能力を活かして村に貢献した。

 つまり、真央が能力者であることは最初から受け入れられているという事実を、終自身が受け入れられていないのだ。

 自分は受け入れられなかったのに。何が違ってここまで行き着く先は違ってしまったのか、考えるだけではらわたが煮えくり返ってくる。

 今の真央は何かが違えばあり得た自分の姿なのだ。

 

「……なんで外の話聞きたいの? 俺を見りゃどんな感じか想像がつくだろ」

 

「昔うちの村に月一くらいで来ていたお医者先生がいてね。私に言ったんだ。その力をもっと世界のために使えって」

 

(たぶん……強いよな、ものすごく)

 今までレベル4~7までの能力者と戦ってきたから分かるが、あの規模を見るにそれ以上のレベルであることは間違いないと思う。

 だがそんなことよりも、植物を操るという能力が火を操る水を操るという破壊ばかりの能力よりもずっと素晴らしく有能なのだ。

 塩に浸された土地にすら農作物を生やすことが出来るのだから、彼女の元に集った人は飢えに苦しむことはない。

 木々からは資材がとれるし、小さな草からも情報を集められる。どこの組織だろうが街だろうが絶対に欲しい力のはずだ。

 個人に属する力というリスクに目をつぶればの話だが。

 

「その人に色んな事を教えてもらってね、世界をもっと見てみたいと思ったんだよ」

 隣に座った真央がサイドバックから取り出したニンジンをサフォークに齧らせている。

 あの村でも何度も見たただの餌やりの光景が今の真央の言動と繋がる。

 

「あの村を出ていく気か!?」

 

「そうだよ。出ていく前に、村のみんなが物資を取りに来れるようにこの街のバケモノどもをどうにかしておきたかったんだけど、止められていてね。危ないからって」

 

「俺が襲われたから守るために能力を使った……って言い訳に使えるし、俺の能力も利用できたし、どんな能力かも大体見れたし一石三鳥ってか」

 

「おまけに終がどういう時に能力を使うのかってのも分かったしね。まぁ、悪い奴じゃなさそうだってのは元々分かっていたけど」

 

「……どうだか」

 

「みんな思っているよ。だから言われただろ。村に残らないかって」

 

(……裏表なく言っているんだろうな)

 お前は強そうだ、代わりにあの村に残って村を守ってくれ。その代わり衣食住の心配はない。

 一見論理は破綻していないように見えるが、それは人間である能力者を兵器扱いしていた戦前と同じではないか。

 何よりも感情のない冷たいミサイルではなく『人間』なのだ。いつ爆発してしまうか分からない。

 よそ者ならば尚更不安定だというところまで考えないのは、世界に蠢動する悪意を見たことがないからだろう。

 能力が極めて便利だったということもあるだろうが、同じ能力者でこうまで扱われ方も考え方も自分と違うとは。

 

「家もあって家族もいるのになんで出ていくの? 帰りたくなっても帰れるかもわからないのに」

 

「もうすぐ17になるんだ。夢を見たっていいだろう?」

 今日一日を生きるのに毎日必死で忘れてしまっていた、世界を夢見る子供の純真さ。

 それを止める権利は誰にもない。きっとそのことについては終たちがやってくる前から村の人々を既に説得していたのだろう。

 だから他の村の住人も終たちに村にいろと言ってくれていたのだ。

 だって能力者って便利だもんな――――心の中に棲みついた怪物の囁きを己の口から出してしまわないように必死に自分を抑える。

 

「何よりも、私はこの力を持って生まれた。責任がある。なにか意味があるはずだろう?」

 こちらに真剣に語りかける真央に焦点を合わせずぼんやりと本屋の奥を見る。

 天井はそこかしこが抜け、割れたガラスは店内に散乱し、本はカビて枯葉に覆われている。

 形あるものは必ず無くなるこの世界でたかが1個の命にどんな意味があるというのだろう。 

 真央の言っている言葉は前に読んだ本の言葉を使うなら『ノブリスオブリージュ』とでも言うべきか。

 力には責任が伴うと考えており、そのうえ誰もが生まれた意味があると信じているのだ。

 まるで自分と正反対の思考をしている。

 

「意味か……。全知ですらもたぶん、理由なんかなく突然生まれたこの世界だ。誰もが意味もなく生まれて理不尽に死ぬもんだ」

 終の妹は7歳になったばかりでプレッシャーに襲われて死んだ。

 あの子が生まれた意味はなんだったのだろうか。どうして理不尽に死んだのだろうか。

 これでは能力者以外の命に意味はないということになってしまうが、全ての始まりである全知ですらも17歳で理不尽に死んだのだ。

 

「命に意味はないって言いたいの?」

 

「……そうじゃない。生まれること死ぬことに意味は無いってこと。食った食われたして回っている世界なんだから。だからこそ、生きている間は好きなように生きればいい。あの村を出るなんて信じられねぇって思うけどな」

 

「…………ふぅん」

 

「本当は俺が間違っていて、真央の言う通りこの世の全ての命に意味があるのかもしれない。使命があるのかもしれない」

 何者かになる前に、命を紡ぐ前に死んでしまった優名だが、家族がいたことを終は覚えている。

 家族を失うことでこの世界の残酷さや命の儚さを嫌になるほど知った。そういう見方では全てのことは繋がっていて、全くの無意味ということなど何一つないのかもしれない。

 

「だとしても……誰もがそんなもの関係なく好きなように生きて、好きなように死ぬ自由がある。だから真央が出ていきたいのなら、好きにすればいい」

 自分もきっと、あの田舎で引きこもっていればそこそこ長生きは出来ただろう。

 逆に今の調子で日々を続けていけば長生きは出来ないと感じる。

 だが、この半年にも満たない期間は一人で脳死しながら生きてきた日々よりもずっと意味のある時間だった。

 命の意味を考えすぎるな。使命など求めるな。好きなように生きて好きなように死ぬことこそ、自分という意識の価値がある。

 

「良い考え方だね。実際全知も、好き勝手に生きて死んだみたいだしね」

 

「…………。もう死んでるから好き勝手してたとしても、文句言えんけどさ。夢っていうか、やりたいこととかあったんかな、全知にも。何もかもを知っていて、望むことなんて」

 

「……ああ。神になりたかったんだって」

 

「ならばいっそってことかな……」

 これだけの力があるのになぜ自分は神ではないのか。なぜ世界の中心なのに何も変えられないのか。

 そんな思いを抱えたまま成長した結果があの捻くれ散らかした不良少年らしい。

 結果を知っているがゆえの鈍く重い絶望、からの機械への恋と来たもんだ。本当に好き勝手生きてくれたものだ。

 それにしても、その医者とやらは随分と色んなことを知っている人物だったようだ。

 

「見てみたいこと、知りたいことは沢山ある……世界は広いはずだからね」

 

(雨止んだか)

 サフォークに乗った真央が出口へと向かって行く。

 ようやく本来の目的である物資の収集に行けそうだ。

 ガソリンの前にせっかく本屋に来たのだから未来へのお土産を含めていくつか持ち帰ってもいいだろう。

 

「『林檎』は今何をしているか知っている? 未来から聞いていない?」

 

「……ん?」

 

「あら、知らないの。全知がアンドロイドの始祖に贈った名前だよ」

 

「林檎っていうのか……」

 自分の方がずっと長くアンドロイドと一緒にいたはずなのに、今更になって始まりのアンドロイドの名前を知った。

 感情を手に入れてしまうくらい、命が宿ってしまうほどに全知に恋焦がれてしまった機械人形。 

 きっと世界の全てだと、生まれた意味そのものだと思った相手が死んで100年以上、今は何をしているのか、言われてみれば多少気になる。

 

(能力を持って生まれた意味……。それなら俺は?)

 真央が出ていった出口から差し込む光を追うように、終の手から木の葉が生えてくる。真央に偶然宿った世界を救う豊穣の神の力。

 後に木の神の化身、『ククノチ』と名付けられる自然の神の力をも終は己の物としてしまった。

 

 これは強力な力だ、こんな力を持って生まれたのならばきっとこの命に意味はあるはず。

 実際自分の能力はあの村に恵みと活力をもたらしているのだから――――と、真央はそう考えたのだろう。

 もしもその考えが間違っていないのだとしたら。自分はこの先どうなるのだろうか。

 

**************************************

 

 村に来て25日目、風力発電機は再び動き始めた。 

 街が安全になってからは、修理に必要な材料を含む物資が次々と村に持ち込まれ、村の補修が必要な箇所の修繕は一気に進んだ。

 特に鉛を用いて修理できた蓄電器の存在は大きく、風が凪いでいる時でも常に電気が使えるようになった。

 電気がなくなって使えなくなった大型の冷凍庫が村にあったため、これからは食料の保存に困らないし、海水の蒸留装置も動き始めた。

 ある集団の文化レベルが確実に一歩前に進んだ瞬間を見て、未来は人間が敵であることもすっかり忘れて感動していた。

 

「夜も明るいっていいね。時間が長くなったみたいだ」

 果汁を絞った簡単なかき氷を手にし、未来の隣に座る真央が月を眺めながら満足げな声を出す。

 

(善人の能力者かぁ)

 真央と出会った瞬間から真央が能力者だと気が付いていた。少しして、この村が発展し過ぎているのは真央の能力によるものだということも察し、もしかしたら彼女は善人なのかもしれないと思い始めた。

 終と二人で街に行ったと聞かされた時はハメられたと思ったが(実際にハメられはしたようだが)、結局行動の全ては村のためで誰かを傷つけるような使い方はしていなかったという。

 今まで出会った能力者も、データに登録されている能力者もほとんどが悪人もしくは自分勝手な者だった。

 だから、家の明かりをたよりに砂浜を走り回っている子供たちを見て笑っている真央の存在に本当に驚いている。

 

(こんな人たちもいるんだ……)

 終は間違いなく善人だが、人間の集団から弾かれてしまっていた。

 だがこの村は能力者である真央の存在を受け入れているどころか、アンドロイドと能力者が来たと知ってもなお自分たちを招いてくれたのだ。

 もしもこの村がプレッシャーのような回収部隊に見つかったら皆殺しにされ真央は連れ去られるのだろうか。

 こんな人たちがまだ各地にいるのかもしれないのに、アサイラムと第三帝国は戦争を始めてしまうのだろうか。

 

「ほら、食べな。とっておきだけどあげちゃう。アンドロイドでも美味しいものは美味しいんでしょう?」

 

「ありがとう」

 真央から渡された塩釜ローストビーフを食べる。牛を飼っているとはいえ、まだまだ規模の小さい村だからたった一口でも金に換えられないほどの貴重品だ。味そのものよりもその分け合う心で自身の心まで満たされるかのようだ。

 数年ぶりの電気の復旧で街は現在ある種の祭りのような雰囲気になっており、村人は何か用があるわけでもないのに外に出て酒を飲み、煌々と明るい温泉からはずっと歌声が聞こえる。

 子供たちは海にバレーボールを投げて遊んでいるが、前までならば暗くなってからのそんな遊びは許されなかっただろう。

 

「ありがとね、あんなの持ち帰ってきてくれて」

 

「……うん。シュウが持って帰ろうって言ったから」

 実はあのバレーボールは終と二人でガソリンを更に持ち帰ってくるために街に向かった時に見つけたものだ。

 かさばると知りながら潰れたバレーボールを修復した終は、他に誰もいないときにそっと游に渡していた。

 

「終のどこに惚れたの?」

 あまりにも普通の年頃の女の子らしい話で呆気にとられてしまった。

 能力者は野蛮な方法で子孫を残していると勝手に思い込んでいたが、異能力の祖ですらも普通に恋をしていたのだ。

 

「シュウは……誰にも頼らずに一人で生きていけるんだけど……。それでも目の前の誰かが困っていたら助けるところ」

 思えばそれが全ての始まりだった。能力者とはいえこんな世界で子供が一人ぼっちで生きていくことがどれだけ大変だったか。

 それでも終は目の前に困っている人がいれば損得を無視して助ける。それが人間でも、アンドロイドでも、能力者でも。

 出会う前から、出会った後もずっと変わらなかったその善性を心から尊敬したのだと思う。

 

「はっ。そういやあの子、騙されたこと知ってても私のこと助けてくれたわ」

 

「おい、お前らは風呂入んねーのか? ガキどもなら俺が見とくから」

 首からタオルをぶら下げた豪がやってきて真央によく冷えていそうな瓶を手渡した。

 直角に近い角度で豪快にがぶ飲みした真央は地鳴りのような唸り声をあげた。

 

「話、いいとこだっただけどね。続きは風呂で話そうか?」

 それはいいのだが、真央は風呂の中でやたらとボディタッチをしてくる。

 アンドロイドでもおっぱいは大きくなるのか、と胸をつついてくるがそんなことは自分が一番知りたい。真央のような胸がちょっぴり羨ましい。

 年の近い女の子が他にいないから嬉しいのだろう。真央がこちらに回してきた瓶を受け取り口を近づける。

 

「お酒じゃんこれ!」

 

「おうよ。終に飲ませてやろうと思ったら、あいつ風呂に来やしねえ」

 

「あれ? そういえば終はどこに行ったの?」

 

「…………。ちょっと探してくる」

 風上から終のにおいがするからそんなに遠くにはいないと思う。

 予想通り、終は村が一望できる小高い丘の上にいた。

 月明かりをたよりに猫を膝に乗せてなにやら本を読んでいる。

 今の村が熱気に包まれているのは簡単に言ってしまえば終のおかげなのに。

 行けば必ず輪の中心になるはずなのに、それを避けている。

 

「どうかしたの?」

 相も変わらずのたれ目の真ん中にある、どんぐりのような大きな黒目は無限に膨らむ知識欲が形になったかのようだ。

 

「いや……何読んでるの?」

 

「拾ってきた本。識字憂患……俺たち人間は、変に賢いからこうなっちまったんだ」 

 その言葉を聞いて頭が一瞬酷く傷んだ。似たような言葉をどこかで聞いたことがあるような気がする。

 だがその壊れた記憶を探る前に、終の手にしている本が最早日本語ですらないことに気が付いた。

 

「それ、中国の古い言葉だよ。読めるの……?」

 

「你会说中文吗?」 

 

「可以……えっ?」

 完璧な発音、受け答え。あまりにも流暢すぎて、自然と中国語で返事をしてしまった。

  

「是这样啊」

 

「どうして中国語話せるの?」

 

「あの女……バードリングと結構話したからかなぁ」

 そんなはずはない。話をしたと言っても30分以下の時間だったし、終は今あの時一度も出なかった単語も口にしていた。

 それはもう言語の天才などという世界の話ではない。

 第三帝国下の能力者達がバラバラの言語でも意思疎通を出来るのはインフェルノの能力によるものだが、どこかでその能力に触れて、理解し、その一部を手に入れてしまったのだ。

 

「シュウ、なんでこんなところにいるの?」

 

「ん? なにが?」

 人に対して悪意を見せない終のあどけない顔が、欠けた月に照らされている。

 隠しているつもりなのか、それとも無意識なのか。それでも未来の脳はこれまでの全てを完全に記憶していた。

 

 義治と一緒に暮らさず一人でボロ小屋を建てて暮らしていた。

 人の暮らしている街での滞在時間が極端に短かった。

 第三帝国からの勧誘を激しく拒否した。

 影山家の居候になることを拒んだ。

 尾神家からの食料の施しを喜んでいなかった。

 善意に対し金を払って対等にしようとした。

 村人から感謝されることを避けようとしている。

 能力者だと全員に知られてもなお、記憶に残らないようにしようと無意識化で選択している。

 

「……あ……あっちでみんなご飯食べたり歌ったりしてるよ。……楽しいよ? お酒とかもあるし……」

 終の言動や人と出会った時の感情分布、その他もろもろ。

 積み重ねられたデータから導き出された終のエゴグラムは滅茶苦茶で、完全に幼い頃のトラウマが人生と人格そのものに重大な影響を与えられた人間のそれだった。

 人懐っこい性格なのに、人と深く関わるのを好まない。善人なのに、人を信じられない。

 困っている人がいたら助けろと言うのに、助けられるのを嫌う――――99%が100%になってしまった。

 

「そっか。行ってきなよ」

 恐ろしいのは、その分裂したかのような性格はプレッシャーによる虐殺とは別の原因から生まれてしまったということだろう。集団へ所属することに対する強い拒否反応。

 対価のない善意を素直に受け取ることが出来ないから、誰かの仲間になることを嫌う。

 他人からの善意を受け取れないのは、その裏返しを心の底から知っているから。

 これまで並べた終の心模様の全ては、たった10文字で表せるシンプルな結論に至る。

 つまり。

 

(…………)

 終は人間を嫌っている。

 

「未来? どうしたの?」

 何かが違えば、きっと終はこの力の全てを人々のために使い、人類の復興に大いに貢献し誰からも認められる存在になっていただろう。

 だが実際は違う。善性で覆い隠した心の奥底で悪と分裂してしまった魂は、アンドロイドと同じく人間を憎み、蔑み、嫌っている。

 つぎはぎに作り上げた仮面の奥を覗こうとする人間はいなかった。家族を失って以降、親しい相手を作らず一人でいることを選んでいたから。ただ一人、敵だと思っていた未来を除いて。

 薄々気付いていた結論に悲しみ立ち尽くす未来を終が心配している。

 底に巣食う悪意をいつものように隠して。

 矛盾する日々の中でいつか終は完全に壊れ、心の中の悪は萌芽し『全能』の力はこの世の全てに牙を剥くだろう。

 

 全ての人間の心の中に悪が眠っている。

 己の心の内の悪を知りながら、それでも取り繕う自制心を善というのだ。

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