青い目をした黒猫が、影の中から梟を見据えている。
黒猫は夜空にうかぶ三つの月へ、呪文を唱えて息をふきかけ、輝きをかくす。
(かはたれのゆめを、わたしにみせておくれ)
漆黒の宵闇の中で、憎らしいほど美しい猫の青い瞳だけが、あやしく色を灯す。
その青を中心に世界が反転して、老婆は現実へと意識を浮上させた。
「……まったく……面倒なことを押しつけてくるもんだよ」
ルイドは重い体を起こすと、ホロスコープで星の位置を確かめた。
マクウェルの髪型は、カルサア地方の貴族階級の男性に見られる。男性が髪を長くのばす風習は貴族階級の一部に残っているが、衛生管理に手間がかかる。襟足部分だけのばしてあとは短くし、長い部分に布を巻いて砂埃避けとするようになっていった。
カルサア地方は乾燥しているたためわずかな風でも砂が舞いやすく、そうした風土から生まれた髪型である。ゆれ踊る細長い髪束はまるで触手のよう──とは誰が評しただろうか。
シランドでも清潔さを保つため長い髪を布や紙で巻くことはあるが、王宮の一部の者しかしていない。故に、街中でそれはよく目立った。馬車の中からでもわかるほどに。
根本は暗く毛先は明るい長髪を、マクウェルと同じように布で巻く髪型。長身痩躯に露出の多い紫の衣服を纏い、凶悪なデザインのガントレットを左腕だけにして、腰に刀を下げている。なんとも歌舞いた格好だが、それが妙に似合う佇まいをしていることが後ろ姿からも見てとれる。
マクウェルは御者に声をかけ馬車を停めさせると、従者がドアを開けるのも待たずに自ら飛び出した。
「アル?」
マクウェルが馬車を停めてまで声をかけたその男は足を止め、いきなり停まった馬車と出てきた人影を静かに警戒するように見据えていたが、すぐに長い前髪からのぞく鋭い紅い瞳を驚愕に見ひらいた。
「……、マク兄?」
あきらかに堅気ではないその男に、護衛を兼ねている従者が若干緊張する。だがその姿をよく見て警戒をといた。
マクウェルが留学する前から頃から付き従ってきた彼にとっては、よく知る人物だったから。
「どうした? アルベル」
「昔馴染みだ」
アルベル、と呼ばれたその青年は、雑貨屋から出てきた青い髪の少年が気安く問うと端的に答える。
「あ、マクウェルさん」
「フェイトさん? 意外な組み合わせですね」
その青い髪をした少年はシランド城で顔を合わせたことがある、おそらくグリーテンの技術者であるフェイトだった。ディオンが危篤の時に再度顔を合わせて以来だ。
今は彼も腰に剣をさげているが、まるで護身用に必要だから持っています、と言わんばかりの人畜無害そうな出で立ちで、アルベルとフェイトが並ぶと妙な違和感がある。
「おお、マクウェルではないか! 息災か!」
豪快な大声に名を呼ばれ、マクウェルがびしりと固まる。アルベルの露出度などとは比べものにならない、鍛え上げた肉厚の上半身をそのままさらけだした、筋骨隆々の老武人が石畳をずかずかと歩いてくる。
「ラーズバード殿……、相変わらずご壮健そうで何よりです」
アドレー・ラーズバード。聖王国シーハーツ軍部の最高峰、女王の代わりにその手を汚す双剣、クリムゾンブレイド。その片割れの先代を務めていた男である。
施術学校のなかでも図抜けて優秀だったディオンとマクウェルは、施術士との面識や交流が多い。そもそもディオンは自らも施紋を刻む施術士でもあった。マクウェルは血統限界値が低いため効率が悪いと判断し、その身に施紋を刻むことはしなかったが。
アンサラーは規格外として、クリムゾンブレイドを務めるアドレーや亡きネーベルは施術士の頂点であり、研究に協力してもらうことも何度かあり、面識を持つに至ったのだが。神経質で几帳面なマクウェルは、豪快で大雑把がすぎる彼が苦手であった。
数年前に北方諸島調査の任に就き、すっかり静かになったと思っていたのが、アリアス戦前に嵐のように帰ってきたとは伝え聞いていた。その後星の船の犠牲者たちの合同葬儀の際に数年ぶりに顔を合わせたが、その時は状況が状況だったからしめやかに挨拶を交わしたまでだった。
アルベルも苦手な部類に入るのではないか、と視線をうつすと、意外となんてことないような様子で静かに佇んでいた。
「……ラーズバード卿?」
馬車のなかで様子を伺っていたミスティが、アドレーの名を聞きつけて降りてくる。アーリグリフの作法に従い、マクウェルより一歩下がったところで立ち止まる。不特定の人が集まる場で女性が会話に入るには、主人である男性が紹介してエスコートするのが、アーリグリフの貴族社会におけるマナーである。
ミスティ・リーアの性質とシーハーツと言う土地柄からして、ミスティが主体となって交流を広げていくことに問題はないのだが、伯爵家後継であるマクウェルの面子を立てるためには祖国のしきたりを守る必要がある。その気遣いを察したマクウェルは、慈しむような眼差しを向けた。
「うむ、いかにも。マクウェル、そちらの美しいお方は?」
「我が国の錬金術士、ミスティ・リーア殿です。縁あって我が家に賓客としてお越しいただいてます」
「はじめまして。ミスティ・リーアと申します」
「ミスティ殿か。儂はアドレー・ラーズバードと申す。シーハーツ侯爵ラーズバード家の当主じゃ。こちらは対星の船作戦のメンバーであるフェイト殿とアルベル殿だ」
「フェ、フェイト・ラインゴッドです」
つややかな笑みを浮かべ優雅に一礼するミスティに、フェイトが見とれているのが容易にわかる。その視線が濃紺のワンピースのあわいから大胆に主張する豊かなふくらみに驚き、目線を逸らそうとしても目が追いかけてしまうことも。
少々癪にさわるが、ミスティ自身がその装いやふるまいを選んでいるのだから、余計な口を挟む資格はない。だがせめて、そのワンピースの合わせを首元まで閉じてしまいたい。あまりに豊かすぎて物理的に無理なのも知ってはいるが。無理やり閉じようとするとムチムチとはちきれんばかりになり、それはそれで目立つことも知ってはいるが。知って、いるが。見えるところに痕のひとつでも残しておけばよかったか、と到底理性的でない思考が湧き上がる。
「ミスティ……、
アルベルは平淡なまなざしをミスティに向け、静かに問う。軽い尋問のような雰囲気に、彼がアーリグリフの軍人としてたずねていることを周りは察した。
「アル。錬金術士に女も男もないぞ」
「……たしかに、そうだな」
マクウェルが少々焦点のずれたことを当然のように述べ、わずかに広がっていた緊張感が霧散する。
「アルベル・ノックス。マクウェルと同郷だ」
ガントレットをしていない方の右手で頭をかき、淡々と名乗る。アーリグリフ・シーハーツ両国で、その名を知らぬ者はいない。ミスティは驚いた様子で、手をにぎり唇にふれる。
「……、漆黒の、……」
「団長だ。一応、な」
正確に言えば、政敵でもあったヴォックスの策略で謀反の疑いをかけられ団長の称号を剥奪されており、対星の船作戦が成功すれば無罪放免、役職復帰。の予定のため、現在立場は宙に浮いている状態なのだが、そんなことを説明する必要もないため、アルベルはあいまいに答えた。
「ひさしぶりだな。まさかお前とシランドで会うとは。お前も星の船作戦に組み込まれたのか」
カルサアの中央町で生まれ育ったアルベルと、カルサア南部のグラナで生まれ育ったマクウェルは、貴族同士であり年が近いことから、家ぐるみで交流を持っていた。アルベルが武、マクウェルが文、まったく違う道を選びはしたが、お互い非常にストイックな気質であるという共通点からか仲は悪くなかった。
マクウェルが留学してから、アルベルはエアードラゴンとの契約に失敗し、父を失い自らも大怪我を負った。そのことでだいぶ荒れたらしく、帰省の際に顔を合わせたときはすっかり人相が変わってはいた。だが一対一で向き合えば、マクウェルにとっては変わらぬ年下の幼馴染だ。
父の死を経て、片腕がまともに使えないにも関わらずよりいっそう愚直に刀の腕を磨き続けたアルベルは、アーリグリフが誇る三軍の一つ、重装騎士団漆黒の団長にまで登りつめた。個人戦の実力ではアーリグリフでも一、二を争う。それはつまり、ゲート大陸の頂点に近いということでもある。対星の船の作戦がどのような内容になるかは分からないが、召集がかかるに値する人材だろう。
「ああ、
「マーカ、……死んで来いと同義じゃないか!」
「そうでもしないと星の船に対抗できんからな」
だが現状は、その一言に集約される。星の船に対抗しうる戦力を考えた時、単騎で可能性があるのはクロセルだけだろう。
「見込みはあるのか」
「まァ、……一対一じゃいかねぇよ。普通の契約とは違う、あくまで星の船に対抗するために力を借りれりゃいいんだ」
「たしかに、それなら可能性はあるのか……というか、それなら何故ここにいるんだ」
「色々あってな」
我らが王が、異世界の人間という政治的にも完全にイレギュラーな存在に、敵国の重要ポストについている女にプライベートな手紙を渡してくれだの。
なんてことを言えるはずもないアルベルは適当に言い、マクウェルもたいして追求しなかった。
クロセルに挑戦する兵など長らくおらず、王座に続く道が冷え固まった溶岩で閉ざされている事も誰も知らなかった。その溶岩を破壊する装置を用意するため一時的にウルザ溶岩洞を離れることとなり、物資の調達を兼ねたため完全な無駄足というわけではないのだが。あきらかに、この切迫した状況のなかで、やる事ではない。
「移動は……エアードラゴンか?」
「ああ。今作戦の移動はすべて疾風が担当している」
「そうか。もしも馬車だったら、隊列に組み込んでくれたらありがたかったが」
最近、シランドの上空を武装したエアードラゴンが飛んでいるのを住民が目撃し、騒ぎになることがあった。
対星の船に休戦協定と同盟が組まれたことが大々的に発表されはしたが、納得していない国民も多い。いくら星の船が脅威だからといって、アーリグリフの最高戦力と言っていい疾風を女王陛下が住まう城の上まで自由にさせるなんて、と反発は根強い。
だが一日に数十km進むのが精一杯の馬車やルムを使っての移動は、いつ大々的に動くか分からない星の船相手には悠長が過ぎる。熟練の疾風は、アーリグリフとシランドを一日に往復することもできる。この機動力を使わない手はあり得ない。
今回ばかりは両国の首脳部双方とも、国民感情に配慮する余裕などありはしない。故に疾風がシーハーツ領内を連日公然と飛び回るという、つい先日までは考えられなかった状況となっている。
長らく続いた戦争、突如襲来した星の船。民衆にかかるストレスは大きく、治安は乱れている。盗賊が増え、富貴商人の一部は買い占めと転売という畜生業に身を貶している。
街と街を移動する際は護衛が必ず必要になり、商人や郵便局員にとっては結構な負担となっている。クラークスにとっては護衛を雇うなどなんてことないのだが、軍の隊列に混ぜてもらうのがもっとも確実で、手っ取り早い。それも知った仲の軍人がいればなおさら安心だ。
「そちらの行き先は?」
「ペターニだ」
「それなら方面が同じだ。二、三人ならエアードラゴンに乗せれるが。どうする?」
「どれくらいの時間で着く?」
「風にもよるが……二時間ほどで」
「すばらしいな」
馬車だと早くとも四日はかかる距離を、空を翔ける龍はほんの二時間でゆく。この脅威的な機動力は、戦場ですさまじい成果を出してきただろう。ただ星の船に対しては、あまりに小さくはあるが。
「若様、そうなりますとお伴できる者が一人だけになります」
「問題ない。四日を二時間だぞ?」
従者が不安げに進言するがマクウェルはばっさりと言い切る。時間にうるさい主人がこう言う以上、曲げるつもりはないことを使用人一同よくよく理解している。
時は金なり。有限の時を無為に消費してはならない。時間は有益な研究のために使うべきであり、移動時間などの短縮はマクウェルにとって絶対正義である。
マクウェルの父、グラナの領主が聞いたら頭を抱えるだろう。富豪の息子が居住地でもない外国の街へ、伴がたった一人で旅に出るなど。身分と立場からして、最低でも従者が四人と護衛が六人は欲しいところなのに。
「……最速で追いつきますので、くれぐれもお気を付けくださいませ……」
「ミスティさん。かなり時間短縮できますが、いかがでしょう。エアードラゴンでも大丈夫ですか?」
従者たちの心配は気にも留めない主人が賓客へと真摯に伺いをたてる様子に、後方でヒソヒソと早口で会議をはじめた従者たちを気の毒に思ったフェイトが視線を向けると、それに気付いた彼らが苦笑いをしながら会釈した。
アルベルやアドレーはマクウェル以上に従者泣かせである故、まったく気にしていないというか、何が問題なのか微塵も理解していない。あるいは、理解していながら問題にしていない。
「……、」
「嫌ですか?」
ミスティは胸の前で両手をにぎりしめ、暗い表情でくちびるを噛みしめている。常に微笑みをたやさないミスティが負の感情をあらわにしているのはめずらしい。よほどエアードラゴンでの飛行が怖いのだろうか。
「……、でも、二時間でペターニに着くのよね」
一歩、マクウェルに近づき。マントをそっと掴み、ベールの下から不安げに見上げる。
「……大丈夫だけど……、あなたと離れたくないわ」
人目がなければ抱きしめてキスしてしまいたい。公衆の面前でそうするわけにもいかず、肩を抱くにとどめる。
「アル。三人乗りのドラゴンはいるか」
「一匹来てるはずだ」
「それに乗せてくれないか」
「……マク兄」
「なんだ」
「意外だな」
「何がだ?」
表情はたしかに薄いが、この女性に熱を上げていることが誰の目にも丸わかりなことを、この男はまったく自覚していないようだ。
だが、それを知ったとしても恥じることのない男だとアルベルは知っている。人目を必要以上に気にせずつねに堂々としている彼のことが、アルベルは昔から、すこし羨ましくもあった。
従者たちは主人のいない馬車で通常ルートでペターニを目指し、マクウェルとミスティ、選び抜かれた護衛の三人がエアードラゴンで先んじることとなった。護衛の中でも最も腕がたち、経験が長いため身の回りの世話もある程度できる優秀な人材であるが、通常三交代制の仕事をしばらく一人で二十四時間やる羽目になるなんて、思ってもいなかっただろう。他の従者たちにお前しか適任がいない、どうか無事で、と男泣きをされていた。
「野暮なことを聞くかもしれないが、あの手紙はアルがくれたのか」
飛行中は全身が冷たい風に叩きつけられるため、従者のひとりが屋敷まで冬用のコートを取りに戻る。城の門前で従者の戻りを待つさい、マクウェルは久しぶりに会った幼馴染に数年越しの質問を投げかけた。
「……ああ」
「そうか。ありがとう、おかげで自由に過ごせたよ」
アーリグリフが宣戦布告をしたと同時。つまりは、シランドまで情報が届く前に。消印も差出人の名も記されていない手紙がマクウェルの屋敷に届いた。
これからアーリグリフとシーハーツの間で戦争が起こること。マクウェルの研究がシーハーツの施術兵器開発に繋がるだろうという情報を首脳部の一部は既に知っていること。それから想定される状況からして、肩身の狭い思いをするかもしれないが戦争が終わるまでシーハーツにいてほしいということ。実家とのやり取りはすべて検閲されるだろうということ。最悪の場合、更に北か、あるいは西へ亡命した方がいいかもしれないこと。アーリグリフのために、その頭脳がいつか要るということ。
その手紙は読んですぐに焼いてしまったが、見覚えのある筆致をしていた。読み書きが苦手な幼馴染が、使用人や付き人に任せずに書いたときの字を、よく覚えている。
「父君はご壮健でいらっしゃる」
「そうか」
病気で妻に先立たれた父のことを思うと、数年も会えないままなのは気がかりだったが、アルベルの一言で心のつっかえがとれる。
マクウェルの父は賛成だろうと反対だろうと、この戦争にある意味誰よりも深く関わっている。父こそが誰よりも、出生率の上昇と乳児死亡率の低下により増え続ける民の食料をまかなうことが難しくなっていると、現実に直面していたのだから。
クラークスは強靭な権威と権力を持ってはいるが、戦争という熱狂のなかで、うまく立ち回なければ一息に危うい立場になることもありえた。
軍政の中心にいるアルベルがそう言うということは、父はうまくやっているということだ。なによりも安心できる言葉だった。
「おそらく、マク兄が戻ってきても処刑されることはなさそうだ」
「そんなに状況が変わったのか」
「ヴォックスが死んだ。これからは狸ジジイの独壇場になるだろうよ」
「それはまぁ、こちらとしてはやりやすいことだが。バーンレイド卿ひとりの死去で、それほど変わるものか。彼の派閥は相当数いたと思うが」
「だいぶ死んだよ。星の船のせいでな」
ヴォックス・バーンレイドは疾風の団長に就任してから人柄が冷徹になった、とは父から聞いていた。優秀な軍人であることにかわりはないが、クラークスやウォルターのやり方と噛み合わないこともあった。
「それに、人が死にすぎた。この状況で貴重な人材を処刑するような馬鹿はいない」
いない、というのはいたら手段を問わず黙らせる、という意味である。
「むしろ、しばらくしたら別の意味で帰国命令なり勧告なり来るだろうな」
「そうか」
「帰ってくるか?」
「自分の研究を邪魔されないならな」
預言書の研究は、シランドを拠点にした方が捗る。すぐに帰ることにはならないだろうが、それを終えたら満を持して帰国することができそうだ。
研究したいことは山ほどあるが、何をするにしてもシランド並の設備が必要になる。学校を一から建ててしまった方が手っ取り早い。後進を育てる必要もある。
そのための財産はシーハーツで既に作った。あとは機運を読むだけだ。
「……あの錬金術士、娶るのか」
アルベルが視線を離れたところへ向ける。ミスティがアドレーやフェイトとなにやら熱心に話し込んでおり、メモまでとっていた。アドレーは豪快で破天荒だが、その実凄腕の施術士である。ミスティにとっては知見をこう人物なのは違いない。
「俺はそうできたらいいと思っているが」
「そうなるといいな。ずっと憧れてただろう」
「……ありがとう」
マクウェルがミスティ・リーアの本に感化されていたことを、この幼馴染は覚えていたらしい。何気ない一言に、心があたたまる。
いつかグラナで、あのひとと一緒に夫婦として暮らせたら。そこには、蘇らせた娘もいるのだろうか。
まだ見ぬ光景への想像を膨らませると、従者が三人分のコートを持って戻ってきた。
エアードラゴンはシランド城の広大な庭で羽を休めており、待機していた疾風兵たちはアルベルの姿を見とめた瞬間立ち上がり、直立不動で敬礼した。
「ご苦労。急だが、民間人三名がペターニまで同行することになった。二人同じドラゴンに乗せてやってくれ」
「了解!」
間近でみるエアードラゴンは人の手によって武装されており、パートナーの命令に従うよう手懐けているとはいえ、ルムとは比べ物にならない迫力がある。硬い鱗でおおわれた外皮、独特の息づかい。てのひらほどの大きさの瞳は、時折水平に半透明の瞬膜がまたたく。
「ミスティさん、大丈夫ですか?」
「ええ。ドラゴンは……よく見るから」
「たしかに、バールにはたくさんいますものね」
疾風兵からの軽いレクチャーを受けつつコートを纏い、配布されたゴーグルを装着すると、エアードラゴンの背にくくりつけられた鞍に乗り込む。
どうやら素人用の装備のようで、マクウェルやミスティのみならず、フェイトやアドレーもベルトでガッチリと固定されていた。アルベルはエアードラゴンでの送迎に慣れているのか、疾風兵と変わらない鞍に乗っていた。
三人乗れるエアードラゴンは二回りほど大きいが、三人も乗ると鞍を取り付け可能な箇所をめいいっぱい使うため、ほとんど密着するような形になる。疾風兵が集まり最後の情報共有と確認をするなか、一番前の席に乗るミスティが、腰と首をひねって振り向こうとする。何か伝えたいのだろうと耳を寄せると、
「マクウェルくん、お願い、ぎゅってしてて……」
あまりにも可愛らしいことを言うものだから、構造上密着していることをいいことに腕をまわして抱きしめる。片手は腰をしっかり固定するようにまわし、もう片手でミスティの鞍の取っ手をつかむと、手袋に包まれたミスティの手が、マクウェルの手にそれぞれ重ねられた。
「じゃ、もし酔ったら遠慮なく脇に吐いちゃってくださいね~! 下にいる誰かにかかっちゃうかもしれないけど、鳥たちも脱糞しながら飛んでるし!」
「鳥の糞と人間の吐瀉物では量が違うと思うが」
「ま、そこはもうしょーがねっすよハハハハハ、空中で分散しますし! 多分!」
陽気な疾風兵はマクウェルのマジレスを笑い飛ばすと、ドラゴンに声をかけて手綱をひいた。翼が力強く羽ばたきを繰り返し、同時に落とした腰で力強く地面を蹴り上げると、地面から浮き上がる。
ドラゴン越しに浮遊感が伝わってくる。ドラゴンは次第に高度をあげ、どの建物よりもどの大樹よりも高く高く、青く澄んだ空へと登っていく。眼下一面に白亜のシランドの街並みと、門外の緑が広がる。ペターニへ向けて一直線に航路をとると、冷えた空気が全身に叩きつけられる。マクウェルはミスティが落ちないよう、冷えないよう、しっかりと抱きしめ続けた。
しばらくすれば飛行にも慣れ、冷たい風を浴びながら眼下の景色を眺める。地図の通りに山が隆起し、川が流れ、水の恵みのもとに村や町が点在する。街を繋ぐように敷かれた街道は空から見てもうっすらわかり、人の営みの力強さを伺わせる。人は自然のなか、知恵と工夫で発展してきた。
時折鳥の群れとすれ違い、時には追い抜く。ふと空を見上げたが、星の船は影すら見えない。だが上空のどこかにいることは確定している情報らしい。鳥やドラゴンすら普段飛ばない高度に停留できる、その技術と資源は、未知の領域だ。おそらくは、グリーテンよりも桁違いに発展した技術だろう。
世界の謎を解き明かそうと錬金術の研究に没頭してきたが、その先があまりに果てしないと、星の船という存在を考察するたびに知らしめられる。マクウェルが生きている間に、その領域に達することはできるだろうか。正直なところ、遠いだろうという予感がある。だが星の船も、おそらくは“人”の営み。ならば我らが到達できぬ道理はない。たとえ一代で成し遂げられずとも、いつか。
未来を信じて、後継に託す。そのために、真理を覆う薄暗がりのベールを、一枚一枚地道に剥がしてゆくのだ。
「お疲れ様でした、ベルト外しますねー」
景色を眺めながら思考に耽っていれば二時間はあっという間で、一行はペターニの街をかこう外壁の外に降り立った。疾風兵が手際よくベルトを外して行くのを待つ。同じ体勢を続けていたからか、体が軋む。
アルベル達も休憩をとるようで、フェイトやアドレーも同じようにベルトを外されていた。
「ミスティさん、大丈夫でしたか?」
「……」
「ミスティさん、」
飛行中は風に邪魔されてほとんど会話ができなかった。お互いの声が聞こえなくはないのだが、細かい聞き取りが難しくなるため、ほとんど無言の道中となった。
酔って吐いたりしている様子はなかったが、はじめての飛行で体力を消耗しているだろう。声をかけても返答がなく、ぐったりとマクウェルに体重を預けてくる。
「……、っはぁ……」
ベルトをすべてはずされ地上に降り立ち、ゴーグルを疾風兵に、コートを護衛に渡すと、ミスティはマクウェルの腕をつかみ、倒れ込むように抱きついた。一人では立っていられないようで、人目を気にする余裕もなくすがりつく。
「顔が真っ青だ……ひとまずホテルで休みましょう」
マクウェルの言葉に無言でうなずく。それが仕事とはいえ、護衛一人に三人分の冬用コートと荷物を任せるのは申し訳ないが、ミスティを他の男に任せるわけにはいかない。
抱き上げられればよかったのだが、成人女性ひとりを抱き上げてホテルまで歩ける腕力はない。背負うことを選び膝を折ると、それに気付いたアルベルが声をあげた。
「マク兄、ひとりで運べるか」
「フェイト殿、手伝ってあげましょうぞ。フェイト殿が一番ミスティ殿と背丈が近い」
「あ、はい、もちろん」
年長のアドレーが場を仕切るように提案する。意図を感じるふるまいに、アドレーがなにか自分が気付いていないものを見ている気がして、マクウェルは脊髄反射で返答しないよう、口をつぐんだ。
「よろしいかな?」
「ミスティさん、大丈夫ですか?」
「……」
心配そうな顔をしたフェイトへと視線を向けたミスティが、無言でうなずく。マクウェルとフェイトのふたりで肩を貸すことになり、首に腕を回させる。
アドレーは護衛から三人分のコートを半ば無理やり受け取りアルベルに持たせ、自らも鞄をいくつか持った。普段の豪快な言動からは予想もつかぬ意外な気配りに、マクウェルは素直に彼を見直した。
「ついて早々だが、急を要するので失礼する。ここまで乗せてくれて感謝します、助かりました」
疾風兵とエアードラゴンに礼を述べ、護衛に謝礼を渡させてからペターニの街へ入って行く。護衛が三人分の査証を門番に見せ、アドレーもまたシランド城から発行された完全フリーパスの通行証を見せて通過する。
ペターニで最もランクの高いホテル、ドーアの扉へと当然のように入り、ロビーのソファにミスティを落ち着かせると、ホテルのスタッフが早速水を運んでくる。もう任せて大丈夫だろう、とフェイトが離れようとすると、ミスティが呟くように名前を呼び、フェイトは身をかがめて耳を近づけた。
「本当にありがとう、フェイトくん。申し訳ないけど、他のひとたちにも伝えておいてくれるかしら」
「はい、わかりました。お大事になさってください」
ささやくような声をしっかりと聞きとめてはっきり返事を返すと、ミスティが力をふりしぼって笑みをつくる。苦しそうな、悲しそうな表情に後ろ髪を引かれるが、かたわらに寄り添うマクウェルの肩に頭をあずけたのを見て立ち上がる。この人たちのためにも、
「アル」
ミスティに寄り添うマクウェルが、ソファに腰掛けたままアルベルへ声をかける。
「必ず五体満足で生きて、
マクウェルとアルベルの紅い瞳が交差する。
アルベルが武、マクウェルが文。選んだ道はまったく違うが、成すべきことを成そうとがむしゃらに前に進もうとする、互いがそういう人間だと知っている。
アルベルはあの日からずっと、魂が荊に締めつけられるような痛みに苦しんできたのだろう。その後悔こそが彼を砥ぎ澄まし、そうして今、この国々の命運を託されている。
「……ああ。必ず」
何故生まれてきたのか、何故生きてゆくのか、自らに問いながらがむしゃらに生きてきた。
何よりも恐れるのは、魂が衰えること。魂が叫ぶままに命を賭して生きるしかない、互いがそういう人間だと知っている。
だから、言葉は最小限で良い。それで、伝わる。
互いに成すべきことを成そう、と。