日が沈み出して辺りが暗くなり始めた頃、私はトレーナーに連れられて学園外の練習場に来ていた。
ここは学園内の施設とは違いグラウンドの状態もよろしいものではなく、最低限走られるだけの設備が整えられているだけの場所ではあったが、手の内を知られずに走れる場所としては最高の場所であった。
特に夕方以降はあまり予約が入ることは無いらしく、今日の今日で取ることができたとのことである。
ロッカールームでレース使用の体操着に着替えてグラウンドでアップを始めると、グラウンドに照明が灯った。
「思ったより明るいですね」
「グラウンド状態はよろしくないですが、夜も走れる施設というのが強みですので。
にしても随分体が軽そうですね。普段から相当体に負荷をかけているのでしょう」
「ちょっと特殊な事情で無茶苦茶体が頑丈なんですよ。
だから普段からかなりきつめの負荷が掛かるインナーを着用してます。
あ、今はレース仕様のインナーです」
「よろしい。
さて、一応確認ですがメインは芝でいいんですよね」
「はい。加えて距離はどれでも。脚もなんでも行けます。
本気ならぶっち切って逃げ。多分勝負になりませんよ。
それと趣味なら煽ってめった差し。
わざと抜かれて差し返すのを何回か繰り返すと、相手が絶望するんですよね」
「では証明してください。
一周本気で言ってみましょう。目標はあのレースのマルゼンスキーさんが出したタイムで」
「ああ、あのつよつよウマ娘の。余裕ですよ」
トレーナーの合図と同時に私は駆け出す。
誰よりも速く、誰にも追いつかれることなく。
イメージするのはあの日のレースのつよつよウマ娘。
--ほら、どうした、スタートから私を置き去りにしてたじゃないか。
1バ身、2バ身、とその差を広げていく。
--よくもまあそんな舐めた走りで敵がいないと思ったよね。
--ねえ、あの日の私は手を抜いてあげてたんだよ。
6,7バ身と差はさらに広がる。
--ああ、所詮そんなもんだよね。
--やっぱりさ、あの日のあんたじゃもう眼中に無いんだわ。
圧倒的に蹴散らしたであろう頃には、既にゴールを迎えていた。
「素晴らしい。ただその一言に尽きます」
「ども」
短い距離とはいえ本気を出したんだ。これで私の実力は分かったであろう。
「距離はなんでも行けるんですね」
「今から春天走れと言ってもぶっち切りますよ」
「ははは、君なら本当にやりかねない。クラシック三冠は」
「興味ない」
「トリプルティアラは」
「眼中に無い」
「よろしい。
ダービーに照準を合わせる。これを表向きの目標とします。
出走は賞金額ベースで調整しましょう。
トライアルレースで勝ち上がると目立ってしまいますから。
チーム内の状態には手を打っておきます。
後は練習方針ですが、基本はうちの練習メニューをベースに消化してください。
普段から掛けている負荷でこなす分には十分だと思います。
しばらくしてから更にあなた用のメニューを再編成します。
細かい現場指示はサブの南坂君という助手が普段は監督してくれます。
彼の言うことには基本従うように。
後は定期的にここでも練習を行います。
無論ツーマンセルです。レース仕様の状態で体を動かしてもらいます。質問は」
「普段の練習には入れないでほしい。負荷が足りない。
それと引くほど私は自分を追い込みますよ。見られたらそれこそドン引きされると思う位。
この後実践します」
「それなら普段の練習後に私が直接監督しましょう。
短時間であなたの体力を空っぽにして差し上げますよ。残業は早く終わらせたいので」
「望むところですね。
とりあえず今日は残業代を稼がせてあげますよ」
一言言わせてもらうと私もトレーナーも、それぞれ見込みが甘かった。
普段着の超負荷インナーを再度着替え直して練習に臨んだが、自分で監督するよりそれは辛いものとなった。
久しく感じていなかった他者から与えられる苦痛というものを実感させられる。
普段こなしている私のメニューを見てなお、このトレーナーは注文を付けてくるのだ。
それはとても的確に私の体にダメージを与える。
「まだ行けますよね?」「普段からこなしているのでしょう(笑)」「私が口を出しただけで辛くなる練習とか……ああ、いつもは自分に甘いのですね(失笑)」
精神的に煽りつつ的確にメニュー増やしてくるものだから、乗ってしまう。
要するに、だ。
「調子こいてんじゃねーぞ!」
「君は化け物か何かですかね。確かにこれはドン引きです」
普段以上にやばい。
普段は何とか歩けるレベルだが、今は冗談ではなく、体が仰向けのまま動かない。
いや、さっきまで横向きだったので、何とか楽な仰向きに体勢を変えたのだが、もう無理だ。動かせない。
「自分へのリミッターが壊れているとしか思えません。
こんな練習を普段からしてなお、壊れない君の体に感謝すべきなのか」
「特殊な事情がありましてね。後天的に身に着きましたよ」
信じられない者を見る目で私を見ていたんだと思う。
そのまま私の意識はどこかへ飛んで行った。
「……知ってる天井だ」
眠い目を擦りながらゆっくりと起き上がり辺りを見回すと、見覚えのある部屋だと把握する。
ああ、トレーナー室か。すると私は運ばれてきたということだろう。先ほどまで横になっていたソファーに座り直し背もたれに深く体を預けひと伸び。
うん、腹減った。
壁に掛かった時計を覗くとまだ日付が超えていない事が分かる。
ギリギリ夕飯でいける。何か食べ物は無いのか。
深く深呼吸をして立ち上がろうとした時だ。
入り口のドアが開き何かを持ってきたトレーナーが部屋に入ってきた。
お盆の上には山盛りのお米と、夕飯の残りらしき崩れかけのサバの味噌煮、と温め直したお味噌汁。付け合わせに梅干しとたくあんが少々。昭和かな。でも美味しそう。
「おや、起きられましたか。ちょうどいいです。
だいぶ遅いですが夕飯をお持ちしました」
「助かります。
起き上がってまたぶっ倒れるとこでした。では早速」
いただきます。
ああ、美味しい。空腹時の食事はやっぱり格別だ。
「食べながらで結構ですので聞いてください。
寮長には連絡を入れておいたので慌てて帰る必要はありません。
担任にも大事を取って午前中は休みを頂いております。
それと今日の練習からあなたのぶっ飛び具合がよく分かりました。
練習の際あなたから目を離すことは非常に危ういと判断しましたので、改めて普段チーム練習に混じる際は南坂君に目を光らせるように厳命しておきます。
それと自主練をする際は必ず始めと終わりに私か、南坂に連絡を入れなさい。
いくら君が頑丈とは言え極力リスクを回避するに越したことは無いです。
それに今日みたいなことが起きた場合で周りにヘルプが誰もいなかったとしたら責任問題になります。誰も幸せにならない」
「あー、はい。分かりました」
ちょっとだけごはんが苦く感じられた。