さよなかの猫   作:織々々

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08 魂の組成成分1

 当日にも関わらず最上級のスイートルームを確保できたのは、ホテル側が旅客の格を見定めている故である。

 ブランドを守るため、部屋が空いており旅客が十分な金を用意したとしても、格の至らない者をスイートルームに宿泊させることはしない。最上級のサービスを受けるには、社会的地位も必要である。

 そうした環境において、クラークスの名を出せば当然のように最上級のサービスを提案される。戦時中だとしてもそれは変わらなかった。

 特にクラークス御用達のシーハーツ国内の各種業者へは、マクウェル・クラークスは敵国の貴族ではあるが変わらずもてなすようにと、ひそかに王宮から根回しされていた。その理由は機密のため外部に知らされることはないが、施術兵器の開発に貢献したマクウェルへの、シーハーツ首脳部からの礼である。

 

「……ありがとう、だいぶ落ち着いたわ」

 

 キングサイズのベッドに横たわるミスティが吐息をもらす。傍らのサイドチェアで本を読んでいたマクウェルは本にしおりをはさむと本を閉じ、ベッドに腰かけてミスティの顔を手の甲でそっと撫でた。

 

「エアードラゴンで旅程を短縮できたので、ゆっくりしていただいても大丈夫でしょう。なんなら、私だけでもその店に行ってきますが」

「いや、ひとりにしないで、そばにいて」

「……わかりました」

 

 子どものような言い方に、胸がしめつけられる。まるで恐怖にふるえる幼な子のようで、かわいらしく感じると同時に、それ以上に切なくなる。

 

「なにか飲みますか?」

「……ブランデーがあれば」

 

 だが求めるものはまったく子どもらしくない。アーリグリフ人は酒豪の割合が多いがミスティも強い方で、ディナーにワインを出すと二本は軽くあける。そのあとにウィスキーを数杯飲んでもすこし火照るくらいだ。

 

「……そんな体調で酒をいれたら、悪酔いしませんか」

「じゃあ、抱いて」

 

 これはいよいよ、子どもらしくない。

 

「……おねがい」

 

 あまりにも切羽詰まった様子でいうものだから、望みどおり横たわるミスティの上に覆いかぶさる。しかし、くちびるを重ねても、服をたくしあげて直に肌に触れても、反応がかたく、気持ちいいようにはまったく見えない。

 いつもなら、甘い声をあげてからだをふるわせるのに。熱っぽいひとみで見上げて、名前を呼んでくれるのに。生理的にもれるだけの声、不安そうなまなざし、救いを求めるかのような姿が、辛い。

 

「……ミスティさん、無理してませんか」

「……」

「今日はゆっくりしましょう」

 

 あやすように額にくちづけ、髪をとかすように頭をなでる。乱れた服を整えると、ミスティは息を吐いてひとみを閉じた。

 正直なところ、求めてくれるのは嬉しいのだが加虐趣味はもっていないので、楽しんでいない女性を相手に燃えるようなこともなく、使い物になりそうにない。

 

「……ハーブティが飲みたいわ」

「わかりました」

 

 サイドテーブルのベルを鳴らして従者を呼び、ホテルのスタッフにハーブティと水菓子を用意してもらう。寝てばかりいるのも気が滅入りそうだということで、窓際の席に移って楽しむことにした。

 ガラスのティーポットの中で、色とりどりのハーブやフルーツが湯に浮かぶ。優美な模様が入ったガラスのコンポートには、シーハーツの豊饒な土地で採れた色とりどりのフルーツが一口サイズにカットされて盛り付けられている。

 さっぱりしたフルーツをいくつか口にして、あたたかいハーブティを一杯。そうしてようやく一息つけたようで、窓のそとの景色を眺めながら、ミスティがこぼすように呟いた。

 

「……あの子の名前、エリーっていうの」

 

 はじめて、ミスティが娘のことをマクウェルに話した時だった。マクウェルの方から娘のことや離婚した夫のことを聴くのは失礼な気がして、何も聞き出そうとはしなかったから、ミスティが自ら話すことでしか知りようがないことだった。

 マクウェルにとっては、このひとが禁忌を犯すほどの深い悲しみのなかに沈んでいる、その事実だけで手を貸すには十分だったから。

 

「私、結婚してからなかなか子供ができなくて……ようやくできた子……だったわ。産む時にはもう離婚していたから実家で産んだの。安産でもなかったけど、難産というほどでもなかった。父親のいない子にしてしまったから、私だけでも……父親の分まで愛そうと、思ったわ。

 あの子、私にそっくりだった。顔立ちも、目の色も髪の色も、ぜんぶ……生き写しみたいに、そっくりで……親や親戚も、私の小さい頃にそっくりだってみんな口々に言って。言葉を覚えるのが早い子で、ほんの二歳だったけど、結構達者に話してたのよ。これ何、あれ何、ってたくさん質問してきて……

 あの子は……あの子は……、……、……かわいい子だった……絶対に私が守って、育て上げようって思ってたのに……

 ……あの子のことを話すと、ぜんぶ、ぜんぶ過去形になるの──が、つらくて……」

 

 身が引き裂かれるような痛みとともに、涙があふれる。

 青い瞳、白い肌、銀色の髪。私にそっくりな、愛しい子。私の、子ども。ママ、と呼んで慕ってくれたあの子を、私は守ることができなかった。

 すべて取り返しがつかなくなってから、あの子にふりかかる痛みも苦しみも、すべて私が肩代わりしてあげられればどれほどよかっただろうかと気が狂いそうだった。

 

「エリーのために、わたしは……わたしの全部、あの子に捧げようって、決めたの」

 

 ミスティの名を継ぐ時に授けられた、秘められし神秘錬金術(ミスティカ)。目の前に選択肢があるのならば、それを選ばぬ道はない。禁忌を犯そうと、何を犠牲にしても踏みにじっても、愛し子のためにすべてを捧げようと、後悔と共に覚悟を決めた。

 

「わたしだけの問題なのに……あなたを巻き込んで……こうまでしてくれるの嬉しいけど、もうしわけないわ。あなた、優しいから……甘えちゃう」

「……私がやりたいからやっているだけですので。私自身も、禁術に興味がありますので。お互い様でしょう」

 

 元上司のルーズさに振り回されていた頃はストレス過多で酒の量も増えていたのに、ミスティに振り回されるのは、充実感すらある。惚れた欲目だろうか。

 こちらから察するだけでなく、ミスティの方からこうして胸のうちをあかしてくれたことが、不謹慎かもしれないが嬉しく思う。できる限りのことをしよう、とマクウェルは改めて心に決めた。

 

「……ほんとうにありがとう、マクウェルくん。ごめんね……」

 

 この言葉の意味をできるだけ長く、彼が知らないで済むといい。

 

 

 

 

「おや、クラークス殿ではありませんか」

 

 翌朝。朝食を終え、時間調整のためにラウンジで紅茶飲んでいるところで声をかけられる。顔を上げると着飾った男女とその従者たちがおり、マクウェルは記憶をさぐってその男の名前を思い出した。ペターニの子爵、エライ家の子息とその婚約者だ。

 マクウェルは留学してから貴族の一員として社交界にも出席していたため、シーハーツの貴族たちとも面識がある。しかし戦争がはじまってからは公的な場への参加は控えていたため、この子爵息子と顔を合わせるのは数年ぶりになる。

 

「ペターニへお越しだったとはつゆ知らず」

「昨日着いたばかりでして」

「さようでございましたか。道中ご苦労様でございます」

 

 国が違うとはいえ、伯爵家後継であるマクウェルの方が身分としては上になる。それもクラークス家はアーリグリフの貴族の中でも歴史が長い。言葉遣いが適切ではないことに、ミスティはベールの下から彼らを見据えた。

 それを言えば、爵位すら持っていない自分もこのひとと一緒にいるのは分不相応と言えなくもないが、階級社会の中で生きる彼らにとっては序列は死活問題ではないのだろうか、という疑問は浮かぶ。

 

「お連れの方とご一緒のようで。シランドのご令嬢ですか?」

 

 まるで品定めするような言い方に、ミスティはベールの下でほほえみを凍らせる。アーリグリフでは美しくして冷たく微笑んでいれば男を黙らせることができるが、シーハーツでも通用するだろうか。

 

「違いますが、大切な客人です」

 

 マクウェルが有無を言わさぬ勢いで、きっぱりと言い切る。

 この子爵息子はアーリグリフを格下だと見下しており、自分たちのことを棚に上げて、クラークス家を既得権益の恩恵に預かっているだけの洗練されていない田舎者と見なし、慇懃無礼が見え隠れ──しているのだが、マクウェルは人の悪意をあまり気にしないため、単に話のつまらない奴という認識でしかなかった。

 特権階級に生まれておいて、資産を食いつぶすか無思考に回すだけで、自ら何かしらの道を極めようとしていない者に付き合うのは時間の無駄だ。懐から懐中時計を取り出し、適当に理由をつけて離脱しようかと考える。

 

「若様。ご紹介だけでも」

 

 独善的なところがあり、社交性があまり高くないマクウェルの思う通りにさせていたら下手をすればおおごとになる、とこれまでの経験で瞬時に判断した護衛が背後からこっそりと耳打ちする。表情はいつも通りの無表情なれど、子どもが駄々をこねるように不満そうにしているのを護衛は察したが、にっこりとわざとらしい笑みを浮かべて有無を言わさない空気を作り上げた。

 

「……我が国の錬金術士、ミスティ・リーア殿です」

 

 わずかに逡巡するが、今までの経験を踏まえて護衛のアドバイスに従うことに決めたマクウェルは淡々と述べた。

 

「アーリグリフの! いやぁ珍しい、このご時世に」

「まぁ、ミスティ・リーア様?」

 

 子爵息子のやや演技がかった言葉を遮るように、傍の女性が明るい声を上げる。

 

「わたくし、貴女のレシピから派生したコスメを愛用しておりまして、今日も使っておりますのよ。お逢いできて光栄ですわ」

 

 ミスティの前に踊り出るように進み、膝を軽く折って一礼する。女系社会のシーハーツでは、女性が主体となって交流することは何らはしたないことではない。

 その言葉に嘘がないことを察したミスティは、静かに立ち上がってやわらかい笑みを返した。

 

「さようでございましたか。シーハーツまで派生しているということは、ローズコレクションの?」

「ええ、スキンケアはライン使いをしておりますし、ヘアオイルも。コスメのなかでは口紅が特に素晴らしくて、わたくし肌が敏感ですのでなかなか合うものがなかったのですが、ローズ・ミスティカの口紅は発色も色持ちも良く何より荒れなくて。ああ、あれほどの美容品を作り上げられる方はご自身も美しいのですね。お肌が白くて羨ましいですわ」

 

 喜ばしげに語る女性がわずかに不穏が漂っていた空気を一掃し、明るい雰囲気で塗りつぶす。思わぬ展開にマクウェルも子爵息子も面食らい、二人の会話を見守ることになる。

 錬金術士は言うなれば研究職であり、医療薬や美容品を得意とする者も多い。何代か前の“ミスティ・リーア”が各地の民間療法の効用を論理的に洗い出し、もっとも美容効果が高いとされるレシピを発明し特許申請したのである。そのレシピをもとに、ゲート大陸内でコスメブランドがいくつか展開しており、ミスティの元にはその特許使用料が継続的に振り込まれている。

 

「今はこんなご時世ですけれど、もしこの先シーハーツで何か事業展開をお考えなら、ぜひわたくしまでお話いただければご協力いたしますわ。わたくし、本当に貴女のコスメに助けられましたの……ご縁がありましたら、ぜひ」

 

 女性は従者のひとりに名刺を取り出させ、自らの手でミスティに渡した。そろそろブランチの予約時間だと子爵息子に促され、華やかな香水の香りを残して去っていく。

 

「……こんなことがあるんですね」

 

 意外な展開を呆然と見守るしかなかったマクウェルが、息を吐く。社交界や貴族の集いではこうした場面も起こりうるが、まさか今目の前で起きるとは思わなかった。

 

「美容は女性の武装ですもの。死活問題になりうる分野で、意義のある研究よ」

 

 ミスティは名刺を丁寧に扱い、革のケースにしまうとポシェットのなかに大事そうにしまいこんだ。

 

「我々もそろそろ参りましょうか」

 

 

 

 この旅の目的地は、ペターニの一角にあるジュエリーショップ。教会の近くにあるこじんまりとした店は、扱うものが高価だからこそひっそりとした佇まいで、シンプルな看板を掲げるにとどめている。VIPが集う入り口は案外地味なものである。

 

「いらっしゃいませ。ごよやくはされていますでしょうか?」

 

 従者が扉を開けるとドアベルの金属音が響き、幼くも滑舌の良い声が聴こえてくる。こじんまりした空間は品よく落ち着いた調子でまとめられており、扉から数歩歩いた先のカウンターの向こうで幼女が客を迎えていた。

 サラサラの長い金髪、宝石のような赤い瞳。紺色のシックなドレスに白いエプロンといった格好をしており、不思議と落ち着いた空気を纏った彼女は、幼いながらも人形のように静謐な美しさをたたえている。

 

「いや、予約はしていない。エヴィアはいるか? マクウェルが来たと言ってくれればわかるはずだ」

「かしこまりました」

 

 ちいさな淑女は丁寧な言葉遣いで答えると、高い椅子を飛び降りカウンターの向こうに姿を隠す。ガラス張りの陳列棚を兼ねたそこには、見事な細工のジュエリーが品良く並べられている。値札はついていないが、店頭にある分は扱うもののなかでは安価な方である。高価なもの、得意客にしか出さない品物は奥の部屋で個別に見せるものだ。

 

「パパー! パパ、お客さま~マクウェルってひとー!」

 

 扉の向こうから幼女の素の口調が漏れ聞こえる。しばらくすると幼女だけが戻ってきて、奥の部屋に通され紅茶を出された。

 ベルベットのソファ、磨き上げられたテーブル。宝石を際立たせるためか装飾は少ないが、高級なしつらえの部屋である。

 この店の主人があらわれたのは、紅茶も冷め、マクウェルが苛立つくらいの時間が経ってようやくのことだった。

 

「ああどうも、お久しぶりです。またなにかご入用ですか」

「相変わらずだな、エヴィア」

「いや、作業がちょうど良いところだったんですよ。素晴らしいルビーが入りましてね。そちらのご婦人にいかがですか?」

 

 部屋に入ってきた若い店主は、一言で表すと優男、というにふさわしい見た目をしていた。長い銀髪は中性的な印象に仕上げたカットで、すらりとした長身であるが、雅な雰囲気をまとっているからかまったく圧迫感を与えない。娘と同じ赤い瞳は、似た瞳の色でも仏頂面が基本のマクウェルと違って優雅な印象を与える。

 

「……後で見させてもらおうか」

「ええ、是非とも。改めまして、宝石商兼細工師のエヴィアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「ミスティ・リーアと申します。こちらこそ……」

 

 エヴィアは数年前までシランド城に勤めており、エリート街道を順調に登っていく予定の人材であった。しかし非常に個人的な事情でクビになり、巡り巡ってペターニで宝石商をやっている。

 マクウェルは研究所時代に彼と面識を持っており、その縁で錬金術に使う鉱石や宝石のうち、シランドで手に入りにくいものをエヴィアに頼むことが今まで何回かあった。

 

「あの。早速本題に入らせてください。こちらに、魂玉石(こんぎょくせき)はありますか?」

 

 ペターニは交易の街であり、掘り出し物や希少品が入ってくる可能性が最も高い。これまでも珍しい石をエヴィアを介して手に入れたことがあるマクウェルは、ミスティの欲する魂玉石(こんぎょくせき)もここで見つけられる可能性があるかもしれない、と検討をつけたのだ。

 

魂玉石(こんぎょくせき)……これはまた希少中の希少である石を」

「あるのか、無いのか」

「こちらにはありませんね」

「……そう、ですか」

「入ってくる予定、見込みは」

「バイヤーに頼めば入ってくるかもしれないが、魂玉石(こんぎょくせき)ともなるといつまで待てばいいのか全く見通しが立ちませんね。……グリーテンの流れものならあるいは……いや、無いか。アンフロックの命に等しい石だ、流れてはこまい」

 

 かつてシーハーツの前身・古代シーフォート王国を滅ぼし、今は鎖国している海の向こうの国家、グリーテン王国。その中心的種族であるアンフロックは、岩石でできた体に魂が宿る亜人である。主成分を占めるバーク石も貴重で希少な石であるが、魂を宿す部分こそがアンフロックを自立思考と行動可能な生命体たらしめる。

 その魂を宿す部分こそ、ミスティが血眼になって探し求める魂玉石(こんぎょくせき)なのである。

 

「確実に魂玉石(こんぎょくせき)を手に入れたいのなら、グリーテンに行ってアンフロックを捕まえてその体を砕くしかありませんね。密入国、密出国、殺人、密輸入、密輸出、あらゆる罪を犯すことになりますし外交問題からの戦争になるのは確実でしょうけれども」

「……」

 

 ミスティがうつむいて考え込み、ひざの上で両手をかたく握りしめる。マクウェルは思わず手を重ね、ほどくように指と指をからませた。

 ただでさえリスクの高いことをするのに、その方法はリスクの上塗りをするだけで、リターンを得る前に破滅する確率が非常に高い。さすがにそんな手段をとるつもりはないだろうが、誰でも思いつめてしまえば魔が差すこともないとは言いきれない。

 

「万が一、その方法で手に入れたバイヤーやら商人やらがいたとして、そいつから買うのはリスクが高すぎますね。弱みを握られて末代まで脅され財産を啜られますよ」

 

 作ることすらアンサラーでなければ可能性は無い。彼の領域まで到達するのに、何十年かかることか。あとはもう、天然物の奇跡を見つけるしかなく、それには探すしか道はないのだ。

 

「まぁ、バイヤーに心当たりがないか聴いてみますよ。その間、他にもペターニは石を扱う店は多いので探してみるといい。必要であれば真贋の鑑定もしに行きますのでお申し付けください」

 

 

 

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